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    頭痛が痛い

  • 2010.01.27 Wednesday
  • この間、ちょっと博多へ行きましてウダウダと遊んだ話を書いたのですが(前記事参照)、その記事をもうひとつのブログの福岡県を書いた記事ににセルフリンクしておこうと思い(壇一雄旧宅が無くなっていたので追記しなくては、と思い)、当該記事を久々に開いたのです。
    何気なくその記事を読み返していましたら、「うわ、やっちゃってる」と思いました。何をやっちゃったのかと言いますと、
    あれから20年以上も経つ。僕は前述したように時々は福岡へ旅行に行くようになった。もちろん鈍行列車で行くばかりでもなく、ちゃんと新幹線なども利用することもある…
    (凛太郎の徒然草:僕の旅 福岡県)
    うーん、「旅行に行く」は一応いけませんね。ちゃんと推敲してない証拠。これはつまり「頭痛が痛い」と言っているのと同じです。しまった(笑)。

    ただですね。僕はこういうことに保守的な人間なので一応「しまった」とは思うのですが、「旅行に行く」なんて日常会話では普通に使用しますね。「頭痛が痛い」ほどの不自然感はありません。自分としては重言ですからあまり使用したくはないんですが、人に「その遣い方はおかしいよ」なんてことは言いませんよ。だいたい、自然に聞いてしまって気がつかないでしょう。こうして文字に起こすから「旅く」が「あ、重なっている」と気付くんであって。
    最も適当なのは「旅行する」なのでしょうが、これだとその「行く」という能動的所作が伝わりにくい。じゃ「旅行に出る」がそれに相当するのでしょうけど、その「出る」という語感がどうも強く感ぜられることがあります。僕の上記の文章で言いますと「福岡に行く」と「旅行」を省いてしまうのが最もすっきりします。
    もちろん「旅に行く」と書くこともそりゃいいですが、どうも「旅」という言葉から連想されるのは股旅・一人旅・放浪・彷徨なんて方向性であって、観光や団体旅行の時につかいにくい。パックツアーに参加するときに「旅に行くのさ」なんて言えば「何気取ってんだコノヤロー」なんて言われかねない。難しいんですよ(汗)。
    語感はともかく、辞書的には「旅行=旅」と考えていいのでしょう(→goo辞書)。ならば「旅行に行く」でもさほど問題はないのでは。重言には確かに引っかかりますけど、それでも「修学旅行に行く」「海外旅行に行く」となれば、もう他に言い様がない気もするんです。難しいなー。

    こういう言葉って、他にもたくさんあるように思うのです。その最も代表的なのが前述した「頭痛が痛い」なんでしょうけど。これは確かに揶揄の対象となりますが、他にも自然に、ごく普通についつかってしまう言い回しってありますよね。
    僕も「詳細を詳しく教えてくれ」とか絶対に言ってそうだ。「後で後悔するぞ」とか(笑)。こうして活字にすると「おかしい」と気がつきますけど、例えば「僕が感じた最大の違和感は…」なんて、ブログにも書いたことあるんじゃないかなー。
    これについて、いろいろ考えてみたんです。なんで、不自然な場合があったり、そうでなかったりするのか。でもよく分かりませんでした(汗)。だれかちゃんとした回答を教えてくれ…と言いたい所ですが、詳しい人に言語学的に解説されても当方アタマ悪くて結局わかんねー、なんてことが予想されますので、これは保留します。また自分なりに到達したら記事にするかもしれませんけど。
    おそらく、「旅行=旅」であるとするところにヒントがあるような気がするんですけどね。「旅行」が「旅に行くこと」じゃなく「旅」という固有の意味を持っちゃったと言いますか。
    そもそも「旅」と「行」って意味が似ています。重複した意味の漢字を並べているといいますか。こういう単語の作り方ってあるらしいんです。強調させる場合とか、同音異義語と区別させる場合とかで。そもそも「重複」だって意味がかさなってますよね。「切断」「計測」然り。あ、話がずれた。
    こういう「旅行」のような熟語が中国発なのか日本の造語なのかは知りませんけど、長年使用し続けるうちに使用する場所が固定され、固有の意味を持ってしまう場合もあるような。それだと、違和感を持たなくなるのじゃないでしょうか。
    「給食」は字面だけで言いますと「食べ物を給わる」という意味ですが、そんな謙譲的な意味で使用しませんよね。これは学校などで提供される食事のことを指すのが一般的です。もう「給食」という独立した言葉として定着してますから「給食は残さず食べましょう」には違和感をもたない、ということに…ああなんだかややこしくなっちゃってるな(汗)。
    つまり、和語と漢字の熟語で少し意味が乖離してしまっていることってあるのじゃないかと。もう少し考えると、例えば「犯罪」。犯罪というと、これは刑法に触れる罪を指すと思います。やれば捕まる事柄ですね。「オマエそれは犯罪やぞ」と。これが「罪を犯す」となると、刑法とかあんまり関係ないような。もっと道徳的な「罪」も含むような。「私は罪を犯してしまいました。他の人を好きになってしまいました」みたいな。こんなふうに、漢字の熟語になると、意味が固定化されてくる傾向があるんじゃないかと。
    だから「給食をたべる」「犯罪をおかす」なーんて言い回しがよく聞こえるようになっちゃったんじゃないかなーと思ったりするのです。違うかなぁ(汗)。

    さて、頭痛が痛い。これは実に違和感ありますね。全く。「馬から落馬」とともに、この手のおかしな使いまわしの代表格と言えます。
    しかしこれだって、定着しないとも限らない。いわゆる「日本語の乱れ」の話とは違いますけど。
    「頭痛」といえば、病気のことですよね。アタマがガンガン、あるいはズキズキ痛む症状のこと。しかし、これを「頭が痛い」とやっちゃいますと、これは病気だけを示しません。悩ましい事態を表現するのにも使います。「うちのドラ息子停学くらっちゃってさー、ホント頭が痛いよ」みたいに。これは別に頭がズキズキしているわけじゃありません。
    同様のことはないかと思いましたら、例えば「骨折」なんてのもそうですね。これは怪我ですけど、「骨が折れる」と言えば、苦労するさまを表現するのにも用います。
    こういうのは比喩であって特例だとは思うんですけど、文脈によっては「頭が痛い」「骨が折れた」と書いて、どっちの意味か分からなくなってしまうことも想像されるわけで。さっきの「和語と漢字熟語で意味が乖離する」状況に似ているような。
    だからといって「頭痛が痛い」を肯定しようとも思いませんけど(どうもやっぱりキモチ悪いので)、線引きって難しいなと思うんですね、いろいろ考えますと。どこからが間違いで、どこからが許容されるのかがイマイチわかりにくい。
    これ書くのに、ちょっと辞書も見たんです。そうしたら、例えば「違和感」にはこう書いてあるんです。(→goo辞書)
    ここの例文に「—を感じる」って載ってるんですよね(笑)。おいおい、これはOKなんかいっ、と。同様に「酒の肴」というのもおかしいと思い調べましたら、辞書に例文として引いてある。肴は酒菜のはずなんですけどねぇ。だから、線引きがよくわかんないんですよ。
    無理やりまとめますと、こういう重複する意味の言葉を並べるのは、冗長になるので避けたほうがいい、とは言えるかもしれません。前述の僕の文ですと「福岡に旅行に行く」よりも「福岡に行く」の方がずっとすっきりする。「いちばん最近では」とか「今現在は」とか、こういう言い回しを避けることが文章を読みやすくさせることは確かです。だから、気をつけたい。話し言葉の場合は…もう通じればそれでいいのかもしれませんけどね。

    結論の出ない話をつらつら書いてしまいました。少し雑談を。
    こういう重複した言葉についていろいろ考えてますと、ここ数日、目に耳に入るあらゆる言葉が気になってしょうがなくて(汗)。これはあまり関係ないだろう、てな言葉もなんか引っかかってくるのです。
    例えば広告の「スーパープライス価格」。言わんとしていることは分かるんですよ。でも、プライスって価格のことでしょうが(笑)。
    これは固有名詞が絡むので全く問題ないのですが、例えば「四日市市」とかね。なんか気になる(笑)。「船橋橋」とかね。
    重複意味からすれば、「高松塚古墳」なんてのも気持ち悪くなってきます。もちろん固有名詞ですから何の問題もないのは分かっていますが、つい気になってしまう(汗)。もう病気です。
    外来語とか多いですね。「ゴビ砂漠(ゴビは砂漠の意味)」「ポタージュスープ(ポタージュはスープの意味)」「フラダンス(フラはダンスの意味)」。だからと言って間違いだとも言いにくいんですが。
    逆に英語、ローマ字表記とかもなんか気になって。「Mt.Hieizan」とか重複ですよね。でも、これはしょうがないですけど。「Mt.Hiei」ならなんとか成立するかもしれませんけど、「立山」「白山」「月山」だと成立しにくい。「Mt.Gatsu」って何じゃそら、ですから。でも「Mt.Fuji」って言うよなー。
    ここでややこしいのは寺ですよね。「Yakushiji Temple(薬師寺)」とか表記します。これも「寺」まで含めて固有名詞として考えれば意味が重なってもいいとします。ところが、「Hase Temple(長谷寺)」とか表記したりもするんですねぇ。寺を"じ"と読むか"てら"と読むかで表記に異なりが出てしまって。これも厳密な法則性があるわけでもないんでしょうけど。
    言葉遊びになりますが、唐招提寺は「Toshodaiji temple」ですよね。ところで、その「招提」という言葉はそもそも梵語で「寺院」という意味があるんです。なので、招提・寺・templeとなればもう「寺、寺、寺」と(笑)。

    このくらいにしておかないとアタマがおかしくなってきます。何でも重言に見えてきて頭痛が痛くなります。
    「踊りを踊る」「歌を歌う」っていったい何?(笑)。もうこんな当たり前の表現でさえ気持ち悪く見えるんです。他に書きようがないんですけど。そう言えば昨年末「American tune」を記事にしたとき「And sing an American tune」をどう訳すか悩んだもんなー。
    オチに持ってきては怒られるでしょうけれども、斉藤和義さんの名曲「歌うたいのバラッド」。心にしみる美しい曲だということは承知の上で、

     「今日だってあなたを想いながら うたうたいはうたうよ」

    歌歌いは歌う、ですかそうですかそうですか(笑)。しかし、こう歌うから心に響くんです。ケチなんぞつけてません(汗)。
    歌詞はどうなってるんだろう、とふと気になりまして検索。さすればこうです。→うたまっぷ
    「歌うたいは唄うよ」か。うーむさすが、うまくダブらせないように表記されていますね。てか、やっぱり斉藤和義さんも気になったんだと思いますよ、この表記を見れば(笑)。
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    | 2010/01/27 | 言葉 | 00:03 | comments(8) | trackbacks(0) |

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    | 2023/04/12 | - | 00:03 | - | - |

    コメント
    凛太郎さんらしい記事で、面白かったです♪
    「チゲ鍋」もチゲは鍋って意味らしいから鍋鍋ですねw
    頭痛が痛いとか腹痛が痛いとか言う人、いますもんね、違和感ありありですがw
    おもしろかった〜!

    ところで
    わたしのブログのURL 『utautautau』なんですよね。
    このブログ始めるとき HNを『うた』にしようと思ったんです、うた についての記録ブログのつもりだったから。
    『うた』が『歌』を『唄』う、あえて重複したかったんですね。
    …すっかりそのこと忘れてました。
    思い出させてくださってありがとう〜(笑)
    凛太郎さん

    歌は世につれ 世は歌につれ…
    なんていいますが、
    言葉こそ、世につれ だと思いますね…。

    長い長い歴史の中のほんのわずかな、ひと掴みの時間帯に、私たちの人生が存在しているのだとすれば、私たちが、今、文法として作り、使っているものも所詮は、一時のものなのでしょう。

    話は全く別ですが、
    熟語の場合、漢字の意味そのものが合わさって熟語になっているとは限らない気もします。
    要するに、1つの熟語があって、それを原則に、他の漢字を入れ替えて出来ているような熟語があるような。
    給食、なんかは、そうなのかもしれません。
    もともと、支給とか配給とかいう熟語があっての、給食 なのかも。
    大元はもちろん、「給わる」なのですが、こんなふうにできていく熟語は、どんどん、大元の漢字の意味が薄れていくように思うのです。
    また、実際、食べ物が配給されていたような文化は、今の日本には災害時でもない限り、あまり存在しなくなっているし…。

    私もどっちかというと、変な日本語、気になるほうで、娘にも口やかましく言ってしまう方なのですが、一方で、今風な言い方に迎合した方が、実際、伝わりやすいな、と実感することも、しばしば。

    言葉は世につれ…ですね(笑)。
    >にがさん
    全く僕らしい理屈こねた記事でして(笑)。
    「チゲ鍋」も確かにそうですね。これは「Yakushiji-Temple」や「Setagawa-River」と同様のことなんでしょうけれどもね。チゲと言われてもどんな料理かわかんねー、てことで。他に「メコン川」「バスティーユ監獄」なんかもそうですね。「サハラ砂漠」も近いか。
    これも固有名詞であって問題ないんですけど、島根に「江の川」ってありますよね。あれがやっぱり気になる(笑)。
    こんなの言い出したらキリないんですけどね。クーポン券とかアンケート調査とか(笑)。
    >まるちゃん
    この「utautautau」が既に言葉遊びの世界ですねー。うたうたうたう。谷川俊太郎さんが書きそうだ。
    「うたうたいはうたう」も、重言云々をアタマからどければ、実は心地いい響きではあるんですよ。韻を踏んでるのと同じで。
    斉藤和義さんで〆てよかったのかな。実は、原田真二の「♪時間旅行のツアーはいかが?」とどっちにしようかとちょっと迷ったんですが(笑)。
    >よぴちさん
    まーね、この記事は細かく考えているように見えて、根本のところは全く深くない(笑)。ブログネタとして書いてます。これが「日本語のあり方」とかの方向へいくと疲れるんですよ。以前にそんな方向性の記事を書いては後悔、の繰り返しなもんですから。
    ちょっと言い訳めいてるかな?(汗)。

    「給食」を例に出したのは少しまずかったかしらん。「朝食」とか「定食」にしとけばよかった(笑)。もちろん、給食が「支給食事」の略語であってもかまわないのですが。「○食を食べる」という例が出したかっただけで。
    漢字の意味も、時代とともに変わりますよね。それは和語において「おかし」「かなし」等の意味が昔と今とでは相当変わってしまったのと同様に。
    現在の漢字熟語は相当量が明治の造語である、ということも念頭におかないといけないかもしれません。そもそも出発点において、古来中国の元々の意味とは乖離している場合も多く、日本製熟語が中国に逆輸入、なんて事態も結構あったりしますのでね。
    これを書くにはもうひと記事必要になるな…(汗)。ここらへんで措いてしまうことにします(無責任^^;)。

    僕もね、よく書いていることですが言葉に関しては実に保守的な人間です。嫌いな言葉は数知れず。でも、それ以上に権威主義が嫌いで、結局「新語・流行語」の擁護にまわっちゃうこともあるんです。なんだかなーと自分でも思いますよ(笑)。
    重語自体はそこまで否定されるものではない気がします。
    感情とは感じられるものであって、怒り(という感情)を感じるなら普通だと思います。音が重なるから違和感があるのではないでしょうか。
    また怒りを感じると怒りがするでは前者の方が積極的な気がし、ニュアンスも変わると思うんで、必要っちゃあ必要かと。
    歌も歌われるものであって、歌う以外の身近な表現もなく、(何々という)歌を歌うとなれば仕方ないのでは。
    耳障りという人もいるんで重語表現は避けた方がいいのかもしれませんが

    以下は私見
    頭痛が痛い=頭痛自体が痛んでいる訳ではない。頭痛は症状、部位は頭。頭痛で頭が痛いならまだあり?
    詳細を詳しく=もっと詳しく
    後で後悔=忠告の後と実行の後で後が二度ある
    アメリカに渡米=アメリカ以外にないので変
    馬から落馬=あまり馬に馴染みがないため、何々という馬から、と考えにくい。それと落ちるで十分。旅行に行くと旅を旅行するでは異なる?
    一番最近=様々な時点の比較が存在するため?何にとっての最近とか関係なく、一番近くと言いたいのでは
    今現在=今、即ち現在。強調表現

    変な言葉もありますが、大事なのはどこに視点を置き、どのように文を補うかにあるような気もします。自分は英語の現在完了とかもよく解りませんでしたし、日本語は柔軟すぎるのかなあ。
    理外の理。文面では矛盾している語でありながら、(自分の知っている)理の外の理、としてやれば分かるわけです。

    漢字の意味の変容ですが、意味が変わっても本質は変わっていないものもある気がします。
    例えば妙。(たぶん)よく分からんという意味です。今ではやや否定的ですが、昔は趣があるという意味がありました。
    よく分からん。故に美しい。
    何が美しいかよく分からん。
    こういうのは時代が変わったんだと思います。情報過多のこの時代、何が面白いかまで要求される。そりゃあ不可知の代名詞、神も俗っぽくなりますわ。
    言葉は器だと思うことがあります。
    水という器に清水も汚水も温水も冷水も整流も激流と意味が近ければ何でも容れて見せる。そうやって時代毎に形がぶれてゆく。激しく揺れ動くのも水だし、静かに収まるのも水。それを片方に拘って見せるから狂いが出る。
    まあここまでは半分妄想入れて語ってますが。
    字義が絶対とも言いませんし、普段は気にせんのですが、たまに字義を追ってみたくなる時があります。ただ単に変わったと言いきりたくない。この言葉を作った奴は何が言いたかったのかなあとか考えてしまいます。言葉は身近なだけにそれが結構面白かったりします。最終的には言葉遊びを楽しんでたり
    • 石舟
    • 2010/02/04 3:42 AM
    >石舟さん
    どうもありがとうございます。
    本当にそうですね。重言だからといってそう頭ごなしに否定しなくてもいい。
    僕の本音を申しますと、口語ではいくら重言であってもかまわないと思うのですね。基本、通じればいい。それは、NHKのニュースであっても、そう目くじら立てるものではないのではないか。聞いている人間が耳障りでなければ、揚げ足をとる必要の無いほど瑣末なことだと思います。
    問題は、文字になったときですね。あまり重なるとよろしく見えない。文章の簡略化という観点から言っても、読む側にやさしくない。だから、出来るだけ避けた方が読者にとっていいだろう、という考えです。

    ただ、表現のニュアンスってありますもんね。やはり。
    本文でも「旅行する」「旅行に行く」「旅行に出る」はどうも違うと書きましたが、重言にした方が耳馴染みがいい場合もあります。違和感を持つ、より感じるの方が軽くていい場合とか。
    あとは、主観かなぁやっぱり。「詳細を詳しく」はちょっとしつこく感じますが、「今現在」は口語でなら何ら問題ない。そんな、脳内振り分けによってます。説得力ないですねー(汗)。

    漢字、もしくは漢字熟語の意味の変容については、触れなければよかったかなあと思っています。自分でも結論の出てない話を書いてもややこしくなるだけでした。
    そもそも「行」を「ゆく・いく」の意味に当てはめ訓読みという文化を作り上げ送り仮名まで発明した昔の人は偉いと思いますが、違う文化の言語をむりやり同一化したとも言えますし、完全合致もしていません。「おさめる」が「治・収・納・修」となってしまい、逆に「生」なんてどれだけの和語を兼務しているか。そんな異なる言語同士を結婚させた齟齬みたいなものが、重言なんかに綻びとしてチラホラ現れているのかも、なんて想像もしてみたり。
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