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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    キラキラネーム 3

  • 2012.02.19 Sunday
  • 前回の続きです。
    どうもこういう話を書くと「今どきの親はけしからん」みたいな話になりがちですが、僕はこういう現象をただ興味深いと思い、自分の考えたことを書き留めているだけです。好き嫌いで言えば好きではありませんけど、非難する気持ちまではありません。ひとさまのお子さんの名前にケチをつけるなんてことは、人としてすべきではないと思っています。
    前回、ティアラちゃんについては少し筆が滑ったかもしれません。反省しています。

    ただ、読めない、というのは、本当に困ったことだとは思うのですね。
    書面にしか現れなかった諱(イミナ)などの時代と違って今は、名前は大いに人に呼ばれます。そういう機会が多い。なのに、読み方がわからなければ人はあなたのことを呼ぶことができない。困るのです。
    アルファベット圏にせよ、アラビア語圏にせよハングルにせよ、識字能力のある人であれば、書かれた名前を読めない、ということはありえないのではないかと思います。中国だって、漢字さえしっかりと習得していれば、読めるはずです。もしかしたら、母国語で書かれた文字列(名前)を、高等教育を受けた人が読めない、などという現象が起こりえるのは、日本語だけであるのかもしれません。これは、えらいことではないのでしょうか。
    しかしこれは、今の親の責任だけではないと思います。

    僕の同級生に「直」という名の男がいました。これは「なおし」と読みます。しかし、これが読まれない。来る先生来る先生が間違える。「ただし、でいいの?」「すなお君か?」「なおき?」もう気の毒でした。あだ名は当然「チョク」です。
    他にも「裕美」ちゃんがいましたがこれも「ゆみ」か「ひろみ」かわからない。こういう名前は、自分が親になったらつけないでおこう。その時は思いました。
    こういうのは、日本語における漢字が悪いのです。と言いますか、その漢字を読んできた昔の日本人たちが、悪い。
    そもそも漢字というものは、中国においては1字1音です。しかし日本においては、音と訓ができてしまいました。さらに音読みでも幾通りもある場合が。「直」であれば「チョク」。また呉音で「ジキ」です。正直のジキですね。これは、音が伝わった時期によって読みが異なってしまったのです。詳細はこちらを。
    訓ですと、なおす。なおる。ただちに。すぐ。漢字に和語を当てはめ、そのように日本では読み慣わしてきました。
    じゃ、なおしとかすなおとかただしって、なに? これは「名乗り読み」と呼ばれる読み方です。人名だけにつかわれる読みです。
    普通は、訓読みに近い読みとなっています。直はなおす、という意味だから、なおし、とか。
    しかし、よくわからないものも。裕美の「裕」は音で「ユ・ユウ」。訓だと「ゆたか」ですね。この一字で「ゆたか」と読む男性名はよくあります。しかし「ひろ」とは何でしょうか。これが「名乗り読み」です。ゆたかでゆとりがあって、ひろい心がうまれるから「ひろ」でも良かろう。そんな感じでしょうか。連想ゲームか。昭和天皇が「裕仁(ヒロヒト)」であったことから、昭和では爆発的に使用されるようになったらしく。
    しかし「裕」は「ゆたか」そして「ひろ」だけではなく。漢和辞典には音訓以外に、人名読みも出ています。それを列挙すると「すけ・ひろ・ひろし・まさ・みち・やす」と。おーいなんだよこれは! これが「名乗り読み」というやつか。すけって何? そもそも「右」という字には助けるという意味があって、「右」「佑」「祐」は「すけ」と読むけど、祐と裕が似てるから間違えたんじゃないの?(暴論)
    しかしそういう暴論を言いたくなるほど「名乗り読み」というのは多いのです。さっきの「直」だと「あたい・すなお・ただ・ただし・ただす・ちか・なおき・なおし・なが・ね・のぶる・ま・まさ」と並んでいます。なんだこれは(汗)。

    こういうのは、昔の人が悪いんです。この「名乗り読み」とは、そう読んでもいい、ということではなく、昔の人はこう読んだ、という蓄積であるのですから。あくまで、前例。
    楠木正成は「まさしげ」です。しかし成をなぜ「しげ」と読むのか。正成という名前だったら、普通は「まさ(ただ)なり」だと思いませんか? 源頼朝は「よりとも」。なんで朝が「とも」? 鎮西八郎為朝も三代将軍実朝も「とも」。ところで実はなんで「さね」? 実の中には種があるから?
    キリがないのでやめますが、名乗り読みなんて本当に意味がわかりません。現在の法律が「漢字は制限するけど読みは自由だよ」なんて言っているのは、この時代からの日本の伝統なんです。
    大名の名前なんて、本当に読めませんよ。幕末の教科書記載レベルの有名どころでも伊達宗城(ムネナリ)、山内豊信(トヨシゲ)、松平容保(カタモリ)、板倉勝静(カツキヨ)、堀田正睦(マサヨシ)なんてね。こんなの知ってるから読めるんです。徳川家茂(イエモチ)にせよ一橋慶喜(ヨシノブ)にせよ。普通は喜を「のぶ」とは読めないよ。こんなのみんなDQNネームではないのですか。
    こういう人たちがいたづらに「名乗り読み」を増やしたのではないかと推測。
    「信」は音で「シン」、訓はありません。どう読もうと自由とはいえ、昔から名前では「のぶ」と読んできたじゃないですか。なんで「のぶ」と読むんだと言われればそれは困りますが、織田信長だって松平定信だって乙羽信子だって、みんなノブちゃんじゃないですか。それを「しげ」とか増やすなよ(汗)。「保」は1字で「たもつ」くっついて「やす」。それでいいじゃん。なんで「もり」と?(汗)。
    別にかつての支配者階級たちを擁護するつもりはありませんが、実際にはこの時代、こういう読みはほとんどおもてに出ることはなかったと推測されます。「諱」ですから。伊達宗城は「殿さま」であり、伊予守、大膳大夫。仮に親であっても通称で(亀三郎など)呼ぶでしょう。宗城(ムネナリ)様と呼ばれることはまずありませんでした。なので、誰も「城をナリなんて読めないよ」と困る人がおらず、比較的寛容であったという見方もできます。今と違って。
    しかし、こうした昔の人物名の読みは、辞書には載ってしまいます。歴史書を読み解くために。
    そうして、ひとつの漢字に数多くの「名乗り読み」というものが蓄積され、辞書にたまってしまうのです。いくら室町時代の公家や江戸時代の大名はヒドいよと言っても、もうしょうがない。時は遡れない。これらは前例となって、ズラズラと列記されてしまっています。
    しかしながら、以前であればそういうのが名付けに利用されることはあまりありませんでした。あまり珍しいものは特殊なもの、とわかっていましたから。また漢字と音は連動していましたので、「かずお」と名付けたければ「和夫」か「一雄」か、あとは数種の入れ替えしかない。「よしこ」なら「良・芳・好・美・佳・淑・善・義・喜・嘉」とバリエーションは豊富ですが、これらの字はせいぜい「良子(リョウコ)」「佳子(カコ・ケイコ)」と重箱読みするくらいでほとんど読みでは間違えない。「淑子(トシコ)」はあったかもしれませんが「好子(コノコ)」はないでしょう。今ふうの「遥詩香」なんてありえません。ある程度の大枠がありました。
    今は、まず響きの良い名前の読みを選び、そこに漢字を当てはめる時代。まず漢字は音訓から探すとは思いますけれども、そこに満足がいかなかった場合、人名読み一覧まで見て「あ、こんな読みもあるんだ♪」と採用してしまう。辞書に載っていることをお墨付きのようにして…。

    僕の個人的な思いとしましては(あくまで個人的として)、これから親になる若い人は、まずは、できれば最低限、新例は作ってほしくないんですよ。読むほうが大変だから(汗)。
    名前ってのは、自分で読むよりも他人に呼ばれることのほうが多いじゃないですか。せめて、前例がある読みのほうが読まれやすいと思うのですよ。
    その前例も「容保(カタモリ)がいるから保はモリでいいんだな」じゃなくて、「やす」とか「たもつ」などの、できれば読み慣わされているものを選んでほしい。でないと、ワシらが読めない。「世界にひとつだけの名前」というお気持ちはわかりますけど、読む側のことも少しは気遣ってくれたら…。

    しかし、いくら僕がそんなことを言ってもムダで。新しい名前は、どんどん生み出されています。自由だもんなあ。
    さて、日本の命名には現在、ルールというものはほぼありません。戸籍には読みかたが記載されないため、どんな読みも可能です。よく「太郎と書いてジローと読んでもいい」という話がありますが、事実です。
    ただし、使用できる字には制限があります。

    戸籍法の50条(第4章「届出」第2節「出生」)に、
    ・子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
    ・常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。
    と、あります。
    その法務省令とは、戸籍法施行規則の第60条「常用平易な文字の範囲」です。以下。
    戸籍法第50条第2項の常用平易な文字は、次に掲げるものとする。
    1. 昭和56年内閣告示第1号常用漢字表に掲げる漢字
    2. 別表第2に掲げる漢字
    3. 片仮名又は仮名(変体仮名を除く。)
    1の漢字は常用漢字2136字であり、2は人名用漢字861字です。つまり使用できる漢字は計2997字(2012/2現在 これは増減の可能性あり)となります。他は、ひらがな、カタカナということになります。
    逆に言えばこれ以外は使用できないわけです。例えば英数字はダメ。1郎やQ太郎では受理されません。変体仮名というのは、ちょっと変換できないのですが、うなぎ屋さんの看板に「うふぎ」みたいに読めちゃう字がよく書いてあるじゃないですか(わかるかな^^;)。あれです。あの字はダメってこと。

    さて、僕は「名には常用平易な文字を用いなければならない」なんて法律で決めるのはおかしい、と思っています。漢字がこれだけたくさんあるのに、それに国家が枠をはめて押し付ける権利なんてあるわけがない。実に阿呆らしい。憲法が保障する表現の自由に反しており、違憲の疑いもあると考えています。戦前は、自由でした。
    そもそも常用漢字なんてのは戦後の「当用漢字」1850字がもとになっているわけで、この当用漢字というのは国語審議会が日本から漢字を全廃することを目的にして定めたものです。だから「当用」なんです。過渡期だよ、いずれ漢字は全部無くすからね、それまで当座これだけは遣ってもいいよってこと。えげつないことが国家によって推し進められようとしていたわけですが、そんな流れは当然ながら揺り戻しがきて、現在に至っても漢字は無くなってはいません。でも、その名残として、今でも新聞記事は「ら致」「破たん」「隠ぺい」などと書きます。読みにくいったらありゃしない。そりゃ当時は活字を1850字用意すればよかった新聞社は当用漢字はありがたかったかもしれませんが、もうそんな活字拾ってる時代じゃないでしょう。このデジタル時代に、制限なんて無意味です。常用漢字なんて廃止してしまえ。
    しかし個人の心情としては、僕は「名には常用平易な文字を用いるべき」という考えを持っています。国が法律で決めるべきことじゃない、とは思いますが、人への気遣いという面では、読みやすい名前のほうがいいという考え方であるからです。
    それはともかく。
    上記戸籍法が施行された昭和23年当時は、法務省令で定めるところの常用平易な文字は当用漢字1850字しかありませんでした。そこには「之・也・吾・彦・奈・輔」などの当時の名前の基本となるような止め字、また「浩・淳・聡・昌・朋・弘」など人気の字が含まれていなかったために、昭和26年に別表で92字だけ追加しました。これが最初の人名用漢字です。しかし+92字ではやはり少なく、徐々に追加されまた訴訟もあり、最終的に現在861字まで増えたわけですが、特に2004年には3倍強になりました。要望も多く、ここで一気に増やしたようです。
    このとき要望の実態調査に関わられた笹原宏之氏の著作「日本の漢字」を読んでいましたら、興味深い記述がありました。
    このとき全国で最も「人名漢字に入れてくれ」との要望が多かったのが「桔」と「苺」であったということです。「桔」は桔梗の字ですね。この当時の親がどういう名前を付けたがっていたのかがよくわかる気がします。桔と苺はこのとき人名用漢字となりました。そして、全国に苺ちゃんや苺姫ちゃんが増えたみたいですね。
    さらに「僾」という、にんべんに愛という字の要望が多く上がったらしいということです。僕はこんな漢字知りませんでした。読みは「ほのか」と。その響きは実に若い人に人気がありそうです。
    ですが、意味は「ぼんやりしている」ということのようで。僕の漢和辞典には「むせぶ・呼吸がつかえる」ともありました。かくれる、という意味もあるらしいです。あまりいい漢字とはいえないような。
    笹原氏も指摘されていますが、音先行で「ほのか」と名づけたくて、どういう漢字を当てはめるか調べた際、「仄」では灰みたいだし「恍」では恍惚の人みたいで困る。「僾」は人に愛し愛されるみたいな感じで、これはぜひつかいたいと思ったが、人名用漢字にないので要望、という流れではなかったのだろうか、と。
    こういう話を読みますと、思わず「やはり法律で漢字は制限したほうがいいのか」との思いに揺れてしまいます。笹原氏はもっと驚くべき漢字が要望に上がった、と書かれています。
    それは「胱(コウ)」。字面は確かに「月光」に見えます。月の光とはイメージがいい、男の子ならコウキとでも付ければ、女性でも「柴崎コウ」とかいらっしゃるし…と思われた方がおられたのでしょう。しかし、よく見てください。これは「膀胱(ボウコウ)」の胱です(汗)。
    法務局に要望する前に、漢和辞典を見ないのでしょうかね。漢和辞典がもしも家に無かったとしても、この時代なんらかの調べる手段はあると思うのですが。要望には「腥(セイ)」もあったようです。月と星か。意味は「なまぐさい」。調べないのでしょうか…。

    もしかしたら、漢字の位置づけが変わってきてしまっているのかもしれません。漢字は、音も示しますが字の中に意味も内包しています。その「表意文字」の部分が、徐々に薄れてきてしまっているのでしょうか。
    イメージというものは、あるようです。その漢字の雰囲気といいますか。「感字」という言葉もあるようで。
    例えば「空」という字は人気があるようですが、どうも「抜けるように高くどこまでも広く青い空」というイメージだけが突出し、空虚な、なにもない空っぽ、あく、すくなどの良くないイメージはどこかに行ってしまったかのようです。そもそも「穴」に音を表す「工」が重なった字です。穴なんですよ。僕なら命名にはつかいたくない。しかしイメージは「からっぽ」より、そこから派生した「sky」へ。
    中国で象形文字から発展し形成された漢字は、1字が1音節を示す表音文字であると同時に、ひとつの意味を持つ表意文字でした。日本へ輸入された漢字は、そのまま中国語として用いられると同時に、日本語を表記するための表音文字として取り入れられました(万葉仮名)。しかし漢字は中国語としても徐々に日本語に入り、中国語としての字義を示すだけに留まらず、訓読みというものが発明され、表意文字として日本語の中に完全定着しました。表音文字としての漢字(万葉仮名)は、ひらがなカタカナとして発展的解消しました。
    現在は、命名は音先行。漢字は、名付けにおいては再び万葉仮名化してゆく傾向にある、とも言えます。ただ、良字を選ぶ。「琉絆空(ルキア)」も、例えば「流飢哀」などとは名付けない。大切な子供の名前ですから当然のことでしょう。しかし、そのくらいの意味しか持たなくなってしまったのでは、とも思えます。
    それでも漢字をつかうのか。それしか音をあらわす文字がなかった古代とは違って、今は表音文字としてのひらがな、カタカナがあります。それで事足りるはず。それでも、名付け親たちは敢然として漢字をつかう。どうしてでしょう。
    暴走族の「夜露死苦」と同列にしたら親御さんたちに怒られるかもしれませんが、なんだか漢字をつかうとカッコいい感じがする。重みが増すように思える。この「重み」というのは、肝要なことであるのかもしれません。もっと言えば、呪術性が加味される、とも言えるでしょうか。
    漢字を、日本語としては表音文字としてのみとり入れていた時代にも、その表意性が浮き上がってくる場合もありました。よく知られていることですが、万葉集で「恋(コヒ)」を「孤悲」と表記している事例が多くあります。詩的ですね。このようにすれば、万葉仮名はただの表音文字にとどまらず幾重にも想いが層をなすことになるのです。
    現代の親も、やはりかつて万葉仮名で古代の詩人がやったように、文字を重層化させて、思いをこめようとするのでしょう。幸多かれと。前途に良き未来あれ、と。
    そんな人々の思いがある限り、命名において漢字は廃れてはいかないのではないかと思えます。

    しかし、今の名前は難しい(汗)。その思いをこめた漢字が読めないよ。その恐るべき用法について、次回
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    | 2012/02/19 | 言葉 | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) |

    キラキラネーム 2

  • 2012.02.15 Wednesday
  • 前回の続きです。「日経新聞」 の、難読命名が増えたという記事からの話です。リンク切れの場合は前回を参照してください。

    さてその「読みにくい」ということの原因ですが、3つほど要因があるのではと思います。
    ひとつは、総論みたいなものですが、名前をより個性的にしようとする心理が働いている、という説。これは、日経の記事でも言及されています。少子化でもあり、親だって名前をつけるチャンスが少ないのです。なので、他人とは絶対に違う名前にしたい。個性を持たせたい。漢字も厳選したい。そして結果、キラキラした名前になってしまう、という話です。
    次に(各論的になりますが)、その名が今までの日本の名前に無かった音の連なりになっている、ということ。
    みしょう君、しでん君、るきあ君、せいらちゃん、しえるちゃん、のあちゃん。こういう日本人の名前の響きに、我々はまだ慣れていないと思うのです。経験がないので、そのように読むという発想が出てこない。
    さらに、漢字の使い方ですね。
    心愛でここあちゃん。こころ・あいの頭だけをとった命名。僕らからしてみれば、どうひっくり返っても読めないわけですが、名前の読みは自由だからなあ。
    最も多いのは「翔」と書いて「と」と読ませるものでしょうか。すごいな。「とぶ」の「と」なのでしょうけれども、「とぶ」と今打ち込んでも「飛ぶ・跳ぶ」としか変換しません。基本的には「かける」が翔の訓です。
    「翔ぶ」で、とぶと読むのが一般化したのは、「翔ぶが如く」からかな。「翔んだカップル」のほうかな。意味は「天翔る(あまかける)」ですからもちろん「とぶ」と訓じてもいいと思います。しかしその「と」だけを借用するというアイディアは、まさに翔んだ発想。
    これら要因が重なって、読めない名前となっているのではないかと考えます。

    まず、個性を重視した場合。
    しかし、個性的な名前にしたい、という親心は、今に始まったことではありません。そういう気持ちをみな持っているからこそ、「寿限無」という落語を聴いて大爆笑するのです。
    実際に珍しい名を子供につけた親として、織田信長がいます。信長の長男(後の信忠)は「奇妙」という名でした。次男(後の信雄)は何と「茶筅」です。それに比べれば、今の子なんてかわいいものかもしれません。
    僕が、こんな名前があるのか、と最初に驚いたのは、江崎玲於奈博士のノーベル賞受賞のニュースであったかもしれません。「れ、れおな?!」 日本人とは思えませんでした。でも、そんなの今じゃ普通なのかも。
    気の毒なのは、思い切り個性的な名前をつけたつもりで、実はそうでなかった場合ですね。
    僕のごく親しい間柄の人に、男の子が生まれたときのことです。もう十何年か前ですけど。
    「"陸"という名前にしたんや。大地にしっかりと足をつけて生きていけるように。どないや、ええ名前やろう。個性的で」
    「そやなー。他にない名前やな」
    僕はそう同意しました。本当に珍しい名前だと思ったのです。珍しすぎて、学校でいじめられるのではないかとまで危惧しました。しかし…。
    「陸」という名は、実は常に名前ランキングの上位に入っている「ありふれた名前」でした。ある年は1位になったことも。へー。少なくとも僕ら(上記命名者も同世代です)のまわりにはいない名前でしたので、個性的だなと思ったのですが…。名付けたあいつは、どう思っているでしょうか。個性的と信じていたはずなのに。多分クラスに2、3人は陸クンがいるんでしょうね。世の人の発想は、似てくるのです。
    颯太クンや陽翔クンも、個性を重視して名づけられたのかもしれません。難しいもんだな、と思いますね命名というのも。
    もう「陸」じゃ駄目なんだ。もっと「世界にひとつだけの名前」を付けなくては。only one。そういうのが高じて、難読命名に繋がってしまうというのは、わかります。親の気持ちとしてね。

    そして、音の問題が出てくるのでしょうが。
    しかしこれは、時間が解決するのかもしれません。みしょう君や、るきあ君、しえるちゃんが「よくある名前」になればね。そうなれば琉絆空くんに対して心構えが出来て「えーっと琉球のリュウやろ、あ、ルかもしれん。絆はキヅナのキだけとって、ルキ。空はなんかわからんけど、ルキまでくればルキアかもしれん。よくある名前だから」なんてね。経験をつめば、なんとかなる可能性もあります。
    しかし、ルキアなんてどこから思いつくんでしょうねー。何かの登場人物にいるのかもしれませんが、あたしゃ知りません。けれども、ルキア君って多いらしくてね。もしかしたら、僕らの世代のヒロシやタカシ並みであるかもしれません。
    こういう名前は「音先行」であるのは間違いないでしょう。日経も「音の響きやリズム、イメージを重視する傾向が急速に強まっている」と書いています。漢字はあとから当てはめるということ。で、その「音」の発想がどこからあるのか、ということですが。
    元ネタがわかりやすい名前もあります。外国の名前からとったりすればね。樹里亜や紫音、健翔。外国で通用する名前にしたい、という親心。実際は世界に通用するためにはいくら名前を外国ふうにしてもダメで本人の実力なわけですが(笑)。しごく日本的な名前でも本人次第で通用しますからね(例:イチロー)。
    しかし気持ちはわからなくもない。こういうのは、森鷗外が有名ですね。子供に於菟、茉莉、杏奴といった名前をつけました。於菟(オットー)と聞けば、僕などはオットー・ワンツを思い出しますねー(独のプロレスラーですが)。鷗外はドイツ生活が長かったわけで、そのことが反映されています。案外、当時は切実な思いだったのかもしれません。
    他に、小説や漫画、ドラマ、アニメなどの登場人物からのあやかり名とかね。こういうのは昔からあったことです。きれいな女優さんやアイドルの名を拝借する、とか。しかしながら、今のアニメとかの名前は、日本人という設定であっても昔みたいに「正太郎」とか「甲児」じゃないですからね。
    僕の知ってる範囲内で、ハルヒちゃんが3人ほど実在しています(笑)。ハルヒならまだわかるけど(西宮市民なので)、「ひたぎ」「ほむら」「いのり」「まぎか」…。こういう名前に僕ら世代は慣れていませんので、どうしても戸惑い、結果読めないわけです。まして「カミーユ」「ゲンドウ」なんて、無理。
    さらにただ「響きがいい」というだけで選んだ文字列とか。「ティアラ」という名前は実在するんですってね。驚きです。
    しかしながら。
    この「てぃ」という発音を名前に入れるということは、相当な冒険ではありますまいか。日本語の音韻ということから考えますと。

    日本語の本来の「音」というものは、どういうものであったのか。古代にテープレコーダーがあるわけではないのに、研究はなされています。学者とはすごいものだと改めて思いますが、上代(古事記の時代)には日本語の音節は88音あった、とされています。万葉仮名でそれだけ書き分けられている、ということです。古代人は現代人よりある意味複雑な発音をこなしていたことになります。「こ」にも「ひ」にも2種類の発音がありました。この話はあまり関係ないのでここまでにしますが。
    そのうち、整理統合されてきまして、近代には68音になったわけです。50音図を思い出していただければいいかと。あいうえおかきくけこ、ですね。あかさたなはまやらわがざだばぱ×5=75、そこから「じ」と「ぢ」は現在同じ発音なので外す、等の作業をしますと67音になります。「ゐ」も「ゑ」も現在は発音としては基本的に消滅しています。「を」も発音はwoですので、もう音としては存在していないことになります。字だけ残っているわけです。
    この67音が、日本語本来の音韻です(半濁音ぱぴぷぺぽについては、諸説ありますが)。それに撥音(ん)を加えて、68音です。(上代に「ん」はなかったようです)
    しかし、音節はまだあります。促音(っ。っだけでは音節にならないので、てっ・かっ・とっ等として成立する)、拗音(ゃゅょ。「きしちにひみりぎじびぴ」に付いて成立する。きゃ・しゅ・ちょ)、長音(ー)などです。
    これら音節が出来たのは、音便化もありますが、漢字の音が日本語に入ってきて生まれた音が多いわけです。ずっと昔の日本語には、こういった音はなかったのです。現在でもこれら音節には単独のカナがなく、こっ、ちゃ、きゅ、しょ、とカナを組み合わせて表記せざるをえないわけです。(撥音「ん」だけは後にカナが出来た)。
    これら拗音などは、漢字と同時に日本に「外来音」として入ってきたとも考えられますが(8世紀には既に存在したとも考えられています)、「日本語」の発音として定着したのは室町時代くらいでは、とも言われます。音便化でも拗音が遣われ(「しませう」が「しましょう」となる等)、名前にもとり入れられます。名前に入れば、それは完全定着ですね。最初は役職名の通称化からだったかも(「弾正」「修理」「日向」など)しれませんが、のちには官職に関係ない名前も出てきます。「坂本龍馬」なんてのはそうですね。
    漢字によってもたらされた拗音などは、こうして長い時間をかけて日本語の音に定着しました。現在では、日本人だれもが何の問題もなく発音できると思われます。

    明治以降、今度は欧米の言葉がどっと入ってきました。そこには、今まで日本語になかった発音、あるいはかつて存在したかもしれないが既に消滅した発音が数多く含まれています。「うぃ・てぃ・とぅ・でぃ・どぅ・つぉ・ふぁ・ふぇ」など、何とか聞き取ったその音に、日本語も対応しなくてはいけません。なので、拗音を超えて「ぁぃぅぇぉ」などの文字をつかって、なんとか表記してカナで消化しようとがんばりました。「Tiara」もチアラなどではなく「ティアラ」と、原音に近づけた表記にしました。
    しかしこれらは、まだ日本語の音韻として完全定着するには至っていないのではないでしょうか。
    年配の方々はまだ「ティー・ディー」をちゃんと発音できず、TBSをてーびーえすと言ったり、Dを「でー」と言われたりします。まだまだこれらは「外来音」の域を出ず、日本語の音として定着するにはもう少し時間がかかるのではないか、と僕は思っています。漢字の促音や拗音だって結構時間がかかったんだ。まだDを「でー」としか発音できない世代が残るうちは…。いや、僕だって「クォーツ」「ウェイト」など正確に発音できているかどうか。「うえいと」とつい言います。
    しかし、その「完全定着」していない音をもう「名前」に使用する人たちがあらわれたのです。おいおい気持ちはわかるけどちょっと待て、早すぎるぞ、と僕なんかはどうしても思ってしまうのです。おじいちゃんおばあちゃんは、「ティアラちゃん」と呼びかけられず「テアラちゃん」になってしまう場合もあるのではないですか。孫の名が呼べない悲哀、なんて話はあまり聞きませんが、無いとはいえません。僕だって、もしもウェンツ君なんて現れたらそれは「うえんつ」と発音してしまうでしょう。
    苦言を呈するわけではありませんが、まだ日本語として完全に定着していない音韻をもちいた名前をつけるのは、人にやさしくない態度ではないでしょうか。これだけは、思うのです。

    そして、名前に外来音を使用した上で、さらに「漢字」に当てはめようとするのです。それは無理だよ(汗)。漢字にはそもそも無い音だもの。
    「シェリー」としたかったのに漢字に「シェ」の音が無いのでしょうがなく「詩絵里」にした。これは「しえりちゃん」であれば読めます。しかし「シェリー」と読めといわれてもこれは予備知識なしには読めません。役所は漢字でなくてもひらがなカタカナで受け付けてくれるんだから、無理に漢字にしなくてもいいと思うのですが。その、それでも漢字をつかう心理は、非常に興味深いものがありますね。
    「ティアラ」ちゃんは、某芸能人の娘さんに実際にいらっしゃるらしい。しかしながらその漢字は、さすがにプライベートなので公開されておられないのか、検索しても説はあるものの確実な答えは得られませんでした。しかし、漢字であることは間違いないようです。絶対に、当て字だと思われます(笑)。
    こうした外来音で名づけようとすることも、読めない名前の一因になっているのでは、と思われるのですが。

    以下、名前における漢字のつかいかたについて言及したかったのですが、長くなりました。次回へ。
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    | 2012/02/15 | 言葉 | 06:18 | comments(6) | trackbacks(0) |

    キラキラネーム 1

  • 2012.02.12 Sunday
  • 先月の日経新聞の記事についてなんですけれどもね。これは面白い話だったので、読んですぐ書き始めたのですが、途中風邪引いたり味覚無くしたりやなんやで放置してしまっていました。せっかく途中まで書いていたので、いまさらですがアップします。以下の記事についての話。

     「心星、愛月… 読みにくい名前、なぜ増える?」 日本経済新聞WEB(2012/1/20)

    いずれリンク切れしてしまいますので概要だけ書いておきますけど、まずは、今の子供達は個性的な名前が増えたね、という話。ことに難読の名前が多いようで。
    例として「心星、允彪、英虎、騎士、楽心、希星、愛月、葵絆、海、聖白、一葵、詩空」というのが載せられています。すぐさま解答で恐縮ですが、「みしょう、まさと、えいと、ないと、らう、すばる、あいる、きずな、まりん、ましろ、いちる、しえる」と読むそうです。僕はひとつも読めませんでした。いや、もしかしたら騎士、海はナイトでマリンかも、と思いましたが、それを自分の解答として出すにはさすがに抵抗がありましたよ。他は、読めないですねぇ…。リンク先にはもっと多くの読めない名前が挙げられています。
    こういう名前のことを、キラキラネームと言う人もいるらしいですね。雰囲気が伝わるな。ただし、聞いた話によればこの「キラキラ」というのはどうも蔑称的であるかもしれませんので、表題に使うのはどうかな、とも思いましたが、わかりやすいのでまあいいかと(抗議あれば謝ります)。ネットではDQNネームとも言うらしいので、それよりはマシかな。
    さらに、個性的な名前だけではなく、現在多数の子供につけられた名前も、読めないのだそうで。どういうことかと言えば、読み方が多岐にわたるのらしく。
    昨年(2011年)の人気ランキングの上位が例として挙げられていますが、男子1位の「大翔」くん。読み方「ひろと」「はると」「やまと」等。女子1位の陽菜ちゃん。「ひな」「はるな」「ひなた」等。なるほどね。他に男子上位の颯太くんは「そうた、はやた、ふうた」など。「颯」か。難しい字が流行ってるんですね。陽翔くんは「はると、あきと、はるひ」など。へー。そもそもランク4位の陽翔くんって、あたしゃ「ようしょう」としか読めなかったよ(汗)。

    うーむ。
    なんだか大変なことになっている、という印象が(笑)。もちろん、ひとさまのお子さんの名前ですから、とやかく言うのはよろしくない、ということはわかっていますよ。しかし、これは読めないぞ。えらい時代になってきたな。日経の記事も「読めねーぜ困ったな」というのが趣旨です。
    こういう傾向が良いのか良くないのかの判断は、僕にはできませんけど。好きか嫌いかと言われればそれは嫌いですが、良し悪しで考えるべきことなのかはわかりませんしね。
    ただ、もういろんなことが思いうかぶのですよ。こういう話からは。

    ひとつは、こういう「名前の時代による変貌、または流行」という現象は、日本だけの話なのか、ということ。
    以前「シャビという名は」という記事を書いたことがあります。サッカーW杯のメンバー表をながめつつ、各国の選手の名前からお国柄みたいなものを見た記事です。そのなかで、いわゆるファーストネームは、欧州諸国では驚くほど共通名があり、また伝統的な名前が多い、ということでした。聖書等の名前を今も遣っていたりするのです。大天使ミカエルの名を各国でマイケル、ミッシェル、ミハイルなどと名づけている。ジョンもヨハネも、みな昔からの名前。シャビも、ザビエルなのだ、ということ。そういう話。
    ヨーロッパの人の名前が、みんなそういう伝統名ばかりかどうかは知りませんし、珍しい名前もいらっしゃるのかもしれません。でも、少なくともポールやジョンは2000年前から存在した名前で、そういう命名法は今も生きているわけで。
    こういうキリスト教にまつわる伝統名(あるいはヨーロッパ的な名前)は、キリスト教の伝播(あるいは植民地支配)にしたがって世界に広まったと考えられるのでしょうか。南北アメリカ、そしてアフリカへ。
    例えばカメルーンの有名なサッカー選手エムボマの本名は「アンリ・パトリック・ンボマ・デム」です。「ンボマ」という名はいかにもアフリカの伝統的な名前っぽいのですが(「ン」から始まってる)、アンリはヘンリー、ハインリヒ、エンリケなどと同じヨーロッパの伝統名であり、パトリックは聖人名ですね。こういう名前は、おそらくヨーロッパとの接触以前にはなかったのではないのか、と推測します(推測ですみませんが)。大航海時代、また植民地時代、あるいは近年かいつかはわからないのですが、アフリカでも名前は時代により変貌がみられたのではないでしょうか。
    アジアは、どうなのでしょう。よく知らないので何とも言えないのですけど。
    イスラム圏では、ムハンマドやアブドゥラやイブラヒームなど、やはり聖人の名が多くみられるように思います。めずらしい名や変わった名があるのかどうかは知識がないんですけど、伝統名は存在するようです。
    中国においては、命名は規則的であるようですね。漢字1字か2字。3字ってのは存在しないようです。で、2文字の場合は、1文字目が輩行字と言って、兄弟に共通の字。2文字目が固有の字ということになるそうで。例えば胡錦濤主席には妹さんが二人いて、胡錦蓉さんと胡錦萊さん。この「胡」が姓で「錦」が輩行字ということになりますね。1文字名でも部首をあわせるなどの工夫があるようです。こうした伝統的な命名法が一応、生きているようです。珍しい名前はあるのかもしれませんが(一人っ子政策は輩行字の意味を無くしますからね)、よくわかりません。
    朝鮮半島も、基本は漢字による命名であるようです。ただ、ハングル表記が多くわかりにくいですね。中国の輩行字と同様の「行列字」というものが命名には存在するようで。金日成→金正日→金正恩ときて、次は恩のつく名になるのでしょうか。本来「行列字」というもののシステムはそんな簡単なものではないらしいのですが、書き出すときりがないので省略します。
    韓国の名前はよく耳にする機会が多いのですが、そんなにダブっていないような。ミョンバクとかヨンジュンとかチソンとかウヨンとか。流行の名前はあるのかな。ウヨンというのは我らがサンガのボランチでU-23韓国代表のチョン・ウヨン(鄭又榮)を念頭において書いたのですが、検索したらなんだか韓流アイドルにもウヨンという人がいるらしく。年齢も同じであるようですから、流行っていたのでしょうか。漢字表記が同じかどうかは知りませんが。
    変わったところでは、基本的には名前は漢字2文字であるはずだったのに、そうでない人も昨今では登場しているようです。韓国サッカー史上最高のFWと言われるチャ・ブンクン(車範根)の息子で、現在セルティックでプレーするチャ・ドゥリの名は、漢字では書けないのだそうで。車두리とハングルでしか表記できません(意味は「ふたつ」兄弟2番目だから)。こういう伝統的ではない名は、他にも見受けられるのでしょうか。もしかしたら、韓国でもキラキラした名前が誕生し始めているのでしょうか。

    さて、日本ですが、命名の仕方には歴史的変遷がみられます。古代から現在まで、人はさまざまに名づけられてきました。西洋の諸国のように、2000年前の命名がまだ現在も生き残っている、なんてことはありません。
    古事記や日本書紀には神の世界の話もあり(何千年前かは不明)、初代天皇からも2千数百年経過しています。その初代天皇である神武の名は、カムヤマトイワレヒコノミコトです。神倭伊波礼琵古命とか神日本磐余彦尊などと表記されますが、もしも神武天皇が実在したとして、この時代はまだ日本に漢字が入ってきてません。なので、あくまで漢字表記は後世の当て字です。
    この長い名の根幹は「イワレヒコ」ですね。ここに、古代日本の名前がどういうものだったか、という香りがうかがえます。崇神は「ミマキイリヒコ」、応神は「ホムダワケ」だったと言われます。ちょっと現在では名づけられる可能性が少ない名前でしょう。
    このあたり、神話の延長みたいな部分もあり、客観的な名前ではない可能性もあります(後世に尊名を諡られた、とか)。では当時の外国の文献にはどう載っているか、ですが。
    古くは漢書地理志に倭が登場、そして後漢書東夷伝に「金印」の記述がありますが、ここには日本人の具体名は出てきていません。有名なのは魏志倭人伝で、卑弥呼という女王が出てきます。しかしこの「ヒミコ」は固有名であったと断言はできません。「ひめみこ」などの一般名であった可能性もあると思われます。
    ここで出てくる固有名の可能性がある名は、卑弥呼が派遣した「難升米」「都市牛利」という人物です。なしめ、としごり、と読んだのか、よくわかりません。もうひとり、卑弥呼の後継者として「壹與」(梁書諸夷伝などでは「臺與」)という人物がいます。これは女性で、とよorいよではないかと言われます。トヨさんなら今でもおばあちゃん年代ならいらっしゃってもおかしくはないですが…他はちょっと現代では考えにくいですね。
    この時代、日本にはまだ文字がありません。漢字は入ってきていたとも考えられますが、あくまでそれは外国の文字です。日本語表記に使用されていません。
    その後、当て字、訓読みが生まれてきます。万葉仮名というものも。阿以宇衣於・加企久計古、みたいな感じで。ひらがな、かたかなはもう少しのちに生まれます。
    したがって古代の日本の命名は、漢字ありきではなかったと思われますね。まず音があって、それに漢字を当てはめる。イワレヒコやホムダワケ(品陀和気)なんてのも音先行ですから、いくつもの書き方があります。飛鳥時代まではそうだったのではないでしょうか。ウマコやイルカ、カマタリ、フヒトなんてのは、音先行なんじゃないかなぁ。蘇我「入鹿」や藤原「不比等」なんてのは、ただ読みに漢字を当てただけ、と僕は考えています。不比等の息子は長男ムチマロ、以下フササキ、ウマカイ、マロで、これも音先行の日本固有名でしょう。
    しかし、藤原武智麻呂(ムチマロ)の長男は、豊成(トヨナリ)です。このあたりから、命名の変貌が徐々に始まってくるように思えます。漢字2文字で表わし、良い字を遣う。音先行ではなく字面から入っている感じもします。まず漢字ありき。この頃、訓読みという方法が徐々に浸透してきたということもあるのかもしれません。不比等、武智麻呂が完全に万葉仮名方式であったことと比べて、一大変革であるような気もします。
    これは、中国名に影響されたといっていいでしょう。つまり、外国でも通用する名前にした、ということです。藤原豊成。おそらく中国との書類には、原を省略して「藤豊成」と署名したことでしょう。「トウホウセイ」と読んでもらってもいい、と考えていたのでしょうか。源氏や平氏はそもそも一字姓ですから、中国風ですね。
    現在、親が「この国際化時代、外国で通用する名前を」といって「樹理杏」とか「鞠林」とかつけたりする場合がありますが、それと共通するものを覚えます。外国といっても英語圏、広げても欧州語圏だけで考えるのも、古代に中国のことだけ意識していたこととカブります。考えることは、いつの時代も同じなのか?
    この「唐風名」は、平安時代に菅原清公によって朝廷に建議され、唐風好みの嵯峨天皇によって完全定着します。官位を持つ女性の「彰子」「定子」という子がつく名前も、このときに定着したとされます。
    ただし、この中国風名前も、定着はしたものの、実はさほど膾炙はしなかったのかも。「いみな」でしたからね。本名である「諱」は実生活では遣われず、書面くらいしか出てこない。かわりに通称がもちいられます。
    源義経は、「もしや義経殿では」「おーい義経ちゃん」とは呼ばれません。通称である「九郎」か、また役職名である「判官」「伊予守(予州)」などで呼ばれます。この「九郎」という通称に、諱とちがう日本的な響きがあります。
    そのうち役職名も、律令制度が形骸化したことで、通称と化してきます。勝手に役職名を自分の名として名乗るわけです。最初は箔をつける、という意味合いだったのでしょう。
    そういう由来の名前は多く、例えば旗本退屈男は早乙女主水介、忠臣蔵は大石内蔵助ですが、「助(介・輔)」とは本来、役所の次官のことです。主水は水道局であり内蔵は財宝管理所です。そこの次官という意味。蔵人、左京、右近とか、○○兵衛とか○○左衛門なんてのも、役職から発展した通称です。ちなみに大石の本名(諱)は、良雄です。
    こういう話は、支配者階級のことです。農民や町人は諱なんて持ってない。なので、五郎だったり三吉だったり与作だったりするわけです。ただ、長兵衛とか大左衛門とかいう官職由来の名前は農民や町人階級にも浸透してきます。女性は、おみつだったりおかよちゃんだったり。
    そして明治になり、戸籍作成の関係上日本の名は「姓・名」に統一されます。なので例えば武士のように通称と諱を持っていた人たちは、選ばなくてはいけなくなりました。「大久保利通」や「木戸孝允」「伊藤博文」らは諱からの名ですね。「江藤新平」「板垣退助」「後藤象二郎」なんてのは通称から。なんとなくわかりますね。
    そして四民平等ですから、誰もがどんな名をつけてもいい。だから、支配階級のものだった諱ふうの名前をつける一般の人も多く出てきました。良隆とか泰武とか雅秀とかね。
    もちろん通称ふうの次郎とか庄助も多かったのですが、政府は明治3年に旧官名禁止令を出します。おまえら官職に就いているわけでもないのに兵衛とか衛門とか名乗るな、という布告。そんなこと言われても(汗)。この布告は完全に守られることはなかった(そりゃそうだ)のですが、それでもいちおう禁止令なので、名前に兵衛や衛門、輔、丞などがついていた人は改名された例も多かったようです。ということは、さらに諱的な命名にシフトする後押しになったのかもしれません。
    諱ふうというのはつまり、中国っぽい名前と言ってもいいのかもしれません。なので、明治になって日本では外国ふうの名が増えた、ともいえるかも(これはさすがに話を面白く書きすぎているかな…)。
    そして通称ふうの名においては、官名禁止令があり、その命令は守られずとも効果はあったのか、又右衛門や弥次郎兵衛なんて名前は、徐々に減っていったのです。そうなると「○○ざえもん、なんて古臭い名前だな」みたいな感覚も生まれてきたのかも。
    名前の流行というものは、こうして生じていくのでしょうかね。女性は、貴族の命名法だった○○子という名が増えていったのかな。
    そうして、日本では流行の波をいくつもかぶって命名がなされてきました。昭和になったら「昭雄」「昭一」「忠昭」なんて名前が流行ったり。「昭」という字は、それまで知名度が実に低かったらしく、「照」のほうが知られていたようです。歴史上でも「足利義昭」くらいしか思い浮かびません。しかし昭とつく名がこのときどっと増えたらしいんです。女性は「和子」がトップ。これが流行ですね。遡って大正元年には「正一」、2年には「正二」が多かったと聞きますし。
    戦後、浩宮(現皇太子)誕生のときには「浩」が流行りました。荒木大輔の甲子園で大活躍した頃は「大輔」が新生児名前ランキング1位を続け、その中に松坂大輔もいたわけです。そもそも大輔って、高等次官を示す官職名だったとは前述のとおり。

    日本の命名の変遷をざっと見てきましたが、古代から平安時代に至るころ、支配者階級にひとつの転機があり(中国っぽい名が現れる)、諱や通称というややこしい時代を経て官職名が通称に入り込むという転機があり(大介とか権兵衛とか虎衛門とかね)、そして明治になって諱ふうの名が一般階級に増えるというさらなる転機があり、いくつかの流行を経て今に至っている。私見ですけど、そんなふうに僕は考えています。
    そして現代。第四の転機が来たのかもしれません。すなわち、読めない名前の大流行。
    その読めない名前について、いろいろ書こうと思ったのですが長くなりすぎました。続きは次回に。

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    | 2012/02/12 | 言葉 | 08:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

    脊椎反射

  • 2011.05.21 Saturday
  • 相当に恥ずかしい話なんですけど。先日、ある方とメールのやりとりをしていたのです。
    先方の方から、少し難しい話をされましてね。僕はそのメールの内容に対して、ちょっと困ってしまったんです。それで、反論ではないんですけれどもダダダっと僕の苦慮する気持ちを即座に書き送ってしまいました。
    まあそれも大人の対応として恥ずかしいことではあるのですが…問題はそのあとでして。
    僕も反省をしましてね。これではいけないと。
    それで、もう一度メールしました。
    「先ほどは脊椎反射的なメールをしてしまいまして申し訳ありませんでした。もう一度検討しなおして…」云々と。

    送ったしばらく後で、気がつきました。「脊椎反射的」って何だよ?

    大変に冷や汗ものの話です。これ、訂正のメールを入れるのもまたどうなん?という話です。話の本筋じゃないので。なので放置していますが、先方は気がついたかな(汗)。そのままなんとなしに気付かずスルーしてくれればいいのに、と願ってるのですが、笑われているかもしれません。
    念のために、本当はしたくない解説。
    僕は「よく考えずにメール送り返してごめんなさい。思慮の浅いことでした」という意味で「脊椎反射的に」と書いたわけです。考えが脳まで至っていない、ということですね。
    しかし脊椎って、つまり背骨のことですわな(汗)。それを言うなら「脊髄反射的に」と書くべきです。どんな下等動物だって、背骨で反応することはない。脊椎反射なんて言葉は、ありません。
    穴があったら入りたいと思いました。

    こういうことって、しばしばあるんですね。
    変換ミス、というのは、許してほしいと思うんです。よく読むと同じメール内で「それには前面的に賛成です」なんて書いてる(汗)。それを言うなら全面的(笑)。
    どんなものでも推敲はすべきですが、これはPCのミスにしてしまえる。誤字脱字というものは、肉筆で書いていた昔は恥ずかしい事柄でしたが、今こうして打ち込む時代となって、それと気付かずつい間違った漢字を選択してしまうことってありがちです。案外気がつかないもんです。僕だって、新聞や書籍ならいざしらず電子メールやブログなどで「生命保健」や「洗濯ミス」になっていてもいちいち突っ込みませんよ。「普段の努力」にはちょっと笑った経験あり(不断の努力だろ、でも普段でもなんとなしに通じたりして)。
    こういうのは、その人が本当に間違って覚えているんじゃない可能性が高いわけです。ただの変換ミス。

    しかし、脊椎と脊髄では誤変換という訳にはいきません。読みが違うから。間違って覚えているんです。
    ですが、もしかしたたら同様の人がいるかもしれないと思い検索。そうしたら"脊椎反射"でググって158,000件ヒットしました。ワシだけじゃなかったよ(笑)。だからと言って間違いに変わりはないんですが。
    こういうのは、何と言えばいいんでしょうか、「思い込み記憶」ですかね。
    同系のパターンとして有名なのに「的を得る」なんかがありますな。「的を射る」がむろん正しいとされる言葉ですが、的を得るって言ってもあんまり違和感ありませんからね。ダーツなんかでは「狙ったところにうまく当たって200P獲得」なんて感じですから逆に「間違いだぞ」と声高に言いにくい。写真の「焼き回し」なんかもそうですな。「焼き増し」なんでしょうけれども「焼いて友達にも回してんじゃん」なんて意見をTVで聞いたことが。難しいですね。そう考えれば「脊髄」は「脊椎」の一部みたいなもんじゃん…(←これはやっぱり間違い)。
    こういう間違い、僕も他にいくつかやっているかもしれないなぁ…(汗)。こういうのは自分では気がつきにくいんです。そう思い込んでいるから。「聖人君主」ってのもあったな。

    ちょっと話がそれますけれども、こういう「思い込み記憶違い」って外来語に多い気が。
    恥をさらしますが、僕はいまだに「コミニュケーション」「シュミレーション」とうっかり書くことありますもんね。アボカドも迷うな。アボガドって最初に思い込んじゃったから。骨折したら「ギブス」を装着。あれはギプスでしたっけホントは? 「バトミントン」もそうだな。紅茶は「ティーバッグ」。うっかりティーバック(笑)。なんともセクシーな話で。知り合いのおばさんは必ず「ティーパック」と。なんかパックでも正しいような気がして…。

    さて「思い込み記憶違い」の話なんですけど。
    ワープロは音を変換しますから、誤字というのは手書きの場合と全く異なるものになります。
    例えば「夏休み」を「夏体み」と間違えることは絶対にない。「な通夜済み」ならありえるわけです。もっともこんな阿呆な誤変換はワープロ黎明期でしかなかったでしょうけれどもね。でも、例えば葬儀屋さんだったらありえるかも。昨今のこんぴーたは賢いので、よく使用する言葉を学習して優先順位つけたりしますからね。
    だから、手書きの時代によくあった「遺唐使」とかの間違いは、この打ち込む時代にはありえないんです。
    と思ったら、こういうのがあったりするんですね。「読み間違えてそのまま記憶」パターン。
    よく見るのは「貧欲」なんですよ。これ、誤変換じゃないですよね。「ひんよく」と打たないと出てこない。
    「ひんよく」なんて言葉はもちろんありませんが、「貪欲(どんよく)」を「ひんよく」と読むのだと思ってしまっている。残念なことです。結構いらっしゃいますよ。「もっと貧欲に幸せになろう」って書いてる人とか。惜しいですね。
    こういうのって手書きの時代には許容できるミスだったとも言えるんです。字が似てるからつい、って感じで。でも打ち込みの場合はダメかな。
    同様のものに「団魂の世代」なんかがありますね。どう打って変換しているのだろう。
    「移住空間」って見たことがありますよ。これとか。「居住」を「きょじゅう」じゃなく「いじゅう」と読み違えているわけです。
    こういうのも、自分では気がつきにくい。僕だってどっかでやってると思うんですよ。

    また話は違うかもしれませんけれども、類似していると思われるものに、方言による「思い込み記憶違い」もあると思うのです。
    僕がやってしまうのは「布団を引く」。こう打って、なんかヘンだな、と思えばいいんですけれども、流してしまう可能性もあるんだなあ。
    もちろん布団は「敷く」ものなんですけれども、関西では言葉として「し」が「ひ」になりやすいんですよ。五・六・七・八は「ごぉろくひちはち」(笑)。七輪は「ひちりん」。なので、布団はひいちゃうわけです。
    関東の人は逆に「ひ」が「し」になりやすいらしいのですが、それに類した打ち間違いとかあるのかなぁ。「この白い野原いっぱい」とか打っちゃったりしますか?

    ワープロの世界においての誤字は、その大部分が誤変換だとは思います。ですが、そうじゃないものもある。で、その大部分はたいてい「思い込み」に起因しているという話です。

    でもね。
    ちょっと書いておきたいのは、どうもパソコンが明らかに悪いんじゃないの、と思えるやつもあるんですよ。
    使用する人の少ない漢字だと思いますけれどもね。「祟」という字。出に示。音読みでスイ、訓だと「たたり」です。僕はしばしばそういう内容の記事も書いたりしますので、他の人より頻度は高いかもしれません。
    これ、"たたり"と打って変換すると候補に「祟り・崇り」と出てくるんですよ。おかしくないかい?
    「崇」は山に宗。音読みでシュウ、またはスウ。崇拝のスウですよ。訓ですと「あがめる」です。この字で「たかし」という名前の人が多いですよね。意味がぜんぜん違う。怨霊の話をしますとだいたい崇められている人物が不幸な死に方をすると祟ったりしますので、全く関連性がないわけでもありませんが意味はもちろん違います。これは、変換用辞書の誤りなのでしょう。字が似てるから。
    これで間違えた人は、非難できないっすよね。"崇り"でググって87,900件のヒットですよ。僕はWinXPなんですけど、新しいバージョンだと訂正されてるのかしらん。

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    | 2011/05/21 | 言葉 | 07:25 | comments(4) | trackbacks(0) |

    音読み訓読み

  • 2011.01.23 Sunday
  • 書いたのはちょっと前なんですが前回記事。大阪難波相合橋の大衆居酒屋「正宗屋」に行ったという話をしたわけですけど。
    その正宗屋さん。昔TVに出てたんですってね。知り合いとの雑談の中で知りました。

    「へーあんな店やのに取材受けてたんかいな。ほんでも客はずっと競輪競馬オヤジやけどな」
    「いやそうじゃなくて、県民ショーに出てたんですわ」

    別に店の紹介番組ではなかったようです(笑)。県民ショーという番組を僕は観たことがないのでよく知らないのですが、話は、ビールの「大瓶」をどう読むのかって話で。東京では「おおビン」。大阪では「ダイビン」。んで、正宗屋で取材して「大瓶はダイビンに決まっとるやないかぁ〜」てな酔っ払い昼酒オヤジのコメントが多数VTRで流れた、とのこと。

    僕としてはおおビンであろうがダイビンであろうが伝わればどっちでもいいのですが(笑)、確かに僕もダイビンと注文しますね。関西はみんなそうかな。
    でも僕の場合は、大瓶は「ダイビン」なのですが、小瓶は「こビン」なのですよ。ここ、不統一ですね(笑)。でも子供の頃からの言い習わしだもんしょうがないじゃないですか。ちなみに前記番組では、大阪では「ショウビン」と呼ぶと結論付けていたようです。京都はどうなんだろ? まあしかしこういうのは明確になるものでもありませんからね。パーセンテージの問題でしょう。で、どっちが正しいというものでもない。言い習わし。
    こういう話はネタとしては面白いので、先日もちょっと話題になってたのです。関東の人も何人かいるので、おおビンと子供の頃から言ってましたよ、いやワシは幼稚園の頃から居酒屋でダイビンと注文して呑んでたで、だのと言い争い(笑)。
    こういうのは酒場の話題としてはいいのですが、ひとりムキになっちゃった人がいましてね(汗)。遊びを逸脱しちゃいけません。が、ダイビンなんて絶対おかしいと言い張るのです。普通はおおビンに決まってるだろう、と。まわりが関西人ばっかりなのによく「普通は」なんて言えるなとその勇気に僕は結構感心したりしたのですが(笑)。
    酔っ払っていたのでしょう。しまいには、ダイビンなんて重箱読みだと言い出す始末。そこに居る全員が目がテンになりましたよ。
    もうしょうがないので…

    「ほんならあんた、おおビンとこビンの間の瓶は何て言うねんな?なかビンかいな?」
    「う…チュウビン…。あれは特殊なんだ!」

    何が特殊なのかは不明ですが、ようやく刀を鞘にしまってくれたようで。

    この話は以上なのですが、僕は「ダイビンなんて重箱読み」という言葉が妙に印象に残りましてね。「ビン」を訓読みだと思っている人がいるということです。この人実は結構学がある人なのですよ。でも勘違いするんだな。
    瓶の訓読みはもちろん「かめ」です。ちょっと考えればすぐわかることなんですけど、なまじ「瓶」を「ヘイ」とか「ビョウ」とか読むと知っていると、それが音読みだからビンは訓読み、と勘違いしちゃう。そして、おおビンが正しいと信じているから、まさかダイビンが規範的な読みでおおビンが湯桶読みであるなんて思いもよらなかったのでしょう。
    家でカミさんとも話をしたんですけど、カミさんは「ビン」だとガラス製品で細長い形状、「かめ」だと陶器でずんぐりした形状のイメージがある、と言ってました。それ、なんだかわかるな。

    要するに、音訓って難しいって話です。
    書くほどのことではありませんが整理のために一応。音読みというのは、漢字ってのはもともと中国のものですから、読むときにそのもともとの音で読む、というものです。といって、現在の中国では瓶を「ビン」と読んでいるかどうかは知りません。これは、遥か昔にその漢字が日本に伝来したときの読み方がガラパゴス的に残っているものです。最も古くに入った発音を呉音、後に漢音、また唐音などとさまざまあります。
    瓶は、呉音だとビョウ、漢音だとヘイ、唐音だとビンとなります。ビョウなんて読みはもうほとんど遣ってませんね。密教で儀式のときに使用する瓶を宝瓶(ホウビョウ)と言ったりしますが。ヘイも無いかな。昔、後白河法皇の宴席で徳利が倒れたときに瓶子(ヘイシ)が倒れたと言って、平氏と掛けていいぞいいぞと言ったなんて逸話がありますが。また釣瓶や鶴瓶師匠の「ベ・ベイ」なんてのはその音便化ですね。ビンは唐音で、最も新しく伝来した読みなんですな。
    訓読みとは、その漢字に日本古来の和語を当てはめちゃった「当て字読み」です。瓶ってのは水とかを入れる器のことだろ?なら「かめ」と読めばいいか、みたいな。甕もかめでいいか、なんてね。「大」ってのは「おおきい」って意味だろ?ならこれからは「大きい」と書くか、なんて送り仮名なんてものも発明したりして。
    ちなみに「重箱読み」というのは、日本で生まれた変則的な読み方のこと。「重」が音読みで「箱」が訓読み。ひとつの熟語の中に混在しちゃってます。「台所」「番組」「残高」など「音訓」で読む熟語はいっぱいありますな。逆に「訓音」で読むのが「湯桶読み」。「手帳」「雨具」「野宿」などこれもたくさん。

    で、どの読み方が音でどれが訓だって、長く日本語で暮らしてますからだいたいわかってると思うじゃないですか。でも、間違えて覚えている、また勘違いをしていることって多々あると思うんです。僕だけかもしれませんけどねぇ。
    昔の話ですが、「肉(ニク)」ってずっと訓読みだと思ってましたよ。こんなの日本古来の和語だと思ってましたら、これ音読みだったんです。呉音。知ったときにはホンマかいなと思いました。で、訓読みが一応あるのです。辞書を見ますと「しし」。なるほど、池波正太郎先生はよく豊満な女性のことを「肉置き(ししおき)がよくむっちりとした…」なんて書かれてます。でも、これを知ったときには恥ずかしながら驚いちゃったもんです。
    他にも「駅(エキ)」。これも訓だと思ってました。音読みだったのですね。訓は「うまや」。これを知ったのは実は最近なんです。古代駅令制度のことをちょっと調べてましてね。駅長とか湯桶読みだと思ってました。恥ずかしい。
    もっと驚いたのは「絵」です(汗)。これ、音読みでカイ、訓読みで"え"だとずっと思ってきました。ですが、両方音読みだったのです。そんときは思わず「え〜!」と(オヤヂギャグ)。
    で、「絵」の訓読みって無いのです!そんな。
    日本には古代、絵を表現する言葉がなかったわけですね。で、外来語をそのまま使用せざるを得なかった、ということでしょう。うーむ。なんだか文化がなかった国みたいじゃないですか。想像するに、もしかしたらあったのかもしれないのですが、呉音「エ」が伝来して、そのあまりの簡単な表現に駆逐されちゃったのかも、なんて我田引水的な解釈もしたくなります。いまや「絵(エ)」は完全に和語っていう感じなんだけどなぁ。「描」なんて漢字は「えがく」と訓するじゃないですか。絵書く。ここまで浸透すればもう「訓読み」と言ってもいい気が…(そんな感覚で学問をしてはいかん)。

    まあこういうのは、特殊かもしれないとは思うんです。浸透しすぎちゃったと申しますか。
    ですけどね、勘違いもあるわけです。前述の人が「ビン」を訓だと思っちゃったように。
    勘違いしやすい並べ方。金属をずらっと列記します。金・銀・銅・鉛・錫・鉄…。こう並べると、キン・ギン・ドウ・なまり・すず・テツと普通読みます。読みが音訓混ざっててうっかりしそうですね(汗)。エンとかシャクとか読みませんから。テツをつい訓読みだと勘違いしたり。鉄の訓は「くろがね」です。そらに〜聳える〜くろがねの城〜(知っている人だけしかわからんか)。ちなみに銀は「しろがね」、銅は「あかがね」。
    花の名前だってそう。桜・梅・桃・菊・萩・橘。古くから日本にあり、和歌にもよく詠まれる花を挙げてみました。
    この中に、ひとつだけ音読みしかできないのが存在します。それは「菊」です。キクって音読みだったのですよ。これは、知ったときにはビックリしましたね。キクなんて、日本の代表的な花じゃないですか。皇室の象徴であり、パスポートだって菊ですよ。国花と思っている人もいるくらいで。これ、外来音しかないんですなぁ。蘭とかが音読みしかないのなら話はわかりますよ。しかし菊が外来音とはねぇ。天皇家渡来人説の根拠にしたい

    以下は音訓の話とはちょっと外れますが、菊以外にもちょっとファジーなものもあるんです。それは「梅」。
    梅は訓でうめ、音でマイ(呉音)・バイ(漢音)です。しかし、この「うめ」という読みも外来音由来だという説もあるんですね。この話は司馬遼太郎さんが書かれていたことの受け売りですが。
    呉音「マイ」がヒントにもなりますが、現在でも中国語ではmeiと発音するようです。で、最初日本には「メ」という音で入ってきた可能性もあると。で、「う」がアタマについちゃって「うめ」。ならば、「うめ」は音読みだったかもしれないのです。
    これは「説」です。はっきりしたことはわからない。しかし、同様のものはあるんです。例えば「馬」。
    馬は「マ・バ」ですね。マが古い。それに「う」がついちゃって「うま」。或いは、maのmを強く発音するので「むま」。古代は馬のことを「むま」と読んでいた形跡もあるようなので。でm発音が落ちて「うま」となったとの説も。「うめ」もそうだったかもしれません。
    日本人は50音で生きていますから、子音だけを発音するのが苦手。で、語尾の子音に母音がついちゃった場合も。「銭」は呉音でゼン、漢音でセンですが、この呉音zenに語尾母音がついちゃって「ぜに」。紙は簡(カン)が「かみ」。蝉や文や絹など、この法則で日本語になった言葉は数あるという説もあります。

    訓読みは、日本古来の和語と限ったわけじゃない、という説です。でも「うま」も「うめ」も「ぜに」も辞書的には今は訓読みとなっています。
    線引きはどこなのか。
    僕は「汁」も怪しいのでは、と思ってます。これ、音読みでシュウ(呉音)。よく肉汁を「にくじゅう」と読むか「にくじる」と読むか、てな話があります。肉(ニク)が音読みである以上、「ニクじる」と読むのは間違い、或いは重箱読みだという話があります。無論辞書的には「ニクジュウ」です。しかし、こんなのもうどっちでもいいような気がしてしまうのですね。それほどジルもジュウも音が近い。でも、「しる」は訓。うーむ。
    怪しいなってのは、他にもいくつか思い当たるのです。氷はこおり・ヒョウですが、氷室という言葉だと「ひ」ですね。これ訓読みらしいのですが、ヒョウ由来だと思うんですよやっぱり。「奥」が「オウ・おく」なんて語源一緒じゃないかと思ったり。
    氷雨の「ひ」が訓で、しるが訓でうまが訓でぜにが訓なら、「エ」や「キク」ももう訓でいいじゃん、他に訓読みないんだから、と思うんですけど、学問というのはそうじゃないのですねぇ。

    「ダイビン」「おおビン」からちょっととっちらかった話になっちゃいましたが(汗)。
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    | 2011/01/23 | 言葉 | 18:27 | comments(6) | trackbacks(0) |


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