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    字がヘタで困る

  • 2012.01.15 Sunday
  • 小正月ということでね。もう一年も1/24が過ぎたのだ、とか考えますとまたどよ〜んとした気分になってしまいますので、そういうことは無視します。しかし、もはや正月気分なんて持っている人は皆無でしょうね。旧暦で祝う地域はともかくとして。
    昔は、小正月といえば小豆粥とか食べたものですよ。そのお粥に、鏡開きをした餅も入れて、子供は食べるときに砂糖を入れました(僕の生まれた家では)。そうすれば、お粥なのかぜんざいなのかよく判別のつかないものになってしまうのですが、これが案外旨くてですね、僕などは声変わりする頃になっても、つい砂糖を振り入れてしまったものです。
    もうずいぶん食べてないなー小豆粥なんて。

    ま、それはともかく。
    昨日少し時間があったので今年来た年賀状の整理とかやっていたのです。全くね、友達は年々減っていくのに年賀状の枚数は増える…といつもボヤいていたのですが、今年は増加が止まったかな、という感じがします。これは、定年などで付き合いが途絶えた方が何人もいたこと(しょせん上辺だけの付き合いだった、と言ってしまえばそれまでですが^^;)、また物故者も多かったこと、などが挙げられます。それに、プライベート含め新しく知り合った人で、若い人はもう虚礼廃止の方向ですしね。そのかわりメールの数は増えましたわ。
    メールなんてのはほぼ一斉送信ですから、何の感情もそこに介在しない。…と言ってしまえばあんまりですけど、これも虚礼ですね。あ、そう言い切ってしまうと問題があるな。もちろん、「凛太郎」宛に新年メールを下さった方は、虚礼とは全く思ってませんよー(汗)。
    そも、年賀状だってオモテウラ両方印刷、というのが昨今は普通です。ならば、一斉送信と同じですわな。
    ことにPCの普及は、宛名の印字において手書きを過去のものにしてしまいました。住所録さえ作っておけば、ソフトが印字してくれます。ワープロすら無かった子供の頃を思えば、今僕は未来に生きてるな、と思わざるを得ません。
    僕は小学校一年生以来、木版画を40年にわたって続けていますので一応オモテウラ印刷ではありませんが、宛名はここしばらくは、印字させていただいています。ラクですね。いや、楽と言うより、これは僕にとって救世主と言ってもいい機器でした。
    僕は、本当に字がヘタなのですよ。悪筆の部類だと思います。

    子供の頃から、この「字がヘタ」というのはずっとコンプレックスでした。
    不思議なことに、父母は実にきれいな字を書きます。そして兄は子供の頃から字の美しさを褒められ、その事で書道教室に通うようになり瞬く間に段を駆け登り、免状申請はしていないものの師範になれるそうです。習字の先生も出来るっつーことですな。それに対し、僕の字は何たることか、その筆跡が幼稚園からほぼ変わらないのです。
    いったいこれは、どういうことなんでしょうかね。どうして僕だけが。
    母親も心配し(オカンに心配されるほど字がヘタってどないやねん)、習い事はイヤだと僕が言うものですから、兄に「ちょっと字の指導をしてくれないか」と命じたようです。兄はここぞとばかり張り切って僕に字を教えようとしますが、子供の頃の男兄弟って、言わばライバルみたいなものなのです。兄に字を教わるなんて、当時の僕には屈辱以外の何物でもなく、反抗を重ねてその企画はポシャりました。以来、ずっとヘタなままです。今にして思えば、あのとき兄にアタマを下げていれば、とも思いますが…しかしそれでも上達したかはわかりませんしね。結局悪筆は、僕の数あるコンプレックスの中で今もベスト3に入っています(あと2つは拷問にかけられても言えない)。

    しかし、不思議なものだと思います。何故、字を書くことが上達しないのか。
    何事においても、経験というものは物事を上達させるものだと思うのです。キータッチが覚えられなくて最初は全く使えなかったパソコンでさえ、今ではブラインドでブログを書き込めるくらいになっているのです。料理だって運転だって伝票整理だって交渉事だって女性を口説くことだって、経験を積めばそれなりに出来るようになるものです。しかし、字を書くことに関しては本当に進歩がない。いったいどういうことでしょうか。
    昔は、今と違って本当によく字を書いたものです。学校へ行って勉強するということは、すなわち字を書くことだったように思います。ノートを作成し、練習問題を解き、試験を受ける。全部、字を書くことです。そして、まわりには「活字」というお手本が溢れています。活字(つまり手本)を見て書く、ということをどれだけやったか。しかし、うまくならない。どうしてなのでしょう。自分の名前さえ、きれいに書けないのです。
    おそらく、自分の名前に該当する漢字4文字の並びを、僕は世界で一番書いていると思います(さほど多くない姓と名なので、同姓同名は居ないと思うのですよ)。しかし反復をこれだけ繰り返してもちっともうまくならない。うまく書きたい、と思っていつも書いているのですよ。なのに丁寧に書けば書くほど、どこかバランスがおかしくなってしまう。
    これは、やはり「字をきれいに書く」というのは、美術的才能ではないのか。そう思えます。生まれたときから、字のうまい人とヘタな人は、選別されているのだ。そして我々は、悔しいかな下層民なのだ。
    なんでそこまでヒネくれるのかと言えば、字のきれいな人ってそれだけでもう知的に見えるのですよ。ちょっとしたメモ書にサラサラときれいな字を書く人は、絶対に皆「デキるっ!」て思うはずです。それにひきかえ僕は…。この幼児のような字だと、貫禄はもちろんのこと尊敬もされません。
    面と向かって、言われたこともあります。「凛太郎さん字がうまくありませんね」と。チキショー!!
    こういうとき、何といえばいいのか。僕はよく「ラファエロもエジソンもアインシュタインも悪筆だったと聞くよ。天才は字がキタないんだよ、ワハハハ」とか何とか言います。えっと、これウソです(笑)。もっともらしく言うので信じた人もいるかもしれませんが、これは出まかせです。天才は字がヘタ、なんて話があるわけがありません。
    もっとも天才は悪筆、ではありませんが、悪筆の天才、というのは存在します。
    例えばシェイクスピア。例えばナポレオン。例えばマルクス。例えばベートーベン。ベートーベンはかつて愛したテレーゼという女性のためにピアノ曲を書き下ろし奉げましたが、そのテレーゼという名前が悪筆のためにエリーゼと読み間違われ、その曲は「エリーゼのために」という名で定着してしまったという話があります。こういうのを実例として挙げれば、それはウソとは言い切れなくなります。
    しかしこれらは、アルファベットの世界。本来であればやはり漢字仮名混じりの日本において、悪筆の天才を挙げねばならないところです。ところが、これがあまり思いつかないのです(汗)。以前村上春樹のサインがwikipediaに載せられたときに「これは悪筆だ」と話題になったことがありましたが(→これ)、これでは証拠にはなりません。サインって、崩すものですからねぇ。
    鷗外、漱石、宮沢賢治、南方熊楠などが悪筆として名が挙がったりするんですが、ホントなのかなー。だいたい作家というものは、急いで書きますからね。なのでどうしても原稿の字は崩れがちだと思うのですよ。しかるべき場所でしっかりと書けば、悪筆とは言えない可能性もあるのです。宮沢賢治の字は見たことがありますが、そんなに悪筆でもなかったように思います。難しいな。
    例えば史上天才と言われる、聖徳太子や藤原不比等や吉備真備や菅原道真、あるいは柿本人麻呂や運慶や平賀源内や一休さんが悪筆であれば面白いのですがそんなこともなし。空海は大天才だと思いますが、その字はメチャクチャ評価が高い。三筆の一人です。「弘法も筆のあやまり」っつーくらいでことわざにまでなってますからなあ。
    こうして「デキる人は実は字がヘタ」という風説も雲散霧消してしまうわけです。はぁ。

    こういう僕に、ワープロというものの出現は本当に有難かったわけです。
    学生時代はともかく、社会に出てからは比較的早期から積極的に「ワープロ」というものに取り組みました。機械オンチの僕が、です。苦労しましたよ。でも、これは悪筆を隠してくれる救世主でしたから、がんばってやりました。以後、社会ではPCがあっという間に普及し、誰もがカチャカチャやる時代となって、字を書く機会が圧倒的に減りました。こういう世の中に感謝しています。
    でも、全てがワープロで済ませられるわけではなく。その済ませられないものの最たるものは、手紙でしょう。
    僕は、とにかく筆不精です。これを言うと、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。オマエいつもブログとかに書けば決まって長文じゃないか。何で手紙は書けないんだ、と。これは、もちろんそれだけではありませんが最も大きな理由は、字の問題です。ヘタだから。
    若い頃、一度失敗したことがあります。ワープロに、縦書きで便箋に印字してくれる機能があることを知った僕は、それで手紙を打ち出したことがあります。僕のヘタな字よりもこっちのほうが読みやすかろう、と。それほど大した内容でもありませんでしたので、そのようにして手紙を打ちました。問題は、相手が目上の人であったことです。
    しばらくして、それに対する返事が来たのです。何と毛筆で(汗)。もう恥ずかしくて、穴があったら入りたい思いでした。23歳の苦い経験です。今でもギャッと叫びたくなる(笑)。
    以来、手紙だけは肉筆にしています(当然だ)。
    ということで、このペンを持つことが昔と比べ極端に少なくなった時代、最も"書く"機会は年末の「年賀状」であるのです。
    宛先も、今は印字していますがつい最近までは書いていました。10年くらい前から印字が圧倒的になってきたとは思うのですが、しばらくは小心者なので様子見をしていました。踏み切るのには勇気がいりましたよ。若い頃の苦い経験もあるので(笑)。それでも、裏には何かは書かなくてはいけません。出来るだけ余白が少なくなるよう版画を彫っていますが、何も書かないわけにはいかない。てなわけで、ヘタながら一言は入れます。ふぅ。うまく書こうとすると、時間がかかるんだよなあ。けれど、時間をかけたからといってうまく見えるわけでもなし。イヤだなーこの季節。
    年賀状の整理をしていますと、字のうまい人って多いのですな。僕より若い人でも、えらく達筆な人がいる。単純に「うらやましい」と思います。努力もせずに何を、と言われそうですが、これは才能だと僕は思っていますので。
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    | 2012/01/15 | 雑感 | 19:39 | comments(4) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 19:39 | - | - |

    コメント
    なんだか凛太郎さんの思いがすごく伝わってきます・・・!
    かなりコンプレックスのようですね。
    オイラは習字に通わせてくれた両親のお陰で、師範とまでは言いませんが、けっこう美しい字が書けます。
    ただ、一緒に通っていた妹は、いまだに字が汚いのです。なんででしょう?
    やはり才能みたいなものはあるんでしょうか?
    オイラは似顔絵屋をやってるぐらいで、小さい頃から絵を描くことが好きでした。
    休み時間も外で遊ばずに、教室で漫画を描いたりしてるクチでした。
    そんなオイラの周りには同じく絵を描く連中が集まって、今も絵本の会などに所属していたりするんですが・・・
    いつも思うのですが、絵が上手な人で字が汚い人をみたことがないのです。
    小さい頃から漫画を模写したりしてましたが、お手本とそっくりに描く、というのは習字の練習と通じるものがあります。
    生まれつき「お手本とそっくりに描く」技術に長けていたのか、これの繰り返しでうまくなったのか。
    おそらく後者だと思っています。
    似顔絵屋をやってると、「どうしたら絵が上手になる?」と聞かれることが多くあるんですが、そういうときオイラは「とにかくたくさん絵を描くこと」と答えます。本当にそう思うのです。
    きれいな字を書くには、ひたすら練習あるのみです。
    ちなみにきれいな字、書けますけど、書くことは滅多にないです。
    わざと崩して書くほうが、味があって喜ばれますのでw
    凛太郎さんもアーティスト風に個性的な字で攻めてみては??
    周りが教員ばかりという環境に育ったから、たくさんの子どもの字を大人の目で評価(?)する場面をよく見てきています。
    今はそうじゃないかもしれないけど、昔の教員はテストの採点を自宅に持ち帰っていたりしました。
    「読みにくい!せっかく正答なのに、この子は損するわ。」という担任としての姉の嘆き(ボヤき?)、それでも赤ペン注意書き付きの丸。解答欄からはみ出す元気な文字に苦笑しながら、でも丸。
    自分も大人になって子どもたちの字をたくさん見るようになって、姉のその時の気持ち、よくわかります。
    ヘタだろうと読みにくかろうと、その字一つ一つが子どもたちそのものなんですよね。
    わたしの教室から巣だった子どもたちを思い浮かべる時、カオと演奏とそして字も甦ります。
    子どもたちはそれぞれに自分の字を誇らしく思ったり、逆にコンプレックスを持ったりしてるでしょうけど、大人から見たらいとおしい以外の何物でもありません。
    それは相手が子どもだから、ではなく大人同士でも同じだなあ。昔は手紙をよく書き、もらいました。文字と文章がそのヒトそのものだった。誰かの個性を作り上げる一要素に、確かに字も役割を果たしてましたね。自分では「金釘流」と肩を落とす友人の筆跡も、やはりわたしにはいとしいものです。
    パソコン・ケータイが広く行き渡り、直筆を見る機会は減りました。わたしはそのことが全面的に悪いとは思わないけど(パソコンで作ったモノにも個性も人間性も出るし)、寂しいのは事実ですね。


    年賀状、ぜんぶパソコンで作ります。ただし、直筆入りで。惜しいことに、美しい字じゃないんですけどね(笑)
    >にがさん
    字はねぇ…。こんな記事書かなければ、ネット上では字がきれいでないことなんてバレないのにね(笑)。
    「いつも思うのですが、絵が上手な人で字が汚い人をみたことがないのです」
    仰るとおりです。いや、これについても書こうと思っていたのですが、落としていました。全くのところその通りだと思います。
    絵の巧い人はたいてい字も巧い(逆もアリ)。僕の兄も、サラサラとイラストを描きます。
    結局、象形文字から発展した漢字と、その漢字から生じた仮名は、つまるところ絵画と同じだと思うんです。ですから、字の巧さと絵の巧さは共通項があって当然だと解釈も出来ます。
    しかしながら、
    「これの繰り返しでうまくなったのか…おそらく後者だと思っています」
    そう言われると辛いよなぁ(汗)。どうせ反復練習に欠けていたのですよワシらは(笑)。でもねぇ、本文に書きましたように、僕などは若い頃は誰にも負けないほど字を書きまくったのですがね(現在の凛太郎の長文書きの習性を見ていただければお分かりの通り)。でも、うまくはならなかったんだよなぁ…(笑)。
    ちなみに、わざと崩して味のある字になる人は、そもそも字が上手い人、さらに絵画センスのある人だと思います…。
    >まるちゃん
    「この子は損するわ」
    僕も被害妄想かもしれませんが、もしかしたら損してるかも、と思ったりしています(賢い人の字が読みにくいと損だと先生は言ってるんだバカモノ、オマエはパカで字がキタネーのだから損も何もネーだろーが!…ごめんなさい^^;)
    字は個性なのかもしれません。「筆跡」というものがあって、本人識別に役立つわけですから。しかしながら、なかなか「個性なんだー」と声高には叫べませんよ。例えば教師というお立場であれば、それぞれの字から個を浮かび上がらせて、ひとつひとつに対して愛情を注いで下さったりしますので、それは嬉しいことですねー。
    けれどもやはり「損するわ」とも思われるわけで。実社会における厳しさもまた、先生はよくご存知だ(笑)。
    でも、それぞれを「いとしい」とおっしゃるまるちゃんのよううな存在には、こちらも救われる思いがします。ありがとう♪
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