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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    ちょっと感傷旅行

  • 2011.01.03 Monday
  • 謹賀新年、凛太郎です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

    年末から正月にかけて、日本海側はえらい豪雪でした。まったくね、こう厳しい気候だと旅行もままならないってもんです。
    正月は例年の如く、妻の実家の津軽へと向かったわけですが、その途中、福島山形地方を訪ねようと思っていました。それで準備もして本もいろいろ読んでいたのですが、列車が動かない(汗)。僕は郡山あたりで立ち往生です。まいったな。
    まあそれでも、旅程なんていくらでも立て直せばいいわけで。妻は先に行ってますので、一人ですから気ままなもんです。
    幸いにして太平洋側はなんともないわけです。僕は東北本線を北上して、岩手県に入りました。
    昨年は平泉に行ったわけですが、今年はまずちょっと手前の一関で下車します。
    一関って、あまり歩いたことがなかったんですね。で、少し散策。
    駅を降りると、すぐに大槻三賢人像が迎えてくれます。つまり大槻玄沢、磐渓、文彦ですね。偶然ですけど、ちょっと前に江戸時代の蘭学の本を読んだところだったので、下調べなしに下車した駅での大槻玄沢という名に嬉しさを覚えました。あの杉田玄白、前野良沢の弟子で、解体新書の改訂版もつくった人です。その子の大槻磐渓は漢学者で、奥羽列藩同盟の精神的支柱。そして孫の大槻文彦は、「言海」の編纂者ですよ。よくもまあ三代にわたってこうも優秀な…DNAってすごいなと。
    大槻一族のことは知らずに一関に降りたのです。目的は、芭蕉でした。ちょっと歩いて「二夜庵」跡へ。芭蕉がここで2泊してるのでそう言います。むろん、石碑があるだけですけれどもね。磐井川のほとり。冬枯れの東北の町って、なんだか気持ちがいいですね。冬型の気圧配置なので、よく晴れています。一関は、ちょっと古さも残したいい街でした。

    また列車に乗り、花巻へ。
    暮れにこんな記事を書いたのです。20何年前の、12月の東北旅行の話です。少しだけなぞってみたいと思いましてね。
    賢治記念館などはパスして、花巻空港駅で降り、羅須地人協会へ。
     「下ノ畑ニ居リマス 賢治」
    時は流れ、人はどんどんかわっていきます。僕も、あの頃と比べてずいぶんと変わりました。そんな実感の中で、昔見た、今でも何も変わらぬものを見ると、何か胸に迫るものがどうしてもあるのです。それは「感傷」という一言で片付けてもいいのですが。でないと、この痛切な思いはどう表現していいのかよくわからない。

    他、あちこちウロウロしまして、バスに乗って花巻温泉へ。一年の疲れ(そんなえらそうなものがあるのかは別として)を落とすべくゆっくりと風呂に入ります。きもちいいですな。冬の東北は温泉に限ります(笑)。
    遠野にも行きたかったのですが時間的に難しく割愛し(冬はすぐ日が暮れる)、盛岡まで出て泊まりました。

    なんだか妙に感傷的になってしまいましたので、無性に酒が呑みたい。ホテル近くの居酒屋へ。
    しかし、僕は最近、食事をちょっとセーブしているのですよ。どうしようかな。とりあえず品書きを見ますと「ホッキ貝刺身」とかありますね。貝とかは低カロリーだ。それそれ。
    きました。すると、僕の住んでるところではなかなかお目にかかれない上質のものです(だいたい生のホッキ貝など安い居酒屋じゃ出てこない)。これが590円とはな。
    焼酎を止めて、燗酒にします。タガが外れかかっています(汗)。
    それでも、海老の鬼殻焼きとか、なんとなしにヘルシーなもの頼んでるのです。でも「まぐろぶつ 490円」なんてのが目に入って、ついそれも勢いで注文。そうしたら、ち、中トロじゃないですか! なんだこの店は(汗)。
    もはや止める人はいません。お酒おかわり〜♪
    酔ってしまいました(ひと月ぶりの日本酒だもん)。でも揚げ物とか食べてないしまあいいだろうと…そんなふうに自己弁護するのが酔ってる証拠なのですが。
    その酔いの勢いで、ついやってはいけないことをまたやってしまいました。だってここは盛岡ですもん。冷麺食べずにはいられないでしょう。というわけで、焼肉屋へ(笑)。
    そうなれば、冷麺だけで出てくるわけにはいかないでしょう(汗)。でもここはグッと抑えて、真露とミノとカクテキだけを注文。カルビとかタンを頼まなかったのは、僅かに残る自制心でしょうか。
    冷麺は美味かったぁ〜。やはり盛岡冷麺は日本一です。

    翌日。大いに反省しています。
    朝の北国特有の冷たい透明な空気を吸いつつ、盛岡城址へと散歩。中津川に岩手山が映えます。
    賢治の詩碑があります。
    「なみなす丘はぼうぼうと 青きりんごの色に暮れ 大学生のタピングは 口笛軽く吹きにけり」
    啄木ももちろん。
    「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」
    僕はまた、あの頃を思い出していました。

    いかんなあこれでは。完全に感傷旅行になってしまう。朝食をまだ食べていないので、10時から開いてる「盛岡じゃじゃ麺」の店へ。
    じゃじゃ麺の解説はいらないでしょ。わんこそばと盛岡冷麺とこのじゃじゃ麺で、当地の麺御三家です。わんこそばは食ってはいかん(笑)。
    うどんのような平たいめの麺に、肉味噌とキュウリ千切りがたっぷり乗ってます。ではかき混ぜて、ズズっと。
    美味いですなぁ(涙)。やはりこれを食べずに盛岡を離れるわけにはいかん。でも、一応大中小の「小」を注文しています(笑)。

    さて、津軽へ行きますか。今は、青森新幹線の開通であっという間に着きます。しかし、アマノジャクの僕は開通したばかりの新幹線に乗らず、十和田経由の在来線(花輪線)に乗るのです(笑)。これだと3時間以上かかるんだけど(わはは)。
    目当てがありましてね。花輪線から奥羽本線の接続駅である秋田県大館駅には、僕が愛してやまない駅弁「とりめし」があるのです。ここのとりめしは本当にうまいっ♪
    え、オマエ今じゃじゃ麺食べただろうって?あれは朝メシ。これは昼メシ。というわけで、タガが外れた僕のダイエット計画は、ここに至って崩壊していくのでした…。

    青森の正月ってのは、宴会の連続です。そして、女房の実家というのは、タラの白子を丼で出してくるような家です(笑)。もう、カロリーがどうのとか言っても誰も許してくれませんて。
    というわけで、帰ってきました。明日、僕の実家に行ってきます。ダイエット計画は明後日からまたやり直しですね。というわけで、今ヘルスメーターに乗る勇気がありません。本年もどうぞよろしく。


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    | 2011/01/03 | 旅行 | 21:05 | comments(12) | trackbacks(0) |

    平泉再訪記

  • 2010.01.05 Tuesday
  • 謹賀新年、凛太郎です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

    僕は例によって女房の実家、そして自分の両親のところへ行っていたわけですが、今年も何とかショートトリップを挟むことに成功しました。どこに居たかと言えば、奥州平泉です。
    29日から移動を始めたわけですが、ちょっと東京で逢わなければならない人がいたりして太平洋側回りで動きました。
    んで、夕刻には仙台へ。愛してやまない杜の都です。光きらめく定禅寺通り。この「光のページェント」と呼称されるイルミネーションはおそらく光の祭典としては日本一だと僕は(自己の思い入れも含み)思っています。
    しばし散策し、その夜はまず活魚居酒屋へ。冬の三陸の幸はもう何を食べても美味いのですが、とりわけ牡蠣は最高ですなあ。豊潤なる海のミルク。生牡蠣はもちろんのこと、ちょっと火を通したほうが好みの僕は、焼き牡蠣そして味噌を使ったホイル焼きと堪能しました。もう酒がすすむすすむ。仙台来たら呑まざるをえないのですよね。うまいのぉ。
    ここで酩酊して泊、と書けばそれでいいのですが、酔った勢いでつい牛タンも食べに行ってしまったのです。やっぱり仙台ではこれも食わんと。タン焼きと麦飯とテールスープのセットをしっかり平らげ(汗)、酩酊および満腹して泊。いいかげんこういう飽食は止めねば…(無理か)。

    翌日。娘の帰省を首を長くして待つ義母さんのもとへとりあえずカミさんだけを向かわせまして、僕はちょっと途中下車。平泉に寄ります。
    平泉にやってくるのは、かれこれ20何年ぶりとなります。いやあ久々の再訪です。
    ここしばらく平泉は世界遺産騒ぎがあったわけですが、どうもそれは見送りとなってしまったようで。観光客としては俗化を免れたわけで有難いのですけどね。しかしこの暮れも押し迫った日にも、結構観光客は居ます。外人さんが目立つかな。ある程度宣伝にはなったようです。
    平泉、と聞いて、僕が以前訪れた20何年前は、圧倒的に目玉は義経であったわけです。判官終焉の地として。かく言う僕もやはり義経が主眼でした。かつての僕は、義経フリークであったかもしれません。小学校3年の読書感想文に「義経記」を選び、ガキのくせに「義経ジンギスカン説を支持する」てな小学生にあるまじき話を書いて、父兄懇談会で話題にされてしまって恥ずかしかったと母親が言っていた記憶があります。全く生意気なことでした。
    以後、高校生で坂本龍馬と出会う前はずっと義経ファンでした。
    そののち、僕の義経に対する評価は二転三転。軍事ばかりで政治状況が読めない阿呆だと思ってしまった時期も確かにありました。ですが30歳を過ぎた頃、僕は義経を再評価しはじめます。以前ここで書いたことがありましたが、この軍事の天才はもしかしたらものすごく卓越した政治眼を持っていたのではないのか。そんな思いが今も頭を離れません。

    閑話休題。20何年ぶりの平泉の今の目玉は、圧倒的に奥州藤原氏です。栄耀栄華を誇り、悲劇的な結末を迎えた藤原三代。大河ドラマなどの影響もあるのでしょうし、義経の相対的評価の低下もあるのでしょう。そんな平泉再訪です。
    駅に荷物を置いて身軽になり歩き出します。クリスマス前の寒波による雪もすっかり溶け、足元に不自由はありません。まずは無量光院跡へ。平等院鳳凰堂を模して建てられたというその規模にまず驚き、藤原秀衡の「本気度」をまざまざと感じます。
    そして、伽羅御所跡へ。秀衡、泰衡の居住地であったこの地は、宅地化され往時をしのぶものは何もない、と言ってもいいでしょう。でも、それを想像力で何とか補おうとつとめます。
    その北に、柳之御所跡があります。かつての清衡、基衡、秀衡の居館。ここは発掘が進み、そのかつての姿を現しつつあります。前に来たときにはまだ何もなかったんですけどね。これは有難い話です。東京ドーム2.5個分もある広大な屋敷跡。北上川のほとりにその威容が映じています。
    僕はしばし佇んでしまいました。この屋敷は、秀衡が鎮守府将軍となったことで政庁がおかれ、そして秀衡は居住地を伽羅御所に移したとされています。ぼくはこの政庁こそが、鎌倉幕府に先んじて成立した日本最初の幕府であるという考え方を持っているのですが(→ここで前に書きました)、この敷地の規模を見るに付け、そのことが確信となって僕を襲います。やはり平泉幕府は存在したのだと。

    そのまま北へ向かいますと、義経が秀衡を頼って奥州にやってきて住んだところとされる高館があります。いわゆる衣川館ですね。小高い丘の上にあり、山城であったことが想像されます。
    登りますと、そこには義経を祀った祠があります。館の跡はもちろん全く無く、果たしてこの場所が義経自刃、そして弁慶立ち往生の場所であったのかどうか、それは分かりません。ただ、見晴らしは素晴らしい。眼下に北上川の雄大な流れ、そして遠方には衣川。正面には束稲山が聳えます。この美しき風景を見ると、天才義経に相応しい場所であったのかなとも思えますね、やはり。芭蕉はこの場所を衣川館と信じ、「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠みました。碑が建っています。

    中尊寺へと向かいます。平泉の象徴。解説は不要だと思います。
    ここも、小高い山の上にあります。開山は平安初期ですが、清衡がここを大伽藍に作り変えました。月見坂と呼ばれる尾根道をたどって行くのですが、以前は走るようにして登ったのにこの歳になるとキツい(汗)。もしかしたらここは寺であり、また要塞も兼ねていたのか、と想像してしまいます。
    金色堂はその奥の奥にあるわけですが、宝物館である讃衡蔵が新築され以前よりも立派に衣替えしていました。まずこちらから。
    ここには様々な資料、宝物が展示され、その金色堂の細工の凄さにまた感嘆するわけですが、清衡の棺、また泰衡の首桶にはどうしても厳粛な気持ちになります。これを書き出すときりがありませんので割愛しますが。
    そして、金色堂。何度見ても凄いですね。経蔵や旧覆堂その他の建物も見学し、下山します。

    少し端折りますか。僕はその後、義経妻子の墓などに詣でたのち、観自在王院跡へと。ここは二代基衡の夫人が造営した寺院とされていますが、規模があまりにも大きく圧倒されます。基衡夫人の墓もあるのですが、この夫人は安倍宗任の娘とされています。これも、様々なことを考えてしまいますね。
    そして毛越寺へ。
    かつて、この美しくも大規模な堂宇と庭園を誇る寺院の宿坊がユースホステルとして開放されており、僕も宿泊したことがあります。そして、寺に泊まったものだけの特権である拝観時間前の誰も居ない庭園の散策を経験しました。
    あの時は夏でした。そして今、寒さ厳しい冬の毛越寺庭園に佇みます。こういうの、思いが溢れますね。季節を除けばあの頃と、僕が二十歳そこそこだったあの頃となーんも変わっちゃいない。変わったのは、年を経て中年になった僕だけです。

    そんな感傷に浸った後、街中に湧く温泉にゆっくりとつかり、一年の垢を落とします。いやー気持ちいい。
    冬はつるべ落とし。もう日は傾き、あたりは夕暮れの足音が。さて、義父母の待つ津軽へと向かいますか。僕は駅へとぶらぶら歩き出しました。


    この正月は天候が荒れに荒れました。津軽名物である地吹雪を久しぶりに体験しましたね。何が暖冬なもんか(笑)。そうして列車ダイヤも乱れに乱れ、ホウホウの体で僕は関西に戻り、僕の実家にも寄り、そしてようやく帰ったところです。休みも終わっちゃったなー(しゅん)。
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    | 2010/01/05 | 旅行 | 00:43 | comments(8) | trackbacks(0) |

    伊勢詣

  • 2009.09.23 Wednesday
  • ちまたでは5連休だったということですがね。しかし世間の人がどれだけシルバーウイークというものを享受しているのでしょうか。行楽地の混雑を伝える新聞やTVなどのマスコミだって休んでいませんし。
    前置きはともかくとして、僕は土、月、火がまるまる休みでした。中途半端ですね。どこ行っても混んでいるでしょうし、フテ寝してようかとも思いましたが、なんだか周りがこう盛り上がっていると羨ましくてしょうがない。なので、ちょっと出かけてきました。行き先は伊勢です。カミさんは前からの約束で知人と若狭丹後方面へ行ってしまっていますので、ひとりです。このパターンがどうも増えそうな気配。

    目的はいろいろあるんですけど、最近いろいろ困ったことばかり起きますので、神頼みですね。伊勢神宮参拝です。伊勢には例のまわりゃんせ以来ですから約3年ぶり。今回は車で出かけますので、伊勢の内宮、外宮だけではなく、せめて別宮14社は全て参拝してこようかと思っています。
    日曜の夜、10時くらいだったでしょうか。食事済ませて風呂入ってから出発です。出来るだけ目的地に近づくつもりで一路東へ。大阪、奈良を横切り、三重県に入ってしばらくして日付がかわった頃に車を止めて仮眠。仮眠と言ってもPキャンプ仕様ですのでゆっくりと横になって布団にくるまって、ですが。
    夜が明ける頃、再び車を走らせます。しばらくして外宮到着。時間はまだ午前6時前です。さすがに駐車場が満杯ということはありませんけど、それでも人出が既にあります。神社ってのは朝が早い。
    神宮には、式年遷宮というものがあります。20年ごとに本殿などを建て替える行事なのですが、次回は平成25年です。しかし準備は進んでいます。3年前にここにやってきたときに、ちょうど御木曳行事(建替えの用材を両宮に曳き入れる行事)をやっていました。4年後に向けて着々と準備が進行しています。既に、建替え用地の古殿地(現本殿の隣にある)は、もう新御敷地として覆いがなされていました。

    外宮に参詣の後、隣接する別宮にも参ります。
    神宮と言えば、この豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)を通常は指しますが、この2社が「正宮」と呼ばれる宮であり、その他に管轄社として別宮14社、そして摂社、末社その他併せて全部で125社の宮があり、これら全てを総称して「神宮」と考えてもいいのかもしれません。125社などとても廻りきれませんから、せめて別宮14社は全て行こうと思いやってきたのです。
    外宮の宮域にはそのうち3社。多賀宮、風宮、土宮があります。なんとも涼やかな名前ですなぁ。それぞれに手を合わせます。
    さらに、少しだけ離れて月夜見宮が。徒歩圏内です。こちらにも参詣。外宮境内は早朝からあれだけの人が居たのに、ちょつと離れたここには誰も居ません。深閑としています。

    さて、このまま一気に別宮14社全てに…といきたいところですが、他にも寄りたいところがあります。まずは斎宮の離宮院跡へ。参宮線宮川駅にほぼ隣接していて、公園になっています。石碑ひとつくらいしか往時を偲ぶものはありませんが、一応やってきました。そして、さらに明和町まで足を延ばして斎宮跡へと向かいます。
    斎宮とは何か、を書き出すとえらく長くなりますので割愛しますが、つまり神宮に奉仕するために朝廷から皇女が派遣されていたのですね。斎宮女御徽子女王は有名なのでご存知の方も多いでしょう。その御所が斎宮です。
    ここに来るのは実は20年ぶりくらいになります。近鉄の車窓からいつも観ているんですけどね。当時は建設中だった斎宮歴史博物館にも初めて入りました。いつきのみや歴史体験館にも入りましたけれども、ここは名の通り体験する場所であり、いい歳したおっさんが十二単を着たり毬杖や蹴鞠などをしていては変態だと思われるので早々に退散です。
    このあたり一帯が、斎宮跡ということです。発掘状況などは実に興味深い。大半の来訪者が源氏物語などの平安貴族の暮らし等に興味があるのでしょうが、僕はどちらかと言えばその発祥である、アマテラスを最初に伊勢に祀った倭姫命、また天武天皇の皇女である大来(大伯)皇女あたりにやはり興味が集中してしまいます。斎王の存在はすなわち、畿内からこんなにも遥か離れた伊勢の地になぜ皇祖神ともいうべきアマテラスが祀られているのか、という問題と直結するわけですが、それをここで長々と書いていくわけにもいきません。
    それにしても、神に仕える身として当然処女であり、都から伊勢に行かねばならない斎王という存在は、考えようによっては人質か人身御供にも思え…おっと言葉が過ぎました。斎王の森史跡公園を歩き、斎宮の御殿跡とも推定される竹神社を参拝して、斎宮跡を離れました。

    さて、別宮14社を回るのですが、このように寄り道ばかりでなかなか進みません。元伊勢と言われる磯神社とかね。いろんなところに行きたくなるんです。さらに伊勢うどんも食べなくちゃいけません。この極太でフワフワのうどんに真っ黒の出汁がかかったうどんを食べなくては伊勢に来た甲斐がないというもんです。美味い。さらにてこね寿司も食べなくては…(昼メシをいったい何回喰うんだ)。
    本筋に戻って、別宮へ。倭姫宮へ寄ります。祭神はその名の通り、前述した斎宮の倭姫命です。ここは比較的歴史が新しいのですが、古社の風格を既に醸し出しています。
    さらに、月讀宮へ。こちらには月讀荒御魂宮と、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮と4社がずらりと並びます。なかなかの壮観です。もうお昼なのですが、参詣者はそれほど居ません。人は集中するんです。
    その集中している場所、内宮が近づいてきました。伊勢に来て、既に外宮と別宮9社を回ったわけですから、内宮に行かずに済ますというわけにはいきません。しかし…。
    月讀宮を過ぎたあたりからもう道路は渋滞しています。これは内宮の駐車場の行列ですね。こんなのどうにもなりません。何時になれば内宮に辿り着けるのか予想が出来ませんがな。しょうがないか。なんせここは三重県一の観光スポットなのです。
    僕はすっぱりと諦め、猿田彦神社に寄った後、賢島方面へ車を走らせました。横目で見るとおかげ横丁の大駐車場にも長蛇の列、そして五十鈴川の河川敷も臨時駐車場と化して車が立錐の余地もなく並んでいます。すげぇ。ETC割引の弊害ですね。みんなまわりゃんせ使いなさいよ(汗)。

    車を賢島方面へ走らせます。途中、磯部町(志摩スペイン村の近く)に、別宮の伊雑宮があります。昼下がり、参詣します。
    ここは志摩国の一宮とも言われるほど由緒ある神社ですが、他に参拝者はいません。人は集中するのですな。僕にとってはありがたいことです。この神聖な佇まいを独り占めできるなんて。

    お参りを済ませた後、なんだか海が見たくなって大王崎灯台なんかに寄って風に吹かれていましたら、のんびりしすぎました。このあと、別宮では最も離れた場所にある瀧原宮に行く予定なのですが、このままでは日が暮れてしまいます。急いで車を走らせました。
    賢島から、海沿いを走りたいな、と国道260号線に進路をとりましたが、これは失敗だったか。リアス式海岸なので、ドライブ自体は楽しいのですが思った以上にクネクネ道で時間がかかるのです。西方向に延々進み、紀伊長島近くまで来て進路を北へ。山懐ろに分け入ります。そして、夕刻5時を過ぎて、ようやく瀧原宮に到着。人の気配がありません。静かです。
    長い参道を踏みしめるように歩きます。それにしても、黄昏時の森は予想以上に力強く、実に清々しくはあるものの、僕がもしも悪人であればこれを圧迫感ととらえたでしょう。整然と繁茂した木々、という表現はどこかおかしいとは思いますが、巨木たちはちょっと油断すれば人の出入りを拒絶してしまうかのようです。まあこんな感想は、時間帯と、僕だけしか参拝者がいないという条件が重なったことから生じているのでしょうけれども。
    遥か向こう参道が尽き、宮がありました。社殿のまわりだけがふんわりと明るい。これは、敷き詰められた白石のせいでしょう。美しい。背筋が伸びます。瀧原宮、瀧原竝宮と2つの別宮が並んでいます。参拝の柏手があたりに響くようです。来ることが出来てよかった。

    さて、今日はこれでおしまい。例によってPキャンです。途中スーパーマーケットがあったので美味そうなものを買い込み(なんだかマグロが大安売り)、ちょっと贅沢してプレミアムモルツを2本買って、クーラーに氷をたくさんもらって詰め、ビールを突っ込みフタを。このまま、日帰り温泉施設を併設している道の駅に行きます。風呂上りのビールを夢見つつ、日の暮れた道を急ぎました。

    翌朝。と言ってもまだ4時半です。昨日は酔っ払って9時過ぎには寝てしまいました。車の中には空き缶などが散乱しています。昨夜は一人鍋をして呑んでいたのですが、秋の山あいの夜は冷えたので丁度良かった。
    散らかったものを片付けバーナーに火をつけ、コーヒーを沸かして喫します。この時間が本当に好き。
    と、ぐずぐずしてはいられません。再び伊勢へ戻ります。昨日行きそびれた内宮に参拝しなくてはいけません。
    内宮には、6時前には着きました。さすがに駐車場にはまだ空きスペースがあります。車を止めて、聖域へと歩き出します。
    宇治橋は付け替えをしていますね。式年遷宮は4年後ですけれども、橋は少し時期がずれています。
    参拝者はいるものの、雑踏というほどでもない。まだ閑散としています。まず正宮へ。僕が足を踏み入れたとき、ちょうど人の流れが途絶えました。階段下から写真を撮りましたが、人が写り込んでいない写真を撮ったのは初めてだろうと思います。二礼、二柏手、一礼。深々とこうべを垂れます。
    そして、別宮の荒祭宮と風日祈宮にも参詣。これで、別宮14社全て参拝したことになります。

    神社、しかも大きな神社へ参ることが世の中では流行っている、と言っては語弊がありますが、実際に雑誌などでブームとして取り上げられています。「パワースポット」「スピリチュアルポイント」また「癒しの空間」などと謳われ、「元気を貰える」とよく言われます。元気をもらう、なんて抽象的な言葉は僕には意味がよく分かりませんし、「気」を感じたりするほど感受性が研ぎ澄まされてはいない哀しいほど愚鈍な僕は、伊勢神宮の値打ちなど実際はよく分かっていないのだろうと半ば自虐的に思います。どちらかと言えば僕は「そもそもアマテラスは本当に女性神か」とか「何故皇祖神が畿内から遠く離れているのか」とか「尾張氏と度会氏の関係は」とかそんなことばかり考えていて、神宮を脳内で理解しようとして神宮を感じようとしていないのでしょう。
    ただ、この神宮という場所は、他の神様が鎮まる場所とはどこか違う。
    神が天降る場所がまずあって、そこから発展して造られた自然発生的な神社ではなくて、祀り場所を探し求めて造られた神宮は、極めて人工的な聖域であると考えられます。そこが相違点だと言えばまた脳内理屈だと言われるでしょうけれども、やはり鎮守の森と神宮は空気が違います。
    例えば、僕は大和の神社が好きですが、葛城の笛吹神社や一言主神社、高天彦神社などには、「またお参りにやってきました」と素直に言えるような感覚があります。悪さをすれば叱られるでしょうが大らかさもある。神社というのは聖域でありますが、そういう優しさもあって人と繋がっている。
    ところが、僕は神宮にはやはり最初に畏怖を感じます。元気が貰えるほどの優しさが前面に出ているようには僕には感じられません。どこか一線を引いた厳しさがあります。それはあまりにも荘厳であるが故かもしれないのですけれど。生半可ではなく真摯に対峙しないと叱られる、と思ったりもして。
    初めて瀧原宮に参って、その感想を一言で言えば「衝撃」でした。ショッキングと言った方が近いかもしれません。有体に言って、怖かった。それは、その清浄さゆえであるかもしれませんし、美しすぎたからかもしれませんが。僕にもなんだかよく分からないのですけどね。

    余計な長話を書きすぎました。
    神宮参拝を終え、ちょっと清々しい気分になった僕はこのあと、松坂方面へと足をのばしました。本居宣長の奥津城(神道墓)など、史跡を中心に。この宣長さんの奥墓は、山をずいぶん上らなくちゃいけないので大変ですよ(汗)。あちこち歩いた後、昼食に肉を食べ(たまの贅沢です)、土産を買い早い時間に帰路に着きました。久しぶりの三重旅行、短かったのですが満足しています。
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    | 2009/09/23 | 旅行 | 22:45 | comments(8) | trackbacks(0) |

    暑い夏 萩にて

  • 2009.08.18 Tuesday
  • 妻が先週から今週末までいません。田舎へ里帰りです。せいぜい親孝行してもらいたいものです。
    んで、僕は月、火が休みでした。誰にも言わずにどこかへ行っちゃおう(笑)。

    ところが、どうしても外せない用事が土曜日に出来てしまいまして。昔の僕ならそんなの無視してしまうのですがさすがにこの歳になるとそんなことも出来ません。せめて土曜の夜からでも出かけたかったのですが酒を呑まされてしまいまして。なかなか世の中うまくいかないもんです。

    んで、日曜の早暁、寝て酒も抜けたので夜明けを待たずして車を一路西へ。行く先は山口県、萩です。
    なんかね、今年春からブログネタで幕末のことを考え続けていまして。そのネタは終了したのですが、この記事なんかは捉え方によっては相当長州藩の悪口を書いているみたいです。でも、僕だってわりにマジメに考えたんです(汗)。そんなこんなで、仕上げに幕末尊皇攘夷の総元締め的な存在である長州藩の本拠地へ行ってみようと。

    萩は、都合4度目になります。最初は中学の修学旅行でした。しかし、そんな中2のガキが尊皇攘夷なんて普通は知りません。僕はその当時から歴史オタク的臭いを出していましたのである程度は知ってましたけど、もちろん子供ですからそんなに詳しくはない。また、中学歴史の授業も江戸時代にはまだ到達していない頃です。吉田松陰って誰だ?が一般的認識。萩の、旅の自由研究のテーマは「萩焼」と「武家屋敷」でした。松下村塾行かなかったんじゃないかな。確かグループに分かれての行動で、僕は幕末志士の生家めぐりを提案したのですが友人たちに却下されてしまいました。それに、滞在時間は確か三時間もなく、すぐに秋芳洞に移動してしまいましたから。
    2度目は20歳。自転車旅行の途中で。もう「竜馬がゆく」とかは読んでいましたし、興味もかなりあったのですが、今にしてみればとおりいっぺんの観光しかしていませんでしたね。あちこち行ったつもりでしたが、当時は情報も少なく、ガイドブックにある程度の観光しか出来ませんでした。
    3度目は結婚して後、山口旅行で半日ほど居ました。カミさん同伴だったので、目的は高杉晋作の生家のある菊屋横丁でした。ここが日本の道100選に選ばれていたので(カミさんは当時道100選を回るのに血道をあげていた^^;)。あとは、萩城ほか名所を案内したくらいだったと思います。
    結局、徹底的にまわっていないのです。んで、この機会に一人で思う存分マニアックな観光旅行をしようと思い立ったわけです。

    前置き長すぎますね。山口市にだいたい2時ごろ着きました。
    本当は三田尻(防府市)からいわゆる「萩往還(古道)」に出来るだけ沿って入ろうと思っていたのですが、先月の豪雨災害の爪痕は大きく、通行止めの箇所もまだありそれは断念したのです。しかし、山口市から萩に入るのもなかなか大変な道のりです。険しい山に遮られ、僕の古い軽自動車は坂道に悲鳴を上げました。萩って不便な場所にあるとあらためて認識。山陽道に簡単に出てこられないように家康がこの地に押し込めたわけですが、この厳しい環境がまた怨恨を増幅させるのには役立ったことでしょうね。
    萩に3時過ぎに入りました。この日の観光は市内を流れる松本川よりも東側、いわゆる「椿東地区(松下村塾のあるあたりですね)」に絞って。しかし暑いなぁ。汗が吹き出ます。車で来ているのですが、出来るだけ歩いてあちこち回ろうとしたので(当時の人々の距離感みたいなものを感じたいので)もうヘトヘトになってしまいました。
    観光の内容については割愛します。ちょっとマニアックすぎますので。また別記事をどこかに書くかもしれませんが。

    日が傾いてきました。さすがにこの日は強行軍で疲れましたので、ここまでにして市内の温泉に浸かります。あー気持ちいい。いろんなものが抜けていくような感じですね。
    さて、車引っ張ってきていますので、宿には泊まらず例によってパーキングキャンプとなります。萩には街外れ、それもごく近いところに道の駅があります。これですね。ここなら街から歩いてでも来れそうな距離です。ここ、漁連がやってるんですね。漁港も隣接していて魚を売っています。もちろんレストランもあるのですが、それより、前でイカ焼いてますよ。この醤油が焦げる匂いにはなんぴとたりとも逆らうことは出来ませんね。ひと串もらって齧ります。うまいっ!
    おそらくイカが新鮮なのでしょう。これはたまりまへん。ベンチに座ってビールです。ここは道の駅なので当然車で来ている人が主体であり、ビール飲んでる人なんて見かけませんが、僕は今日ここに泊まるのです(笑)。朝まで車は動かしませんので、もうガンガン飲みます。
    店舗内に入りますと直営の魚屋さんがあるのですが、もう夕刻のこととて店じまいのようです。嬉しいことに刺身などがどんどん値下がりしてます(笑)。あれもこれも大量に買い込み、また地酒も買います。他に萩名物の蒲鉾も購入し(僕は子供っぽいのですが練り製品が大好きなのです)、もうじっくり呑みだそうかと。車内は、既に後部座席を畳みマット敷いて座敷化しています。あぐらをかいてひとり宴会の始まり。愉悦ですね。パクパクグビグビ。
    そうして呑み続けていますと、店も閉まり明かりが消え、たくさん止まっていた車もみんな去り、道の駅に僕の車がぽつり。こんな旅行シーズンに、他にPキャンパー見かけないなんて珍しいことです。表に車通りも無く静か。潮騒が聞こえます。こういうのもたまにはいいな。いいかげん酔って就寝。

    夜明け。目が覚めます。
    あんなに暑かったのに、夜は意外に涼しく寝やすかったですね。空は晴れ。今は涼風が吹いていますが今日も暑くなりそうです。
    バーナーに火を着け、湯を沸かしてコーヒーを淹れます。この朝の時間がなんとも言えず僕は好きですね。今日も旅の空の下だ。
    どこを歩いた何を見た、とかいうのは省略しますが、今回僕は思い立って出かけてきたので事前の下調べが足りていないのです。書棚から資料や書籍をごっそり積んできたのですが、それでもわかんないことが多い。まあダメモトで、観光案内所に出かけてみました。観光案内というところは、ラーメンマップは作っていても本当に史跡関係などは訊ねてもアテにはなりません。長年の経験でそう認識しているのですが、一応軽い気持ちで聞いてみたのです。
    「坪井九右衛門の墓はどこにあるか分かりますか?」と。
    さあ…と言われるのが普通なのですが、ここのお姉さんは違いました。まず坪井九右衛門を知っているというだけでちょっと驚きなのですが、それだけでなくあちこちTELして(おそらく研究者などに)、それが光源寺というお寺の墓地にあることを突き止め(驚)、さらにお寺に連絡して墓地のどのあたりに存在するかまで調べてくれたのです。すごいっ!僕は観光案内所を見直しました。萩という場所だからこそ、なのでしょうけれども嬉しいことです。ぼくはさらに色々な質問をし、話が盛り上がってしまいました(笑)。お世話になりありがとうございました。

    それにしても暑い。日差しが強烈です。
    萩は、江戸時代からの町割をほぼ今も残しています。ということは、道幅が当時のまま、ということであり、だから歴史的風景が息づくのを感じるわけですが、つまり非常に狭いのです。なので路肩に車をちょっと停めて、なんてことは出来ません。やはり歩きが基本です。それはいいのですが暑さにやられます。たまらん。熱さと書きたいくらいです。
    汗がポタポタと落ちます。のどが渇くぅ。僕は、車に8ℓほど水を積んできているのですが、それは飲むため、というわけでもなく今回はキャンプ仕様でなので何かのときのために積んでいたのですが、そのなまぬるい水を結局この3日間で飲み干してしまったのです。もうたまらなくて。それ以外にも自動販売機やコンビニでつい冷たいものも買ってしまっていますので、いったいどれだけの水分を摂取したのか自分でもわからないほどです。(ビール2ℓと酒4合も摂取していますがそれは別)
    しかし、みんな汗で出てしまいます。あづいあづい。久々にこんな日差しの中を歩きました。疲れましたね。もう若くないなと実感です。

    さて、ひとわたり歩いて満足し、夕刻、萩をあとにしました。充実した散策が出来たと納得しています。
    そのあと僕はちょっと足を延ばして長門湯本温泉へ。ここもいいお湯でしたねー。疲れがほどけていきます。山の中の道の駅で泊。
    そして、翌日はゆっくりと、地道中心で一日かけて帰ってきました。2号線はバイパスが充実していますので結構走れます。途中、広島は宮島口で駅弁のあなごめしを購入して海を見ながら朝食。これは抜群に美味い。そして尾道でラーメンを食べ「喫茶こもん」でワッフルを食べ、日が暮れる頃に戻ってきました。いや楽しかった。暑い暑い夏の旅でした。


    ※追記
     歴史散策の記事アップしました。ですが、ちょっとしつこい記事ですので、もしよろしければご覧下さい(汗)。
     →僕の旅番外編・萩のマニアック歴史ポイント
     珍しく画像付きですが、石碑と墓ばかりです…。
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    | 2009/08/18 | 旅行 | 22:44 | comments(8) | trackbacks(0) |

    飛鳥・葛城・五條

  • 2009.05.24 Sunday
  • 端的に言えばストレスが溜まっていたわけなのですが。
    金曜の夜(もう深夜に近かったかも)に、あたしゃ突然車に乗って一人で奈良に出かけました。まあ翌朝から行ってもいいんですが、なんとなしに一泊したかったわけで。日曜は用事があるので、僕の自由時間は一日しかありませんでした。
    さて、日付が変わる前になんとか奈良着。当麻寺近くの道の駅に車を止め、ゆっくりとウイスキーを舐めながら就寝。

    熟睡して、朝日が昇る頃に目が覚めました。
    この道の駅は二上山のふもとにあるのですが、ここではもう何度もパーキングキャンプをしています。場所は奈良盆地の西側。つまり、ここで寝ていると奈良盆地を挟んで朝日が三輪山から昇ってくるのですね。その風景が好き。
    さて、何で奈良にやってきたかと言えば、キトラ古墳の壁画「青龍・白虎」を飛鳥資料館で公開しているのでそれが見たいというのがありました。ご存知とは思いますが、極彩色壁画を持つ明日香村のキトラ古墳では、発掘調査による石室内部環境が変わったこともあり(もちろん1300年前のもので老朽化が一番の原因ですが)、壁画が描かれた壁の下地である漆喰が剥がれかけ、壁画部分を取り外して修復・保存せねばならなくなり、何年もに渡ってその作業が続けられてきました。
    壁画は現在では大部分が取り外され、その度に期日を決めて一般公開がなされてきたのですが、今まで何度も行こうと思ってはみたもののなかなか都合がつかず見送ってきました。今年は5/7〜24です。しかも青龍の初公開に加え白虎もアンコール公開となります。
    まあね、来年は四神すべて公開になるらしいのでそれを待ってもいいのですけど、来年都合がうまくつくかどうかわかんない。行けるときに行ってしまえ、ということで強行したのです。

    さて、壁画公開は午前9時から。今は、まだ朝日が昇ったところです。
    二度寝してもよかったのですが、もういい歳になるとそういうことが出来ません。僕はバーナーに火をつけコーヒーを沸かしゆっくり喫して、さてどうしようかと考えていました。
    ところで、前述したように、車を止めている場所は二上山の麓です。それならば、早朝登山でもするか。まだ資料館が開くまで4時間も近くあるのですから。僕は、インスタント味噌汁を作り、妻が前日出かける前に作ってくれたおにぎりを頬張り腹ごしらえをして、二上山登山を開始しました。まだ5時半です。
    二上山という山は、標高はあまりありません。その名の通り二つのピークがあるのですが、雄岳が517m、雌岳が474mです。まあ一時間もあれば余裕でふたつのピークへ行けるでしょう。僕は、雄岳の登山口から入りました。
    この山に登るのは僕の宿題であったのです。それは、二年前の奈良旅行の記事の末尾に書きました。大津皇子陵を拝するためです。それは、雄岳の山頂にあります。とにかくそれを目指してえっちらおっちら。
    ですが、最近メタボに拍車がかかったこともありとにかく身体が重い(汗)。早朝でそれほど暑くもないのに汗が全身から吹き出ます。ヒーコラ言いながら1時間弱で山頂へ。とにかく大津皇子陵に参ります。
    一応円墳なんでしょうか。なんでこんなところに祀ったのでしょう。ここまで来るまでにあたしはもうヒーヒー言っているというのに。古代人とメタボな僕を比較してはいけませんがそれにしても…謎が深まります。これについて語るともうひと記事必要になるのでそれは措いて、山頂の葛木二上神社に参って、途中まで一旦下り、さらに雌岳へ。
    雌岳は雄岳より低いので、今度は楽です。しばらくしてピークへ。
    さて、眺望を期待していたのですが、標高のない山のため木が生い茂り視界がよくありません。雄岳は視界ゼロであり、雌岳は山頂広場もあって少しは見えるものの、さほどではありませんでした。大阪側には磯長谷が真下にあり、聖徳太子や用明、推古天皇などの陵があるので上から見られるかなと思いましたが無理でした。むしろ遠くはよく見える。よく晴れていて、大阪湾を挟んで六甲山も見えていますので、自分の家のある場所の見当もつきます。
    僕としては大津皇子陵に行けたので一応満足です。堪能して下山。

    さて、車の置いてある道の駅に戻り、水をガブ呑みし着替えて後、明日香村へ。
    飛鳥資料館は、壁画公開期間中は混雑するので駐車場を閉鎖して駐輪場にしてしまう由。近くに有料駐車場もあるのですが、それもシャクなので甘樫丘の無料駐車場に車を止め、飛鳥川に沿ってゆっくりと歩きました。こういう散歩には飛鳥はいいですねぇ。資料館に着くと、開館にはまだずいぶん時間があるのに行列が出来ています。まあしょうがないかな。しかし、以前の公開と比べれば人はかなり少ないらしい。青龍は土砂による浸食でほとんど消えた状態であるのと、白虎は二度目だということ、また来年に全部いっぺんに公開ということもあって客足が鈍っているらしいのです。そして、あの騒ぎ過ぎのインフルエンザの影響も大いにあるでしょう。ただ、僕にすれば好都合。結果、待ち時間もなく時間制限もなく拝見出来ました。
    ガラスケースに納められた壁画。青龍は、分かってはいたもののほぼ土砂による浸食で消えてしまっています。わずかに赤い舌だけが確認できるくらい。惜しいですね。ですが、本物を見られたということで満足しています。
    飛鳥資料館に来るのは…よく考えれば27、8年ぶりなんですね。ずいぶんご無沙汰していました。あの頃と比べ、ずいぶん展示内容も変わっています。ただ、飛鳥の謎の石造物のレプリカ展示はあの頃と同じ。これは有難いですね。猿石なんてのは本物は正面からしか見られないのですが、ここではウラ側まで見せてくれます。これは実に興味深いのですが、見ている人はあまり居ませんね。
    僕が飛鳥をいちばん歩いていたのは高校生のときでした。一人で近鉄に乗ってはフラフラと歩きまくったもんです。あれから飛鳥もずいぶんと変わりました。ただなんとかギリギリのところで踏みとどまっている感じはします。観光客側の視点としては、整備するのは道しるべだけでいいと思うのですがそうもいかないのでしょう。しかし、これ以上変わって欲しくはない。
    資料館を出てブラブラと。飛鳥坐神社(エッチな神楽で有名ですね)を経て飛鳥寺にも立ち寄りました。ここもかれこれ15年ぶりくらいですか。もちろん、日本最古の仏像である飛鳥大仏は昔のままでしたが(当然だ)、裏手にある入鹿首塚のまわりは整備しちゃったようですね。風景が変わっていました。どちらがいいという訳ではありませんが。
    弥勒石を経て駐車場に戻ります。甘樫丘にも登りました(これも久しぶり)。

    さて、飛鳥はこのくらいにして、また大和の西方向へ戻ります。
    目的地は別にあるのですが、その前に葛城の神々のところへ。何度来てもここは飽きませんね。笛吹神社、一言主神社、高天彦神社、高鴨神社と。僕は普通の人よりは神社によく行く方だとは思いますが、このあたりは本当に素晴らしい古社揃いで。山辺の道にある社とはなんとなしに雰囲気が違うのですね。三輪が東、葛城が西にあるからでしょうか。日の出づる処と没する処の違いかな。これを書き出すとまたひと記事必要になるので割愛。

    そうして徐々に葛城の国を南下し、もうひとつの目的地であった五條市へと行きます。五條って、いつも通過ばかりしていたんですね。ちょっと寄ってみたくなって。アタマを古代から近世に切り替えますが。
    というのも、最近ヒマさえあれば幕末思想の本ばかり読んでいまして。つまり「尊皇攘夷」の正体って何?ということなんですが。これ、単純なようで考えれば考えるほどわからなくなるのですね。
    まあそんなことはここで書いていてはキリがないのでまた機会を改めますが、ちょっと「明治維新発祥の地」と名乗る五條へ行ってみたのです。
    なんで五條が明治維新のさきがけと言われるのかは、五條で「天誅組の変」が勃発したからなんです。天誅組については前の旅行の記事でも少し触れましたけれど、簡単に言えば幕末の尊皇攘夷運動の果てに倒幕運動に至る流れの中で、最初の反幕府挙兵をした団体ですね。天誅組はまず、天皇の奈良行幸の先鋒という名目で、天領(幕府直轄領)であった奈良五條代官所を襲撃して代官らを討ちました。これが、最初の倒幕武装蜂起にあたるわけです。
    この天誅組の挙兵は、結局長州の八月十八日の政変による失脚で、天皇の奈良行幸も無くなり梯子を外された形になり鎮圧されるのですが、この五條では新政府の本陣まで置いています。
    いろいろ史跡を回ってみました。襲われた代官所跡(今は市役所)。本陣を置いた櫻井寺。天誅組に加担した地元の乾十郎や井澤宜庵ゆかりの場所など。
    こうして見る限りは、五條では天誅組は結構顕彰されているように思えるのですね。それは僕にとっては意外でした。僕は、天誅組は当地ではあまりいい感情を持たれてはいないのではないか、と思っていたからなんです。
    と言いますのも、天誅組は尊攘派志士の義挙とも言われますが、一方で五條は「襲われた側」なんですね。そりゃ現地の人々に乱暴を働いたわけではなく、悪代官から住民を解放した、とも言われますが、代官鈴木源内は善政家であり領民に慕われていたというのが本当らしいのです。それをいきなり襲い、首を取ったわけですから。代官所は兵力があるわけではなく、戦うことももちろん出来ませんでした。見方を変えれば志士という名の暴徒ですわな。そして、領民側にも巻き添えで犠牲者が出ています。
    代官所は陣屋が復元され史跡公園として整備されていて、資料館もあります。そこに入り、少し話を聞いてみました。五條市は何故天誅組を顕彰しているのですか?
    それについては、襲われた側という見方も成り立つが、歴史的に有名なのは天誅組の蜂起であり、紹介に努めるべきではないか、とのこと。なるほど。相当昔の話ではありますのでね。縁者であればともかく、恩讐などと言っている時代ではないのでしょう。ことに、また大河ドラマなどで龍馬はんが取り上げられる様子であり、そうなれば天誅組総裁の一人である吉村寅太郎さんにも注目が集まるでしょう。
    ではありますが、無抵抗のまま討たれた代官所側の人たちのこともやはり忘れては気の毒に思えます。先ほど櫻井寺で、「源内首洗いの鉢」なるものも見てきました。鈴木源内は当時60歳くらい、温厚篤実な人柄だったと伝えられています。
    市内に、源内以下討たれた代官所役人の墓が残されていますので、最後にそちらへ参りました。この方々は、犠牲者だと思います。首を晒さなくてもよかったんじゃないのか。合掌。

    さて、夕方です。さすがに疲れてきましたので観光はここまでとします。汗をかきましたので、御所市にある温泉に入りました。気持ちいい。そういえば今朝は山登りから始まったのでした。長い一日でした。満足して、日も暮れる頃帰路につきました。
    ウダウダと長々書きましたが、丸一日の話であります(汗)。
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    | 2009/05/24 | 旅行 | 23:33 | comments(8) | trackbacks(0) |


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