これを書いている今から約3年前の2010年に
「からい」と「しょっぱい」という記事を書きました。
この記事、おかげさまで今でも継続してアクセスがあります。「からい」文化と「しょっぱい」文化の軋轢に悩んでいる人が多いのでしょうか。ただ、アクセスはあると言っても長大な記事なので読まれているのかどうかはわかりませんけど。
これは、その続編になります。その前に前回記事の骨子を。
味覚において塩分の強い味の事を西日本ではおもに「からい」、東日本ではおもに「しょっぱい」と表現する。東日本で「からい」は舌にピリリとくる刺激だけを示す。
もともとは、日本語は塩味を「からい」と表現したと考える。それは、塩味は味覚の根幹であり「あまい」同様短い言葉で表されていたはず、という推測から。
中世以降、唐辛子等が日本に入ってきて「ピリ辛」的味が広まった。そのため、それまで山椒などの刺激を「疼(ひひ)く」などと表現していた日本でも形容詞が必要となり、ただ言葉がなかったためにそれに従来塩味を示す「からい」を充てたのではないか。
のちに刺激の「からい」を使用する機会が増え、塩味の「からい」と混同することになったため、新たに「しおはゆい(塩映ゆい)」という言葉が出来た。それが訛って「しょっぱい」となった。
しかし従来の塩味の「からい」ももちろん駆逐されず残った。だがそれは主として西日本で使用され、東日本は後発の「しょっぱい」に席巻された。
したがって、塩味を「からい」と表現するのは、古来よりの日本語表現であり、間違いではない。だから関東人はワシらをバカにするな。
骨子といいながら長いのですが(汗)、こんな感じで。
ただ前回記事は、アタマにきて勢いで書いたため多くは個人的推測なのですよ。別に勉強したわけじゃない。自己正当化のために必死でひねくりだした屁理屈みたいな感じです。もちろん言語学者じゃないんですから文献あさったりは無理ですけど、もう少しちゃんと調べないといけないなとは思っていました。
最近、これについてまた気になりだしたのでもう一度書いてみようと思います。
気になったのは、まず日本酒の「からくち」です。
酒の味については、日本酒に限らずよく「甘口」「辛口」と表現します。その「からくち」とはどういう意味でそう言っているのか、ということなんですが。
酒の中に塩が入っていたり唐辛子が入っているわけではありませんから、酒の場合の「からくち」は、「甘くない」という意味で使用しているのではないか、とまずは考えます。
「あまくない=からい」ということ。
その逆パターンとして、塩鮭やタラコなど塩蔵品の塩加減が薄い場合「甘塩」と言いますよね。もちろん砂糖を加えて味付けしているわけではありませんから、やはり「からくない=あまい」ということです。
このことは「あまい」「からい」という言葉が完全に対になっていることを示します。反対語です。
さらにあまいの対義語がそもそも「しょっぱい」ではなかったということも、このことに限っては言えると思います。
そしてからくちに「辛口」という漢字を当てたのは、そんなに古くないのではないかと思っていました。「辛」という漢字はピリ辛の意味ですから、これが混同されてきた中世以降ではないかと。
そんなふうに考えて、理解してきました。
さて。
先日より日本酒のルーツについて興味がわき、いろいろ調べていたのです。それについては別ブログで書いたのですが、その中で、酒の「からくち」については気になる史料が出てきましてね。
古代の酒については「古事記」「日本書紀」とも、ヤマタノオロチを酔っ払わせた酒に始まっていろんな記述があるわけですが、その中で日本書紀の第12代景行天皇のときの話です。
景行天皇は九州征伐を敢行した際、敵の大将である熊襲八十梟帥の娘を誘い出し、甘い言葉で籠絡します。恋に落ちた娘は天皇のために、父親に酒をたっぷり飲ませて寝させ、天皇軍を手引きします。その大将は泥酔中に討たれ、また娘も殺されるというヒドい話なのですが、その酒を飲ませる場面の原文は「以多設
醇酒 令飮己父 乃醉而寐之」です。酒は、醇酒と表現されています。
熊襲ですから九州男児であり、それを酔って潰す酒ですから、醇酒は強かったのでしょう。
この醇酒ですが、引用したとおり日本書紀は漢文で書かれているため、その訓法については昔からさまざまに解釈され読まれているわけです。「日本書紀私記」「釈日本紀」など注釈本は歴々ですが、どうも「醇酒」は古来より「からきさけ」と訓じられているようです。
「醇」の意味は「濃い酒」であり(「大漢和辞典」大修館)、これは例えばねっとりとした濃度のことではなく、アルコール度数が高い、つまり強い酒を示しているということは、九州男児を酔い潰した酒に当てられていることからもわかります。
アルコール度数の高い酒が、からい。
酒の「からくち」については「あまくない=からい」なのではないか、と前述しました。現在の日本酒のアルコール度数はだいたい16度で(旧酒税法の影響)、どれもほぼ同じです。その中であまいからいを言っているわけで、酒の中のアルコール含有量は関係ありません。
しかしこの事例からは、あまいあまくないではなく、度数の強い酒が「からい酒」である、と古代の人は考えていた可能性が浮かびます。うーむ。
酒の味と酒の強さは、別のもののはずです。しかしもう少し考えます。
日本書紀が編纂された奈良時代は、酒はかなり甘いものが多かったようです。
「酒づくり談義(柳生健吉著)」で勉強しましたが、奈良時代には酒を薬として病人に配給した記録もあるくらいで、酒は酔うためよりも養生のため、栄養補給のためと考えられていたふしもあるようです。「薬分酒」と文献に残ります。その酒は、酔うためではなく糖分を摂取させるために用いられていたのです。
と言いますか、甘い酒にはアルコールが少ないんです。だから病人に飲ませても大丈夫だったと。
酒の醸造とは、甘い液体(ブドウ果汁や麦芽糖液や米を麹で糖化した甘酒)に酵母を働かせてアルコールを発生させることです。酵母菌は糖分を食べてアルコールと炭酸ガスを出します。
つまり、糖分含有量とアルコール度数は、反比例の関係になります。
糖分のほとんどがアルコールになれば度数は高くなりますが甘みは減ります。まだ糖分が一部しかアルコールに変わっていないうちに飲めば、度数は低いが糖分が多く残っているため当然甘い酒になるのです。
つまり、甘い酒はアルコール含有量が少ない。アルコールの多い強い酒は、甘くない。当時はそういう単純な図式でした。甘くて度数の高い酒など作れなかったのです。
したがって「あまくない=アルコール度数が高い=からい」であれば、まだ僕の前提は生きているともいえます。強い酒は、必然的に甘くなかった。だから「醇酒(からきさけ)」と呼ばれた。
ところがですよ。
参考にした「酒づくり談義(柳生健吉著)」にある古文書が載っていました。ちょっと孫引きさせていただきます。
天平宝字六年造石山寺所符
雇工雇夫等酒給法、更レ云ニ司工并仕丁等一。
右、辛酒一升買、水四合和合、二箇日間一度給、人別三合
(大日本古文書五巻七十頁)
天平宝字六年というのは762年です。奈良時代ですね。このとき既に「辛」の字が当てられています。うひゃあ。
柳生氏はこの文書について、
「一升の酒に水四合を加えて飲ませたのである。ひどい仕打ちの酒を飲ませたものと思われようが、当時の酒は、それほど濃厚な酒であったことがわかる。そのため特に『辛酒』即ちアルコール分の多い酒を選んだのである」
と解説されています。うーむ。
当時は甘い酒が多かったと書きました。醸造技術の問題か、そんなにアルコール醗酵がうまく進められなかったのかもしれません。また当時は砂糖もなく、その甘みも喜ばれ養生のためにも用いられたのでしょう。
しかし当時は醗酵を止める「火入れ」という技術はなく、放置しておけば夏などは醗酵が勝手に進んでしまいアルコール度数が高くなることもあったかも。そういうのを「辛酒」と言ったのかもしれません。
この「辛酒」は当時、どう読んだかはわかりません。訓ずれば「からさけ」「からきさけ」だったかもしれませんが、振り仮名もなく確実なことはわかりません。それはともかくこの「辛」という漢字が重要です。
アルコール度数が高い=甘くない酒、というのは、前述の通り確かなんですが、「醇」などではなく「辛」という字で表現しているということは、これは「甘くない」という意味とは違うかもしれないなぁ…。
「辛」という字は、象形文字です。入墨の刑に使われる鋭い刃物の形。そこから、舌を刺すようなピリピリした感覚の意味が出てきているわけです。
この「辛」は「甘くない」「濃い」ではなく、やっぱり感覚でしょうねぇ…。
アルコールというもの自体は、どんな味なのか。僕はエタノールを生のまま飲んだことなどありませんからよくわからないのですが、純度が高くなれば無味無臭になるという意見もありますし、いやアルコール自体には甘みがあるという話もききます。
ですが、そんな味なんて多分わかんないでしょう。それほど、アルコールの刺激は強いのです。
僕は70度を超える泡盛原酒、またウォッカをストレートで飲んだ経験ならありますが、むせかえってしまいました(汗)。舌にはピリピリとした刺激が残ります。そりゃ本当はうまい(甘い)のかもしれませんが、これじゃ普通の人はよくわかんないよ。いかに上等の出汁を用いた料理でも唐辛子を山ほど入れれば味がわからなくなるのと同様に、アルコールの刺激が舌をバカにしてしまいます。僕の経験からわかることは、純度の高いアルコールを口に入れればおそらく味よりも口中への刺激が先にきます(大酒豪は別かもしれませんが)。
古代は蒸留酒などありません。けれども、普段はアルコール度数の低い甘い酒を口にしていたひとが、多少度数の高い酒を口にすると、嚥下時の喉が焼ける感覚と同時に、口中にもそれまでになかったピリッとした刺激を感じるのではないでしょうか。
それはまさに「辛」で表される刺激だったかもしれません。
日本書紀も天平宝字の古文書も8世紀。この同時代に、アルコール度数の高い酒を「醇酒」「辛酒」と記していた。醇は「からい」と訓じていた可能性が高い。辛の当時の読みはわからないが現在ではからいと読んでいる。甘い甘くないではなくアルコールのピリピリした刺激を、8世紀の日本ではもしかしたら「からい」と表現していた可能性が強いのではないか。
これでは、僕の説がひっくり返るわけです。うーむこれは。
もちろんこれで「しょっぱい」が正しいという話にはなりませんよ。しょっぱいは複合語であり新しい言葉だという話はゆるぎませんが、「辛い」は中世以降に当てられた漢字ではないですね。古代からそうなんだ。
そして、ピリピリした刺激は中世に唐辛子が入ってきてから「からい」と言葉の援用で遣われたものじゃない。もっと以前から、そういう意味も持っていた、と。
とりあえずここで、前回の説は訂正します。ごめんなさい。m(_ _;)m
これは、もう少し考えないといけません。ですがこれ以上は、素人である僕には無理です。勉強しなければ。
ということで、次回に続く。
凜太郎さんの思慮が深すぎて、しかも、なるだけしっかり「裏をとろう」とする姿勢が感じられすぎて、滅多滅多とコメントが出来ないのですが…(+_+)
日本酒度の高い酒を辛口、というけれど、私にはこの「日本酒度」というのが、よく分かっていない。
アルコールは水より軽いから、比重で分けているのだとすれば、日本酒度が高いというのは、アルコールの割合が多いということになるけど、かといって、たいていの日本酒って、アルコール度数16度とか、そんなに大差ないし。
この古文書のお酒って、原料は何だったんだろう。この頃は、米って、すごく貴重だったんじゃないか、と思うと、他のいろんなものも混ぜてあるの?なんて勘ぐってしまう。
うーん、ここまで書いて、やっぱりまだまだ 自分の中でもまとまってないことを再確認。とても、コメント欄に書ききれるようなコンパクトな結論に至りそうにない。
ただ、読んだよ、という足跡を残す意味で、とりあえず、送信します。ごめんなさい。