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    生誕祭によせて

  • 2013.11.15 Friday
  • ちょっと酔眼ながら、雑感を。

    先日宴席で、お札の人物の年齢の話が出まして。具体的には、福沢諭吉って老けている印象があると。
    「ありゃ70歳くらいか」
    「いや、諭吉はもっと若くに亡くなってますよ」
    「晩年の肖像じゃないかも」
    その場でさっと検索した人がいて、それによると56歳のときだという説が有力だそうです。
    その場に56歳の人が実際に居まして。比べて諭吉さんはやっぱり老けてます(その人が白髪を染めていることもありますが)。と言いますか、昔の人ってだいたい老成してるんですな。

    その場では、
    「じゃ新渡戸稲造っていくつやねん」
    「伊藤博文はじいさんやろ」
    「板垣退助って仙人みたいやったもんな」etc.
    でも伊藤博文って暗殺死ですから、たぶんそんなに長生きはしていない。板垣退助は長命したと思いますが、岩倉具視とかは60歳まで届かなかったかと。
    今お札に肖像画が使われた人の全ての没年を調べたりするのはたいへん面倒なのでそういう話はしませんが、神功皇后も昔は紙幣になってましたよね。あの方確か享年100だったのでは。武内宿禰は300歳超えじゃなかったですか。
    そういう神話の世界はともかく、早くに亡くなった方もいらっしゃいますな。樋口一葉がそうだ。野口英世も黄熱病で若死ですね。50歳過ぎだったか。そろそろ僕も野口英世が死んだ歳に近づいたな、と思います。
    宴席での話ですが、このとき夏目漱石の没年齢を検索したひとがいました。49歳だそうです。これは意外でした。漱石も老成していた印象があって、黄熱病で客死した野口英世よりも若くして死去していたとは思わなかったものですから。
    それにしても49年間の生涯で、すさまじい業績をあげた人だったのだなと思います。

    そのときの話題にはのぼらなかったものの、紙幣の人物としては、僕は聖徳太子だけは没年をはっきりと記憶していました。確か漱石と同じ、享年49のはずです。そもそも聖徳太子非実在説まであるくらいですから、本当かと問われればそれは困るのですが、年表等にはだいたいそう書いてあります。
    と、うっかりしていたのですが、明治以降の人はだいたい満年齢表記になっているはずですが、昔は数え年でした。それに、明治以降の太陽暦と異なり、昔は太陰暦です。その計算はたいへんややこしく酔っ払いでは無理ですが(シラフでも無理かな)、聖徳太子は多分満47〜8歳で亡くなっているのではないでしょうか(皇太子の死は薨御だっけ薨去だっけ?)。
    そうか聖徳太子は、漱石よりも若いのか。
    それより、僕はもう聖徳太子の歳を知らぬ間にこえてしまっていたのかもしれないぞ。うーん。

    お札と関係ないのですが、享年49と言って思い出すのは、織田信長ですね。
    信長は謡曲「敦盛」を好んでいました。その一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は有名ですが、その五十年に一年足らずして本能寺に斃れたと。
    そう思っていたのですが、これまた満年齢に直すと…。光秀に討たれたときは、多分今の僕と同じくらいか。

    そうやって、昔なら「聖徳太子や信長に比べて、今のワシのテイタラクはなんぞや」という話になるのですが、まああんな人たちと比べてもしょうがないのはもうよく分かっています、この歳なら。ただ、このくらいの歳で死なねばならなかった彼らの心境というものを、ぼんやりとでも考えたいとは思うんです。
    彼らは、死に際してどう思ったか。
    小学生の頃に読んだ学習漫画では、聖徳太子はいまわのきわに「悪いことは何もしないよう、そして善いことだけをするように」と言って亡くなっています。さすが子供用の漫画ですからわかりやすい。これ原文はどうだったかといえば「諸悪莫作、衆善奉行」ですね(これだけは思い出せなかったので検索)。
    たいへんな業績を残して死の床にいた太子です。満足していたのかもしれない、と思ったりもします。
    ただ、太子はいろいろな言葉を残しており、他にも遺言的な意味のものがいくつかあったと思います。全ては思い出せませんが、ひとつ名高いものに「世間虚仮、唯仏是真」があります。
    これ、いろいろな解釈ができると思うのです。仏教的思想だと思うのですが、字面だけ追えば「世間虚仮」というのは、結構厳しい言葉ではないかと思うんですね。この世の中を否定している。虚しい仮の世なのだと。太子は、やはり思い残したことが多かったのかもしれません。天皇にもなれませんでした。
    それでも太子なみの業績を残していたならば、凡人の僕なら「余は満足じゃ」と言いそうなのですけれどもね。

    信長は、その死におよんで「是非に及ばず」と言ったとされています。この言葉はいろいろ解釈可能ですが、寝込みを一気に襲われたわけですから、是非を言う間もなかったのは確かです。その生涯を振り返る時間すら、ほぼなかったかもしれません。ただ自害のときの一瞬、何を思ったでしょうか。

    みんな満足して生涯を終えてはいないかもしれない。僕なら、ここまで成し遂げれば莞爾として逝きそうな気もするんですけれどもねー。
    やっぱりそれは、僕のココロザシが低いからなんだろうな。史上に残る人物は、目指すところが高すぎて。天下統一なんてのは僕など考えも及ばない。まあしかし、それでもいいのかな。そんなに戦争に明け暮れる人生も送りたくないし。

    だんだん何を書いているのかわからなくなってきました。話がこんなふうに流れてゆく予定ではなかったのにな。酔ってるとこれだからいかん。
    昔は、だいたい酔っ払ってブログを書いていました。しかし、最近は朝とか休日とか、ほぼ素面の時間に書いています。それは直接的には生活のリズムを変えたことが最も大きな要因ですが、筆力が落ちたことも大いにあります。もう酔っ払うとヨレヨレで、言葉が出てこないわ調べるのが面倒くさいわ考えがまとまらないわでもうワヤクチャになってしまいます。現に今がそうだ(汗)。
    まあね、今日はいつも以上に呑んでいるということもありますが。

    なんで呑んでいるかと言えば、もちろん今日はただの週末ではなく11月15日、坂本龍馬生誕の日であるからです。この日は、呑むことに決めています。
    だんだん寒くなってきましたので、今年も地鶏鍋をしつらえています。これは龍馬はんが亡くなった日に食べようと思っていて食べられなかった軍鶏鍋を、代わりに食べようという趣向です。酒は高知の栗焼酎、ダバダ火振。うまく手に入りました。
    そんなのでやってましたら、酔うわけで。

    坂本龍馬はんは、慶応3年11月15日に京都で斃れました。
    その妻おりょうさんの言葉で、亡くなった日と誕生日は同じであったという証言があります。この同時性はいかにもドラマティックですから、諸説は押しやって、多くのファンは今日を誕生日と認定しています。
    明治以前は太陰暦ですから、細かいことを言っていたらきりがない、という考え方もあります。んで、龍馬はんの誕生日に今日は乾杯、なのです。
    ただ今年は、なんとなく龍馬生誕祭よりも、どうも龍馬忌のほうに思いがゆきます。

    坂本龍馬はんは、だいたい享年33とどんな書物にも書かれています。なので僕は、自分の33歳の誕生日には大いに反省しました。ワシはまだ何事も成し遂げてはおらぬ。龍馬はんを見よ。人生そんなのんべんだらりとしていていいのか。
    しかし、反省すべきときはもう少し前でしたな。計算は難しいのですが、亡くなったのは満なら31歳か。
    彼は、31歳で死んだのか。やっぱり、業績がすごすぎる。
    それから幾年。ワシはなんにも成し遂げてない、というのはもう止めていますが、その31歳だったとき、また33歳だったときと、今とを思い比べ、あまりにも成長していないのに愕然としてしまうのです。
    …まあそんなことはいいか。落ち込むから(笑)。
    龍馬はんの享年に追いついてしまった(と思い込んでいた)年の11月15日に、僕はこの日を意識して、酒を呑む日として吉例化しようと思いました。以来、ずっと呑んでます。
    また、僕は30歳代後半にブログを始め、ほどなくヒロリンさんと知り合い、その日を命日ではなく「龍馬生誕祭」として祝うという考え方に賛同し、以来ずっとこの日はネットの向う側に向けて乾杯をしています。

    みなさん元気ですか? 乾杯!

    気づけば、皆さん忙しくなられてなかなかお顔を出して下さらなくなりました。ヒマな僕だけが、なんとかしがみついて書いています。
    いつだって俺はここにいる。そう言えるように、なんとか続けてゆきたいなと思っています。
    話がとっちらかって、もうわけがわかんない記事になっていますが、久しぶりに酔っ払って書いてます。大目に見て下さいな。

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    | 2013/11/15 | 雑記 | 22:57 | comments(8) | trackbacks(0) |

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    | 2016/12/30 | - | 22:57 | - | - |

    コメント
    いつもはもう寝床の中のわたしですが 今夜は珍しくひとり呑みながらネットをのぞいてました。
    凛太郎さん かんぱーい♪

    いろんな若くして亡くなった方たちの年齢 わたしとっくに追い越しました。
    なにもなさず茫洋と生き なにも遺さず知らぬ間におさらばしたいな。

    でも まだ今は元気に居ますので 凛太郎さん またネット呑み屋でお喋りしましょね!
    • まるちゃん
    • 2013/11/15 11:35 PM
    生誕祭なので、こちらにも登場させていただきました。
    blogでの生誕祭は2005年11月15日「生誕170年祭」が発端ですね。
    元々は生誕150年の時に大学生だった私が「坂本龍馬生誕150年祭」と称して、一升瓶片手に同期、後輩、先輩宅を訪問し、酔っ払いながら酒を振る舞い回ったのが最初です。
    当時は若かった!(笑)
    今でもネットの向こうの友人と杯を交わせることは幸せだと思います。
    かんぱ〜い!
    >まるちゃん
    いやーようこそ。
    ところですみません。僕はちょうどその時間頃潰れてしまったようです(笑)。呑みすぎです。記事もひでーな。話がブレて、書き始めたときに念頭にあった帰着点にいってない(汗)
    どうかお許しを。
    そのまるちゃんがおっしゃるようなことを僕も言いたかったのです。なにもなさずに生き、終わることもまた、当人にとって価値があればそれは一流の人生ではないか、と。ネットに向かい酒を呑むこともまた愉悦です。いい人生ですよ。
    そんな感じで、ぼちぼちやっていきたいと思います。どうもありがとう。
    >ヒロリンさん
    僕がヒロリンさん主催の生誕祭に参加させていただくようになったのは、いつ頃でしたでしょうか。多分2005年には参加していない(汗)。以前はその日にネットを繋げる習慣がありませんでしたし(呑んでるから)、ブログ始めてからは自分が記事を書くことで精一杯だったんじゃないかな。
    そういうの、バカですねぇ。皆で呑んだほうが楽しいのに(笑)。
    僕はヒロリンさんと出逢う以前は、やはり11月15日は龍馬忌だったような気がします。生誕祭という意識はなかった。こうしてこの日が「祝える」日になったのも、ヒロリンさんのおかげだと思っています。
    思えば、幸せな人生ですわ(笑)。
    酒盗で土佐鶴とは最高ですね。僕はつい焼酎呑んじゃったからねぇ…まだ少し残っているかも。これじゃあ、いかんぜよ(笑)。
    凛太郎さん、ご無沙汰していますm(__)m

    今年は結局アップも出来ず、寂しく思っていましたがこちらに伺ってホッとしました。
    記事を書いてくださってホントにありがとうございます♪

    一日遅れでもこうして凛太郎さんやヒロリンさんとお話出来るスペシャルデーを与えてくれた龍馬に感謝したりして!(^^)!

    かんぱーい( ^^) _U~~←お茶だぁ!
    • jasmintea
    • 2013/11/16 10:56 PM
    >jasminteaさん
    ご無沙汰してますー。(^ω^)
    お忙しそうですね(汗)。jasminteaさんのことを考えると、つくづくあたしゃヒマなのだと思いますよ(笑)。そんなこんなで何とか、今年もブログを続けています。
    では、僕も朝なので、~~■Pヽ( ̄▽ ̄*)かんぱ〜い(コーヒーぜよ)
    寒くなってきました。お身体には本当にお気を付け下さいね。あちきも張り切って、行くぜよ〜♪ヒャッホーイ♪.・・ヘ(= ̄∇ ̄)ノ
    ( ;゚ □)_◇~~ アッこぼれる(笑)
    凜太郎さん

    そっか、もう「その」季節か…。
    毎年、凜太郎さんの「この日」の記事を読んで、どこか羨ましく思う私なのです。
    そこまで「惚れ込む」人がいる、ということがまず、羨ましい。私は、勉強不足で「惚れ込め」る人が見つかっていない。
    そして、鍋で飲む土佐の酒。この季節に。そりゃ、いいですよね(^^)

    昔の人は、人生は普通、何年くらいだと思っていたのでしょうか。例えば現代日本人は、どうなんだろう。85年くらいが平均的だと思っているのでしょうか。それはつまり「何もなければ85年くらい生きれるんだろう」という、漠然とした安心感。
    私は、人は無意識に、自分の人生の終わりから見て、今は、あと何年くらいのところにいるのか、という意識を根底に持ちつつ生きてる気がします。
    昔の人が、仮に人生は普通は○○年くらい、と思っていたのが、現代のそれより短いとすれば、同じ年齢でも、意識に差がある気がするんですよね。
    それを一概に「昔の人は大人だった」「達観していた」という気はないのですが。何が大人なのか、何が「達観」なのか、分かっていないので…。

    今日の福井はすっかり「荒れた冬の日」のよう。
    実は昨日、深夜まで京都にいて、「晴れた冬の夜空」「晴れた冬の空気」を感じていただけに、なんだか急に現実が迫って来たかのようです。
    こんな日は、ホントなら熱燗だなぁ。飲んじゃおかな。
    もう、竜馬はんも、帰ってしまっていますけどね(笑)。
    >よぴちさん
    冬将軍の足音がします。僕は一応北陸の経験者なので、お気持ちはわかります。

    確かに「○○歳くらいは生きられる」と漠然と思っているようには感じますね。で、逆算する。人生今だいたい1/3だな、とか。四十過ぎたら、折り返したと思って焦ったりする。何の保証もないのにね。本当はもう最終コーナーかもしれないのに「折り返し」だと思い込んでいる。
    昔の人は、どう思っていたのでしょうか。
    敦盛では確かに「人間五十年」ですが別に五十歳で死ぬと言っているわけではなく、孔子は五十でようやく天命を知って七十で自在になってゆきます。現在でも医者知らずの元気なご老人がいることを思えば、昔のひともアクシデントがなければ寿命はそうかわらなかったのではないかと思います。
    ただ「何歳まで生きられる」という意識は、希少だったのかもしれないなと。いつ死ぬかはわからないと思っていた。飢饉も戦さも流行り病もあることは、経験則で知っていて。朝には紅顔であっても夕べには白骨となるかもしれない。
    いつ死ぬかわからない、そう考えて、刹那的になるのが現代人。達観していたのが昔の人だったのかもしれない。現代人のほうが、寿命が来るまで滅多には死なないと思っているから。
    まあ僕もよくわかりませんね(笑)。達観なんて全然出来ない。いつまでもこうして乾杯が出来ればいいのにと思ってる。鈍感なのか楽天主義か現実逃避か、その判別すらつけたくないし(笑)。
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