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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    「新堀川上流最大の謎」に迫る その4

  • 2011.11.15 Tuesday
  •  前回の続きです。上大市で旧西国街道から分かれた旧甲武橋アプローチルート(新西国街道)を追って動いています。

      

     171号線で途中ぶちきられた形の新西国街道ですが、このように一応続いています。そして、正面に見えるマンションで本当に終わります。
     マンションの裏側は武庫川の堤防ですが、その堤防とマンションの間を新堀川が流れ、そこに甲武橋マンボウ(仮)があるのです。
     甲武橋マンボウと僕は勝手に仮称を付けていますが、つまり江戸時代に築かれた用水路である新堀川を覆う暗渠のことです。その1を参照して下さい。
     その甲武橋マンボウ(仮)なのですが、南端部分が、この新西国街道の右側ライン(南側)と、ほぼ合致します。正面マンションがなければ重なります。
     やったぞ♪
     この道は、マンボウを覆い旧甲武橋へと盛土をして坂を形成していたアプローチルートで、ほぼ間違いないと考えられます。

      

     マンボウ北端は、正面マンションから北へはみ出ています。マンボウの幅がアプローチルート(新西国街道)の幅とすれば、現在の道よりもかなり北側に広かったことがわかります。前述しましたように道の南側ラインは一致しています。
     下大市今昔物語によりますと、昭和28年に樋ノ口町一丁目の北端にあたる位置、国道171号線に接した場所に市営住宅が建てられた、とあります
     明治以降、数えられるほどしか戸数がなかった樋ノ口新田も、昭和26年に町名改正があり樋ノ口町一丁目、二丁目となりました。新甲武橋ができたのが昭和26年ですので、これに連動している可能性があります。
     以降、旧甲武橋へのアプローチのための傾斜道の盛土を剥ぎ、それほど広い道が必要ではなくなったので、道の北側部分は整地して、そこに28年市営住宅が建ったと考えられます。年代的には、合致します。

     マンボウ裏の傾斜(つまり堤防)を上りきったところに、甲武橋交番があります。

      

     この交番は坂の上の台地的な部分に建てられていますが、その敷地部分は道路跡にかかっていると推定できます。交番が設置されたのもまた、昭和28年です。

      

     交番の裏手には、崩れた古いアスファルトみたいなものが数多く散逸しているようにも見えます。ここが道路であった名残であるのかもしれません。

     次回に続きますー。


    【西宮流(nishinomiya-style)ブログより転載】


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    | 2011/11/15 | 西宮流 | 05:47 | comments(4) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 05:47 | - | - |

    コメント
    とても興味深い記事、すでに解決をみたようですが思わずコメントを投稿します。
    地元、樋ノ口の出身で、あのレンガの遺構は近所のガキどものいい遊び場でした。
    そばに「あてもんや」いわゆる駄菓子屋があって、新堀川のトンネル部にプラモデルの船を流して速さを競ったり、戦争ごっこの陣地にしたり…。
    子供心に不思議な場所だと思いつつ、それが何であったかを知ったのはそこそこ大きくなってからだったと思います。
    市営住宅が団地化するときに、ちょっと周囲の道など付け変わったところがあって、昔の面影を残している場所は限られていると思いますが…。
    昔は171のスロープに寄り添うように平屋の市営住宅が並んで、その家の前に171と同じようなカーブで道がありました。
    そこが旧甲武橋のなごりだったんでしょうね。
    団地に建て替えたのは昭和60年ごろだったように思います。
    • 樋ノ口六軒
    • 2013/06/18 2:21 AM
    >樋ノ口六軒さん
    ありがとうございます。
    やはり地元の方は、それが何であったかをご存知でしたか。土地の記憶というものは、語り継がれていくものであるはずで、僕などのように知らないものはしょうがないからグダグダとこうして考えざるを得ないのですが、こういうものの解決は取材が最も近くて確実なのでしょうね。
    ただし、それがいつまで通用するものか。現在、正面マンションに住んでらっしゃる方は、毎日それを見てらっしゃるはずですが、果たしてみなさんご存知でしょうか。現在時点で甲武橋付け替えから60年以上経過し…。
    郷土資料館で「最大の謎」とまで言われているわけですから。
    昔の面影は、何かが更新されるごとに消えていくようですね。歴史散策にも、想像力が要求されます(汗)。
    凛太郎さん、お返事ありがとうございます。
    あの遺構をとりあげて、みなさんで楽しんでくださっている、そのことが私にはとてもうれしく感じられます。
    実家には昔の古い葬儀の写真などが残ってまして、樋ノ口を出発した葬送の列が極楽橋をわたって貝の介墓地までいく、その光景を樋ノ口から見通せたという今では信じられない景色が映っています。
    当時はまだ写真というテクノロジーが珍しくてそういう写真が残せたんだと思いますが、このごろではそれこそ有名人でもなければ葬儀の映像資料なんて考えられないですよね。
    インターネットというテクノロジーがあの遺構のことを記録してくれると、またきっと何代かあとの世代の人も、あの遺構の話を知ってしばし感慨にふけってくれるんじゃないか、とそんな喜びとでも言いましょうか。
    しかしそれにしましても、その他の記事も含めて素晴らしい調査力、洞察力に感服、脱帽いたします。
    • 樋ノ口六軒
    • 2013/06/19 7:51 PM
    >樋ノ口六軒さん
    貝の介墓地まで見通せたというお話には、驚きを禁じえません。樋ノ口から段上まで何もさえぎるものがなかったという時代があったということ。歴史を感じる、などという視点を超えたお話です。
    それにしても、僕のようなものが「貝の介墓地」「極楽橋」とおっしゃられて理解できるのも、甲東文化財保存会がしっかりと案内して下さっているおかげです。後世に残す、ということは簡単なようで難しい。油断していると土地の記憶は消えてゆきます。この樋ノ口の遺構も、既に調べて考えないとわからないものになっているようですから。
    そんなことを考えると、インターネットにいろいろなものを置いておくのも、悪くないことのように思えます。ありがとうございました。
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