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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    ミイラ取りが

  • 2014.04.03 Thursday
  • 僕の両親も二人とも80歳を越え、長生きしてくれて本当に有難いと思っています。いつまでも元気でいてほしいと子供の立場からは思うのですが、なかなかそうもいきません。徐々に体力は低下しているようで、まあそれは当たり前なのですが、付随して性格が頑固になったり物忘れが激しくなったりでいろいろと困ることも出てきます。
    母親は、どうも死ぬことばかり考えています。どうやらTVで見た「終活」という言葉に影響されたらしく、棺桶に入るときはこれを着る、葬式の写真はこれ、などと準備を毎日の如くしているようで。
    で、電話が時々かかってくるわけです。「遺書て形式ふまな無効になるのん?」とか。TVで見たのでしょう(汗)。あたしは学生時代の民法の本なんかを引っ張り出しては答えたりしているわけですが、何を遺言したいのと聞けば、箪笥の整理やら庭の植木の話とかやらで「そんなん形式いらんわ!」と僕などはつい叫んでしまいます。形式がいるのは財産分与とか相続に関することや。ワシらになんぞ分けてくれるんかいな。分けてくれるんなら今分けてくれ(笑)。

    最も多いのは墓に関することです。昼間突然電話してきたりします。僕は車の運転中だったりして、突然母親からの電話ですから何か起こったかとびっくりして車を路肩に止め、電話に出ます。さすれば「あのなあ、お墓の話やけどなぁ…」そんなん休日か夜にしてくれや。今忙しいねん(汗)。
    確かに、死んだあとどうなるのか、ということは、心配なのかもしれません。残されたものに迷惑はかけたくない。だから道筋はしっかりとつけておく。あの歳になって夢中になれることがひとつでも増えたというのは慶賀すべきことかもしれませんが、墓に夢中になられてもなあ。
    こういうときは「あとのことは心配するな、そんなこと考えなくてもいい」と言うのが正しい息子のあり方でしょう。僕も最初はそのようなことを言っていたわけです。
    しかし、何度も繰り返されると、僕はこういう性格なので、ついいっしょになって考えてしまうわけです。宗派のこと、形式のこと、墓石のこと。そして母親に何を聞かれてもいいように本を読みだすんです。このあたりで、僕も道筋を外しています。ワシのやってることは、なんかおかしい。
    そして歴ヲタの本領発揮をして、墓の歴史などを古墳に遡っていろいろ調べたりしてしまうのですわ。こういうときは、墓のHowto本なんかを読んで、墓画の確保の仕方や永代供養の実際、予算、また祀り方などを勉強するのが普通でしょう。なんで昔の墓のことに思いを馳せたりするのか。全く病膏肓です。

    しかし、墓のことは奥が深くて。調べだすと止まらないんです。僕は、ついに実際に時間を割いて墓地を見てまわるようになりました。
    そうなると、無類の金石文好きなのが災いしまして。僕は石に刻まれた古い文字を見るのが趣味なんですよ。面白くてしょうがない。で結局、こういう前説を書いて(→西宮市域における村落墓地の成立まで)、僕が住んでる町の墓地をひとつひとつ回って、それを書くということを始めてしまっているのです。こういうのは結局、おかんの影響です。
    ミイラ取りがミイラになる、ということわざがありますが、どうもそれを地でいっているような気がします。墓だけに。

    最近は、墓地に付随してどうも民俗学的な方向に進んでいます。今読んでるのは、地蔵とか庚申とか弁天とか稲荷とか…民間信仰の本ばかりです。江戸時代の村落の墓と檀那寺と鎮守の社ということを調べていますと、どうしてももうひとつ信仰形態があることに気づきます。講とかね。そういうことを知らないと、語れないことがあります。
    ああどんどん深みに入ってる。どうしよう。

    とりあえず今日の一曲を。ZABADAKの「満ち潮の夜」。

     
     遠い音楽 ZABADAK youtube

    ZABADAKって聴き始めるとハマって抜け出られなくなります。中毒性がありますよね。
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    | 2014/04/03 | 雑感 | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) |

    「お盆に墓参り」の謎

  • 2013.08.13 Tuesday
  • お盆ですね。お盆と言えば帰省ラッシュ、という言葉がセットになっているわけですが。
    お盆の時期にどうして里帰りをするのか。多くの人は「墓参りだ」と答えられるでしょう。もちろん今のご時世それだけじゃないでしょうが。

    以前にも書いたことがありますが、不思議に思っていたことがありまして。それは、お盆の時期には祖霊が家に帰ってくるはずで、お墓は空家状態ではないのだろうか、ということです。
    行事としては、盆の入りは迎え火を焚いたりね。ほとけさんが道を間違えないように。僕の故郷である京都では「おしょらいさん」と言って、祖霊を迎えに行きます。地域によっては、キュウリやナスに足をつけて乗り物に擬したり。
    そして仏事を為して、ほとけさんにお帰りいただく。京都では盛大に送り火を焚きます(大文字)。また、地方によっては精霊流しなど、いろいろ行事があります。
    行事は様々ですが、基本的にはお盆の期間中、祖霊は戻ってこられています。じゃ墓参にいくのはおかしいじゃないか、というのが疑問。

    これについて、ちゃんと考えようと前から思っていたのですが、この問題はかなり難しいなと…。というのは、ベースの部分をよく理解していないと、なんだかわからないからなんです。
    少なくとも、
    ・お盆という行事は、どこから由来して定着したのか
    ・墓参という行為は、いったい何か
    ・祖霊の魂が家に帰ってくるという信仰は、どこから生じたのか。
    このあたりがしっかり理解できていないと、答えが出ないような気がしまして。

    お盆とは何か。これすら、僕にはよくわかっていません。もっとも、正確に掌握している人の方が少ないと思いますが。なんとなしに仏教っぽいという感じくらいで。
    お盆という行事は「盂蘭盆会」から由来しているということは、どこでも言われています。しかし盂蘭盆という言葉の語源すら確定していない。おそらくサンスクリット語ではないかと言われるだけ(異説もあります)。なんとなく祖霊信仰的な香りがする、くらいでしょうか。
    「盂蘭盆経」というお経がありまして、それが盂蘭盆会の典拠なのですが、このお経は天竺由来(つまりお釈迦様の教え)ではなく、中国成立説が有力です。そもそも原始仏教は解脱目的であり、儒教的精神(祖先祭祀・孝)が入った経典は、いかにも中国ふうです。
    これが日本には古くから入っていました。斉明天皇代に「且設盂蘭瓮會(657年)」や「於京内諸寺勸講盂蘭盆經(659年)」といった文言がみられます(日本書紀)。これは宮中行事ですが、こうして中国由来で祖先信仰としてのお盆行事が伝来し、徐々に定着していった、とも言えるわけです。
    でもね、それだけじゃ「地蔵盆」とか「盆踊り」とかよくわかんないわけですよ。
    これは、習合した、と考えるのが最も適うのではないかと思いますけれどもね。祖先崇拝という信仰が、そもそも日本にあった。そこに、盂蘭盆経が入ってきて溶け合っていった、と。
    あるいは、時期的に収穫祭も混ざっているのかもしれません。そして、今年も豊作だったのはご先祖様のおかげ、という感謝の気持ちが盂蘭盆会と重なってゆく。
    それ以上はよくわかりませんけれどもねー。ただ、日本の土着信仰と中国の偽経が合わさったものならば、あまり仏教とは関係ないな。

    で、お墓ですけど、これも実は仏教っぽくない。そもそも仏教は輪廻転生説で、死ねば遺骸は抜け殻です。
    仏教伝来以前は、日本では遺骸は丁寧に葬ってきました。古墳はその頂点です。ところが平安時代などは、例えばあれだけ権勢を極めた藤原道長でさえ、墳墓が確定しません。例えば京都では「あだし野の露消ゆるときなく鳥部山の煙立ち去らでのみ」と徒然草に書かれるとおり、化野や鳥辺野や蓮台野が葬送の地であり、はっきり書けば初期は死体遺棄場所でした。藤原氏のような貴族は一応墓地があったものの(木幡墓所など)、あまりかえりみられる場所ではなく、現在にまでしっかり伝わっていないのです。
    供養塔のような形でお墓が成立してくるのは、大雑把にみて中世以降と考えていいように思います。そして今まで葬送には関わりがなかった仏教が、鎌倉仏教以降融合してきます。
    しかしそれでも、霊場納骨が盛んになったり、葬送の地と墓が分離していたりで、今とはまだまだ様相が異なります(両墓制)。
    墓地という場所が明確になり、そこに火葬した骨を納めて石塔が建つのは、江戸時代に檀家制度が確立して以降か。しかし地方では土葬がまだまだ主流でしたから、現在のような形になるのは、明治以降、あるいはもしかしたら戦後の可能性もあります。
    遺骸(お骨)が納められている場所には昔は詣らなかった。詣るためだけに別に墓を作った。これは全てではないと思いますが、遺骸への忌避感などもあったのかもしれません。土葬だと腐敗しますからね。
    現在は火葬で、お骨と墓は一体化しています。しかしながら、普段は仏壇に線香をあげ、墓には、それこそ盆や正月、お彼岸、命日などにしかいかない。これは、埋め墓と詣り墓がスライドしただけのように僕には思えます。

    ならば、祖霊の魂はいったい普段はどこにいるのか。
    お墓にご先祖様(の魂)が宿っていると考えるから、その魂を迎え火焚いて家に呼ぶのに、なんで抜け殻のお墓に詣るのか、というところから当初の疑問が出てくるわけです。しかし、本当に魂はお墓に宿っていると古来から考えられていたのでしょうか。
    「私の〜お墓の前で泣かないで下さい〜そこに私は居ません〜眠ってなんかいません〜♪」
    この、魂は千の風になっているという歌は海外由来です。しかし、日本にもこれに近い考え方はあったと思われます。
    柳田國男が「先祖の話」で論じていることによれば、死んだ人の魂はそんなに遠くへ行かないのではないか、と考えるのが昔の日本の常民の霊魂観だったとされています。例えば、故郷の山の頂などに留まっている。そして祭礼の折に呼び寄せれば、帰ってきてくれる。
    これは、御招霊(おしょらいさん)の考え方と同じことです。柳田國男は、こういう信仰に「お盆」の原型をみています。盂蘭盆会ではない、日本の土着信仰からお盆行事は由来していると。
    さらに、魂は冥界にゆくという考え方があります。神話の世界にも「黄泉の国」「根の国」が出てきます。
    仏教は、本来は輪廻と解脱の世界観です。しかしその六道輪廻から、地獄や畜生道へ落ちる可能性がある、という話になり、民間信仰、さらに道教と習合して、死ねば三途の川を渡り閻魔様に審判を仰ぎ…なんて話が出てくるわけです。
    あるいは、浄土教においては西方浄土があり、浄土真宗に至ってはどんなことをしてでも阿弥陀さまが救って浄土へと連れて行って下さいます。往生するんです。
    いろいろな考え方がありますが、いずれにしても、死者の霊はお墓には宿っていません。
    祖霊の魂があるとすれば、黄泉の国へゆくか、極楽浄土へゆくか、三途の川を渡って冥界にゆくか、そのまま故郷の山々に留まるか、千の風になるか。
    明治以降に日本に定着した(禁教が解けた)キリスト教、あるいはイスラム、ヒンズー教などについては、日本の土着信仰に殆ど融合していませんので関わりが難しく考えていません。そもそも荼毘にして骨は川に流すインドではお墓が存在し得ませんし…。キリスト、イスラム教では唯一神信仰で祖霊崇拝はありません。

    お墓に、先祖の魂が普段から居ない、とすれば、盆の墓参りについての疑問はひとまず消えてしまいます。留守宅の墓に参るわけではなく、そもそもお墓に祖霊は居ないのですから。
    では、お墓とは何か。
    ひとつは、もちろん遺骸埋葬地という役割です。現在は火葬なので、納骨してある場所です。ただし、その遺骸(骨)に祖霊は宿っていない。魂は分離しています。西方浄土か千の風かは考え方によりますが。
    その風になった祖霊の魂は、呼べば来てくれるのです。それが、柳田國男が説く古来からの霊魂観です。現在もそれは生きていると言えるでしょう。例えば花嫁は死んだ父に結婚の報告をしに、お墓に来ます。そこに普段からお父さんがいないとすれば、娘さんの報告を聞くために墓に下りてきてくれるわけです。そうして「幸せになります」という娘の言葉を聞く。
    さすれば、墓は「依り代」であるといえます。それが現在の墓のもうひとつの役割です。

    お盆の際に、伝統を重んじている地域ではもちろん迎え火を焚き、祖霊の居る場所として祭壇を設けます。
    この祭壇も、依り代ということになります。そして、お墓も、また近世に生まれてきたとも言われる位牌棚や仏壇もまた、祖霊が下りてこられる場所としての、依り代なのです。
    ということは、どれも同じだ。
    盆の行事(迎え火や祭壇の設置や精霊流しなど)の発祥と、石塔(主として四角柱)に文字を刻み下部にカロウト(納骨室)を持つ現在の墓の成立はどちらが古いか、といったことはよくわからないのですが、どっちも依り代であるならば、どこへ詣ろうと同じことです。祖霊は、呼びかければ瞬時に下りてきてくれるはずです。
    祖霊が道に迷わぬように迎え火を焚く、という話は、僕はどうも解せないところがあるのですね。隣近所みんな火を焚けば、かえって迷うじゃないですか。火を焚くという行為にはまた別の意味があるのではないかと。祖霊は、そんな目印はなくとも会いたいと願う子孫のもとへやってきてくれる。

    つまり盆というのは、祖霊を祀る行事です。今ふうに言えば、死んだじいちゃんやばあちゃんを思い出し懐かしむ日に他ならないわけです。
    ならば、仏壇でも墓でもどこでもいいのではないでしょうか。墓も仏壇も依り代として、祖霊が下りてきやすい場所であり、こちらの視点で言えばどこも思いを馳せるに相応しい場所でしょう。行けるところは、みんな行った方がいい。普段参らない墓も、ちゃんと綺麗にしよう。そのことで、故人を偲ぶのです。

    なんだか、僕はわかってきたような気がします。理屈をこねて考えて、最後に「理屈じゃない」ところへ帰着するのもどうなの、という気はしますが、祖霊の所在をしつこく特定してもしょうがない、ということにどうしても思い当たってしまって。依り代があり、思いがあれば、祖霊に逢えると信じることもまた功徳です。
    というわけで、僕も墓参りにいってこようと思います。仏壇にも参ってきます。いずれも日帰りですが(汗)。
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    | 2013/08/13 | 雑感 | 06:36 | comments(0) | trackbacks(0) |

    嫌電の夏

  • 2013.08.12 Monday
  • 夏真っ盛りですね。暑い暑い。むしろ熱いと書いたほうがいいかもしれませんなあ。
    しかし、我が家は今年の夏もクーラーを稼動させていません。汗を流しながら踏ん張っています。世間的にはこういうのは「節電」なんでしょうね。
    しかしこれは地球環境への影響を配慮して、とか原発反対とか、そんな大そうな問題ではないんです。ワシら難しいことも分かりませんし大した思想も持ちあわせていません。これは強いて言えば、電力会社がキライだ、というのが最も大きな理由だと思うんですねー。
    なんか電力会社って、余裕が見えてムカツクんです(笑)。普通の企業であれば、作ったものを買ってくれなかったら業績悪化で経営危機になるでしょう。だから、買ってくれ使ってくれと必死で営業するわけです。けど電力会社は「節電をお願いします」とか言う。余裕あるやん。なのに政府と結託して値上げもする。地域の電気供給を独占しているからです。しかし独禁法には引っかからない。
    だから、他人のことは知りませんが、ワシ個人は電力会社に出来るだけカネを払いたくないんです。しかし自家発電能力も持たず他会社から供給を受ける手段も有していません。残された方法は、電気を極力使わずにいることしかありません。
    つまりこれは「節電」ではなく「嫌電」なんです。

    ちょっと検索しましたら、平均的家庭の月間電気料金って、7〜8000円くらいなんだそうですね。うちはまあ半分以下でしょう。1/3と言えば言いすぎでしょうが、そのくらいに抑えられています。
    まあね、狭い我が家ですし家族も少ないので、これは単純には比較できません。ところが、うちは電気料金が一年を通じてほぼ変動がないんです。春も夏も冬も、だいたい同じ。
    つまり冷暖房費が無いのです。これは、大きいかもしれません。
    冬は、電気以外の暖房機器もあります。また僕が住む地域はそんなに寒くないので、ストーブ等を活用しなくてもドテラや毛糸の靴下で十分まかなえています。コタツを出していますがスイッチ入れてません。でも布団に足突っ込んでるだけで暖かいんです。これは助かります。
    しかし、夏はそうはいきません。重ね着は出来ても、裸以上には脱げないのですから。
    したがって、対策が必要となります。

    方法のひとつとして、
    「昼は家に居ない」
    というのがあります。どっか冷房の効いたところに行く。他人の褌で相撲です。僕らが大した思想を持っていないことがこれでわかります。自分さえ良ければいいんだ。
    僕はいいとしてもカミさんは…と言えば、彼女も節約大好きなので、昼間はほぼ家に居ないようです。冷気は他所で享受する。そして我慢できなくなったら田舎に帰る。「実家に帰らせていただきますっ!」というヤツですな。郷里は東北なので、まあまあ涼しいようです。うらやましい。

    次に、家の風向きを研究するということがあります。
    僕が住む場所は、比較的海が近い。これは、ありがたいことです。京都生まれの僕は、内陸の暑さというものを身にしみて知っています。夜になっても空気が冷めない。そしてねっちょりと湿度が高いのも不快です。そこへいくと、夜に涼しい風が吹くというのはそれだけで極楽です。
    家の窓が三方面にあります。これ、みんな開け放てばいいというものでもありません。風の動きを的確にとらえ、どの窓を開ければ自分がいる部屋に風が集中的にうまく通るのかを知らねばなりません。閉めたほうがいい窓もあるんです。そうして、風を操る(笑)。
    一時期、風鈴をつるしていた時期もありましたが、やかましいので止めました。チンチンなってうるさい。つまりそれだけ、風はあるんです。

    他にも、すだれやゴーヤ栽培によるグリーンカーテンなど、いくつも出来る手段はあると思います。一軒家に住んでれば僕もゴーヤ栽培はするだろうなぁ。美味いし。

    それ以外では…
    定番ですが「怖い話をする」というのがやはりいいかと。怪談は夏の夜に欠かせません。
    しかしながら、僕自身は霊感があるわけでもなく、霊的な経験はほぼありません。昔一度だけ、不思議な体験をしたことはありますが(昔書いたこの話)、それ以外は全く。
    歴ヲタなので墓所や古戦場、自決地などにもよく訪れるのですが、あまり怖い体験はありません。写真もじゃんじゃん撮りますが、何かが映っていた、なんてことはない。
    しかし僕は昔から心霊写真、心霊ビデオというものが好きでして。多少怪しいものでもよく見ています。趣味がよろしくありませんな。TVだと録画したり、最近はネットでもよくアップされていますから保存したりしていました。
    そういうのは夏に見るのに実に適しているのですが、カミさんは大嫌いでしてね。「呪われるんじゃないの」とか言って怖がってます。「一人でこっそり見ててもいいけど残しておかないで」と強く言うので、今は保存はしないようにしています。
    でも見れば一時的にPC内には残るので、終われば即シャットダウンします。ディスククリーンアップまで要求されたり。面倒ですよ(汗)。
    しかし消しても消しても、その動画だけは消去できなかったんです。
    あれは焦りました。何故か残っている。しかも、ごみ箱の中にです。全てを消去して存在がないことを確認しシャットダウンした後、もう一度立ち上げると、カラにしたはずのごみ箱に何かファイルが残っている。確認するまでも無く、その動画です。
    1ヶ月後くらいですかね、いつの間にか消えていました。あのときはPC買い替えを検討しましたよ。
    それはフラッシュ動画なんですが、ネットにまだアップされています。多分保存せず見るだけなら問題ないと思いますけど…見ないほうがいいですよ。いちおう…これですが。
    この手の動画は、よく出回ってますね。Youtubeにもある(こんなのとか)。あっクリックしなくていいですよ(汗)。責任とれませんので。
    僕が最も恐怖感を持ったのはこれで、一瞬にして総毛立ちます。涼しくなりますが、絶対に見てはいけません。

    他に涼しくなる方法と言えば…もうオヤヂギャグしかありませんか。
    最近もっとも涼しかったものと言えば、
    「台湾に行きたいわん」
    でしょうかね。これは冷風が吹きました。すばらしい。また伝統的な
    「ようかんはよう噛んで食べなさい」
    もいい。気温低下します。なに、低下ていかないって? どうせあたしのオヤジギャグなんてだめでしょうよ(おや…自虐゛的になってしまった)
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    | 2013/08/12 | 雑感 | 05:33 | comments(0) | trackbacks(0) |

    くつの話

  • 2013.08.10 Saturday
  • だいたい人って平均何足くらい靴を所持しているものなんでしょうかね。
    芸能人等はそりゃお仕事ですから何百足とか持っている人もいるでしょうよ。でも、普通はそんなに持ってないよねえ?
    先日「ワシ10足くらいかな?」と言って驚かれたわけですが。
    だって、靴って毎日履き替えなければならないものでもないでしょう。僕はいつも同じ靴ですよ。それってまずいのかな。よく「足元を見られる」とか言いますものね。あれは別に靴を見ているわけではないんでしょうが…。
    うーむと思って、いちどちゃんと数えてみました。

    まず一応ビジネスふうの靴が4足。そのうち2足が、普段履きです。ことにひとつは靴紐ナシの安物。ラクですね。
    1足はフォーマルっぽいちゃんとした革靴ですが、これは滅多に履かないなー。冠婚葬祭とあとは…? もう1足はフォーマルとビジネスの間くらいの中途半端な靴。時と場合で履き分けます。
    正確には、このての黒い靴はもう1足あるんです。それは、北陸在住時代に履いていたヤツで、普通に見れば紳士靴なんですが、実は短いブーツ。スパイク付きです。つまり雪道用ですね。これ、もう必要ないかなーといつも思うのですが、なんか捨てられない。
    運動靴で一番履いているのは、ジョギングシューズという範疇で買い求めたものです。底が厚くて足にやさしい。別にジョギングとかしませんけどね(汗)。
    白いデッキシューズが1足。軽い。さらに、なんちゃってキャラバンシューズが1足。登山靴というには恥ずかしいくらいですが、底が分厚くてかたく、富士山もこれで登りました。
    少しおしゃれな靴もひとつ。ブーツではないのですが…昔はこういうの編上げ靴と言ったような。足首まである革靴です。履くの面倒なので滅多に使用しませんが、カジュアルな場所なのに運動靴じゃまずい場合に重宝します。
    以上…あれ、9足しかないじゃん(汗)。
    ちょっと靴箱を見ます。さすれば、長靴がありました(笑)。これで、10足。長靴ももう滅多に履きません。雪の降るところに住んでたときは、多用しましたが。
    それで思い出しましたが、スノトレも持ってました。これは、女房の実家にキープしてあります。雪国なので、役立ちます。
    11足あった(笑)。えーと下駄とビーサン(2足)加えればもっと増えます。なんだ案外持ってますやん。

    しかし、10足ってのは少ないと指摘されましたわ。まあそうかもしれないなー。服によって靴を替える、なんてことは面倒くさくてしてませんものね(スーツとジーパンと短パン全て同じ靴ではもちろんありませんが)。
    でもそんなことやってたら、すぐ靴箱いっぱいになるでしょ? 僕は履きつぶしてから買うな、たいていは。一応大きな靴箱が玄関に置いてありますが、大半はカミさんの履物が入ってます。

    えーっと、これは僕の靴貧乏譚を書こうと思った話ではないのです。靴の話って、つくづく難しいなと思ったんで。何が難しいって、用語です。
    ファッションに疎いということは以前から書いていますが、中でも人と靴の話をしたことなど今までなかったもので。さっぱりわからん。
    僕はその時、安物の靴紐ナシのヤツを履いていたのですが、
    「ローファーはひとつしか持ってないんですか?」
    などと言われて目が泳いでしまったのです。なんだよローファーって?
    他にもいろんな用語が飛び交い、よくわからないのですが逃げることもかなわず。
    で、まあそういう靴用語などを検索して調べつつ、今ブログ書いているわけです。

    こちらのサイト見てますと、ああ確かにあのときワシが履いていたのはローファーだった、ということはわかりました。スリッポンという言葉も出ていたな。しかし、ここまで詳しい分類などとても覚えられませんよ。
    それよりさっき僕は「デッキシューズが1足」と書きましたが、サイトを見ますと僕のはもしかしたらデッキシューズではないのかもしれません。こんなデザインではないや。しかし確か靴屋では「デッキシューズ」と書いてあったと思うのですが…。だって、革じゃないもん布だもん(汗)。底はゴムでんがな。
    全くもって、難しい。
    だいたい用語も、変わっていくように思えますしね。チョッキがベスト、ジーンズがデニムになるが如く。

    僕は、いまだによくわかっていない言葉があるんですよ。これを書くのは誠に恥ずかしいことではあるのですが、いまいち定義が理解できないので書いてしまいます。それは「スニーカー」です。30年来、よくわからず曖昧なまま過ごしてきました(汗)。
    この時代ですから検索すればわかりそうなものですが、wikipediaを広げてもよく理解できない。
    「運動靴の一種」と書いてありますから、運動靴の中にはスニーカーとそれ以外のものがあるわけでしょう。運動靴=スニーカーではない。
    「靴底はラバー」と書いてあって、ラバーって言葉もよくわかんないから(卓球ラケットで聞くくらいなので^^;)、調べたらどうもゴムのことらしく。じゃあ、ゴム底ならみなスニーカーか、と言われたらそうじゃないようで。「キャンバス地」とかよくわからない用語もたくさん出てきて、定義づけがしにくく。
    スニーカーのデザインは実に多様なので、定義の決め手は素材かなーと思うのですが。
    「足を覆う上層部を柔らかい革、または人工素材で覆い、靴底は地面との摩擦を最適に保つためにラバーを使用」したものがスニーカーの定義とすれば、運動靴=スニーカーとも思えます。読んでましたら、テニッシュもバッシュもスニーカーの一種であるかのようで。
    じゃあスニーカーではない運動靴って何、と聞きたいんです。まさか野球用などの特殊な靴を指すわけじゃないでしょう。ゴルフやサッカーシューズのようなスパイク付きのものを、運動靴とは言いますまい。うーむ。

    想像なので、間違いかもしれないのですが。
    「スニーカー」なんて言葉は、僕の子供の頃には一般的でなかったと思うんです。多分。知らなかっただけと言われればそれまでですが、wikipediaにも「スニーカーが流行しだしたのは、1970年代後期」と書かれています。
    これは世界的に、ということなのか、日本で、ということなのかよくわかりませんが、僕の記憶では70年代後半と言われればそのようにも思えます。
    「虹とスニーカーの頃」が79年、マッチの「スニーカーぶる〜す」が出たのが80年。そのあたりが、言葉として定着しかかった頃ではないかと。
    流行語、と言うには違うかもしれませんが、運動靴ではあるものの運動靴と呼べばダサい、という感覚があって、所謂「カジュアル」な、運動の場ではなく普段から履いていい運動靴、みたいな感じで呼ばれたように思います。
    しかしそれまでも、普段僕らは靴底がラバーで、上部が布製で柔らかい靴は履いていました。それは何と呼んでいたか。
    おそらく「ズック靴」ではなかったでしょうか。
    ズック=スニーカー、であれば、なんとなしに感覚としてわかるんです。
    ズックってもう死語かもしれません。若い人はまず言わないでしょう。ならば、スニーカーという言葉がズックにとってかわった、席巻した(理由は、なんとなくおしゃれに聞こえる)、ということなのかどうか。
    疎い人間がグダグダ言っていてもしょうがないんですけれどもね。誰か教えてくれ。
    (教えてくれるなら、やさしく教えてくれ 笑)


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    | 2013/08/10 | 雑感 | 05:57 | comments(0) | trackbacks(0) |

    インスピレイションの風景

  • 2013.07.20 Saturday
  • 前回の続き。鬼平犯科帳のエンディングの話なんですけれども。
    ジプシーキングスの音楽にのって、四季の日本の風景が登場します。→(youtube)
    桜が咲き、屋形船で花見。梅雨が来て紫陽花が雨に打たれ、そして夏。風鈴売りが歩き、ところてんをすする。花火を見上げるともう秋。紅葉を愛でるうちに、雪が降り出す。屋台の二八蕎麦をたぐる町のひとたち。
    美しいですね。これ、ほとんどが京都だと前回書きました。
    京都をよく知る人なら、だいたい分かると思います。桜にあの五重塔は、仁和寺。そして近江八幡(滋賀県)の堀。屋形船は大沢池でしょう。ところてんの茶店は今宮神社。紅葉は東福寺。
    ただひとつ、紫陽花が驟雨にけむるあの橋はどこかわからん。検索してみたら、こちらのブログに、園部川に架かる魔気橋だと。ああ園部か。これは、わからなかった。

    大覚寺、大沢池なんてのは、太秦の撮影所が近いこともあって、たいていの時代劇には登場します。だいたい水辺なら大沢池か広沢池と思っていいかも。仁和寺も、撮影所に比較的近いですね。
    仁和寺は世界遺産にもなっている名刹ですが、ここの桜は京都で一番遅咲きの桜「御室桜」なんです。そしてなぜか、木の背丈が低く、男の身長よりちょっと高いくらいでしょうか。不思議な桜なんです。
    「わたしゃお多福 御室の桜 鼻(花)は低くても 人が好く」
    最盛期は、4月半ばくらい。
    前にも書いたことがあると思うのですが、大学に入学したとき。動き出して新入生達が仲良くなるころには、たいてい桜は終わっています。
    「花見がしたかったな。もう散っちゃったけど(地方から来たヤツ)」
    「いや、まだ咲いてるとこあるで(僕)」
    「ホントかよ、じゃ花見しよーぜ」
    で、桜を観に仁和寺へくりだしました。大学から歩いて行ける距離です。
    そこで「え、拝観料がいるのかよ」「何だよ騒げねーのかよ」と花見は酒を呑むものだと決めてかかっているヤツら(そのときは主として東日本や九州の連中)と意見が食い違ったのを思い出します。桜を愛でるだけではダメなんかいな(笑)。もっとも、僕はまだ未成年でした。(同級生には成人しているのも居ましたが)
    御室の桜も、何年もみていません。

    これら風景の多くは、つまり僕の青春期の行動範囲内です。
    確かに、近江八幡の堀は「数度行ったことがある」程度ですし(滋賀県やもんな)、園部の橋は知りませんでした。東福寺にいたっては、このときに初めて行ったわけです(でもこの東福寺通天橋の紅葉は有名すぎますが)。
    しかしながら、北区右京区上京区あたりは、ある程度詳しいと思います。
    中でも、今宮神社はね。もう歩き始めた子供の頃から知ってます。

    インスピレイションの風景の中では、今宮神社は風鈴売りの兄ちゃんが歩き、トコロテンを茶店でがっつくおっさんが出てくる夏の場面です。あれは、東側の参道。
    ここは、まあ近所ですね。生まれた場所にほど近い。なじみといえばこれ以上馴染みの場所はないわけで。
    茶店に擬せられている店は、セットではなく実在してます。ところてんは売ってませんが、あぶり餅屋です。
    ところてんを食べてる客が居る手前側の店が「一和」、向かい側が「かざりや」です。
    あぶり餅というのは、ごく小さくまるめた餅を竹串に刺し、炭であぶって甘い味噌だれで食べるというものです。詳細は食べログなどで見ていただければいいんですが。一文字屋和助 かざりや
    このふたつの店舗が元祖&本家として客を呼び込みあっているわけですが、驚くべきことはその老舗度合いです。一和のほうが古いのですが、その創業が長保2年です。西暦で言えばちょうど1000年、平安時代中期ということに。藤原道長が権勢を振るいだした頃です。歴史ある店の多い京都においても、この古さは抜きん出ています。この店を超える歴史を持つ飲食店は、存在するのでしょうか。かざりやは江戸時代創業で、それでも400年の歴史を持ちます。
    ここまでは公式に知られていることですが、僕らはもっとすさまじい噂を繰り返し聞いています。
    あぶり餅は、店頭で炭を熾してあぶっています。僕がよく知る頃は、両方の店ともおばあちゃんが炭の前に座り、熟練の手さばきで餅をあぶったはりました。
    以下のような話を、皆が口々に言います。
    「あのばあちゃんな、創業以来ずっと餅焼いてるらしいで」
    「なんやて?!」
    平安時代に開店以来、一和ではひとりの女性がずっともちをあぶり続けている。おどろくべき話です。さすれば、僕がこの界隈によく出没していた昭和50年代には、あのばあちゃんは推定1000歳だったということに。かざりやも同様で、こちらのばあちゃんは当時400歳くらいだったと。
    この噂は、おそらく事実だったのでしょう。京都の奥深さを知っていただければと思います。
    あぶり餅屋にも、ずいぶんとご無沙汰しています。今、ネット等で店先の画像などをチラチラと検索しますと、あのばあちゃんらの姿が見えないように思います。どうしたのかな。それが少し、気がかりなのですが。

    今宮神社は、もう限りなく懐かしい場所で。
    僕は子供の頃からずっとこの界隈で暮らし、中学、高校は神社の隣でした。僕らにとってこの神社は、ただ参拝に訪れる場所ではなく、仮装大会のリハをしたり、合唱コンクールの練習をしたり、好きな人と待ち合わせたりする場所でした。いつも、たむろしていました。
    高校に入って「授業をサボる」ことを覚えたのですが、サボってゆく先は喫茶店ではなく、あぶり餅屋でした。北大路通の喫茶店に行くより近いからです。
    客にはあぶり餅ひと皿に、土瓶でお茶が添えられます。つまりお茶はおかわり自由なんですが、我々には土瓶ではなくやかんでした。多人数がダベリングで長い時間粘るため、お茶を大量に飲むからです。平日の昼下がりなどは、さほど混んでもいなくて、何時間いても文句を言われたことはありません。奥の座敷がいつもの場所でしたが、畳敷きのためうっかり寝てしまったことも。居心地がいいんです。
    大人たちは「一和」がいい、いや「かざりや」だ、といろいろ意見を持っていたようですが、僕らはどっちでもよかった。味も、厳密に言えば甘さなどが多少異なったのでしょうが、ほとんど一緒と言ってもよかったような。入る基準は「人のいないほう」ですね。それだけ。

    そしてこの参道は、インスピレイションの風景にもなっているくらいで、時代劇のロケがよくおこなわれていました。
    たいていは、そんなに長いシーンを撮っていないんです。ワンカットとか、ごく短い時間だと思います。女スリが通りすがりにさっと仕事をして、それを誰かが目撃する、とか。しかし、それに長大な時間をかけています。あんな推定1〜2分のシーンに設営から撤収まで入れると何時間もかけている。いやはや手間がかかるものだなぁと。撮影というのは、根気ですね。
    ここで、いろいろな役者さんを見ました。
    高橋英樹さんには、何度も遭遇しました。カッコいい。そして気さくでね。我々のような野次馬にも笑顔で接し、合間に握手も。そしてそんなことをしていても、すっと役に入っていく。さすがでした。
    そりゃ、そんな人ばかりじゃありませんよ。例えばO川H蔵なんてのは、まあお高くとまってました。今にして思えば当然なのかなとは思いますが。でも、やっぱり銭形平次は観たくなくなってしまいますな(笑)。

    ロケというのは、天候にも左右されやすく。例えば突然の雨に、撮影がストップしてしまうこともあります。その待ち時間、山門の下に椅子を置いて、一点を見つめ微動だにせずずっと待っていた長門勇さんの姿が実に印象に残っています。まことに、役者らしかった。
    しかし雨が強くなると、ロケバスに戻ったりします。ある日通りかかった僕らは、停まっているバスの中に田中邦衛さんが居るのを見つけました。
    サイン欲しいな。でもバスの中やで。差し入れとかやったら会うてくれるんやないか。
    で、みんなであぶり餅を買って「差し入れでーすいかがですか」と訪ねてみました。
    邦衛さんもヒマだったのかもしれません。「おぅ、君たちぃ中に入りなさいよぉ」と(邦衛口調で)。
    気さくにあぶり餅を「うまぃなぁぉ…」と食べ、サイン下さいと言えば「いいよぉ」と。僕はそのときルーズリーフのノートしか持っていなかったのですが、それでも書いてくれました。
    「名前は…何て言うんだょぉ」「や、山田です(ちょっと緊張)」「違うよぉ、下の名前だよぉ」「あ、凛太郎です」そうして「凛太郎君へ 田中邦衛」と粗末なノートの切れ端にサインしてくれました。いい人ですよねー。そのサインは、今も大事に持っています。

    ある昼休みの時間。同級生が息せき切って教室へ。
    「夏目雅子が来とるで!」
    クラスのみんな一斉に、
    「なんやと!」
    そのままざーっと今宮神社に走ってゆきました。
    暑い日だったと思いますが、参道に夏目雅子さんが着物を着て立っていました。汗もかかずに。
    きれいでした。本当にきれいでした。
    僕らは、ずっとそのきらめく撮影をみていました。とっくに午後の授業は始まっている時間でしたが、そんなことは忘れていました。

    インスピレイションの風景から思いつくままにいろいろ書いてみました。懐かしいことばかりを。
    昔みていた風景が郷愁をよぶのは、あたりまえのことだと思っています。古いアルバムを見るのと同じ。ただ、そんな風景は、なかなか写真のように保存はされません。町は更新してゆきます。ふるさとへ帰ってみたら、子供の頃にみていた景色と違う。誰もが経験することだと思います。
    そんな中で、このように凝縮してでも、変わらない風景があるというのは、ありがたいことです。これは京都という街の特殊性かもしれませんけれども、おそらくよっぽどのことが起こらない限りは、まもられてゆく風景がある。
    あぶり餅も、そういえば何年も食べていません。変わらぬ味であることは間違いないと思うので、いそぐ必要はありませんけど、そのうちに行きたいなと思っています。

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    | 2013/07/20 | 雑感 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) |


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