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    キラキラネーム 1

  • 2012.02.12 Sunday
  • 先月の日経新聞の記事についてなんですけれどもね。これは面白い話だったので、読んですぐ書き始めたのですが、途中風邪引いたり味覚無くしたりやなんやで放置してしまっていました。せっかく途中まで書いていたので、いまさらですがアップします。以下の記事についての話。

     「心星、愛月… 読みにくい名前、なぜ増える?」 日本経済新聞WEB(2012/1/20)

    いずれリンク切れしてしまいますので概要だけ書いておきますけど、まずは、今の子供達は個性的な名前が増えたね、という話。ことに難読の名前が多いようで。
    例として「心星、允彪、英虎、騎士、楽心、希星、愛月、葵絆、海、聖白、一葵、詩空」というのが載せられています。すぐさま解答で恐縮ですが、「みしょう、まさと、えいと、ないと、らう、すばる、あいる、きずな、まりん、ましろ、いちる、しえる」と読むそうです。僕はひとつも読めませんでした。いや、もしかしたら騎士、海はナイトでマリンかも、と思いましたが、それを自分の解答として出すにはさすがに抵抗がありましたよ。他は、読めないですねぇ…。リンク先にはもっと多くの読めない名前が挙げられています。
    こういう名前のことを、キラキラネームと言う人もいるらしいですね。雰囲気が伝わるな。ただし、聞いた話によればこの「キラキラ」というのはどうも蔑称的であるかもしれませんので、表題に使うのはどうかな、とも思いましたが、わかりやすいのでまあいいかと(抗議あれば謝ります)。ネットではDQNネームとも言うらしいので、それよりはマシかな。
    さらに、個性的な名前だけではなく、現在多数の子供につけられた名前も、読めないのだそうで。どういうことかと言えば、読み方が多岐にわたるのらしく。
    昨年(2011年)の人気ランキングの上位が例として挙げられていますが、男子1位の「大翔」くん。読み方「ひろと」「はると」「やまと」等。女子1位の陽菜ちゃん。「ひな」「はるな」「ひなた」等。なるほどね。他に男子上位の颯太くんは「そうた、はやた、ふうた」など。「颯」か。難しい字が流行ってるんですね。陽翔くんは「はると、あきと、はるひ」など。へー。そもそもランク4位の陽翔くんって、あたしゃ「ようしょう」としか読めなかったよ(汗)。

    うーむ。
    なんだか大変なことになっている、という印象が(笑)。もちろん、ひとさまのお子さんの名前ですから、とやかく言うのはよろしくない、ということはわかっていますよ。しかし、これは読めないぞ。えらい時代になってきたな。日経の記事も「読めねーぜ困ったな」というのが趣旨です。
    こういう傾向が良いのか良くないのかの判断は、僕にはできませんけど。好きか嫌いかと言われればそれは嫌いですが、良し悪しで考えるべきことなのかはわかりませんしね。
    ただ、もういろんなことが思いうかぶのですよ。こういう話からは。

    ひとつは、こういう「名前の時代による変貌、または流行」という現象は、日本だけの話なのか、ということ。
    以前「シャビという名は」という記事を書いたことがあります。サッカーW杯のメンバー表をながめつつ、各国の選手の名前からお国柄みたいなものを見た記事です。そのなかで、いわゆるファーストネームは、欧州諸国では驚くほど共通名があり、また伝統的な名前が多い、ということでした。聖書等の名前を今も遣っていたりするのです。大天使ミカエルの名を各国でマイケル、ミッシェル、ミハイルなどと名づけている。ジョンもヨハネも、みな昔からの名前。シャビも、ザビエルなのだ、ということ。そういう話。
    ヨーロッパの人の名前が、みんなそういう伝統名ばかりかどうかは知りませんし、珍しい名前もいらっしゃるのかもしれません。でも、少なくともポールやジョンは2000年前から存在した名前で、そういう命名法は今も生きているわけで。
    こういうキリスト教にまつわる伝統名(あるいはヨーロッパ的な名前)は、キリスト教の伝播(あるいは植民地支配)にしたがって世界に広まったと考えられるのでしょうか。南北アメリカ、そしてアフリカへ。
    例えばカメルーンの有名なサッカー選手エムボマの本名は「アンリ・パトリック・ンボマ・デム」です。「ンボマ」という名はいかにもアフリカの伝統的な名前っぽいのですが(「ン」から始まってる)、アンリはヘンリー、ハインリヒ、エンリケなどと同じヨーロッパの伝統名であり、パトリックは聖人名ですね。こういう名前は、おそらくヨーロッパとの接触以前にはなかったのではないのか、と推測します(推測ですみませんが)。大航海時代、また植民地時代、あるいは近年かいつかはわからないのですが、アフリカでも名前は時代により変貌がみられたのではないでしょうか。
    アジアは、どうなのでしょう。よく知らないので何とも言えないのですけど。
    イスラム圏では、ムハンマドやアブドゥラやイブラヒームなど、やはり聖人の名が多くみられるように思います。めずらしい名や変わった名があるのかどうかは知識がないんですけど、伝統名は存在するようです。
    中国においては、命名は規則的であるようですね。漢字1字か2字。3字ってのは存在しないようです。で、2文字の場合は、1文字目が輩行字と言って、兄弟に共通の字。2文字目が固有の字ということになるそうで。例えば胡錦濤主席には妹さんが二人いて、胡錦蓉さんと胡錦萊さん。この「胡」が姓で「錦」が輩行字ということになりますね。1文字名でも部首をあわせるなどの工夫があるようです。こうした伝統的な命名法が一応、生きているようです。珍しい名前はあるのかもしれませんが(一人っ子政策は輩行字の意味を無くしますからね)、よくわかりません。
    朝鮮半島も、基本は漢字による命名であるようです。ただ、ハングル表記が多くわかりにくいですね。中国の輩行字と同様の「行列字」というものが命名には存在するようで。金日成→金正日→金正恩ときて、次は恩のつく名になるのでしょうか。本来「行列字」というもののシステムはそんな簡単なものではないらしいのですが、書き出すときりがないので省略します。
    韓国の名前はよく耳にする機会が多いのですが、そんなにダブっていないような。ミョンバクとかヨンジュンとかチソンとかウヨンとか。流行の名前はあるのかな。ウヨンというのは我らがサンガのボランチでU-23韓国代表のチョン・ウヨン(鄭又榮)を念頭において書いたのですが、検索したらなんだか韓流アイドルにもウヨンという人がいるらしく。年齢も同じであるようですから、流行っていたのでしょうか。漢字表記が同じかどうかは知りませんが。
    変わったところでは、基本的には名前は漢字2文字であるはずだったのに、そうでない人も昨今では登場しているようです。韓国サッカー史上最高のFWと言われるチャ・ブンクン(車範根)の息子で、現在セルティックでプレーするチャ・ドゥリの名は、漢字では書けないのだそうで。車두리とハングルでしか表記できません(意味は「ふたつ」兄弟2番目だから)。こういう伝統的ではない名は、他にも見受けられるのでしょうか。もしかしたら、韓国でもキラキラした名前が誕生し始めているのでしょうか。

    さて、日本ですが、命名の仕方には歴史的変遷がみられます。古代から現在まで、人はさまざまに名づけられてきました。西洋の諸国のように、2000年前の命名がまだ現在も生き残っている、なんてことはありません。
    古事記や日本書紀には神の世界の話もあり(何千年前かは不明)、初代天皇からも2千数百年経過しています。その初代天皇である神武の名は、カムヤマトイワレヒコノミコトです。神倭伊波礼琵古命とか神日本磐余彦尊などと表記されますが、もしも神武天皇が実在したとして、この時代はまだ日本に漢字が入ってきてません。なので、あくまで漢字表記は後世の当て字です。
    この長い名の根幹は「イワレヒコ」ですね。ここに、古代日本の名前がどういうものだったか、という香りがうかがえます。崇神は「ミマキイリヒコ」、応神は「ホムダワケ」だったと言われます。ちょっと現在では名づけられる可能性が少ない名前でしょう。
    このあたり、神話の延長みたいな部分もあり、客観的な名前ではない可能性もあります(後世に尊名を諡られた、とか)。では当時の外国の文献にはどう載っているか、ですが。
    古くは漢書地理志に倭が登場、そして後漢書東夷伝に「金印」の記述がありますが、ここには日本人の具体名は出てきていません。有名なのは魏志倭人伝で、卑弥呼という女王が出てきます。しかしこの「ヒミコ」は固有名であったと断言はできません。「ひめみこ」などの一般名であった可能性もあると思われます。
    ここで出てくる固有名の可能性がある名は、卑弥呼が派遣した「難升米」「都市牛利」という人物です。なしめ、としごり、と読んだのか、よくわかりません。もうひとり、卑弥呼の後継者として「壹與」(梁書諸夷伝などでは「臺與」)という人物がいます。これは女性で、とよorいよではないかと言われます。トヨさんなら今でもおばあちゃん年代ならいらっしゃってもおかしくはないですが…他はちょっと現代では考えにくいですね。
    この時代、日本にはまだ文字がありません。漢字は入ってきていたとも考えられますが、あくまでそれは外国の文字です。日本語表記に使用されていません。
    その後、当て字、訓読みが生まれてきます。万葉仮名というものも。阿以宇衣於・加企久計古、みたいな感じで。ひらがな、かたかなはもう少しのちに生まれます。
    したがって古代の日本の命名は、漢字ありきではなかったと思われますね。まず音があって、それに漢字を当てはめる。イワレヒコやホムダワケ(品陀和気)なんてのも音先行ですから、いくつもの書き方があります。飛鳥時代まではそうだったのではないでしょうか。ウマコやイルカ、カマタリ、フヒトなんてのは、音先行なんじゃないかなぁ。蘇我「入鹿」や藤原「不比等」なんてのは、ただ読みに漢字を当てただけ、と僕は考えています。不比等の息子は長男ムチマロ、以下フササキ、ウマカイ、マロで、これも音先行の日本固有名でしょう。
    しかし、藤原武智麻呂(ムチマロ)の長男は、豊成(トヨナリ)です。このあたりから、命名の変貌が徐々に始まってくるように思えます。漢字2文字で表わし、良い字を遣う。音先行ではなく字面から入っている感じもします。まず漢字ありき。この頃、訓読みという方法が徐々に浸透してきたということもあるのかもしれません。不比等、武智麻呂が完全に万葉仮名方式であったことと比べて、一大変革であるような気もします。
    これは、中国名に影響されたといっていいでしょう。つまり、外国でも通用する名前にした、ということです。藤原豊成。おそらく中国との書類には、原を省略して「藤豊成」と署名したことでしょう。「トウホウセイ」と読んでもらってもいい、と考えていたのでしょうか。源氏や平氏はそもそも一字姓ですから、中国風ですね。
    現在、親が「この国際化時代、外国で通用する名前を」といって「樹理杏」とか「鞠林」とかつけたりする場合がありますが、それと共通するものを覚えます。外国といっても英語圏、広げても欧州語圏だけで考えるのも、古代に中国のことだけ意識していたこととカブります。考えることは、いつの時代も同じなのか?
    この「唐風名」は、平安時代に菅原清公によって朝廷に建議され、唐風好みの嵯峨天皇によって完全定着します。官位を持つ女性の「彰子」「定子」という子がつく名前も、このときに定着したとされます。
    ただし、この中国風名前も、定着はしたものの、実はさほど膾炙はしなかったのかも。「いみな」でしたからね。本名である「諱」は実生活では遣われず、書面くらいしか出てこない。かわりに通称がもちいられます。
    源義経は、「もしや義経殿では」「おーい義経ちゃん」とは呼ばれません。通称である「九郎」か、また役職名である「判官」「伊予守(予州)」などで呼ばれます。この「九郎」という通称に、諱とちがう日本的な響きがあります。
    そのうち役職名も、律令制度が形骸化したことで、通称と化してきます。勝手に役職名を自分の名として名乗るわけです。最初は箔をつける、という意味合いだったのでしょう。
    そういう由来の名前は多く、例えば旗本退屈男は早乙女主水介、忠臣蔵は大石内蔵助ですが、「助(介・輔)」とは本来、役所の次官のことです。主水は水道局であり内蔵は財宝管理所です。そこの次官という意味。蔵人、左京、右近とか、○○兵衛とか○○左衛門なんてのも、役職から発展した通称です。ちなみに大石の本名(諱)は、良雄です。
    こういう話は、支配者階級のことです。農民や町人は諱なんて持ってない。なので、五郎だったり三吉だったり与作だったりするわけです。ただ、長兵衛とか大左衛門とかいう官職由来の名前は農民や町人階級にも浸透してきます。女性は、おみつだったりおかよちゃんだったり。
    そして明治になり、戸籍作成の関係上日本の名は「姓・名」に統一されます。なので例えば武士のように通称と諱を持っていた人たちは、選ばなくてはいけなくなりました。「大久保利通」や「木戸孝允」「伊藤博文」らは諱からの名ですね。「江藤新平」「板垣退助」「後藤象二郎」なんてのは通称から。なんとなくわかりますね。
    そして四民平等ですから、誰もがどんな名をつけてもいい。だから、支配階級のものだった諱ふうの名前をつける一般の人も多く出てきました。良隆とか泰武とか雅秀とかね。
    もちろん通称ふうの次郎とか庄助も多かったのですが、政府は明治3年に旧官名禁止令を出します。おまえら官職に就いているわけでもないのに兵衛とか衛門とか名乗るな、という布告。そんなこと言われても(汗)。この布告は完全に守られることはなかった(そりゃそうだ)のですが、それでもいちおう禁止令なので、名前に兵衛や衛門、輔、丞などがついていた人は改名された例も多かったようです。ということは、さらに諱的な命名にシフトする後押しになったのかもしれません。
    諱ふうというのはつまり、中国っぽい名前と言ってもいいのかもしれません。なので、明治になって日本では外国ふうの名が増えた、ともいえるかも(これはさすがに話を面白く書きすぎているかな…)。
    そして通称ふうの名においては、官名禁止令があり、その命令は守られずとも効果はあったのか、又右衛門や弥次郎兵衛なんて名前は、徐々に減っていったのです。そうなると「○○ざえもん、なんて古臭い名前だな」みたいな感覚も生まれてきたのかも。
    名前の流行というものは、こうして生じていくのでしょうかね。女性は、貴族の命名法だった○○子という名が増えていったのかな。
    そうして、日本では流行の波をいくつもかぶって命名がなされてきました。昭和になったら「昭雄」「昭一」「忠昭」なんて名前が流行ったり。「昭」という字は、それまで知名度が実に低かったらしく、「照」のほうが知られていたようです。歴史上でも「足利義昭」くらいしか思い浮かびません。しかし昭とつく名がこのときどっと増えたらしいんです。女性は「和子」がトップ。これが流行ですね。遡って大正元年には「正一」、2年には「正二」が多かったと聞きますし。
    戦後、浩宮(現皇太子)誕生のときには「浩」が流行りました。荒木大輔の甲子園で大活躍した頃は「大輔」が新生児名前ランキング1位を続け、その中に松坂大輔もいたわけです。そもそも大輔って、高等次官を示す官職名だったとは前述のとおり。

    日本の命名の変遷をざっと見てきましたが、古代から平安時代に至るころ、支配者階級にひとつの転機があり(中国っぽい名が現れる)、諱や通称というややこしい時代を経て官職名が通称に入り込むという転機があり(大介とか権兵衛とか虎衛門とかね)、そして明治になって諱ふうの名が一般階級に増えるというさらなる転機があり、いくつかの流行を経て今に至っている。私見ですけど、そんなふうに僕は考えています。
    そして現代。第四の転機が来たのかもしれません。すなわち、読めない名前の大流行。
    その読めない名前について、いろいろ書こうと思ったのですが長くなりすぎました。続きは次回に。

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    | 2012/02/12 | 言葉 | 08:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

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