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    西宮砲台2 大村利一氏が描写する砲台の話

  • 2012.04.23 Monday
  •  seitaroさんは、西宮流ブログにおいて、実に精緻な筆致で西宮文学散歩を綴られている方です。僕の知る限り現在のところ、これを超える西宮文学散歩はありません。南野武衛氏の正統な後継者ではないでしょうか。圧倒的な読書量を基に日々執筆されています。
     そのseitaroさんが、先日西宮砲台について言及されました。記事はこちらです。→阪急沿線文学散歩〜西宮砲台
     その中で、seitaroさんは大村利一氏の「西宮物語」から引用されています。その引用文を読んで、僕は引っくり返りました。
     大砲なんていうが、台場の銃眼から砲先が出ているだけで、実は弾がなかったらしい。それでお寺の釣鐘を台場の中に釣下げて、グワンと釣鐘を鳴らすと、銃眼からバケツに入れた灰を放り投げたというのが御維新時代の実情だったらしい。
     僕は不勉強で「西宮物語」という書籍の存在を全く知らず、大村利一氏のことも存じ上げていませんでした。しかし、この内容は大変なことです。
     西宮砲台は、実戦では全く使用されずに終わったことになっています。これはもちろん歴史的に見て、攘夷戦争を幕府が行わなかったことから自明のことと考えられますし、公式の記録も伝わっていません(史料散逸の可能性もありますが考えにくいことです)。
     そして試射については、吉井良秀氏の「老の思ひ出」に、市井の人が見た記憶として「室内煙充満、砲手涙目」と書かれているのみです。
     しかし、「西宮物語」には、実戦に使用された事が書かれています。しかも「弾なく銅鐘を鳴らしそれを発射音と誤魔化し、砲門から灰を投げた」というとんでもない状況が。
     これが史実であるならば。
     僕はこれまで、「砲台無用の長物論」を見直すべきではないか、と主張してきました。ですがこのテイタラクでは、砲台が実戦に不向きであるという証明にはならないにせよ、あまりの情けなさにこちらが涙目になりそうです。市民に「無用の長物」と思われるのも致し方ない。そして、釣鐘と灰戦術をとったのは果たして幕軍なのか。敵は誰なのか。
     とにかく「西宮物語」を読まねばなりません。あたしゃ図書館へ行きました。

     「西宮物語」は、昭和41年発行。実に興味深い内容でした。作者の大村利一氏は明治38年生まれで、流転はあったものの名家出身といっていい方です。
     その実に面白い内容を紹介したい誘惑にかられますが、とにかく砲台の箇所を見ます。小見出し「香櫨園」の中に、その一節はありました。
     seitaroさんよりも少し前後を加えて引用します。
    子供心に悪童共はこんな悪口を言合っていた。大砲なんていうが、台場の銃眼から砲先が出ているだけで、実は弾がなかったらしい。それでお寺の釣鐘を台場の中に釣下げて、グワンと釣鐘をならすと、銃眼からバケツに入れた灰を抛り投げたというのが御維新時代の実情だったらしいと。事実こんな風な話を小学校の先生達は生徒を現地に連れて行って話されるのであった。
     さまざまな解釈は出来ると思うのですが。
     ただの子供たち(しかも悪ガキ)の誇張を含んだ流言である、ということもできます。しかし、後半部分では「こんな風な話」を教師が子供たちに教えていると書かれています。簡単に流言とも言えません。
     これについて、もう少し考察してみたいと思います。


    【西宮流(nishinomiya-style)ブログより転載】


    【いただいたコメント】


     過分なお言葉で、恐縮いたします。文章が稚拙なことは、よく自覚しておりますので、読み苦しいところはご容赦ください。
     大村利一氏の西宮物語の存在を知ったのはimamuraさんのお蔭で、私も時々読み返しますと、大変参考になるお話が述べられており、ブログにも使わせていただいてます。
     さて西宮砲台が、西宮市民に不評であった件、きっとその歴史的意義を正しく評価し、説明する人が誰もいなかったからだと思います。凛太郎さんのブログほど、砲台にこだわり、詳しく調べられた記事はなかったと思います。記事がきっかけとなって、皆さんが見直されれば大変嬉しいことです。よく考えれば近くの白鹿館等の酒造会社経営の店で、「砲台酒饅頭」などの銘菓が売り出されてないのが、不思議なくらいです。
    [ seitaro ] 2012/04/23 12:29:28

    >seitaroさん
    「西宮物語」は大変興味深く読ませていただきました。面白い話がいくつもありましたね。子供がみなパリンパリンの糊で固めた湯巻を着させられる話などは、広田神社のページに追記したくなりました。これは、あの時代に日本書紀と異なる歴史観を西宮市民が持っていたということになり(なんせ御手洗川に応神天皇が埋まっていた!)、明治末から大正は自由だったのだな、との見方も出来ますし。
    御成道の話なども興味深かったですね。
    砲台の話は徐々に進めますが、今回は詳しくやろうと思うのです。しかし、蟷螂の斧にもならないのではないかとの思いがあります(笑)。市内の文化の重鎮や大御所の方々(それこそimamuraさんのような)が読んでくださればなと思います。しかし、逆に怒られるかもしれませんけどね(汗)。
    [ 凛太郎 ] 2012/04/24 6:07:51
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    | 2012/04/23 | 西宮流 | 06:11 | comments(0) | trackbacks(0) |

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