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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    炒飯の作り方

  • 2012.06.16 Saturday
  • さて、そんなわけで、新しい中華鍋を買ってきました。
    ですが、今回は妥協の鍋です。カミさんとモメにモメて相談して、前回のより少し小さめです。「私も使いやすいモノにしようよ」との意見が出て、あまり重いものではなく、女性でも何とか扱える重量です。一応柄付きの北京鍋ですが、その把手の先に木製の持ち手が付いています。これで、素手で鍋を扱うことが可能となりました。さらに、底が多少平たくなっています。これによりレンジには乗せやすくなりましたが、反面、鍋が振りにくく(あおりにくく)なったかもしれません。うーむ。しかし、フッソ樹脂加工は断固としてダメだと譲りませんでした。あれは、すぐにダメになります。強火で鍋を焼くからこそうまい料理が作れるわけで、それだけは妥協できません。

    新しい中華鍋は、すぐには使用できません。鉄製の鍋には錆止め剤が塗られているため、それを焼ききる作業が必要となります。まず、空焼き。強火で熱すると煙がもうもうと出て、色が徐々に変わってきます。傾けて鍋の縁まで丁寧に、30分くらい焼いたでしょうか。色が隅々まで変わり完全に錆止めは焼けたので、ジュッと水を流しゴシゴシたわしで洗います。
    さらに、油を馴染ませなくてはなりません。焦げ付かない鍋に育てるには大変なのです。鍋を熱して油を入れ、煙が出るまで焼き、それを洗いまた油を入れて焼き…の繰り返しです。洗うのに洗剤は使用しません。こうして、鍋を育てるのです。
    なお、カミさんが使用説明書を読んで「くず野菜を炒めると鉄臭さが消えるらしいからそうしよう」と言います。僕はそこまで必要はない、と考えていたのですが…。

     「うちにくず野菜なんてあるんかいな」
     「う…そういえばないわね」
     「そんなもん普通の家庭にはあらへんのや」

    ネギの青いところまで食べつくす我が家です。しかしどうしてもカミさんがその工程が必要だというので、それからしばらく我が家では生ごみが出なくなりました。ジャガイモ、ニンジン、ダイコンの皮をむけば捨てずに冷蔵庫。ピーマンの種もホウレン草のしっぽも保存。そしてようやく溜まったのでそれら生ゴミくず野菜を盛大に炒めます。
    そして、ようやく使える段階にまできました。本当に馴染むには、どんどんこの鍋で料理をしていくしかありませんね。 

    中華鍋といえばやはり炒飯なわけです。学生の頃は毎日のように、いやそれは大層ですが、ある年は一年の1/3、まず100日は自分で作って食べていたでしょう。あの年は米と卵の消費量が違った、とおかんが今でも言います。一人暮らし後も、常にメシを冷凍しておいて夜中でもすぐに作れるようスタンバイ。そりゃ太るわな(汗)。
    この炒飯の作り方にも、変遷があります。
    最初は、やはり邱永漢氏の著作を読んで作りはじめました。
    たとえば、私たちは炒飯を炒める前に、白ネギを刻んで油の中におとす習慣がある。その場合、なんのためにネギを使うかちいうと、ひとつには油の臭味(もしそれがあれば)を消すたためであるが、もっと積極的には芳香を与えるためである(中略)そこへご飯を入れて炒めれば、ご飯全体にその香ばしさがしみこむ。なんでもない手続きだが、炒飯をちょっと口に入れてみただけで、これは中国人のつくった炒飯か、日本人のつくった炒飯か、区別がついてしまう(中略)何度もくどいようだけれども、白ネギをキツネ色になるまで油で焦がすプロセスは、どんなことがあっても省略しないことである。
    「奥様はお料理がお好き」
    なるほどね。ネギを炒める、か。
    これは、料理をする方なら当たり前だとおっしゃるでしょうが、僕はその時知りました。確かにネギ、玉ネギ、ニンニクなどは、生と油で炒めたものとでは香りは別物です。具体的には、
    炒飯の要領は、まずわけぎ(太葱でもさしつかえない)を細かくきざむ。中華鍋にサラダ油をややたっぷりめに入れ、熱くなったところに、きざんだ葱を加えて、狐色になるまで焦がす。葱が焦げると、一種えもいえない芳香を放つ。その中に冷たいごはんを入れて満遍なくかきまぜ、すっかり熱くなってから、卵の殻を割って卵を上にかけてよくかきまぜる。卵はご飯の中にまざって見えなくなってしまう。あとは塩と化学調味料と醤油と胡椒少々で味つけをすればよいが、醤油味の好きな人は醤油で色をつけ、嫌いな人は塩味をきかせればよい。
    「邱飯店のメニュー」
    これが基本で、もちろん上等になれば化学調味料が上湯(シャントン)となり、具に臘腸(ラプチョン 中華ソーセージ)や火腿(フオトェイ 中国ハム)が入る、と書かれているのですがそれはともかく、僕はこれで、しばらく炒飯を作っていたわけです。

    しかし、作り続けるとどうもこの作り方で本当にいいのか、と思い始めます。
    ネギを焦がし香りをつけると確かに美味い。ですが、ネギを狐色にして油に香りを移すには、低温でじっくり炒めなければなりません。しかし、そんな低温の鍋でごはんを炒めるとどうもうまくいかない。中華鍋は高温が身上ではなかったのですか。
    僕は京都人ですので、昔から「餃子の王将」には通いなれていたわけですが、そこで覗いた炒飯を作る行程は、こうです。
    高温で鍋を焼く→アブラ大量投入→とき卵投入→かき混ぜすぐご飯投入→あおる→焼豚投入→あおる→調味料各種投入(いろんな粉を入れてる)→あおる→ネギ投入→あおる→出来上がり。
    これではネギの芳香が出ないではないか、とは思いますが、王将に限らずラーメン屋などで食べる炒飯の多くは、この方式です。覗いていればたいていそう(中華料理屋はなかなか厨房が覗けないけど、TVなどで見る限りはそう)。
    で、この方式で作ってみることにしました。ところがね、やはり素人では、なかなかこれはうまくいかないわけですよ。最初は失敗を繰り返します。卵だけ焦げたり、ご飯がダマになったり。炒飯ではなくこれは「練飯」ではないか、と嘆くことも。
    しかし、繰り返すと徐々にこれが出来るようになってくるのです。不思議なものですね。10回や20回で諦めてはいけない。おそらく、コツを体得するんでしょうね。自転車に乗るのと同じだと思います。何が違うのかはよくわからないうちに、出来るようになる。
    そのコツをつかむ方法のひとつとしては、最初はカロリーには目をつぶって油を多く入れることじゃないかなと思います。椎名誠氏の「あやしい探検隊」のメンバーだった林政明氏の著作「林(リン)さんチャーハンの秘密」に、「卵は油をふくませ”油のスポンジ”という大役を果たしてもらう」と書かれていますが、この表現は実にわかりやすい。僕などは「飯粒ひとつぶひとつぶを揚げる」くらいのことを言ってもいいかと思います。油を多くするとベチャっとするのでは、と思いますが、それは低温がなせることで、米粒それぞれに熱い油を回すことによって、ひとつぶひとつぶがカラリとした炒飯が出来上がるのだと思います。そのコツさえつかめたら、油の量は減らしても出来ると思うのです(自転車から補助輪を外すように)。

    なお、この「米粒ひとつひとつに油を回すように炒める」というやり方に真っ向から対立する炒飯の作り方が、どうも最近世間を席巻しているようです。「パラパラチャーハン」で検索すれば、そのレシピがいくらでもヒットします。
    そのレシピとは「卵と飯先混ぜ式」とでもいうもの。つまり、卵かけご飯を炒めるのです。こうすれば、ご飯ひとつぶひとつぶが卵でコーティングされるためにパラパラとなり、しかもそのコーティングによって「黄金チャーハン」と呼ばれたりもしているようです。
    これをね、僕も興味本位でやってみたのです。先に卵と飯を混ぜて、それを鍋に投入しほぐすように炒めます。
    確かにこれ、パラパラにはなるのです。しかしねぇ…どうもいつものより美味くない。
    このやり方ですと、飯粒の表面に油が回りにくいため、ご飯を炒めたときの香ばしさが足りないのです。飯が炒まらないということは、つまり極端な話これは炒飯ではない、とも言えます。形状だけはパラパラですが、どうもボソボソに近く。また、ごはん自体に味がつきにくくなっています(先にコーティングしてしまうのだから当然ですが)。
    どうも世の中には「パラパラチャーハン至上主義」なるものがあるようです。そして、どうしてもそれに到達したいがために「飯粒を炒める」という炒飯の基本からどんどんずれていっているような気がします。
    もちろん味については好みであり、あくまで僕が「あまり美味くない」と思っただけですよ(汗)。また、僕の手際も悪かったのかもしれません。いずれも僕が作ったものですから「当社比較」であり何の説得力もないことはおことわりしておきます。
    さらに「レタスチャーハン」などにはこちらの方が向くかも、とは思います。あるいは「あんかけチャーハン」も卵先混ぜ式がいいかも。なので、全否定はしませんよ。油を多く使えば、卵が油を吸うのでこの方式でもいいのかもしれません。
    でも、僕はもうやらないな。試してませんけど、この方式で打開できるとすれば、卵と油の混合液にご飯を入れて先に混ぜ込んでおく、というやり方かもしれません。でも、卵&油って、常温で混ぜれば乳化するやん。オランデーズソース?マヨネーズとご飯混ぜて炒めればパラパラ?(収拾がつかなくなってきた)

    僕の炒飯は、このようにして作ります。通常と違うのは「ネギ二段階方式」でしょう。
    プロが作る炒飯を見ても、ネギは最後に入れています。レシピ本などには「最後に香り付けのネギを…」なんて文言も見られます。つまり、ネギは炒めない。それが、邱永漢氏の言う「日本人の味覚」なのでしょう。中国人(少なくとも邱永漢氏)は、ネギを生で食べるのは美味くない、と考えておられるようで、「ぬた」を食べて「なんとまずいものだろうと思った」と書かれています。ぬたはうまいのにねぇ。味覚にも民族性、と申しますかDNAはあるのでしょう。
    僕は日本人ですが、炒めたネギのいい香り、というのはよく分かるのです。最初はその香りを頼りに炒飯を作っていたわけで。しかし「最後に香り付けのネギ」も分からなくも無い。なので、二段階に分けて入れます。
    中華鍋を熱します。うちのレンジは「チャオバーナー」と呼ぶ強い火力が出るようになっていますが、そんなのがない場合は鍋から煙が出るのを待ちます。
    そこへ、油を入れます。ラードがうまい。牛肉買えばついてくるヘットでやれば、甘みのある炒飯ができます。もちろん、植物油でも良し。入れたら、なじませます。
    ここでネギを投入。翌日のことがない場合は、ニンニクも刻んで入れるとうまいですな。ただし、熱せられた中華鍋なので、油に入れればあっという間に真っ黒に焦げます。5秒は持たない。すぐさま、手に持ったおたまですくい取ります。本来は弱火でじっくりと炒めると油にいい香りがつきますが、このすくい取った油通し後のネギも混ぜ込みますのでまあまあ香り付けにはなります。これ、実際入れると入れないとでは確かに別物です。味は好みですけど。
    よく溶いた卵をジュッと入れます。入れたら、すぐにかき混ぜ。しかしおたまには今すくった焼きネギが入ってます。かまわず混ぜます(笑)。まだ固まらないうち、約2秒でごはん投入。こないだ数えながらやったらネギ入れてすくって卵入れて飯入れるまで8秒。
    状況はつまり、熱い油と卵が撹拌された半熟にも満たないくらいの卵液の中に、焼きネギと飯を入れた状態です。
    ごはんは、温かいものか冷たいものかで論争があるようですが、どちらでもいいや。僕は、冷たいほうが作りやすいです。ただ冷たいのにも限度があって、昔面倒くさかったので冷凍したのをそのままぶっこんだらさすがに鍋の温度が急激に下がって失敗しました。でも凍ってなければOKかな。室温くらいが本当はいいのかもしれません。
    ごはんを入れたら、一度あおってひっくり返します(つまり卵が上になる)。そうしたら、ごはんをほぐすために卵の上からおたまで鍋に押し付けるようにします。この押し付けで飯が直接鍋肌で焼けていくような気がしますね。そうして強火のままごはんをほぐし、あおっては鍋肌に押し付け、少しでも固まりがあればおたまでカンと叩き、あおり…を繰り返しているうちに飯に油が回り、バラバラになってきます。卵もなじんでいます。
    あおり方は、個人差があるでしょうね。僕は最初はタテ向けにひっくり返すようにあおり、徐々に手首で鍋を回転させるようにします。そうするとご飯が上下運動してくれます(わかりにくいな)。
    よく「一度に二人前以上作るな」というのがコツとして言われますが、僕は最大で3合ぶん作ったことがあります。さすがに水分は飛びにくかったのですが、なんとかなりましたね。これは、鍋の大きさや厚さ、火力にもよるのじゃないかと思いますので、一概には言えないかな。小さなフライパンなら少量しか作れないのは当たり前。
    そして味付け。基本は塩。好みで胡椒。粉末鶏がらスープの素などを入れれば急に店の味に。なければ化学調味料。この化学調味料をウソって言うほどたくさん入れますとまた店の味になります。でもしない(笑)。酒を少し入れるとベチャっとならず逆に水分が飛びます。なんでかな。
    で、炒められたならば、具があるなら入れます。焼き豚とかがあれば嬉しい。僕は焼鮭やちくわなんかもよく入れます(これら魚介の具のときはオイスターソース少量入れると美味い)。少なくとも、既に火が通っているもの。ここで生の豚肉みじんぎりなど入れたら大変です。もう仕上げ段階なのに。ま、具はなければないで。
    最後に、再びネギ投入。2、3回あおったらもう大丈夫でしょう。僕は最後に鍋肌から醤油を入れますが、これは具に味が濃いものを入れた場合は加減します。器に入れて、出来上がり。時間は卵を溶いてネギ刻む時間を入れても、飯さえあれば5分くらいで出来てしまいます。
    まあ、これ焦がしネギ風味でうまいっすよ♪

    で、新鍋でもこんなふうに炒飯を作ってみました。鍋が若干小ぶりなせいもあって飯粒がこぼれそうになりましたが、なんとかうまくまとめました。こんなのは、慣れればいいだけです。
    鉄鍋は、一生モノだとと言います。以前の鍋ももっと丁寧に使っていれば一生もったのかもしれませんが、ずさんに扱っていたため残念ながら朽ちました。それでも30年以上もちましたので、今度の鍋がもう、僕にとっては最後の鍋でしょうね。
    その炒飯は、二人でおいしく朝食としていただきました。(え、朝メシに炒飯かいっ!)

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    | 2012/06/16 | 飲食 | 08:05 | comments(4) | trackbacks(0) |

    中華鍋、逝く

  • 2012.05.30 Wednesday
  • 僕の大事な中華鍋がついに壊れました。。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。ウワァァン

    えっと、中華鍋にもいろいろありますが、これは北京鍋です。柄がついてるやつ。たいていプロは上海鍋(両端に把手がついてるやつ)を使用しますが、僕は素人なので扱いやすい柄付きのやつです。その柄が、折れました。
    いや、前からもうダメだ、風前の灯だとは思っていたんですが、ついにポキッとな、と。
    長く使ってきたからなあ。(T_T)

    これ、僕の婿入り道具なんです。つーか、最初これを持ったのは高校一年でしたから、もう30年以上になります。
    最初は…何だったかは今となってはよくわからないのですが、親父がどこかから入手してきたものです。聞いても、買ったのか貰ったのかは憶えていないようで。とにかく我が家に中華鍋がやってきたわけです。
    ところが、おかんはこれが使えない。曰く「重すぎる」。
    やたら本格的なやつでしたので、とにかく重量があるんです。レンジの上に乗せるのにもよっこらしょ。さらに底が丸いので安定しません。そのうえ、おかんは中華料理なんてほぼ作りません。出汁をひくのには自信があっても、そういう料理はしない。炒め物にはフライパンがあれば十分。というわけで、オクラ入りとなっていました。
    それを見て、僕はもう惜しくてしょうがないわけでして。で、ワシに使わせろ、と。中華式のおたまをガンガンいわせながらシーチャカ炒め物をするのに憧れがありましてね。以後、僕の所有物となったのです。所有物ったって、台所に置いてあるわけで隠し持ったわけでもありませんがね(当然だ)。

    で、徐々に実家でも、中華料理を作るのは僕、なんてことになったりして。おかんも「助かるわぁ」なんておだてて、僕も調子に乗って鍋を振っていたわけです。アホな青春時代。
    その後高校、大学と過ぎ、僕は家を出ることになりました。独立にあたって、両親は親心からなべやかん一式揃えてくれたんですが、そういうものはほぼ使いませんでしたね。和洋中エスニック、ほぼ全てこの中華鍋で作ってきました。ええ、ラーメンだってカレーだって中華鍋で作ってきましたよ。フル稼働です。なんせこれで作るとスピード調理。早いんですよ。
    結婚してから台所はカミさんの支配下に入りましたが、それでも「ワシにやらせろ」なんてこともしばしありましてね。独身時代は必要にかられてやっていたと思っていたのですが、実は結構料理好きだったということにそのとき気がつきました。
    カミさんもおだててダンナを操縦します。「あんたの中華風肉じゃが食べたい」とかなんとか言ってね。よーし待っとれ、と僕はニンニクショウガを刻み、鍋をカンカンに熱くして油を入れ、ひき肉とともにジャーッと炒め、豆板醤を入れて油が透明度を増したらネギとジャガイモ、茹でたしらたきを投入してガンガンあおり、鶏がらスープとオイスターソースを加え蓋をしてしばし。水気がなくなりイモがやわらかくなってきたら再びあおって、味を調えごま油をまわしかけて完成。ふふふこのピリ辛肉じゃがは美味いよ♪ そうして結構この中華鍋は所帯を持ってからも活躍していたのです。
    数年前から、柄にヒビが入ってきているなということは気が付いていたのですが、修理のしようがない。また、鍋底も徐々に薄くなってきたような。酷使しましたからね。底が抜けるか柄が折れるかどっちが先か、と思っていたらついに折れました。

    ときを同じくして、邱永漢氏が亡くなりました。享年88歳。
    邱永漢氏といえば「金儲けの神様」と呼ばれた直木賞作家ですが、僕はこの方の小説も株式投資の本も読んだことがありません。持っているのは、料理随筆だけです。
    高校に入った頃だったと思いますが、僕は丸谷才一氏の「食通知つたかぶり」という文庫本を読んでいまして。これはいわゆる食べ歩きの本なのですが、さすがに日本語の達人である丸谷氏が書くと、そのうまそうな描写はまさに舌なめずりものです。で、その中の一節。
    別館牡丹園の料理があまり気にいつたので、その夜わたしは宿に帰つてから、また広東料理のことを考へた。今度は文明論的といふよりむしろ文学的なことで、といふのは、いつか邱永漢氏の「食は広州に在り」で読んだ、宋の大詩人、蘇東坡のことを思ひ浮べたのである。(この邱氏の本は名著である。戦後の日本の食べもののことを書いた本を三冊選ぶとすれば、これと壇一雄氏の「壇流クッキング」と吉田健一氏の新著「私の食物誌」といふことにならう。)
    「壇流クッキング」はもう既に読んでいたのですが、あとのは知らない。で、早速読んでみたのです。
    この「食は広州に在り」という本は、実に奥深い内容でしてね。はっきり言って高校生には難しいかも(笑)。しかし、この随筆の中に登場する料理たるや、垂涎ものであったわけです。食べてみてーな。しかしそんなことおかんに言っても一蹴されてしまいます(そらそやろ)。なので、自分で作るしかないのです。
    けれどもね、そんなシロートに作れる料理など載っていないわけです。当代一流の美食家ですから。しかし、ここに出てくる「豆油肉(タウユウバア)」ならなんとか作れそうだ。
    子供のころから私の家では毎日の新鮮な料理のほかに、豆油肉(広東人は豉油猪肉と呼んでいる)を一年中つくっておいて、その合間合間に食べていた。これは家族の多い少ないによって違うが、私は豚の後腿の繊維の長い所を百五十匁くらい買ってくる。(中略)この肉を三切れか四切れの塊に切って、丸のまま鍋に入れる。別に葱の白い所を三、四本、四、五寸の長さにきった物をぶちこむ。これに醤油と水を半々の割合で加え、とろ火で何時間でも気長に煮るのである。葱と肉の味が互いに補い合い、便利なことは食べ残したものを何度も煮なおしているうちにしだいに味が濃くうまくなっていくことである。
    どうです、うまそうでしょう。これなら出来そうだ。実は壇流クッキングにも、邱永漢氏が壇一雄氏の仕事部屋に陣中見舞いに来てこれを作る様子が描写されていて、
     邱君は、そのネギの根っ子だけを取りのぞき、ザブザブと水洗いをして、長いまま全部、鍋の中に入れた。切りも何もしない。その上に少しばかり水を入れ、今度は豚バラの塊を、丸のまま、ほうり込んだ。そこへ大量の醤油を入れて、ガスに点火した。もしかしたら、カンざましの酒を少し加えたかもわからない。それで終わりであった。(中略)やがて、ゆで卵の皮をむいて三つ四つほうり込み、シイタケをほうり込み、
    「味がしみたら、それで出来上がりですよ」
     やがて、邱君のやる通り、そのとろけたネギをメシにかけて食べてみたら、なるほどうまい。肉の方は簡便東坡肉(トンポーロ)といったところである。
    ね、誰でもできそうに思えるでしょう。で、やってみたのです。これが、小学校の家庭科を除いて、僕が初めて作った料理でした。
    結果は…大失敗です。今にして思えばそれも納得ですが、そんなに大量の醤油で豚肉を煮たら、塩からくて食べられたものではないのです。分量には、誇張があったのでしょう。美味しく食べようと思えば醤油を加減し、甘みも多少は入れないと。
    家族も誰も、この醤油漬けの豚肉を食べてくれようとはしません。僕は泣きそうになりました。
    その豚肉をどうするか。その苦肉の策が、これを具財にして炒飯を作ることでした。この醤油肉を細かく切って冷凍し、くる日もくる日も僕は炒飯を作りました。そして、そこから僕の中華鍋人生が始まったのです。 
    この炒飯は、熟練の域に達したと自分でも思っています。実家に帰るときもおかんが電話で「おまえの炒飯が食べたい」などと言うので、僕は車に中華鍋を積み、文字通り手鍋を提げて帰省したことも。

    僕の料理好きのひとつのきっかけとなった邱永漢氏の訃報を聞き、さほど間をおかずしてこの愛用の鍋がポキリといったことは、何かしら符合と申しますか、運命も感じましたね。
    使い込んで油がなじみ、別にテフロン加工じゃないのに食材が鍋にくっつかないほどに鍛え上げてきた鍋とも、ついにお別れです。いろんなことを思い出していると、妙に感傷的になってきたりして。ただの道具といえばそれまでなのですが、やはりさびしい。新しい鍋をまた物色しようとは思いますが、また手になじんでくれるでしょうか。思い出もつくってくれるでしょうか。
    邱永漢氏のご冥福をお祈り申し上げます。お世話になりました。ついでに、ワシの鍋の冥福も祈りたい。並べて書くと不謹慎だと怒られそうですが、まあ許してください。

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    | 2012/05/30 | 飲食 | 05:51 | comments(4) | trackbacks(0) |

    恵方巻に間にあえば

  • 2012.02.04 Saturday
  • 「砂を噛む」というのは、例えです。慣用句。ことわざというほどではないと思いますが、つまり味のないものを口に入れる、ということで、つまらない、面白くないことをあらわします。受験生ブルースに「すなをかむよなあじけない〜♪」ってフレーズがありますわね。
    味を感じない、ということは、まさに砂を噛むようなものです。つまんないの。というわけで、味覚障害の話の続きです。風邪ひいて舌がおかしくなっちゃったわけですよ(汗)。
    味がしない、と申しましたが正確には、味覚と嗅覚が失われました。「味」というのは舌だけではありませんね。味は香り、そして舌触りがプラスされて完璧になる。「匂い松茸味しめじ」と申しますが、松茸だって味が全くなければそれはうまくありませんし、しめじも実は香りが利いているのです。全ての食べ物は、それらが相乗されて味を構成しているのです。

    よく「見た目」というものが味には重要だ、美しく盛り付けられてこそおいしさを感じる、という意見があります。日本料理では特に強調される部分ではありますが、「視覚」は「味覚・嗅覚・触覚」に比べ、あくまで二次的であると考えられます。確かにいろどりがきれいであるにこしたことはありませんが、その見た目は味とは基本的に関わらないものである、ということが今回よくわかりました。
    思えば、真剣に味に立ち向かう人は、その瞬間には目を閉じます。世界的に評価の高い祇園の料理店「千花」では、ご主人が最後に味を決めるときには、必ず目を瞑り神経を研ぎ澄ませて味をみるそうです(こんな三ツ星の店行ったことありませんよ^^; 森須滋郎氏等の本からの受け売り)。利き酒だって、目を閉じますよね。「世界の料理ショー」のグラハム・カー氏は、そのうまそうな料理を味わう時、まず一口目は目を閉じています。その感じが、実に「味わってるな〜」と思わせてくれます。
    結局、視覚が味に関わる部分というのは、記憶によるのです。今までうまいものを食べてきた記憶が脳に蓄積されていて、その食べ物を実際に目前にしたとき、過去の記憶がよみがえり「ああ…うまそう…」と思うのです。初めて食べるものでも「これおいしそう」と思うのは、その蓄積された記憶が脳内でデータベース化され、それらを組み合わせて判断しているのでしょう。この食べ物がこういう色でこういう形状になって登場すれば、うまいに違いない。そう見極めます。そして、脳内で味の記憶を構築しそれをさらに反芻し、その食べ物に対して期待が高まるわけです。唾液も出る準備をはじめます(あるいは出てしまったりします…( ̄¬ ̄*)ジュルリ…)。この状態を「目で食う」と呼ぶのかと。また「音で味わう」も然り。中華風おこげに餡がかかるジューッという音を聞いて、聴覚的に期待が高まるということだと思われます。こういう音がすれば、うまいに決まってる、と。
    その視覚・聴覚は「味がしない」という状況下においては、邪魔でしかありません。うまそうなものを見ると僕も当然「ああうまそう〜」と思うではないですか。しかし実際にそれを口に入れても、まったくうまくない。「砂を噛む」が如しであるわけですから。つまり「目で味わった」ぶん、その落胆感が増すわけでして。悔しい。「見た目」なんてクソクラエです。この言葉についてよく「カレー味のうんこかうんこ味のカレーか」という究極の選択がありますが、味覚嗅覚を失うとこんなのは簡単に答えが出てしまうのです。(伏字は反転しないように)

    本格的に風邪引いたとわかったのが先月の23日。で、その風邪は鼻がグズグズいうのをのぞいてはもう先週中にほぼ治っています。体調もとくに悪くはない。しかし、なかなか舌に味覚が戻らず、嗅覚もほぼありません。このまま一生戻らなかったらどうしよう。そんな不安感がよぎります。
    カミさんが何か買ってきてくれました。

    「これ飲みなさいよ。ファンケルのサプリ」
    「なになに、"からだにしっかり届く亜鉛"とな」

    亜鉛のサプリメントなんてのもあるんですね。「亜鉛は、味覚を正常に保つのに必要な栄養素であるとともに、皮膚や粘膜の健康維持を助ける栄養素で、たんぱく質・核酸の代謝に関与して、健康の維持に役立つ栄養素です」と書かれています。なるほどねー。

    「1回に2錠づつ飲むのよ。飲みすぎてもダメなんだからね」
    「はーい」

    あきらめずに、回復を待つしかありませんね。
    火曜日にある人と食事の約束をしていたのですが「風邪引いてしまった」ということにして延期してもらいました。本当は風邪を引いたからではなくその後遺症が残っているだけではあるのですが「元気なのだが味がわからない」てなことを説明するのも難しいことですし、身体が動くなら来い、と言われそうでしたので、嘘をつきました(厳密にはウソじゃないよね^^;)。申し訳ない。僕だって悔しいのです。捲土重来を期して、今回は見送り。臥薪嘗胆の心境です。
    臥薪嘗胆てのは、焚き木を枕に寝て苦いキモをなめることですけど、このキモって熊の胆のことなのかな。熊の胆というのは今や高級品のはずで僕は服用したことはありませんけど、相当に苦いもののようですね。しかしこの舌の状態であれば、なめることに何の苦もないなー。これでは、耐え忍び「今にみていろ」と思うことはできませんね。

    しばらくは、口中は触感だけでした。
    しかし「触感」というものは、五感のひとつというにはあまりにもバリエーションがあります。そのことが、味覚嗅覚を失うとよくわかりました。まず、熱い冷たい。微妙な温度差。そして歯ざわり舌ざわり。サクッ。パリッ。ねっとり。シコシコ。ちゅるん。さらに、痛点も。辛い感覚は消えませんでした。ピリピリ。ヒーハー。それらは全て触覚に分類されます。僕の口中感覚は触覚に特化されていましたので、意外にも複雑であったこの感覚を十二分に味わいました。それしか食べる楽しみがないので。
    そうして味気ない生活を続けていましたが、少しづつは回復のきざしが見えてきたようです。まずは、鼻が通りました。
    ずっと鼻をかみすぎていて耳がおかしくなりそうだったので、界隈で話題になっていた奇跡の手間も金もかけずに鼻づまりを直す方法もやってみましたよ。さすれば、確かに鼻は通るんですね。すぐに元に戻るのですが(汗)。しかしながら、これも繰り返しているうちになんとなく通るように。これのおかげで治ったのかはよくわからないのですが。
    しかし、鼻は通ってもすぐに嗅覚は回復しないんですね。しばらくはダメでした。
    面白いことに、全てが均一に戻ってくるわけじゃなかったのです。レモン汁の酸っぱい匂いが最初にわかるようになった、と前回書きましたが、酸味関係の匂いは戻りが早かったですね。インスタントコーヒーの話ですが、うちにあったネスカフェのエクセラ(安いほう)は、直接ビンに鼻を近づけて匂いを嗅いでも何も匂いません。ところがそんな状態でもゴールドブレンド(高いほう)は、コーヒーの香りこそしないものの、酸味を感じさせる匂いはするのです。キリマンジャロやモカで感じるような。興味深いなと思いましたね。ゴールドブレンドのほうが複雑な香りを内包していたのでしょうか。
    そうして、段階を踏んで香りを少しづつ取り戻していきました。毎日ひとつづつ要素が増えていく感じ。炊き立てのごはんの香りがわかったときは、うれしかったですねえ。
    味も、徐々に回復。亜鉛が効いたのでしょうか。
    これも、興味深いことに段階をふみました。酸味が最初に回復したのは香りと同じ。毎朝レモン汁と塩と砂糖を舐めていたのですが、レモン汁から味がわかるように。逆に、甘味がなかなか元に戻りませんでした。どういうシステムなのでしょうね。これは個人差があるかもしれませんのでよくわかりませんが、僕はそういう順番でした。
    それだけではなく、味には「旨味」なんて複雑な感覚もありますのでね。ためしに化学調味料を舌にのせたりしました。昆布茶の粉を舐めてみたり。これも、日に日に回復してくるのでうれしかったですね。

    もう大丈夫だろう。そんな感じで、週末を迎えました。いよいよ、節分です。すなわち恵方巻。なんとか…間に合ってくれたようです。
    僕はその日、加古川市に用事がありましてそちら方面へ向かったのですが、その際こっそりと高砂市に寄りました。完全に私用ですが許してね。目当ては、焼き穴子です。
    瀬戸内産の穴子は播州名物でありまして、神戸や明石でも上質のものが入手できるとは思うのですが、高砂の穴子って何だか「別格」であるように思うのですね。事実、ファンも多いと聞きます。関東では煮穴子が普通でしょうが、焼き穴子のうまさというものはこれまた違うのですよ。香ばしさが絶品。
    店は夕方まではやっていませんので早めに訪れ、小ぶりのやつが二尾で一串になってるのを買い求めます。少し値ははりますが、これは本当にうまい。贈答用にもなるのですが、今日は自家消費なので簡単に包んでもらって、その後野暮用をいくつかこなして、夜にうちへ戻りました。
    家では、準備が整っています。酢を控えめに調味したごはん。海苔。そして具として干瓢、錦糸玉子、きゅうり、椎茸、茹でた海老。

    「おーい、穴子いれて六品やで。七品ないと七福神にならんがな」
    「あっ本当だどうしよう」
    「まあええか。わさび入れたれ。それで七つや(笑)」

    例年の如く、自家製です。巻き簾に海苔を置き飯を広げて、具を並べます。今回は焼き穴子が主役なので、他の具は薄味に。具の置き方ですがひとつだけ工夫を。
    穴子は海苔の幅を多少はみ出るほどの長さなのですが、その穴子を縦半分に切り、互い違いに置くようにします。一尾なので、尻尾から食べ始めるかアタマからにするか迷う可能性がありますので(笑)、こうして均一にしました。
    しっかりと巻いて(ちょっと、といいつつ結構穴子がはみ出してます♪)、海苔がパリっとしている間に食べましょう。今年の恵方は、北北西。ではいただきます。

    わしわしわし。

    う、うまひ〜。間に合ってよかった (T-T) ウルウル

    というのは心の声ですが(節分の太巻は黙って食べなければ福が逃げる)、ちょっと感動的なうまさでした。
    その砂を噛むような味気ない日々を過ごした果てのこの恵方巻、というのはあるかもしれませんよ。ですがしかし、そういうことを超えてこの穴子はうまい。焼かれてから既にずいぶんと時間は経ってしまっているはずですが、香ばしさは褪せることなく、力強い旨味を保っています。もう「高砂の焼き穴子最強説」を唱えてもいいのではないでしょうか。太巻に入れるのは少し贅沢な気もしましたが、自らへの快気祝いも兼ねて、ということで許していただこうかと。
    噛み締めるたびにあふれるよろこび。うまいのぉ(涙)。一時はダメかも、と思ったもんなあ。味わえるという幸せにじんわりとひたりつつ、無言で一本食べ終わりました。はひーうまかった。おかわりが欲しいよ(笑)。
    というわけで、味覚障害から復活の一幕でした。
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    | 2012/02/04 | 飲食 | 19:11 | comments(2) | trackbacks(0) |

    トーストの焼き加減

  • 2012.01.21 Saturday
  • 時々ですけど、様々な都合があって家を早く出ることがあります。今の季節ですと夜明け前になってしまうんですけどね(汗)。とはいえ、ここしばらく僕は朝型人間になってますのでそういうのはあまり苦になりません。
    けれども、そういうとき朝食に困ります。カミさんに作ってくれと言えば、よしきたと作ってくれると思いますけど、あまり暗いうちから食事もしたくなく、そんなにおなかも空いていないので、たいていリンゴジュース一杯だけ飲んで出かけます。
    そうした場合、頃合いの時間に、喫茶店に入りモーニングサービスを頼んだりします。そんなこんなで、その場所に朝行けば必ず入る喫茶店、というのも増えてきました。ちなみに"カフェ"にはここで書いたようなことからほとんど僕は成長してませんので、あまり入りません(汗)。

    そんな感じで、ある朝、僕は喫茶店に入りました。こちらには、初めて入ります。
    さて、オーダーです。

    「モーニングお願いします。ホットコーヒーで」
    「トーストは普通のとレーズンパンとありますけど、どうなさいますか?」

    お、レーズンパン♪ これはポイント高いですね。僕はこの歳になってもレーズンパンが結構好きです。中でもパンネルのレーズン食パンが好きで、時々カミさんに頼んで買ってきてもらうのですが「高い」「遠い(パンネルは隣町の宝塚市にあります)」「寒い(宝塚なのでカミさんはバイクで行くのですが、冬は風が冷たいのでバイクに乗りたくないらしい)」ということであまり積極的に食卓には並びません(涙)。

    「レーズンパンにしてください。あ、バターは塗らなくていいですから」
    「わかりました」

    えっと、まだ一応はカロリーを気にしています。バターやマーガリンは出来れば避けたいんです。通常のトーストであれば、何も塗られていない「素トースト」は実に淋しいものですが、レーズンパンであればそのまま軽く焼いただけで美味い。
    しばらくして、コーヒーとともにトーストが運ばれてきました。

    「む…これは…」

    添えられてきたレーズンパンのトーストは、かなりの薄切りです。8枚切なのかもしれませんが、見た目はもっと薄く感じます。それは、かなり強めのトースト加減がそう感じさせるのかもしれません。パンから水分が相当量放出されていて、表面は「キツネ色」を超えところどころ焦げすら確認できるほどに焼かれています。カリカリですね。それを縦ふたつに切って、半割が2枚。
    これは、いわゆる「モーニングセット」ではありません。モーニングサービスです。つまり、朝は飲み物の料金だけでトーストをサービスしてくれているのです。だから、文句を言おうなどとは思いませんよ。なのでそのまま、痩せ細ったトーストを食べました。
    …硬いですね。ラスクに近いかな。この焼き加減であれば、バターかマーガリンか何かを塗ってもらえばよかったなぁ。少しはしっとり感が出たかも。
    僕は、上口蓋があまり強くないのですよ。特に体調の悪いときは、粗いパン粉を使った揚げたてのトンカツなどを食べれば、尖ったコロモで口中がてきめんにヤラれます。なので、この強く焼いたトーストも難物でしたねぇ。
    さらに、このことについては賛同を得られないかもしれませんけど、僕はモノによってはしっとりとしたものを好みます。テンプラはもちろんサクっとしたコロモが身上で僕もそれは好きですが、これが立ち食いソバなどに入ってる掻揚げなどの場合は、じんわりとつゆが染み込んでいくのを待っていたりします。ほどけていく感じも悪くありません。さらに、コーンフレークスもミルクがある程度浸透したほうが好きだったりして。この好みは、上口蓋のひ弱さと関係あるのかもしれませんけど。

    さて、無料のものにケチをつけるという自分の捻じ曲がった性格は百も承知で、レーズンパンはあの焼き加減は合わないのではなかったでしょうか。表面にあったレーズンが焦げて苦かったもんなぁ。
    僕には、喫茶店のモーニングサービスのトーストにひとつのイメージがあります。4枚切くらいの厚さで、表面はほどよく焼かれて溶けたバターが染み、中はふんわり。いつまでも温かくてやわらかい。おいしいなあ。あれ、なかなか家庭では出来ないもんなのです。しかし喫茶店においてはしばしば、絶妙に焼かれたトーストが供されます。パンはサービスという関係上それほど上質なものは使えないはずですから、トースターがいいのか、マーガリンの塗り方などに何か技があるのか。よくわかりませんが、その中でも「厚切り」というのはひとつのポイントであるような気はしているのです。
    しかし、トーストという調理法は、全てが厚切りふんわり方式ではありません。
    僕には、ひとつの印象的な言葉がアタマに残っているんです。曰く、

    「トーストは"カリッ"に決まってるじゃないか!!」

    このフレーズの出典がわかりませんごめんなさい。文春文庫のB級グルメシリーズじゃなかったかなぁと探してみたのですが見当たらず。あるいは、雑誌か何かで読んだのかもしれません。
    「カリッ」であろうと「フワッ」であろうと好みの問題ではあるのですが、どちらが好きにせよ本来の「トーストの焼き加減」というものはどういうものか、ということを考えますと、トーストというものの本場がイギリスである、ということから、この台詞には説得力が生まれるのです。
    食パン(bread)って、英国のものじゃないですか。例えばフランスのパンと言えばあの外側の固いバゲットや、あるいはやわらかいものはクロワッサンとか。ドイツのパンといえば質実剛健なライ麦パン。イタリアのパンならフォカッチャなどが思い浮かびます。食パンは、イギリス。したがって、あの形の食パンから派生するサンドイッチも英国です。元祖と言われるサンドウィッチ伯爵は英国紳士。
    必然的に、トーストの本場もイギリスだと考えることが出来ます。そのイギリスのトーストとは、薄切りで「カリッ」が主流なのですよ。
    英国の一般的なパンは、いわゆる日本の”食パン”である。朝食のときは、四角い食パンを、一センチ以下の厚さにスライスして(決してそれ以上厚く切ってはいけない)、こんがりとキツネ色になるまで焼き(ナマ焼けは英国風ではない)、その一枚のトーストを二つの三角形に切り離して、そのいくつかを金属製のトースト立てに立てて食卓に出す。 
    玉村豊男「ロンドン 旅の雑学ノート」より
    トースト立てというのは、こういう感じのモノですね。トーストラック。カリッと焼かれていないと立てられません。
    したがって「トーストは"カリッ"に決まってる」という言葉には、好みはともかくある種の「正しさ」は内包されているのですね。そして、本場は薄切り。1cm以下ですからね。さすれば、前述のレーズンパンのトーストは正統派英国式であったのか? 半割が2枚で供されたところも、本場を彷彿とさせます。それならいっそ、トーストラックに立てて出してくれ(笑)。

    それはともかく、なんとなくまだ釈然としないところもあるのですよ。再び好みの問題だとことわっておきますが、どうしてイギリスでは「薄切りカリっ」が当然なのか。「ふんわり・もちもち」なんてフレーズは、そりゃごはん文化圏である日本特有のものかもしれませんよ。欧州ではそういうものは求められてはいないのか。
    長いフランスパンで相手を撲殺し、そのあとでそれを食べてしまって証拠隠滅、なんてミステリーを子供の頃読んだような覚えが。もちもち感なんてヨーロッパでは「異質」なんでしょうか。ピザも「クリスピーさ」を尊び、パスタはアルデンテ、米にすら芯が残るのがいい(パエリア)なんて文化において、やわらかな焼き加減というものは基本的に好まれないものなのでしょうか。
    いや…そんなこともあるまい。ふんわりが好まれないなら、生地を発酵させる文化など生まれないはずです。
    ならば、どうして英国式トーストはカリカリで薄いのか。その解答を、リンボウ先生の本から見つけました。
    (前略)最初は、私も厚切りでふわふわした日本の食パンに慣れていたので、どうもこのイギリス式の薄っぺらいパンは馴染めない気がしたものだった。しかし、このイギリス式の食べ方を見習うこと数週間にして、私は、ある日、忽然として悟るところがあった。
     なるほど、イギリス人はふつう、パンだけ独立して口に入れるということは、あまりないじゃないか!
     たとえば、朝食ならば、たいていバターを塗ったトーストの上に、マーマレードをのせる(薄く付けるのじゃないのだ。一かたまりずつのっけて食べるのである)。ひとによっては、卵焼きをヨイショッとのっけてしまうこともある。
    林望「イギリスはおいしい」より
    なるほどねー。
    リンボウ先生はさらに、英国におけるパンを「何かをのせるための台」と評した方が適切だろうと書かれます。ジャムをのっけたり卵料理をのっけたりチーズをのっけたり。さすれば、トーストは「カリッ」と焼けていないとその役目を果たしえないことになります。
    さらにトーストを半分に切って食卓に供するのは、何かをのせてそのまま口に運びやすいからだ、と説かれます。ふうむ。
    よく考えてみれば、イギリスには何も食パンしかないわけではない。イングリッシュ・マフィンは柔かくて美味いっすよね。そして英国式アフタヌーンティーには欠かせないスコーン。これもふんわりとしたタイプです。マフィンもハム・ソーセージやタマゴを乗せたりしますし、スコーンはジャムやクロテッドクリームをたっぷり付けるわけで、「台にする」というイギリス式に適っていますが、いずれも形状的に、強く焼き固めなくてもモノが乗るわけです。食パンは、薄切りにしなければ乗せたモノと共に口に入れられませんし、薄く切ればヘナっとなるのでカリカリに焼いて硬くしなくてはいけない。必然性があるのです。なるほど。

    だから、「トーストは"カリッ"に決まってるじゃないか」は、ある意味においては正しい。それは、英国式食卓においてこそ。されば、喫茶店のモーニングサービスにおいてのトーストはどうあるべきなのか。
    これは、そのモーニングが、イングリッシュブレックファストに近いものであるならば「カリッ」がいいのかもしれません。卵料理があり(スクランブルエッグなど)、焼かれたベーコンやハム、ソーセージなどが添えられ、ジャムなどもたっぷりと付けられて。しかしこれは、ある程度の値段が付けられた朝食セットとしてはよくあるかもしれませんが、モーニングサービスとしては無理がありますね。
    喫茶店のモーニングサービスは、ある意味究極のコンチネンタル・ブレックファストかも。パンだけを、単独で食べる。そうなれば、英国式トーストはそぐわないのではないか、との意見を僕は有してしまいます。カタいもん。アタシは上口蓋が弱いんだ。歌舞伎揚を食べると傷がつく脆弱さなんですよ。
    ただし、モーニングサービスはあくまで「サービス」です。だから、その喫茶店の意志を貫いても僕は何も申しません。英国式にこだわってレーズン食パンですら薄切りでカリっと焼いてもかまわない。ただし、僕はもう行きませんけど(笑)。
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    | 2012/01/21 | 飲食 | 08:34 | comments(10) | trackbacks(0) |

    それでも恵方巻を

  • 2011.02.05 Saturday
  • 何と申しますが、また極私的な体調管理の話なんですけど。
    昨年の11月後半から食事制限をして、なんとか痩せようと試みています。2ヶ月と少し経ちました。基本は摂取カロリーを減らすという、いわゆる「ダイエット」なのですが、これがなかなか大変で。
    ダイエットというものは、時間が無くても出来るものなんです。どんなに忙しくても可能。僕は「減量」より「痩身」を目指してますので、本来は走ったりジムに行ったりして鍛えなければいけないわけなのですが、そういうことが出来なくても減量だけは出来る。メシの質を改善し量を減らせばいいだけですから。
    しかし、これがなかなか出来ない。どうしてなんでしょう。
    ダイエットの敵は「人付き合い」であることをあらためて思い知らされています。

    以来、カロリーはかなり抑えています。摂取カロリーを消費カロリーが上回らないと当然痩せませんので、食事の質、量ともに吟味して、低カロリーのものを少量摂ることを続けています。
    もはや「腹が減っている状態」にも慣れました。最初の頃はキビしかったものですが、それが当たり前になってくる。また、腹が減っていることに喜びを感じるという、マゾ的要素まで出てきています。ワシがこうしてハラ空かせて悶絶している間に、多分何グラムか体重が落ちている、そう妄想することにちょっと愉悦を感じたりして(笑)。
    これが過ぎると拒食症になったりするのですが、まだまだその境地には至っていません。まあ、健康なのでしょう。
    しかしながら、こういうやり方ですと腹回りだけ痩せる、というわけにはいかない。全体的に萎んできます。腕も足も細くなってしまいます。運動をしなくては、と思うのですが時間の調整と、さらに腰痛を抱えていますのでなかなか思うようにいかない。走ると腰に響きますし、腹筋運動とか出来ないのですよ。
    僕はせめてながら、時間があれば、ながら族でもスクワットを繰り返し(上体をまっすぐ伸ばしたままでしか出来ないのでプロレス式ではありませんが)、或いは寝る前、また早く起きた時の数十分で、ベンチプレスなどの寝たままで出来る上体鍛錬をしています。腰に重さがかからない運動。そういったことで、何とか腕や胸、脚の筋肉を維持しようとしています。

    あとは食事制限に頼るしかないのですが、困ったことは食事の時間です。夕食をなかなか9時前に摂れないのですね。どうしても遅くなってしまって。BMAL1というタンパク質の研究が最近進んでいますが、どうしても食事の時間によって身体が脂肪を貯めこもうとします。普通に考えても、食ってすぐ寝ると太りますよね。ここが難しい。自分の意思では何とも出来ないので、それがひとつの障壁にはなっています。
    しかし、困ったことは別にあって。なんで人は、僕に呑ませたり食べさせたりしようとするのでしょうか(汗)。

    ダイエットは、公言しています。こっそりやるのではなくて人目のプレッシャーも与えたほうがいい、という判断です。なので、いろんな人と食事をしますが、それが接待等でない限りは、やはり食事制限は継続させたい。若い人などは気を遣って「自分だけ串カツ食って申し訳ないっす」とか言ってくれます。いいよいいよどんどん食べなさい。ビールも飲みなさい。僕はハイボールにしておくよ。すまんなぁ気を遣わせて。こっちも申し訳ない気持ちになります。気になるだろうけれども、こっちは既にマゾの境地に入っているから、周りでどれだけ食べられても平気なのだよ。もっと苛めてくれてもいいんだ。
    ところが、目上の人がいるとそうはいかないのですね。

    「今日くらいはいいじゃないか」

    その台詞を何回聞いたことでしょうか。みんなそう言うんですよ。
    疲れるなぁ。一昨日も○○さんが同じ台詞で僕に食べさせようとしましたよ。しょうがないので付き合いましたけどね。今日くらいは勘弁してもらえませんでしょうかね。
    無理やり飲ませられる下戸のひとの気持ちが多少はわかったような気がします。

    そんなこんなで紆余曲折はあるものの、今のところ11kgほど体重は減りました。僕はヒゲ剃ったりもしますから毎日鏡を見ますのでそんなに変化には気がつかないのですが、久しぶりに会う人には「痩せたな」と言われます。
    僕には一応「目標体重」がありまして、それは13kg減なんです。なので、せめてもう少し続けたい。しかし、ただいま停滞しています。
    これは、代謝が落ちたということもあるでしょうね。考えてみればわかりますが、100kgの人が10kg落とすのと、50kgの人が10kg落とすのとでは明らかに前者の方がたやすい。ですが、もうひとふんばりしてみたいと思いますよ。
    このダイエットについては、本当にカミさんに感謝しています。彼女の協力なくしてはこううまくはいかなかったはず。カロリーブックを読み、調理法を工夫し何とか醜いブヨブヨの旦那を改善させようという妻の情熱なくしては、この結果は得られなかったと思っています。
    ところが。その最高の味方であるはずのカミさんが…

    「この日くらいはいいじゃないの」

    と言いだしました(汗)。なんたることか。節分の日のことです。そうです。恵方巻です。
    節分の太巻一本まるかぶり。これについては、そもそも関西の風習であり最初は僕がカミさんに強要しました。縁起モノだから必ず食べにゃいかん。以来十数年、すっかり我が家に定着しています。我が家の恵方巻については毎年定点観測的に記事にしており、このブログに長くお付き合いしていただいている方はご存知だと思います(もうリンク貼るの面倒くさい)。
    けれども、今年は困るな。太巻一本食べるなんて。例えば酢飯って、実にカロリーが高いものなのですよ。えっと思うくらい砂糖を使いますしね。具材も甘い味付けが基本。太巻などのいわゆる「大阪寿司」ってーのは、言ってみればケーキみたいなもんです(それは言いすぎか^^;)。

    「今年はもう太巻はええやんか。どうしても毎年食べんでも」
    「何言ってるのよ。この行事だけは絶対に欠かしてはいけないってったのはあんたじゃない」

    その通りです(汗)。
    こういうのは迷信みたいなもんで、始まりは海苔屋の宣伝からとも言われるし、なんて申しましたらカミさんは怒りまして。あんた、結婚した頃私がそんなの迷信でしょ、って言うのを、これを節分に食べないとこの一年無病息災でいられないかもしれないってさんざん脅したの忘れたの?!
    はい。一言もございません(汗)。みんなアタシが悪うございます…。

    僕の負けです。というわけで、今年も恵方巻を食しました。
    ただし、カロリーオフの太巻です。まず、酢飯はやめ。ふつうのごはんです。この時点で太巻ではなく、長細いおにぎりと同じようなものですが、そこまで細かく言わなくてもいいかと。巻き込むものは、カンピョウ、しいたけ、高野豆腐を煮たものですが、出汁をきかせて調理に砂糖を使いません。さらにミツバ。そして今回のスペシャルとして、シラタキを細かく切って煮含めたものも大量に入れます。そして錦糸玉子(卵を焼いて細く刻んだだけのもの。余計なカロリー無し)。で、メインは海老です。でかいブラックタイガーを塩茹でにして、真ん中に二本巻き込みます。これでちょっと贅沢感が出ます。以上七種類の具(七福神という縁起を担いでいます)。では、例年の如く食べる直前に巻き、南南東を向いていただきます。

    これが…なんとも滋味溢れる味わいで。既に寿司ではないのですが、これはそれなりに美味いものです。とくに海老がプリっとして美味い♪ カミさんは、この中にコチュジャンを一緒に巻き込んでいます(笑)。パンチが足らないと判断したのでしょうか。
    ということで、無言で一本食べきりました。これで一年無病息災でないと今度はアタシが怒りますよ(笑)。
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    | 2011/02/05 | 飲食 | 07:56 | comments(6) | trackbacks(0) |


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