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    信仰いろいろ

  • 2014.04.04 Friday
  • 民間信仰の本などをいろいろ読んでいると、やっぱり信仰というのは現世利益がないとなかなか浸透しないものだと。病気治癒。厄除け。豊作。商売繁盛。縁結び。子宝。合格。とげ抜きや歯痛というピンポイントまで、何とか助けてもらおうと祈る。

    庚申信仰や地蔵信仰、弁天さんや竜神さんやえべっさん、みんな現世利益といえる。江戸時代の村落の信仰というものを調べていると、こういうものがどんどん出てくる。まず仏教の檀家となり、村の鎮守の氏子となるだけではないプラスαの信仰がある。

    なんで信仰が三本立て、四本立てとなってゆくのだろう。こういうのは西欧ではまず考えられない事と思う。世界には一神教が多い。キリスト教を信仰しながらちょっとゾロアスター教も、なんてことは絶対にないだろう。その融通無碍さが面白い。

    やはり現世利益というのは、重要なのではないか。仏教は、ことに鎌倉以降の仏教は現世利益を説かない。阿弥陀さまは極楽浄土を約束してくれるがそれは死んだ後のことである。念仏を称えることで確かに気持ちは楽になるが、今の幸せに直接結びつかない。

    「祈によりて病も息み命も延ぶる事あらば、誰かは一人として病み死ぬる人あらん」法然上人が言うことは、確かに納得できる。しかし人間は弱いもので、病気を何とかして欲しいと願う。で、浄土宗のお寺の檀家さんも目が悪くなれば目疾地蔵さんを祀る。

    江戸時代は、必ずどこかのお寺さんの檀家にならなければいけなかった。そういう制度を幕府が作った。キリシタンでないことをお寺の檀家となることで証明させたのだ。これにより民衆全てが一応は仏教徒となったが、現世利益を寺が祈ってくれない。

    考えてみれば、仏教も昔は現世利益を担っていたはずだ。そもそもは国家鎮護が目的だった。これも大きな現世利益だ。奈良時代盛んだった薬師信仰はもちろん病気治癒。密教は加持祈祷をする。ところが浄土信仰というものは現世利益を謳わない。

    平安後期から鎌倉時代にかけての浄土信仰の隆盛は、仏教を死後の信仰へと舵をきる役割を果たしたのではないか。そして江戸時代の檀家制度が「葬式仏教」を生み出した。檀那寺は、菩提寺としての役割を担うことになる。葬式と墓、位牌の管理をする。

    お寺さんは、来世を担当する。氏神や産土神は鎮守として、村の安寧を守る。儒教は、教育文化である。そして個々の望みや願い、つまり現世利益は、他のもっと身近な神様が担う。そして全てが矛盾なく成立する。宗教の役割分担ということがあったのだろうか。

    道祖神や塞の神は厄の侵入を防止し、稲荷や夷神は豊漁豊作や商売繁盛の実現を担う。行者講や伊勢講は人々の団結をうながし、庚申待ちや地蔵盆はレクリエーションも提供していただろう。民間信仰が人々に果たす役割は大きかったと思える。

    日本人はよく、天神さんで合格祈願をして、教会で結婚式をあげ、風水で家の間取りを決め、七夕に願いをこめ節分に豆をまき、お経であの世へ送られる、宗教に節操がないと言われる。しかしこれは古来からの伝統であり、懐が深いとも言える気もする。

    いろいろ考える。鎌倉以来の仏教で、日蓮宗は現世のこともフォローしていたのではないだろうか。「娑婆即寂光土」という言葉もある。なので、日蓮宗信者には他の信仰が入りにくいのかもしれないとぼんやり考えたりもする。あくまで僕の主観。

    日蓮宗には折伏という概念があるが、これが世界標準なのかもしれないと思ったりもする。いや十字軍なんかのことを考えればまだずっと穏健か。宗教は他の宗教を認めない。布教は他の宗教を駆逐すること。あれかこれかの世界。我々は、あれもこれも。

    キリスト教やイスラム教のことには詳しくないが、おそらくは現世利益を謳った宗教ではないはず。いずれ終末がやって来て、その後に審判を受け救済を待つ。現世利益への思いをどうやって充足させているのだろう。西欧には「神頼み」は無いのだろうか。

    例えば「ルルドの泉」とはどういう位置づけなのだろう。日本の民間信仰に非常に近いように思えて仕方が無いのだが。とげ抜き地蔵とルルドの泉をいっしょにすれば怒られるだろうか。しかしキリスト教信者も現世利益への願いを持っていることがわかる。

    最初はキリストも病気を直したり嵐を静めたりパンを増やしたりしていた。「奇跡」は現世利益だったはず。考え方次第なのか。五輪で競技前に十字を切る陸上選手。ゴールした選手は祈りを奉げる。ボルトやビスマルクが教義を逸脱しているわけではないだろう。

    「神のご加護あらんことを」は不自然な言葉じゃない。幸せになりたいと願う気持ちを人は誰もが持っているはず。一神教が現世利益を説いていなくとも、現世の幸福を祈るのはやはりその神しかいないのだ。しかし我々には八百万の伝統がある。

    「宗教」と言うと、一神教にせよ多神教にせよ、どうも排他的な感じがする。「信仰」はもっとやさしい。また国家と宗教が絡むとロクなことがない。明治の神道国家日本は、廃仏毀釈だけでなく神社合祀、さらに淫祠邪教として民間信仰を弾圧した。

    宗教に関わることは書くことが難しいので、短めの文章を繋げながら書けばそんなに問題は出ないだろうと思ったのだが、話が思わぬ方向へ行ってしまった。本当はコンセイ様とかの話をするつもりだったのに。しかしもう書き直してる時間がない。

    今日の一曲はもちろん信仰や宗教とは関係なく、岡林信康の「私たちの望むものは」を聴く。シングルを持っているが、中古で買ったものだ(世代的にはムリ)。私たちの望むものは社会のための私ではなく私たちのための社会なのだ。今の日本、危ないな。

     
     私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音 youtube
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    | 2014/04/04 | 短文 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0) |

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    | 2016/12/30 | - | 06:38 | - | - |

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