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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    鳴尾小学校の旧正門

  • 2013.08.04 Sunday
  •  暑いですね…という挨拶を、いったい何ヶ月続けなければならないのでしょうか。・・・( ̄  ̄;)

      

     えー、中津墓地です。臨港線と中津浜線の交差点下り西側。今はコンビニの裏です。お盆にお墓参りされる方々も多いでしょう。
     僕は墓地に興味があって(そう書くと眉をひそめる方も多いのですが)、通りかかるとつい寄ってしまいます。(^▽^;) ここ中津墓地にも江戸時代のかなり古い墓石がたくさんあって、金石文好きには興味が尽きないのですが…。
     その中津墓地、塀に囲まれ、入り口に立派な門柱があります。

     墓地にこんな背の高い門があるのは珍しい気もします。裏へまわりますと、「昭和六年七月建之」と刻まれています。

     
     
     これは、以前にも確認していました。中津墓地は戦前に整備されたのだな、程度にしか思っていなかったのですが…。

     先日「宮っ子」Web版のバックナンバーを読んでいて驚きました。この門柱は、旧鳴尾小学校のものを移築したものだったのです。(ノ゚゚)ノびっくり!!
     →地域版「なるおの文化探訪 」1987年12月
     記事をご覧いただければわかりますが、確かに旧鳴尾小学校の門柱とみていいと思われます。

     鳴尾小学校の歴史は古い。以前ブログで言及したことがありますが(→西宮市の成立:ちょっと歴史っぽい西宮)、明治5年に学制が公布された翌年に、西方寺を仮校舎として発足しています。これは、西宮市内でも屈指です。
     のち乗誓寺、西光寺で分散授業によって運営されたのち、明治18年に一拠点化して校舎を建てます。それは、乗誓寺の南あたりに存在しました。お寺がいくつも出てきますのでずいぶん移動したみたいですが、全て「Jダーツ倶楽部」から見える範囲内ですね。
     明治27年、西方寺の西へ移転します。

     
     
     現在の鳴尾支所の位置になります。鳴尾小はここに昭和5年までありました。
     鳴尾村は大正時代に、枝川廃川や甲子園球場建設などの大きな動きがあり、それを受けて村では区画整理事業がなされました。そうして、昭和5年秋に小学校も現在地に移転することになったのです。
     中津墓地の門柱には「昭和六年」と刻まれており、時期的には合致します。

     さて、こちらは浜脇小学校です。

     
     
     現在まで残っている西宮最古の小学校は浜脇小ですが、ここには明治33年の門柱が残されています。パネルを付けて顕彰されています。
     この中津墓地に残る旧鳴尾小の門柱が、明治27年移転以来のものであったならば、浜脇小の門柱より古いということになります。

     ただ、その証明は難しいのです(汗)。宮っ子に載せられていた写真は、大正期のものだと推測されています。鳴尾村誌などにも同じ写真が掲載されています。
     「鳴尾小学校百二十年のあゆみ(同窓会編)」によりますと、明治27年移転のとき(現鳴尾支所位置)、門は南側に設けられました。その門の位置は、昭和5年まで変わらなかったようです。ただし初期は門をはいってすぐに校舎がありました。そして明治41年に校舎は北へ移動し、門を入って直ぐは運動場になりました。
     その後明治45年、大正9年と校舎は増改築され、校域は広がって現在の43号線上まで及んだのですが、あの写真は門と校舎の間に運動場があるため、明治41年をさかのぼれないのです。
     したがって、浜脇小の明治33年より古いか、とは証明できません。ただ、移転して昭和5年まで36年間、玄関門柱なんてそんなにしばしば取り替えるものではありませんから、おそらく明治27年以来のものだと思いますけれどもね。
     しかし何ともわかりません。学校関係の方なら調べることは可能だと思いますが。

     森繁久彌さんは、たぶんこの門を通ったはずですね。森繁さんが鳴尾村西畑に越してきたのは大正6年、以来6年生のとき大阪堂島小へ転校するまで、鳴尾小に通われたはずです。

     現在の鳴尾小の門です。

     
     
     鳴尾小は、平成に大改築があったようです。墓地の門柱を仮に初代とすれば、現在の門は三代目ということになります。意匠的に門柱と呼べるものは、もうありませんね。

     
     
     昭和5年以来の二代目門柱は、小学校内に保存されています。この門柱は、昭和5年から平成まで、長きにわたりました。懐かしいと思われる方もおられるのではないでしょうか。

     再び中津墓地です。
     
     
     
     門以外に、この塀も確かに昭和初期のものとすれば、モダンですね。阪神間モダニズムは墓地にも及んだか(笑)。それはともかく宮っ子には「へいもどこからか運んでこられた」との証言もあります。
     それがどこからか、ということを調べるのは、難しすぎますけれども。(-_-;ウーン


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    | 2013/08/04 | 西宮流 | 09:48 | comments(1) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 09:48 | - | - |

    コメント
    中津墓地の塀も鳴尾小学校から運んだものと思います。幸醤樓の裏に今もわずかに残っている小学校の塀と同じものに見えます。
    • 昭和3X年卒業生
    • 2020/03/11 7:38 PM
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    通りすがり・暇人・名無しなどの呼びかけにくいHNはご遠慮下さい








       
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