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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    消えてゆく史跡

  • 2012.10.14 Sunday
  • 唐突な話で恐縮なんですけれども、神戸の勝海舟寓居跡が無くなっていたのですよ。

    僕は土曜日、神戸で所用がありまして。場所は三宮でしたが、それは予定通り午前中で終了。午後からはフリーであったため、歩いて大倉山にある神戸市中央図書館に向かいました。少し調べたいことがありましたので。
    三宮から徒歩で行くのにはちょっと時間がかかる場所であり、通常は地下鉄に乗るのですが、ウォーキングも兼ねましてね。私的な移動には、とにかく歩くことにしています。健康のため、と言いますとおっさんくさいのですが、昼に誘惑に負けてつい吉兵衛のカツどんを食べてしまったのですよ(汗)。なので、歩け歩け。
    元町商店街をぶらぶらと西へ。アーケードが尽きたら、もうそこは中央区と兵庫区の境。少し北上すれば、大倉山公園があります。この園内に、図書館が併設されています。
    大倉山公園は総面積約8haというかなり広い公園ですが、その名前からも連想できるように、かつてはあの大倉財閥を一代で築き上げた大倉喜八郎の別邸でした。園内に初代兵庫県知事伊藤博文の銅像があり(もっとも戦争中に供出され現在は台座のみ)、政商として鳴らした大倉と政治家との繋がりが想像できます。

    図書館でいろいろ調べものをした後、まだ日があったので、もう少し歩いてみることに。このあたりも久しぶりなので、さらに北上して平野町方面へゆくことにしました。そこには、生島四郎大夫別邸跡があります。一般的には、勝海舟寓居跡ですね。
    神戸の発展は、いろいろなことに目を瞑って端折り面白く言えば、勝海舟が海軍操練所をこの地で開設したことから始まった、という言い方も可能です。それまでの神戸村は、奈良時代から「大輪田泊」として栄え、平清盛や北前船などの華々しい歴史を持つ兵庫津と比べれば寒村と言ってもよい場所でした。後に開港場とされ居留地も設置されどんどん発展してゆく神戸ですが、その嚆矢は勝海舟が良港として目をつけたことに始まります(繰り返しますが端折れば)。
    なので、勝のとっつぁんは神戸ではよく顕彰されています。龍馬はんの師匠、ということもあって人気があることも寄与しているのでしょうか。西宮砲台を役立たずと言って笑う僕の住む街とはずいぶんと扱いが違う、と思ってきました。
    神戸は、坂の町です。北へゆく道はすべて山に通じ、上りです。上りというより登りと書いたほうが良いような道も存在します。なかなかキツいのですが、帰りは下りですので安心です(笑)。
    勝海舟寓居跡は、かつての街道沿いにあるはずです。道は狭いのですが風情があります。明治以前のむかしに思いを馳せるのにふさわしい。そうして、寓居跡までやってきたはずでした。ところが。

    あれ、ない???

    僕は道を間違えたかと思いました。ここへ来るのは、かれこれ4、5年ぶりくらいです。
    しかし、まわりの情景は僕の記憶と一致しています。まさに「狐につままれた」ような思いのまま、近くの祇園神社にも参詣しようと思っていたことも忘れ、当惑したまま坂を下りました。
    そのまま僕は西元町までやってきて、めちゃ安くてうまい肉を食わせるえびすやでビールとマッコリをチャンポンで呑んで悪酔い加減となって西宮に戻りました。

    翌朝。いくら阿呆の僕だって、そこで何が行われたのかの推測はつきます。取り壊されたのだ。
    検索してみますと、こちらの記事にめぐりあえました。→海猫の写真日記:勝海舟寓居跡解体
    現在までのところ、この件に関してはこの記事を書かれたMarinecaTさんが孤軍奮闘されてらっしゃる様子です。解体からまだ半年、Web上ではまだまだ勝海舟寓居跡は生きている感じです。神戸新聞を購読していない僕などはMarinecaTさんがいらっしゃらなければ、当局に問い合わせでもしなければ事情がわからないところでした。ありがとうございました。

    史跡とは、文化財とはいったい何なのか、ということが今も整理できずにあたまを廻ります。
    これに類したことは、僕も何度も経験しています。行ってみたら史跡が消えていた、移動していた、姿を変えていた、いくらでもあることです。
    現に僕は、西宮砲台の修復に賛成しています。
    例えば、西宮では北口の公園が姿を変えて涼宮ハルヒファンが嘆いていた情景を思い出します。しかしハルヒのときと今回のことを比較したら、人々の温度差がかなりあるような気がします。あっちのほうが話題になっていたな。僕にしてみれば、生島四郎大夫別邸解体は、タリバンがバーミヤン遺跡を爆破破壊したときよりも衝撃は強かったというのに。…そこで、結局は人それぞれの思い入れによってものの価値を決めていることに気がつくのです。史跡や文化財、あるいは最近の言葉で言えば「聖地」に類したものは、法的なことを除き情緒的に言えば、人々の思いによってその価値が決まるのです。利潤を生み出すものでなければ。
    しかし、まだ釈然としないものが残ります。
    街は更新を続ける、ということは、自分がやっていた西宮の歴史散策サイトでも痛感していることです。それはわかってるんだ。だから、もうあとは愚痴になってしまいます。民度とか、そういう言葉を遣えば誰かに張り倒されてしまいます。信長の所業や廃仏毀釈のことを思えば…と言えばまた馬鹿かと言われます。結局は価値観なのだから。
    ただ、思い出は大切にしたいという気持ちは今も変わらずに僕は持っています。人生はつまるところ追憶の集積であるのだから、断捨離なんて言葉はどうも好きになれず。それをもっと広範囲に広げると、歴史というものは結局人々の追憶の集合体であり…これも違うな。屁理屈でしかない。
    で、僕は今、この思いをどう押し込めていくかの結論が出せずにいます。ただ、個人的に残念だというだけです。考え方がまとまればまた書くかもしれませんが、今日はまた酒を呑もうと思います(今朝二日酔いだったくせに)。

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    | 2012/10/14 | 雑感 | 15:47 | comments(8) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 15:47 | - | - |

    コメント
    凜太郎さん

    うーん。
    私も、ものすごく凜太郎さんの気持ち、分かる気がするのですが、言葉が出ない…。
    例えば、個人の小さな力でも、同感する人を集めて、しかるべきところに訴えて行けば、もしかしたら叶うものも あるかもしれない。
    でも、問題は、そういう、目先の1つ1つじゃないんですよね。
    結局、人生が歩んできた過去の集積だとすれば、人間=「意識」であることになると思うのです。
    その「意識」なり、人間というのが、時間の流れの中で、いかにちっぽけなものであるか、そこに辿り着いてしまう。
    それを分かっていつつ、心の中で抗い続ける…すなわち、自分の中には残しておく…しか、ないのかなぁ…。
    中途半端なコメントでごめんね。
    言葉が出ないんだ。
    >よぴちさん
    いやすみません。今回は僕だって言葉が出なかったわけで。わかりにくい話で申し訳ない。感情の押し込め所を見出せなかったんです。
    史跡とは、文化財とは、景観とは何かと言えば、情緒的には「思い」だの何だのと僕も言いますが、そういう感情を排除すれば法で守られているものだけを指します。指定がないものは、囲いがないものは、それは確かに遺物ではあるにせよ更新の対象となることに抗えない。ましてや個人所有であるのならば。
    あとは、もう感情論の世界で。
    難しいところなのですよ。今回は、宅地開発で消えたのです。だから、余計気持ちの持って行きどころがないのでしょうか。以前、能古島の壇一雄の終の棲家が消えた話を書きましたが、あのときと本来は同じ事のはずなのです。ですが、あれは太郎さんが立て替えて自らも父と同じようにこの地で老後を、と考えた結果ですから何となしに納得してしまいました。この違いを説明すれば、不動産屋憎しということになってしまいます。僕はそんなことが言いたかったのか? と自問し、また袋小路に入るのです。
    人間=意識であるというお話もよくわかるのです。その意識というものが歴史を作っているとすれば、それは星の瞬きからみればごく小さなものですが、ある意味巨大な意識の集合体であるわけです。そこに、僕も参加しているはずなんです。けれども僕の意識とは無関係にことが進んでゆく。個はさらにちっぽけだなあと。
    うーんやっぱり言葉を重ねているようで中身がないなぁ(汗)。ごめんなさい。
    当ブログにお越しくださりさらには記事の紹介までしてくださりありがとうございました。
    改めて自分の記事を読んでみましたが、渦巻く感情を上手く表現出来ず感情的な文となっていることをお詫びしたいと思います。
    半年経つのにまだ上手く文章に出来ません。
    「虚しさ」「寂しさ」「歴史の中に消えていくものへの無力感」・・・そう言ったものが複雑に絡み合っているからかもしれません。

    あれから半年、まだまだ「勝海舟寓居跡解体」について触れているブログはそれほど多くないように見られます。
    これから増えるのか、それとも「生島四郎別邸跡」は「どこにあるのかわからない幻の場所」として消えてしまうのかわかりませんが、「かつて存在し、そしてこうして消えていった史跡」の証としての一つとして何か出来ればと思いました。
    「史跡」が目の前で壊されていく、消えていくという経験は初めてだったので本当に驚きました。
    この記事を何度も読ませていただき、改めて考えました。
    これからも街は、日本という国は、「破壊」と「創造」で変わっていくのだと思いますがその過程で壊され消えていくものへのこの思いをいつまでも忘れないようにしたいです。
    そして一つでも多く後世へ遺せればと思います。
    その「場所」自体に意味があるのではなく、その場所への人々の「想い」に意味があるのだと信じています。
    凜太郎さん

    わかる。
    思いは、分かっているつもりです。
    ただ、私も言葉が出ない。でも、同じような気持ち。
    「個」は、ちっぽけ。
    でも、抗いながら生きていきます。
    >海猫さん
    わざわざお越しいただいて恐縮です。このたびは本当にお世話になりました。
    あの記事は、素晴らしいと思います。ご謙遜されておられますが、刻々と世の中から消えていくあの別邸を精緻に記録されておられますし、その使命感すら感じられる思いには感動致しました。またそれに対し感情を抑えつつしっかりと自らの考え方を述べられておられ、僕には胸に迫るものが残りました。いつまでも残していただきたい挽歌だと思います。
    僕の検索能力もありますが、確かにこの寓居跡解体についてWeb上で述べられているものは少ない。僕は「孤軍奮闘」と書いてしまいましたが、まさにそんな感じがします。騒ぎにならないものだとすれば、それだけの史跡であったのか、とも一瞬思いまた、いや史跡というものはそういう知名度で推し量るものではないという反論が生じ、結局堂々巡りです。ですが海猫さんの記事は、あの史跡の終焉を記録されたものとして、大変貴重なものだと本当に思います。あの場所に勝海舟が本当に居たのかどうかは別として、あの地で思いを馳せた多くの人たちが僕のみならず存在するはずです。そんな人たちにとって、あの記事は最期の記念碑です。書いていただいて、本当にありがとうございました。
    >よぴちさん
    まあしかしそのちっぽけな個でも、夜空を見上げれば何万何億年前の光を感知することが出来るわけですから、結構悠久な存在でもありますね。
    詭弁のような気もしますが、抗うために少し強引に考えてみます。
     残念ながら、無くなっていきますね。国鉄有馬線の記事がありましたが、パイパス工事で貴重な橋脚が取り壊されてしまいました。
     また、有馬駅前の機関車用の水タンクの基礎も撤去されてしまいました。
     機関庫(正式には停泊所)跡の空き地(保養所跡)は隣の病院も転居したのでいつまでそのままかわからなくなりました。
     私が1983年頃に探検した時は、犬釘や枕木が残ってたのですが、こうやって消えていくのでしょうね。
    >こういちさん
    あの有馬線の橋脚は「史跡」の部類に入るものだと思っていたのですが、残念でしたね。何でも残せと声高に叫ぶつもりもありませんし、街が停滞すると言われれば一言もありませんが…難しいところです。不要な工事もあるような気はするのですがね…。
    1983年頃ですか。その頃であれば、いろいろなものがあったでしょうね。
    今はこういう時代になって、僕みたいなフツーの人間でもこうして世間に向けて文章が発表できる世の中です。そんな中で、土地の記憶みたいなものは、書き残しておこうかなと思います。
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