スポンサーサイト

  • 2016.12.30 Friday
  • 一定期間更新がないため広告を表示しています



    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    年の瀬にいろいろと

  • 2014.12.28 Sunday
  • 年末の記事はいつも「時間が過ぎるのが早すぎるとかなんとか書いて、その一年の「凛太郎」としての僕を振り返っているのですが、あまりにも今年は凛太郎亭で書かなさ過ぎたので、ちょっと時事も。

    今年は、例年にも増して訃報をよく見聞きしたように思います。大瀧詠一さんが亡くなったのは昨年だったかもしれませんが、僕は正月、青森の妻の実家に帰省中にそれを知り、それからほどなくしてやしきたかじんの訃報。そして、この一年で僕を楽しませてくれた人々が次々に亡くなってゆきました。
    身近でもいろいろあって、葬式にも何度も出ました。
    今年はずっとお墓に関するブログ記事を書き続けたこともあって、こちらが過敏になっていたのかもしれませんが、とにかくそういうことが耳に入る機会がやたらとあったような。
    何度も、追悼記事を書こうと思ったのです。中でもビル・ロビンソンと赤瀬川原平氏は途中まで書きました。しかし筆力の衰えなのか結実しませんでした。こういうのは時事なので、書けなければオクラ入りです。そうやって時が過ぎてゆきました。
    晩秋から年末にかけては毎日のように「あ、この人も…」という感じで、僕はつい新聞を読むときにまず死亡欄を確認するように。健さんや文太さんはもちろんのこと、種村直樹、貝原俊民、納谷六朗、松本健一といった方々の訃報が連日続き、また僕の書棚の中の存命者の割合が下がりました。羽仁未央さんなんて僕と歳かわらんよね?
    そして、このあいだもガロのマークこと堀内護さんが亡くなりました。
    これでもう終りだと思っていましたら、今年も押し迫ったこの時期に、笠木透さんの訃報が。ショックです。
    まず、日本のフォーク界の巨人といっていいでしょう。
    笠木透さん率いる「我夢土下座」のことを記事にしたのは、もう10年ほど前になります(→徒然草:「時は流れて」)。このブログを始めたときに書いた「好きなLP BEST10」にも選びました(→こちら)。
    この人がいなければあの中津川フォークジャンボリーは無かったわけで、それだけでも日本の音楽シーンに多大なる功績があったわけですが、とにかく僕にとっては、心に残る数々のうたがあります。

     生きている鳥たちが 生きて飛び回る空を
     あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは
     目を閉じてご覧なさい 山が見えるでしょう
     近づいてご覧なさい辛夷の花があるでしょう

    また、繰り返し聴こうと思います。合掌。


    さて、寂しい話は措いて、良かったことも書きます。
    こうして年末の記事を書くのも10回目になります。今年は、僕にとってはブログ10周年の年でした。
    そうやって長いこと書いていれば、いろいろ読んで下さる方もいるわけです。
    この秋に、僕の歴史散策ブログ「ちょっと歴史っぽい西宮」を読まれた大学の先生から「原稿を書いてくれませんか」とのメールが入りました。
    大阪春秋」という、大阪の郷土史研究の季刊誌があります。たいへんに伝統のある雑誌で、僕も今までしばしば参照してきました。その「大阪春秋」が、西宮特集を組むので執筆者のひとりになってくれないかというお話なのです。
    しばらくして、正式に執筆依頼がきました。
    うれしかったですね。これは。
    昔から、紙媒体に書くのは夢でした。
    これまで、こういう話がなかったわけではありません。本を出さないか、まで言ってきた編集者もいました。しかし、いずれも実現しませんでした。そのたびに、残念な思いをしてきました。
    このたび僕に与えられたのは4ページ、6000字です。
    それでもこれはひとつの「夢叶う」と言っていいのではないかと思います。僕はひとつ条件を出しました。「凛太郎という名前で書くよ」と。
    ただ、これではいかにもHNですので、便宜的に姓をつけています。僕は「北川凛太郎」といういかにも売れないミステリー作家みたいな名前になっていますが、諸般の事情というものもありまして(笑)。で、一生懸命書きました。
    僕が書いたのは新年号で1月の発売ですが、先日刷り上って献本が届きました。
    何と表紙にも、僕が書いた原稿のタイトル「西宮砲台を笑うな」が載っています。うれしいな。評価して下さったようです。
    だいたい執筆されている方々は大学の先生なのですが、その中に混じって僕の肩書きは「HP『ちょっと歴史っぽい西宮』管理人」です(笑)。ブロガーとして、凛太郎として書いたのですからこれは当然のことです。わはは。
    これは、僕としては10年間Web上で「凛太郎」として書いてきたことへのひとつの御褒美であるととらえています。どうもありがとう。

    そんな感じで、今年も暮れてゆきます。
    何とか様々な雑事も終り、明日から僕は例年の如く妻の実家へ帰省かたがた小旅行へ出ます。もちろん今年最後の更新です。もうひとつのブログにもなんとなしの思い出話を書いて終わります。
    この一年、僕のブログに訪れてくださった皆さんに厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。では、よいお年をお迎えください。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2014/12/28 | 雑感 | 22:26 | comments(2) | trackbacks(0) |

    生誕祭によせて

  • 2014.11.15 Saturday
  • 何と申しますか、あたしもブログというものを始めてまる十年が経とうとしているわけですが、おそらくこの一年は自分的に今までで一番書いてると思います。約8000字の記事を確実に週2回upしていますので、原稿用紙ですと週40枚程度書いていることになります。タグ含んでの数字ですから実際はそこまでゆきませんが、それでもこれは、ブログというものを始めて夢中になっていた時よりも、4年前にライブドアで「ちょ歴西宮」を始めた時よりもたぶん生産量は多い。
    おそらく、そんなヤツはおらんでしょうな。だいたいブログというものは、デビューしたときにたくさん書いて、徐々に静かになってゆくものです。ちょっと狂い咲きしていると自分でも思います。
    ヒマなのかと言われれば、そりゃヒマなんでしょう(汗)。
    しかしながら、いくらヒマと言ってもそんなに能力はありませんから、他は削らざるを得ない状況です。したがって、この「凛太郎亭」もご無沙汰。

    その旧村落と墓地の話も、もう終わります。
    しかし、これ終わったからと言って郷土史を卒業、ということにはならないんでしょうね。こういうものは、どうも底無し沼であっていくらでも書きたいテーマが出てくるのです。おそらく、西宮を離れないと終われない。
    なんでこんな足を洗えない世界に深入りしてしまったのか、といえば、それは勝海舟のせいです。話をごく短絡的かつ恣意的にすれば、ですが。

    いきさつは今まで何度も書いているのですが繰り返しますと、僕が郷土史に最初にアプローチしようと思ったのは、西宮市唯一の国指定史跡である「西宮砲台」のことを調べようと思ったからです。
    西宮という町は、イメージとしては大阪と神戸の中間に位置するベットタウンです。生まれた京都や、それまで暮らしていた金沢という町と比べてあまり歴史散策をしようという町ではありません。その中で「西宮砲台」という幕末に建造された石造堡塔が存在することだけは、引越してくる以前から知っていました。
    この史跡のことを最初に知ったのは、高校生のときです。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」に登場するからです。引用します。
     竜馬は「野里の渡し」から舟で中津川をわたり、ふたたび間道を馬で駈け、やがて人馬の幅湊する本街道に出た。本街道では十分に馬を駈けさせることができず、竜馬は多少いらだった。
     西宮に入ったのは、二時間後である。宿場に入って馬に水を飼った。
     (中略)
     俗謡をうたって土工の群れがゆく。竜馬は彼らが西宮海岸の幕府砲台の建設にやとわれていることを知っていた。勝海舟の設計による台場で、文久三年以来かれこれ五年もかかっているから、そろそろ完工も近いはずであった。
     (中略)
     西宮の宿を通るとき、竜馬はいつもあの元治元年の蛤御門ノ変のころを思い出すのである。
     暗い、陰惨な記憶だった。   (竜馬がゆく「横笛丸」より)
    舞台は幕末ももう大詰め、長崎で「イカルス号事件」がおこり、行き違いになった佐々木三四郎を追って兵庫津へ急ぐ竜馬が途中通った西宮の描写です。僕は若いころに何度もこの小説を読み、半ば暗記するくらいになっていましたので、この砲台のことも記憶にあり、それがまだ現存していることを知ったときには、是非見に行きたいと思っていたのです。
    しかし、西宮ではこの砲台は非常に悪評高いもので、はっきり言って嘲笑の対象になっていました。曰く「大砲を試し撃ちしたところ煙が中に充満して使い物にならないという設計ミスのお笑い砲台」だというのです。
    そんなアホな! これは勝のとっつぁんが造った砲台やぞ!
    僕は、普通の人より多少は勝海舟という人を勉強していますが、あの御仁は非常にプライド高き人で、後世に笑いものになるようなものを造るはずが無い。まして海軍に傾倒する以前はそもそも西洋式砲台の専門家で、佐久間象山の義兄であり砲術指南役も務めたくらい大砲にも詳しい。そんなオモチャみたいなものを何年もかけて造るわけがない。また実際に設計したのは佐藤与之助さんで、このひとは海軍塾塾頭で技術者としては超一流。絶対に設計ミスなどあり得ない。
    僕は、その謎を追って「西宮市史」にはじまる郷土関係資料を読み始めたのです。それが、郷土史にハマったきっかけです。

    今はブログでは墓地のことなどをずっと書いていますが、まだ砲台については調査中です。一応結論も出してそれはブログでも連載し世界に向けて発信していますが(このブログにも転載しています→こちらから)、まだまだ深いものがあり、先日も別の場所で書きました。この話はまたいずれ報告したいと思いますが。
    本音は、何といっても勝のとっつぁんの名誉回復です。このままにはしておけない。例え蟷螂の斧であっても、できることはあるはず。そう信じて、以後も勉強と発信は継続したいと思っています。


    と、ここまで書いて夜になり、酒を呑みました。もちろん、今日は11月15日、坂本龍馬はんの生誕祭です。
    今年も、地鶏鍋をつつきました。
    えー、すき焼き風ではありません。あれもうまいのですが、普通の鍋です。秋も深まり、鍋が恋しい季節となりました。
    まずは、昆布を戻して火にかけ、鰹だしを加え(これは顆粒です^^;)、酒と醤油、砂糖で濃い目に味付けをします。砂糖は入れないほうが良いとする意見もあるでしょうが、肉がやわらかくなりますのでね。味醂は使いません。
    鶏のモモ肉に酒を含ませてしばらく置き、沸騰した割り下に入れていくのですが、少し片栗粉をはたいています。確かにこうすると鶏が固くなりませんな。あとは、ゴボウのささがき(これ重要)、ネギ、シラタキ、そしてエノキタケとマイタケを入れました。
    卓上で鍋がぐつぐついってきますと、部屋中にいい香りがただよいますねぇ。だしと言うものは摩訶不思議で、昆布や鰹、そして鶏やキノコなどいろいろ入ると喧嘩しそうなものなのですがそうはならない。複雑に重なり合ってなんともいえぬ食欲をそそる香りへと変貌してゆきます。う、うまそう…。

     「ねー、せんべいあるんだけど入れようよ」
     「何ですと?」

    カミさんがヘンなことを言い出しました。ここで言う煎餅とは、いわゆる思い出話をしながら縁側で渋いお茶とともに食べるあの草加名物のアレではありません。素焼きにした南部煎餅です。「せんべい汁」というのはもはや全国区になったので詳しい説明は不要かも。なんでこういうものがうちにあるかと言えば、それはもうカミさんが青森の人だからなのですが。

     「オマエ今日なんでこういう鍋をしとるかわかっとんのか? 今日は龍馬はんを偲んでやなぁ」
     「わかってるわよ。でもこの鍋にせんべい入れたらおいしいわよ」
     「龍馬はんと南部藩は関係ないやろが。だいたいワシが言うとるのは」
     「あんた面倒くさい性格ねぇ。おいしいほうがいいに決まってるじゃないの」
     「そやなくてワシが言いたいのはあの日これが食べられへんかった龍馬はんを」
     「じゃちょっとだけ入れようね」

    なかなか初志貫徹とはいきません。煎餅はバキバキと割られて鍋に投入されました。
    これ、だしを吸うからうまいんですよねぇ(汗)。すいとんのように腹にたまらず、かといって麩のように頼りなくもない。溶けるわけでもなく決して他の具在の邪魔をせず、ただスープを凝縮して口の中に入ってくる。不思議なうまさをもっているのです。

     「せんべい、追加してもええで」
     「何言ってるのよ。あんたのほうが食べてるじゃないの」
     「むむむ…」

    酒は「美丈夫」純米です。この日のためにとっておいたもの。五臓六腑にしみますよ(笑)。うまいー。
    最後は雑炊です。これは間違いなくうまい。

    そして、酔ってPCの前に座っています。みなさん、ご無沙汰してますけどお元気ですかー。
    では、 ̄∇ ̄)/□☆□\( ̄¬ ̄ カンパ-イ!

    いつまでも続けばいいと思ってます。あたしはまだ、元気にやってます。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2014/11/15 | 雑感 | 21:45 | comments(8) | trackbacks(0) |

    夏の終り

  • 2014.08.31 Sunday
  • 前回、両親のところに行った話しを書きました。その続きみたいなものですが。
    親父はクルマを運転するのですが、数年前に手放しました。手放させた、というほうが当たっているかもしれません。なんせもう運転させるのが怖いのです。反射神経も判断能力も相当に衰えていましたので。また、自転車も怖い。おかんが乗るとどうもヨタヨタしていまして。なので自力で運転するものはもう止めたほうがいいだろう、という判断があります。
    これはもちろん両親とも納得づくのことですが、自由な動きがとれないことが不満ではあるようです。多少のことなら歩いたほうが健康に良く、万歩計を付けていますし、また遠いところはバスやタクシーもあります。しかし、例えば病院などへゆくときはタクシーを呼ぶのもしかたありませんが、ちょっとしたことではそういう行為もしにくいようです。億劫にもなりますし。
    で、ワシら子供が来たときには、足として大いに活用します。

    「どっか行きたいとこあるか?」

    と聞くと、京都へ行きたいとのこと。長年京都で暮らしてきた二人ですから、京都のあの店でないとダメ、みたいな買い物とかがいろいろあるようで。
    で、両親を乗せてちょっと京都へ出たのです。

    ところで。京都には今、妹が住んでいます。孫の顔も見たいでしょう。誘って昼ごはんでも…と思って電話をしてみたのですが。
    そうしたら、孫(つまりワシの甥)は二人居るのですが、上の子は不在、そして下の中学生は、忙しくて家を出られないというのです。

    「なんでやねんな。家にいてんのやろ?」(ワシ)
    「そうなんやけどな、夏休みの宿題が終わらんで今カンヅメ状態なんよ」(妹)
    「へ? そんなんくらいええやん。明日から学校が始まるわけでなし」(ワシ)
    「なにゆうてんのん明日からやんか」(妹)
    「なんやて?」

    この日は8月24日(日曜)でした。えー夏休みって今は8月いっぱいまでと違うのか。
    知りませんでした。子供がいないとこういうことに疎くなります。
    つまり、週5日制の影響なんですな。思わず弊害という言葉を使いたくなりました。土日休みますから授業日数が実質減るのです。ゆとり教育のときはそれでよかったのですが、今はそうじゃないので日数が足らなくなり、夏休みが早く終わるのです。うーむ。
    僕のカミさんは北国の生まれですので、やっぱり夏休みは8月末より早く終わったようですが、そのかわり冬休みが長くなっています。
    つまり、夏休みというのは本来、暑くて集中力も欠き授業にならないから設定されているものです。京都の夏なんて地獄のようなもの。しかし、今は学校にエアコンもあったりするのですわ。それなら、暑さは関係ないわな。

    しかしねぇ…。
    夏休みが24日までなんてどうも中途半端な気がします(地方によって違うと思いますのであくまで僕の甥たちの話として下さい)。
    僕の感情などどうでもいい話ですが、8月と9月の境目というのは、子供にとってはある意味大晦日正月や年度替わりと同等、いやそれ以上に重要なものだったように記憶しています。何せ、夏が終わるわけです。黄金色した日々は、月末で終わらないとなんだかしまらない(北国の方々に陳謝いたしますが、少なくとも僕らにとっては、という話です)。アブラ蝉の声が途絶えヒグラシやツクツクボウシが鳴き出し、そしてトンボが飛んで、ああ夏が行ってしまう、その「もの悲しさ」を感じるのは、ラスト1週間の感傷でした。
    それに、京都と言いますか関西だけの話かもしれませんが、24日って地蔵盆の日じやないですか。町内の子供達が集まって、スイカ割りをしてお菓子を貰い、夕刻になるとどこにこんなに棲息していたのかと思うくらいの婆さん連がワラワラと集まってきて御詠歌を奉納し、子供達は巨大な数珠をみんなで輪になって回す。24日で夏休みが終わるなら、そんなことみんなやってられないじゃない。ガキはだいたい宿題はギリギリまで残すもんだ。地蔵盆はどうなる。伝統行事を潰す気か。思わず僕は、明治維新時の神仏分離廃仏毀釈淫祠邪教排除政策の下に地蔵取払令を布告したあの国家神道化の尊皇攘夷政府とやってることは同じじゃないかと叫びそうになり(以下略)。

    まあね、こういうのは慣れの問題かもしれませんけどね。8月を1週間残して休みが終わるということが完全定着してゆけば、それが子供達の夏の終りとして浸透していくのかもしれませんが。
    いろんなことが、かわっていくんだなあ。僕はよく思い出話をブログとかに書きますが、そのうち注釈が必要になってくるのかもしれません。

    さて、曲は「夏の終り」を。直太朗くんではなく当然浜田省吾で。

     
     誰がために鐘は鳴る ニコ動

      夏の終わりの乾いた風が窓から俺の口笛吹き飛ばす
      フロントガラスにテキーラサンライズ
      もう誰の心も引き裂くことなんてない

    僕にとっては今日が、やっぱり夏の終りです。8月31日と9月1日の境なんて何の意味も無くなって久しいけれども、この日のもの悲しさだけは、たくさんの追憶とともに、たぶん一生感じていくんだろうなと思ってます。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2014/08/31 | 雑感 | 21:20 | comments(2) | trackbacks(0) |

    身ぃ入る

  • 2014.08.30 Saturday
  • 先週のことなんですけど、土日にちょっと実家に行ったのですよ。
    もうさすがに両親もヨボヨボでしてね。父親は以前からかなり体力を無くしていますが、昨今はおかんの衰えも目立つようになってきました。家事が徐々に出来なくなってきています。親父は昔の人間ですから一切手伝いませんし(また親父にメシを作ったりする能力は無い)、おかんの負担が大きくなってきています。
    なので実家に行っても、もてなしてもらうことはもうありません。泊まったのですが、布団すら持参しています。僕らが帰ったらおかんは布団を干そうとするでしょう。シーツだって洗わなくちゃいけない。余計な負担はかけられないのです。
    やっていることは、ひたすら掃除です。
    僕の主たる仕事は、植木屋さんですね。庭の木がジャングル化していますので、それを何とかせねばなりません。ガンガン剪定して切った枝を縛り、葉っぱや抜いた雑草を袋詰めです。ゴミは全て持ち帰ります。あの両親に40袋ものゴミを集積場に持って行かせられません。なので、帰りのクルマはもうパンパンとなります。西宮市さんごめんね他の市町村で出たゴミを大量に出して(汗)。

    まあそのくらいは子供の責務ですからやりますよ。しかしこっちも既にいい歳で若いときのパワーがないので大変です。
    作業しているときは若いつもりですのでさほどしんどいとは思っていないのですが、翌日、翌々日のダメージが深刻な状況に(笑)。あちこちイタくてもうダメです。
    不思議なのは、当然右腕に最も筋肉痛がくるかと思っていたのです。ノコギリでかなり太い枝も切りましたから。しかし、最も痛くなったのは、左の上腕三頭筋でした。力こぶのほうではなくその裏側。あれ?
    筋肉のシステムというものは、摩訶不思議です。こんな筋肉、いつ使っていたのか。右腕の上腕二頭筋ならわかるんですよ。ノコギリは引く力です。上腕三頭筋ってのは、押す力でしょう。しかも左腕。切るときに、無意識に枝を持って強く押していたのかなあ。いや手前に引いていたように思うんだけどなあ。
    これをもって、二の腕の振袖状態に悩んでいる人は木を切りなさい、とは言えませんよ。何をして負荷がかかったのかわかりませんから。
    ボディビルをやっている人とかに一度聞いてみたい気がします。

    筋肉痛の不思議と言えば、乳酸がたまることによって引き起こされると言います。あのシステムがよくわかんない。ググろうかと思いましたが面倒なのでやめます。
    乳酸ってのは、乳酸菌で生成されるもんでしょ? 酒造りのシステムなら知ってるぞ。ならヨーグルトとか食べれば筋肉痛になるの?(ほーら馬脚を現した。だから検索くらいしなさいってーの)
    不思議と言えば、まだあるわけです。筋肉痛は2日後に出ましたよ(汗)。もう僕は確かにおっさんですが、何ゆえ年くうと筋肉痛が出るのに時間がかかるんでしょうね?
    知ったからと言ってどうなるものでもないのですが、なんか不思議。どうせ新陳代謝能力の低下とかそんなことなんでしょうが。
    ついこのあいだ(と言っても何ヶ月かは経ってますが)女子サッカーのアジアカップを見ていて、中国との試合だったかなー、木龍さんが途中交代で入ってきたんです。でも、どうも動きが鈍いようで、途中交代で入ったのに怪我でもなくまた交代という異例の采配を佐々木監督はやったのです。その是非はともかくとして解説の大竹七未さんが確か、「木龍は乳酸がたまってるんじゃないでしょうか」と言ったんですよ。急激にペースを上げ過ぎると乳酸がたまって動けなくなると。
    アップ不足なのかそれとも途中出場で疲れている先発出場者を何としてもフォローしたいと走り回った結果かどうかは知りませんが、とにかく驚いたのは「そんな数分間後とかで乳酸がたまるの?」ということで。こっちは2日後ですよ2日後(汗)。プロスポーツ選手と運動不足のおっさんを比べるなと怒られそうですが、そんなに変わるものなのか…。非常にがっかりしてしまいましたあのときは(木龍さんじゃなくワシの肉体にね)。

    ところでね。
    この筋肉痛になるという状況のことを、僕の地元(京都)では、
    「身が入る(イル)」
    というわけです。正確には「みぃいる(これは京都独特の発音か。例えば京都で「手が痛い」を「てぇー痛い」と言う)」。これ、他所では通じないんですな。子供の頃から遣っていた表現なんですが。
    もちろん冷静になって考えれば、非常にヘンな表現です。意味わからん(笑)。大阪で「身ぃ張る」と言われた方が居ました。身が張るならそれはよく乳酸のたまった筋肉痛を表現していると思います。それに比べ僕の故郷の表現は、身がどこに入ってゆくというのでしょうか。
    よくわかりません。とはいえ地方限定の言葉を間違いと言うわけにもいかず。方言というのは共通語以前から存在するものですからねぇ。

    さて…こんな話を書くつもりではなかったのですが(話が二転三転しておるぞ^^;)、夜に呑みながら更新するとこういうとっちらかった話になります。本題は別だったのですが話がそれまくってダメ(汗)。
    なんかね、じゅげむブログが45日間更新しないと広告を最上部に出すと言って、見たらそれがワシのブログにも出てるんです(笑)。そーか一ヵ月半放置したか。別のブログはセカセカ書いてるんでうっかりしてました。なので、ちょっとだけ更新。


    さて、一曲張ろうかと思いまして、こんな話ですから筋肉少女帯か筋肉マンのうたがふさわしいと思ったのですが、どうしても気になる曲がありましてググりました。
    amazonではさすがに無かったのですが(汗)、youtubeにはありましたので画像なしで張ります。
    ムキムキマンの「エンゼル体操」です。(→youtube)

    僕らの子供の頃はこれ流行りましてね。今でもソラで歌えるし踊れるな。これと電線音頭は(笑)。

     男なら目立たなくちゃ 体だけは鍛えなくっちゃ
     顔なんて悪くったって三角筋
     女なら出っ張らなくちゃ ムキムキッとさせなくっちゃ
     鍛えあげて ご一緒に括約筋
     産前産後の虚脱感 一時の過ち 気の迷い
     のぼせ肩こり夜尿症 みんなまとめて上腕筋
     ポパイだってゴジラだって 内緒だけどやってるんだ
     明日からは家中で大胸筋

    すげぇ歌詞だと思いましたら景山民夫氏なのね。なるほど。懐かしいですな。若い人は知らないと思いますが。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2014/08/30 | 雑感 | 21:36 | comments(2) | trackbacks(0) |

    もう孫かいな。

  • 2014.04.05 Saturday
  • いやね、僕もいい年してますけど、まだなんとなしにどっかで若者気分が抜けていない部分があるわけですよ。青いと言いますか。浮ついてるといいますか。人に言えば馬鹿と言われてしまいますのでここでしか書けないんですけれども。
    しかし、同級生の中にはもう孫が出来たヤツがいる。前にも書いたことがありますが、だいたいそういうのは女性でした。しかし、男の同級生では聞いたことがなかったんですが、とうとうあらわれまして。爺さんかよ。ふぅ。

    まあそれはともかく。そいつなんですけどね。
    孫の画像をメールで送ろうとしてくるわけですよ。
    いや別に親友とかじゃないです。はっきり言って、そんなに深い友達でもないんです。同じクラスだったということくらい。ところが一人マメなヤツがいて仲立ちしてくれてるので、ここまで付き合いが続いているようなもんです。
    そんな僕のところにまでどうして孫の画像を送ろうとするんでしょうかねえ。
    僕は、所持しているケータイというのはもちろんガラケーですよ。ネットをケータイから覗くことは全く致しません。メールは一応しますけど、ほぼ身内だけとしか使わない。完全に使用方法は携帯電話での通話が主です。なので、使い放題プランにしていないんです。ラインとか全然興味なし。
    画像なんてのは、送られたら迷惑です。こっちにだって金がかかるわい。なので添付ファイル付きのメールは開けません。開けずにメールを返します。なんか送りたいものがあるならPCに送れ。アドレス教えてやるから。
    でまあ、送ってきたみたいなんですが。
    僕は、PCは基本的に平日は朝しか開けません。なのでメールも朝しかチェックしないわけです。そうしたら、そいつが怒ってくるわけですわ。さっさと見ろよ、と。
    しょうがないので見ましたよ。そしたら、孫の画像です。阿呆か。
    かわいいねと言わねばならんのですかね(汗)。別にかわいくないわけじゃないけど「普通」の赤ちゃんの画像なんですが。こいつの娘も知らんしもちろんその娘の配偶者も知らんしね。

    こういうの、以前にもよくありました。だいたい、子供の成人式の写真を見せようとするムーブメントです。2年くらい前に何人かが始めて、しばらく続いたようなおぼえがあります。
    僕は親になっていないので、そういうのを見せたがる心理ってのがさっぱりわかんない。褒めて欲しいんでしょうか。立派になったね、とか言えばいいんでしょうか。しかしその成人式を迎えた若者の、子供時代を別によく知ってるわけじゃないので(何回かは見たことがあっても)、感慨もなにもありませんわな。「あのときに頭を撫でてもらった子供がこうなりました」って言われてもねぇ。
    僕もいくら浮ついていて青くても、一応「きれいになられて」とか返しますよ。大人だから。でも、面白くもなんともない。
    ツールの進歩というものも、良し悪しだなあとつくづく。
    以前はこんな簡単に画像を送ったりはできませんでしたから、年賀状の季節だけ通り過ぎるのを待てばよかったんです。二十年くらい前かな、友人からの年賀状がみんな子供の写真になったことがありました。あれも困ったもんでしたが、正月だけでしたからまだマシだったと思います。いまは、時期を選びません。面倒だなー。

    いや別に、気を遣って欲しい、とは思ってません。別に子供や孫の写真の年賀状が送られてきても、それを見てこっちが悲しくなるとかそんなことは全くありません。そんなことで気を遣われたらこっちがしんどいわ。オマエも早くこういうのが送れるようになれよ、的な添え書きがあったときだけはムカっときましたが、普通のものであれば気にはなりません。幸せなんでしょうから。
    ただ、芸がないな、と思うだけ(笑)。みんな同じなんですもん。
    しかしメール添付は、押し付けがましいと思いますぜ一応。反応しなくちゃいけないのが鬱陶しい。

    ですが…孫ができるくらいの歳になれば、こういうことも恬淡としているべきなんでしょうな。そこがまだ自分でも青いと思います。うーむ。


    今日の一曲は「うろこ雲の絵」を。

     
     西岡たかし・五つの赤い風船 CD-BOX youtube

    つくづくいいうただなあと思います。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2014/04/05 | 雑感 | 18:17 | comments(4) | trackbacks(0) |


    CALENDER

    S M T W T F S
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << April 2017 >>

    CATEGORY

    ANOTHER BLOG

    メインブログ
    酒・旅・フォーク・歴史・プロレスをテーマにときどき更新


    ちょっと歴史っぽい西宮
    別館・西宮歴史探訪サイト
    凛太郎の自転車操業
    西宮地域ブログ

    PROFILE&BBS&MAIL

    自己紹介です。
    BBS
    掲示板です。
    Mail
    メール送信フォームです。

    NEW ENTRIES

    SEARCH THIS SITE.

    ARCHIVES

    RECENT COMMENTS

    RECENT TRACKBACK

    BLOG PARTS


    RECOMMEND


    MOBILE

    qrcode

    SPONSORED LINKS


    OTHERS


  • フィードメーター - 凛太郎亭日乗


  • ついったー




  • 無料ブログ作成サービス JUGEM