言葉の問題は、ネットに書く以上ちゃんと勉強して書かないといけないとは思っているのですが、今日は感情で書きます。したがって、間違っているところが多いかもしれませんけど勘弁してください(笑)。
関西人は、多くの場合「塩の味が強い」「塩分含有量が多く美味しく食べられない」「海水」などを指して、「からい」と言います。関西人とくくるのはよくないかもしれませんが。もしかしたら関西でも若い人はそうは言わないかもしれませんし、また関西に限らず西日本で広く言われているという場合もあるのかもしれません(僕の経験上)。
経験上、ではさすがにまずいか(汗)。よく覗く方言サイトの「
ほべりぐ」を見てみますと、こんな結果が出ています→
これ
まず、西日本では「からい」が優勢だとみていいでしょうか。僕ももちろん「からい」です。「味噌汁がからい」「この味付けちょっとからすぎてノドが乾くがな」と。
こんなの文化の違いで片付けてしまえばいいと思ってたんです。上記サイトを見てもわかるとおり東日本では「しょっぱい」が優勢です。それはそれでかまわない。しかしこだわるひとはこだわるらしくてね。
前略(なんでこういう話になったのかは差障りがあるので省きます)。
「"からい"ではトウガラシの辛さと勘違いするじゃないか。ちゃんと言葉はつかってくれよ。しょっぱいという共通語があるんだから」
「しょっぱいというのも一種方言やないんですかね」(僕)
「何をいう。からいとしょっぱいは明確に味が違う。それを方言とはいいかげんにしてほしい。塩の味と辛子の味を区別しないとは、関西弁はさすが未分化の言語だな」
未分化の言語と言われてはこっちも感情的になりますがな。
「あなた状況判断もできないんですか。辛子のからさか塩分のからさか、対象によってわかるやないですか。味噌汁からいと言うて、トウガラシが入ってるなんて勘違い誰がするんですか」(僕)
「じゃラーメン食べて"からい"ならどうするんだ。どっちもありうるじゃないか。激辛ラーメンもしょっぱいラーメンもあるぞ」
「むむむ…」(僕)
旗色が悪くなってきました(笑)。
「東京じゃ塩からいことを絶対に"からい"とは言わんのですか。あまからい、なんて表現はないんですか?」(僕)
「言わない。あまじょっぱい、と言う」
「"あまずっぱい"なら知ってますけど"あまじょっぱい"なんて聞いた事ありませんがな。それこそ方言やないんですか」(僕)
「辞書引けばちゃんと載ってるはずだ。私は昔からそう言っている」
これ以上はいいでしょ。話の骨子はわかっていただけたかと。大人のじつにつまらぬ喧嘩であります(汗)。僕この人キライなんですよ(笑)。
一応揚げ足とっときますか。「甘辛い
(goo辞書)」。ちなみに「あまじょっぱい」はありません(笑)。
ただ、だからあまじょっぱいは間違ってる、なんて言うつもりはないのですよ。そんなの方言だ、と僕が言ったのは「売り言葉に買い言葉」というやつです。聞き慣れない言葉ではありますが、あまじょっぱいでももちろん伝わります。そして方言も尊重しています。
しかし、「からい」が塩分過多を指す、というのは本当に間違ってるんですかね。そういう決め付けに腹が立つわけなんです。僕は子供の頃からそう言いますし、僕に言葉を教えてくれた両親含む全ての人たちにこれでは申し訳ない。
「しょっぱい」なんてのは語感から言って、間違いなく音便化した言葉だと思います。もともとの言葉があったはず。「しおっからい」からかなーとぼんやり考えたりしますが、それですと「からい」からの転化ですから上記のおっさんは納得しないでしょうね。それにさすがに「からい」が「っぱい」には転化しないでしょう。パッと見て「しおはい」という言葉がかつてあったのか。「しおっぽい」が訛ったと考えるのが妥当な気もしますけど…。
ええい面倒臭い検索しましょう。ありました。「しおはゆい」ですね(
goo辞書)。漢字は「鹹い」を当てるようです。でも当て字ですねこりゃ。「おもはゆい」から連想して「塩映ゆい」なんでしょうか。塩味が映える、つまり目立つってことで、言葉の意味は合致します。
「しおはゆい(しほはゆし)」の用例を見てみますと、東海道中膝栗毛が挙げられています。近世だな。でも日葡辞書にもあるようですから、中世には使用されていたのでしょう。
結構伝統のある言葉のようですし、ここらでカブトを脱いでもいいのですけど、じゃなぜ「からい」という言葉が塩味を示すのでしょうか。上記の人なら「間違ってるのだ」と一刀両断でしょうけれど、僕だけがつかっている言葉ではありません。
「からい(からし)」とはいつ頃からあった言葉なのでしょうか。
文献を調べたわけではなく感覚で書いては説得力を持ちえませんが、かなり古い言葉だと思うのですよ。基本語みたいなものですから。
もしも「しほはゆし」と「からし」が言葉として同時発生で、「からし」は最初から「辛味」のことで、関西人は味の区別が出来ないからそれがごっちゃになってしまったのだ、とするなら実に悔しい話ではあるのですが、そうは考えたくない。なので、我田引水的に解釈しようと思います。
「しおはゆい」を「鹹い」と当てたことがヒントになるような気がします。実は「からい」も「鹹い」と当てるのです。「辛い」という字以外に。
推測ですけど、「からい」を示す漢字は「辛」よりも以前には「鹹」だったのではないでしょうか。
そもそも、古代日本にトウガラシの「辛さ」というものは無かったはずです。トウガラシは唐辛子と言うくらいで輸入品。といって中国から入ってきたものじゃなくポルトガルから、というのが一応の定説です。関西ではトウガラシのことを古い人は「なんばん」とも言います。また九州ではトウガラシのことを「胡椒」とも言いますね(柚子胡椒って別にペッパーが入ってるんじゃなくトウガラシですよね)。
つまり、あのカプサイシンの辛さは中世以降、日本に入ってきたものなのです。
だったら、「からい」という言葉は中世以前はピリ辛を指す言葉じゃなかったのだ、と僕などは鬼の首を取ったように言いたくなるのですが、ちょっと待て。カプサイシンの辛さはなくとも、「和芥子」はあったでしょうし山椒もある。また生姜もピリピリきますよね。それに日本原産の「山葵」。スパイスは日本にも古来から存在していたはずです。それらの味は何と言っていたのか。やはり「からい」なのかしらん。
ただですね。
「和からし」つまり「芥子」は、日本には相当古くに入ってきたものの、「種子を磨り潰して乾かし後に練って薬味とする」的な使い方はやはり中世以降のようです。葉っぱを食べてたんですね。葉もツーンとくる成分がありますから薬味としての使用はあったでしょうけれども、香辛料としてではなかったようです。からし酢味噌とかが現れるのは室町以降のようですね。
山椒の歴史は古いようです。古来日本では「はじかみ」と呼ばれていたようですね。はじかみと言えば今では芽生姜の酢漬けを限定して指しますけど、昔は生姜も山椒も「はじかみ」だったようです。ピリピリくるので「端を噛む」くらいしか出来ないってことでしょうかね。漢字は「椒」を当てることが多かったようです。
ここで古事記から引用。僕の得意分野ですね(笑)。
みつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒 口疼く 我は忘れじ 撃ちてしやまむ
これ、神武天皇の歌です。初代天皇ですから紀元前…と書きたいところですがさすがにそうじゃないでしょうね。でも相当古い歌謡です。「撃ちてしやまむ」というのは戦中よく使用された言葉ですから知られていると思います。ここに出てくる「椒(はじかみ)」はおそらく山椒だったと言われます。
この山椒を食べたときの味を神武天皇は「口疼(ひび)く」と詠んでます。「辛く」じゃないんですね。山椒ですからピリっときたのでしょうが、それを古代は「ひびく」と表現しています。いい表現だなあ。
山葵は日本原産。相当古くから食べられています。ただ、山葵の味を表現するのに「辛い」は妥当じゃない気もするのです。今でも。あの鼻につーんとくる感じは。そもそもすぐに抜けて持続性がありません。
さて、いろいろ理屈をこねていますが、鬼の首を取るまでには至らないものの、やはり「からい」に「辛」を当てて辛味を示す言葉になるのは後世ではないのか、という思いが抜けずにいます。「からい」は「鹹」の方が古いんじゃないのか。
味覚というのは基本感覚で、その中でも基本中の基本は「塩味」です。なのでそういう言葉は日本語が発生した頃、ごくごく初期からあったと思うのですよ。「からい」「あまい」「すい(すっぱい)」「にがい」などと同時発生だったと思うのです。「しおはゆい」という言葉は、複合語です(しお+はゆい)。この言葉が日本語発生時からあったとは考えにくい。味覚の最も基本語である塩味が他よりも長い五文字というのも、ちょっと納得がいきません。
そもそも塩味を日本では「からい」と言っていた。後にトウガラシを代表とする香辛料が日本に入り、調理法も発展し(芥子の種子を粉にして練ったり葉山椒より実山椒が広がりそれを粉末にしたりまたおろし金が広まったり)日本にも「ピリっとした」ものが広く出回るようになった。それに対応する言葉(形容詞)は和語になく、「からい」が便宜的に使用されるようになった。
そんなふうな想像をしてみます。そして漢字で「辛い」が当てられ、かつての「鹹い」と読みが同じになった。
「しおはゆい」はその頃生まれてきた言葉かもしれません。区別のために。ただ、塩味を「からい」という言い方は、そのまま駆逐されずに残った。それは、基本語であったということ以外に、香辛料の使用頻度によるのかもしれません。インドや韓国と異なり、今でも日本料理では香辛料をそれほど多く料理には使用しません。そんなにピリ辛を頻繁に表現せずともかつては済んでいたわけでしょう。
現在。カプサイシンマニアも世の中にはたくさんいらっしゃるようで。何にでも大量にトウガラシを振り掛けるひとたち。カレーや韓国料理はもとより、エスニック料理も増えた。そういう「辛いもの」が日本史上最高に使われているこの社会情勢下で、「からい(鹹い)」は肩身が狭くなってきた感もあります。
でも、「しょっぱい」は言わないんですよね僕たちは。何より「慣れない」。少なくとも「間違い」じゃないことは認めて欲しいと思います。日本古来の言葉がカプサイシンに駆逐されてるみたいですしねー。
以上、妄想の説。ええ、なんの裏づけもありませんよ。反証はいくらでもあげられるかも。じゃあ「辛味大根」って何だよ。「和がらし」という名称がそもそも…(自爆)。
さて、もう少し別の角度から攻めてみるか(笑)。
そもそも「辛味」って味覚なのでしょうか。
味の成分としてよく言われるのが「甘鹹酸辛苦」。日本では第六の味として「旨味」を加えたりもします。グルタミン酸やイノシン酸などですね。味覚に鋭敏な日本人ならでは、と思わず自画自賛したくなりますが、それはさておき。
この中で「辛味」だけは味覚ではないのですね。これ、味じゃなくて感覚なんです。それはわかりますね。ピリピリくる刺激は味じゃない。痛覚だとよく言われます。辛味は痛味(笑)。これは辛いもの好きの人には納得いかない話だとは思いますが、その証拠に、辛味を感じるのは舌だけじゃなく(以下下品なので省略)
、辛いものを大量摂取した後トイレに行けばお尻からも辛味を感じてしまいます。イタイイタイ、と。結局、感覚的には触覚なんですね。舌で感じる触覚は、他にも「渋味」があります。あれも「味」と言ってますが味覚じゃない。
この「味覚じゃない」感覚に「からい」という本来は味の言葉が乗っ取られてもいいのでしょうか(笑)。
「鹹」という字は確かに難しい。他に塩味をあらわす漢字に「鹽」もありますがこれも難しい。したがって「からい」という言葉をあらわす漢字はいつのまにか「辛」一辺倒になってしまいました。「辛い」と書けば、その字面は意味としてはピリ辛しかなく、塩味を「辛い」と書けば確かに間違いでしょう。当用漢字とかそういうものが漢字の意味を考えず難しいものを駆逐してしまった弊害がここにあります。「甘辛」も本当は間違いで、「甘鹹」と書かねばならないところですが、これも無くなってしまいました。だからといって、読みまで失わなくてもいいんじゃないですか。
英語で辛味をHOTと言います。うまいですね。味覚としてとらえていないことがわかります。これも上記の人なら「熱いも辛いもhotと言うのは、英語が未分化言語だからだ」とでも言うのでしょうけれど。
本当は、トウガラシなどが日本に入ってきたときに、「からい」と表現すべきではなかったんです。そこがそもそもの問題。中国で言う「辛味」つまり「辣(ヒリヒリ熱い)」や「麻(舌がシビれる)」をあらわす言葉を別に作れなかった(当てはめられなかった)ことがこのややこしさを生んでしまったんです。「痺れる」でも神武天皇のように「疼く」でも、何か他の言葉で代替していれば。形容詞なら「痛い」「熱い」の方が感覚は近いのに。
でもまあ、しょうがないか。もう後戻りは出来ない。このTV時代「しょっぱい」が日本を席巻し、「からい」が辛味だけをあらわす日が来るのもそう遠くないかもしれません。
あとひとつだけ。
字面だけでみると「辛い」というのは「からい」だけじゃなく「つらい」とも読めちゃうんです。これが困る。「ハバネロ食べたら辛かった」はからいかつらいかよくわかんない(汗)。
追記:感情だけで書くとやはりほころびが出てきます。その後、改めて続編書きました。
「からい」と「しょっぱい」2
「からい」と「しょっぱい」3
「からい」と「しょっぱい」4