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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    博多の桜と大宰府と

  • 2009.03.29 Sunday
  • 忙中閑あり…でもないですけど、ちょっと様々なことがひと段落ついたので、土日は福岡へ遊びに行ってきました。こういう時の気分転換は博多で一杯やるのが一番です。

    昼頃博多に着き、その足で市内の柳橋連合市場へ。ここは楽しいところですね。市場というより小売店が軒を並べていて我々のような普通の客にも対応してくれます。しかし旅先のことでもあり買い物をするわけにもいきません。目的は柳橋食堂。海鮮丼が有名な魚屋さんの食堂です。一階の店舗で注文して二階へ。ふぐのから揚げ(500円)でビール、そして海鮮丼(650円)とごまさば丼(1000円)を女房と分けて食べます。美味いですねぇ。ここはいつも思いますがコストパフォーマンスが高い。たちまちのうちにワシワシと平らげてしまいます。こういうところが近くにあったらなぁ。
    そして市場をブラつきますが、どうしても購買意欲がかきたてられます。あのデカい鯛のアラが150円? こういうのはかえってストレスが溜まったりして。ヨメさんは、結局海苔が激安だったので買い込んでいます。乾物系なら腐らないからいいでしょ。最初から荷物を増やしてホテルにチェックイン。

    さて、さすが九州。桜があちらこちらで満開です。当初天気予報は雨と言っていたのですが、なんとか降らずにすみ、むしろ陽まで差してきました。じゃ花見に行こう。というわけで舞鶴公園へ。
    舞鶴公園はもちろんかつて平和台球場があった場所ですが、今は福岡ドームの誕生で野球場は取り壊されています。この球場跡から鴻臚館址(古代の外交使節)が発掘され、展示館も作られています。
    この発掘された史跡を見ていて思うのですが、よくぞ千年の時を耐え抜いて残ったなと。この場所は黒田長政が福岡城を築いた場所であり、明治以降は陸軍の施設が置かれ、さらに戦後は野球場になり、大変に酷使された土地であったからです。その地面の下に遺構が残存するとは。普通なら破壊されたと考えるのが妥当でしょう。
    展示館で古代を堪能して後、城に上ります。1000本の桜の木が今を盛りと咲き乱れています。満開だ。花の重みで枝がしなっているのかと思うくらいの見事さ。人々が花の下で思い思いに酒を酌み交わしつつ観桜の会を開いています。幸せですね。
    僕たちは天守台のあった石垣に上りました。城跡でもっとも高い位置です。そこからは、咲き乱れる桜を眼下にできます。そうして、雲海のような桜色の広がり(桜だから当然ですが)をぼんやりと見ていると、花を愛でる心に欠けた無調法な僕でも、やはりシアワセを感じるのです。うまく言えませんが、生きとし生けるものの強い息吹、めぐる季節の有難さ、そして刹那ばかりの人生でこの一瞬に遭遇できる喜び。なんやかやが押し迫り僕の胸を突き上げるのです。

    夜は酒。久しぶりに訪れたホルモンの名店でビールをガブガブ飲み、魚の美味い店で生牡蠣や鯛などの刺身で焼酎をグビグビ呑み、さらに屋台で揚げたての天ぷらで日本酒をクイクイやり、そのあと恐ろしくこってりした博多ラーメンを食べ替え玉までしてしまいました。ああ調子に乗りすぎた(汗)。僕の胃袋は当然悲鳴を上げ、女房にさんざん怒られました。旅先だと若くないことをつい忘れてしまいます。ふぅ。

    翌日、二日酔いに胃痛をかかえつつ、大宰府へ。
    大宰府は何度も訪れていますが、ここに九州国立博物館が出来たので是非また訪れたいと思いまして。五年ぶりくらいの再訪です。
    まずは天神さんに参詣。もちろん桜が満開のこの時期、梅は終わっていますけれどもね。酒に関して全く学習能力の無い僕は、もう少しアタマがよくなりますようにと手を合わせてきました(もう遅いか)。
    そして、九州国立博物館へ。驚くほど立派な建物です。まずそれにビックリ。展示内容は、九州らしく大陸との文化交流にかなりの部分が割かれています。興味深い陳列に時間の過ぎるのも忘れました。
    さて、大宰府は、「遠の朝廷」であった政庁址や、観世音寺や戒壇院など見所は多いのですが、それらは以前に訪れています。今回は、ちょっと趣向を変えて、今まで行きそびれていたところへ。それは、岩屋城跡です。古代ではなく、時代は戦国の世。
    九州は戦国時代、島津氏が席巻していました。薩摩に興った島津氏は、南九州を統一、北九州に勢力を持つ龍造寺氏を打ち破り、全九州統一まであとは大友氏だけの状況になっていました。その大友氏も島津に押され凋落しましたが、まだ大友氏には立花道雪と高橋紹運という名将がいました。まさにこの二人は「つわもの」の名に恥じない剛の者です。
    立花道雪は老齢で倒れてしまいましたが、紹運は敢然と島津に立ち向かいます。島津は大宰府にある岩屋城に立て篭もる紹運を勢力を結集して攻め立てます。勇猛で知られる薩摩隼人の兵が何万も大宰府に満ち、対する紹運側は763の兵。誰が見ても勝敗が明らかなこの戦いにおいて、紹運たちは必死の籠城戦を挑み、激烈な戦いが繰り広げられました。あっという間に踏み潰せるかに思われた岩屋城が堕ちません。島津氏側の損害も大きく、再三の和睦勧告をしましたが、紹運は大友氏を裏切りません。「武士足る者、仁義を守らざるは鳥獣に異ならず候」という有名な言葉が残されています。半月の戦いの後、岩屋城の兵全員が討ち死に、紹運も自決して果てます。
    この戦いで相当消耗した島津軍は、結局全九州平定を遂げることが出来ず、豊臣秀吉の介入を許してしまったのです。後に秀吉は紹運を惜しみ、立花道雪の養子となった息子の宗茂を筑後柳川の独立大名として厚遇しています。

    その岩屋城に来ています。もちろん山の上であり、一時間近くも林道を歩いてようやく到着しました。ここも桜が美しく咲き乱れています。「嗚呼壮烈岩屋城址」と刻まれた石碑が建ち、眺望が素晴らしい。眼下に水城、大宰府政庁跡、そして天神さんが見えます。おそらく、紹運が見ていた風景と変わらぬものがあるはずです。
    城跡から少し降りたところに、高橋紹運の墓が残されています。利害で動くのが当然の乱世において、仁義に生きた男の中の男に合掌。

    山歩きで盛大に汗をかき、二日酔いも雲散霧消したようです。博多に戻ってうどんを食べ(さすがにラーメンはちとまだ苦しいので)、帰路に着きました。満足しています。
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    | 2009/03/29 | 旅行 | 23:46 | comments(2) | trackbacks(0) |

    高知への旅

  • 2009.01.13 Tuesday
  • 年末に発生しましてずいぶん長い間おっさんの僕を苦しめてくれていた歯痛なんですけど(→この話)、先週中ごろにようやく親知らずに押されてボロボロになっていた右の大臼歯を抜きました。
    むろんこれで全てカタがついたわけではなく、親知らずも抜かなくてはいけませんし、左側も痛くはないものの同様に侵食されていますのでこれも抜歯なりなんなりの治療をしなくてはなりません。しかし「痛いよ痛いよ」と涙こぼるる世界からはなんとか脱したわけです。
    もちろん歯茎にはぽっかり穴があいているわけで、傷口は縫われており完治ではないのですが、まる一日もすれば痛みも消えていきました。木曜日にはついに酒も解禁いたしまして(これぞ甘露というものですなぁ。うまひ〜)、そうなると遊び心がムクムクと首をもたげてくるわけであります。年末年始はずっと引きこもりで過ごしていたんですもの元気になれば僕の性格からしてそうなるのは自明のことです。
    酔いも手伝って、僕はカミさんに言いました。

    「明日18きっぷ買っといて。今度の連休は旅行に出るぞ」
    「え、あんた抜糸もすんでないじゃないの。おとなしくしてなさいよ。こないだまで熱出してヒーヒー言ってたの忘れたの?」
    「うるせー。もう我慢出来ひんのや」
    「まったく言い出すととまんないんだから。そんでどこ行こうと思ってんのよ」
    「高知やがな!」

    高知にはこのとき以来ですから、約三年半ぶりになります。しかも、カミさんを連れて行くのはもう…かれこれ10年ぶりくらいかもしれません。僕がやる高知旅行というのは主として歴史散策でして、しかもかなりマニアックなところを歩くために、歴史など大の苦手であったカミさんはあまり同行したがらないのです。
    しかしながら、最近僕は女房洗脳計画を実施していまして、コミックスの「お〜い竜馬」などを読ませ少しづつ馴染みを積み重ねさせ、先日も京都の霊山護国神社(龍馬はんの墓所)などに連れて行き、徐々に引きずり込もうと努力をしています。その甲斐あって、多少は免疫がついてきたのか
    「高知ならいいわね」
    ふっふっふっ。思惑通りだ。
    というわけで例によって土曜の早朝から車中の人に。

    もちろんまっすぐ行ってはまずいかなとも思い、香川県で途中下車。例によってうどん屋さんをハシゴです。四軒で6玉(汗)。そしておなかパンパンになって高知へ。
    高知旅行の中身については、ここで細かく書くと長くなりすぎるので割愛します。別記事にしました(記事末リンク参照)。
    ただ、僕はこういう旅の場合、徹底的に歩くんです。当時の人の距離感みたいなものを体感したいというのが一番の理由ですが、タクシーで回る財力がないとも言えます。
    んで、今回の旅行も歩きまくっていたわけです。もちろん歴史散策ばかりしていたわけではなく、カミさんが楽しみにしていた高知名物の「日曜市」なんかもブラついて揚げたてのイモ天などを頬張り喜んでいたりもしたのですが、徐々に歴史方面にシフトチェンジして、歩き&僕のウンチクの繰り返しに後半戦とうとう女房がバテてしまいまして。

    「これから和霊神社っちゅうとこまで歩くで」
    「えーどのくらいあんのよ」
    「そやな、歩いて一時間はかからんとは思うけどそれに近い…」
    「ああもうそんなの無理! アーケード街で待ってるから行ってきて」

    やはり最後はこうなるか(笑)。でもまあ僕も我儘通してるわけですし、無理強いは致しません。一人で言ってくるよ。と、カミさんをやはり顧みず結局僕はやはり我が道を行くのでありました。

    そのかわり夜は美味いもん食べようじゃないか。一人だといつも僕はハシゴ酒になるのですが、今回はお目付け役がいて「こないだまで禁酒してたのに駄目」と怒られるので一軒に絞って。とりあえず初日はメチャクチャに安くて土佐の香りたっぷりの居酒屋「葉牡丹」へ。酒一合210円の店です(笑)。ここで鰹や鯨やウツボなどを食べて、酒だけじゃなくて僕が大好きな栗焼酎「ダバダ火振」まで呑んで最後はカツオ茶漬けでシメ。勘定はカミさんが驚くほど安いのです。ふふふふ。
    二日目は「ひろめ市場」で一杯やろうかと思っていたのです。ここはまあ市場と名がついているとおり、もちろん色々な食料品店が集まって小売もしているんですけど、言葉を変えれば一種の「屋台村」なんですな。それぞれの店から好みの料理をとってきて屋内に設えのテーブルに並べ一杯やる、みたいな。こういうのは楽しいんですけど、
    「もう今日は疲れちゃった。ここで呑んでホテル帰るのが億劫よ」
    なるほど。ここは高知城のすぐ近く。ホテルははりまや橋辺りなので、確かに移動が面倒だ。
    ならば、ここでテイクアウトしてホテルへ持って帰ろう。そうすればゆっくり風呂入ってから食べられるし。そして僕らはデカい鯖の棒鮨を買い、藁焼きのカツオ叩きや各種刺身、さらに市場を出て商店街で大好きなじゃこ天その他練り物を何枚も買い、そして帰る途中で屋台「安兵衛」の餃子(これ好きなんです)もテイクアウト、さらにビールと土佐鶴の四合瓶も購入して、ホテルの部屋で宴会です。こういうパターンもアリだなー。
    風呂入って浴衣着て、あとは寝るだけの態勢にして冷やしておいたビールで乾杯。カツオの叩きが死ぬほど美味い〜。放吟しても誰からも文句出ませんし、気兼ねないのもいいですな。夜も更け四合瓶も結局空いてしまうのでした。健康って大切ですねー。酒が呑めない人生ってやっぱり駄目ですわ。

    そんな感じの高知旅行でした。いやー満喫。


    高知市内歴史散策の詳細は、こちらをご覧下さい。
    僕の旅番外編・高知のマニアック歴史ポイント
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    | 2009/01/13 | 旅行 | 23:43 | comments(10) | trackbacks(0) |

    紅葉の京都 その後

  • 2008.11.30 Sunday
  • もうこの記事出してる時点で行ってから一週間経ってますけど…まあ気にせずにいこう(汗)。
    話は東福寺泉涌寺に行ってから後です。僕らはもう午前中で結構疲れてしまいまして。
    紅葉は美しいことは美しいのですが、一気に全開ともいかないようで。まだ七分…というより、今年はスカッと綺麗に色づくことは難しかったのかもしれませんね。天候不順がタタっているのでしょう。地球温暖化ということも原因の一つに挙げられるかもしれません。あとは人の多さに当てられ、年齢による体力の衰えも加味されて(いいこと全然書いていないな^^;)、しかしまだ半日しか経っていないのでこのまま帰るのももったいない。そんなこんなで、僕らは東大路通を北上しました。
    途中新熊野神社、智積院に寄り、多少の紅葉を楽しみ、三十三間堂と養源院はパスして、女坂を過ぎて東山五条までやってきました。

    このあたり、もう歩道は人で溢れかえっています。もちろんそれは、あの清水寺のふもとだからです。そして、当初計画では僕らは無謀にも、このあと清水さんへ行くことにしていたのです。
    清水寺はカミさんのリクエストです。久しぶりにこの京都の象徴のような場所に再訪したいと言っていまして。過去、修学旅行で一度、そして結婚前に一度僕が連れてきたことがあったのですが、いずれも盛夏でして秋の清水さんを何とか見たい、とずっと言い続けていました。
    そんなの普通なら却下なのですが、今回は僕も少し興味があるんです。それは、本尊の秘仏、千手観音立像が開帳されているからなんですね。これは33年に1度の開扉なんですけど、今年は花山法皇(西国三十三所巡礼に縁が深い)の一千年忌に当たりまして、特別開帳ということなんです。これは見たいぞ。なので思惑が合致し、人で溢れかえる五条坂を上りだしました。

    ただ、もう午後1時をとっくに過ぎています。ハラ減った。元気が無いのはそのせいでもあります。
    しかしこのあたりは、食事をするところが少ないのですね。いや、あるにはあるのですが、一級観光地なのでどこもいい値段で、また行列もあちこちに出来てます。うーむどうしようか。僕は、このあたりでは一軒しかアテがありません。その店へ向かうため、五条坂を上って三年坂で折れて下り、明保野亭(幕末ファンはご存知ですね)の脇を東に入りました。
    この店はあんまり書きたくないんですけれどもね。知ってる人は知ってますが、あまりガイド等には出てこない店です。食堂「エンドウ」。ここのまぐろ丼が僕は大好きなんです。なんで京都まで来てマグロなのか、と言われそうですが、好きなものはしょうがない。ずいぶんと久しぶりの再訪です。
    あんなに混雑している三年坂も、一歩道を外れればすっと静かになります。普通の住宅地です。その中に、民家の一階を改造したこじんまりとした店が見えます。
    さすがに知っている人は知っていますので、お昼をずいぶんと過ぎていますが先客が3組ほど並んでいます。しかし、他の店と比べれば待てる範囲です。店はカウンターが五席とテーブルが二つほどのごく小さな造りなので満席なのはしょうがない。しばらくして案内され、靴を脱いで上がり(ここらへんが自宅開放っぽい)、早速まぐろ丼を注文します。僕は大盛りで(笑)。といいますか、メニューはまぐろ丼が何種類か(ノーマルなもの以外に辛いものやアボガドやトロロをトッピングしたもの)と、定食が幾種類かだけです。
    しばらく待って、やってきました。うししし。
    ここのまぐろ丼は、温かいご飯の上にもみのり、そして特製のタレを絡めたまぐろが大量に乗っかっているのですが、何と言いましょうか、タレはゴマの香り高く、コチュジャンも入っているのかちょっと韓国風の感じで、ユッケを連想されればそう遠くはない。。それに温泉卵とたくさんの青葱を添えて供されます。味噌汁は京風。漬物を付けて800円(前は700円だったのにな)とかなり観光地にしてはお値打ち価格なんですよ。ではいただきます。

    う、うまひ〜。わはははは。

    この甘辛い、ちょっとピリっとした感じがたまらないですね。まぐろの旨みを生かしたタレが絶品。それにトロリとした卵と海苔と葱が絡まって…たまりません。美味いものを食べるとつい笑ってしまいますな。箸が止まらず、あっという間にワシワシと平らげてしまいました。最後の一口が名残惜しいですなぁ。カミさんが「大盛りにすれば良かった…」と悔やんでいます。
    とはいえ、すっかり元気を取り戻した我々は、勇んで店を出たのです。ところが…。

    三年坂は更に混雑を増し、石段を一歩上がるのに相当の時間がかかります。渋滞です(汗)。そして坂を上りきったところで、全く動かなくなってしまいました。これは、清水さんに日のあるうちに入れるかどうかが不安視されるほど(んなことはないでしょうけど^^;)。しかし何時に入れるのはは全く読めず。

    「もうやめよっか?」

    我々は勇気ある撤退を選びました。もう少し人の少ない時期に来ようよ。僕としても、秘仏公開は来年の春もやってくれるので、そんときでもいいさ、と。そして我々は三年坂を再び下り降りました。なんという軟弱さか(笑)。
    もう人が列を成す場所は避け、八坂の塔から庚申さんへ(ここまで来ると人はウソのように居なくなる)、そして観光客を避けて歩きます。二年坂、三年坂(産寧坂)は渋滞しているのですが実は一年坂というところも京都にはあって(表記は一念坂)、そんなとこは誰もいません。
    高台寺道(最近は"ねねの道"てなビックリする呼ばれ方をしていますが)は人が多い上に人力車がその中を通ろうとするのでもうえらいことになっています。高台寺党(御陵衛士)の墓所に行ったのでその本拠地前に行こうと思ったのですがこれも諦め、霊前護国神社への坂道を上ります(最近はこの道も"龍馬坂"などと呼ばれていまして困ったもんですが^^;)。

    カミさんを霊山護国神社に連れてくるのは初めてのことです。僕も三年ぶりになりますね。→龍馬はんに逢ってきた
    以前、押入れを整理したときにコミックス「おーい!竜馬」が出てきたのでそれをカミさんに与えた効果が出て、多少は学習したのか「中岡慎太郎」「籐吉」と言っても何とか対応してくれるようになりました。洗脳には程遠いのですが、二人で初めての墓参です。
    「龍馬坂」の混雑具合からしてもっと人が多いかと思いましたが、さほどでも無かったですね。まずは龍馬はん、慎太郎さん、籐吉さんに合掌。
    しかし、以前来た時には多分無かったと思うのですが、新しい案内板が墓前に立っています。それはいいのですが、籐吉さんの墓のまん前におっ立てられていてひどいですなあ。引っこ抜いてやろうかと思いましたよ。龍馬はんゆかりの地はどこへ行っても龍馬、龍馬で、その他の人たちを本当にないがしろにしているのが悲しい。結局人気者をピックアップしてあとは切り捨てるという情けない観光作戦にがっかりです。
    ここには木戸孝允の墓から、墓石だけでしょうけど倒幕側の志士たちの墓がずらりと並びます。長州のエリアには久坂義助(玄瑞)、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一と並び土佐エリアには吉村寅太郎をはじめ、那須信吾、安岡嘉助、池内蔵太と。こういう名前を見せてカミさんが「ああ知ってる」と言うようになったので、徐々に洗脳活動も進んでいるように思います。以前はこういう場所ですと死んだ魚のような目をしていたのに進歩したのぉ。ですが梁川星巌や所郁太郎になると首を傾げていますのでまだまだ道は遠いわけですが。
    ここは高台であり、京都市内が一望です。紅葉も東福寺と遜色ないくらいに色づいていて美しい。穴場かもしれませんね。莞爾として我々は山を下りました。

    その後僕たちは、八坂神社には人が多くて行けないので安井金毘羅宮から建仁寺を通り(建仁寺は松ばかりで紅葉は関係ないですね)、祇園へと抜けました。花見小路は凄い人でしたが、そこを何とか抜け、疲れたので古い喫茶店で休み(ここは学生時代から変わらんね)、河原町の近江屋跡などあちこちぶらついて、デパ地下でお菓子を買い(阿闍梨餅が品切れなのは痛恨でしたが)、阪急で大阪に戻りました。今日もよく歩いた(汗)。そして大阪梅田のいつもの居酒屋でビールを大量に飲み、酔っ払って帰りました。以上、京都での軟弱な紅葉狩り散策の巻でした。
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    | 2008/11/30 | 旅行 | 16:23 | comments(4) | trackbacks(0) |

    紅葉の東福寺・泉涌寺その2

  • 2008.11.26 Wednesday
  • 前回の続きです。僕らは泉涌寺みちを歩いています。泉涌寺の伽藍は山ふところにあり、この長い道は上り勾配です。しかし山登りというわけでもなく、散策といった感じで長い参道を歩きます。
    さて、泉涌寺に行く前にいくつか塔頭(山内の寺院)を覗いていこうと思います。
    まず最初に総門前に即成院があります。ここは、那須与一の墓があるところとして高名なのですが、即成院に入る前に、その脇に同じく塔頭の戒光寺の墓地があります。なんで戒光寺の墓地が離れた即成院の脇にあるのか不可解でありまして、訪れた人は皆迷うようです。僕も下調べしていなければ大いに探すところでした。
    ここには、伊東甲子太郎、藤堂平助他高台寺党(御陵衛士)の墓があります。油小路事件で死んだ人たちですね。ここには一度参りたいと思っていました。
    ところで、この墓地には現在入ることが出来ません。先年、墓にイタズラをした悪者が居たようで立ち入り禁止となっているのです。全くねぇ。入り口にはその旨が注意書きとして記されています。しかし、伊東さんらの墓は入り口正面ごく近いところに面していて、鉄柵の向こうからでも十分拝見出来るのです。僕は感慨深くその墓石群を眺めようと思いました。
    と、鉄柵が何故か開いています。一般の墓参の方が参られて開けっ放しになっていたのでしょうか。「入れるな…」。しかし、僕は不心得モノではないので当然それ以上歩を進(以下略)。

    伊東甲子太郎その他の人たちについて書き出すとキリがないので省略。隣の即成院に参ります。
    ここには重文阿弥陀如来坐像並びに二十五菩薩坐像があります。阿弥陀さんの周りに様々な菩薩がわーっといらっしゃってそれはもう圧倒されます。これを拝見したかったのですね。さらに、本堂奥に進むと、那須与一の墓が。以前大河ドラマで今井翼くんが与一をやった時には参拝者が溢れたのでしょうけれど、今日は誰も居ません。こじんまりとしたいいお寺でした。
    総門をくぐり、しばらく行くと先ほど墓地にお邪魔した戒光寺です。
    こちらには、重文の約10mもあるという釈迦如来立像が堂々のお姿でいらっしゃいます。運慶・湛慶父子の合作とも伝えられていますが、それはともかく、不遜な言い方ですがご立派ですね。迫力があります。
    こうして塔頭にばかりお邪魔していますとなかなか泉涌寺にたどり着けないのですが、もう一ヶ所だけ。月輪中学校の脇を入って悲田院へと向かいます。
    悲田院といえば、聖徳太子や光明皇后、忍性らが思い浮かぶ古代のホスピスですね。今はこの地に名を残すだけでしょう。ここは高台にあって、京都市内が一望のビューポイントです。よく晴れていることもあって、五山送り火の左大文字や舟形が見えます。遠いので多少分かりにくいかもしれませんけど、僕は北山のふもとで生まれ育ったので土地勘があり、こういうのはすぐに分かるのです。
    しかし、この絶景ポイント、紅葉も美しい場所であるのに、僕ら二人以外誰もいません。観光客は集中するのですね。

    さて、いよいよ泉涌寺へ。「御寺」と言われているのはつまり天皇家の菩提寺であるからです。明治以降天皇家は国家神道ですから菩提寺と言われてもピンとこない方もいらっしゃいますでしょうが、天皇家はずっと仏教徒でしたから菩提寺があって当然なのです。
    ここには、江戸時代に在位した天皇の陵が集中している他、天智、光仁そして桓武以降の歴代天皇の御尊牌(位牌)が祀られています。
    なお話がずれてしまいますが、この御尊牌について、井沢元彦氏がまた「天武天皇から称徳天皇までの天武系8代の位牌が抜けているのは、つまり天武系が別系統であった証明である」と論じていまして…。僕も天武系は別系統であると思っていますがこれを持って単純にそう論じるのは実に早計だと思うのですがねぇ。つまりここには平安京遷都以来の天皇が祀られているわけであり、桓武の父(光仁)と直接の祖である天智を合祀しただけで、天武系は奈良平城京であり陵もあちらに集中しているわけですから、当然仏教祭祀も奈良で行われていたはずで、ここに位牌があるとおかしいんですけど。同様に天智以前も陵は奈良や大坂ですからね(天智陵は京都山科にある)。ここは京都平安京にゆかりのある天皇の菩提寺という解釈が正しいかと思いますが…。

    閑話休題。泉涌寺の大門をくぐりますと、参道は下りになります。つまり山間の「盆地」に伽藍があるわけで、一種ミニ平安京とも言えるのではないでしょうか。その参道を降りる前に、泉涌寺の目玉のひとつである「楊貴妃観音堂」があります。
    ここに存せられる楊貴妃観音は渡来仏であるとされ、長い間秘仏であり、そのために今も美しさを保っています。尊顔を拝見して…やはり女性の美しさですねこれは。ヒゲがあるぞとみうらじゅん氏などはおっしゃいますが、まあそんな細かいことはさておき(寺側の説明だと口のまわりの曲線は慈悲を説く口の動きであるとのことで髭ではないらしいのですが)、なんとも尊くも艶めかしい仏様です。
    観音堂の隣には宝物館があり、仏教史料の他にあの孝明天皇の肖像画があります。これ拝見したかったのですね。よく資料集なんかに載っています。面長のいかにも貴人然とした尊顔ですね。その他孝明天皇の硯や煙草盆など、貴重な資料が展示されています。

    さて、本堂へ。ここでは仏殿ですね。建築ももちろん素晴らしいのですが、なんと言ってもここは阿弥陀・釈迦・弥勒の三仏揃い踏みという豪華さです。こういう並びというのはあまり記憶にありませんね。法隆寺金堂は釈迦・薬師・阿弥陀三仏でしたけど。どう転んでも救ってくれそうです。
    さらに舎利殿。そして御座所、霊明殿へと続きます。
    御座所は皇族の休処であり庭園とともに拝観できますけれども、霊明殿は尊牌が奉じてある場所であり、みだりに入ることは出来ません。そりゃしょうがないんですけど、いつか特別拝観とかないでしょうかね(無理か^^;)。桧皮葺きの実に尊厳ある建物でした。
    その霊明殿の後背に、月輪陵があります。
    主として江戸時代の天皇はここに鎮まられています。後水尾天皇、明正天皇から光格天皇、仁孝天皇と。仏式ですのでお墓ですね。なので陵は石塔であるようです。もちろん正面からそれら石塔群を拝することなど出来ませんが(瑞垣の向こうで見えない)、グーグルマップの航空写真で覗いてみますと(汗)、かなり巨大な石塔群であることがわかります。
    他にも水屋形などの見所を散策し、紅葉と菊の花も堪能して一旦境内を出ます。そして寺院脇から少し山手の道へ。孝明天皇陵へと向かいます。先ほどの月輪陵の後背にあたります。この数奇な運命を享受せざるを得なかった江戸時代最後の天皇に合掌。

    さて、元来た道を戻り、やはり塔頭寺院である善能寺、そして来迎院へ。来迎院境内には大石内蔵助の茶室があったりするのですが、ここで面白いのは名水「独鈷水」でしょう。境内に弘法大師さんの祠があるのですが、その祠の扉を開けると奥の方に水が涌いているのが見えます。それを、置いてある長い柄杓で汲むわけですが、鉄扉に隠された湧水であり、水汲み行為はちょっと秘密の儀式っぽいです(笑)。まああまりたくさん飲むと腹具合に自信がないので少しだけ味見させてもらいました。美味いかどうか判断つくほど飲まなかったです(汗)。
    そして、今熊野観音寺へと向かいます。
    このお寺さんは塔頭であるのに、泉涌寺よりも人出が多いですね。活気があります。ここは西国三十三ヶ所観音霊場の第十五番札所であり、この連休中に札所廻りをされている人が多いのでしょう。他府県ナンバーの車や団体さんが次々とやってこられます。拡声器の音が響き山懐ろの静寂さは全く感じられません。しかし、紅葉はここが最も美しかったのですわ。そういうものです。
    現世利益の香りが強いお寺さんであり、ぼけ封じ観音や子護大師に人が集まっていますが、ここにはちょっと参っておきたい墓があるのです。本堂裏手に立派な石塔が三基。藤原忠通、九条兼実そして大僧正慈円の墓です。歴史好きの方ですとよくご存知の「スター」ですね。これは見逃せない。その歴史的役割もさることながら、「玉葉」「愚管抄」の作者ですね。兼実廟所は東福寺の最勝金剛院にもあり、慈円もまた別に墓所があったりもしますが、やはり忠道一家が同じところに鎮まっていると思えばまた感慨もあります。兼実は頼朝のことを最後どのように思っていたのでしょうか。
    さらに、ここには島津義久の墓もあるのです。何ゆえこの地に眠るのかの由来はよくわからないのですけれども、この一級の教養人であった九州の英雄に合掌。

    さて、泉涌寺を離れます。泉涌寺みちではなく今熊野観音寺から裏手の道を入り、鳥戸野陵へと向かいました。実に分かりにくい道でしたが、ここは藤原定子の鎮まる場所です。
    定子さんは、清少納言の枕草子によれば、聡明で魅力的な女性でした。不遇とも言えるあまりにも短い生涯でしたが、その記憶は今も我々に鮮明です。
    しかし定子さんがこんなところに眠っていたとは知りませんでした。このことはなぎさんのサイト花橘亭で知りました。この方は九州の方なのに実に京都をよく歩かれていて、その知識とバイタリティには敬服します。今回のお出かけもなぎさんのサイトをずいぶんと参考にさせていただきました。

    このお出かけもここでようやくお昼なのですが、ちょっと長く書きすぎましたね。ブログを自分の行動記録ととらえるとこうなってしまう。泉涌寺は行くところが多くてねぇ(汗)。しかも全然紅葉話になっていない。ええ、もちろん綺麗でしたよ。
    まだ続きはあるのですが、とりあえず中締めとして、また後に蛇足でもつけたいと思います。
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    | 2008/11/26 | 旅行 | 23:41 | comments(4) | trackbacks(0) |

    紅葉の東福寺・泉涌寺その1

  • 2008.11.24 Monday
  • 昨日京都に行ってきました。もうね、三連休の真ん中で紅葉の時期に京都に行くなんて正気の沙汰ではないような気もするのですが(笑)、たまにはそういうこともしないと流行に乗り遅れると申しますか。しかも、行き先は京都紅葉人気癸韻箸睫椶気譴訶貶〇です。はてさてどうなることやら。

    東福寺って、実は今まで行った事がないのです。僕は京都生まれなのですが、北のほうの産でありまして、東福寺なんてのはほぼ縁が無い(自転車で行くには遠い)ために、機会を逸していたのです。どうしても見たい仏像とかもありませんしね。んで、乗り気ではなかったのですが、しかしカミさんに「どうしても秋の東福寺に行きたい」ともう五年来言い続けられていまして、とうとう重い腰を上げた、ということです。日程上連休の中日という最悪のスケジュールではありますが、日曜の早朝、阪神と京阪を乗り継いで、開門前の8:10に鳥羽街道駅着。
    驚きました。人、人、人。道には他府県ナンバーの車が列を成し、門前には既に大行列。開門は8:30からなのに。これはチケットを求める列なのです。恐るべし秋の東福寺。並んでいる人の会話を聞いていますと、映画「花より団子」のロケがここで行われたらしく、マツジュンファンや小栗旬ファンも居る様子です。そんなの知らなかったぞ。そして「そうだ、京都へ行こう」キャンペーンに影響された熟年の方々。
    「六百年前、桜を全部、切りました。/春より秋を選んだお寺です。」
    凄いコピーですねぇ。こんなこと言われたならそりゃ誰だって一度は行ってみたくなるでしょう。開門して既にずいぶんと時間が過ぎましたが、まだチケットさえ入手できない状況が続きます。僕が、こんな行列の一員になったことがかつてあったでしょうか。出雲大社特別拝観や新宿のラーメン「麺屋武蔵」の行列の方がまだマシだったような気が。カミさんは言いだしっぺなので我慢していますが、懲りたようです。京都の恐ろしさをナメてはいかんということが身に沁みたのではないでしょうか(笑)。

    さて、そうこうしているうちにようやくチケットを買えまして、中へ。中でも凄い行列が形成されています。東福寺というところは東山の南端に存しまして、その山を借景として建立されており、伽藍の中に川が流れ込み渓谷を形作っています。その渓谷に架かるのが「通天橋」という渡り廊下でありまして、ここから眺める渓谷の紅葉が絶景と言われているのです。それを渡るのに大渋滞を起こしているということでありまして。ふぅ。
    橋の上は、押すな押すなの大盛況。みんなカメラを構えますのでそりゃ渋滞もします。こんなに人が乗って橋が落ちないのかが心配になるほど。
    紅葉は、確かに美しかったと思います。贔屓目に見て、7割くらいが赤く染まっていたでしょうか。全山真っ赤、とはいきませんでしたが、上等の部類かと。しかし、この状態ではゆっくり鑑賞、というわけにはいきません。押されるように開山堂、そして渓谷に降り、また紅葉の庭園へ。人が入らないように写真を撮るなんてのは不可能ですね。しかし、こういう盛りの観光もまた面白いことは面白いなぁと思いました。僕などは紅葉よりも人間ウォッチングの方に気がとられてしまいましたよ。
    不思議なことに、東福寺の中でも人が集中しているのはここだけです。もう一ヶ所、方丈庭園がありまして、ここも凄い人の数のようでしたが。ここはチケットが別なのでまた大行列となっており、もう心が折れてしまっている我々はパスしてしまいました。
    その他のところは空いています。ここには国宝の巨大な山門をはじめ、最古の「トイレ」とも言われる東司などが点在しているのですが、そこには数えるほどの人しか居ません。そういうところを堪能し、僕たちは東福寺を後にしました。多少人の気に当てられたのか疲れてしまいました。行くならここはシーズンオフだよなぁやっぱり。

    東福寺を後にした僕たちは、となりにある御寺「泉涌寺」へと向かいます。この泉涌寺にも僕は今まで行った事がなくて、「泉涌寺とセットなら東福寺に行ってもいい」とヨメさんに交換条件を出しまして、重い腰を上げた、というのが今回のお出かけなのです。近道もあるのですが、僕らは一旦大通りに出まして「泉涌寺みち」と呼ばれる参道を最初から歩き始めます。
    こっちにも観光客はもちろんいますが、チラホラといったところで東福寺と比べれば人は居ないに等しいくらい。人は集中するんですなぁ。

    さて、このあと泉涌寺とその周辺寺院について書こうと思うのですが、これは書き出すと長くなる。項を改めようと思いますので、とりあえずここまで。次回に続く。
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    | 2008/11/24 | 旅行 | 16:02 | comments(6) | trackbacks(0) |


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