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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    越木岩鉱泉 再び

  • 2014.01.23 Thursday
  •  寒いですねぇ。寒ィョォ((((・´_`・)))寒ィョォ
     大寒ですから当然なのかもしれませんが、昨今はなかなかに厳しい。
     土日も雪がパラついていました。自転車に乗ると冷たい風が頬にしみます。でもまあ、頑張って満池谷墓地くらいは行ってきました。なかなかに面白い発見もあり、それはまたおいおい書いていきたいと思います。
     そのあとは、西方向へ。夙川学院方面を覗き(マンション工事で話題になっていますが、僕の興味は神園1号墳です。なんと復活していました。これから整備されるかもしれません)、そして夙川へ。≡≡≡ヘ(*--)ノ

     昨年初夏、越木岩鉱泉を探しに行った話を書きました。→こちら
     このときは、しっかりと湧き出ていたのです。
     しかし、その夏に西宮は記録的豪雨にみまわれました。今は治水がしっかりしていますので街は何とか持ちこたえたものの、昔だったら大水害となっていたところです。しかしタダではすまず、あちこちで被害がでました。夙川もえらいことになったようです。
     そして、越木岩鉱泉が埋まったとふくさんがリポートして下さいました。→越木岩鉱泉を探して夙川を遡る:犬と歩く夙川
     かつて隆盛していた越木岩鉱泉は、阪神大水害で埋まりました。そして、最近になってささやかに復活していたのに、また水害で…。(-_-;ウーン

     さて、久々の再訪です。どうなっているでしょうか。( ̄∇ ̄)

     

     夙川は、冬枯れの景色です。夏は草が繁茂して緑あふれていましたが、薄茶色と言いますか何と言いますか、冬の色です。
     石垣の下の樋からチョロチョロ出ていたところは…?

     

     冬枯れの川原で、ここだけちょっと緑っぽい♪ 鉱泉のパワーかな? 

     

     ああ、出てるな。(*´∇`*) なんか埋もれてますけど、流れ出しています。

     さて、問題は川床の真ん中から噴出していたところです。あれは、さすがに埋まっちゃってるでしょう。場所はだいたい記憶していましたので、どうせ砂で覆われてるんでしょうから何だったらちょっと掘り返してやろうか、くらいのことを思っていたのですが…

     

      えっ

     

     ぉお!!(゚ロ゚屮)屮 復活しています!
     どういう奇特な方がいらっしゃるのでしょうか。しかも、以前より堅牢につくられています。前みたいにそのへんの石を並べた程度じゃないんです。石材でしっかり枠を作って…。これは一人じゃできないぞ。
     ご近所の方が直されたのでしょうか。ちょっと感動モノですよ。頭が下がります。m(_ _;)m

     底からは、以前と同じようにきれいな鉱泉が噴出し、あふれています。
     では、夏にはわからなかったことをやってみましょう。

     

     おお、あたたかいっ! ( v ̄▽ ̄) イエーイ♪

     温かいは言い過ぎで、冷たくない、という表現のほうが的確だと思いますが、まわりの川の水は手を切るような冷たさなのですよ。比較すれば、まぎれもなく鉱泉だということがわかります。
     今の季節ならではですね。もしも行かれるなら、今ですよ。夏じゃこの感覚はあじわえませんから。( ̄▽ ̄)

    ※初出:西宮ブログ「凛太郎の自転車操業
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    | 2014/01/23 | 西宮流 | 05:58 | comments(0) | trackbacks(0) |

    忘れていいの

  • 2014.01.19 Sunday
  • 年末年始は忘新年会などで宴席の機会も多かったのですが、カラオケにも何度か行きました。
    そういう場で、谷村新司&小川知子のデュエット曲である「忘れていいの」が歌われているのを3回聞きました。
     
      
      谷村新司 ベスト&ベスト
      忘れていいの-愛の幕切れ- youtube

    はじめに書いておきますが、このうたは何といっても名曲であると僕は思っています。アリスのチンペイさんとしてはちょっと措きますが、作家谷村新司氏の仕事としては、ひとつの頂点ではないかと思っています(異論認めます)。
    このうたは、もう30年前の曲です。名曲は色褪せず、ということなのかと思っていましたが、さすがに3度目に聞いたときには「?」と思いまして。何でそんなに流行ってるんだ。
    尋ねてみますと年末、TVの歌番組でチンペイさんが何と壇蜜さんを相方に披露したらしく。しかも、一度じゃないそうです(このペアで複数の番組に出たとか 笑)。なるほど、それで再認識した人が多かったのか。
    こんな時代なので、その壇蜜さんver.も探したらありまして。一聴して…うーむ(笑)。もちろん壇蜜さんは歌手ではありませんから多くを求めてはいけませんが。むしろ、壇蜜さんという人のお姿は雑誌のグラビアで拝見させていただくのが主でしたから、こんなにかわいい声をしていたのかと驚き。何となくですが、もっとお色気たっぷりのハスキーボイスを想像していたものですから。

      一人で生きる術なら知っている 哀しいけれど この年なら

    ベタかもしれませんけど、こういう言葉は沁みますね。
    このうたが世に出たときはまだ僕は若く、こういう大人の心情はよくわかっていなかったんだと思います。今のほうが、心に浸透してくる気がします。
    別れを切り出しているのは、もちろん男。それが突然のことであれば、若い女性なら泣いたり怒ったりする場面でしょう。けれども大人の女は、そんな場面に直面しても、感情を抑える。決して激昂したりしない。どうするかといえば、笑うんです。
    矜持もあります。また経験も積んでいます。ここで泣くことはできない。だから強がる。本音は「どうかあなた行かないで」であったとしても。

      見つめていないで 背を向けていいのよ

    早く背を向けてくれないと、涙が溢れてくるのを見られてしまいます。それを見られるのだけは堪忍してほしい。その女のプライドというものに、哀憐の情を覚えるのです。

      上着の襟が立ってるわ 自分でちゃんと直すのよ 今日からは

    彼女はこのとき、立っている襟を直してあげたんでしょうか。
    これ、どっちでも哀しいんだな。
    言葉どおり受け取れば「明日からは」だったら、直してあげたことになりますが、「今日からは」だから、直していない。襟が立っていることには気づいているんです。いつものように直してあげようとして手を止める。もうそんなことはしてはいけないんだと気付く。「自分でちゃんと直すのよ」というのは、心の中の言葉。多分口には出してないな。そんなことを口にすれば、涙が出てしまうでしょう。
    いや、直してあげたのかもしれない。世話を焼くのもこれが最後。わたしがいなくても、ちゃんとしてね。
    やっぱり、どっちも哀しい。

    なんかね、いろんなことを思い出すんです。僕も、この年なら。あのときは、あれでよかったのかな。それとも、違う扉があったのかな。そうすればもしかしたら、今とは別の道を歩いていたのかな。

    ただね。
    この曲で残念なことが一点だけあるわけで。それは、例のアレです。谷村御大が小川知子さんの胸元に手を入れるアレ。
    アレは、功罪ありますね本当に。
    アレがなければ、このうたはここまで人口に膾炙しなかったかもしれません。マーケティングのやり方としては、正しい。でもねー、アレのおかげで、このうたはちょっとエッチなうたにカテゴライズされがちなんですよ、どうしても。よく聴けばまったくそんなうたではないのですが。
    昨今はしっかりした世の中になっていますのでほぼこういうことはありませんが、昔は、このうたによってカラオケで「セクハラ」行為を行おうとするおっさんが相当居たと思われるんです。少なくとも、僕は何度も目撃しています。上司が女子社員の胸元に手を入れようとしたり(実際に入れたらアウトですが、当時はセクハラという言葉は一般的ではありませんでした)、またホステスさんに同様の行為をしたり。けしからん事だと本当に思います。
    そして30年経った今でも。先日、やはり「遠ざかる…」にさしかかったときに、右手を動かしたおっさんがいました。店内がざわめき笑い声がおき、女性は逃げ…アホか。もちろん本気でおっぱいを触ろうとしているのではなくギャグでやっているのですが、僕は舌打ちをしました。そもそもヘタなのに、うたの価値がさらに下がるじゃないか。せめてもっとまじめに歌え。
    こんなことを思っているのは、僕だけなんでしょうけれどもね(汗)。

    さて、このうたの価値はただ詩と旋律が秀逸であるというだけではないと思っています。そんな話は、また後日書こうと思いますが。


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    | 2014/01/19 | 音楽 | 17:35 | comments(4) | trackbacks(0) |

    JR線脇の阪神電鉄境界標杭

  • 2014.01.08 Wednesday
  •  こんにちは。( ̄∇ ̄)

     年が明けたら、市内の村落墓地について書こうと思っていたのですが、どうも時間がとれません(汗)。また墓地のことはボチボチやります。( ̄△ ̄;)エッ・・オヤヂギャグ?
     今日は小ネタを。

     昨年の話なんですけど、あるものを見つけまして。

     

     これは、甲子園口五丁目から天道町に抜けるJR神戸線のアンダーパスです。新しくなって使いやすいですね。僕の住む甲子園界隈から自転車でJRを北に越える場合はここが最寄です。
     ここが工事中のときは、僕のような自転車乗りは中津浜線の跨線橋を通れないので、甲子園口のマンボウか津門川沿いの道まで回らなくてはいけなかったので面倒でした。助かります。
     その近くなのですが。

     
     
     アンダーパスの西側。百間樋用水の末流である蓮花寺川(新川)も線路を潜っていて、ここは暗渠になっています。その西側のたもと。コンクリート杭があります。通常、こういうのは境界標です。ここからはJRの敷地ですよ、とかいうしるし。よくありますね。ではアップ。

     
     
     えっ、阪神? 阪神ですと?! w( ̄▽ ̄;)wワオッ!! ここはJR神戸線の脇ですよ!

     これは面白いものを見つけたぞー。僕は一人で興奮してしまいました(笑)。
     これはもしかしたら、旧阪神武庫川線の痕跡ではないのですか。

     旧阪神武庫川線についてはご存知の方も多いと思いますが、話は戦時中のことになります。
     鳴尾の高須町、現在武庫川団地がある場所に、川西航空機という飛行機メーカーがあり、そこで「紫電改」という軍用戦闘機が生産されていました。その軍需工場へ物資を輸送するため、JR(当時は省線)西ノ宮駅から高須町へ、国策として阪神電鉄が突貫工事で線路を敷きました。西ノ宮駅から甲子園口駅を経由して、武庫川の西岸を南下して現在の武庫川団地まで。昭和19年のことです。
     戦後はもちろん廃線となり、現在残るのは阪神武庫川駅以南、つまり現武庫川線だけです。しかしその廃線跡はあちこちに残っていまして、往時をしのぶことが出来ます。
     詳細は「廃線跡ウォッチ2〔旧武庫川線〕:ちょっと歴史っぽい西宮」をご覧いただければ幸いです。長いけど(汗)。

     この「阪神」と刻まれたコンクリート杭も、その名残りである可能性もあると思うのです。だって、こんなところに「阪神」の杭があるなんて。繰り返しますがここはJR神戸線ですよ。
     
     

     標柱から東側を見ています。
     アンダーパスの向う、線路の築堤とラインが一致しています。
     そして、JRが走る線路との間に、空き地があります。この部分に、かつてはもう一本線路が敷設されていたのです。

     
     
     この空間は「廃線跡」と考えていいのですが、この部分の土地は現在も阪神電鉄が所有しているということなのでしょうか? JR線との境にも柵があります。しかし、武庫川沿いならともかくこんなところ所有していても活用できないのでは? あるいはこの標柱は撤去忘れ? いやそんなことも考えにくいな。よくわかりません。
     真面目に調査すればわかるのでしょうけれども、僕にはそんな器量もないのでぼんやりと眺めるにとどめます。

     ここから少し西に行くと「SL公園」があります。中津浜線の跨線橋すぐ東です。

     

     この路線は阪神電車によって敷設されましたが、阪神の電車が走っていたのは、国道2号線以南だけでした。西ノ宮駅〜甲子園口駅〜武庫川沿南下〜国道2号線までは、貨物列車だけの運行でした。
     この部分は電化されず、蒸気機関車が走っていました。
     そのために現在の中津浜線の高架のすぐ東に、給水塔が設けられていました。
     この骨組みのモニュメントは、その給水塔跡です。
     
     もう少し西へ。

     
     
     名神高速の高架下です。旧アサヒビール工場の北東端にあたる場所。そこに、路線からこんなふうに築堤がでっぱっています。
     この旧武庫川線は、戦後も西ノ宮駅〜アサヒビール間は貨物線として運行していました。昭和61年まで現役でした。このでっぱりの部分は、その貨物駅跡だろうと推測されます。
     
     

     アサヒビールはすっかり更地に。この古い貨物駅跡も消え行く運命なのでしょうか。あるいはこの駅跡、今も阪神電鉄所有なんでしょうか(まさかね ^^;)。


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    | 2014/01/08 | 西宮流 | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) |

    冬の山形など

  • 2014.01.05 Sunday
  • 謹賀新年、凛太郎です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

    今年の年末年始は、予報によって正月寒波来襲を覚悟していたのですが、案外おだやかでした。僕は例によって東北に行ったのですが、列車が全然遅れなかったのってどれだけぶりだったでしょうか。ありがたいことでした。
    もしかしたら東北では全然動けないことを覚悟して、僕は休みの初日、小田原とかを歩いていたのです。小田原って実は8歳のときに行ったきりだったので、北条五代を意識して観光したことがなかったんです。
    そんな感じで安全策をとって神奈川周辺をウロウロしていたのですが、どうも天気が持ちそうなのでやっぱり北だ、と思い直し、その日は夜に福島まで移動して泊。やっぱり夜は冷えますね。燗酒が胃の腑に染み入ります。

    翌朝、奥羽本線で米沢へ。
    米沢は、約20年ぶりになります。そんなに間があいたか。そのときは自動車で来たので、かなり細かくまわりました。なので今回は、冬の雰囲気だけ味わえれば良いと思っています。まず上杉神社へ。
    駅から歩いていったのですが(バスは本数がありませんしタクシーなんぞガラじゃない)、2kmちょっとだとナメていたら結構大変。雪が年末寒波の名残で残っていまして。しかも消雪装置が働いていて水がじゃんじゃん道に出ているのでぐちょぐちょなんですな(汗)。足をとられます。うわ、油断していて革靴を履いてきてしまっているので(防水もしていない)、じんわりと水が染みてきますよ(涙)。
    しかし、向かう道筋には歴史っぽいものが数多く残されています。義経旧跡なんてのも。義経はここまで来たのか。こういうものは、歩かないと気が付きませんね。
    すっかり足が冷たくなった頃、神社に到着。靴が水を含んで重くなっています。うーむ。

    上杉神社は、つまり米沢城の本丸跡です。
    米沢城の起源は古い。鎌倉時代に遡りますが、長い間長井氏が支配していたこの城を、室町時代に伊達氏が攻略します。あの伊達政宗は、ここで生まれたとされます。
    それだけでも歴史の色が濃いわけですが、その後変遷を経て豊臣時代、上杉景勝が会津に移封され、米沢城には直江兼続が入ります。大河ドラマのときには、おそらく大変な人だったのでしょう。
    その後関ヶ原合戦があり西軍についた上杉氏は大幅に減封、会津を取り上げられ米沢に押し込められることに。当然石高が減り苦しい財政となり、中興の祖上杉鷹山が「なせばなる、なさねばならぬ」と藩政立て直しをするのです。
    だからここには、上杉鷹山の銅像がいくつも建っています。

    上杉神社は、謙信を祭っています。かつて鷹山も合祀していたのですが、分祀して今は謙信だけです。
    謙信の遺骸は崩じたときに、鎧兜を身にまとわせそのままの姿で甕棺に入れ祀られました。移封の際にその遺骸をそのまま米沢に持ってきて、祠堂を建て祀りました。今は遺骸は墓所に移されていますが、その祠堂跡が、城の一段高くなった郭に残っています。
    そこへ登る石段は除雪されているようだったので、ちょっと登ってみたのです。さすれば、途中から除雪が途切れ、どんどん雪深くなってきました。うわ、ラッセルになったぞ! 靴だけでなく僕のズボンまで雪にまみれ、えらいことになってしまいました(汗)。
    しかしこうなればもうヤケクソになりますわな(笑)。もう僕は雪であろうとなんであろうとかまわず歩き回りましたよ。どうせぐしょぐしょなんだ。
    あちこち旧跡をみたあと、謙信を祭る神社に参拝、米沢城址をあとにしました。

    足がつめてーなー(笑)。おまけに雪がちらついてきました。どこかでめしを食べようと思いましたがふらりと入れる店がなく、そのまま駅に戻り、米沢牛を使った駅弁を購入、再び列車に乗って今度は上山へ。
    しかし上山は米沢から近すぎた! その結果、乗車時間が短く急いで駅弁を食べなければならない始末(笑)。しかし名物駅弁「牛肉どまんなか」は旨かったっすけどねー。
    「かみのやま温泉」で下車。上山城へと向かいます。
    町は、上山藩の城下町として栄え、その名残がよく残っている古いいい町です。以前上山へ来たときには僕は斉藤茂吉記念館一点集中で観光したため、あまり町を歩いていなかったのです。
    古い町並みを抜け、お城へ。しかしお城は年末で閉館してました(汗)。まあいいか別に上らなくても(どうせ復元天守ですし 笑)。
    さて、足の冷たさもピークに。お風呂に入ろう。
    城を抜け、月岡公園を横切って、下大湯共同浴場へ。かみのやま温泉は共同浴場が充実していて幾つもありますが、その中でも最も歴史が古いと言われています。
    さあ入りましょう。まずは列車内で網棚から拾ってきた新聞紙を靴の中に詰め(乾かしたいのよ)、番台へ。料金は150円。この間まで80円だったそうで(笑)。共同浴場ってこういう極めて廉価な場所がしばしばありますな。これだけでもよかったのですが雪で髪も濡れたので別に洗髪券も購入(100円)しますと、蛇口のカランをひとつ渡されました。面白いシステムですなあ。
    さて、ゆっくりとお風呂に入ります。一年の垢を流すようで、いいですねぇ。熱めのお湯が冷え切った身体に心地いい。思わず入るときにうなり声がでますわな(オヤヂ)。地元の人がたくさん来ています。
    で、そのカランなんですが別にシャワーがあるわけではなく、熱いお湯と水の蛇口が二つあって、それを桶に適宜あわせて洗髪に使うのです。その水と湯の蛇口を使用する権利を得たわけですが、でもカランがひとつしかないから、水とお湯のどっちかしか出せません。使いにくいわ(笑)。しかしこれもまた、旅情というものですけど。
    結局2時間近く入ってしまいました。のぼせる寸前やな。結構でございました。
    靴は完全には乾いていないものの、ポカポカなのでまあよかろう。その後、履いているうちに乾きましたよ。

    本当は次に、上山の北にある長谷堂城跡にも行こうと思っていたのです。「東の関ヶ原」といわれる長谷堂合戦の舞台。
    関ヶ原は、そもそも家康が上杉攻めを敢行せんとして大軍を会津に向けて進攻したわけですが、石田三成が挙兵して家康は大軍を反転、関ヶ原に向かうわけです。で、上杉は家康方の山形城の最上義光を攻めるんです。これについては記事にしたことがあります。
    上杉軍の大将、直江兼続は果敢に山形を攻めるわけですが、ここで前線の上山城と長谷堂城が踏ん張るんです。ここを獲られると山形城は裸同然になるわけですから。そうするうちに関ヶ原西軍敗北の報が入り、伊達政宗も乱入して上杉方は撤退を余儀なくされます。その負け戦と困難な撤退戦に、あの直江兼続がつい死を覚悟したとも言われる長谷堂合戦の舞台を見ようと思っていたのです。
    しかし、また雪深い長谷堂城跡に行けば、もうラッセルは必至。せっかく温泉に入って靴も乾いてきたのに…僕も勇気ある撤退をしました(笑)。
    車窓から長谷堂城跡を見ます。山形城からすぐ近くの小山です。あの城を突破していれば歴史が変わった、とまでは言いませんが…いろいろな思いがわきおこります。
    僕はこのあと山形の町をぶらつき、カミさんの実家へと向かいました。

    いやー津軽の正月はまたキビしい(笑)。朝から晩まで酒です。もう僕は体力がもちましぇん。
    そして津軽から僕の実家へと転戦し、ようやく帰ってきていまブログ書いてます。
    明日からは日常か。さあ、今年もスチャラカでスーダラな人生でいくぞ〜。

    本年もどうぞよろしく。



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    | 2014/01/05 | 旅行 | 23:39 | comments(2) | trackbacks(0) |

    ようようたどり着いた年の暮れ

  • 2013.12.28 Saturday
  • 年末なので、一年の終りくらいは更新しようと思ったら、久々すぎてログアウトしていました。こんなの経験がないなぁ。それだけ、管理画面にアクセスしていなかったということか。ふぅ。
    そもそも、PC君にもご無沙汰だったよなあ。メールチェックくらいは毎日、と思っていたんですが、一週間くらい開いてえらいことになったり(汗)。今月は、何もしてないや。

    来年は、ブログを書き出して10年を越えるはずです。そんなに長く続けるとは、始めた頃はまさか思っていませんでした。書き出したころは、まだ30歳代だったのだよな。
    しかし、そろそろ限界にきたような予感もしています。一番の原因は、気力ですな(汗)。なかなか気持ちの切り替えができない。
    もうひとつのブログのほうは、切り替えやすいんです。なんでかなと考えると、敬体文と常体文の違いはやっぱりあるんじゃなかろうかと。こうやって語るように書くのは、かえってパワーがいるなと最近は思ったりもします。
    どうすっかな。
    無理は出来ませんので、ぼちぼちやっていこうかとは思いますが。もしかしたら、身辺雑記ブログに移行するかも(笑)。しかし、今日は寒かっただとか何食べただとか書いても、僕があとで読んでつまんないもんなぁ。
    まあそんなふうに試行錯誤をしていること自体が、力が落ちた証拠なんですが(汗)。
    せめて10周年は迎えたいな。

    今日はうちには早めに帰って(本来は昨日から休みでもよかったのですが押しに押してこうなってしまった)、カミさんもいないので(既に帰省)、何の邪魔も入らずもうひとつのブログもアップしようとシコシコと書いていたのですが、それがもう時間がかかってしょうがない。書くのは愉しいのですが、途中で疲れたりして(笑)。まあそれも書いて、今こんなとこでグチグチ言っているわけですが。

    さあ、明日から旅に出よう。なんもかもおっぽり出して。

    今年も「凛太郎亭日乗」そして「凛太郎の徒然草」に訪れてくださった方々に、厚く御礼申し上げます。本当に動いていないブログですが、またどうぞよろしくお願い申し上げます。

    どうもありがとうございました。みなさんも、どうかよいお年を。
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    | 2013/12/28 | 雑記 | 23:32 | comments(2) | trackbacks(0) |


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