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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    卯月の桜

  • 2014.04.01 Tuesday
  • 4月になりました。僕の周辺では、どこも桜満開です。
    この季節に咲き誇る桜は、卒業入学の象徴のような存在であり、別れと新たな出会いに舞い散る桜は不可欠のようになっています。
    そういう歴史は、実際は明治以降のことだと思っていました。「年度」という概念が生じて、4月から翌年3月をひとくくりとし、丁度桜の咲く3月末から4月始めを切り替わりの時期としたのは、明治です。それまでは当然暦年です。1月1日が始まり。
    昔は、そういう役割を担っていたのは梅ですね。菅原道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花〜」と詠みましたけれども、道真が都を追われ大宰府に行かされたというのは、ひらたく言えば転勤命令が出たということです。当時の切り替り時期はやっぱり1月ですから、梅が咲いているということ。

      睦月たち春の来たらばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ (大弐紀卿)

    万葉集のうたですが、他にも1月は梅であると繰り返し歌われます。
    桜はいつ咲くの、と言えば、梅のすぐあとです。

      鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ (詠み人知らず)

    いろいろと調べますと、1月に梅が咲いた後、もう2月初めには桜は咲き始めるんです。早くないか?
    高名な西行法師の歌。

      願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

    如月の望月というのは、つまり2月15日です。2月初めにほころびだした桜の蕾は、半ばに満開を迎えます。昔は、桜はそんな寒い時期に咲いていたということですね。

    このあたりで、僕を阿呆だと思っている人が多いと思います。オマエ陰暦と陽暦の違いも知らんのか、と。
    細かい説明は省きますが、明治以前は日本では月の満ち欠けを基準とした太陰暦を使用していました。すると、暦は約1ヶ月程度ずれるんです。だから、「如月の望月のころ」というのは今で言う3月半ばということになります。
    あれ、それでも早くないかい? と思われた方もいらっしゃるでしょう。僕もそう思いました。九州ならともかく西行のいる近畿地方ではとてもとても。しかも、西行の頃の桜というのは、山桜なんです。
    桜というものは、かつては山に咲いている花でした。山というのは、平野部より通常は気温がさらに低く、当然開花も遅れるわけです。とても3月に咲くことはありません。
    なので、これについては論争がおこっています。西行は桜好きとして有名で、観桜の名所吉野山に草庵をいとなむくらいなのですが、この「花の下」の花は、桜とは違うのではないかと。
    2月15日というのは、釈迦の入滅の日です。涅槃に入った日。西行はお釈迦様と同じ日に死にたいと願ったわけで、さすれば「花の下」とは沙羅双樹の花の下ということではないか。そのような説も出ています。
    ただ、当時の公家日記などを詳細に分析しますと、結構如月に桜は咲いているんです。花を見に行くが寒い、という話は、わんさかあるようです。
    西行が思った花は桜であったかどうかは、わかりません。しかし如月の望月の頃に、桜は満開であっても当時は全くおかしくなかったんです。気温の低い山に咲く花なのに。

    いろいろ調べていて、僕は桜の歴史というのは品種改良の歴史なのだということを知りました。そして、長い年月をかけて人は、桜の開花時期を遅らせてきたのです。
    もちろん、卒業入学の季節に合わせるためではありません。宴のためです。
    桜は、山が原産。それを平野部にもってくると、確かに早めに花が咲いてしまうのです。山桜を平地に持ってきたのは御所の「右近の桜」が嚆矢だと言われていますが、4月の声をきくまでにみな散ってしまいます。温暖化現象の現在と違い、昔はもっと寒かったはずなのに。
    とても、花見の宴は凍えてできない。しかし観桜の宴はしたい。なので、桜の開花時期をなんとか遅らせたい。
    ということで、品種改良を進めたわけです。もちろん当時はバイオテクノロジーなんてのはありませんので、少しでも遅咲きの桜を探してはそれを増やしていく、という手段しかありませんでしたが。
    そして1000の歳月をかけて、ここまできたわけです。
    その中でも、江戸末期の「ソメイヨシノの突然の出現」は、長い桜の品種改良の歴史の中でも画期的なことでした。
    開花がちょうどいい頃である、ということ以外に、葉が出るよりも花が先に咲く、というのが素晴らしかった。何といっても華やかです。山桜というのは花と葉が同時に出ますから。
    ピンクの花だけが一斉に木を覆って咲くソメイヨシノは、明治に入ってから日本を席巻します。日本中の桜がソメイヨシノとなり、みな同種ですから一斉に咲き、一斉に散ります。それが明治から始まった「年度」という概念とうまく合致しました。
    「桜舞い散る中の別れと出逢い」とは、いろんなことが重なって生まれたものなのです。

    さて、今日の一曲。中条きよしの「うそ」を。

     
      youtube

    ムード演歌が結構好きでしてね。中でもクールファイブと中条きよしがお気に入り。
    もちろん、エイプリルフールですからこの曲ですし、記事の中にもうそがたくさんまじっているわけです。4月1日に記事を書くなら、多少はそういうのも入れないと。
    ちなみにうその部分はまず「右近の桜」です。他は探してください。


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    | 2014/04/01 | 雑記 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

    昨今の日常

  • 2014.03.31 Monday
  • 花粉が厳しいですねぇ。Σ(>o< ) ヘックシ!
    3月に入ってから、僕は盛大に発熱しました。
    花粉症というのはアレルギー反応ですんで、初期にはだいたい例年微熱が何日か続くのですが、通常は37度前後なんです。ところが今年は37度7分くらいまで上昇し、もう身体はダルいわ鼻水くしゃみ止まらず目は痒い、やってらんないわけです。しかしどうもそんなに熱が出るのはおかしい。そう思いましたら、どうやら同時に風邪を引いていたのです。症状が似てるからややこしい。インフルエンザじゃないんで病院に行っても扱いがよろしくありません。そのうち直るでしょ、みたいな感じで。(○`ε´○)ブーブー 確かにそのうち直ったのですが(汗)。

    このブログは今年になってから全然稼動してません。
    これは、花粉症のせいではありません。別のブログを書いてるからです(→こっちね)。
    中身は村落墓地の研究というとんでもない内容なのですが、ひとたび興味を持ち出すとどうしてもそっちへアタマがいきますので、どうしてもここはお留守になる。このままフェイドアウトしちゃおうか、とも思いましたが、まあそれもなんですので、ちょっと今週は強化週間にしようかと今思いつきました。
    しかしさほど時間もないので、30分くらいで書ける内容で(笑)。話題はとくにないんだけどなぁ。身辺雑記にするにもネタはないし。
    でもまあ、生きてるって足跡を少し残しときましょうかねぇ。


    ひとネタくらい書いとくか。
    間違いやすい言葉に「バッグ」と「バック」があります。僕なんかわかってても「ハンドバック」とかつい言ってしまう。これは、バッグという発音がしにくいからなんですね。少なくとも僕にとっては。通じるのでよしとしておきます。そういうのを「間違ってますよ」と指摘する人はキラい(笑)。
    母親なんかは紅茶を入れるときにティーパックと必ず言います。本来ならティーバッグなんでしょうけど、バッグ→バック→パックという段階変化が生じています。しかし、パックでもいいような気がしてしまうのです。日本でなら意味は通じますもんね。和製英語と考えてもいいんじゃないかしらん。少なくともティーバックと言うよりは(笑)。
    その、よくわかんないのは「ザック」という言葉がありますよね。山のぼるときに背負うのはザックでしょう。ところが「リュックサック」という言葉もあるんですわ。全くもってややこしい。ドイツ語とかなんとか理由はあるんでしょうけど、わかんなくなるんです。袋という言葉がドイツ語でザック、英語発音でサックなんでしょうけど。サックと言えば昔はコンドームの意味だったはずなんですが(あっ指サックってのもあったか^^;)。しかしナップサックなのかナップザックなのかどっちなんだ。
    もっと困るのは「バックパック」ですよね。英語ではこっちのほうが通りがいいらしいのですが、僕なんか本気で「デイバッグ」って言ってましたよ。だってかばんはバッグでしょうよ。んでまた間違って「デイバック」と言っても通じたりして。心底ややこしいと思います。
    発音は、まあ許してもらえると思うんです。訛りみたいなもんやもん。しかし、こうして文章を書くときについ「ハンドバック」とか打っちゃうわけですよ(笑)。そういうのも、大きな心で見てほしいと思うわけであります。
    ホットドッグとホットドック問題もありますが、まあこのへんで。

    では今日の一曲(そんなコーナーあったっけ?)。おけいさんの「春の風が吹いていたら」を。

     
     初恋 四角佳子 youtube

    このうた、昔っから好きでね。そういう人多いと思いますけど。だいたいデュエットで聴くことが多いと思いますが、おけいさんのソロというのもいいですね。いや、こっちのほうがもしかしたら好きかも。
    ま、少しづつ、いろんなことを始めていきましょうか。
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    | 2014/03/31 | 雑記 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |

    iddyも終わる

  • 2014.02.22 Saturday
  • もうね、やっぱり僕はオリンピックで寝不足であるわけです。
    バンクーバー雑感という記事を書いてからもう4年、正直、そんな経った気が全くしません。僕は、4年前と全く同じ意識で観戦してます。しかしながら、時間はやっぱり経っていて。4年前はジュニアだった羽生くんが頂点に立ち。シムソンズの二人が復活して、スイスのオットさんに競り勝ち。ヤンチャなイメージが強い葛西くんが41歳になって個人メダルに到達し。選手団主将の葛西選手をクン付けで呼んでたら炎上してしまいますが、しかしアルベールビルのときはまだ未成年だったはずです。リレハンメルのあの日本中が頭を抱えた銀メダルから、もう20年とは。こういう印象持ってる人多いと思いますよ(そうでもないかな)。

    それはともかく。ぜんぜん違う話をしますが。
    このお知らせには、何ともいえない気分です。
     【重要なお知らせ】iddyサービス終了のお知らせ
    誠に勝手ながら、下記の日時をもってiddyはサービスを終了いたしますのでお知らせします。
     2014年2月28日 10時頃
    ああついに。
    これは、もうしょうがないかなという感じはしますが。iddyを使ってる人ってまだいるのかな。
    なお、「iddy.jp」 ドメインは今後も弊社にて管理いたしますので、現在張られているリンク先のプロフィールページが、短期間のうちに第三者が運営する悪意あるサイト(フィッシングサイトやスパムサイト等)に切り替わったりするリスクは無いとお考え頂いて問題ありませんが、各プロフィールページ等へのリンクはすべて「リンク切れ」(トップページのメッセージにリダイレクトされます)になりますので、リンク先の変更は早めにお願いいたします。
    これは、良心的ですね。あちこちに貼り付けてますから。自分が修正できないところのものが多いので、助かりますよ。

    iddyってのは、つまりプロフィールページでした。僕のはこれ(どうせすぐリンク切れしますけど)。
    ひと月に一度の更新でも「稼動している」とするならば、僕は今3つのブログを動かしてます。で、現状はほぼ西宮の地域ブログばっかり書いていて、ここと某メインブログは休業状態ですが、でも月に一度くらいは書いてる。なので、例えば人様のブログにコメントを書くときなど、URL欄に困るわけです。どれを自分の表玄関として表示すればいいのだろうかと。そういうときに、「あたしの活動一覧でござい」というページがあれば便利なので、これを表紙としてつかってきました。
    iddyがリリースされたのは、2007年3月でした。僕が使い始めたのは、それから半年後です。存在は知っていたのですが、使用するのに躊躇していました。ですが、その当時の僕のマザーシップだったgooHPが提供を終了したため、乗り換えたのです。詳細はこちら。→gooHPの終焉に伴って
    以来7年、iddyも終わる。時代がひとつ終わったような気がします。

    iddyのウリは、自分のWeb上の活動をひとまとめに収納できることでした。プロフィールと、書いたブログ記事の新着情報、またソーシャルブックマーク、Flickrなどの画像、Last.fmなどの音楽、そしてYouTubeでの活動などを載せられました。
    しかし、SNSには最後まで対応しなかったんですな。これ、twitterやfacebookの新着つぶやきも載せられたら、もう少し寿命はあったか。…いや、そんなことはないでしょう。SNSをやってるひとは、そっちが表玄関になってしまったでしょうから。ブログの更新もtwitterや何やらではきだすのが当たり前という状況。ブログもSNSに迎合して、更新すればtwitterで自動的に投稿通知をつぶやくのが標準装備の時代。
    だから、iddyが最後までSNSに対応しなかったのは、見識であるような気もします(気がするだけですが)。
    だから、ひとつの時代が終わった感じがするんですよ。

    なんか、さびしい。

    以前なら、代替サービスをどうするか悩んだでしょう。でも、そういうのはもう必要ないような気がしています。
    こういうのを使うのは、自己紹介のときです。具体的には、ひとさまのサイトに書き込むときにURL欄に入れるということ。しかし、昨今はひとさまのサイトにコメントを入れることが実に少なくなりました。知らないところへ書くのも面倒になりましたし、またネット上での友人も減りました。フェードアウトしていく人も増えました。
    そして、ブログのコメント欄というそのものも、瀕死状態でしょう。
    興味深い言及があって何か意見を書きたいときは、直接本人に述べずに、みな今はtweetしますからね。こんなのがあったよ、これはどうなの、とURL貼付してつぶやく。あるいは、はてブする。コメントとトラックバックの文化は、ソーシャル関係に乗っ取られたように思います。時代は、かわったのです。

    まあしょうがないや。
    僕も一応、twitterで更新通知は吐き出してしますけれどもね。しかしURL欄に自分のtwitterのアカウントを入れる意味など全く見出せず。あれが表玄関とはとても思えない。なので、もうそういうのは止めますよ。後釜は探さない。よっぽどいいのがあれば別ですが、以上のようなことで積極的になれないんですよ。

    さよならiddy。来月になれば、あちこちにあるリンクは外しますね。ご苦労さんでした。
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    | 2014/02/22 | ブログの話 | 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

    恵方巻をいつまでも

  • 2014.02.04 Tuesday
  • 今年も節分がやってきました。
    うちでは、例年のごとくカミさんがいろいろ用意してくれています。さすがに熟年夫婦の二人暮しでは、豆まきはいたしません。ぶつけ合いになって喧嘩するのがオチです。鬼もこんなマンション上階までは来ないでしょ。まずは、座って一杯。
    こんぶ大豆というものが小皿にあります。なんやこれ?
    「それ、神社で配ってくれてたの」
    ははぁ、氏子でもないのに申し訳ないですなぁ。ではポリポリ。
    子供の頃は「年の数だけ豆を食べなさい」と言われて炒り豆を食べたもんです。そんなことをしなくなって、何年経ったでしょうか。多分、歯を悪くしたときに途絶えたように思います。
    今それをやったならば大変です。炒り豆を40コも50コも食べれば、胃の中で膨れてハラが張ります。腹痛の可能性も(…胃ヂカラも衰えたものよ)。
    そういえば昔、おかんは子供には食べさせてましたけれども自分は食べてなかったような(笑)。そのころの親の年齢をとうに超えた僕らも、もういいでしょう。子供には将来があり、良き人生を送るためにもそのようにすべきでしょうが、もう僕らの人生なんて福豆をたくさん食べても変わるもんじゃなし。
    ぼんやりといろんなことを考えます。この年まで二人で暮らしてきましたが、僕らに子供がいたなら、やっぱり豆まきはやったでしょうか。僕は、鬼の面をつけていたでしょうか。
    食卓には、鰯の塩焼き。そして、なぜかおから炒煮。
    「たぶんそれひと鉢食べたら年齢分の豆食べたくらいにはなるでしょ」
    なるほどなー。

    そして、今年も太巻です。
    例年と同じく、食べる直前に巻きます。邪道かもしれませんが、海苔がパリっとしているほうが好みなのです。食卓にスノコを出して、二人して製作。
    今年は、贅沢バージョンですね。皿に刺身が盛られています。
    「最近そういうのがセットになってスーパーで売ってるのよ。海鮮巻仕様ってことで」
    僕も、別にカンピョウやシイタケやでんぶを使った関西ふうの太巻に拘泥しているわけではありません。どうせなら、うまいほうがいい。こういうのはまことに心が浮きます。
    二人して、いろんな太巻きを食べてきたような気がします。とくにここ何年かは、変化球も多かったような。
    ブログをはじめて、今年で10年です。そして節分のことだけは、定点観測のように毎年記事にしてきました。こうやって自分のブログで恵方巻サーチをしますと、いろんなことが思い出されます。前は、伊達巻を自作したこともあったっけな。もうあんな面倒くさいことは出来ないなー。最近は、僕が味覚障害をおこしたり、カミさんが風邪引いたり、なかなか体調十分で節分を迎えられなかった。今年は、二人とも元気だ。それだけでもうじゅうぶんのような気がしてきました。
    では、いただきます。今年の恵方は、東北東。

    わしわしわし。はぐはぐはぐ。

    こうして粗忽にも無言で食べ、食べきったあとに大爆笑するのも例年のならいです。
    子供の頃は、そうやって兄弟3人でおかん手作りの太巻を食べてきました。長じて独立して、一人暮らしを始めたときには、手作りするほどの器量もなく、また関西を離れたので、切らない太巻きを購入するのに苦労したおぼえがあります。
    所帯を持ってからはカミさんを洗脳し、以来20年こうして二人で食べてきました。
    いつまでも、こんなふうに二人で恵方を向いて食べ、笑う日が続けばいい。そんなことを思った今年の節分でした。


    えー、ここまでは、いい話を書いたような気がします(笑)。しかし、恵方巻の記事も今年で10回目を迎え、これで一応最終回にしたいと思ってます。毎年同じ事を書くのも芸がありませんし、もうネタがない、ということもあります。読んでくださった方、どうもありがとうございました。

    と、これでは終わりません。ちょっと毒を吐きますので、記事は折りたたみます。愚痴みたいなもんなので、以後はそんな読まなくていいです(汗)。


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    | 2014/02/04 | 飲食 | 06:45 | comments(2) | trackbacks(0) |

    西宮の踏切いろいろ

  • 2014.01.26 Sunday
  •  阪神電鉄の高架工事および甲子園駅の改修工事が進んでいます。( ̄  ̄)
     便利になるのは有難いことです。駅のリニューアルも良し、また高架化によって例えば小曽根線の渋滞がなくなるなら助かります。しかし反面、歴史好きとしては、駅に残る路面電車甲子園線の痕跡が消えるのは非常に残念ですし、江戸時代からある用水路が暗渠化されるのもまた寂しいことです。
     そして、踏切は当然なくなります。

     

     上鳴尾墓地に程近いこの踏切。どんどん工事が進んでいます。踏切が無くなるのは有難いのですが、残念なことがひとつ。この踏切の名前が消えるのが惜しい。この踏切名は「焼屋敷踏切」といいます。昔の字名からきています。

     

     古いアザ名はどんどん消えて、統合され美名が冠せられたり、どこもかしこも甲子園○○町になったり、○○何丁目という無機質な町名が横行したりするのは、時代の流れです。先日も神呪字中谷が上甲東園に呑み込まれました。そんな流れにわずかに抗っているのが、橋名や公園名、そして踏切名と言えます。
     「焼屋敷」というだけで、どれだけイマジネーションが膨らむか。焼けた屋敷は、平重盛の館か。足利尊氏が籠った松岡城か。それとも「屯倉屋敷」が転化したのか。考えるだけで面白いのに…( ̄  ̄;)
     踏切は、いつかはみんな消えるでしょう。安全を考えれば当然のことです。でも、いい踏切名って時々あるんですねぇ。そんなのを折にふれて写真に撮ったりしていました。ちょっとこの機会に放出します。

     阪神電車は、市内の本線はこれで全て高架化されます。しかし武庫川線は、しばらくは残るでしょう。

     

     終点ほど近い上田にある「入江」踏切。もう鳴尾浜も埋め立てられて久しく海岸線は遥か彼方です。しかしこんな踏切名が、昔はここまでは海だったんだぞと訴えているようにも見えますねー。(^^)

     JRは武庫川と夙川という高い川の堤防を蒸気機関車が越えなければならないために、明治7年の開通以来市内では高さを保って敷設されています。したがって踏切はほぼ無いのですが、夙川を越えた芦屋寄りにはいくつか存在しています。

     

     大師踏切。文学散歩の視点でseitaroさんが記事にされています。
     この「大師」とはどういう意味でしょうか。大師と言えば西宮においては神呪寺なのですが、もうひとつ菊谷町にある栄潤寺が「越木岩大師」とされています。この踏切は栄潤寺の真南に位置します。もしも踏切名の「大師」が越木岩大師由来だとすれば、栄潤寺開山は昭和2年なので、それ以降に出来た踏切ということになります(踏切はとにかく最初の名称を改めない)。ということは、渡辺温が事故にあった昭和5年は、まだ出来たての踏切だったということでしょうか。ちょっと調べる価値はありそうです。

     

     西守具踏切。いいですねぇ。この「守具」という名は非常に貴重です。つまり、夙川近くにあった「夙」という村が「森具」と名を変えるに至ったミッシングリンク的地名なのですから。詳しくは「ちょっと歴史っぽい西宮」を参照して下さい。長いけど(汗)。

     阪急神戸線には、ご存知「昭和園道踏切」があります。

     

     いわゆる「西宮七園」において、昭和園だけが地名から失われています。そのわずかな痕跡がこの踏切名であるわけです。

     

     甲陽線には「水道路踏切」があります。
     上ヶ原浄水場から神戸まで水道を引いた、その水路上の道です。この踏切もseitaroさんが紹介されています。細雪の水道路と西宮の水道路踏切
     その筋ではかなり有名な踏切のようです。僕はハルヒについては不調法モノでよく知らないのですが、聖地であるようです。

     今津線はいろいろ揃ってますよ。

     

     線路とやくじんさん筋が交錯するところにあるこの踏切。今は段上という町名も「だんじょう」としか読みませんが、そもそもは「だんのうえ」なのです。その歴史を示す踏切名。この「ノ」が実に効いています。

     

     甲東市場は、震災前までは存在していたと聞いています。今はもう既にありませんが、踏切名だけがその名残を伝えています。

     

     消費組合とはまた古い。戦前の呼び名でしょう。今の若い人には「生協」と言っても通じないかも。コープという名が席巻しています。
     で、その消費組合はどこらへんにあったんやろな?(それを調べてへんのかいな (゚O゚)\(--; ォィォィ )

     今津南線は、完全高架になりました。あの踏切も消えるかと思っていましたら、見事に生き残っています。朝晩、車両が車庫入れのために、高架線から一旦地上に降りて神戸線に入る、そのごく僅かな時間だけに必要な踏切として。

     

     いいですねぇ。球場前踏切。\(^▽^)/
     笹舟さん、seitaroさんが紹介された「勇者たちへの伝言 いつの日か来た道」が話題になっていましたが、その追憶の西宮球場の名残りの踏切です。
     まだ「球場橋」も「球場前線」もあります。以前にも書いたことがありますが、こういうのは是非とも残してほしいわけです。子供たちに「どうして球場前?」と問われれば、大人たちは「ここに西宮球場という野球場があってな。ほんで阪急ブレーブスいうてな…」という話をしなくてはならない。そうして、語り継がれていくものがあるんです。
     踏切も、なかなかに歴史を語ってくれます。


    ※初出:西宮ブログ「凛太郎の自転車操業
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    | 2014/01/26 | 西宮流 | 07:32 | comments(0) | trackbacks(0) |


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