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    檄文と「ゲキ」

  • 2013.11.12 Tuesday
  • ちょっと前の新聞に、こんな一文がありました。
    「意気盛んだった頃の壇は深夜、飲んで帰宅すると、食堂に子どもたちを集めてこう"ゲキ"を飛ばすことがあった」(朝日新聞「be」10/26)
    ははースポーツ紙だけじゃなくもう一般紙にもでてるのかと。

    この"ゲキ"が誤用だということは、よく知られていると思います。
    「檄(ゲキ)を飛ばす」というのは漢語「飛檄」の読み下しであり、檄文(自分の主張を書いた文)を知らし広めて決起を促すことです。つまり檄とはそもそも文書です。したがって、子どもたち(特定の少人数)を集めて食堂で「口頭」で言うことに対してつかうのは、誤用と言えます。
    しかし口頭の励ましにおいて使用されることは、ずいぶん以前から行われてきました。「檄」と「激」が似ているみことから「激励」ととられたのでしょうかね。
    よくスポーツ紙などで「○○にゲキ!」という見出しで「監督は今日3三振だった○○に、気持ちが足りないからだ、とゲキを飛ばした」とか書かれてきました。ですが一般紙で、しかもこれは署名記事(大嶋辰男記者)です。もうここまで来てるのか、と思いました。「なにげに」のときもそうでしたが、一般紙に載ればもう定着、と考えざるをえないのではないか、と。
    おっと、辞書にはもう既に載っていました(→goo辞書)
    しかしながら、"ゲキ"と符号で囲い、しかも「檄」と書かずカタカナであるところに、実は誤用だとわかっていながら書いていることがわかります。一面良心的にも見えますが、中途半端にも思えます。それならもうわざわざ使用しなければいいのに。

    一般紙が用い、辞書に「[補説]誤用が定着して、励ますこと、また、励ましの言葉や文書の意味でも用いる」と書かれていては、もはや間違いだとはいえなくなってしまったようです。僕は気持ち悪いのでこうした意味では一生使用しないと思いますが、もう若い人に「それは誤用だ」と言うことはできなくなってしまったか。
    言葉が刻々と変貌していく様が現実に見えています。
    こういうのって、どう解釈していいのかわからないのですけれどもね。
    言葉は生き物だ、という考え方があって、変化していくのはなかなか止められないことです。
    「正しい日本語」という言葉には傲慢さがある、とは僕も思っています。「正しい日本語をつかえ」という識者はいったいいつの時点での日本語を正しいと解釈しているのかを考えるとそれはわかるんです。多くは、自分が子どもの頃から使用してきた言葉を「正しい」と言っているわけで、感情論です。古い言葉が正しいのなら「おかしい」は「趣がある」という意味で使用しないと誤用になるでしょう。古人が現れて「ありがとうとか言うな意味がわからん、有難き幸せでございますと省略せずちゃんと言え」と言われても困りますもんね。
    しかしながらこういう誤用問題は、変貌する言語についていけない老人の繰言だ、と言い切ってしまうことも、また言いにくいわけで。そこに難しさがありますなぁ。

    こういう「変貌する言語」は幾種類かに分類できると思うんです。ちゃんと言語学を勉強して書いているわけじゃなく僕の感覚なんですけど。
    ひとつは、巷間「日本語の乱れ」と言われる一群の言葉。これには、言葉自体、そして文法等が変わってしまう場合があります。
    僕は「ら抜き言葉」を気持ち悪くて今もって使用できないのですが、これはもう日本語として定着してしまったのは間違いないでしょう。ら抜きが可能・自発・尊敬・受動のうち可能だけを示しているということが、言語の進化であるという意見もあります。
    僕はら抜きにはまだ抵抗はあるものの、「さ入れ」にはあまり違和感を感じません。「飲ませていただきます」が「飲まさせていただきます」となるものです。今までの日本語文法には確かになかったものですが、過剰な謙譲意識から生じたものだろうという推測はできて、さほど抵抗感は感じません。僕だって偉い人に対しビビってしまえば、うろたえてつかってしまうかも。
    副詞や形容詞、間投詞などに、体言につくはずの「です」をつけるのも定着してきました。「おいしいです」とか。「なるほどですね」などは好ましいと思われない言葉として先日採りあげられていましたが、この一種ですね。「食べますです」とかになるとさすがに不自然さを感じますが、「おいしいです」だともう普通かなぁ。僕もつかっていると思います。
    「すごくおいしい」というのは「凄い」を肯定的意味で使用していることで(本来は恐ろしい、非常に気味が悪いの意味)で既に誤用とも言えますが、それはまあ良い悪いに関わらず強調の意味で変化し定着しているとしていいとしても、「すごいおいしい」は文法的にヘンですわね。しかしこれももう若い人は普通に使用しますね。
    「好きくない」とかは、一時期流行りましたが定着しなかった。良かったと見ていいのか(笑)。
    また文法ではありませんが、以前記事にした「こちらのほうでよろしかったでしょうか?」関連の言葉もありますね。もう繰り返しませんが「全然」とかそういうのも、否定を伴う係り結びから揺り戻し定着(なんだそら)したように思います。

    以上のようなものが、「変貌する言語」なのではないかと僕は思います。ただそれ以外にも、言葉自体は同じで「語意、解釈が変貌する言葉」があります。前述の「凄い」はその一例です。
    何年も前に僕はこういうのに凝って「普通にヤバい」とか「ひよる」とかいろいろ書いたりしました。
    だいたい、肯定はあんまりしたくないけれどもしょうがないかなぁ、という感じで書いてますかね。掘り下げると面白いものは掘り下げてみたり。
    「普通においしい」の「普通」の用法について続編書きたいんですけど、なかなか出来ずにいます。あれは結局「一般的」「通常」「平均的な」という意味ではなく、「素の状態で」という意味に近いのでは。虚飾を払った本音の自分が正直に言う場合としての「(自分が)普通に考えて」から由来しているのでは、とも考えたりしています。
    鳥肌が立つ」については、僕は良い意味で使用することに対し積極的に肯定しています。これについては記事内で理屈を捏ねていますが、最終的には感情論であるのかもしれません。僕は、代替の言葉が見つからない、ということ以上に、鳥肌を良い意味でつかうことに抵抗感がないんです。
    逆に、感情が出すぎて記事に出来ない言葉もあります。折にふれて何度か書いていますが「こだわり」の肯定的用法です。これは本当に「大キライ」なのです。気持ち悪いと言ってもいい。だから、自分がつかわないだけでなく他人がつかっているのも見たくない。ラーメン屋さんが「うちはこだわりの店です」と堂々と大書したり、グルメレポーターに「いや〜こだわってますね〜」と言われて喜んでいるのを見て「アホか」と思います。
    結局僕も、感情論で好き嫌いで言っているのか(汗)。説得力に欠けますな。
    このような言葉の意味や解釈が変わってしまった、また変わりゆく言葉というものは、結構あると思います。

    さて、こうして解釈や意味が変わった言葉には、純正和語だけではなく外来語もあるわけです。本来外国語だった言葉。
    例えば和製英語の多くはそうかもしれません。「マンション」は本来豪邸の意味で、共同住宅の意味はない。日本でだけ、高級集合住宅の意味になったわけです。「クリーニング」は掃除ですが、クリーニング屋さんは洗濯屋さん。
    マンションなどは言葉が輸入された時点でもう意味が違ったと言ってもいいのではないかと。カップ・コップやガラス・グラスの如く語源が同じ外国語で意味が異なったりアルバイト(独語でwork)がpart time jobに特化したり。こういうのはいろいろあります。
    人というのは勝手なもので、このようにもう定着している外来語は、多少本来の意味と異なってもさほど違和感を持たないんです。しかしながら、ついこの間までは外国語本来の意味で使用されていたのに、後に変わってしまった言葉については、どうも気持ち悪く感じてしまったりするわけで。
    「ジンクス」は、僕が知っている当初時点ではまだ「悪い前兆」という本来の意味でつかわれていたと思うんです。しかし昨今は験担ぎの意味になっている。左足からバッターボックスに入るとヒットが出るジンクスがある、みたいな良い意味になっている。なにかヘンだな。
    「ダイエット」も、食事療法がそもそも輸入された意味でしょう。けれども食事制限のみならず痩せる為なら「ダイエットのためにジョギングしています」みたいに言う。どこかヘンに思ってしまいます。
    ジンクスやダイエットならまだ「変貌する言語」として言葉は生き物的範疇に入れてもいいと僕は思ったりもします。しかし、感情論として「グルメ」はどうしても気持ちが悪い。グルメって美食家を指す言葉でしょう。どうして「おいしいグルメをいただきます」なーんて言うのか。人食いか。どうも容認できない気持ち悪さがあります。

    外来語という範疇で考えれば、「ゲキを飛ばす」も、広義で考えれば漢語ですから、外来語ということもできるでしょう。
    ここは難しい考え方になってしまいます。前述した「普通」も漢語でしょう。だったら外来語か。しかし「普通」という言葉は、既に日本語として練れていると思われます。日本語は中国語をとりいれてきた歴史が長く、既に漢字を使った単語を中国に逆輸出しているくらいです。「進化」「意識」「運動」「失恋」から「共産主義」まで、日本製の言葉が中国語になっています。漢字=外国語、とはもはや言えません。
    しかし「飛檄」なんて言葉は、日本語として長い歴史を持つかと問われればこれは難しいと思います。これは、漢文の中に出てくる言葉としての認識しか持ち得ない。
    故事成語の多くはそうで、先日塞翁が馬とかという記事を書きましたが、中国で成立した意味を取り違えればそれは明確に「間違い」であることになります。例えば「杞憂」は、中国の杞という国で、もしも天が堕ち地が崩れたら身の置き場が無くなってしまうと夜も眠れぬほど憂う人がいたことから「取り越し苦労・無用の心配」を指す言葉として成立したもので、「当レストランで食品偽装が発覚したために客足が途絶え潰れてしまう杞憂がある」みたいな「起こりうる懸念、心配」として使用するのは間違いです。
    「飛檄」も、これと同じ範疇だろうと僕は思うわけです。「檄」なんて漢語は、一般的でもありませんし日本語として練れているとは思えません。

    だから飛檄を激励の意味でつかうのは絶対おかしい、と言い切りたいのですが、やっぱり考えてしまうわけで。日本には故事成語を捻じ曲げた実例が既にあるからです。例えば「折檻」。
    「折檻」という言葉は、古代中国で政治腐敗を見かねた心ある臣下が、死を覚悟して帝王を諫めた故事からきています。その覚悟の進言の際、引きずり出されまいと臣下がしがみついていた欄干が折れてしまうほど必死だったと。「檻」は欄干の意味で「檻を折る」とはすなわち、上の立場の人に対して強く諫めることの意味で成立した言葉です。
    しかしながら、もう既に日本で折檻といえば諫言どころか「厳しく叱りつける」という意味すら飛び越え、懲らしめの体罰を意味することになっています。そう辞書にも載ってます。(→goo辞書)
    「折檻」を児童虐待の暴力行為の意味で使用しても、もう間違いとは言えないでしょう。さすれば「飛檄」も、意味が変わってしまったことをある程度容認せねばならないのか、と。
    忸怩たる思いですが、せめてワシだけは使用しないぞ、と言うだけにとどめようかと思います。ふぅ。

    さて、僕のどこかに残った居心地の悪さを着地させたいのですが。
    つらつら考えると、僕の感情の根底にはどうも「マスコミ(テレビ)主導」の言葉が嫌いだという意識があるのだろうなと思いますね。結局「頑固」「こだわり」が良い意味になったのも、テレビのバラエティ番組で、おいしいものを出すけれども面倒くさい店主が居る飲食店などを美化する目的で出てきた言葉でしょう。そういうのがイヤなんですな。「B級グルメ」「築地でおいしいグルメを探しましょう」のたぐいも、自然発生ではなくマスコミ主導だと思います。
    なんでそういうふうに言葉の方向性を上から変えられなくてはいけないのか。反発心にも似た気持ちが、どこかにあるのだと思います。
    飛檄が「"ゲキ"を飛ばす」になっていったのは、やっぱりスポーツ紙が煽ったからではないでしょうかねぇ。そんなんに乗せられる自分がイヤだから、嫌いなんでしょう。ここまで長く書いてきて、「変貌する日本語」「言葉は生き物」なんて大上段に構えて考えることではなかったような気が、今しています(汗)。
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    | 2013/11/12 | 言葉 | 05:26 | comments(7) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 05:26 | - | - |

    コメント
    凛太郎さんこんにちは。風邪は難儀なことでしたね。我が家も10月から風邪引きでやっと収まってきたところです。
    ところでここでお使いの「忸怩」、容認しなければならないと諦める自分が恥ずかしい、ということですかね。ちょっと意味が取りにくかったものですから。まさか誤用?なわけありませんよね。
    • sho
    • 2013/11/14 9:29 AM
    >shoさん
    お見舞いありがとうございます。カラ咳がまだ残ってます(汗)。
    えーっと忸怩ですか。
    このときの感情を説明するに、気持ちとしては、現在はみんな既に折檻を虐待の意味で用いているわけですから、飛檄を激励的意味で用いるのをとやかく言うのは実に言動に一貫性がない、きまりの悪いことだとまず思います。それは、単に言動不一致を露呈してしまった僕の立場の苦しさ、慚愧だけではなく、その中に悔しさも入り混じった複雑な思い、また無念さも入っているかな。割り切れなさも多少はある。しかし割り切れないと考えるのはまた俺ルールに嵌るわけで問題が多い。うーむ。そういう感じで「忸怩」を使用しています。ワシだけは使用しないぞ、というのは、負け惜しみです。
    僕が「忸怩」と言う場合は、そんな感じですかね。失敗を犯した単純な恥ずかしさだけではない。それに対して歯噛みする口惜しさも加味されている(そんな大層なものではありませんが極端に書けば)。
    ところが、いま辞書を見てみますと、忸怩には恥ずかしい以外の意味は全くありません。そうか。
    ということは、僕のこの「忸怩」のつかい方は誤用です。そりゃ意味がとりにくいわ。そういう意味で書いていませんもの。
    こうして言葉の誤用を題材にして記事を書いているのに、誤用をおかす。これには、内心忸怩たる思いがあります(←このつかいかたが、おそらく正しい)。僕の顔はおそらく今真っ赤ですもんね。
    どうして間違ったか、ということを考えると、難しいのですがそれはもう音の感じに引っ張られていた、としか言いようがないと思います。つまり「檄」が激に引っ張られたのと同じことですね。檄はたまたま昔から知っていた。忸怩は、ちゃんと調べたこともなく思い込んでいた。同じことです。
    同じようなものに、今思いつくだけですが「姑息」「失笑」があると思います。これも、よく間違えられる言葉だと思います。そういえば僕は以前「憮然」を間違えていた記憶が。これもまた恥ずかしい告白ですが。
    ふぅ…。
    しかしshoさんの「まさか誤用?なわけありませんよね」はキツいですなあ。まさか皮肉でおっしゃられたとは思いませんが。
    どうしましょうかね。今はちょっと元気がありませんが、これは懺悔記事を書いたほうがいいでしょうかね。まあその、誤用を槍玉にあげて大上段から書いたような記事ではないつもりなのですが。
    日本語の語彙は無数にあるわけで凛太郎さんも私もそのほんの一部しか知らないでしょう。そして間違って覚えてることだっていくらでもあるでしょう。ですから何も恥じ入ることはありません。却って自分の勘違いを素直に認めることのできる凛太郎さんはたいへん潔い方だと思います。私なんぞすぐ負け惜しみを言ってしまいますから。懺悔記事など書く必要ありませんよ。なんかのついでに「ちょっと間違っちゃたよ、てへぺろ」くらい書いとけばええんちゃいますか。
    と書きながら「おっしゃられた」が気にかかる面倒くさい私です(笑
    • sho
    • 2013/11/14 11:45 PM
    >shoさん
    その二重敬語には、僕の心情が出ていると思ってください。
    僕は、ながいことブログを書いてきて、多くの方々にいろいろなご意見をいただいてきました。中には相当厳しいコメントもありましたし、罵声に近い、中傷に近い書き込みもありました。
    そういうものについては、それはやはりつらい思いもしますしがっかりすることも多い。ですが、いずれも僕が書いたものに対する反応であり、腕まくりして反論を書くときもありますし、謝罪が必要だと思えばあやまります。これらは言葉はおかしいかもしれませんが「やりがい」のある作業であるとも言えます。自分の書いた内容を読んでの反応ですので、好悪はともかく読まれているということを実感させてくれます。
    ですが、こういうのは本当にしんどいのですね。
    ブログは誰に頼まれて書いているわけでもなく、僕のモチベーションは「言いたい欲」「書きたい欲」によって成り立っています。その両方の部分に対し、内容ではなく言葉の誤用で反応されるのは結構な打撃です。
    以前に、確かにつまらない内容だったかもしれませんが書いた記事に対し、「上口蓋」と「頃合の時間」だけを指摘されたときは、もう本当に嫌になりましてね。無力感が生じるのです。自分の書いたものはここまで人の心を動かさないのかと。あれは落ち込んだ記憶があります。
    僕は時々メタブログみたいな記事の中で、どういうことがおこればブログが書けなくなる、継続できなくなるだろうかというシミュレーションを何度もしてきました。そこでは思いつかなかったのですが、おそらく記事内容について全く言及せず言葉のつかいかただけをつき続けられたならば、間違いなく僕は沈没するだろうと。
    「懺悔記事」とか書いているのは、すなわち自分を鼓舞してるのです。無理やり。
    ご指摘ありがとうございました。
    そういうお気持ちだったとは、まったく気が付きませんでした。ごめんなさい。
    • sho
    • 2013/11/15 9:12 AM
    お久しぶりです。
    凜太郎さんが言葉の使いかたについて書かれるたびに、自分はルーズだなぁと反省しきりです。

    ネットで文章を書き始めたSNS時代は、まだ言葉の使いかたに自覚的であろうと思っていました。
    私が知らない誤用はもちろんたくさんあるはずですが、それでも知っているかぎりにおいては誤用すまいと。はやり言葉もできるだけ使わず、ネットスラングなんか死んでも使うか! なんて思ってたもんです。

    しかし、それから数年。
    コンスタントに書いていると、やっぱりどんどんルーズになってくるんですね。
    そもそも、「『正しい日本語』という言葉には傲慢さがある」と強く思っているので、ルーズに流れるのを止められないタイプではあるのです(笑

    とくに、くだけた内容の場合、ルーズな表現が自分でも気持ちよかったりします。「すっげぇおもしろい」とか、日常会話でけっこう使う(ひどいなぁ)ので、文字でも「まあいっかー」と思って使うことがあります。気持ちいいんですよ(笑

    それでも、テーマや内容によっては、「俺ルール」でガチッとした文章を書きたいときはあります。珍しくもマジメなテーマだったり、超フマジメ(←ひどいなぁ)な内容をガチッと書いたらおもしろそうだなぁと思ったりしたときですね。

    しかし…。
    かつて持っていた俺ルールを、今でも守れる自信はまったくない(笑
    文章表現のオレサマ基準がどんどん下がってますわ〜。

    やっぱり、たまには俺ルールを厳守して長文を書き、「いざとなればできる!」という自信を保っとかないとダメかもしれません。
    …というルーズな感想でした(笑

    • 服部堂
    • 2013/12/06 10:30 AM
    >服部堂さん
    おひさしぶりですー。
    これね、なんと申しますか…僕の立場としてはやっぱり服部堂さんと同じく「正しい日本語」という言葉は傲慢だと思っているわけですわ。主観でしかないと。あんたらの子供のときの言葉遣いがひたすら正しいのかと。
    だいたいこの手の話を書き出したのは、「正しい日本語をつかえ」という年長者が当時身近に居て、その人への反発からストレス解消のために記事にした経緯があるわけで。
    その後は「俺ルール」の確認と言いますか、こうやってネットで自分の文章を発信するとどうしても言葉についていろいろ考える、その過程を整理のためもあってネタとして記す感じで書いています。キリないんですけれどもね。
    こういうことを書き出すと無限に長くなりそうなので、そのうち記事にするか(いつ書けるかな^^;)。

    その上で、ブログの文章のことなんですけどねー。
    僕は楽なんですよ。一応、継続しては2つやってるんで(笑)。
    こっちは敬体、もうひとつは常態と区別してますんで、くだけたいときは凛太郎亭で書けばいいんです。確かに気持ちいいんですわな(笑)。そもそもこのブログは日記サイトで書いていたものの延長線上にあって、そのルーツはチャットや掲示板の書き込みにある。メールを打つが如くしゃべるように書く。早いんです。フローだとも思ってますし。まあ最近は出す本数も減ってますので多少はしっかり考えて…とは思っていますが、それでもルーズだと思ってます。
    もうひとつ書いているブログは、それなりに推敲もしたりして。書き終えてすぐアップ、ということもしませんし、時間をかけてる。練る楽しみはそっちで、ルーズなのはこっちで。顔文字もつかいますし(笑)(汗)(驚)(涙)もつかいますよ。ネットスラングも最近はつかいませんがまたつかってもいい。
    ひとつのブログの中でどっちも書くのは、僕なら難しいんじゃないかと思います。整合性の問題もありますしね。
    ただ、服部堂さんの文章は、統一感があって読みやすいので僕は好きですけれども(ちょっと傲慢な物言いですねごめんなさい^^;)。でも、さすが読書家の文章だなと思うんですよ。操っている感じがします。
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