ワールドカップ、終了しました。時差のある試合の観戦は、もう身体にこたえますよ。VTRも使いましたが、そんな一日に90分×3なんて観ていられません。どんどんたまっていく。ダイジェスト番組やスポーツニュースなどは時間の都合上一切観ませんでしたが、それでも時間が足りないよ。疲れたわい(汗)。
この南アフリカW杯、どういう大会だったのでしょうかね。結局、ブブゼラとジャブラニとタコが最も目立っていたのは否めませんが(笑)。
ゲームは…反則と誤審がプレイより目立ってしまった大会だった、とは申したくないのですが。ただ、序盤は大味な部分が多くみられましたね。ジャブラニと高地が原因と言われていますが、サイドチェンジのボールがそのままタッチを割る、センタリングに精度を欠く、そしてフリーキックが決まらない。日本はJリーグでジャブラニの使用が認められていましたので、対策も出来ていたようで2本のフリーキックが決まりましたが。でも、日程後半になれば選手も慣れたのかロングシュートが見られるようになりましたけど。
でも、世間は盛り上がったようです。日本のトーナメント進出により。
僕は根本的にナショナリズムが不足している人間なので、日本代表がベスト16と言われてもそれほどピンときませんし、出来ればいつでも観られるジャパンよりも他のチームにトーナメントには出てきて欲しかったと思っているのですが、そういうことを言ってると怒られますな(汗)。
心情的な応援対象と言えば、かつて京都に所属していた松井、遠藤、朴智星、李正秀、そして背番号を持つまでには至らなかったもののうちで練習していた朴主永とパラグアイのトーレス、そしてオーストラリアのピム監督でした。これらの選手監督全てが好きか、と言われれば恩讐もありますけど(笑)、まあそこはW杯ですから水に流して。
郭泰輝の怪我さえなければ、まず第一の応援対象だったんですけどね。でもそれはしょうがない。それより、全ての選手は得点に絡みましたよ。あの松井のデンマーク戦での彼らしいおしゃれシュートさえ決まっていれば、もう何も思い残すことはなかったのですけどねぇ。でもみんなよくやりました。おーい、みんなサンガに帰ってこいよ(笑)。
そんな個別選手とは別に、やはりW杯といえば、楽しみなのはオランダチームであるのです。僕にとっては。
以前にも書いたことがありますが、高校生くらいの時はそれほどW杯というものに対して強い観戦意欲を持ってはいませんでした。報道も今とは雲泥の差でしたから。だからジーコの全盛期(黄金の中盤時代)は、そんなに知らない。初めてちゃんと意識したのは、86年のメキシコ大会の予選ですね。端的に言えば、木村和司のフリーキックにびっくりしたから、です。このときに僕は、キャプテン翼を読んでいたこともあり、「にわかワールドサッカーファン」になりました。
この86年大会はいわゆる、マラドーナの大会。「神の手」「5人抜き」そして優勝。世界のサッカーのすごさというものを、このとき初めて知ったように思いました。僕は21歳。
そして90年イタリア大会。ここに、86年大会にはいなかったオランダ代表が満を持して登場したのです。ファンバステン、フリット、ライカールトを擁して。88年ユーロを制して前評判がすごく、とにかく注目のチームでした。
そのとき、オランダ代表は残念ながらさほどいい成績を残せなかったのです。しかしながら、僕は魅せられてしまいました。同時にドイツが嫌いになったのですけど(わかる人はわかりますね)、以来オランダのファンになったのです。
オランダと言えば、ヨハン・クライフ以来のスペクタクルサッカー。勝負強さはなかったかもしれませんが、観ていてとにかくワクワクする。
「美しく敗れることを恥と思うな。無様に勝つことを恥と思え」
これはクライフの言葉です。今でもこの言葉は至言だと思っています。これはサッカーだけに当てはまる言葉じゃなく、"プロ"スポーツ全てに当てはまるべき言葉だと思っています。日本では(日本だけじゃないでしょうけど)「プロは結果が全て」という言葉が支持を集めていますが、僕はプロスポーツはそんなもんじゃないはず、と頑なに信じています。このことは何度も書いたので(
こことか)これ以上繰り返しませんが。
その後も94年のアメリカ、98年のフランスとオランダチームは僕を魅了してきました。ことに98年大会のオランダは素晴らしかった。ヒディンク率いる魅惑的チーム。ベルカンプ、コクー、デブール兄弟、セードルフ、ダービッツ、オーフェルマルス、そしてクライファート。最高でした。ベスト4でPK戦で沈んだものの、素晴らしいチームでした。ベルカンプとその仲間たちは最高にカッコいいチームでした。
次の日韓大会には出場できず残念に思っていましたが、06年大会は敢然と出場。ファンニステルローイを中心に、ファンデルサールやコクーらベテランもいるものの、メンバーはがらりと変わり若い選手が中心に。ファンデルファールト、カイト、ロッベン、ファンペルシ、スナイデルとほとんどが20代前半。バベルに至っては10代。ベスト16で敗れたものの、次大会は「史上最高のオランダがやってくる」と夢を見ていました。あくまで最高、であって最強とは違います。
08年ユーロ。オランダはやはり凄かった。フランス戦の、あのニステルローイのジダンばりのターンからロッベンが抜け出しファンペルシ。さらにロッベンの角度のないところからのゴールは今も鮮明です。そして、よく走る。パスだけじゃないオランダ。以前とは少し違うようにも見えましたが、魅力的であることには間違いありません。ヒディンクのロシアにあっさりと負けるところもまたオランダでした。そしてW杯。期待が膨らむではありませんか。
けれども、ファンマルワイク監督は、期待と異なるチームを作ってきたのです。
いろんな見方が出来ると思います。まず、オランダには圧倒的なCF(オランダ風に言えばスピッツ)がいなかった。これは大きいかも。ファンバステンやクライファートを望むのは厳しいかもしれませんけど。フンテラールが伸び悩んだのが大きいかな。しかしファンペルシの1トップというのはね。彼は、どちらかといえばベルカンプの後継者とでも言うべきで(異論はあると思いますが)、1トップタイプでもない。クライフやフリット、ベルカンプなんてのは確かに不世出だと思いますが、スナイデルやファンデルファールトがそのタイプかと言われれば、そうでもないような。難しい。ロッベンはオーフェルマウスに比肩するとは思いますけど…。
そのロッベンを右サイドで使うというのも、CFがいないせいか。右から切れ込んでシュート、を期待してということでしょう。それもしかし、ちょっと僕には残念で。
しかし足りないのはCFくらいで、タレントは山のように。ファンデルファールトがベンチにいるなんて。アフェライもエリアも。スペクタクルサッカーを為す面子は揃っていたのです。
しかし、オランダはそういうサッカーをしなかった。日本相手に1点しか取れないとは、なんとも。そしてなにより、試合が面白くない。あのオランダサッカーはどこへ行ったのか。嫌いだったはずのドイツの方がよっぽど攻撃的に見えるサッカーをやっているのに(質は違いますが)。
知ったかぶりをすれば、ファンマルバイクはそもフェイエの監督であり、オランダという国は、アヤックスから拡大してきた美しきオランダサッカーに見切りをつけ、守備意識を植え付け勝てるサッカーに方向転換したのだ、という見方が出来ます。これは短絡的見方だとは思いますが、結局そうしてオランダは「現実路線」で勝ち続けたのです。日本に1-0のチームがブラジル、ウルグアイを降し、決勝まできたのですから。
決勝戦は、僕の心情的には泣き別れでした。アヤックス、オランダ代表に端を発する、つまり僕が好きなサッカーはミケルスとクライフによってバルセロナに影響し、それは現スペイン代表のサッカーにもかなり濃く浸透しているように見受けられます。遺伝子は、むしろスペインにある。僕はスペインを応援すべきじゃないのか。
けどね。
日本戦でスナイデルのミドルが決まったときに思わず「よおっしゃあ」と言ってしまった僕です。今さらオランダ負けろ、と思って試合を観られるわけないじゃないですか。
そして、決勝戦。イエローがオランダだけで10枚くらい出たんじゃないですか? 快足ロッベンは確かにこの試合の一番の見どころでしたが、あそこまでファールもらいにいかなくても、セットプレイ狙わなくてもいいのにな、とは思いましたが。延長、最後の最後でオランダは力尽きました。マタイセンがまさか空振りするとは(あれが最大の残念)。
スペインが優勝に相応しいチームだとは思います。それは認める(この決勝戦に限っては?ですが)。でも、いくら理屈先行の僕でも理屈で割り切れないものもあるんです。それが、ファン心理。
スペインの初優勝で南アW杯は幕を閉じました。
「W杯はサッカーの世界最高の祭典」と僕は思いたいのですが、残念ながらずいぶん前からその前提は崩れてしまっています。そりゃそうでしょう。クラブチームの方が戦術も連動性も練れるに決まっています。CLの方がよっぽど高度なサッカーが存在するはず。
かつては戦術やシステムにおいてもW杯は世界をリードしたものですが、そんな時代はとうに過ぎ去りました。ブラジル選手はブラジルリーグに、アルゼンチン選手はアルゼンチンリーグに多くの有力選手がいた時代ではなく、みなヨーロッパ主要リーグにいい選手が集まる。国の特色というものがかつてあったはずですが、もう国ごとに戦術を練り上げることは無理。また、情報もダダ漏れ。したがって頻繁に集まれない代表選手を何とかまとめてW杯という短期決戦に突入せざるを得ず、かつての「戦術の見本市」的な要素は無くなりました。ベクトルは必然的に「ナショナリズムと勝利」に向かわざるを得ません。
それでも「トータルフットボール」「肉弾戦と精神力のドイツ」「イタリアのカテナチオ」「シャンパンサッカー」なんて言葉に象徴されるようなサッカーのお国柄なんてものが、僕が観だした頃にはまだあったんです。でも、もはやそういうものは厳しくなりました。オシムが「なんだみんなモウリーニョじゃん」てな話をしたようですが、堅守速攻のサッカーに列強が苦しめられたのもまた事実です。ニュージーランドは無敗でした。スイスはそれをまさに体現していました。日本も「速攻」があったのかどうかはわかりませんが、まさかのグループリーグ突破。それどころか、強豪国もそちら寄りに。ウルグアイやパラグアイはそもそも、でしたがね。
オランダが中盤から潰しにかかるサッカーをして、ブラジルも守備的。お国柄は色を潜め、「勝つ」サッカーへとシフト。サッカーのお国柄は、そして観ていて面白い、ワクワク感を醸し出すサッカーは、観客側の「結果を出してくれ」という欲求にかき消されたのだと思います。僕は個人的には残念だと思うのですが「どんなに退屈なサッカーでも勝てばいい」という言葉を、ネット上でよく見ました。「結果を出してこそプロ」。その結果とは、魅了するサッカーではなく「勝利」なのです。性急な観客は、それを望んだのです。
だから、もうしょうがない。
優勝したスペインがまだ「ボールが回るサッカー」を持ち味とし、守備的なドゥンガにブラジル国民が「それでもブラジルか」という声を上げ、またチリがとても楽しいサッカーをやってくれたことは、僕にとっては一縷の望みです。けれども、4年後はどうかな。
W杯は、「戦術・国のカラー・スターの驚愕のプレイ」ではなく「ナショナリズム」でこそ盛り上がる。この調子だと、そうなっていくでしょう。けれども、それでは自国が出場していないとちっとも面白くないし、自国の試合でないと楽しめない。また僕のようにナショナリズムが欠落傾向にある人間はどうにもならない。
4年後は、僕も体力が落ちているでしょう。もう「夜を徹して観る」W杯は、これが最後かもしれません。
でも、それでも楽しませてもらいました。選手の皆さんご苦労様。
さて、続き。ここからはさらに読んで楽しくない部分なので放置してください。
少し日本にも触れておくか。でも、僕は睡眠時間確保のために、vsパラグアイ戦よりスペインvsポルトガルの生観戦を選択した人間ですしね(そっちの方が面白そうやん)。もちろんvsパラグアイは録画しましたけど。
なんだか、日本中のネットの住人が岡田監督に謝罪するという異常な状況になったようです。そして監督交代を主張していた評論家にも「謝罪しろ」と。それがニュースになっていたくらいですからね(笑)。理由は「勝ったから」「結果を出したから」。つまり、ああいうサッカーに人々はカタルシスを得たのです。やはり、結果によって人々はカタルシスを得るんです。
結果だけじゃなく内容もしっかりしていた、と主張する人も多いでしょう。それは、それぞれの観方ですからかまわない。また、僕は監督人事に無関心でしたので謝罪も何もありませんが、ただ、W杯において4-6-0というシステム(贔屓目に見ても4-3-3-0)のチームがトーナメントに出ていいのか、と思ったのも事実です。
でも、プロスポーツは、そうなってしまっているのです。前述したようにそれが世界の趨勢。
ブラジルでさえ結果を求めて、ドゥンガはサンバサッカーを捨てた。それでもいいサッカーをするのはさすがブラジルですが、柔軟性が無かった。いや、柔軟性はなくてもいいんです。貫くものがあれば。でも、その柱は「勝つこと」だった。
むしろマラドーナのサッカーの方が僕には一貫して見えました。4CBで守り、攻めはメッシにまかせる。でも、バルサと違ってメッシの後ろにパスワークがない。結果ドリブルしか戦術がありません。でもそのメッシやテベスのドリブルは、金をとれるドリブル。なんとかこじ開けようとするメッシ。面白かった。でも、結果が伴わないと評価されない。マラドーナはベスト8までは英雄で、そのあと地に堕ちました。でもマラドーナは比較的適確な判断をしていたと思うのですがね。ニウマールしか送り出せなかったドゥンガと違って。
なんか日本の話にならないな(汗)。
新聞報道などによりますと、この日本の守備的戦術は、選手たちの自発的な部分も大きかったように言われています。自分たちで考え、ピッチ内で柔軟な対応をとった、と。デンマーク戦は確かに修正していましたね。ようやくジーコが蒔いた種が芽吹いてきたか、と僕などは思うのですが…やっぱり4年前はまだ早かったのかな。
日本の躍進のひとつの要因として「チームがひとつになったこと」が挙げられているようです。なるほど。控え選手が腐らず(前回チームと違って)、献身的な働きをしたことが良かったのだそうです。
これも、日本だけの話ではないようで。オランダも、お家芸の内紛が無かった。ファンペルシがちょっと余計な発言をしてましたけど、それも大事には至らず。他チームもそのようです。逆に、フランスはバラバラだったから敗れた。カメルーンなんかもやっぱりチームにまとまりを欠き、エトーを擁しながら日本相手にあんなサッカーしか出来なかった、と。
けれども、そんなの観てる側にとってはあまり関係ない話で。俊輔が水配ってもそれがサッカーの見どころとは違う話です。内紛抱えていようが監督に反目しようが、いいプレイをみせてくれればそれで良し。「ひとつになった」という言葉には僕などは何だか気持ち悪さを感じるのですが、それは僕個人の話ですが。
あとは、誤審とか反則の話がやたら多かったなと。僕などは02大会の方が誤審においては後味の悪い思いが残ったのですが、今回は後々まで歴史に残りそうなのもあったので、それはそれで興味深かったのです。
これについては、審判も気の毒になぁと。ランパードの例の事件は明らかなミスですが、それがこの放送技術の発達によって何秒後には白日の下にさらされてしまうわけですから。
今回のTV中継を見ていた、サッカーにいつもは関心の無い人たちの声で「ようやくオフサイドというものが理解できた」というのを複数聞きました。あの、オフサイドラインを表示するリプレイ画面は確かにわかりやすい。でも、審判は大変ですわ。彼らはあのリプレイを見られないのですから。
FIFAも対策に乗り出すようですが、機器の導入というのはやはり難しいのではないでしょうか。サッカーはW杯のような最高峰のレベルから、高校選手権まで条件が同じ、というのが魅力なので。審判5人制にせよ、場面によっては条件が整いにくいと思うのです。
ただ、もうこういう大会にはVTR判定はあってもいいかなと。マスコミの出す映像を利用するのは確かに問題がありますが、第四の審判がTV観てれば、そしてそれを無線で一言主審に言えば解決する問題ばかりだったので。ボールがラインを割ったりしてゲームが止まった時には、それも有効じゃないのかなぁ。決勝延長でのスナイデルのFK、あのどう見てもコーナーキックだったのがゴールキックと判定されたことから、オランイェは1点を失ったとも言えます。あれがコーナーだったなら。
実現にはさらに一考を要しますけどね。
今大会目立ったのは「ハンド」でしょうね。いろいろな意味で。
とにかく方針で、ハンドは厳密に判定していたようです。なので、ドラマをいくつか生んでしまいました。
キューウェルなどは、故意かどうかは本人にしかわからない微妙なところがあり、あれでレッド一発退場では試合に水を差してしまったなと。でも、審判も人間ですから見逃します。ルイスファビアーノなどはもうね(笑)。長谷部も見逃してもらってました。
試合やってたら、ボールが腕に当たっちゃうことってあるじゃないですか。もうそんなのしょうがないと思うのです。故意か故意でないかってのは判断が難しいわけで。
だから、少し判断基準を腕の部位に分ければいいと思うのですけどね。肩、そして二の腕はアクシデントもあるのでそれほど厳密化しない。ただ手首より先はダメってことにすればいいんじゃないかな。アンリみたいなやつね。
さらに歴史的なハンドがありました。スアレスのやつ。
あれ、賛否両論ですね。ネットの意見を少し読みました。「あれこそアンチフットボールだ」「いやあれもマリーシア」「認定ゴールにすべきだ」「ルール上はあれが妥当」「スアレス永久追放」「彼は英雄」もういろいろ。
僕個人の考え方として、まずサッカーにあってはいけないものは、第一にサッカー以前に人間として恥ずべき行為。真偽は今もって闇の部分がありますから例にだすのはアレなんですけど、フェラーやマテラッツィのやつ。ああいうのは追放されてしかるべきです。次に危険なプレイ。そして、審判を欺くプレイです。シュミレーションは僕は大嫌い。判定は難しいですがね。
スアレスのやつは、その次くらいにきますね。反則には違いないのですが、イエロー覚悟でユニ引っ張ったりファールしたりして止めるのと同等かな。スライディングレッグシザースとかニールキック、ストンピングの方がずっと悪質かと。デ・ヨングは普通なら一発退場だよあんなの。
スアレスの場合は、そのあとしゃべりすぎ(汗)。黙ってればいいのにねぇ。まあ、賞賛されるのもおかしいですわね。その賞賛という部分が、アンチフットボールかなあ。
それよりも、TV中継の解説で、三浦俊也氏が「有効なファール」という言葉を使用されていました。こっちの方がずっと違和感がある。いわゆるプロフェッショナルファールというやつですね。一種、反則を推奨し美化しているわけです。こういうの、本音かもしれませんがTVで言ってもいいことなのか。
ファールっていうのは、基本的に嫌いです。試合の流れを止めるから。美しいサッカーが観られなくなるから。ファールの多い試合は、試合がぶった切られて実につまらない。
そういうのを「有効」とか言わないで欲しいのです。そこまでして勝利に特化せねばならないのか。まあこれも「退屈なサッカーでも勝てばいい」という観客が主流である以上、仕方が無いのかもしれませんが。
中盤でプロフェッショナルファールで相手を潰す。相手を挑発しファール、カードを誘発する。ファールを貰うプレイをして懸命にアピールする。そして試合を分断する。
これは、オランダが今回盛んに行っていたことです。これが、勝ちにいった「現実路線」のサッカーでした。
僕は、日本で言われるところの「マリーシア」という言葉も、あまり好きではありません。確かに戦術のひとつでしょうけれども。またやはりTV解説で山本昌邦さんも「したたか」という言葉を連発されていましたが、「したたかなサッカー」ってそんなに観ていて面白いのか。
こういうところに、違和感がやっぱり残るのです。これはもちろんW杯に限った話ではないわけですが。
ま、あんまり書いていてもキリがないのでこのへんで。しかしマスコミの語彙不足にはいつも呆れます。「感動をありがとう」しか言うことはないんかいな。もうちょっと、言葉考えたらどないやねん。
普段から4時半起きのわたしにとっては ちょっと余分に早起きすれば見られる試合も けっこうありました。逆に 他の方がちょっと余分に夜更かしすれば見られた試合は わたしには無理でした。時間配分はそれぞれですが 誰にとっても「すべての試合を見る」のは大変ですよね。まして「ぜんぶリアルタイムで」ってのは 無理…いや もちろんそういう方いたのでしょうが。
凛太郎さんのお考え 決して少数派じゃないとおもいます。友人にオランダファンがけっこういるのですが やはり失望してました。大会全般に関しても 美しいサッカーよりも勝つサッカーを良しとする世界のあり方にがっかりしてる声をよく聞きます。
先日BBSに「見てて幸せになれるサッカーできるチームが二つ残った サッカー好きにとって美しく満ち足りた時間が過ごせるんじゃないかって夢見てます」って書いたこと 今もそうおもってます。今回の決勝戦はそうならなかったけれど いつかきっと って。
決勝を見たクライフも「醜悪」って言葉で非難してましたね。オランダだけじゃなく世界のサッカーが一方的に悪い方向には向かわない 甘いかもしれないけれどそうおもってます。
この1ヶ月は わたしにとっては楽しい日々でした。TVも新聞もサッカーの報道に彩られる期間は(内容はともかくとしても)楽しい。そして『サッカー』をヒトと語り合える日々だったことも楽しかった。
サッカー好きの友人(夫含む)との1試合ごとの感想・次試合への予想…そういうの毎日やってました。
偶然この時期に出会ったフランス人の 自国チームへの憤りと再起への期待。近所のイギリス人の拗ねたような口ぶり。それぞれの国のヒトの勝敗への感じ方も触れることできたし。
それから ちょっと未来の目を想像しながら物事を見たりもしました。周りにいる生徒たちの見方が 今のわたしとは違う方向の感性を持たせてくれたりしてね。日本が勝てば嬉しい っていう子どもたちのシンプルな見方は それはそれでわたしを初期化してくれるw
子どもたちがナニをどう見ているのか っていうのを感じとるのも楽しい。スアレスが退場しながらギャンのPK失敗にガッツポーズしている姿を 子どもたちはどう見たか? そしてそのそばにどんな態度のオトナがいたか?…眉をひそめたおかあさんかな?「人生やったモン勝ちだ!」と叫ぶおとうさんかな?(どちらのタイプのオトナも子どもたちのそばにいたらいいなってわたしはおもってます)
Jリーグ始まりの頃 よく生徒連れてスタジアムに行きました。サッカーが大好きになって大きくなって草サッカーのコーチやってる子もいるし サッカーと縁のない生活してる子もいる。けれど 11月のスタジアムの底冷えを身体が忘れなかったり 間近を走り抜けた選手のスピードに度肝を抜かれた瞬間が甦ったり 子どもって覚えてるモンです。
今年も 書店でサッカー雑誌を手に取る少年・初めて聞く「オフサイド」を辞書で調べた少女…子どもたちの未来に 直接はあるいはすぐには『サッカー』が関わらないかもしれない。それでも何年か何十年か後に思い出すかもしれない。それがブブゼラでもタコでもいいw
2002年でトマソンに憧れイケメンとしての認知しかなかった小学生の女の子は 2010年にはデンマークのサッカーを分析できるほどになっていた。本気でデンマーク戦の応援をどちらにしようか悩んでましたが 結果的に日本が勝ってトマソンがゴールしたので喜んでたとこがかわいいw
日本代表に関しては 高校生から見てた本田や川島の成長・そこにいたるまでの挫折と努力の蓄積なんかが素直に嬉しかったりする。それは 彼らの学校のセンセイたちの目線なのかも。(監督に関しても 指導者として学ぶべきところをつい探し出したりしちゃうのも 職業柄ってことかもね)
日本代表はW杯たった4回目。実績も歴史もまだまだこれから。よその国は平気で「32年ぶり」とか「40年前に」って言葉 出てきますよね〜
凛太郎さんのおっしゃる「ジーコの蒔いた種」は わたしも同じことおもいました。すぐには花咲かない それでも確実に根は張っている。
おまけの感想。
決勝はスペイン応援してたけど やっぱりわたしはバルサが好きでスペイン代表チームを好きなわけじゃなかった と思い知ったw
イニエスタの決勝ゴールで嬉しいけれど プジョルとカシージャスの抱擁は違和感持っちゃうし(あくまでバルサファン目線で)喜びの報告会は当然ながらマドリードで「そーだよなー」って脱力w
長々ごめんなさい。