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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    サラダの定義

  • 2009.06.12 Friday
  • 先日のことですが、いつもオヤジ居酒屋専門の僕が、まあたまには若い人にも迎合しなくてはいかんということで、誘われてちょっと洋風の店に入ったのです。洋風とはちょっと違うかな。看板には「無国籍料理」とありました。
    そういう若向きの店でビールとかワインなどを飲んでいたわけなのです。注文はもう若い人に任せていました。
    無国籍料理というより多国籍料理と言った方が相応しい感じのする店だったのですが、そこで出てきた料理のひとつに「タラモサラタ」なる一品があったわけです。これを食べたことが今記事のきっかけ。
    「タラモサラタ」が正式名称だとは知りませんでした。てっきり「タラモサラダ」だと思っていました。ギリシャ語なんですね。サラタ=サラダ、と考えていいのでしょう。もっと以前は「タラコサラダ」だと思っていました。同様の勘違いをしている人も多いでしょう。つまり、タラコをほぐしてマッシュポテトと和えた一品のことです。フランスパンにのせて食べるとワインに合っていいですね。

    ここで、誰もが考えることでしょうが僕もまた思ってしまったのです。これってサラダの範疇なのですか?と。
    テーブルには、スティック野菜もあり(何かのディップにつけて食べる)、白身魚のカルパッチョもありました。なんとなしにこっちの方がサラダっぽい。
    その日、おしゃべりの僕は無口だったようです。そうでしょう。酔ったアタマの中ではずっと「サラダの定義とは何だろう」がグルグルと回っていたのですから。結局その日は結論が出ずに潰れてしまいました。しかし、ポケットの中には「火をとおす・とおさない」だの「酢・塩・油」だのがウラに殴り書きにされたコースターが入っていましたね。

    それから幾日か。僕の考える「サラダの定義」を書き出してみますよぉ。これって、簡単なようで難しい。アタマ絞りましたよ。
    一般的な定義は以下です。「生野菜をドレッシングやマヨネーズであえたものを基本に、果物やゆでた卵・ジャガイモやハム・肉などを加えた料理。サラド。」〜goo辞書より。しかしこれでは、サラダと命名されているのに範疇に入らないものも出てきてしまい、またサラダとは一般にみなさない料理もサラダになってしまいます。定義としては不完全だ。もう少し突き詰めてみたいと。
    まず、〔邵擇ある程度含まれる料理ということが挙げられるでしょう。野菜ゼロではサラダではない。また、ドレッシングに内包される薬味としての野菜だけではダメです。玉ねぎすりおろしドレッシングがかかれば仮にステーキでもサラダか、は否です。
    時として、野菜よりも肉や魚その他の方が多い料理なのに「サラダ」として供される料理があります。食べたことはありませんがTVで「あわびサラダ」なる一品を見たことがあります。これは超高級料理で、あわびスライスの下に申し訳程度にサラダ菜のようなものが敷いてあったものの完全に主役はあわびでした。それでもサラダなのか、と言いたい気持ちでしたがサラダだと主張しているのですからサラダなのでしょう。なので、野菜がある程度含まれる、が定義となります。そう言わないとマカロニサラダなんてのは困るのです。ありゃ野菜が主体じゃないでしょう。
    次に、¬邵擇論犬、もしくは単純に火を通した調理に限るということでしょう。単純に火を通す、とはその形態を変えない調理方法のことです。具体的には茹でる・蒸す・レンジでチン、ということです。焼いたり揚げたり煮込んだりしない。ここで例外は例えば「焼き茄子」の場合ですが(これを使ったサラダを見たことがあります)、焦げた皮は剥かれていますので「形状」は変わっていないとみなします。焼いたり炒めたりした野菜にドレッシングをかけてもサラダとはみなさない、でいいのではないでしょうか。精進揚げに青紫蘇ドレッシングをかけてもサラダではないでしょう。野菜以外の食材はさまざまに調理してあってもサラダとします。カリカリベーコンや炒り卵がのっていても、野菜が生ないしは形態を変えない調理だけ施してあるものはサラダとします。
    さらに、生でない場合はD翰段階で調味しない、食材は火を通すだけということが挙げられます。プレーンの状態のままでなければいけません。火を通すのはあくまで下ごしらえなんです。味をつけない。ここで完成形にしてしまってはサラダではありません。サラダとは、あくまでドレッシングで調味して食べるものなんです。ドレッシングをまとわせて調理が完成する。なので、ず能的にドレッシングで和えることが重要であるとします。例えばタケノコの刺身のようなものは、生もしくは茹でたタケノコをわさび醤油につけて食べますのでサラダではない。ドレッシング(マヨネーズを含む)というものの存在はサラダという料理の肝であると考えます。
    ドレッシングとは、その名のとおり「まとわせる」ものです。この材料は何でもいい。基本は油・酢・塩分なのでしょうが、ノンオイルドレッシングなんてのもあります。酢(ビネガー)というものはサラダに絶対必要条件であるような気もしますが、例えばほうれん草にカリカリベーコンとその染み出た油脂だけをかけてサラダと称するものもあります。酢のないサラダも存在するのです。サラダの語源とは「塩(ソルト)」から来ていると言われ、最低塩分があればいい。塩をかけて混ぜただけでもサラダと言い張ることは可能だと思います。
    さて、サラダの調理とは、下ごしらえした野菜(カットしたり茹でたり)に、時として肉や魚介などを加えたりしてドレッシングで和えるのですが、このドレッシングの役割は「食材を味付けのためにコーティングするもの」と考えます。そして、ドレッシングは当然塩分を含みます。なので、ドレッシングは高張液です。当然食材に浸透圧がかかります。つまり、ドレッシングで生野菜を和えて時間をおくと水分が染み出てきます。したがって、ゥ疋譽奪轡鵐阿馬造┐匿べるまでに時間を置かない(但し品質がさほど変わらないものはこの限りではない)こともサラダの定義となります。供されてドレッシングをかけたらすぐに食べなさい、でないと違う食べ物になってしまう、ということですね。液体にしばらく漬けた野菜は、時間が経てば「おひたし」になってしまいます。サラダは染み込ませないのです。コーティングだけ。もっと時間が経てば野菜からは水分が出て、どんどん塩分を吸収してしまいます。それはつまり漬物を作る行程と同じです。おひたしや漬物、ピクルスはサラダではない(ピクルスを加えたサラダはありますが)。コーティングという調理がサラダなのです。なお、但し書きで「品質が変わらないものは除く」と書きましたが、これはポテトサラダなどを念頭に置いています。和えても水分が染み出さず塩分を吸収しなければ「サラダ」と考えていいのでしょう。作り置き可能なサラダもあるということです。
    これで定義は十分かとは思いますが、もう一点だけ、抽象的ですが付け加えたいと思います。それは、主食ではなく副菜であるという定義です。
    なんでこんなことを付け加えるのかといえば、マカロニサラダ(あるいはスパサラ)というものが存在するからです。この存在は誠に困ります。何故かと言えば、これと冷やし中華との間に線引きが出来ないからです。冷やし中華もキュウリなどの野菜を加えて、酢を含むタレで和えて食べます。じゃ冷やし中華はサラダか、と言われればそういう感覚はない。貝割れなどをあしらい酢橘を搾って食べるぶっかけうどんなどもそうでしょう。あれをサラダと言われれば困ってしまいます。あくまで主食ではなく副菜。無理やりな定義に見えますが、こうしないとスパサラはサラダとは呼べなくなるのです。

    以上、6点をサラダの定義とします。
    本当は「冷製」というものも入れようかなと思ったのですが、温野菜サラダってのもありますねぇ。「舌を火傷しない程度の温かいものを含む」でもいいのですが、前述のカリカリベーコンをかけてジュッと言うようなサラダですと火傷しないとも限らない。なので7番目の定義とするのは見送ります。

    しかし、これだけではまだまだ足りないような気もするのですよ。本当に定義・分類という作業は難しい。
    例えば、日本料理でいきます。
    和える、ドレッシングでコーティングするということがサラダの定義と考えますが、それでは冷奴はサラダじゃん、との意見も出てきそうで。薬味は野菜とみなさない、と,把蟲舛靴討い泙垢里如△いら葱や生姜をのせてもそれはサラダじゃないと一応は言えます。また、仮に穀物である豆を野菜であるとしても、とことん加工して豆腐になっちゃった訳ですから△猟蟲舛妊瀬瓩任后が、時々薬味を山ほどのせて(紫蘇や茗荷など)、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べてる人もいます(こういうのを以前目撃しました)。あれは、和えていますからもはやサラダと言っても間違いじゃないような。難しい。うーむ。白和えはイ猟蟲舛杷喀は出来るのですが。
    いくらツマやケンのあしらいが豊富な盛り合わせでも、刺身はサラダじゃないと思います。小皿の醤油をつけて食べるわけで、ドレッシングで和えていないからです。い猟蟲舛生きます。しかし、カツオのたたきはもしかしたらサラダかもしれません。本場高知じゃ玉ねぎや茗荷などをふんだんに入れ、ポン酢(これはドレッシングですな)を上からかけまわして供されます。もはやこれはサラダでしょうねぇ(汗)。
    韓国料理ですと、ナムルはサラダじゃないと言えます。の定義がありますので。しかし、ユッケはどうなんだろう。肉が主体ですが、キュウリや梨も入れたりします。ああいうのは薬味だと断言も出来ません。そして食べる直前にドレッシング(タレ)で和える。どうも迷宮に入っていきそうな気がするわけなのです。

    西欧起源の料理だともっと難しい。例えばコーンサラダというものを見たことがあるのです。茹でたとうもろこしをバラしてマヨネーズに和えただけのもの。これは、コーンを野菜だとしないとサラダとしては成立しないのです。穀物と野菜の線引きはどこだ。コーンを野菜だとしてしまいますと、穀物主体の和え物はほとんどサラダになってしまう可能性が出てきます。
    和えて時間が経っても水が出ないものなら一応認める、というイ猟蟲舛涼△圭颪の部分って諸刃の剣なんです。本当はあの但し書きを抜きたい。しかしそうすればポテサラはサラダじゃなくなってしまう。穀物は和えて時間が経ってもよしとする、であれば、極論ちらし寿司もサラダになる可能性まで出てきてしまいます(まあ一応Δ猟蟲舛あるので排除出来ますけど)。
    さらに、「コールスロー」という料理があります。世間一般ではこれはサラダでしょう。これはキャベツのみじん切りなどをマヨネーズなどのドレッシングで和えたもの。ここまではいいのですが、たいていは作り置きしちゃうのですねこれ。むしろ時間をおいてなじませた方がいい、とも言われます。茹でたイモやコーンと違って、キャベツだとイ猟蟲舛砲盻颪い燭茲Δ北世蕕に品質が時間の経過とともに変わります。これでは浅漬けピクルスと同じじゃないか。なので、僕はコールスローはサラダと定義したくないのです。しかし一般的にはこれはサラダとみなされています。うーむむむ。これはザワークラウトと紙一重なんですよねぇ。ザワークラウトは漬物の範疇に入ると思うのですが。
    もうひとつ。冒頭に書いたスティック野菜ですが、これも僕の定義だとサラダじゃない。それは、い猟蟲舛能颪い燭箸り、和えていないから。これがサラダであれば、「もろきゅう」もサラダであることになってしまいます。
    ところでここでひとつ思い出したのです。、記憶で書いているので間違いがあるかもしれませんが、漫画「美味しんぼ」において、海原雄山は「至高のサラダ」として、鉢植えのトマトを持ってきてそのままもいで食べさせます。確か、「野菜を生で食べるのは実はしんどい。だからドレッシングが必要となるのだが、だったら生でうまいものを食べればよいのではないか。その答えがトマトだ」とか何とか言って(記憶で再現していますので間違いがあったらごめんなさい)、もぎたてのトマトを食べさせるのです。そりゃ確かにうまいでしょう。だが、あれはサラダじゃない、と僕は思います。サラダというのは生野菜のことではなく調理法である、と僕は考えています。雁屋哲の言っていることは詭弁だ、と僕は力を込めて言いたいのですが、どうでしょうか。

    ここまで書いて多少疲れました(汗)。
    「サラダの定義」というタイトルですが、僕はこれで完全であるとは思っていません。書きましたようにアナだらけです。是非読まれた方は、異論、反論などがあれば教えていただきたいと。根底から覆されるようなことがあればPart2を書きますー。お知恵を拝借したい…。
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    | 2009/06/12 | 飲食 | 23:34 | comments(4) | trackbacks(0) |

    甘党とはおこがましくて

  • 2009.03.14 Saturday
  • 言葉の用法について書こうとしているのではないのですが。

    先日、到来物の饅頭があって僕はやれありがたや、とパクついていたのですが、それを見た若い人が「やっぱり凛太郎さんって甘党ですね」などと言うのです。なんだか釈然としない気持ち。
    確かにね、僕はよく甘いもの食べてますよ。酒呑みであることは昔から知れわたっていますので、最初は「へー甘いものも食べるんですか」という声がよく聞こえてきたものの、昨今はすっかり定着し、三時のおやつと言われれば嬉々として戴いてしまいます。昔はよく「大人の癖に子供っぽいな」などと揶揄する年寄りも居ましたけど、今ではそんなことを言う人もいなくなりました。なので人目もはばからず食べています。美味いのぉ薯蕷饅頭は。

    さて、釈然としない理由その1。
    「甘党」って呑めない人のことを指すんじゃなかったのですかね。
    そう言い切ってしまうには自信がないので辞書検索。goo辞書によれば、「酒よりも、甘いものを好む人」と書かれています。そうか、僕はちょっと極端だったかな。でも別の辞書には「酒類を好まない人」と書いたものもありました。
    いずれにせよ、二者択一の言葉だと思うんですね。酒も甘味も、なんて人は甘党じゃないのでは。
    対義語はもちろん辛党。または左党。ちなみになんで左党と言うのかはご承知だと思いますが、昔大工さん(または鉱山労働者)が右手にカナヅチ、左手にノミを持って仕事をしたことから、左手の事をノミ手と呼び、そのノミを「呑み」に洒落て、酒呑みを左党と呼んだ、という話。または杯を左手で持つからだ、などの諸説がありますがそれはさておき、のんべを辛党、左党と言うのです。その反対が甘党。だから、呑めないまでは言わずとも、少なくとも酒を好まない人たちのことを指す言葉でしょう。
    僕はアルコール大好き人間であるからして、「甘党」と言われると「あれ、いいのかな」とどうしても思ってしまうのです。これは、言葉の定義の話ではなくて、本当の甘党の人に対して僕のような中途半端な甘いもの好きが甘党と呼ばれていいのか、という気持ちですね。筋金入りの甘いもの好きに対して失礼ではないか、と。

    んで、釈然としない理由その2。
    前述したように、僕は中途半端な甘いもの好きなんです。世の中に存在する全ての甘いものが好きか、と言われれば決してそうじゃない。結構好みが偏っているのです。
    和菓子の世界で言えば、甘味の代表はやはりあんこでしょう。ところで、僕はつぶ餡をあまり好まないのですね。圧倒的にこし餡派。だから、大福よりも赤福が好き。甘党からすれば「風上にも置けない」存在だろうと思うんですよ。
    今川焼き(回転焼きとかいろいろ呼び方はありますが)は大好きなんです。でも、あれは僕の場合皮が好きなんですね。だから、中身はしろ餡だったりすれば案外嬉しいですし、最近はカスタード入りなんてのもあってなおさら嬉しいわけです。皮が好みであるわけですから、同系統の甘味であるはずの「たいやき」にはあまり興味が無いのです。別に嫌いというわけではないですけど、よく宣伝文句にある「うちのたいやきは尻尾の先まであんこが詰まっています」という言葉には全くそそられません。余計なことをするな。むしろしっぽにはあんこが無い方が望ましい。皮も薄いより厚めであればたいやきは嬉しいのです。これでは、甘味好きとは言えないでしょう。
    洋菓子の世界になるともっと好みが顕著になってきます。僕の好きな三本柱は「カスタードクリーム」「キャラメル」「メープルシロップ」であり、これを四天王にすると「チョコレート」が入ってきますが、もちろん甘ければ全て好きというわけではありません。
    僕は「生クリーム」って好きじゃないんですよ。食べられないわけじゃないですけど、普通より少し嫌いにベクトルが向いているかもしれません。スウィーツの王道である「いちごのショートケーキ」というものには全く興味がなくむしろ避ける傾向があります。流行のロールケーキも苦手。またたいていの人が好きな「モンブラン」もそんなに食指が伸びません。タルトも別に嫌いじゃないですけどわざわざ買ってまで、と思ってしまいます。
    シュークリームやエクレアは大好物なんですが、時々カスタードじゃなくて生クリームだったりすると本当にガッカリします。また、抹茶系が流行りですがこれも…。非常に偏りがあるんですね。

    嗜好ってさまざまだと思いますけれども、「これが本当に好き」と言えるのは、もうそのものに支配されているくらいでないとホンモノではないような気がするのですね。
    「甘党」と聞いて身近にすぐ思い出すのは僕の父親なのですが、親父は下戸で酒が好きではなく、ビール一杯で顔を真っ赤にします。このじいさんは本当に甘いものが好きだ。コーヒー一杯にスプーン三杯の砂糖を入れて医者に怒られています。飴を舐めかりんとうの箱を放さず、きんつばが大好物。七十も半ばを過ぎてようやく「ケーキは最近もたれるようになってきた、バターとかは使いすぎないほうがいいな」と言い始めましたが、でも喫茶店ではケーキセットでないと寂しいらしい。こういう人を見ると、ああワシはまだ甘いもの好きの範疇ではないのだなと自覚します。
    また知り合いに強烈な甘党が居まして(これも男性)、ベルギー菓子の「マジパン」とかいう砂糖の塊りのような菓子を食べて喜んでいます。よくこの人は「甘さ控えめで美味しい」とは何事か、と言って世間の風潮に怒っています。甘ければ甘いほど美味いのに、という彼の主張を聞くと、「僕も甘いもの好きなんです」とは言い出せないような空気になっちゃうのです。僕が甘党なんて、本当におこがましい。

    この「甘いものに支配される欲求」のようなもの、別のものに置き換えると僕にも理解できるのです。病膏肓と化した嗜好というものは。
    僕は酒好きです。そう言い切れます。それは「酒ならなんでも好き」であるからですね。そりゃ酒の中で自分なりに順位はありますけれど、でも基本的にアルコール飲料であれば何でも飲みます。それは、三増酒であっても発泡酒であっても、何でもいいんです。純米吟醸と三増酒と並べてどっちも同じ値段だけどどっち呑む、と言われたら純米吟醸を選びますが、三増酒しか無ければそれだっていい。僕が戦後まもなくの時期に成人であったとしたら、間違いなくカストリ焼酎や、メチルアルコール、さらにはバクダンなどにも手を出し、失明の憂き目に遭っている可能性が高い。
    なので「僕は酒が好きでねぇ。ただし、上質のワインか大吟醸しか飲まないけどね。焼酎は森伊蔵しか認めない」などと言う人がいれば、「お前それは酒好きじゃないだろう」と僕なんかは思ってしまいます。酒が好きなんじゃなくて森伊蔵が好きなんだろう。好きに「ただし」も何もあるもんかい。
    さらに僕は蕎麦が好きですが、もちろん出雲蕎麦と新潟のへぎそばを筆頭として、好きな蕎麦に順列はあります。しかし、駅蕎麦も好きですし、ノビノビの腰の無いコンビニのそばだって買って食べます。蕎麦と名が付けば全て好き。業務スーパーのひと玉19円の蕎麦を先日つい3玉買って、市販のめんつゆをかけてチューブからわさびを捻くり出して食べました。愉悦。多分人から見れば「あいつは味が分からんやつ」「ホンモノの蕎麦好きじゃないよ」と言われるでしょうが、僕は全ての蕎麦を愛しているのです。支配されていると言ってもいい。
    僕はさらに練り製品が好きで、蒲鉾、チクワ、はんぺん、さつま揚げ全てを偏愛しています。安物であろうと全てに愛を注ぎます。カップ麺に入っているペラペラの蒲鉾もどきでさえ、女房の食べているのから奪い取ります(全く文句は言われません 笑)。「僕は蒲鉾が大好きなんだ。ただし、小田原の鈴廣のやつ以外は食べられたものじゃないんで食べないけど」そういう人は蒲鉾が大好きじゃないのでは。蒲鉾好きなら全ての蒲鉾に身を捧げて欲しいと僕などは思うんです。

    話が相当それてしまいましたけど。自分でも勢いで暴論を吐いている自覚はあります。ごめんなさい(汗)。
    でも、僕はそういう理由で「甘党」と言われることに少なからず抵抗があるんですね。本当の甘党に申し訳なくて。
    なので僕は「ワシは甘党とちゃうで」といつも主張するのですが、「隠そうとしたってダメですよ」と言われたりして。そうじゃないんだ。甘党という言葉はなぁ…と言いかけて、また言葉のウンチクをひけらかそうとする嫌味オヤジになりそうになって言葉をのむのです。いやはや。
    ところで別の話なんですが、「辛党」という言葉を「辛いもの好き」と認識している人が多い、という話を聞きました。うーむ。最近はmy唐辛子を持ち歩き、タバスコを一瓶パスタにかけて平気な若者が増えています。そういう人を指して「辛党」と言う例が増えているのだとか。これはねぇ…。確かに言葉として「間違っている」と主張しても説得力に欠けるような。辛いもの偏愛者なのですから「辛党」だと言われれば…。昔はそんなトウガラシ@LOVEみたいな人はあまり居なかったですからねぇ(落語に登場したりしていた記憶もありますが)。
    ところで「左党」を変換したら「砂糖」が出てきました(汗)。音だけ聞けば甘党か辛党か分からんですなぁ…。

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    | 2009/03/14 | 飲食 | 21:18 | comments(6) | trackbacks(0) |

    恵方巻とか節分蕎麦とか

  • 2009.02.04 Wednesday
  • 節分は恵方巻の話を毎年書くことにしていたのですが()、ネットでものを書き出した頃は、この話を書いたとき「恵方巻って何?」という質問がきたことを思えば、情報のスピードと浸透度というものの素早さを今さらながらに思います。もはや全国的に知らない人の方が少数派。全国ネットのTVで「恵方巻って確かここ3年くらいのもんですよねー。関西では昔からだったらしいですけど」という話を聞き、なるほどなーと思った次第です。

    さて、昨日の話ですけれども、節分。
    節分に食べるのは恵方巻だけではもちろんありません。まず豆ですね。邪気払いに霊力のある穀物を撒いて福を呼び込むということですが、こういうのは子供とかが居てこそ楽しい。縁起モノに楽しさなど関係ないのですが、中年夫婦二人の家庭では億劫です。なので近年はやったことがないのですが、「年の数だけ豆を食べる」ということは一応毎年続けていました。けれども、

    「煎り豆なんぞ今年は食えないよぉ」

    歯が悪くなってしまったのでああいうカリッと噛まなければならないものは何とか避けたいのです。情けないことではありますが。
    今年はカミさんが、保存してあった冷凍の枝豆(茹でて房から外してあります)をさっと湯通しして、大根おろしやラー油などで和えて白髪ねぎを添えた一品を出してくれました。これなら軟らかいのでOKです。邪気払いになるのかどうかははなはだ疑問ではありますが、枝豆も若い大豆だと思えばまあいいじゃないか、と自らを納得させます。
    「何個使ったか数えてないわよー」とカミさんが言いますが、もうこの歳になれば厳密なことは考えんでもいいでしょ(汗)。スプーンですくってワシワシと食べてしまいましたがな。実に適当です。

    そして鰯。本来は鰯の頭を柊の枝に刺して玄関先に出して邪気払い、が鰯を食べる理由ですが、マンションの前にイワシの頭など出しておけるわけがありません。ただ丸ごとの塩焼きを食べるだけです。しかし今年はこの塩焼きが美味かった。脂のノリが抜群。ちょっと上等の鰯を買ったのか?と聞くと別にそんな吟味はしていないとの由。
    そういえば、鰯なんて最近食べなくなったと。一時期、鰯が不漁で値段が跳ね上がったことがありましたっけ。今でもそうなのかな。庶民的な魚の代表である鰯も高級魚の仲間入りか、と騒がれたのは記憶にあります。
    僕は背の青い魚って大好きなんですね。鰯、鯵、鯖、秋刀魚。サンマは今でも大衆魚だと思いますけれども、鯵なんかは高くなったらしいですね。そうやって思い返せば、この前に焼いた鰯を食べたのはちょうど一年前の節分であったことに気が付きます。そうか。久々に食べるから鰯が美味く感ぜられたのかもしれないな。とりあえず美味ければ良し。

    んで、恵方巻を食べるわけですが、僕はどうにもこうにも腹の具合がまだ物足りないのですね。この日僕は昼間バタバタしていまして、昼食をロクにとっていなかったのです。もう夕方から腹減ってハラへって。もう少し何か欲しいぞ。そうだ、先日貰った出雲の乾蕎麦があっただろ。あれちょっと茹でてよ。

    「それはいいけど、何で蕎麦なのよ」
    「節分蕎麦って知らない?」

    恵方巻はもう知らない人が居ないほど膾炙していますが、節分蕎麦はまだ案外知られていません。と言って、僕も最近知ったのですけれどもね(汗)。
    節分とは、つまり「季節の分かれ目」であって、本来立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日のことを言います。本当は一年に四回節分があるのですね。2月3日は立春の前日の節分。大寒の終わりの日、ということになります。旧暦では、立春が新しい年の始まりという解釈もあり(日本では一年は春から始まりますねぇ)、一年の最後に蕎麦を食べ無病息災を願う、つまり「年越し蕎麦」と同じ解釈であるわけです。そもそも年越し蕎麦とはこの「節分蕎麦」のことを指し、通常12月31日に食べるのは「晦日蕎麦」「つごもり蕎麦」としていて、節分の年越し蕎麦の方が歴史的に古い、という説もある由。

    「もしかしたらな、もうしばらくしたら恵方巻やなくて、節分蕎麦が全国的にブームになるかもしれへん。食品業界の仕掛けはやっぱり新しいもんを望むしな。ここで蕎麦食べたらブームの先駆けやで」

    と、僕が聞きかじりの怪しいウンチク話をしますと(別にウソついてるわけじゃないもんね)、カミさんはすっかりその気になって「三分ほどで茹で上がるから」と面倒臭がらずに台所に立ってくれました。有難い。
    茹でてすぐにバシッと冷水で締めた蕎麦。美味そうですね。これは出雲蕎麦ですから本来は割子に盛らないといけないのですが、そんなものはあいにく持ち合わせていないので深めの皿に。さらに刻み葱。そして出雲蕎麦には辛味大根が欠かせないのですがさすがにそれは無く、鰯や枝豆に添えた残りの大根おろしに一味唐辛子を混ぜて即席のもみじおろしとして蕎麦にのせ、上からめんつゆをかけます。ではいただきます。

    ああ、うまひ〜

    干し蕎麦にしてはこれは上質だなぁ。香りが立っています。僕は新潟のへぎ蕎麦と並んでこの出雲の蕎麦が大好きなのですが、さすが実力を発揮していますな。また蕎麦は酒に絶妙に合う。蕎麦をズッとすすって、酒。またくいっと酒を呑み、蕎麦。たまりまへん。節分蕎麦バンザイです。

    そしていつもより多く酒を呑み、いよいよ恵方巻です。
    今年は正統ではないかもしれませんが、海鮮で。手巻き寿司セットのようなものを買ってきてあります。海苔のパリっとした食感と香りが欲しい僕らは今年も巻きたてを。食卓にスノコを広げ海苔を置き酢飯を広げて、そこにマグロ、サーモン、穴子、イカ、イクラをどっちゃりと乗せ、大葉を加え、グッと丸めて締めます。ヘタらないように力を入れて。
    今年の恵方は東北東。では食べましょう。

    おお、これはうま…(おっと、恵方巻を食べるときにはしゃべると福が逃げますので、心の中で「うまひ〜」と叫びましょう)。

    というわけで、今年も節分が美味しく終わりました(なんじゃそりゃ)。
    しかし、いくら空腹であったとは言え、豆、蕎麦そして米と、これだけ炭水化物をたっぷり摂取してはいけません。穀物には霊力があると言っても限度というものがあります。同時に酒もたっぷりと呑んだ僕は、もう食事のあと眠くて眠くてたまらなくなり、PCも広げずグーグーグー。なので、一日遅れの節分の記事となったわけであります。
    反省。歳を考えろよ…。
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    | 2009/02/04 | 飲食 | 22:46 | comments(4) | trackbacks(0) |

    卵焼き論争

  • 2009.01.31 Saturday
  • 「甘い卵焼きなどお菓子だ!」

    僕の先輩でそう言い切った人が居て、その時の居酒屋でちょっとした「卵焼き論争」が巻き起こったのです。仕事の話なんぞしているよりずっと健全ですな。
    ところで、こういう話は僕は大好きなのですが、今回は傍観者です…。

    しかしまあ、卵焼きについての話は、うなぎ蒲焼を蒸す蒸さない、また肉じゃがは牛肉か豚肉か、などと同様、もう言い尽くされた話題ではあるわけです。「NIKKEI NET」を見ましてもはっきりと色分けされています。砂糖を入れない卵焼きというのは、近畿地方を中心とした西日本に限定されていて、しかも主流ではない。日本では全般的に見て「卵焼きは甘いもの」と捉えてもさほど問題ないのでは、ということです。でもそこは三つ子の魂百まで、甘い卵焼きなんか認めない、という頑固な関西人はいっぱいいるわけです。だもんで、皆熱くなるんですねぇ。

    ところで、何で傍観者かと申しますと、僕は関西人でしかも京都生まれ。引用の「NIKKEI NET」ですと、京都の卵焼きは甘くない味付けの割合が日本一高い場所です。何と95.8%。昔と違って転勤など様々に人の入れ替わりが激しいご時世に、この数字は驚異的であるとも言えます。当然「甘い卵焼き断罪」の仲間に入ってしかるべきなのですが、僕の母親が作る卵焼きは「ほんのり甘かった」のです。おかんは生粋の京都人であり、親父は東京生まれであるというものの、卵焼きの作り方に妥協した形跡はないのです。これは、以前おかんに確かめたことがあります。「おばあちゃんが作っていたのと同じように作ってる」これが答えでした。
    なので、「砂糖を入れない関西人」軍団と「卵焼きは甘いもの日本各地」軍団のどちらに与することも出来ず、ぼんやりと話を笑いながら聞いておりました。

    しかし、卵料理などは本当に味覚の根源的なものですね。しかも幼児期に刷り込まれた舌の記憶からはまず逃れられない。聞いていると、様々な作り方があるようです。おっさんばかりの席でしたからどこまで正しいのかは注釈つきになりますが、「うちは砂糖と醤油だ。みりんも入れたかも」「醤油入れたら真っ黒になるだろ。塩が正しい。みりんも焦げやすい」「うちは塩とコショウだ」等々。醤油も淡口醤油が関西にはあるわけで別に真っ黒になどなりませんし、塩と胡椒で味をつけたものなど、オムレツとどう違いがあるのか全くのところ分からないわけで、胡椒を使用した時点でもうそれは和食ではないだろう、と僕などは思うのですが、いらんツッコミをして「じゃあんたのところは?」と言われても困るので黙っておりました。
    ただ、「出汁はカツオを使うのかそれとも…」と僕が言いますと、「ダシを入れたら出汁巻卵で、それはまた別」との意見がありました。なるほどそうか。
    僕は卵焼き=出汁巻き、であると思っていたのですが、世間では卵焼き≠出汁巻き、であるらしい。うーむ。

    僕が子供の頃、母親が作ってくれていた卵焼きのレシピは、以下です。
    まずダシをとる。これは、カツオ節と煮干です。昆布は使用していなかったようです。卵焼きは朝食で、あるいは弁当に入れる機会が多い。なので、基本的には朝に作ります。したがってこのダシは朝餉の味噌汁と兼用、ということになります。
    卵一個にダシは大さじ一杯半か二杯くらいのものだったでしょうか。そして淡口醤油、少量の砂糖で味をつけます。砂糖は卵一個に一つまみ程度、茶さじの先にちょっと、だとおかんは言っていました。さらに少量の酒、そして水溶き片栗粉を加え(片栗粉は酒で溶いていたそうな)、あとは卵焼き器で焼きます。焼き方も、手前に卵汁を流しいれる、また向こう側に流しいれて手前から巻いていく、などの流儀は地方により様々なようですが、そんなのは味に関係ありません。
    母親は、365日、とは言わずしてもうちで朝食を摂るときは必ず卵焼きは欠かしませんでした。だから、自宅で卵かけごはんであるとか、目玉焼き、オムレツなどを食べた経験が僕にはあまりありません。卵焼きが完全に朝食の定番だったと言えます。焼きたての卵焼きのふんわりとした香りは実に食欲をそそるものでして、僕も完全に刷り込まれて育ちました。

    所帯を持って後、カミさんが台所を宰領するようになって、卵焼きを作って出してきたときは、僕もどうしても抵抗がありました。カミさんは東北生まれであり、僕にとっては非常に甘辛く、歯ごたえのある卵焼きを作ったからです。
    僕は食べ物の地方色には普段から寛容で、東京はうどんの汁が黒いだの北海道の甘い赤飯は許せないだの九州の醤油は甘いだの、そういうことには全く引っかかりません。土地柄っつーもんがあるでしょう。
    これは外食だけではなく家の食卓でもそう。カミさんの作る東北の郷土料理も喜んで食べていますし、もっと根源的なことで言えば、味噌汁を京都では赤味噌と白味噌を合わせて作りますが、カミさんは義母さんお手製の濃く塩辛い、ちょっと渋めの味噌だけで作ります。しかし、僕はそういうのもアリだと思って受け入れました。これも慣れれば美味いものです。
    ですが、卵焼きだけは妥協できなかった(実際はもうひとつ茶碗蒸しも妥協出来なかったのですがそれはさておき)。なので、

    「僕が卵焼きを作るさかいに。これ食べてみて、美味いと思たら以後これでやってくれへんか」

    と、自ら作ってみました。まず卵からカラザをしっかりと取り、徹底的に攪拌。

    「そんな混ぜたら卵のコシが無くなってうまくまとまらないじゃないの」
    「だから片栗粉をいれるんやんかいな。ワシは白身と黄身がダンダラのまま焼き上がっているのが許せんのや。ここはしっかり混ぜる。ホンマは漉したいくらいや」

    そうやって、焼きたてをカミさんに食べさせてみました。

    「おいしい…。ワンランク上ね、これは」
    「よくぞ認めてくれた(涙)」
    「でもダシとかとるのは面倒よ」
    「そこは、粉末ダシの素か濃縮かつおだしでええ。そやから、ダシ入れて、卵は完全に混ぜて、砂糖は控えめにして。水分多めの方がふんわりしとるやろ? あとは任せるさかい。醤油は濃口でも淡口でもどっちでもかまへん。淡口の方がキレイに仕上がるけどな」

    以来、カミさんは好みの卵焼きを出してくれます。有難いことです。
    ですが、卵焼きを外で食べる際には、あまりうるさいことは申しません。毎日食べるものじゃなし。だいたい卵焼きを外で食べることなどそう頻繁にあるわけではありません。
    僕の好みはほんのり甘い、ですが、かなり甘いものも出てきます。一度東京の蕎麦屋「室町砂場」で名物の卵焼きを注文したことがありましたが、蕎麦汁のかえしを使って焼かれるこの卵焼きは、甘さが勝つものの美味い。こういうのは確かに染め下ろしが合います。
    こんな上等の一品はともかく、市販の弁当などに入っている卵焼きは確かにちょっと違う。でも、文句つけるほどのことではありません。面と向かって「こんなのはお菓子だ」などというのは暴論というもので、大人であれば黙っていればいいかと。それを美味いと思っている人に対して不快感を煽るだけです。僕だって、「京都で料理食べたら汁がお湯みたいだったよ。醤油入れたらちょうど良かった」などと言われたら「このアホンダラ」と言ってしまいそうです。それと同じ。
    ただ、卵焼き論争などは酒の席には面白い話題であることは確かです。相手を非難さえしなければいいですな。見聞が広がる、と思えば嬉しい話題ではあります。同様に、「目玉焼きには何をかける」も面白い。各々で絶対に異なりますから。
    それもこれも、この狭い日本で食文化に地方色が息づいていればこそ。何でも画一化のご時世で、せめて食い物くらいはあちこちで違っていて欲しいもんです。

    ところで、毎日卵焼きを作り続けていた僕の母親なんですが、正月だけは近所の仕出屋から卵焼きを買っていました。おせちは全て自分で作っていたおかんでしたが、卵焼きだけはハレの日のために毎年張りこんだのです。これは本当に美味かった。家族中で取り合いになります。
    その仕出屋の大将に聞いてみますと、

    「これはグジ(アマダイ)を焦げんように焼いて、それで出汁とってますんや」

    とのこと。そりゃレベルが違うはずですよ。料理屋の仕事です。素人には真似出来ない出汁巻き卵でありました。もう一回食べたいな。でも、実家も京都から引越し、その仕出屋さんも店を閉めて幻になってしまいました。京都の錦市場で出汁巻き卵専門店が何軒かありますけれども、食べるとやっぱりちょっと違う。どこかで美味いのを持ち帰れるところは無いかな。
    ところで、以前のこと。実家で卵焼きを食べる機会がありました。久し振りのおかんの卵焼きでしたが、僕たちが昔食べていた卵焼きと明らかに違います。もちろん不味いわけではない。それどころか完全にレベルアップしています。なんやねんこれは。

    「あのな、ウチは糖尿の気が出て砂糖使こたらあかんてお医者さんに言われてんのんや。ほんでお父さんは血圧で塩分があかんやろ。そやさかいに、ダシを奢ることにしてんのんや。砂糖も入れんとおしょゆも少しだけ。そのかわり、ええカツオ節たくさん使うねん。時々鯛のアラとかも使うえ」

    鯛のアラですか。ここは料亭かいな(汗)。贅沢になったもんやな。まあ、今は体調管理も大切ですから、糖分や塩分は確かに控えて欲しい。その足りない味の分を「旨み」で補うとは、やはり京女だなと思った次第です。しかしこれは真似出来ないな。日常の食べ物である卵焼きに鯛の骨の出汁なんぞ使う勇気は出ないよ(汗)。
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    | 2009/01/31 | 飲食 | 00:21 | comments(4) | trackbacks(0) |

    すき焼き@LOVEのココロ

  • 2008.05.13 Tuesday
  • 「今日は牛肉がメチャ安だったからすき焼きだよー」

    帰宅したら妻がそう言いました。むふふふ。これはご馳走です。
    しかしながら、なんだかちょっと罪悪感みたいなヘンな気持ちにもなるのですね。この感情、分かってもらえないかもしれないのですけれども、こういう「普通の日」にすき焼きを食べてもいいのか、という戸惑いです。人間がどうもセコく出来ているようで。すき焼きって特別のもの、という意識がどうしても抜けないのです。
    子供の頃からすき焼きと言えば僕にとっては典型的な「ハレの日の食事」でした。何か祝い事でもないと食べられないもの。例えば誕生日であるとか合格祝いであるとか卒業祝いであるとか。ちょっと「格上」のメニューとして刷り込まれているのです。
    まあそれは分かる部分もあるのです。僕の生まれた家庭というのはごく普通の(普通の基準にもよりますけれど)生活が営める程度のうちなのですが、僕を含む子供たち三人兄妹は、そりゃもう異常によく食べる。育ち盛りの家庭というのはそういうものなのかもしれませんが、肉は1kgでは足りません。なので、そうそうそんな贅沢は許されなかった。何か理由がないと「すき焼き」などというものは登場しません。
    また、そういう環境であることから、すき焼きというのは究極の贅沢メニューであるという感覚が育てられたのでしょうね。でも、これって僕だけの感覚ではないと思っているのですが。
    TVドラマなどを当時観ていましても、当時はやはりハレの日の食卓として扱われていましたし。田中角栄は毎日のようにすき焼きを食べていたとの伝説もあり、一国の首相ではあるけれどもそれは贅沢すぎるなんて批判さえあったように記憶しています。

    でも、すき焼きの人気度と言いますか、食卓における格のようなものは徐々に低下したようにも思います。今の子供たちに一番食べたいものは何かと聞くと、あまり「すき焼き」と言う返答は返ってきません。むしろ焼肉やステーキがそれを凌駕しているような。
    僕らの子供の頃は、肉を食べると言えばイコールすき焼きでした。まだ焼肉屋も今ほど一般的ではなく、ファミレスも無かった。肉を食べる機会と言えば、ハンバーグなどは別としてやはりすき焼きだったように思います。バーベキューなんてアメリカ人が映画の中で食べるもんだ。ところが今のガキどもは「すき焼きよりしゃぶしゃぶの方がいい」なんてことを平気で言う。アホか。ワシなんぞしゃぶしゃぶを初めて食べたのは社会人になってからじゃ(これは大声で言うことじゃないですね^^;)。
    そして、牛肉の価値の凋落もあるかも。輸入牛肉の一般化で安く購入することも出来、食べ放題の焼肉屋も多い。さほど牛肉に価値を見出せなくなり、BSE問題もあり、子供たちは「寿司の方が好き。トロが大好き」などと言う。ふざけんな。寿司ってそんなにガキが食べていいもんじゃないんだ(この回転寿司隆盛の折に時代錯誤も甚だしいですな^^;)。

    そんなこんなで、すき焼きにはいろいろと思い入れもあるのです。何かの祝い事や記念日に登場したので、思い出が様々重なります。
    昔の話。僕の家族は、兄と僕が就職して四散してしまいます。僕も地方都市に赴任したりでなかなか家には帰れない。そのうちに父が還暦を迎えることになり、何とかみんな集まってお祝いをしたいと思い、僕と妹は相談して(こういうときボンの長男はアテにならん 笑)みんなで会食をしました。場所は京都三条の「三嶋亭」。すき焼きの老舗です。僕も忙しい身ながら住んでいた金沢から夕刻京都に戻りました。そのときは確か一人一万円くらいだったのかな。
    さすがに品格のある座敷に通され、伝統のすき焼きを堪能しました。ジュゥと焼けるその香りからして違う。鼻をくすぐる、というのはこういうときに使う形容なんですね。肉は絶妙に柔らかくて旨みがすごい。豊潤とはこれか。飲み込みたくないのに溶けてしまう。たまらん。美味かったですね。両親が喜んでくれて良かった。
    残念ながら僕はその日泊まることが叶わずとんぼ帰りだったのですが、思えばあれが家族五人での最後の食事となりました。以後は、それぞれ配偶者を持ち大所帯となっていったのですから。

    そんなこんなで今日はすき焼きなのです。
    ところで、すき焼きというものは僕はここまでつらつら書いてきたように「牛肉」が当たり前です。少なくとも僕はそう思ってきました。
    そもそも僕の小さい頃は「肉=牛肉」でした。これは肉は牛肉しか食べない贅沢な家庭だったという話ではありません。母親はおつかいを僕に命じるとき、こんなふうに言います。「肉100gと豚ミンチ100g買うてきて」と。肉というのは牛肉の代名称なのです。「牛・豚・鶏」は「肉・豚・カシワ」と言います。この言い方がおかしいことは承知していますが、一種の方言として捉えていただきたい。ただ肉と言えば牛肉。だから、肉まんのことは関西では豚まん。つまり、豚ひき肉で作ったものを「肉まん」と表示したら「これ肉入ってへんやんけ、豚やんけ」と言う古老が必ず現れる。豚も肉には違いないのですが、肉という名称は牛肉の専売特許みたいになっていたのです(むろん若い人はそんなこと言わない)。
    話がそれました。すき焼きの話。
    僕の妻は東北(つまり東日本)の生まれなのですが、僕ほどすき焼きに神聖なる思いは持っていない。それは、すき焼きというものは必ずしも牛肉を使うものではなかったかららしいのです。
    「うちじゃ豚ですき焼きもやったよ。牛って贅沢じゃない」
    それはすき焼きじゃないんだっ! このことでずいぶん口論をしました(笑)。確かに鶏肉ですき焼きをやっても美味い。ただそれは「とりすき」という食べ物です。「鴨すき」もある。関西では「魚すき」までありますが、この話をしだすとまた長くなるのでさておき。ただ単純に「すき焼き」といえばそれは牛肉なんです。
    我が家では、このことでは僕が勝ち、すき焼き=牛肉と無理やり定着させました。ですが、それ以外にもいろいろ地方の流儀がすき焼きにはあります。
    最も顕著なのは、東日本では割り下を使うことでしょう。みそを使う場所もあると聞きますがそれはさておき。あらかじめ調味した汁を用意し、それで煮ていきます。
    関西では、まず牛脂で肉を焼きます。そして直接砂糖を絡め、醤油で味付け。順に野菜等を入れ、水分は野菜に頼りあまり加えません。
    「お前のやってるのはすき煮だ。すき焼きじゃない!」
    「何言ってるのよ。焼けるのは最初だけであとはどうせ煮るのと同じじゃない!」
    こういう反論は必ずあるのですが、僕の実家では完全に「すき焼き」でした。何故なら、肉は最初に全部焼いてしまっていたからです。鍋に牛脂を引き、肉を砂糖と醤油で焼きます。香ばしい匂いがたまりません。そしてその肉は、一部を除いて別器に取りおいておくのです。そうして、野菜等を加えグツグツとなったら、適宜その焼いた肉を少しづつ加える。こうして二段階でやっていました。我が家だけの流儀であったと思いますが。僕などは、その別器にとった肉だけをこっそりつまんで食べて(これがまた美味いっ)よく怒られていました。
    「焼くことによって肉は香ばしくなる。最初に肉の表面を焼き固めるから旨みが逃げないのだ」
    「ステーキじゃあるまいしそんな薄切りの肉に焼き固めるも何もないわよ。それならその薄切りをレアに焼いてみなさいよ」
    まあこういう口論も最初はずいぶんしましたが、結局どの流儀でやっても美味いのです(笑)。なのでうちでは休日にすき焼きをやる場合は関西流、平日だと割り下で、と棲み分けています。主導権をどちらが握るかという違い。
    今回は平日なので妻主導。でも最初だけは肉を焼きます。んで、割り下を加えて味付けし、あとは適宜鍋料理の要領でやっていきます。
    肉以外に何を加えるか、という問題も当然起りますが、これも最初は話し合いでした。白菜? うーんワシはそんなん入れへんかったけどな。一度湯をくぐらせて絞ったもんなら良しとしよか。春菊か。これはギリギリOKや。何、もやしやと? あかんあかん。あ、何で麩を入れへんのや。あれは旨みをよう吸うて美味いんやがな。
    シラタキと糸コンニャク問題など様々にクリアしなければならない問題は多数あったのですが(笑)、最近ではさすがに定着しています。今回は、葱、焼き豆腐、ささがき牛蒡(これは妻提案ですが以外に美味い)、菊菜、椎茸、えのき茸、シラタキ、焼麩です。
    肉の焼けるかぐわしい香り。それが部屋中に広がり、旨みが他の具にしみわたっていきます。ああご馳走ですなぁ。ジュウ→グツグツと音が変わるころにまずはビールをぐいっと。くふぁーたまらん。卵を割りスタンバイOK。ではいただきます。

    む、むふぅぅこりゃたまらんぞな…。うまひ〜。

    やっぱりすき焼きはご馳走です。焼肉・しゃぶしゃぶナンボのもんじゃい!
    ビールから酒へと移行し、さらに饗宴は続くのであります。牛脂に砂糖たっぷりと全くメタボまっしぐらの食卓ですが、今日はそんなの知ったことか。
    そうして美味い美味いとあらかた食べつくしたのですが、まだ鍋には煮詰まった肉その他が残っています。ここからが実は最大の楽しみだったりして。その煮詰まったすき焼きをすくい、白いほかほかご飯にのっけて…。この旨みが凝縮した世界はどんなに満腹でも譲れない。ああ美味い〜。
    ついワシワシとメシをかっこんでしまいます。メタボなんぞ知ったことかPart2。

    別にハレの日でもなんでもなかったのですけれどもね。金額的にも焼肉食べにいくより相当廉価ではあるのですが、どうしても贅沢した感がぬぐえません。まあぬぐわなくてもいいか。やっぱりすき焼きは特別なんだ。
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    | 2008/05/13 | 飲食 | 23:52 | comments(10) | trackbacks(0) |


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