この間、ちょっと博多へ行きましてウダウダと遊んだ話を書いたのですが(
前記事参照)、その記事をもうひとつのブログの福岡県を書いた記事ににセルフリンクしておこうと思い(壇一雄旧宅が無くなっていたので追記しなくては、と思い)、当該記事を久々に開いたのです。
何気なくその記事を読み返していましたら、「うわ、やっちゃってる」と思いました。何をやっちゃったのかと言いますと、
あれから20年以上も経つ。僕は前述したように時々は福岡へ旅行に行くようになった。もちろん鈍行列車で行くばかりでもなく、ちゃんと新幹線なども利用することもある…
うーん、「旅行に行く」は一応いけませんね。ちゃんと推敲してない証拠。これはつまり「頭痛が痛い」と言っているのと同じです。しまった(笑)。
ただですね。僕はこういうことに保守的な人間なので一応「しまった」とは思うのですが、「旅行に行く」なんて日常会話では普通に使用しますね。「頭痛が痛い」ほどの不自然感はありません。自分としては重言ですからあまり使用したくはないんですが、人に「その遣い方はおかしいよ」なんてことは言いませんよ。だいたい、自然に聞いてしまって気がつかないでしょう。こうして文字に起こすから「旅
行に
行く」が「あ、重なっている」と気付くんであって。
最も適当なのは「旅行する」なのでしょうが、これだとその「行く」という能動的所作が伝わりにくい。じゃ「旅行に出る」がそれに相当するのでしょうけど、その「出る」という語感がどうも強く感ぜられることがあります。僕の上記の文章で言いますと「福岡に行く」と「旅行」を省いてしまうのが最もすっきりします。
もちろん「旅に行く」と書くこともそりゃいいですが、どうも「旅」という言葉から連想されるのは股旅・一人旅・放浪・彷徨なんて方向性であって、観光や団体旅行の時につかいにくい。パックツアーに参加するときに「旅に行くのさ」なんて言えば「何気取ってんだコノヤロー」なんて言われかねない。難しいんですよ(汗)。
語感はともかく、辞書的には「旅行=旅」と考えていいのでしょう(→
goo辞書)。ならば「旅行に行く」でもさほど問題はないのでは。重言には確かに引っかかりますけど、それでも「修学旅行に行く」「海外旅行に行く」となれば、もう他に言い様がない気もするんです。難しいなー。
こういう言葉って、他にもたくさんあるように思うのです。その最も代表的なのが前述した「頭痛が痛い」なんでしょうけど。これは確かに揶揄の対象となりますが、他にも自然に、ごく普通についつかってしまう言い回しってありますよね。
僕も「詳細を詳しく教えてくれ」とか絶対に言ってそうだ。「後で後悔するぞ」とか(笑)。こうして活字にすると「おかしい」と気がつきますけど、例えば「僕が感じた最大の違和感は…」なんて、ブログにも書いたことあるんじゃないかなー。
これについて、いろいろ考えてみたんです。なんで、不自然な場合があったり、そうでなかったりするのか。でもよく分かりませんでした(汗)。だれかちゃんとした回答を教えてくれ…と言いたい所ですが、詳しい人に言語学的に解説されても当方アタマ悪くて結局わかんねー、なんてことが予想されますので、これは保留します。また自分なりに到達したら記事にするかもしれませんけど。
おそらく、「旅行=旅」であるとするところにヒントがあるような気がするんですけどね。「旅行」が「旅に行くこと」じゃなく「旅」という固有の意味を持っちゃったと言いますか。
そもそも「旅」と「行」って意味が似ています。重複した意味の漢字を並べているといいますか。こういう単語の作り方ってあるらしいんです。強調させる場合とか、同音異義語と区別させる場合とかで。そもそも「重複」だって意味がかさなってますよね。「切断」「計測」然り。あ、話がずれた。
こういう「旅行」のような熟語が中国発なのか日本の造語なのかは知りませんけど、長年使用し続けるうちに使用する場所が固定され、固有の意味を持ってしまう場合もあるような。それだと、違和感を持たなくなるのじゃないでしょうか。
「給食」は字面だけで言いますと「食べ物を給わる」という意味ですが、そんな謙譲的な意味で使用しませんよね。これは学校などで提供される食事のことを指すのが一般的です。もう「給食」という独立した言葉として定着してますから「給食は残さず食べましょう」には違和感をもたない、ということに…ああなんだかややこしくなっちゃってるな(汗)。
つまり、和語と漢字の熟語で少し意味が乖離してしまっていることってあるのじゃないかと。もう少し考えると、例えば「犯罪」。犯罪というと、これは刑法に触れる罪を指すと思います。やれば捕まる事柄ですね。「オマエそれは犯罪やぞ」と。これが「罪を犯す」となると、刑法とかあんまり関係ないような。もっと道徳的な「罪」も含むような。「私は罪を犯してしまいました。他の人を好きになってしまいました」みたいな。こんなふうに、漢字の熟語になると、意味が固定化されてくる傾向があるんじゃないかと。
だから「給食をたべる」「犯罪をおかす」なーんて言い回しがよく聞こえるようになっちゃったんじゃないかなーと思ったりするのです。違うかなぁ(汗)。
さて、頭痛が痛い。これは実に違和感ありますね。全く。「馬から落馬」とともに、この手のおかしな使いまわしの代表格と言えます。
しかしこれだって、定着しないとも限らない。いわゆる「日本語の乱れ」の話とは違いますけど。
「頭痛」といえば、病気のことですよね。アタマがガンガン、あるいはズキズキ痛む症状のこと。しかし、これを「頭が痛い」とやっちゃいますと、これは病気だけを示しません。悩ましい事態を表現するのにも使います。「うちのドラ息子停学くらっちゃってさー、ホント頭が痛いよ」みたいに。これは別に頭がズキズキしているわけじゃありません。
同様のことはないかと思いましたら、例えば「骨折」なんてのもそうですね。これは怪我ですけど、「骨が折れる」と言えば、苦労するさまを表現するのにも用います。
こういうのは比喩であって特例だとは思うんですけど、文脈によっては「頭が痛い」「骨が折れた」と書いて、どっちの意味か分からなくなってしまうことも想像されるわけで。さっきの「和語と漢字熟語で意味が乖離する」状況に似ているような。
だからといって「頭痛が痛い」を肯定しようとも思いませんけど(どうもやっぱりキモチ悪いので)、線引きって難しいなと思うんですね、いろいろ考えますと。どこからが間違いで、どこからが許容されるのかがイマイチわかりにくい。
これ書くのに、ちょっと辞書も見たんです。そうしたら、例えば「違和感」にはこう書いてあるんです。(→
goo辞書)
ここの例文に「—を感じる」って載ってるんですよね(笑)。おいおい、これはOKなんかいっ、と。同様に「酒の肴」というのもおかしいと思い調べましたら、辞書に例文として引いてある。肴は酒菜のはずなんですけどねぇ。だから、線引きがよくわかんないんですよ。
無理やりまとめますと、こういう重複する意味の言葉を並べるのは、冗長になるので避けたほうがいい、とは言えるかもしれません。前述の僕の文ですと「福岡に旅行に行く」よりも「福岡に行く」の方がずっとすっきりする。「いちばん最近では」とか「今現在は」とか、こういう言い回しを避けることが文章を読みやすくさせることは確かです。だから、気をつけたい。話し言葉の場合は…もう通じればそれでいいのかもしれませんけどね。
結論の出ない話をつらつら書いてしまいました。少し雑談を。
こういう重複した言葉についていろいろ考えてますと、ここ数日、目に耳に入るあらゆる言葉が気になってしょうがなくて(汗)。これはあまり関係ないだろう、てな言葉もなんか引っかかってくるのです。
例えば広告の「スーパープライス価格」。言わんとしていることは分かるんですよ。でも、プライスって価格のことでしょうが(笑)。
これは固有名詞が絡むので全く問題ないのですが、例えば「四日市市」とかね。なんか気になる(笑)。「船橋橋」とかね。
重複意味からすれば、「高松塚古墳」なんてのも気持ち悪くなってきます。もちろん固有名詞ですから何の問題もないのは分かっていますが、つい気になってしまう(汗)。もう病気です。
外来語とか多いですね。「ゴビ砂漠(ゴビは砂漠の意味)」「ポタージュスープ(ポタージュはスープの意味)」「フラダンス(フラはダンスの意味)」。だからと言って間違いだとも言いにくいんですが。
逆に英語、ローマ字表記とかもなんか気になって。「Mt.Hieizan」とか重複ですよね。でも、これはしょうがないですけど。「Mt.Hiei」ならなんとか成立するかもしれませんけど、「立山」「白山」「月山」だと成立しにくい。「Mt.Gatsu」って何じゃそら、ですから。でも「Mt.Fuji」って言うよなー。
ここでややこしいのは寺ですよね。「Yakushiji Temple(薬師寺)」とか表記します。これも「寺」まで含めて固有名詞として考えれば意味が重なってもいいとします。ところが、「Hase Temple(長谷寺)」とか表記したりもするんですねぇ。寺を"じ"と読むか"てら"と読むかで表記に異なりが出てしまって。これも厳密な法則性があるわけでもないんでしょうけど。
言葉遊びになりますが、唐招提寺は「Toshodaiji temple」ですよね。ところで、その「招提」という言葉はそもそも梵語で「寺院」という意味があるんです。なので、招提・寺・templeとなればもう「寺、寺、寺」と(笑)。
このくらいにしておかないとアタマがおかしくなってきます。何でも重言に見えてきて頭痛が痛くなります。
「踊りを踊る」「歌を歌う」っていったい何?(笑)。もうこんな当たり前の表現でさえ気持ち悪く見えるんです。他に書きようがないんですけど。そう言えば昨年末「
American tune」を記事にしたとき「And sing an American tune」をどう訳すか悩んだもんなー。
オチに持ってきては怒られるでしょうけれども、斉藤和義さんの名曲「
歌うたいのバラッド」。心にしみる美しい曲だということは承知の上で、
「今日だってあなたを想いながら うたうたいはうたうよ」
歌歌いは歌う、ですかそうですかそうですか(笑)。しかし、こう歌うから心に響くんです。ケチなんぞつけてません(汗)。
歌詞はどうなってるんだろう、とふと気になりまして検索。さすればこうです。→
うたまっぷ
「歌うたいは唄うよ」か。うーむさすが、うまくダブらせないように表記されていますね。てか、やっぱり斉藤和義さんも気になったんだと思いますよ、この表記を見れば(笑)。
「チゲ鍋」もチゲは鍋って意味らしいから鍋鍋ですねw
頭痛が痛いとか腹痛が痛いとか言う人、いますもんね、違和感ありありですがw