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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    夏の匂い 夏の音

  • 2013.08.16 Friday
  • 暑い暑い。水分補給はしっかりしないと、熱中症になります。
    家では、僕はまず清涼飲料水の類は飲みません。麦茶が最も好きですが、作ってもすぐ飲んでしまって追いつきません。しょうがないので、とりあえず普通の水をよく飲むようにしています。はい、水道水です。1.5ℓのコーラの空きペットボトルに水道水を満たしたものを、冷蔵庫に2、3本は常備していて、それをガブガブ飲みます。レモン果汁を入れるとそこそこ飲めます。
    飲んだとたんにまた汗が吹き出ますな(笑)。

    水を飲みにキッチンに行くと、テーブルにでかいバットが置いてあり、その中にまな板が浸かっています。漂白剤なんですね。除菌しないとこの暑さではねぇ。
    通ると、ふわりと塩素の匂いがします。
    その匂いで、僕は唐突に少年時代を思い出しました。
    この匂いは、夏だ。
    何故そう思ったのか一瞬分かりませんでしたが、夏の学校のプールの匂いと同じなんだ、ということに気がつきます。そうだ。プールの匂いだ。
    塩素の匂いがきっかけで昔のことを思い出す、なんてのは全く情緒もなにもありません。プルーストの「失われた時を求めて」は、ふと食べたマドレーヌの味をきっかけに、子供の頃の夏休みの記憶が鮮やかによみがえります。北杜夫の「幽霊」は、ドビュッシーの「牧神の午後」から、奥底にしまわれていた心の神話がよみがえります。
    それと比べれば、消毒の塩素の匂いが懐かしい、なんてのはあまりといえばあまりです。けれども、ある種この匂いは、少年の頃の夏を象徴しています。

    僕は、京都で生まれ育ちました。ご承知の通り、盆地の夏は暑い。しかも湿度が高い。昔は「夏とはこういうものだ」と思って過ごしていましたが、長じて旅をしたりして、あの盆地の暑さは特別なのだ、ということに遅ればせながら気がつきました。
    例えば北海道が涼しいのは当たり前ですが、九州でさえ僕の生まれた町よりは涼しかった。いや、正確には鹿児島や宮崎の日差しは、確かに強烈に肌を焼きます。けれども、日陰に入るとすっと涼しくなる。気温が下がったわけではないのでしょうが、そう感じます。また吹き渡る風が心地いい。湿度が違うのでしょう。比べて盆地の風は、ねっとりと肌にまとわりつく熱風でした。テーブルに肘をつくと、その接着面がにちゃっとする。糸を引くように。それは不快なものです。
    しかし、学校にも家にも、クーラーというものはありませんでした。自宅にクーラーが付いたのは4年生くらいだったか。貧乏だったのかもしれません。ただ、今ほどダメージを感じなかったのは、自宅も学校も木造だったということがあるでしょうか。

    こういうときには、避暑に出かけるのが常道です。高原に別荘などない庶民は、水辺を求めます。海が近くにない内陸なので、やっぱりプールということになります。
    薄い記憶になりますが、僕が小学校に上がる前の幼児だった頃、我が家にビニールプールがやってきました。あまりに暑いので両親が子供達に涼を与えようと思ったのでしょう。
    家に風呂があれば水を張って…というところでしょうが、あいにく我が家に風呂はありません。勝手口横の三和土(そう言っていいのか…土間ではなく外です)に洗濯機が置いてあり、外の水場はそこだけでしたので、その脇にプールを設置しました。
    洗濯機が家屋の外にある、というだけで古い感じがしますが、記憶を辿ればそれは脱水機のない一槽式でした。傍にローラーが付いていて、それで絞るんです。こんなのもう民族資料館とか行かないとないでしょう。40何年か前は、そうだったのですね。それどころか、洗濯板もまだ現役だった気がします。
    記憶を辿って洗濯機と比較するに、直径1mあまりの小さなプールだったはずです。そんなのしか置くスペースがなかったはず。その小さなプールに兄妹3人が入って、バシャバシャ水の掛け合いをしていました。相当に狭かったはずですが、ぎゅうぎゅう詰めの印象はないな。まだ本当に小さかったのですね。

    小学校に進学しますと、プールがありました。
    このプールは、竣工したてでした。昭和40年代後半。それまでは、学校にプールってなかったのでしょうかね。
    僕は、さほど運動神経がいいほうじゃなかったと思いますが、泳ぐのは何故か得意でした。当時は身体も大きいほうでしたし、皆がビート板でバタ足をしていたときにもうクロールでスイスイと泳げました。25m競泳はクラスでいちばん速かったのではなかったでしょうか。ドッジボールではおミソだった僕も、ここではヒーローになれました。スイミングスクールに通っていた隣のクラスのヤローに勝った憶えもあります。
    ああいう栄光は、その後あまり記憶にありません。

    夏休みに入っても、学校はプールを開放していました。児童は1000人以上もいましたし、どういうローテーションになっていたのかはわからないのですが、毎日のように通っていた気がします。塩素のため、いつも目が真っ赤でした。当時はゴーグルなんてものはなく、水中眼鏡は危険なので禁止されていたと思います。僕は水泳は得意でも目を洗うのは不得手で、眼球に水を直接当てることがなかなか出来ずに当てたふりをいつもしていたような記憶があります。今でも目薬を入れるのは苦手なので、その方面はあまり成長していないのだなと。コンタクトなんて絶対に無理ですな。
    そうして、背中を真っ黒にしていた夏休みでした。
    そんなことが、消毒の塩素の匂いからフラッシュバックしたのです。

    「夏の音」というのは、比較的身近に思い出されるものではないでしょうか。まず筆頭は、蝉の声でしょう。
    昔こんな幼稚な記事を書いたことがありましたが、この記事を書いてから9年、うちのまわりはあの頃にも増して土を見なくなりました。しかし、蝉は相変わらず鳴いている。実に不思議です。
    ただ、蝉の声は画一化しているようには思えます。アブラ蝉一択かな。これは、環境の変化もあるでしょうが気象状況も影響しているのかもしれません。
    お盆を過ぎると、昔僕が住んでいた町ではツクツクボウシが鳴き始めました。あれは、もう夏休みも後半に入った合図でもあります。あの声には、その寂しさがありました。ヒグラシやニイニイゼミも含めて、そういう蝉の声はもう郷愁の音になったような気がします。
    人それぞれに、思い出される夏の音があると思います。風鈴、打ち寄せる波、打ち上げ花火のドンという音、盆踊りの歓声など様々でしょう。僕が、塩素の匂いから連想を繋いで思い出した音は、地蔵盆の御詠歌でした。
    地域によっては、地蔵盆を知らない、という方もおられるかもしれません(wikipedia)。
    僕にとっては、もう郷愁の行事です。子供の頃は、楽しみに待っていました。
    数珠回しにはじまり、福引やスイカ割り。お菓子ももらえます。近所の子供は全員集合して、日がな一日出たり入ったりしながら遊んでいました。
    夕刻になると、どこから出てきたのかばあさんたちが三々五々集まってきます。町内にこんなに老人がいたのか、と思うほど。そして、鈴を鳴らし鉦鼓を叩き、御詠歌が始まるのです。子供だった僕らは、それを聴きつつ、何か神秘的なものを感じていたようにも思います。とにかく、耳について離れない音色です。
    あのばあさんたちも、みんなもうこの世にいないでしょう。

    他にもいくつも思い出す音や匂いがあります。例えば、花火の火薬の匂い。
    そういえば、花火をしなくなってどれくらい経つでしょうか。こういうのは全て、子供がいれば追体験をするのでしょうが、我が家は妻と二人だけの家族なので縁がなくなって久しいのです。
    虫を飼ったりすることも、もう遠い追憶の話です。カブト虫やクワガタ。黒砂糖をみりんで溶き、それを呼び餌として、捕まえに行きました。後半になるとコウロギやスズムシ。こんなのは、近所に居ました。
    記憶に残る虫の匂いは、虫そのものというよりも、餌として与えたキュウリやスイカの皮の匂いなんでしょう。あまりいい匂いとはいえないと思いますが、あれもまた子供の頃の夏の匂いです。

    いろんな匂いが、いろんな音がありました。
    今、あの頃と同じ匂いを感じるとすれば、それは焦げたアスファルトの匂いでしょうか。でも、それすらも少年の頃とは違うような気もします。もちろんそれは多分に勘違いで、昔と同じなんだろうとは思いますが、思い出が加味されたものではありません。
    もう、プールになども相当しばらく行ってません。最後に泳いだのがいつだったかの記憶すらあいまいです。今は日焼けも、顔と肘から下だけ。もちろん、今背中を焼いたりしたら大騒ぎでしょうけれども、あの痛い日焼けとボロボロめくれた皮は、黄金色した日々の証明だったような気がしています。
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    | 2013/08/16 | 随感 | 06:55 | comments(2) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 06:55 | - | - |

    コメント
    アスファルトつながりで言えば、私の夏のイメージの一つはアスファルトの上で干からびたミミズ、ですね。
    まさに背中の剥けてる最中の40代です。おー、ヒリヒリ。
    • sho
    • 2013/08/18 2:39 PM
    >shoさん
    背中が焼けているとは、青春ですなあ。それに比べ腕だけ焼けている40代の僕のテイタラクといったらもう…。
    干からびたミミズさんは、そういえば昔はよくみましたね。最近干からびてないミミズさんも見なくなって久しいような。
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