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    | 2023/04/12 | - | | - | - |

    「からい」と「しょっぱい」3

  • 2013.06.16 Sunday
  • 前回の続きです。
    「からい」という言葉は、本来塩味を示す言葉で、ピリ辛という舌への刺激をも表すようになったのはかなり後世のことだ。本来の日本語は塩味=からい、であって、しょっぱいという言葉は後発である。そう信じて主張してきたのですが、日本では上代からどうやらアルコールの刺激も「からい」と表現してきたらしい。唐辛子や胡椒ではないにせよ、刺激の「からい」も結構古い言葉だったんです。
    僕は、もう少し調べてみようと思いました。

    ただ、もうこれ以上は僕に知識がありませんので、辞書を引きます。しかし家には広辞苑以上のものがなく、もっと詳しいものが必要なので図書館にGo!です。
    「日本国語大辞典(小学館)」など、とにかく何分冊にもなってて用例がいっぱい載ってるヤツを見よう。で、用例からまた深化させよう。というわけで僕はとある休日、図書館に半日籠りました。
    以下、引用が多くさらに面白くなくなりますがご容赦の程を。

    まず「からい」を塩味の意味で用いた例ですが、万葉集に山上憶良の長歌があります。
    玉きはる うちの限りは たひらけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世の中の けくつらけく いとのきて 痛ききずには 鹹塩からしほを そそくちふがごとく ますますも(以下略)
    これには天平五年六月三日の日付があります。733年ですので日本書紀より後ですが辛酒の古文書よりは古い。
    「生きる限りは、平安で事も喪もなくありたいのに、世の中の憂いや辛いことには、痛い傷にからい塩をそそぐというように…」という山上憶良のいつものつらいつらい歌です(汗)。傷に塩をすり込むという例えはこのころからあったのですな。それはともかく、問題はこの「いたききずには からしおを」という部分です。
    当然万葉集ですから原文は万葉仮名で書かれているわけですが、その部分は
    「痛伎瘡尓波 鹹塩遠」
    なんです。もうこの時代には漢字の訓読みが出てきていますので「鹹塩」とそのまま記されているのですよ。
    まず間違いなく「からしお」と読むと思いますよ。これに疑問を挟む人などいませんがね。しかしもう少し見てみます。

    辞書には、「はやかわに あらひすすぎ からしおに こごともみ(万葉集巻十六)」や「おしてるや なにわのをえの はつたりを からくたれきて すゑひとの(万葉集巻十六)」などがさらに用例として挙げられているのですが、この原文を繰りますと前者は「辛塩尓」であり後者は「辛久垂来弖」です。ここでの使用漢字は「辛」です。読み方がバシッと示されているわけじゃないですね。からいで間違いないとは思うのですが。もちろんいずれも塩味の「からい」です。

    大伴家持が越中国守として赴任するとき、女性(たぶん奥さんか恋人)が家持に贈った歌があるんですが、そのひとつ。
    須磨人の 海辺常去らず 焼く塩の からき恋をも 我はするかも
    家持が富山に行ったのは天平18(746)年です。そのときのうたですね。
    この「やくしおの からきこひをも」の部分を原文で見ますと、
    「夜久之保能 可良吉恋乎母」
    おおっ、可良吉ですよ。\( ^o^ )/  やっぱり女性は、仮名で書くんですね。塩も之保だ。塩味を「からい」と確実に表現している事例がありました。

    では「からい」の他の用例ですが。
    「ピリ辛」はいずれの辞書も古今和歌六帖、そして曾丹集から引いています。
    みな月の 河原におもふ やほ蓼の からしや人に 逢はぬ心は   (古今六帖)
    八穂蓼も 河原を見れば 老いにけり からしや我も 年をつみつつ   (曾丹集)
    古今和歌六帖は辞書には976〜987年頃の成立と出ていますが、これは私撰和歌集なので選ばれたうたが10世紀のものとは限らないわけです。でも平安時代かな、というところでしょうか。曾丹集は曾禰好忠の家集なので11世紀でしょう。
    このうた、似てますね。本歌取りまではいかないでしょうけど。いずれも「つらい思い」と「蓼のからさ」を掛けている感じで。両歌とも八穂蓼を詠んでますが、当時辛いものの代表だったのでしょうか。後に西行も「くれなゐの色なりながら蓼の穂のからしや人の目にもたてぬは」と詠んでます。タデって鮎塩焼きの蓼酢でしか食べたことないや。確かに辛みがあります。蓼くう虫も好き好きという諺はよく知られてますな。
    山葵とか山椒とか生姜はどうなんだろうと思って、古語辞典で椒や薑の用例も探したのですが「辛い」はあまり古いものが見つからず。ただ芥子は本草和名(918年、日本最古の薬物辞典)に記載があるようです。孫引きですが「芥又有莨、白芥子(略)和名加良之」とあります。
    これはカラシナのネーミングですから形容詞ではありません。しかし意味はカラいからカラシナであるわけで、同じことです。そうなれば古今六帖よりこちらが古いかも。和名類聚抄(938年、平安期の辞書)でも「辛菜」を「加良之」と読んでいるようです。
    いずれにせよ、アルコールの「辛口」を除いたとしても「ピリ辛」も平安時代(10C)までは遡れます。前回はええ加減なことを書いてしもたなぁ。反省。

    ここまで整理しますと、文献上では塩分の「からい」が万葉集(確実なのは746年)、ピリ辛の「からい」が本草和名(918年)に初出です。8世紀と10世紀ですが、あくまで文献初出というだけですからどちらが早いとかは言えません。酒の「からい」については「醇酒」「辛酒」の読みが確実でないのでまだまだです。

    さて、ここまで「日本国語大辞典」や角川古語大辞典、大漢和辞典(大修館)など日本最大級の辞書を引きながらいろいろ解いてきたのですが、その中で用例としてよく挙げられるものに「新撰字鏡があります。これは平安期編纂の漢和辞典で、国内最古とされます(9C末頃編纂 確実なのは901年)。新撰字鏡は、実は群書類従(第二十八輯)に入っていますので図書館で手にとることが出来ます。なので、繰ってみました。
    この内容には、いろいろ考えさせられました。実は先ほど検索しましたらネットにもありましたので該当ページをリンクさせていただきます(→奈良女子大学電子画像集より)。実際にぜひ見てください。

    酉部です。まず酷から。
    【酷】(略)急也、極也、熟也、酒味也、加良志
    酷は、今はひどい、むごいなどの意味です。残酷の酷ですね。もともとは酒の意の酉と、音(コク)及び「きつくしめる」意を表す「告」から出来ていて、舌をしめつけるような濃厚な酒の意味だそうです。つまりアルコール度数が高い酒ですな。そして読みは「からし」と。そうか。
    【醎】【鹹】(略)弥加支阿地波比、又加良志
    鹹はもちろん塩の「からい」で、その偏の部分は岩塩の産地の意味だそうです。その別字体で、酉偏に咸の字もあるようです。その解説の前半「弥加支阿地波比(みかきあじはひ、か?)」はその「みかき」の意味がよくわからないのですが(汗)、やっぱり読みは「からし」です。
    【醲】(略)厚酒也、加良支
    これは酉に農という字ですが、これも濃い酒の意味のようですね。そして、「からき酒」と。
    【醋】(略)報也、酢也、酸也、加良之、又須志
    この「醋」にちょっと驚いたわけです。この字はつまり「酢・酸」ですよね。その読みを「須志(すし)」だけでなく「からし」とも読んだと。へー!
    古代日本は、みんな「からい」なのか。

    新撰字鏡は現在の漢和辞典ほど分厚くないので、とりあえず通読しました。関わりのありそうな部分はちゃんと見たつもりですが、酉部以外で「からし」は出てきませんでした。辛や芥といった漢字の記載もありませんでした。植物の欄で「干薑」がありましたが「久礼乃波自加弥(クレノハジカミ)」とだけ。
    ということで新撰字鏡からは、「からい」の事例は塩味が1例、酒のからくちが2例、酸味が1例という結果に。salty&dry&sourでピリ辛(hot&spicy)はありませんでした。他に「酷」の急やら極などが、味覚でない感情を表しています。
    これをもってピリ辛の「からい」は9世紀にはまだ存在せず10世紀になってようやく現れる、とするのは早計です。アルコールの「からい」を前述のように「甘くない」ととらえずアルコールのピリリと舌を刺す感じとすれば、もう刺激の「からい」は登場していることにもなります。

    そろそろまとめなくてはいけませんが(汗)、先に時系列だけ追います。
    ピリ辛の「からい」が定着していく流れですが。
    宮中女官の日誌である「お湯殿上日記」の明応6年(1497)に「たなかよりから物三十まいる」の文言があります。この「から物」とは大根のことらしく。女房言葉ではこのころ大根を「からもの」「からみぐさ」などと称したようです。大根は季節によってはえらく辛いですもんねぇ。
    山椒は、室町時代末の狂言に「此山せうの粉のからいので涙のこぼるるやら〜」と出てくる様子。
    そして、あの日葡辞書(1603年)に「Cara-mi」の項が登場。意味は、芥子、胡椒の類がひりひりすることであると。
    一方塩味の「からい」ですが。
    「からい」の中でピリ辛の意味が大きくなり区別のために登場すると考えられる「しおからい」という言葉ですが、文献上の初出は今昔物語です。巻第二十八の五。
    「此の鮭、鯛、塩辛、ひしおなどの塩辛き物をつづしるに…」
    今昔は成立時期が難しいのですが、12世紀と考えるのが主流でしょうか。
    「しおはゆい」は室町時代末、御伽草子・番神絵巻に出てきます。
    「丑十二月、中央大日如来、あちはしほはゆし
    そしてやはり日葡辞書(1603年)に「Xiuofayui」の項があります。意味はもちろん塩からいです。
    「しおはゆい」は徐々に消えてゆきますが、夏目漱石が「こころ」で「此所で鹹はゆい身体を清めたり」と書いていますので、大正時代までは生きていたのでしょう。
    「しょっぱい」は、東海道中膝栗毛です。19世紀はじめです。
    「名物さとうもちよヲあがりアせ。しよつぱいのもおざいアす」
    「しょっぱい」は辞書的にはそれ以上遡れません。
    膝栗毛には「しおはゆい」も見えますので、当時は並立していたことがわかります。膝栗毛ではこの「しょっぱい」を言ったのは駿河の由比宿の人。しおはゆいの台詞は喜多さんです(何とやら、しほはゆきやうにて、変なにほひのする酒だ)が、喜多さんも実は駿河出身ですわな。十返舎一九がそもそも静岡の人ですからね。静岡ももちろん東日本と考えていいでしょう。そして弥次喜多が出版されたのは、江戸です。
    しかし東日本はこの時期しおはゆい・しょっぱい一辺倒でもなく。
    明治はじめの仮名垣魯文の戯作「安愚楽鍋」では「杯洗の水は鍋の塩の辛へのを調合して〜」と書かれています。「かれえ」と音便化していますな。仮名垣魯文は江戸っ子で、これは明治初期の東京の牛鍋屋が舞台です。漱石の「鹹はゆい」のことも踏まえ、この時代の東日本では言葉がまだ混在していたことがわかります。

    あくまで文献だけをたどるなら、ですが…
    味覚の「からい」という表現は当初は塩味を示す言葉として現れ(8C)
     ↓
    酒のアルコール、および酢の味としても「からい」が用いられ(9C)
     ↓
    カラシナや蓼などの舌への刺激も「からい」の仲間入り(10C)
     ↓
    酢の「からい」は廃れ、そして徐々にピリ辛が台頭
     ↓
    区別としての「しおからい」が登場(12C)
     ↓
    大根の辛味(15C)や山椒の辛味(16C)に押され「しおはゆい」も登場
     ↓
    日葡辞書に「しおはゆい(鹹)」「からい(辛)」と記載(17C)
     ↓
    「しおはゆい」が訛っていつ頃か「しょっぱい」が生まれ
     ↓
    東日本では塩味はからい・しおはゆい・しょっぱいが並立 (19C)
     ↓
    東日本ではしょっぱいが席巻、一方西日本ではからいが頑張る(20C)
     ↓
    「しょっぱいに統一しろ」「アホか!」でワシが理屈を捏ねだす(21C) ←今ココ
    こんな感じですかね。

    もっと根本的なところも少しだけ補足したいと思います。「からい」という言葉はいつ出来たか、という話なんですが。
    まず、日本語の成立時期はいつか。
    難しい問題です。旧石器時代から弥生時代まで説は様々ですが、小さくとも人間集団としての村や国が成立していれば、言語はあったとみるべきでしょう。ならば、倭奴国が金印を賜与された1世紀には、日本語はあったと。少なくとも邪馬台国にはいくらなんでも日本語はあったのではないでしょうか。国家が成立していて社会がある以上、言葉がないはずがない。そして卑弥呼とか難升米とか中国とも朝鮮とも違う独自の名前があるので、文字はともかく固有の言葉はあったはずです。
    魏志倭人伝は3世紀末です。そのときすでに「からい」という言葉があったかどうかですが。
    根幹語ですから、日本語が存在していれば僕はあったと思うのですね。証明することはできませんが。
    で、魏志倭人伝には、倭国の習俗が細かく記されています。食べ物に関しても、稲を栽培してるとか、魚介を潜水漁しているとか、酒が好きだとか箸がなく手づかみで食べているとか。その中に、
    「有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味」
    という一節があります。薑(生姜)、橘、椒(山椒か)、蘘荷(茗荷)は有るけれど、以て滋味と為すを知らず。こういうものは当時の日本人は食べなかったのです。
    魏志倭人伝の著者(または著者に状況を伝えた人)は、日本中を調査したわけではなく間違いも多いでしょう。北九州沿岸地方、また目の前に居た人だけの様子かもしれません。それを踏まえたうえで、当時の日本ではあまりスパイシーなもの(辛いもの)は食べられてはいなかったと。神武天皇の「植ゑし椒 口疼く」のことは以前書きましたが、一般的ではなかったのかも。あの「ハジカミは口にひひく」は実は8世紀に書かれたものですしね。3世紀では、椒を食べるのは広まってなかったんかなー。
    だいたいスパイスって、抗菌防腐効果を期待したり、少し鮮度が落ちたものを美味く食べたりするものじゃないですか。大航海時代の原因ともされるスパイスですが、「沈没して魚蛤を捕る」「倭の地は温暖にして冬夏生菜を食す」と書かれた日本にとっては、さほど必要がなかったのかもしれません。いつだって新鮮なものを食べていたみたいですから。
    当時「からい」という言葉があったなら、やはりhot&spicyの方面ではなかったと思うのですね。まず、塩だなあ。

    日本最大の国語辞典「日本国語大辞典」は「からい」について以下のように説いてます。
    古くは塩の味を形容する語であり「あまし」と対義の関係にあったと考えられる。塩味にも通ずる舌を刺すような鋭い味覚の辛味を形容する例は平安の頃より見られるが、塩味を「しおはゆし」「しおからし」と表現するようになるにしたがって、「からし」は辛味に用いられる例が多くなってくる。
    権威ある国語辞典がこう言ってくれていますので、これで「まとめ」としてもいいのですが、次回、もう少しだけ続けます。
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    | 2013/06/16 | 言葉 | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

    「からい」と「しょっぱい」2

  • 2013.06.09 Sunday
  • これを書いている今から約3年前の2010年に「からい」と「しょっぱい」という記事を書きました。
    この記事、おかげさまで今でも継続してアクセスがあります。「からい」文化と「しょっぱい」文化の軋轢に悩んでいる人が多いのでしょうか。ただ、アクセスはあると言っても長大な記事なので読まれているのかどうかはわかりませんけど。

    これは、その続編になります。その前に前回記事の骨子を。
    味覚において塩分の強い味の事を西日本ではおもに「からい」、東日本ではおもに「しょっぱい」と表現する。東日本で「からい」は舌にピリリとくる刺激だけを示す。
    もともとは、日本語は塩味を「からい」と表現したと考える。それは、塩味は味覚の根幹であり「あまい」同様短い言葉で表されていたはず、という推測から。
    中世以降、唐辛子等が日本に入ってきて「ピリ辛」的味が広まった。そのため、それまで山椒などの刺激を「疼(ひひ)く」などと表現していた日本でも形容詞が必要となり、ただ言葉がなかったためにそれに従来塩味を示す「からい」を充てたのではないか。
    のちに刺激の「からい」を使用する機会が増え、塩味の「からい」と混同することになったため、新たに「しおはゆい(塩映ゆい)」という言葉が出来た。それが訛って「しょっぱい」となった。
    しかし従来の塩味の「からい」ももちろん駆逐されず残った。だがそれは主として西日本で使用され、東日本は後発の「しょっぱい」に席巻された。
    したがって、塩味を「からい」と表現するのは、古来よりの日本語表現であり、間違いではない。だから関東人はワシらをバカにするな。
    骨子といいながら長いのですが(汗)、こんな感じで。
    ただ前回記事は、アタマにきて勢いで書いたため多くは個人的推測なのですよ。別に勉強したわけじゃない。自己正当化のために必死でひねくりだした屁理屈みたいな感じです。もちろん言語学者じゃないんですから文献あさったりは無理ですけど、もう少しちゃんと調べないといけないなとは思っていました。
    最近、これについてまた気になりだしたのでもう一度書いてみようと思います。

    気になったのは、まず日本酒の「からくち」です。
    酒の味については、日本酒に限らずよく「甘口」「辛口」と表現します。その「からくち」とはどういう意味でそう言っているのか、ということなんですが。
    酒の中に塩が入っていたり唐辛子が入っているわけではありませんから、酒の場合の「からくち」は、「甘くない」という意味で使用しているのではないか、とまずは考えます。
    「あまくない=からい」ということ。
    その逆パターンとして、塩鮭やタラコなど塩蔵品の塩加減が薄い場合「甘塩」と言いますよね。もちろん砂糖を加えて味付けしているわけではありませんから、やはり「からくない=あまい」ということです。
    このことは「あまい」「からい」という言葉が完全に対になっていることを示します。反対語です。
    さらにあまいの対義語がそもそも「しょっぱい」ではなかったということも、このことに限っては言えると思います。
    そしてからくちに「辛口」という漢字を当てたのは、そんなに古くないのではないかと思っていました。「辛」という漢字はピリ辛の意味ですから、これが混同されてきた中世以降ではないかと。
    そんなふうに考えて、理解してきました。

    さて。
    先日より日本酒のルーツについて興味がわき、いろいろ調べていたのです。それについては別ブログで書いたのですが、その中で、酒の「からくち」については気になる史料が出てきましてね。
    古代の酒については「古事記」「日本書紀」とも、ヤマタノオロチを酔っ払わせた酒に始まっていろんな記述があるわけですが、その中で日本書紀の第12代景行天皇のときの話です。
    景行天皇は九州征伐を敢行した際、敵の大将である熊襲八十梟帥の娘を誘い出し、甘い言葉で籠絡します。恋に落ちた娘は天皇のために、父親に酒をたっぷり飲ませて寝させ、天皇軍を手引きします。その大将は泥酔中に討たれ、また娘も殺されるというヒドい話なのですが、その酒を飲ませる場面の原文は「以多設醇酒 令飮己父 乃醉而寐之」です。酒は、醇酒と表現されています。
    熊襲ですから九州男児であり、それを酔って潰す酒ですから、醇酒は強かったのでしょう。
    この醇酒ですが、引用したとおり日本書紀は漢文で書かれているため、その訓法については昔からさまざまに解釈され読まれているわけです。「日本書紀私記」「釈日本紀」など注釈本は歴々ですが、どうも「醇酒」は古来より「からきさけ」と訓じられているようです。
    「醇」の意味は「濃い酒」であり(「大漢和辞典」大修館)、これは例えばねっとりとした濃度のことではなく、アルコール度数が高い、つまり強い酒を示しているということは、九州男児を酔い潰した酒に当てられていることからもわかります。

    アルコール度数の高い酒が、からい。
    酒の「からくち」については「あまくない=からい」なのではないか、と前述しました。現在の日本酒のアルコール度数はだいたい16度で(旧酒税法の影響)、どれもほぼ同じです。その中であまいからいを言っているわけで、酒の中のアルコール含有量は関係ありません。
    しかしこの事例からは、あまいあまくないではなく、度数の強い酒が「からい酒」である、と古代の人は考えていた可能性が浮かびます。うーむ。
    酒の味と酒の強さは、別のもののはずです。しかしもう少し考えます。

    日本書紀が編纂された奈良時代は、酒はかなり甘いものが多かったようです。
    「酒づくり談義(柳生健吉著)」で勉強しましたが、奈良時代には酒を薬として病人に配給した記録もあるくらいで、酒は酔うためよりも養生のため、栄養補給のためと考えられていたふしもあるようです。「薬分酒」と文献に残ります。その酒は、酔うためではなく糖分を摂取させるために用いられていたのです。
    と言いますか、甘い酒にはアルコールが少ないんです。だから病人に飲ませても大丈夫だったと。
    酒の醸造とは、甘い液体(ブドウ果汁や麦芽糖液や米を麹で糖化した甘酒)に酵母を働かせてアルコールを発生させることです。酵母菌は糖分を食べてアルコールと炭酸ガスを出します。
    つまり、糖分含有量とアルコール度数は、反比例の関係になります。
    糖分のほとんどがアルコールになれば度数は高くなりますが甘みは減ります。まだ糖分が一部しかアルコールに変わっていないうちに飲めば、度数は低いが糖分が多く残っているため当然甘い酒になるのです。
    つまり、甘い酒はアルコール含有量が少ない。アルコールの多い強い酒は、甘くない。当時はそういう単純な図式でした。甘くて度数の高い酒など作れなかったのです。
    したがって「あまくない=アルコール度数が高い=からい」であれば、まだ僕の前提は生きているともいえます。強い酒は、必然的に甘くなかった。だから「醇酒(からきさけ)」と呼ばれた。

    ところがですよ。
    参考にした「酒づくり談義(柳生健吉著)」にある古文書が載っていました。ちょっと孫引きさせていただきます。
    天平宝字六年造石山寺所符
     雇工雇夫等酒給法、更司工并仕丁等
     右、辛酒一升買、水四合和合、二箇日間一度給、人別三合
    (大日本古文書五巻七十頁) 
    天平宝字六年というのは762年です。奈良時代ですね。このとき既に「辛」の字が当てられています。うひゃあ。
    柳生氏はこの文書について、
    「一升の酒に水四合を加えて飲ませたのである。ひどい仕打ちの酒を飲ませたものと思われようが、当時の酒は、それほど濃厚な酒であったことがわかる。そのため特に『辛酒』即ちアルコール分の多い酒を選んだのである」
    と解説されています。うーむ。
    当時は甘い酒が多かったと書きました。醸造技術の問題か、そんなにアルコール醗酵がうまく進められなかったのかもしれません。また当時は砂糖もなく、その甘みも喜ばれ養生のためにも用いられたのでしょう。
    しかし当時は醗酵を止める「火入れ」という技術はなく、放置しておけば夏などは醗酵が勝手に進んでしまいアルコール度数が高くなることもあったかも。そういうのを「辛酒」と言ったのかもしれません。
    この「辛酒」は当時、どう読んだかはわかりません。訓ずれば「からさけ」「からきさけ」だったかもしれませんが、振り仮名もなく確実なことはわかりません。それはともかくこの「辛」という漢字が重要です。
    アルコール度数が高い=甘くない酒、というのは、前述の通り確かなんですが、「醇」などではなく「辛」という字で表現しているということは、これは「甘くない」という意味とは違うかもしれないなぁ…。
    「辛」という字は、象形文字です。入墨の刑に使われる鋭い刃物の形。そこから、舌を刺すようなピリピリした感覚の意味が出てきているわけです。
    この「辛」は「甘くない」「濃い」ではなく、やっぱり感覚でしょうねぇ…。

    アルコールというもの自体は、どんな味なのか。僕はエタノールを生のまま飲んだことなどありませんからよくわからないのですが、純度が高くなれば無味無臭になるという意見もありますし、いやアルコール自体には甘みがあるという話もききます。
    ですが、そんな味なんて多分わかんないでしょう。それほど、アルコールの刺激は強いのです。
    僕は70度を超える泡盛原酒、またウォッカをストレートで飲んだ経験ならありますが、むせかえってしまいました(汗)。舌にはピリピリとした刺激が残ります。そりゃ本当はうまい(甘い)のかもしれませんが、これじゃ普通の人はよくわかんないよ。いかに上等の出汁を用いた料理でも唐辛子を山ほど入れれば味がわからなくなるのと同様に、アルコールの刺激が舌をバカにしてしまいます。僕の経験からわかることは、純度の高いアルコールを口に入れればおそらく味よりも口中への刺激が先にきます(大酒豪は別かもしれませんが)。
    古代は蒸留酒などありません。けれども、普段はアルコール度数の低い甘い酒を口にしていたひとが、多少度数の高い酒を口にすると、嚥下時の喉が焼ける感覚と同時に、口中にもそれまでになかったピリッとした刺激を感じるのではないでしょうか。
    それはまさに「辛」で表される刺激だったかもしれません。
    日本書紀も天平宝字の古文書も8世紀。この同時代に、アルコール度数の高い酒を「醇酒」「辛酒」と記していた。醇は「からい」と訓じていた可能性が高い。辛の当時の読みはわからないが現在ではからいと読んでいる。甘い甘くないではなくアルコールのピリピリした刺激を、8世紀の日本ではもしかしたら「からい」と表現していた可能性が強いのではないか。

    これでは、僕の説がひっくり返るわけです。うーむこれは。
    もちろんこれで「しょっぱい」が正しいという話にはなりませんよ。しょっぱいは複合語であり新しい言葉だという話はゆるぎませんが、「辛い」は中世以降に当てられた漢字ではないですね。古代からそうなんだ。
    そして、ピリピリした刺激は中世に唐辛子が入ってきてから「からい」と言葉の援用で遣われたものじゃない。もっと以前から、そういう意味も持っていた、と。

    とりあえずここで、前回の説は訂正します。ごめんなさい。m(_ _;)m

    これは、もう少し考えないといけません。ですがこれ以上は、素人である僕には無理です。勉強しなければ。
    ということで、次回に続く。


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    | 2013/06/09 | 言葉 | 07:28 | comments(2) | trackbacks(0) |

    好き嫌いはイナメナイ

  • 2013.03.03 Sunday
  • まじめな席での話です。

    「それは年代別で購買層が違うでしょう」
    「リサーチは徹底しないといけませんね」
    「そうですね。どうしても価値観は否めませんから」

    この会話を聞いて僕は? となったわけです。そのときは話の腰を折るのはやめて、あとで確認してみました。あんたさっき「価値観は否めない」て言うたよな? さすれば彼(若い人です)は、はっきりとその発言は覚えてはいなかったようですが、その「価値観は否めない」という言葉に違和感は持っていないようです。
    誤解の無いように書いておきますがこれは、僕が若いものの言葉遣いをとがめだてようとして問うたのではありません。そんな横丁のご隠居みたいなつもりはなく、「あ、これは久々にブログネタになるな」と思ってニヤニヤしながら聞いたんですもちろん(そっちのほうが性格悪いか)。

    通常僕らが聞いて違和感のない言葉遣いは「価値観が違うことは否めない」でしょうね。価値観が異なるのを否定するわけにはいかない。これが自然。じゃ「価値観は否めない」という言葉は、実に不自然に聞こえますが本当に間違っているのでしょうか。
    僕も学者じゃないから自信はありませんけど、例えば会話なら、この部分だけ取り出せばこういう言い方はあるかもしれません。「(このように押し付けられた僕にとって異なる)価値観は(人間関係のしがらみもあってなかなか)否めない」と感情を補足したりしてね。やっぱりちょっと不自然ですが。それに、使用した彼は文脈上そんなつもりで言ったのではないですな。「拒否できない」ではなく「否定できない」でしょうから。
    まあ四の五の言ってますが、前置きが長すぎます。これは言うまでもなく、SMAPの「セロリ」の歌詞に出てくる言い回しに影響されたものであることは、僕でもわかります。

      育ってきた環境が違うから 好き嫌いはイナメナイ

    作ったのはあの山崎まさよし先生でございます。もちろん本人も歌っておられまして、SMAPはカバーです。しかしながら、SMAPが人口に膾炙させたというのは否めないかなぁ。
    この「好き嫌いはイナメナイ」というのも、ヘンですよね。好き嫌いがあるのは否めない、とすべきかな。しかし、ラップか吉田拓郎ならともかく、普通はこのメロディにそんなに言葉は押し込めません。山崎まさよし氏もわかってて、それで歌詞はカタカナにしてるんでしょう。そして2番の歌詞で、

      もともと何処吹く他人だから 価値観はイナメナイ

    これですな。それにしても「もともと何処吹く他人だから」というのも解釈が難しい(笑)。

    うたというのは、耳で聴くものです。読むものじゃない。だから、あまり文法がどーのこーのと言うべきではないとも言えます。多少言葉が足らなくったってね。僕も「好き嫌いは否めない」と最初に聴いたときはやっぱり違和感はありましたけど、一応脳内補正はします。で、「好き嫌いがあるのは否めないよなぁ」と頭の中で置き換えて意味を咀嚼します。
    しかし、脳内補正の手間がいるぶんだけ、うたに集中できないのも確かでして。ここが僕の不器用なところかなと思ったりもします。
    惜しいなーと思うんですよ、そういうのは。僕は特にSMAPの大ファンというわけではなくて、メディアから流れてくるのをただそのまま聴くだけですが(だからおそらくシングルA面のうたしか知りませんが)、その中で「セロリ」はいちばん好きな歌ですね。だから貶そうなんて気持ちは全然ないのですけど。

    話が少しそれますが、SMAPのうたでもうひとつ「おっ?」と思ったのがありまして。大ヒット曲「夜空ノムコウ」。えっと「あれから僕たちは何かを信じて来れたかな」の「来れた」がら抜き言葉だろうと言うのではありません。

      君が何か伝えようと握り返したその手は 僕の心のやらかい場所を今でもまだ締め付ける

    「やらかい場所」か(笑)。これ、僕の立場からは間違いとは言えませんね。関西弁やないですか(笑)。スガシカオは東京の人だったはずなのになー。まあ字数の関係上「わ」を落としたというのが正解でしょうけれども。
    しかし、山崎まさよしといいスガシカオといい、この頃SMAPとオフィスオーガスタは癒着してたのかな。

    だいたい、歌詞に対して「日本語としておかしい」なんて言ってたらサザンのうたなど聴いてられないわけです。そもそも「ただの歌詞じゃねえかこんなもん(by桑田先生)」ですしねぇ。「胸騒ぎの腰つき」って何だ?とよく話題になりましたが、あれが「胸騒ぎ残しつつ」だったらやっぱりインパクトに欠けていたでしょうよ。「砂混じりの茅ヶ崎」と言われたって、別に茅ヶ崎市が砂嵐に襲われたなんて思いません。「生まれくセリフわ」ってなんだよいったい。しかし日本語云々より、語感が大事。
    でもね、これは気になるんです。

      四六時中も好きと言って 夢の中へ連れて行って

    「真夏の果実」ですけれども、この「も」が気になる。「も」がなけりゃあなぁ。他にいくら傍若無人に言葉を破壊しようが桑田佳祐なら全然気にならないのに、真夏の果実の「も」だけはどうしても引っかかるんです。バラードだからかなー。

    うたの歌詞というのは、こういうのありがちなんです。ちょっと軽く分類を。
    まずは字数の都合で日本語としてヘンになってしまう、という場合。
    メロディ上歌詞がうまく入らなかったり余ったりした場合、例えば「わ」を削ったり「も」を付け加えたりして無理やり調整してしまうことがあります。上記の例です。「生まれく」なんて明らかに削ってますね。
    これで有名なのに「やると思えばどこまでやるさ」という村田英雄先生の「人生劇場」がサンプルとしてよく挙げられますね。「どこまでやるさ」なら話はわかるけど、つーやつです。

    他に「用法がおかしい」というのがあります。
    サンプルとして「お座敷小唄」がよく挙げられます。「雪に変りはないじゃなし」の部分ですが、これなら二重否定で、雪に変りがあることになってしまいます。溶けて流れりゃ同じはずの富士の高嶺の雪と先斗町の雪は違うものだということに。「雪に変りがあるじゃなし」もしくは「雪に変わりはないじゃないの?」なら話はわかるけど、ってとこで。
    こういう用法上のことで、僕が子供の頃から気になっている曲に郷ひろみの「禁猟区」があります。
    「あながち僕はハンターで腕の未熟もかえりみず逃げれば追うの癖があり」なんですが、この「あながち」はどうなのか、ということです。
    きちんと用例を調べあげたわけじゃないので間違ってると断定はできないのですが、どうもヘンな感じがしてむずむずするんです。「あながち」って「あながち嘘じゃなかったような」なんて感じでつかいますよね? 必ずしも、とか一概に、みたいな場面で、打ち消しを伴います。この禁猟区の「あながち」は、難しい。

    さらに、文法的にはなんらおかしいところはありませんが、よく聴くとなんかおかしい、というヤツ。
    これのサンプルとしてよく挙げられるのに「パイプくわえて口笛吹いて」というのがあります。菊池章子さんの「星の流れに」です。阿久悠さんも例題として挙げてらっしゃいました。
    確かにパイプをくわえながら口笛を吹くのは至難の技ですが、こういうことを言い出せばだんだん人生幸朗師匠ふうになってきます。「あなたから許された口紅の色は からたちの花よりも薄い匂いです(冬の色:山口百恵)」色を聞いとんねん色を! 何で匂い言うねん! みたいな感じでしょうか。最近ではよく「瞳を閉じて(平井堅)」が挙げられます。瞳閉じられんのはネコや、人間はマブタを閉じるんじゃ! てな感じで(笑)。
    こういうのは文学的な比喩とか衒いもあったりしますので、あながち間違いとも言えない場合もありますから注意が必要ですけどね。

    こうしてうたには無数の「日本語としておかしくね?」という言い回しが出てきます。
    はっきり言って、いちいち気にはしていないわけです。そんなのに着目しながら音楽を聴いていたら、つまんない。たいていは「好き嫌いはイナメナイ」の如く脳内補正して、それで終り。
    しかし、自分が好きで、何度も繰り返し聴くようなうたですと、引っかかってしまうこともあるんです。
    以下に挙げるうたは、僕が過去にブログでも「好きなうた」もしくはそれに類するうたとして言及したことがあるうたです。好きだからこそ、気になってしまう。

    「今はもうだれも」。名曲です。アリスのはじめてのヒットとして知られるこの曲は、実はチンペイさんの作ったうたではなくカバーです。そもそもは京都のバンド「ウッディ・ウー」がリリースしたもの。作詞作曲の佐竹俊郎さんはもう伝説の人ですね。その「今はもうだれも」の一節。

      淋しさだけがじっとしてる 止めど流るる涙に ひとつひとつの思い出だけが

    引っかかるのは「止めど流るる涙に」です。この「止めど」とは何か。
    ひとつの解釈としては「止めれど」の「れ」が落ちたもの、という考え方です。「止めれど(も)」なんて言葉はあまりつかいませんけど、まあ「止めても」として、止めようとしても流れる涙。文脈としても合致します。
    しかし、この場合後ろが「流るる涙」ですから、文語です。だから「止めれど(も)」かと思ったのですが、よく考えたら文語なら「止むれど」ですな。「止めれど」ではないのか。
    もうひとつの解釈は「止めどなく」の「なく」が落ちたのでは、です。涙は、どんどん溢れ出してきているのです。男としてそれはちと情けないのでは、とも思いますが、そういう解釈も成り立ちます。
    いずれにせよ「言葉足らず」なのですけど。
    余談ですが、この「止めど」、後に記録的大ヒット曲として甦ります。サザンの「TSUNAMI」。

     とめど流る清か水よ 消せど燃ゆる魔性の火よ

    こっちのほうがさらに解釈が難しい。「流るる」じゃなくて「流る」ですよ。これはもう桑田先生一流の「日本語文法破壊」ですな(笑)。桑田さんが「今はもうだれも」を聴いたことがないはずはありませんが、これは影響を受けたのかどうかはわかりません。
    なお「今はもうだれも」には他にも「愛されたくてみんな君に 僕の中に悲しみだけが たったひとつの残りものなの」という、助詞がどっち向いてるのかよくわからない謎めいたフレーズもあります。解釈できるけどアナグラムみたいになっちゃうよ(笑)。

    他、簡単に挙げていきます。まず岡林信康の「君に捧げるラブ・ソング」。

      何も出来はしない そんなもどかしさと のがれずに歩むさ それがせめての証し

    せめての証し、が入らなかったんでしょうけどね。残念。このうたで僕は一編書いたこともあるくらい好きなんですが。
    RCサクセションの「雨上がりの夜空に」。

      そりゃあひどい乗り方した事もあった だけどそんな時にもおまえはシッカリ

    この歌詞に、何もおかしなところはありません。もちろん気持ち悪いのは「おまえはシッカリ」ですが。これは「シッカリしていた」の省略であることは自明であり、これが落ちてしまったのはメロディー上しょうがないことだというのはよくわかっています。しかし、昔からこれ気持ち悪い。
    スピッツの「チェリー」。

      ズルしても真面目にも生きて行ける気がしたよ いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい

    名曲ですね。とくにこの「ズルしても真面目にも生きて行ける気が」という一節を聴いて、僕は思わず涙がにじんでしまった、と以前書いたことがあります。
    その感動を生んだうたに対してとやかく言うのも野暮の極みだというのはわかっています。しかしこのフレーズには、言葉が足らん。ですが言葉を補って説明すると、感動も薄れそうなのでこのまま措きます。うーむ。
    僕が思う最大の違和感は、「真面目にも」の「に」ではないかと思います。これが「真面目でも」であれば、半分くらいは違和感が解消されていたでしょう。しかしながら「真面目に(暮らしていて)も」という言葉の持つ語感も捨てがたいんですよ。

    いわゆる「ら抜き言葉」については、僕は一応寛容な立場に立っています。「れる・られる」の受身・尊敬・自発・可能という4つの用法から可能だけを抜き出すことに成功したら抜きは、日本語の発展であるかもしれないとも思っています。ただ、それはアタマでそう思っているだけで、心情的には本当に気持ち悪い。保守的なんです。だからTVでら抜きをつかうタレントを好きになれなかったりします。
    うたの世界は、ら抜きだらけ。しかしこれは、「やると思えばどこまでやるさ」式のしょうがない省略であると思っています。少なくとも「好き嫌いはイナメナイ」よりはマシかと。だから目くじらたてることはないのですが、自分のとても好きなうたのなかに混じってくると、いかにも残念に思えます。
    「どうしてもっと自分に素直に生きれないの」とかね。このうた好きなのになあ。「信じれるものが何ひとつないけれど」というのも、惜しい。これは大好きな永井龍雲のうたですが、そのためこの「悲しい時代に」という名曲にほんの少しの引っ掛かりを感じてしまいます。

    以上は、野暮な話でした。うたはそうやって聴くもんじゃないというのは前述したとおりです。ただ、好きじゃないうたについて言及するとどうも攻撃的な文になる可能性があって、今回は自分が好きなうたにだけ、ツッコミを入れました。

    ここからは蛇足なのですが、最初に書いた話について収束させなければなりません。「価値観は否めない」について。
    つまり、うたの歌詞ならいいんだよってことです。さらにゆずって、私的な会話の中でおどけて言うこともかまわない。ですが会議とか、公的な場で出てくるようになると、困ったなと。まさか文書に入るようなことはないとは思いますが。
    うたの歌詞がここまで影響力があるなんて思いませんでした。ただの歌詞なのに(by桑田先生)。しかしながら、今の若い人は、言葉に触れる機会として、書籍などの活字よりもTVでタレントさんが喋る言葉や流行歌などの方が比率が高い人もいるのかもしれません。そうなると、うたの歌詞などの影響下で言葉をあやつる人も当然出てくるでしょう。
    「水道のカランが壊れてさー、水がとめど流れて参っちったよ」なんて普通に使用される可能性もないじゃなし。どうしよう。また言葉の隔絶が始まるぞ。
    うたの歌詞は、言葉の規範にしていい場合と、そうでない場合があります。そう桑田先生にちゃんと言ってほしいと思うんですけど(笑)。
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    | 2013/03/03 | 言葉 | 07:09 | comments(7) | trackbacks(0) |

    ぱみゅぱみゅ

  • 2012.04.18 Wednesday
  • 最近、大人気なくもきゃりーぱみゅぱみゅにハマってますね(笑)。
    いや、それほど大げさな話ではないのですが、耳にこびりついて離れないといいますか。TVをほとんど見なくなってからはラジオをよく聴くようになったのですが、オンエア回数がやたら多い。そして、聴いた後はアタマの中で「つ〜けまつけまつけまつけぇる」の無限ループです。中毒性があるな。

      
      つけまつける (通常盤) youtube

    中高生女子に大人気だということですが、僕のようなおっさんにも「妙な懐かしさ」を感じさせます。パッと思い浮かぶのはジューシーフルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」。
    調べてみますと、Perfumeと同じ中田ヤスタカ氏の仕掛けなんですね。なるほど。前にPerfumeについても書いたことがありますが(→これ)、しょうこりもなくまた同じ仕掛けにホイホイと引っかかっているわけでして。
    新曲の「CANDY CANDY」もいいですねー。そもそも最初に彼女のことを知ったのは某tvkの屋根の上の番組だったのですが、当時高校生だったきゃりーぱみゅぱみゅを観て、てっきりキワモノだと思ったらその受け答えが妙にしっかりしていて論理だっていて、あまりにも外見とかけ離れていたので実に印象に残っています。あのときも、脳内はPONPONPONに占領されたなあ。「ぽ〜んぽ〜んうぇいうぇいうぇい」が離れない(笑)。

    ところで。
    とにかくおっさんにはその「きゃりーぱみゅぱみゅ」という名前が言いにくい(汗)。これは年配層にだけおこる現象かと思いきや、若者たちも結構苦労している様子。「ぱみゅぱみゅ」ってね。「ぱむぅぱむ」とか「ぱみゅぴゃみゅ」とかになったりして。
    これをうまく言うためには、ドラえもんの口調を真似するといいそうです。なるほど。確かに言えます。しかし人前でそういうわけにも…。

    これ、なんで難しいかといえば「pamyu」という発声を日本人はかつて経験したことがなかったからではないかと思うんです。えっと、外国語はよくわからないのですが、あるのかなぁ。あるかもしれませんが僕は知りません。少なくとも日本語にはない発声ですよね。
    「ぱ」という口唇をはじけさせて出す音。それに+して「みゅ」という難しい音。mというのは両唇鼻音といって鼻にも息を送らないといけません。さらに口蓋に舌をまるめるようにつけて発音する「ゅ」という拗音。このややこしい連続音を間伐入れずに出さなければならないという…。しかもそれを繰り返すのですよ。生半可ではありません。ためしに「みゅぱみゅぱ」と言ってみてください。ワシは絶対言えねー。
    こんな発声は、自然には生まれることはないだろうなと推測。分析するまでもなく、無理筋の発声ですよ。

    だいたいですねー。「みゅ」という発声だけとってみても、日本語には本来なかった音なんです。
    キラキラネームのときに少し触れましたが、拗音、つまり「ゃゅょ」というのは、上代日本語にはおそらくなかった発音だと言われています。だから、「きゃ しゅ ひょ」なんていう音は、ひらがな一文字では表せないのです。これは、漢字の伝来とともに日本語に入ってきた外来音でした。和語じゃなかったのです。
    外国語として漢字を読まねばならなかった上代日本人は、だから苦労して読んだのです。
    拗音は、母音がイ行の音につきます。清音ですと き・し・ち・に・ひ・み・り につきます。濁音は ぎ・じ・ぢ・び ですね。半濁音は ぴ です。きゃ・きゅ・きょ・しゃ・しゅ…とあって、清音ですと21音、濁音12音(現代ではじとぢが同じなので9音)、半濁音3音です。
    このうち、半濁音については日本語の古代p音がf音そしてh音へと変化した経緯があるので除きますが、あとはみな漢字と共に入ってきた発音だと言われます。
    客(きゃ)急(きゅ)協(きょ)社(しゃ)主(しゅ)諸(しょ)茶(ちゃ)忠(ちゅ)…などと拗音は漢字によって日本語に入りました。濁音も逆(ぎゃ)牛(ぎゅ)業(ぎょ)…と。半濁音も、今は失われていますがかつては黒田官兵衛を「くゎんぴょうえ」と発声していたことなどが知られています。連音だと今も八百八町(はっぴゃくやちょう)発表(はっぴょう)とかありますね。
    ところがこれらのうち「みゅ」だけは該当する漢字がないのです。
    ま行ですと「みゃ」は脈など、「みょ」は妙や名などに音がありますが「みゅ」だけは、ないのです。
    これは、例のキラキラネームを書いているときに日本語の発音について本を読んでいて僕も最近知ったことなのですが、そう言われればそうだな、と。思いつきません。
    金田一春彦氏の指摘だったと思いますが(そうじゃなかったらごめんなさい^^;)、音便化によって「みゅ」の例が日本語で一点だけあるそうです。「大豆生田」という地名が栃木県にあったそうで、これは「おおまみゅうだ」と読むそうです。地名としてはもう失われているようですが(検索しても見つからない)、人名として残っているらしく。足利市の市長さんは「おおまみゅうだ」さんらしいですね。
    おそらく「まめうだ」が音便化して「まみゅうだ」となったと推測されますが、いつ頃からこういう音になったのでしょうか。興味が尽きません。また、山梨県には「大豆生田」という字名が2ヶ所(笛吹市石和町と北杜市須玉町)に残っているらしいのですが、笛吹市は「おおまめおだ」、北杜市は「まみょうだ」と読むらしいです。

    地名・人名ですので「みゅ」は一応日本語として存在はします。でも字名とかは一般的とまでは言えませんね。漢字伝来時からの音ではおそらくありませんし。
    明治以降文明開化とともに「みゅ」は欧米からの外来語として日本にやってきます。「ミュージック」「ミュージアム」「ミュータント」等々。しかし、日本人はこの発音を苦手としてきました。
    「Communication」という単語があって当然これは「コミュニケーション」であるわけですが、これが「コミニュケーション」とよく言い間違えられます。これはつまり日本人のDNAが「ミュ」という音をなかなか受け付けないからでしょう。ミュージックの如く冒頭に出てくればなんとかこなしますが、コミュニケーションのように途中に出てくればとたんに言い間違える。ましてや「ぱみゅぱみゅ」なんて(笑)。

    きゃりーぱみゅぱみゅの話のつもりでしたが、結局「言いにくいよその名前」の話になってしまいました(汗)。この記事は「音楽」カテゴリで書き出したのですが「言葉」カテゴリに変換…。



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    | 2012/04/18 | 言葉 | 05:49 | comments(10) | trackbacks(0) |

    キラキラネーム 5

  • 2012.02.26 Sunday
  • ここまで、難読命名について書いてきました。
    キラキラネーム1

    これについては、揶揄もおもねった賛同もしない、というスタンスで書いたつもりでしたが、ただ「読めない・読まれないのは困るはずだ」という考えは一貫して持っていました。名前は記号である、と極端なことは言わずとも、名前というものは自分以外の人に識別してもらうための役割が重要なことはいうまでもないこと、との認識を持っていました。
    簡単に言えば、名前は読まれてナンボである、ということです。呼ばれるために存在しているのだから。
    だから、僕も現在いわれるところの「キラキラネーム」を読みこなせる能力の必要性を感じますし、慣れていこうとは思います。社会生活の中で、相手の名前を間違えずに呼ぶ、ということは重要なことだからです。
    それと同時に、今後親になる若い人には、できるだけ簡単に読める命名を望んでいます。
    親の立場からしても、読めない名前では不便だし子供が困るということはわかっているでしょう。一度で読んでもらえない名前、聞き返される名前、電話で説明できない名前では、益はないという理解はあるはずです。だから「読みやすい名前を」と僕らが望んでも、的外れの要望ではないはず。そう僕は疑いませんでした。
    それでも難読命名が行われ続けている理由を、僕はこんなふうに考えていました。
    ・難読かもしれないと思いつつ、それでも自分が拘る名をどうしても付けたい
    ・まわりも同様なので、トレンドだと信じて疑わない
    ・本当はもう少し読みやすい字を用いたかったが、字画占いで致し方なかった
    ・自分が付けた名前が、まさか難読であるとは思っていない。
    つまり、難読にしたくて難読にしているわけではないのだろう。そう思っていました。そこへ漢字に対する意識の変化、頭文字切り読みなどの新訓、使用音韻の欧米化などが加わり、結果として読みにくくなってしまった。
    ですが、あくまで結果としてそうなっているだけで。親はまさか「読まれないほうが良い」などとは微塵も思っていないはず。子供の幸せを願わぬ親はいない。
    このことには確信を持っていました。

    以下、このシリーズの前半記事についたコメントです。
    うちの娘もキラキラじゃないですが、まず読んでもらえません
    ある種それも狙いなので一発で読まれたら悔しいですが
    これには、本気で驚いたわけです。一発で読まれたら悔しい?一発で読まれなければ悔しいの間違いではなくて?読まれないのが狙い?!
    僕の大前提が崩れました。そして、頭を抱えてしまったわけです。
    この方は、長いお付き合いでわかっていますが、決していいかげんな人ではありません。思慮深く真面目で娘さん思いの、ちゃんとしたお父さんです。
    子供のことを思っているにもかかわらず、読みにくい名前を付ける、という心理が存在する。
    驚愕でした。

    その心理について考えていきたいと思うのですが、その前に、もしかしたら僕の前提は間違っていたのかもしれない、と思える点が他にもありました。
    それは「読まれないのは困るはず」という部分においてですが、そんなに人は名前(いわゆるファーストネーム)を呼ばれる機会が多いのだろうか、ということです。それは、考え直さねばならないのかもしれません。
    自分のことで考えてみます。
    仮に僕の名を「西宮凛太郎」として、「凛太郎」「凛太郎ちゃん」と名前で恒常的に呼ぶのは、親兄弟、親戚、妻、義父母など。まとめれば「身内」ですね。それ以外には、存在しないのです。身内は名を読み間違えるなんてことはありません。
    それ以外は、すべて姓でした。幼稚園のときですら「西宮クン」と呼ばれていたと思います。小中高においても、教師が最初に名前の確認をしますが、その時だけで以降は姓のみです。同級生らも「西宮ぁ」「西ちゃん」「ニッシー」などニックネームも含み全て姓です。凛太郎、などと名で呼ばれたことなどありません。
    これは、地域差など事情によってかわるだろうとは思います。僕の妻は、幼少期通じてずっと名前だったようです。学年10人程度の小規模校だったこと、同じ姓が多かったことなど(言葉悪いですが田舎だったこと)が要因としてあります。僕は住宅地の一学年何百人のマンモス校でした。
    また人間関係の親疎もあるかもしれません。女の子同士は名前で呼び合う例も多かったかも。しかし少なくとも僕は、学校生活において名前を呼ばれることはほとんどなかったのです。姓由来の渾名ばかりでした。
    親疎、というのは、重要なことだと思います。後にまたふれたいと思います。
    他では、例えば役所や病院で呼び出される場合。しかしこれも、書類にはふりがなを打つのが一般的ですし、今は個人情報ということもあって氏名呼び出しを避け番号などで対応する場合も多くなってきました。
    電話で(口頭で)説明できない名前は大変、とはよく聞く話です。僕の本名は姓のほうが難しく、説明では苦労しました。ただ、最近はそういう説明の機会が減ったように思うのです。対面では名刺を出せばすむことですし、また電話で説明する機会も減りました。連絡手段としてメールの占有率が高まったせいではないか、と思っています。さまざまなものの予約なども、メール使用が増えました。
    社会では、姓が一般的です。僕なら「西宮さん」でしょう。初対面で名刺交換していきなり「凛太郎さん」と呼びかける人は、変人です。
    あるいは、役職。また組織にいるひとは外では組織名(○○会社さん)など。
    名前というものは、考えるほど用いられていないのです。名前が読めない、なんてことは、実社会においてはさほど重要なことではないのかもしれません。著名人でなければ。
    だから「読まれない名前のほうがよい」ということにはなりませんが、昔より難読名のリスクは減ったような気もしています。難読で困るのは、本当は姓のほうです。名は、社会では呼ばれなければ呼ばれないで済んでしまいます。
    今の親御さんたちは、そういった「リスクの軽減傾向」も踏まえて、読みにくい名を付けているのでしょうか。そうであれば、これは僕などよりも一枚上です。

    では、なぜ読まれにくい命名をするのか、ですが。
    前述したように、拘りの名を付けたい、流行に乗る、或いは姓名判断・画数占いの結果などで難読になってしまっている場合も、やはり多く存在するとは思います。
    しかし、一度で読まれないことを狙いとしている方がいることがわかりました。そして、これは特殊例とはいえない、と今では考えています。そう考えないと、この難読命名の氾濫の説明がつきにくいのです。
    他にしっかりとしたサンプルがあるわけではありませんが、少しネットをさまよって散見していますと、同様の意見がいくつも見えます。
    その中には「これなんて読むの?と聞かれることによって印象付けられる」という考えの方もいらっしゃいました。これは最終的には他人に多くその名を知ってもらいたい、という願いから逆に読めない命名をするという離れワザですね。
    他に、難読が個性なのだ、と考えられているふしもあります。オンリーワンを目指せば「すっと読まれるような名前じゃだめ」ということです。
    しかし、ただ単純に「簡単には他人に名前を読まれたくない」という意見も、いくつか見たのです。
    いろいろ考えられるのですが、ひとつにはこの考えは、実は日本古来よりの伝統的思考ではあるのです。何度も書いてきましたが、これは諱(いみな)の考え方と同じものとも言えます。

    僕だって、そんなに簡単に名前を呼ばれたくありません。親しくもないのに。
    大学で、はじめて同じ講義で隣り合わせた人に「姓じゃなく名前を教えてくれ、それで呼ぶから」といわれて実に気持ち悪かったことを思い出します。彼は、おそらく一気に親しくなろうと思ったのでしょうが、順序が逆です。親しくなってから「凛太郎」と呼んでくれ。
    だから、名前で呼び合っている人たちは、本当に親しい関係に見えます。
    昔レーガン大統領が来日した際に中曽根首相と「ロン・ヤス会談」を実施しましたが、あれは親しさアピールです。ですが、多少の違和感はありました。作られた親しさが丸見えだったのと共に、ファーストネームを呼び合うということに日本人は慣れていない、ということがあります。昔YMCAに少し顔を出していた時、あちらの人はすぐに「ジョンと呼んでくれ、凛太郎!」と簡単に言うので、閉口したおぼえがあります。
    名前というのは、僕だけのものなのです。その名を共有できる人は、限られた人なのです。この心理、わかってもらえる人もいると思います。ぜんぜん親しくない人に名前で呼びかけられれば、戸惑うでしょう。
    諱(いみな)的ものの考え方というものは、僕の中にもまだ伝統的に息づいているように思います。
    日本人は、直接的に名を言うことを、避ける傾向にあります。名を呼べるのは、親疎に関わります。基本的には身内、そして親友等に限られます。
    そしてさらに、どれだけ近くても、両親や祖父母など目上の身内を名前では呼びません。「兄ちゃん」という言い方はあり「弟ちゃん」という言葉はありません。
    日本では伝統的に、目上の人を名前では呼べないのです。
    それは、名前を呼ぶという行為が、相手との親密度合いを示すと同時に、相手を取り込んでしまうことだからです。支配下に置く、とも言えます。

    諱。かつて、実名には何か神秘的な力が宿っていると信じられていました。他人に実名を知られると呪われる危険性もあるともされていました。そして、実名を声に出して呼ばれると、実名に宿る神秘の力が消滅するとも思われていました。
    この言霊信仰の強い日本のことです。咒詛的意味合いは当然のごとく存在し、人々は、実名を知られることを恐れました。他人には知られたくない。呼ばれたくない。知られることを忌む名。「いみな」です。
    こういう話で必ず引き合いに出される歌があります。「万葉集」の巻頭第一番。雄略天皇の歌。

     籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます兒 家聞かな 告らさね
     そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ座せ
     我こそば 告らめ 家をも名をも

    雄略天皇は菜を摘む女性に「家はどこだ、名を告げよ」と言います。自分は大和の国を統べる王である。私も、家も名も言う。だから…と。
    これは単に自己紹介をしあう歌ではありません。求愛の歌なのです。そして当時、女性が名を名乗る、名を知られるということは、その人に征服される、つまり愛を受け入れるという意味だったのです。
    名前というのは、その人そのものでした。
    なので古代(古代に限らずですが)、女性の名前というものはなかなかあらわれてきません。紫式部も清少納言も小野小町も、本名はわからないのです。例外的に高貴な身分の女性、后妃などは記録に名が残りますが、それも大半は何と読んだかはわからず、便宜的に「彰子(ショウシ)」「定子(テイシ)」などと音読みしています。
    おそらくこの時代は、名は確実に訓読みであったはずです。じゃあ「あきこ」「さだこ」だろうと思ってしまいますが、そうではない可能性もあります。
    読みのわかっている人もいて、伊勢物語に登場する藤原高子は「たかこ」ではなく「たかいこ」です。難しい。藤原明子(染殿后)や慧子内親王は「あきらけいこ」であったとされます。和歌の詞書などに仮名で書かれたものがあったため判明しているのですが、女性名の読みは一筋縄ではいかないのです。
    言い方をかえれば、これは「難読命名」です。当時の状況をよく知らずに言っては間違いの元ですが「あきらけいこ」なんて知っていないと読むのは難しいかと。
    彰子や定子も、実際はどう読んだかはわかりません。儀子も式子も、ちょっと難しい読みだったのかもしれません。そう思うから「ギシ」「ショクシ」などと仮に読んでいるのです。
    このように、名前を仮読み(音読)せざるをえない状況。諱(いみな)の役割を、千年以上経っても見事に果たしている、といえます。諱は忌み名。読まれないためのものなのです。

    女性に限りません。男性名も、それは言霊的意味合いを持っていました。
    名簿捧呈という儀式があります。貴族の家人となるとき、自分の姓名を記した名簿(ミョウブ)と呼ぶ札を、主人に奉げます。これは、その名を奉げることにより相手に従属したというあかしになるのです。名前は、自分の全てだったのです。平将門も、藤原忠平に名簿を奉げました。
    武士が名を名乗るときは、命のやりとりをするときです。「やあやあ我こそは」と名乗り、一騎討ちをします。鎌倉武士は「名こそ惜しけれ」の精神です。名前は、それだけ重要なものであり、呪術性を帯びていると思われていました。
    このように普段は実名を諱とし、声に出すのを避ける傾向は、のちに「通称」を生んだことは以前にも書いたとおりです。太郎や次郎などの生まれ順命名から、官職名が名前に入り込んでくる過程は前述しました。
    そして、実名である諱は、ほとんど読まれることは無くなったのです。護良親王は「もりなが」か「もりよし」か、また織田信雄は「のぶかつ」か「のぶお」か、なんてよく論じられますが、そもそも伝わっていないのでわからないのです。

    江戸時代になると、この傾向はさらに顕著となります。僕はその3で「大名や公家が悪い」と書きましたが、そもそもこの時代の実名は読まれることがないので、読みはあまり重視されないのです。いや、むしろ読まれることを恐れてわざと「難読命名」にしていた可能性もあります。それほど、この時代の諱の読みは難しいのです。もしも相手が呪詛的意味合いで名を呼ぼうとしても、読めないのではどうにもしようがないわけですから。
    それでも殿様であれば、諱は公式文書には現れますが、一般的な武士であれば実名は使用することは大抵ありません。家老クラスでも大石良雄は内蔵助で通っていて、良雄も「よしお」か「よしたか」か説が分かれています。幕末においても西郷さんは吉之助、大久保さんは一蔵です。明治になって戸籍が出来て、諱採用で大久保利通となったのです。
    戸籍以前に死んだ人は、村田蔵六(大村益次郎)であり河井継之助であり小松帯刀であり、坂本龍馬であり中岡慎太郎です。みんな通称です。龍馬はんの諱が「直柔(ナオナリ)」であり、慎太郎さんが「道正」であるというのは、マニアしか知らないことかもしれませんね。
    高杉晋作の諱は何と「春風」だとされています。すげーな。この人詩人だから、誰かから一字貰うだの何だの関係なしに自分で名づけたのでしょうね。これこそ今で言うキラキラネームかと(笑)。

    そして、明治以後。僕も時として迷うのですが、海軍軍人で総理までつとめた山本権兵衛は「ごんべい」なのか「ごんのひょうえ」なのか。
    これは、本称は「ごんべい」、武官となって「ごんのひょうえ」と格式をもって読ませるようになったとの話がありますが、つまるところ「どっちでもいい」のだと思います。結局、戸籍には読みがないわけですから。首相経験者で言えば、近衛文麿(フミマロ)も「あやまろ」と読まれたりします。
    日本は、伝統的にそういうことがあるのだと思います。正式なものは、書面上が重要で訓ずることはさほど重視しないのです。「有職読み」というのがありまして、音読みOKの伝統があります。藤原定家(テイカ)や二宮尊徳(ソントク)などは、そっちの読みが一般的になっています。木戸孝允(コウイン)や伊藤博文(ハクブン)なんてのも言いますね。これは現代でも大野伴睦(バンボク)なんて人がいました。麻原ショウコウなんてのもそれにあたるかもしれません。
    だいたい、日本では中国から輸入した漢字をつかっているわけで、読みなんてあまりこだわらないのです。そもそも「日本」もニホンかニッポンかよくわからない。国名ですらこれでは、あとは何をかいわんや、です。固有名詞の漢字の読みなんて、実はどうでもいいのかもしれません。

    だったら、もう怖れることはないのかもしれません。今の子供たちの名前が読めなくても、いいんだ。諱はそもそも、読まれないものなのです。
    社会も、そうなっていけばいいのだと思います。名前を読まなくても、そして呼ばなくてもいい社会へ。時々ニュースなどで「名前の読み方が間違っておりました。お詫びして訂正致します」などと謝罪したりしますが、そんなのいらない。読めないのが普通。それが常識の社会であればいいんです。どうしても読まれなければならない場合には、書類には振り仮名必須。あとは、有職読みでよし。
    しかし、大翔ならダイショウでいいけど、琉絆空はどうすんだよ。リュウハンクウ?(笑)
    そのあたりで僕もつまづいてしまうのですが(汗)、少なくともこういう名前の人は読めなくてもしょうがないと思うべきです。実際に読めないのですから。そして、それが当たり前なのだから、読めなくても寂しがらなくていい社会になればいい。うんうん。

    ただ、この時代は本当に変わり目だということは、自覚しないといけませんね。
    これまでは、まず名前で国籍がわかりました。そう書くといろいろ問題が生じそうなので、民族性としましょうか。国籍が違うとしても、この人は日本に関係があるな、と名前でわかったのです(ヨーコ・ゼッターランドさんなど)。
    しかし、愛莉穂(アリス)や星愛(セイラ)では、これは難しそうです。
    今は、パスポートすら非ヘボン式の表記がOKになったようで。譲二さんはJojiではなくGeorgeと綴っていいようです。Aliceもいいんだな。こうなると、何か海外で事故などの際(縁起でもない話で申し訳ありませんが)に、日本人が居たのかどうかというのが判別しづらくなりますね。
    名前の無国籍性が、どんどん進んできています。いや、琉絆空(ルキア)や楽心(ラウ)はそれ以上だな。名前の無帰属性とでも言いますか。
    それはそれでかまわないわけですが、時代の変わり目であることは間違いないでしょう。

    そして、以下は諱にも難読命名にも関わることですが。
    その4で名前を解読してつくづく思ったのは、名前の重層化が進んでいることです。
    従来の名は、漢字と読みが一体化していました。なので、まず漢字から考えるわけです。健やかに育ってほしいと願い、健太と名づける。さすれば、もう読みは通常ケンタしかないのですね。健治でも、まずケンジか、たけはる。
    そして、漢字の持つ意味と読みは、連動しています。健康のケン。
    しかし今は、その連動性がなくなってきています。音先行で漢字を当てはめるという手法が、読みと漢字の持つ意味とを乖離させる現象がおこっています。
    大きく羽ばたけと願い、大翔くん。しかし読みは「やまと」。上昇していく漢字と、日本の国土を象徴するかのような音。まさに「天と地」ほど違います。宇宙戦艦ヤマトくらいしか共通項を見出せません。
    こういう字面と音が乖離した例は、多く見出せると思います。音和(トワ)くん。音楽が好きな親御さんなんでしょう。そして読みは「永遠」。ひとつの名前に、ふたつの意味をこめています。やりますねー。考え抜いた結果でしょう。
    穏空くん。おだやかな空。雨や風のない空の下で、すくすくと生きろ。人生に荒れた空はゴメンだ。そんな両親の思いが伝わるようですが、読みは「しずく」。漢字は晴れていて読みは雨が降っています。これはすごい。
    これは、何でしょう。ここには乖離どころか、相反した名前がふたつ存在しています。穏空という字が持つ意味にひきずられると、絶対に「しずく」にはたどり着けない。読まれたくないとすれば、これほどの名はなかなかありません。これはつまり、穏空が通称でしずくが諱なのでしょうか。
    現在の命名というやつは、相当に奥深いと考えなければならないようです。

    「読まれたくない名前」から結論をひっぱり出そうと思って蛇足の記事を書き始めたのですが、結局、答えは出せずに終わりました。
    ただ「名前は、人に呼ばれるために存在しているもの」という考え方は、改まりました。
    名前が識別のためだけに存在しているのであれば、名前記号論とでもいうべき考え方に到達し、最終的に「番号にしておけばいい」までいってしまいます。それでいいのか。
    古来より、人の名前はそんな単純なものではなく、もっと奥深い大切なものでした。それに気づかせてくれたのは、このキラキラネームの存在と、名づける親の心であったことだけは、間違いないと思います。
    好きか嫌いか、でいえば、まだ好きじゃないんですけどね(笑)。でも、もう少し見方は、かえてみよう。

    キラキラネームの話、終わります。長いのをここまで読んで下さった方々に感謝いたします。
     
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    | 2012/02/26 | 言葉 | 13:14 | comments(10) | trackbacks(0) |


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