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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    フォーメーション図を作ってみたい

  • 2009.10.14 Wednesday
  • なんだかサッカーW杯ももう迫っているらしく。4年という歳月がどんどん短くなっていきます。こないだドイツだったはずなのに。歳重ねますと時間がどんどん過ぎますなあ。
    世界各国で出場国がどんどん決まっているようです。ヨーロッパでも予選がえらいことになってますね。死のグループ1はデンマークで決まり。プレーオフを賭けてスウェーデンとポルトガルが…。どっちかこれ出られないんですよ。C・ロナウドかイブラヒモビッチかがね。えらいことですなぁ。ところでこないだハイライト見てましたらスウェーデンの2トップはイブラともう一人はラーションなんですな。ラーションっていくつなんだよ(汗)。
    南米も、アルゼンチンが危ないとかね。マラドーナを監督というのは壮大な賭けでしたけどどうなるか。
    それにしても、代表監督って案外かつての名選手が若くしてなったりしますね。マラドーナはともかくドゥンガとか、ちょっと前ならファンバステンとかクリンスマンとか。強豪国の代表って、監督の手腕よりもカリスマ性かもしれないなと。どうせ選手は超一流ばかりなんですから。戦術よりも重視されるものがあるようにも思えます。あとは重圧に耐えられる人物か。監督の頭脳が要求されるのはむしろ弱い国ですね。日本も戦術論ばっかり論議されますな。

    日本も代表戦が立て続けに。今日も途中からぼんやりと見ていました。トーゴ歯ごたえなかったですね。
    僕はどちらかと言えば今の代表にはそれほど愛着を感じないのです。国粋主義者でもなく愛国心も希薄なもので、松井大輔と…あとは遠藤くらいしか応援対象がいない。今日は松井も出なかった。
    前回は、僕がジーコファンだったものでずいぶんと応援したものですが、今回はねぇ。代表選考もなんだか彼岸のことのようで。

    でも、少し僕も考えてみようかと。
    何故かと言えば「フォーメーション図が作りたいから」なんですよ。ヾ(--;)ぉぃぉぃ
    いろんな人のサッカーブログなどを読んでますと、いろいろフォーメーションを図解して論じている人が多い。ああいうの、手間かかってるなあといつも感心してたんです。分かりやすいですしね。別に僕はサッカーブログ書いてるわけでもなく時々「"パープル"サンガ頑張れ」程度のことしか記事にしないもので関係ないのですが、先日ネットサーフィンしてましたら、そういう「フォーメーション画像作成スクリプト」を提供してらっしゃる方が何人もいらっしゃることを知りましてね。SEの人って尊敬するよなー。
    こちらの方こちらの方なんて素晴らしいなと。カッコいいですね。
    こちらのTextFormationsさんは、HTMLだけでシンプルに作られています。シンプルってったってそのスクリプトはすごいですけどね。画像使わずTABLEタグでね。これだとそんな表示崩れもなさそうですし、これで作ってみることにします。ふふふ。見ればわかりますけど選手名とフォーメーション指定だけであっという間に作れちゃう。ありがとうございます。では、日本代表私案その1。

    2010W杯代表案(1)
    森本(カタ) 本田(VVV)
    松井(グル)柏木(広島)
    稲本(レンヌ)中村憲(川崎)
    長友(F東京)長谷部(ヴォル)
    槙野(広島)岩政(鹿島)
     川島(川崎) 

    サブ
    GK:川口(磐田)西川(大分) DF:駒野(磐田)中澤(横浜M)阿部(浦和)市川(清水) MF:遠藤(ガ大阪)小川(名古屋)今野(F東京)小野(ボーフム) FW:岡崎(清水)巻(千葉)

    なんか知りませんけど新聞紙上においては日本はやっぱり得点力不足だそうで。今日は5点取りましたけど、これがW杯に出てくるような強豪相手だとやっぱり圧力ありますからね。なかなか海外の一流どころ相手には得点は確かに難しい。それだったらもう海外リーグで点とってるヤツを2トップに入れればいいんじゃね、てな発想です。本田が右MFが主戦場だとかそんなの知ったことか。前で使え前で。あとは最近代表でも点量産してる岡崎。競り合い出来る男も必要でしょう。平山だとちょっとまだ…なので巻。前田と寿人が外れますがごめんなさい。
    柏木のところは小川でもいいと思うんですけどね。ボランチはアンカー的に稲本と(対人じゃ凄いもんな)球の供給源として憲剛を。遠藤でもいいと思います。長谷部は不動のボランチらしいですが、右サイドで使ってもいいんじゃね?ドイツじゃそんなポジションもこなしてますしね。
    DFはゴツいのと足の速いのとの組み合わせがいいんですが。俊足と言えば坪井か伊野波なんですけど…。難しい。
    キーパーは川島、次に西川。第三キーパーはほぼ試合には出ないでしょうから、ここは川口の経験とキャプテンシーをいただきましょう。
    小野の復活は無理かなー。CMFとしては最高の選手だと思ってたんですけど。ダメなら小笠原でしょうかね。
    俊輔を外した理由は、松井に10番背負ってもらうため。ホントそれだけ(笑)。
    いかにチラウラとは言え、ブログに書いたら文句言ってくる人が出てくるかな。まあそんときは謝ってしまえ(笑)。

    さて、私案2。こういう代表だったらあたしゃ南アフリカに行くぞ、編。

    2010W杯代表案(2)
    大島(新潟)田原(湘南)
     柳沢(京都) 
    松井(グル)遠藤(ガ大阪)
     佐藤勇(京都) 
    渡邊大(京都)森(川崎)
    水本(京都)深谷(大分)
     水谷(京都) 

    サブ
    GK:平井、松井謙(京都) DF:増嶋、染谷、角田、師竺嶺(京都) MF:安藤(京都)中払(福岡)斉藤(仙台) FW:三浦和(横浜F)黒部(福岡)破瓜仁王(スポルチ)

    つまりこれは「サンガオールスターズ」(笑)。縁のある人みんな集合!
    でも、ちょっと面白いと思いませんか。大島、田原のツインタワー。屈強な世界のDFの中で何とか球を収めたい。そのこぼれたところをヤナギが抜群の嗅覚で押し込む。遠藤が球を供給、松井がドリブルで突っかける。勇人がそのスタミナを生かし走り回ってフォロー。大剛と改心した(笑)森勇介がサイドを駆け上がる。
    帰化して頑張ってもらう選手も。シジクレイなんてもう日本人みたいなもんでしょ?パウリーニョだって…(あっ、パウはU-23でブラジル代表だったか?まあ細かいことはいいか^^;)。
    ハライ、斉藤大介、黒部がW杯に出たらもう泣いちゃうよ。
    渡邉千真、佐藤寿人を「弟枠」で入れようかなとも思ったのですが、やっぱりKINGカズを優先したい。カズがW杯に出れば日本中が湧くかなと。
    DFがあまりに薄いかな(汗)。でも面白いサッカーが見たいぞ!

    というわけで、フォーメーション図を使いたいばかりででっち上げたサッカー記事でした。
    m(_ _;)m


    追記:ナビスコカップ観戦後です。
    森、やっぱり改心してないやん…(T△T)
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    | 2009/10/14 | スポーツ | 22:42 | comments(6) | trackbacks(0) |

    ホムスタへの道

  • 2009.10.04 Sunday
  • ちょっと前までは、結構夢見たんです。もしかして上位狙えるんじゃね、と。

    すみません。サッカーの話です。
    フロンターレから3点取ったときなんかね。あんときは夢見てしまったな。アウェイでアルビに勝ったりね。レッズが負け続けていて、もう少しであのレッズより上に行けるやんか、と思ったときには盛り上がったんですが。
    我が”パープル”サンガは低迷期に入っています。いろいろなことがあったもんね。戦力が整わなかったり。渡邊大剛のアキレス腱断裂、今季絶望。そしてパウリーニョ退団。キツいです。ここに至って無くてはならない佐藤勇人が怪我。この穴は大きいな。さらに、ジョンスが精彩を欠いています。サウジからのオイルマネーによるオファーが動揺を招いているのでしょうか。
    ジュビロ戦、アルティージャ戦と3点取られて負け。
    本当に今は、ヤバい。このままだと降格ラインにかかってしまいます。次の試合はアウェイ。うちは今季アウェイで本当に振るいません。ここでまたマズい負け方をするとズルズルといきます。何度もこんな姿は見てきているんです。
    さて、10月3日がそのアウェイ戦でした。相手はヴィッセル。僕は我慢できなくなり相手本拠地ホムスタへ行きました。なに、西宮在住の僕は西京極へ行くよりずっとホムスタの方が近いのです。

    と、すみません。サッカーの話はここまでかも…。
    土曜日。キックオフは16:00なのですが、僕は午前中から出かけました。せっかくですから遊びながら行こうと。
    まず神戸の中心、三宮にやってきました。ちょっと歩いてセンター街へ。早めの昼食ですが、何を食べるのかはもちろん決まっています。当然カツ丼ですね。こんな日はなんと言ってもカツ丼。有名店ですが安くて旨いかつ丼 吉兵衛へ。
    しかし11時前なのに既に行列が。吉兵衛恐るべし。なんで朝の10時台からそんなにみんなカツ丼食べてんの?(笑)。しかし回転が早いのですぐに席へ。「てんこ盛」を注文です。つまり大盛りですな。ガッツリ食べないとパワーが出ませんからねぇ。ここはカツ丼専門店なのですぐに供されます。カウンターだけの席で、丸見えの厨房ではとにかくひたすらカツを揚げ、卵を割りメシを盛っています。このスピードがいいですね。この店は揚げたての分厚いロースカツをすぐさまザクザク切って鍋に入れ間髪入れず卵でとじ、青葱をパラリ。タマネギでないのが気に入っています。ではいただきます。
    むう…美味いっ。それに、熱い(ハンパじゃなく)。ヤケドしそうだ。カツが揚げたてであるだけでなく、メシもひたすら熱いのです。この熱さに負けずガツガツ食らうのが男の生き様…てなタイソウなことを言わずともいいのですが、箸が止まらないのですよ。だから、冷めるいとまもなく平らげてしまうのです。ふひゃー美味かった。ごちそうさま。

    ハラが満ちたあとは、歩きます。そうです。今日はこれから和田岬にあるホムスタまで歩いていこうと思っているのです。5、6kmはあるのかな。よくわかりませんけど。
    三宮から西へゆくと元町へ。南京町に寄ります。ちょうどお昼、広場では大変な人だかりです。獅子舞ですね。中国の獅子舞はハデに飛び上がって舞いますので迫力がすごくてカッコいい。今日は中秋節のお祭りなんです。しばし観覧。
    そのまま、元町商店街をひやかしながら西へ歩きます。アーケードが尽き、向こうには湊川神社が見えてきます。
    試合の前はたいていどこかの神社で神頼みをするんです。しかし、街の真ん中にある生田神社では、おそらく打倒ヴィッセルのお願いは聞いてくれないのではと想像し、こちらへやってきました。湊川神社の祭神は言わずと知れた楠木正成。この京のミカドに最後まで忠誠を尽くした正成様であれば、京都の我がチームを応援してくれるのではという我田引水的解釈によります(汗)。
    柏手を打ち戦勝祈願。境内には正成の墓もあり、水戸学の大家である黄門様の銅像もあります。こちらにも詣でます。

    神社を出ると、もうそこは福原の街です。現在はソープランド街として名高い福原ですが、福原と言えばもちろん平清盛の夢の跡ですね。清盛を偲びあたりを歩きますが、どうも男一人でこの街をあるくと「兄ちゃん遊んでかへんか?」の声がやたらかかり、なかなか歴史を思うには集中力が必要となります(笑)。
    道は、かつての神戸の中心地であった新開地へと続きます。
    かつて歓楽街として戦前は実に華やかであったこの街も、戦後は進駐軍接収などにより復興が遅れ、隣の福原遊郭も法制により寂れ、市役所が三宮に移転し、それでも映画館や演劇場が数多くあったものの時代の流れで衰退し、どうも影が薄くなってしまった印象がありますが、歩いてみればまたなんとも味わいのある街になっています。僕も三宮・元町へ行く機会は多いのですが新開地はほとんどマトモに歩いたことがありません。しばし散策。

    新開地のアーケードを南下し、いよいよ和田岬方面へと歩き出します。七宮神社より向こうは、案外歴史散歩が楽しめるのです。
    鎌倉、室町時代より幾度となく戦火に焼かれ、さらに空襲、そして近年では震災と、往時を偲ぶ史跡を探すのは難しくなった神戸ではありますが、それでもいくつかは残っています。細かく書くと歴史記事になっちゃうので割愛しますが、かつてここは大輪田泊と呼ばれた奈良時代からの要港でした。平安時代に築かれた石堤の一部も発掘されて残っています。平清盛はここに「経が島」を築き日宋貿易の拠点としました。なので、清盛ゆかりの史跡もいくつもあります。
    僕は、新川運河と兵庫運河、松王丸ゆかりの来迎寺、兵庫大仏、平相国廟、滝善三郎供養碑(神戸事件で切腹した人)、兵庫城址と旧県庁址、時宗の開祖である一遍上人の墓所、そして薬仙寺などをウロウロと歩き、往時をしのびました。こういうところを歩くのが僕は大好きでして(汗)。
    ここらへんの史跡散策のハイライトは「清盛塚」です。かつてこの石造十三重塔は清盛の墓であると信じられてきました(調査により現在では否定されていますが)。最後に、ここを訪れました。清盛悪役史観はもう廃れているとは思いますが、かつてはやはり専横かつ傲慢な人物の典型として捉えられていたことは否めません。しかし、ここ和田岬の人たちは清盛を顕彰し続けてきたのでしょう。
    ここまで来ると、あたりにはヴィッセルユニを着た人たちが目立つようになってきました。そう、ホムスタはもうすぐ近くです。アウェイの雰囲気が出てきましたね。僕も自然とアタマが切り替わってきました。

    ホームズスタジアム神戸。立派ですねぇ。かつてのウイングスタジアムでありW杯も開催された、開閉式の屋根をも持つ日本有数のスタジアム。中へ入るとその素晴らしさがホント分かります。サッカー専用スタジアムっていいなぁ。観客席とピッチが近いし。つい西京極と比べてしまいますが、比較にもなんない(汗)。早く京都にも専スタが誕生しないものか。
    しかし、応援では負けるわけにはいきません。サポ有志がアウェイにも関わらずコレオグラフィー(まあ人文字ですね)を企画してくれています。これで圧倒してやりましょう。


    さて、試合。引き分けました。前の二試合のことを考えれば、アウェイで勝ち点1を得たことは評価しましょう。惜しかったのですけどね(汗)。大剛、勇人を怪我で欠き、ディエゴも出停という飛車角抜きの中で、よく頑張りました。今日勝てなかったのは審判が悪い(笑)。僕もつい審判に「オマエ広沢の池に沈めたろか!」などと暴言をいくつも吐いてしまいましたが、興奮状態だったので申し訳ない。言い訳にもなりませんが陳謝致します。しかし、普通だと「大阪湾に沈めたろやないかい」とか言うのですけど京都ですとやっぱり巨椋池とか広沢の池とか神泉苑とかになっちゃう。なんだかヤジもみやびな感じ(笑)。

    声はもうガラガラ。体力も使いました。帰ることにしましょう。地下鉄で三宮へと向かいます。三宮で女房と待ち合わせています。二人で今日は宴会。10月3日は、実は結婚記念日なんです。もうあの日から一年かいな。月日の流れるのは本当に早いもんです。
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    | 2009/10/04 | スポーツ | 16:58 | comments(2) | trackbacks(0) |

    スリーバント失敗は何故アウトか

  • 2009.09.17 Thursday
  • ちょっと日にちが開いてしまいましたが、イチローが9年連続200本安打達成ということで。おめでとうございました。
    全くのところ、不世出の選手だと本当に思いますね。今年はイチローは記録ラッシュ。あのWBCの劇的ヒットのあと、さすがにプレッシャーで胃潰瘍、そして怪我もあり欠場が多かったにも関わらず張本さんの3085安打を抜き、大リーグ通算2000本安打、そして今回。すげぇ。

    新聞記事を読んでいましたらイチローヒストリーがいろいろ載っていたわけなんですが、その中で、それまでの記録保持者であるウィリー・キーラーのことも記載がありました。108年ぶりの記録更新であり、キーラーが最初に200本安打を記録したのは1894年ということですから前々世紀ですよ。野球というスポーツの長い歴史も凄いと思いますが、その中の記述に「1902年に現在の3バント失敗は三振のルールが出来たのは、バントを多用する彼の打撃スタイルが問題視されたからだと言われている(朝日新聞)」というのがありました。
    なるほど、ここから始まったのかスリーバント失敗がアウトというルールは。

    このルール、分かりにくいのですよね。なんとなく腑に落ちない。なんとなくどころか、どう考えてもよく分からない。だっておかしいじゃないですか。打者は、ボックスから出なければどんな打ち方をしても自由なはずであり、極端なことを言えば片手で打ってもバットを逆さまに持ってもいいはずです。だから殿馬の秘打も成立するのであって(これは漫画ですが)、バッターは投手の手から離れた球をフェアグランド内に打ち返せば一塁に進塁出来る権利がもらえ、ファールゾーンであれば打ち直し。打法など関係ないはずです。しかし、バントという打法(片手をバットの太いほうに添えて投手に正対するような姿勢で待ち構える)で球をバットに当てれば、2ストライク後はそれがファールであった場合打者がアウトになってしまうのです。
    そんなの当たり前だ、と言う無かれ。打者がバントであったかどうかは、審判が主観で決定するのです。これで揉めたという話は聞きませんけど、こんなのいくらでも作為的に判断しようと思えば出来ます。基準が「判断」であるからには。

    新聞記事によりますとこのルールは1902年に出来たということ。理由はそりゃわかりますよ。確かにバッターにはこの打法は有利です。カットがしやすい。なのでバントで次から次へとファールを続けピッチャーを潰してしまうことも可能。それを防ぐためにもスリーバントでのファールはやめさせなくては。だからアウトにしちゃえ。
    だったら、もう明文化しちゃえばいいのですね。バットを両手で持つ場合、握りを離すのはバットの長さの何パーセントかまでに限る、とか。それ以上はバント打法とみなす。バット製造の際に線を入れるよう義務付けたりね。そして、2ストライク後のファールはアウト、と。
    理屈はわかるのですが、スリーバントアウトなんてのは、野球の基本ルールの例外であるわけです。こういう例外が多いと、観ている側って腑に落ちないことも多いのですよね。ルールというものは、原則があってそれに沿った形で成立してくれていないと困ります。そして、ルールは単純であればあるほど面白いと僕などは思ったりもするわけです。

    こういう、よく分からない例外的ルールって他の競技でもあるんですよ。非常に単純なスポーツであっても、です。
    陸上競技などはルールはごく単純であるはずなんですが、あれ、どうしてだろ、と思えるようなルールもあります。例えば走り高跳びにはこういうルールが。「競技者は片足で踏切らなければならない」。
    なんで足を揃えて両足で踏切ってはいかんのでしょう。まあそりゃ実際は両足で踏切る人などいないでしょうけどね。理由がよく分からん。調べてみたいのですがどこで調べればいいのか分からないのです。詳しい人は教えて欲しいのですが…。
    サッカーなんかは実にルールは単純なわけです。だから誰でも楽しめる。ただひとつだけ「オフサイド」というやつがあります。あれはややこしいですね。由来は「待ち伏せ禁止」と一言でいえるわけですけど。オフサイドがなければ、長身FWをゴール前においてそこへいかにしてボールを出すかが争われるスポーツになっちゃうわけでこれではパスサッカーが成立しません。だから面白いのだ、と言えるわけですけれど、由来が待ち伏せは卑怯だ、という紳士のたしなみから始まっているのが少し面白いですね。じゃオフサイドトラップってのは紳士から見てどうなのでしょう(笑)。

    サッカーのオフサイドはいいとしましょう。僕がよくわからないのは、バレーボールなんですよ。
    例えばスクリーンプレイ。味方がサーブを打つ場合、球筋を隠すようにメンバーが位置どるのは反則。これも、審判の主観で決まりますね。こういうややこしいことがいくつもあるのですが、もっとも分からないのは「ブロック」です。
    バレーボールって、コート内で球に接触出来るのは3人まで、と決められています。だからレシーブ、トス、スパイクと流れていくわけですが、ブロックのワンタッチはその3回に含まれないのです。これって何で?明らかに触れているじゃないですか。どうしてワンタッチに含めないの?
    明らかに例外のルールだと思います。詳しいことは分かりませんけど、おそらくバレーボールにおいて「ブロック」という画期的な技がどこかで発明されたのでしょう。しかしブロックという技は失敗する確率が高い。失敗して後ろにそらしちゃえばもう味方は2回しか触れられない。急に不利になる。しかしブロックは有効な技なので危険を顧みず皆チャレンジする。そうすると、のるかそるかみたいな局面ばかりになり、急にバレーボールというゲームがつまらなくなる。もうブロックのワンタッチは回数に含めないようにすればどうか?そうすれば、ゲームは面白くなるし審判の判断もブロックアウトさえ見ていればいいのでややこしくなくなる(触れたか触れてないかはプレイ中の選手には分かりにくいので、あと何回触れられるかとか瞬時に判断せずともよくなる)。そういう経緯があるんじゃないかなぁ…(これは想像で詳しいことは知りません。誰か教えてくれ)。
    ブロックの定義って、おそらくネットの上端より上で相手の球を止めることなのでしょう。じゃ手がネットより上に出ていればもうそれはブロックとみなすのでしょうかね? 少なくともセンターラインより前であれば。じゃ相手がスパイクを打ち込んだのをスパイク返し(こんなスーパープレイは考えられませんけど)した場合もネットより上の攻防であればブロックの一種なんでしょうか。それを失敗した場合、そのプレイは3回には含まれないのでしょうか…?
    分かりにくいことを書いてすみません。読み飛ばしてください(汗)。
    そのブロックという技には更に例外のルールがありますね。まず、サーブを直接ブロックするのは禁止。前にこれやっていた国を見たことがありますから、最近作られたルールでしょうね。それから、ブロック後の1回目の球への接触はそのプレイヤーがやっても良い、というルール。つまりブロック失敗して吸い込んじゃった場合ですね。これも例外でしょう。普通ならダブルドリブルでしょうから。
    こんなの常識だ、と言われるでしょうけれども、よく考えるとややこしいんですよ。当該プレーをブロックだったか否かを判断するのは、結局審判になるのでしょうからね。なんかそんなところで僕のような偏屈物はつい引っかかってしまいます。

    話戻して野球になると、スリーバント以外でも腑に落ちないルールってまだあるんです。ホント単純なスポーツじゃないなと。
    例えばインフィールドフライの、捕球前の打者アウト。これは故意落球とからんで実にややこしいわけです。僕は子供の頃、TV中継で一度だけ故意落球と宣告されたプレーを見たことがありますが、なんか審判団が集まって協議してましたね。ややこしいものだとつくづく。
    それから、振り逃げ。なんですかねあれは。つまり3ストライクであっても、打者はアウトとなるとは限らないってルールです。これが成立するまでにはもちろん様々な歴史があって、それを説明するには紙面が足りないほどです。つまり、それほどややこしい。
    他にもね。そもそもボールデッドの概念であるとか。ファールチップも難しい。アピールプレイも理解しにくい。スリーバント以外にも、いろいろあるんです野球は。よくもこんな難しい競技がこれだけ浸透しているなとつくづく思いますよ。

    野球がややこしいのは、おそらく球技の中でもボールが直接得点に絡まないという点なのでしょうね。これってかなり特殊だと思うのです。
    サッカーやバスケットは、ゴールにボールが入れば得点。バレーはボールがコートに落ちれば得点。テニスやピンポンは、ボールを相手コートに返せなければ得点。ところが、野球は人が本塁にタッチすることで得点となるのです。こんなの、他にないでしょう。ソフトボールやキックベースは野球の亜流として。またクリケットは野球の父ですから含むとして。
    ゴルフは直接ボールが得点に絡むというわけじゃないですけどね。でも割に単純です。ボウリングもボールが直接得点ではないですけど、野球のように人が即得点と絡むわけじゃない。いろいろ考えていると、野球ってカンケリと似ています。カンケリを複雑怪奇にしたものが野球だ、と言えば怒られるでしょうけれども。

    話がイチローから相当ずれましたが(汗)。
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    | 2009/09/17 | スポーツ | 22:12 | comments(2) | trackbacks(0) |

    太陽が消えた日 パウリーニョ

  • 2009.09.03 Thursday
  • こういうことはサッカー界ではよくあることです。よくあることってのは重々承知してるんです。でも。

     パウリーニョ選手 移籍のお知らせ(サンガFC公式より)

    この件については噂も既に流れていましたし先走ったマスコミの報道もありました。ですから、驚きはなかったものの、まだどこかで「嘘だろ」という思いが捨てきれていなかったのも事実で、今朝新聞報道でそれが「間違いない」と知ったときには、なんともやるせない気持ちに襲われてしまいました。

    パウがいなくなるなんてなあ。

    移籍先はブラジルのスポルチ・レシフェ。正直あまりよく知らないのですけどブラジル国内リーグではセリエAにいる伝統あるチームらしいのです。それより、あのシャムスカが今指揮を執っているということ。おそらくブラジルにシャムスカが戻ったときに、補強を考えれば最もよく知るJリーグから、となったのでしょう。

    パウリーニョにとって、J再昇格の昨年、そして今年は決して納得のいくシーズンではなかったことは分かります。
    昨年は開幕早々にアキレス腱断裂、そのまま登録抹消。楽しみにしていた柳沢とのツートップはほとんど見られぬまま。しかし、チームはフェルナンジーニョを一時補強したものの、パウを切るなんてことはさすがにしませんでした。なんといってもうちのエースですから。
    けれども、チームはヴェルディからディエゴを獲得、そして彼に背番号10を与えました。松井大輔のあとを引き継いで5年間10番を守ってきたパウリーニョは20番に。これだけで怒ってチームを飛び出す場合もあると思うのです。でも、昨年ほぼ1年間戦力外であったパウは、それを受け入れざるを得なかったのでしょう。
    しかし、チーム戦術も大幅に変わってしまいました。1トップの4-2-3-1が基本布陣。その中でパウは左MFとされ、また1トップとして使われました。しかし結果がうまく残せません。もちろん、得点はディエゴに次ぐ5得点をあげています。しかし、チームになかなかフィットしない。
    みんな分かっているはずです。パウは2トップの一角としてもっとも輝きをみせるプレイヤーです。当初コンビを組んだアレモン、そしてアンドレ、また田原豊。みんなもうチームにはいません。柳沢、あるいは豊田とコンビを組んで、トップ下のディエゴとともに攻める形を熟成させれば、これはかなりの脅威になったと思います。しかし、怪我などもあり、そして何より監督がそういう戦術を執りませんでした。
    パウはそうした中で、不慣れなポジションでも懸命にプレーしていたとは思います。しかし、以前のような輝きを見せられず、不動のレギュラーとはなれませんでした。

    そして、移籍。

    5年間も在籍してくれた外国籍選手ってパウ以外にいなかったんじゃないでしょうか。それも、来てくれたのはJ2降格時。そのときからうちのエースとして君臨し、リーグ得点王。そしてJ1昇格。残念ながらすぐにまたJ2へ戻ることになったものの、パウはそのままチームに残ってくれました。そして再度の昇格に貢献。
    パウなくしてここ数年のチームは考えられない。そういう意味では、チーム史上最も貢献してくれた外国籍選手であると言えます。もはや助っ人という言葉は相応しくない。そしてその実績は、朴智星と同等であると言えるでしょう。日本での通算得点は68点。
    そして、いかにファン、サポーターに愛されたか。これは間違いなく1だと僕は思います。あの太陽のような笑顔。パウを嫌いなサポーターって存在するでしょうかね。みんなパウが大好きだった。これは誰しも賛同してくれるはず。

    そのパウリーニョが行ってしまう。
    "パープル"サンガを知る選手たちがひとり、またひとり居なくなっていく。そして、太陽のような破顔でいつも笑っていたパウまで。
    パウがいないチームなんてなあ。なんだか違和感があるなあ。

    パウリーニョは、殊勝なことを言ってくれています。
    「いつの日にかまた京都に戻ってくることを望んでいますし、そのためにもこれからはブラジルのチームで頑張っていきたいと思います。」
    こういう言葉を聞くと、最近涙もろいおっさんである僕は思わずホロリときてしまうわけですが、でもパウリーニョはもう帰ってはこないでしょう。いや、日本には帰ってくる可能性はあります。でも、それは多分よそのチームだ。
    そう考えざるを得ないのが実に辛いことです。でもおそらくは、そうだろう。

    笑顔が似合う選手でした。太陽のように明るい選手でした。
    やっぱりちょっとかなしい。いや、かなりかなしい。パウリーニョ、お世話になりました。
    長い間ありがと。
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    | 2009/09/03 | スポーツ | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |

    三沢光晴の死とプロレスの未来

  • 2009.06.15 Monday
  • 今朝、三沢光晴死亡のニュースを新聞紙上で知ったとき、僕はただただうろたえてしまいました。そんな馬鹿なことがあるかと。誤報じゃないのか。三沢がリングの上で技を受けて死ぬはずがない。あの受身の天才が。
    今、その後の報道などの情報を見ていますが、はっきりとした原因はまだ分かってはいないようです。動かなくなり心肺停止となった直前のバックドロップまでにもかなり三沢が試合上ダメージを受けていたこと、また最近三沢は体調が勝れなかったことなどが報道されています。必ずしも斎藤彰俊のバックドロップだけが原因ではないのかもしれません。
    まあそんなことを推測したりなんやしたりするのも既に虚しいことですが。

    プロレスラーという商売は、常に文字通り骨身を削っています。よくショーであるから、と言われますが、プロスポーツというものは全て観客があって成立するものであり、そういう言い方をすればプロ野球もサッカーも全てショーであると言えます。ただ、他の競技が内容より時として観客の、贔屓チームないしは競技者によって与えられる勝利という満足感・カタルシスが優先する場合があるのに比べて、プロレスの場合はほぼ競技内容だけが問われるスポーツです。昨今、例えばサッカー日本代表の試合などで(ことに親善試合である場合)、内容を厳しく問う視点があるのも承知していますが、それでも勝ちさえすればあるていどの満足感を観客に与えます。ショボい試合だけどまあ勝ったなら良しとするか。しかしプロレスは、極論すれば勝ち負けなどどちらでもいい。観ている観客の溜飲を下げさせるのはその中身だけである、という点で特殊であるかもしれないと思っています。そして、これは相当のプレッシャーを競技者に与え続けることになります。

    かつては、プロレスにも勝敗で観客にカタルシスを与えることが出来た時代がありました。日本のプロレスにおいても、その黎明期に力道山が君臨した時代は、「力道山が悪役の外国人レスラーに勝つ」ということで観客は溜飲を下げました。その時代は、ひとつ必殺技(空手チョップなど)が出ればもう試合は終り。それだけで顧客満足が得られていたのです。もちろん力道山という類い稀な個性あればこそでしょうが。
    しかし、時代は戦後という特殊な時期を過ぎ、敗戦国である日本の代表がアメリカ等から来る外人をなぎ倒すだけでは観客は満足しなくなってきます。馬場さんや猪木は、そうした中で必殺技をいくつも重ねて繰り出さねばならなくなります。そして、自らが窮地に立ちそこから逆転するというドラマも描かねばならなくなり、相手の厳しい技も受けきる必然性が出来てきます。相手の力を引き出して試合のレベルを上げ、その上で勝負するという過酷な状況が生じてきたのです。
    それでも、かつての馬場さんや猪木には、いわゆるカリスマ性もあり、その看板・キャラクターで観客を魅了することが出来たのではないかと思っています。ですが、そのスターたちも衰えます。そして次代の鶴田、天龍、長州、藤波、前田ら。彼らも頑張りました。しかし個性を前面に出すプランには限界もあります。やはりプロレスは試合で魅せてナンボです。しかし、試合の密度はもうこの時既にギリギリのところに来ていたのではなかったかと思っています。けれども過去の記憶は美化されます。同じことをやっていては客は満足しない。より高度に、より危険に見せてこそ観客は熱狂するのです。また、総合格闘技やK-1など、本来違うジャンルのスポーツを「プロレスのライバル」としてマスコミが取り上げます。もうプロレスの危険度は飽和状態に来ているというのに。
    そして、次の世代のレスラーたちは、さらに上のレベルを目指してしまいます。パンドラの箱を開けてしまうことに似ているかもしれません。いや、我々ファンが悪いんです。それを望んでしまったから。
    そのパンドラの箱を開けた(いや、開けざるを得なかった)レスラーたち。その旗頭が、三沢光晴だったということは言えると思います。

    いわゆる「垂直落下式」という技。いわゆる「雪崩式」「断崖式」という技。観客の予想を遥かに上回る危険度を秘めた技の数々。いや、秘めてなんかいない。誰が見たって危ない。その「誰が見たって」という部分に三沢は固執したのかもしれません。それでこそ裾野が広がるわけですから。
    しかし、観客はそれに麻痺してきます。前は、脳天をマットに突き刺したのにカウント2で跳ね返したじゃないか。今度は、トップロープの上から脳天逆落としで叩きつけてこそ3カウントを奪えるんじゃないか。場外に脳天杭打ちでもう立てなくなるんじゃないか。そんなことを思ってしまったりもします。そして、実際にマット上でそういうことが起こります。それを僕のような訳知り顔のファンは「技に説得力がある」なんてしたり顔で言うのです。
    俺たちは阿呆だ。

    プロレスの試合中のことでレスラーが死亡することは、過去にもちろん例が多くあります。ですがよくある事のようでそんなにありません。背反することを書いているのは承知です。
    かつて、バディ・オースチンは、パイルドライバーで2人を死に至らしめた、とは有名な話です。オックス・ベーカーも結果的に2人を死なせてしまっています。これらは相当古い話ですが、身近なところではオーエン・ハート、そしてゲーリー・オブライトが死んでいます。2人とも日本ではおなじみのレスラーでした。
    日本では、女子プロレスにおいてプラム麻里子、門恵美子が死去しています。これは衝撃的でした。そして死亡事故ではありませんが、馳浩がやはりバックドロップによって「あわや」という事故もおきています。
    基本的に、危険なんです。プロレスは。どう考えたって。
    だからレスラーたちはリングで死なないために、受身技術をひたすら磨くのです。壮絶なトレーニングをして磨くのです。技を受けなければ観客が満足しない、という恐ろしい世界で生き抜くために。
    けれども、ダメージが蓄積することは避けられません。毎日頚椎を少しづつ損傷しながら生きている、とも言われるこの世界。レスラーの多くは早死にです。そんな追悼記事をいくつも僕は書いてきました。橋本真也のことはまだ記憶に新しいでしょう。
    しかし、リングで死に至ることは少ない。結果的にあの試合で…ということは多くあるにせよ、こんなふうに一発で亡くなってしまうことは、受身技術がまだ十分向上していなかった昔であればともかく、さほどの例が思いつかないのです。オーエンハートは結局転落事故ですし。しかも、「受身の達人」であり、どれだけ技を受けてもカウント3には至らない三沢であったはずなのに。
    これはよっぽどのことです。
    しかしながら、三沢は、世界でも有数の「下手すれば死に至る技」を受けてきたレスラーでもありました。

    これからプロレスはどうなるんだろう。そんなことを考えてしまいます。
    日本でも最有力手のプロレス団体のエースレスラーであり社長が一瞬にして欠けてしまう、ということ。そして、その原因が自らが先頭に立ってきた「死ぬかもしれないプロレス」であったということ。
    受身が下手な新人レスラーではなく最高に巧いベテランが、この「プロレス」で亡くなったという事実が、プロレスの形態を変えることになるのでしょうか。
    こうして誰かが亡くなってから、では遅すぎるのですが、観る人が観れば、ノアのプロレスは危険すぎる、ということが分かっていたはずです。僕ですらそう思っていたくらいですから。しかし歯止めをかける人もいなかった。社長自らが率先して身体を張っていたわけですから。そして何よりファンがそれを望んでいた。
    これからはどうなっていくんだろう。
    急激な技の退潮は、ファンが離れていく危険性を孕みます。しかし、こんなことを続けてはいられないはずなのです。でもどうやって、「生き続けるプロレス」を表現していけばいいのでしょうか。
    僕のようなおっさんは、プロレスがどんな形であれ、自らを揶揄した形態にならない限りは永遠に観続けるだろうと思います。他の格闘技がプロレスより上位に来ることなどありえない。
    僕たちはいいんだ。僕たちは、馬場さんが逆三角形の体躯であった時代も知っているんだ。世間的には「あんなもの」と失笑されていた馬場さんのチョップも、会場に行けば骨がカツン!と当たって響く音も聞こえる、そんな凄さも知っているんだ。だから、どんなプロレスであってもそれが恐ろしく鍛えぬいた肉体の表現であることは知ってる。
    けれども、今プロレスを見ている若い人たちはどうなんだろう。それがなんとも気がかりなんです。
    プロレスの未来はいったいどうなっていくんだろう。


    三沢さんという方については、もちろんリング上で、またTV画面で、また雑誌の紙面ででしか存じ上げません。しかし、実に親分肌でいい人であったと言われます。言われるだけでなく実際そうなのでしょう。
    プロレスの世界というのは、基本的に一匹狼の寄り集まり、離合集散が実に激しい世界です。自分のことは自分で責任を持つ。それが当たり前とされているように見受けられます。
    しかしながら、三沢さんはプロレスラーを労働者として評価し、また身体を壊したらそれで終り、しかも潰しが利かない不器用なレスラーたちの未来を考えようとしていたようにも見えます。健康診断も行い、ケアもしっかりする。そういうことをしっかりと制度的に整えようと思っていた人であったように推察します。それは、自分の主催する団体だけでなく、プロレス界全体を見据える視野の広さも持ち合わせていたようにも。
    団体乱立のプロレス界ではそういうことがし難い世界でしたが、もしかしたら三沢さんであれば出来るのではないのか。そんな幻想も持たせてくれた人でした。将来は、日本プロレス協会設立、そして初代コミッショナーとなるべき人だったのかもしれません。
    レスラーとしては、もちろん一流でした。僕が言うまでもないことです。46歳という年齢と、社長としての激務、そして長年の酷使により満身創痍となっていた肉体のことを考えると、よくもあれだけの試合をこなせていたと。しかし、やはり無理もあったのでしょう。ノアが地上波から消されてしまったことは大変なショックだったはずです。そうして様々なことが積み重なっての今回のことだと思います。
    斎藤彰俊のことが心配です。三沢さんもそう思っているのではないでしょうか。

    もうあのエルボーは見られない。

    三沢さん、ありがとうございました。本当にありがとうございました。
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    | 2009/06/15 | スポーツ | 01:18 | comments(10) | trackbacks(0) |


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