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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    冬の山形など

  • 2014.01.05 Sunday
  • 謹賀新年、凛太郎です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

    今年の年末年始は、予報によって正月寒波来襲を覚悟していたのですが、案外おだやかでした。僕は例によって東北に行ったのですが、列車が全然遅れなかったのってどれだけぶりだったでしょうか。ありがたいことでした。
    もしかしたら東北では全然動けないことを覚悟して、僕は休みの初日、小田原とかを歩いていたのです。小田原って実は8歳のときに行ったきりだったので、北条五代を意識して観光したことがなかったんです。
    そんな感じで安全策をとって神奈川周辺をウロウロしていたのですが、どうも天気が持ちそうなのでやっぱり北だ、と思い直し、その日は夜に福島まで移動して泊。やっぱり夜は冷えますね。燗酒が胃の腑に染み入ります。

    翌朝、奥羽本線で米沢へ。
    米沢は、約20年ぶりになります。そんなに間があいたか。そのときは自動車で来たので、かなり細かくまわりました。なので今回は、冬の雰囲気だけ味わえれば良いと思っています。まず上杉神社へ。
    駅から歩いていったのですが(バスは本数がありませんしタクシーなんぞガラじゃない)、2kmちょっとだとナメていたら結構大変。雪が年末寒波の名残で残っていまして。しかも消雪装置が働いていて水がじゃんじゃん道に出ているのでぐちょぐちょなんですな(汗)。足をとられます。うわ、油断していて革靴を履いてきてしまっているので(防水もしていない)、じんわりと水が染みてきますよ(涙)。
    しかし、向かう道筋には歴史っぽいものが数多く残されています。義経旧跡なんてのも。義経はここまで来たのか。こういうものは、歩かないと気が付きませんね。
    すっかり足が冷たくなった頃、神社に到着。靴が水を含んで重くなっています。うーむ。

    上杉神社は、つまり米沢城の本丸跡です。
    米沢城の起源は古い。鎌倉時代に遡りますが、長い間長井氏が支配していたこの城を、室町時代に伊達氏が攻略します。あの伊達政宗は、ここで生まれたとされます。
    それだけでも歴史の色が濃いわけですが、その後変遷を経て豊臣時代、上杉景勝が会津に移封され、米沢城には直江兼続が入ります。大河ドラマのときには、おそらく大変な人だったのでしょう。
    その後関ヶ原合戦があり西軍についた上杉氏は大幅に減封、会津を取り上げられ米沢に押し込められることに。当然石高が減り苦しい財政となり、中興の祖上杉鷹山が「なせばなる、なさねばならぬ」と藩政立て直しをするのです。
    だからここには、上杉鷹山の銅像がいくつも建っています。

    上杉神社は、謙信を祭っています。かつて鷹山も合祀していたのですが、分祀して今は謙信だけです。
    謙信の遺骸は崩じたときに、鎧兜を身にまとわせそのままの姿で甕棺に入れ祀られました。移封の際にその遺骸をそのまま米沢に持ってきて、祠堂を建て祀りました。今は遺骸は墓所に移されていますが、その祠堂跡が、城の一段高くなった郭に残っています。
    そこへ登る石段は除雪されているようだったので、ちょっと登ってみたのです。さすれば、途中から除雪が途切れ、どんどん雪深くなってきました。うわ、ラッセルになったぞ! 靴だけでなく僕のズボンまで雪にまみれ、えらいことになってしまいました(汗)。
    しかしこうなればもうヤケクソになりますわな(笑)。もう僕は雪であろうとなんであろうとかまわず歩き回りましたよ。どうせぐしょぐしょなんだ。
    あちこち旧跡をみたあと、謙信を祭る神社に参拝、米沢城址をあとにしました。

    足がつめてーなー(笑)。おまけに雪がちらついてきました。どこかでめしを食べようと思いましたがふらりと入れる店がなく、そのまま駅に戻り、米沢牛を使った駅弁を購入、再び列車に乗って今度は上山へ。
    しかし上山は米沢から近すぎた! その結果、乗車時間が短く急いで駅弁を食べなければならない始末(笑)。しかし名物駅弁「牛肉どまんなか」は旨かったっすけどねー。
    「かみのやま温泉」で下車。上山城へと向かいます。
    町は、上山藩の城下町として栄え、その名残がよく残っている古いいい町です。以前上山へ来たときには僕は斉藤茂吉記念館一点集中で観光したため、あまり町を歩いていなかったのです。
    古い町並みを抜け、お城へ。しかしお城は年末で閉館してました(汗)。まあいいか別に上らなくても(どうせ復元天守ですし 笑)。
    さて、足の冷たさもピークに。お風呂に入ろう。
    城を抜け、月岡公園を横切って、下大湯共同浴場へ。かみのやま温泉は共同浴場が充実していて幾つもありますが、その中でも最も歴史が古いと言われています。
    さあ入りましょう。まずは列車内で網棚から拾ってきた新聞紙を靴の中に詰め(乾かしたいのよ)、番台へ。料金は150円。この間まで80円だったそうで(笑)。共同浴場ってこういう極めて廉価な場所がしばしばありますな。これだけでもよかったのですが雪で髪も濡れたので別に洗髪券も購入(100円)しますと、蛇口のカランをひとつ渡されました。面白いシステムですなあ。
    さて、ゆっくりとお風呂に入ります。一年の垢を流すようで、いいですねぇ。熱めのお湯が冷え切った身体に心地いい。思わず入るときにうなり声がでますわな(オヤヂ)。地元の人がたくさん来ています。
    で、そのカランなんですが別にシャワーがあるわけではなく、熱いお湯と水の蛇口が二つあって、それを桶に適宜あわせて洗髪に使うのです。その水と湯の蛇口を使用する権利を得たわけですが、でもカランがひとつしかないから、水とお湯のどっちかしか出せません。使いにくいわ(笑)。しかしこれもまた、旅情というものですけど。
    結局2時間近く入ってしまいました。のぼせる寸前やな。結構でございました。
    靴は完全には乾いていないものの、ポカポカなのでまあよかろう。その後、履いているうちに乾きましたよ。

    本当は次に、上山の北にある長谷堂城跡にも行こうと思っていたのです。「東の関ヶ原」といわれる長谷堂合戦の舞台。
    関ヶ原は、そもそも家康が上杉攻めを敢行せんとして大軍を会津に向けて進攻したわけですが、石田三成が挙兵して家康は大軍を反転、関ヶ原に向かうわけです。で、上杉は家康方の山形城の最上義光を攻めるんです。これについては記事にしたことがあります。
    上杉軍の大将、直江兼続は果敢に山形を攻めるわけですが、ここで前線の上山城と長谷堂城が踏ん張るんです。ここを獲られると山形城は裸同然になるわけですから。そうするうちに関ヶ原西軍敗北の報が入り、伊達政宗も乱入して上杉方は撤退を余儀なくされます。その負け戦と困難な撤退戦に、あの直江兼続がつい死を覚悟したとも言われる長谷堂合戦の舞台を見ようと思っていたのです。
    しかし、また雪深い長谷堂城跡に行けば、もうラッセルは必至。せっかく温泉に入って靴も乾いてきたのに…僕も勇気ある撤退をしました(笑)。
    車窓から長谷堂城跡を見ます。山形城からすぐ近くの小山です。あの城を突破していれば歴史が変わった、とまでは言いませんが…いろいろな思いがわきおこります。
    僕はこのあと山形の町をぶらつき、カミさんの実家へと向かいました。

    いやー津軽の正月はまたキビしい(笑)。朝から晩まで酒です。もう僕は体力がもちましぇん。
    そして津軽から僕の実家へと転戦し、ようやく帰ってきていまブログ書いてます。
    明日からは日常か。さあ、今年もスチャラカでスーダラな人生でいくぞ〜。

    本年もどうぞよろしく。



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    | 2014/01/05 | 旅行 | 23:39 | comments(2) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 23:39 | - | - |

    コメント
    凜太郎さん

    やっぱり、私は「雪が降る町」の人間なんだな、と、しみじみ。
    というのは、かれこれ もう1ヶ月くらい、「普通の靴」を履いていない。
    もちろん、福井だって、雨でも雪でもない日がたくさんありましたよ。道路が乾いている日も、たくさんありました。
    でも、なんとなく冬になると、普通の靴が履けない。なんででしょうね。
    やっぱり、「いつ降って来るか分からない」「どこに水たまりがあるか分からない」からでしょうか?いや、そんな理由なら、普段、どこの土地でも同じような気もします。
    で、安全パイでブーツ、雨降りの日なら防水機能のあるブーツ、という選択肢になってしまいます。

    それはさておき、歴史好きの方から見たら、やっぱり「復元モノ」はちょっと興味薄なのかな、というのも、今回の記事を読んで思ったこと。
    二条城も今、復元改修などのための募金を募ったりしてますが(まあ、あれは関心を向けるための作戦だとは思いますが。だって、総予算に対して募金目標額が低すぎ)、これからどんどん、歴史的な建築物は復元を余儀なくされて行く気がして…。
    私は その辺のところは詳しいことは分からないのですが、「復元」にまでならないよう、少しずつ「改修」するのでしょうが、やっぱり、当時の材質のまま、ではないわけです。

    私の場合、建築構造学的な視点は薄いので、やはり、当時の人の汗や、その建物の一部となって、ずっと世の中を見てきた その建材そのものに、まるで魂が宿っているかのような気になって、そこに魅力を感じてしまう。
    そうなると、年月を経ていない新しいものには、あまり魅力を感じなくなってしまいます。

    いずれにせよ、私の場合、周辺の近代的な風景の中の「歴史的な建物」を見て、その場に生きた方々の気持ちにはなりにくいですが(^_^;)
    やっぱりこれは、歴史に詳しくない人間の台詞かなあ(笑)。
    >よぴちさん
    靴につきましては、今回は油断としか言いようがありません。当初の目算では、どうせ雪などで東北観光は難しいだろうから、東海関東方面だけウロウロしてあとは列車で一気に、と考えていまして。それならブーツは要りませんし、妻の実家にはスノトレをキープしてありますので。
    なのにねぇ…阿呆ですな(笑)。

    えーっとね…「どうせ復元天守」と書いたのは傲慢だったかな。
    考えれば、「史跡復元」に興味がないわけではありません。
    「天守閣」に絞って考えますと、復元天守の役割にはいろいろあります。まずはその町のシンボル、ランドマークになるということ。天守の上がっている町っていいなと思いますものね。そして、観光的には展望台。
    もちろん現存天守が最も「思いを馳せる」対象になりやすいのは確か。しかしそれは12しかもう残ってはいませんしね。復元でも、本当に「復元」するのはそれなりに価値がある仕事だと思います。精緻に史料を研究して。
    外見だけのものもあり、鉄筋コンクリートでエレベーター付きというのも今のご時世仕方のないことかもしれません。ただ、思いを馳せる対象にはなりにくいですね。
    でも、外見だけでも「復元」ならマシかも。何でもいいから作っちゃえ、というのもあるのが難しいところで。墨俣一夜城みたいにね。ああいうのは、復元ですらない(笑)。

    二条城の改修って、難しい話ですね。手を加えないのが本来望ましいと思います。しかし地震には耐えられないのがわかっている。だから補強したい、というなら、理解はできます。
    したがい、あくまでも現存維持だけを考えればいいと思うので、二階廊下の復元については、僕は必要ないのではないかと思っていますが…ただ、当時使用されていた建材が保管されているらしく。さすれば、もしかしたらよぴちさんのおっしゃる「魂」はやどっているかもしれない。そうなると、解釈的に難しくなってきますね(笑)。
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