今朝新聞を読んでましてね。そうしたら、ハッと目にとまる言葉がつかわれていたのですよ。僕としては、ついに来たかーという感じですね。
「JRの東京駅も、なにげにコロッケ激戦区だ。(朝日新聞2010/5/29 週末別冊版be)」
これは、記者が書いたものではなく依頼原稿です。執筆者は外部。しかし校正を通っているわけで、新聞社の公式記事とみていいでしょう。もっとも、以前から使用されていたのかもしれませんけど(全新聞の全記事なんて目をとおせねーよ)、僕は新聞記事においては初見です。「なにげに」がとうとう市民権を得たか。大げさに言えば言葉の変革が一歩足を踏み出したような気がして思わず「ほぉ〜」と声を出してしまったのです。
これ、もしかしたら新版の辞書には既に記載があるんでしょうかね。辞書なんて何年も買っていないのでわかりません。なので検索してみますと、どうやら既にあるようですね。→
goo辞書
もっとも「新語」のことわりがあります。しかしこの出典は「大辞林 第二版」。そうか。
先にことわっておきますが、僕は実に言葉については保守的で、三つ子の魂百までの人間です。なので「何気に」という言葉を聞くたびに実に気持ち悪い感覚にどうしてもなります。ことにこの「何気に」は気持ち悪さの最右翼かも。これに比べたら「ら抜き言葉」などかわいいもんです(笑)。
説明できますし。
ま、ですけど横丁の知ったふりのご隠居がその気色悪さを上回るほど嫌いなので、苦虫を噛み潰しつつも肯定派にまわるのが常です。ふぅ。
しかしながら、なんですよ。この「何気に」はやっぱり気持ち悪い。
日本語というのは変わっていくものさ、「かなし」だって昔は「可愛い」という意味だったのに今じゃ「悲しい」だろう?なんて「言葉は生きているもの」という範疇にはどうも僕の中ではおさまらない。強いて言えば「言葉が崩れている」という印象なんです。
僕はずっとこの「何気に」を「何気なしに」の省略形としてとらえています。これは一応、間違いじゃないでしょう。僕が知りうる限り、この言葉の発生は「何気なく」の「なく」が落ちたものでした。「何気無い」。つまり「何の気も無い」であるからして、特に意図もない、という意味。
この「無い」が落ちると「意図して」という意味になるんじゃないでしょうか。肯定と否定で反対の意味。元の意味と180度変わるだろ。
だから「何気に」が気持ち悪いのです。
したがって、
何気無しに言った言葉→深く考えずに口に出した言葉
何気に言った言葉→深く考えて言った言葉
となるんじゃないですか。やっぱり違うでしょ。
例文がおかしい、という反論もあるでしょう。それはゴメンなさい。いい言葉浮かばなかったもんで(汗)。
それから、「何気無し」の反対は「何気有り」じゃないか、という反論も予想されます。「何気」だけでは肯定も否定もないじゃないか、と。この部分にはっきりと反論があるなら教示していただければなあと思います。僕は、存在しているものを反対の意味にする場合に「非」「否」「不」「無」があるのじゃないかととらえています。「無関心」「無気力」はあっても「有関心」「有気力」とは言わなくてもいい、程度で考えてます。
さて、「何気に」が辞書に載ったり新聞記事に使用されたり、ということについて、もはや「何気に」は「何気無く」とは異なる言葉になっちゃったのだ、新語が出来たのだ、という考え方もあります。もしもそうであれば「言葉は生きているもの」と考えることも可能なのですが、本当にそうなんでしょうか。
先ほどのgoo辞書、つまり大辞林なんでしょうか、ここにはこう書かれています。
主に若者語で「何気ない」の副詞用法
(1)何気なく(特に深い意図もなく)。なんとなく。
(2)実は。意外と。
(3)気が付くと。知らぬ間
こう書かれますと、既に「何気無い」の本来の意味(1)を超えて、(2)と(3)の意味が新しく生じた、なので「何気に」はもはや認めちゃってもいいような気がしてしまいます。言葉は生きているものですから。
例に出した「なにげにコロッケ激戦区だ」も(1)の意味じゃないような。「何気無くコロッケの激戦区だ」ではもはや無くて、「実はコロッケ激戦区だ」もしくは「知らぬ間にコロッケ激戦区だ」の方が意味が通りやすい。
でもね。
(2)は、僕には否定の言葉内のように聞こえるんです。「実は」というのは「(そうじゃないと思っていたんだけど)実は」ですよね。ひっくり返している。「意外と」というのも「意の外」ですからね。「案外」もそうですね。
「案外」「意外」というのは、「何気無し」と系統は同じ言葉だと思うのです。「考えていること」と異なった状況ということですから。
これは(3)にもいえる事じゃないでしょうか。「知らぬ間に」というのも、頭にあることと異なった状況が生じた様でしょう。だから、結局いずれも否定の意味を伴った同系統の言葉だと思うんです。
「何気無しに」の意味に「実は」「意外と」「気が付くと」という意味が備わってきたとしたら、これは「日本語の変化」と言えるかもしれません。でも「何気に」という「無い」を省略した言葉がこの否定の意味を伴った系統の言葉に入ってくるのは、どうも納得がいかん。
「何気に」が「意外に」であればそのうちに、「何気なく」は「意外じゃなく」なんて意味になっちゃうかもしれません。二重否定だ。つまり何気なくは「予想内」的な意味になっちゃう。これはさすがに言葉の崩れだと思うんです。
そんなの考えすぎだ、「何気に」はただの省略語。そんなのいっぱいあるじゃないか。「こんにちは」は「今日はお日柄も良く」の省略だし「あけおめ」は「あけましておめでとう」だ。それでも成立してるじゃないか、という意見もあるでしょう。
でも、意味を180度ひっくり返してはいかんでしょう。「あけましておめでとうございません」を「あけおめ」にしてるようなもんだ。省略していい部分と、してはいけない部分があるのじゃないでしょうか。「何気に」はだから、僕はつかう気にならないのです。
さて、横丁のご隠居の繰言はこのくらいにしておこうかなと思います。それは、僕にこんなこと言う資格があるのかってことで(汗)。
と言いますのは、僕にも(そして日本語にも)これについては「前科」があるのでは、と思っているからです。
それは「何か」「何だか」という言葉です。なんかよくつかいますよねこの言葉。何だか自然に出てきます。
でもこれ、もしかしたら「何となく」の省略ではないのか。あるいは「何だか知らないけれど」とかの。そうだとしたら、これはマズい話だと思うのですよ(汗)。後半の否定部分を省略した言葉ですから。でも、通じている。
難しいことはわかりませんよ。「何となく→何か」と「何気なく→何気に」が同じことであるのだ、とも言うだけの知識も持っていませんしね。でも、さっきまで大上段にかまえて偉そうに言っていた事がちょっと揺らぐのも事実(笑)。
こういうの、いい取扱説明書がありませんかねぇ。僕の脳内では、これが限界。
私にとって、果たして体力が持つか?
…そんな不安いっぱいの大忙しの1週間、珍しくPCを立ち上げない日もあったほどの1週間の間に、凛太郎さんは、いつもよりも多く(笑)、たくさん記事を更新していたんですね。
それはいいとして、最近聞かれるようになった言葉って、たいてい、若い人発信ですよね。年寄はもう言葉を生み出さないということか(笑)。で、まるでそれを使わないと「若さ」に欠けているような焦りが、私のような「中高年」にはあったりする。
でも、やっぱり、それなりに意味が理解できないと使えないわけで。
もうすっかり馴染みになりつつある「全然〜する(肯定)」は、口語的には比較的使うようになりました。自分なりに文法こじつけも出来なくもないし。でも、「ヤバい」の、若い人の使い方は、私には未だ出来ない。ヤバいはやっぱり、私の中で「よくない」時にしか使えない。
「何気に」は、私の中では割と口語的には使っている方です。でも、やっぱり、「何気なく」と言う時が断然多いかな。それは、ホントはこの言葉を生み出した人たちにとっては正しい使い方ではないのかもしれないが。だって、若い人たちの会話を聞いていると、ただの「意味のない接続語」だったりするもん…。
あと、「ガチで」というのも、未だ使えず。
やっと「マジで」が分かってきたところなのに。
まぁ、基本的には言葉は変遷して行くものだと思っているので敢えて「間違いだ」とか、「そういう言葉を使ってはダメ」だとか言うつもりはないですが。
淘汰されて行くでしょうね、結局は。
残る言葉は、たぶん、それなりに文法説明がつくものか、または、口語的にそれを使うと発音などがしやすくなる、新しく生まれたもので、それを表現する言葉がこれまでなかった、など、その言葉の使用になんらかのメリットがあるモノだけになってく気はしますが…。
なんか、凛太郎さんの記事の趣旨からそれてるな。
いつものことながら、ごめんなさい^_^;