先日、「仰げば尊し」のルーツについての書籍を読みました。約一年前に出版され、書評等から読みたいとは思っていたのですが、昨年は諸般の事情でそういうことも出来ず、ようやく今になって、です。
仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡
櫻井 雅人・ヘルマン・ゴチェフスキ・安田 寛 共著
書籍の内容は研究者による学術書であり、例えば猪瀬直樹氏の「唱歌誕生」などのように読みやすくはありません。ですが、その調査、考証の過程は大変に興味深いもので、その執念と労苦には、論文であるのに感動を覚えました。
「仰げば尊し」は、作者不詳の曲でした。
明治初期に、文部省によって学校教育用に編纂された唱歌集である「小学唱歌集」に採録されていて、そこから卒業式で歌われるようになったものの、これだけ人口に膾炙した歌であるにもかかわらず、だれが作ったものかが定かでない、いつ頃作られたのか、果たして元は外国曲なのか日本人の作曲なのかすらもわからない謎の曲だったのです。
それを、一橋大桜井雅人名誉教授が執念をもって探索し、ついに19世紀後半にアメリカで生まれ、既に当地でも忘れ去られていた楽曲集「The Song Echo」の中の一曲「Song for the Close of School」が原曲であることを突き止められました。そして、さらにその「小学唱歌集」に載る91曲全てのルーツを確定し、明治の音楽教育とはいったいどういうものだったのか、を探ってゆきます。
書籍の紹介をするブログではないのでこれ以上は措きますが、これを読んでいて思ったことのひとつは、僕は「仰げば尊し」を卒業式で歌ったことがない、ということでした。
前回記事「
卒業式の記憶」で、僕には中高大の卒業式の記憶がすっぽり抜けている、という話を書きました。ということは、何を歌ったかなんてことももちろん記憶にないわけです。しかし、仰げば尊しは間違いなく歌っていない。
どうしてそんなことだけ憶えてるのか自分でもわからないのですが、「ああ仰げば尊しは歌わないんだ」と思った記憶だけは不思議にあるんです。
現在、仰げば尊しが卒業式において廃れていることは、なんとなく知っています。
でも僕らの時代は、まだド定番だったのではないでしょうか。
こういうことをデータとして調べることは実に難しい。なので推測でしかないのですが…例えば僕は初期の3年B組金八先生と世代が同じです。僕はプロレスファンで裏番組だった金八先生は視聴したことがないのですが、こういうことは今の世の中検索すればわかります。トシちゃんやマッチ、あるいはヒロくんらは、その卒業式において仰げば尊しを歌っているようです。
そもそも、僕が卒業式において、何を歌ったかの記憶もないのに、仰げば尊しは歌っていないことだけ記憶してしていることが、それだけ定番曲だったという表れだと思いますが。
僕の時代、つまり昭和50年代ではまだ定番曲だったと思われる仰げば尊しが、平成の世では完全に凋落しているということは、どうやら事実らしく。
これも正確な統計データはおそらくないとは思うので、伝聞と周囲の声と…というレベルではあるんですけれともね。Webでもデータがなかなか出てきません。
ひとつこういうのがヒットしまして(
pdf)、なんの資料かはさっぱりわからないんですけど(汗)、参考にはなりますね。
この資料によりますと、小学校において最も歌われているのは「旅立ちの日に」です。51校中28校。半分以上です。対し、仰げば尊しは0校です。他に目立つものは、嵐の「ふるさと」で13校。
中学校においては、33校中で「旅立ちの日に」が15校、「大地讃頌」が10校で他を圧しています。仰げば尊しは4校ですな。
仰げば尊しが廃れた理由は、いくつかあると思いますが、そのうちのひとつが「旅立ちの日に」の台頭ですね。
平成3年に埼玉でつくられたというこのうたには感動的な作成秘話も付随しているようで、じんわりと全国に広まっていったと。
実は、僕はこの事柄は知識として持っていたものの、実際に聴いたことがありませんでした。しょうがないんですよ子供のいない中年というのは機会がなくて(汗)。
で、検索して聴いてみました。(→
youtube)
いま 別れの時 飛び立とう 未来信じて
弾む若い力信じて このひろい このひろい大空に
なるほど、いい曲です。これが今の若い人の思い出のうたとなっているのか。
ちなみに、大地讃頌は知っていましたが、嵐の「ふるさと」って全く知りません(汗)。シングルでもないようです。検索してみますと、2010年の曲らしい。別に卒業をテーマにしたうたであるわけでもなく、嵐人気ってすごいのだなと実感。
他にも、流行歌が多く卒業式に取りあげられているようです。ゆずの「栄光の架橋」とか直太朗くんのうたとかいきものがかりのうたとか。「3月9日」をうたうのは、やっぱり卒業式が3月9日の学校なのかなあ。他の日だとおかしいもんねぇ。
こういう歌も、定番になっていくのでしょうかね。
僕には、小学校の卒業式の記憶はあると前記事に書きました。
うたったのは、「巣立ちの歌」です。
花の色 雲の影 懐かしい あの想い出
過ぎし日の 窓に残して 巣立ちゆく 今日の別れ
このうたも、もう廃れたのでしょうか。先ほどのpdf資料にはもう欄すらありません。知らない人もいると思いますのでリンク張っておきます。(
wikipedia)(
youtube)
もちろん主観ですが、メロは「旅立ちの日に」よりも易しいのではないかと思います。そのぶん単調かもしれませんが。
これは、「旅立ちの日に」に凌駕されたのかなあ。
僕は、記憶しているにもかかわらずそんなにこの「巣立ちの歌」に愛着はありません。
何故かと言えば、二部合唱で歌わされたからではないかなと思っています。クラス毎にパートが割り振られ、我がクラスは主旋律ではありませんでした。
先生方は、父兄に「6年間の音楽教育でこの子たちはこれだけのことが出来るようになったのだ。成長を見せたい」と思ったのかもしれません。しかし卒業式は合唱コンクールではありません。卒業式のうたは卒業生のためのものであるべきだと僕は思います。ハモを担当し、主旋律につられない様に何度も練習をさせられては、達成感はあったとしても、うたそのものは印象に残りません。
こういう場面では、斉唱が望ましいと僕は思っています。誰のための卒業式なのか。
中学校の卒業式は申しました通り全然記憶がありません。何を歌ったのか。
こういうの、例えばFacebookとかやってればわかるのかもしれませんね(笑)。
一曲じゃなかったのかなあ。校歌と、あとは蛍の光、そして「今日の日はさようなら」とかでも歌ったのかな。憶えてない(汗)。巣立ちの歌と仰げば尊しではなかったのは確かだと思いますが。
小学校のように、練習もしてないと思いますしね。
高校の卒業式は、当事者としての記憶はないものの、送り出す側の在校生だったときの記憶がありますので、なんとか復元できます。
高校では、卒業生は歌いませんでした。在校生(有志)が、ハレルヤ・コーラスを歌うのです。
有志といいますか、主体は合唱部なんですけれどもね。ただ合唱部には男子部員が少ないので、四部合唱にするとバランスが悪いため、歌いたいオトコが参加するんです。僕も物好きなので名乗りを上げ、練習して卒業式に臨みました。
これ、悪くなかったと思うんですね。だいたい卒業生は前回書いたとおり進路が決まってない生徒が多く、浮ついてましたし、周りがセッティングして歌って送り出す。ひとつのアイデアだと思いました。ベースは合唱部で、我々有志も発声から練習しましたし、感動してくれる父兄も多かったようで、悪い評判は聞いていません。
ですけど、どうしてうちの高校は卒業式にハレルヤだったのか。そこは、謎です。聞いてなかった(汗)。
他の例があるかと思って少しWebを彷徨いましたら、こういう話を読みました。(→
卒業ソング、公立校でハレルヤ斉唱は問題)
この話の本当のところはよく分かりませんし(対立意見も読んでませんし)何とも言えないのですが、もしも学校側の強制があったとすれば、思想信条の自由という側面から見れば確かに相応しくないかもしれません。それに、何でも強制はよろしくない。君が代斉唱を強要するのがよろしくないのと同様に(この元市議氏は保守系であるようですが)。
ぼんやりと思うんですけど。
学校側の強要とか、卒業生が本当は「旅立ちの日に」が歌いたいのに歌わせてもらえない背景とか、そういう「卒業生中心にものを考えない」ことは、大変な問題だと思います。卒業式の主役が誰かということは、もっと考えられたほうがいい。
しかしね。
個人的には、そういうことを言ってるとうたが歌えなくなるような気がしてしまうのもまた事実で。
例えばハレルヤコーラスは、ヘンデルが作った素晴らしい旋律であると僕は思います。好きですね。
「Hallelujah」がヘブライ語で、ユダヤ教キリスト教の唯一神を称える言葉であるのが問題なのでしょうが…あまり意識してこなかったですねそういうことは(汗)。僕が典型的な日本人であるとは言いませんが、あまり宗教心を持ってないもので…讃美歌だっていいなと思えば聴きますしクリスマスも神に思いを馳せることはない。ハレルヤなんて「晴れるや」に聞こえますから、先輩の輝かしい未来を後押しするくらいの気持ちで歌ってました。正直なところ(汗)。
むしろ逆に、キリスト教信者側が怒るのかもしれませんね。そんな適当な気持ちで歌うなと。「ただの歌詞じゃねぇかこんなもん」と言ってはいけないこともある。カラオケでアベマリアとか歌っちゃいかんのだ。
メロディに罪はない。「小学唱歌集」にも、讃美歌由来の曲が多くあります。
うたには、ことばがあります。そのことばが、時代の変遷や状況で改変されていくことは、よくあることです。
それは、百恵ちゃんのプレイバックpart2で「真っ赤なポルシェ」がNHKでは「真っ赤なクルマ」になった程度のことから、童謡「ちょうちょ」(「小学唱歌集」の中の一曲)の、
桜の花の 花から花へ
が元々は、
桜の花の 栄ゆる御代に
であったことまで。時代に相応しくないと判断されれば、うたの言葉は変わってゆきます。
それでも改変できない場合は、封印されていきます。
「蛍の光」は、明治の「小学唱歌集」初篇に載る歌です(仰げば尊しは第三篇)。
もちろん卒業の歌ですが、仰げば尊しがずっと卒業式に特化し続けたのと違い、広く「別れの歌」として親しまれてゆきます。船の出航のときから、今はデパートやスーパーの閉店時でも聴こえてきます。原曲はよく知られるようにスコットランド民謡。
現在、その三番、四番はほぼ封印されていると言っていいでしょう
歌詞は、こんなのです。
筑紫の極み 陸の奥 海山遠く 隔つとも
その真心は 隔て無く 一つに尽くせ 国の為
千島の奥も 沖繩も 八洲の内の 護りなり
至らん国に 勲しく 努めよ我が兄 恙無く
これを今の世で歌うのは確かにしんどい。やむなし、といったところでしょうか。これを卒業式に歌うとなれば、僕も反対署名をするでしょうね。
そして、「仰げば尊し」。
このうたが卒業式において廃れてきたことの理由も、底流には「改変」「封印」と同様の事情があることは誰にでも察せられることと思います。
仰げば尊し 我が師の恩 教の庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば
互に睦し日ごろの恩 別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば
朝夕馴れにし 学びの窓 蛍の灯火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば
まずは、文語調で難しすぎるということ。
「いととし」が「疾し」で「疾風の如く過ぎ去った」「はやすぎる」なんて意味だとは、聴いただけではわかりませんよ。今こそ別れめ、なんて係り結びも小学校じゃ習わない。「分れ目」だと思いますわな。明治初期とは、言葉もずいぶん変わったのかなあ。それとも当時は素読のつもりで歌われたのか。
まあそれよりも、問題は別のところにあるんでしょうけどね。
「仰げば尊し我が師の恩」「身を立て名をあげやよ励めよ」
教師への恩を強制している。また立身出世主義は今の世にそぐわないということでしょう。
うーん…。
僕が仮に教師であるなら、確かにこれは恥ずかしいですねぇ(笑)。わが師の恩なんて子供たちに歌わせるのは。そんな厚顔じゃない。しかし、改変も出来ない。タイトルであり冒頭フレーズです。変えたらうたが崩壊します。
また、二番を封印してうたっている学校もあるようです。
難しいな。
改変されるほどの社会事情にそぐわない歌詞というわけではなく、軍国主義に染まってもいない。どうなんでしょうね。僕には封印までしなくても良いのではないかという気持ちもあります。子供たちに恩を売るのはさすがに恥ずかしいとしても、立身出世はそこまで排除せずとも良いのではないかと。
世の中の考え方というのは、変わってゆきますからね。何十年後には、「旅立ちの日に」の「懐かしい友の声ふとよみがえる」なんて歌詞が、「内気で友達を作れなかった子供に対する配慮に欠ける」なんて批判されているかもしれません。
そうなったら、何もうたえなくなるんだよなあ。
「仰げば尊し」の命脈は、もう尽きていこうとしてるのかもしれません。今でも知らない人が徐々に増えていると思われます。平成生まれが例えばTV局の責任者になれば、学園ドラマでも普通に「旅立ちの日に」が採りあげられるでしょう。案外そんな時代は早く来るぞ。思えば年月は、いと疾しなのです。
なんだか、惜しい気もしますね。このうたが流行歌と同じように世につれて消えてゆけば。
カミさんとちょっと話をしました。あんた卒業式に何を歌ったかおぼえてる?
そうしたら、小中とも蛍の光だったそうです。なるほど。
そうして、
「仰げば尊しをホントは歌いたかったのよ。卒業式の雰囲気が出るじゃない。憧れだったのに」
と。
何と言いますか、その気持ち、わかるな。
うたの評価というものには様々な側面からのアプローチが可能ではありますが、こと「好き嫌い」となると、主観でしかありえません。そのうえで、僕は「仰げば尊し」を聴けば、自分が卒業式で歌って無いにも関わらず、心に触れるものがある。さらにこの歳となって郷愁すら覚えます。
「仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡」においては、ここだけ引用するとおかしなことになるかもしれませんが、
原曲は、当時アメリカではどこでも見られるごく平凡な歌であった。旋律、韻律、リズム、音楽形式に関してはこの歌は決して特別の歌ではなく、大きな家族から出てきた一つのありふれた歌にすぎない。どれもこれもよく似た歌の集団の一員である。「仰げば尊し」の原曲が本国アメリカで記憶から完全に忘れ去られた原因をここに見ることができる。
と、あります。「大きな家族」とは、歌の系譜の概念のようなものです。
そんな平凡でありふれたメロディが「仰げば尊し」となると急に沁み入るのはなぜか。
安田寛氏は「記憶のプロセス」という言葉を遣われています。論文であるため叙情的には語られませんが、つまり「思い出」が加味されるのだと。
しかし、僕にもカミさんにも、このうたに個人的な思い出はありません。にも関わらず、不思議とあふれでる何かがある。これはもう、集団記憶的な概念を持ち出さないと説明できません。DNAとは言わずとも、長い間に積み重なってきた何かが心に触れるのだと。
しかし、もうそういうものも尽きようとしてますね。
ただしいまの僕にとって、「仰げば尊し」といううたは、心に沁みるのは確かですが、少し引っかかるものもあるんです。何か、胸の内にざわざわしたものがよぎる。そして、ため息をついたりして。
それはあの、
身を立て名をあげ やよ励めよ
という言葉です。
立身出世主義がけしからんとか、そういうことではありません。個人的なことです。
僕は、もうこんな歳になっていますが、結局身を立て名をあげることは叶いませんでした。社会の中に埋没し意識の低い人間となって、名誉も財産もなく暮らしています。僕自身は、それでも日々幸せを感じつつ生きているつもりですが、ただ親孝行は出来なかったなと。
ちゃんと育ててくれたのに、立派な自慢の息子にはなれませんでした。今になっても心配ばかりかけています。本当に申し訳ない。ごめんな。
思えばいと疾し、この年月。もう残された時間は多くはない。そのことがどうしても思われ、今の僕にとって「仰げば尊し」は、ちょっぴり苦いのです。
でもコメントしてないだけで ずっとお邪魔してますよ♪
いろんなことあるよね。
みんなね。
卒業式 一貫して在校生が「蛍の光」卒業生が「仰げば尊し」だった記憶。
J-POPを歌う習慣はまだない大昔ですから(笑)
今はいろんな歌があっていいなあ とシンプルにおもってます。
う〜んと時が経ってから 自分たちの歌ってた歌が廃ってしまっても 同期の間で懐かしがったり盛りあがったりできるなあ。
「ふるさと」は 2010年に紅白のために作られたんだけど 2013年にNコンの課題曲になってるので 今年の卒業生も歌ってたんじゃないかな。
おっしゃるようにシングルにはなってなくて やっと去年のアルバムに入りました。
嵐の曲のことなら聞いて!(笑)
強制・強要はいやね。