スポンサーサイト

  • 2016.12.30 Friday
  • 一定期間更新がないため広告を表示しています



    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    能古島で思う

  • 2010.01.20 Wednesday
  • 年明けからなんだか旅づいています。東北から帰ってきたと思えば、翌週の土曜は18切符が2枚あったので、カミさんと讃岐へうどんを食べに。
    この日は坂出市を中心に、彦江、日の出製麺所、がもう、山下とハシゴ。いずれも名店でありつい2玉づつ食べてしまい、合計8玉。天ぷらなども相応に食べたので腹がはちきれんばかりになりました。4軒回るのに要した時間は2時間半。実に濃密な2時間半となりました。そのあと倉敷とかに遊びに行こうかと思っていたのですが、二人とも歩くことも大儀になり(カミさんは5玉食べた)、そのまま帰ってきてしまいました。厳密に言えばこれは旅ではないな(笑)。

    さらにその翌週。これも厳密には旅とは言えないかもしれませんが。
    月曜に僕は、所用があり博多へ行かなくてはならなくなったのです。所用の中身は実に鬱陶しいことではあるものの時間はさほどかかることではなく、社命は当然、日帰り。しかしこういう場合、僕は当然、勝手に前日から乗り込むのですね。日曜の昼前には、もう博多に居りました(笑)。公的には内緒ですが。
    しかし、余談ですが最近のホテルのダンピング度合いはすごいですね。もちろん日曜の夜は僕が勝手にホテルをとったのですが、ネット予約をするとそこそこちゃんとしたビジネスが4000円せずに泊まれるとは。ビジネスホテルは日曜夜の利用が少なく割引をするところが多いとはよく聞く話ですが、半額以下でっせ(汗)。

    博多はこのとき以来ですから一年も経ちませんね。でも、久々という感じはします。
    まずはラーメンですな。天神の名店でバリカタ(麺を非常に固くゆでる)で注文。ズズっと啜ってすぐさま替え玉。うまいうまい。完麺完汁して、ごちそうさま。博多のラーメンはスピード感も大事なような気がします(本当か?)。

    さて、このあとどうしようか。今回は急にやってきたので、完全にノープランです。
    僕は博多の繁華街である天神にいたので、ここからならどこへだって行けます。あれもこれも考えつつ、最終的には姪浜港行きのバスに乗ってしまいました。つまり、能古島へ行こうと思い立ったのです。衝動的ですね。能古島には、過去3度も行っているのに。
    その時は、漠然と船に乗りたかったのですね。最近、どこへ行くにしても旅先で船に乗る機会が少ない。沖縄には飛行機で行き、那覇に入り浸って離島に渡りませんし、本土ではどこへだって橋がかかったりして。いつ以来かな。久高島か、宮島か。もう忘れてしまいました。
    姪浜港からは、一時間に一本の割で渡船が出ています。片道220円。船旅と言っても10分くらいで着いてしまうのですけれどもね。でも、デッキに出て海風に吹かれると実に気分がいい。1月なのにさほど寒くはありませんね。むしろ、心地いい。

    能古島は、博多湾に浮かぶ小島です。一般的には、花の島として知られます。「のこのしまアイランドパーク」という施設があり、菜の花やコスモスで有名です。しかし、僕はそこには入ったことがありません。
    また、井上陽水先生に能古島の片思いという名曲があり、それによってこの島の名を知る人も多いでしょう。僕の声が君に届いたら…。
    歴史的に言えば、万葉集に能古島を歌った防人の歌も残されていますし、刀伊の入寇や元寇では被害も受けています。歴史散策マニアの僕としてはそういうところにも惹かれるのですが、この島に過去3回も来ている理由は、この島が壇一雄終焉の地であるということに尽きると思います。
    昔、こんな小文を書いたことがありましたが、どうも僕はこの人に思い入れが強い。なので、しばしば再訪してしまうのです。
    船の到着に合わせ、島内バスが接続しています。「アイランドパーク」行きですね。今はコスモスや菜の花のシーズンでもなくわずかに水仙が咲くのみで、入場料が半額ということになっています。そのせいか、シーズンオフなのに来訪者は多く、船もそして島内バスも満員でした。僕もそのバスに乗ります。
    渡船場は島の南端。そこからくねくねした細い道を辿り、島の北端にあるアイランドパーク入り口に着きました。乗客はもちろん全員がそこへそのまま入場するのですが、僕だけはきびすを返して、島を南下する遊歩道へと向かいました。バスの運転手さんがヘンな顔をしています。
    遊歩道、というより生活道路ですかね。尾根道なのですが、海が見えて気持ちがいい。周りはあまなつの畑がずっと広がっています。最盛期なのでしょうか、みかんの黄色が緑に美しく映えます。しばらく行くと、「思索の森」と名付けられた自然遊歩道に入ります。舗装もなくなり、足に優しい道となります。
    そのままブラブラ歩くと、壇一雄の文学碑が森の中にぽつねんと建っています。

     モガリ笛 いく夜もがらせ 花ニ逢はん

    そう碑には刻まれています。この絶筆が書かれたのは、死の5日前。ここ能古島ではなく、入院していた九大病院でした。この辞世の「花ニ逢はん」の花はどういう意味だったのでしょうか。いつも、それを思います。現実的に能古島の花か、それとも波乱万丈だった人生を「花」に託しているのか、それとも、彼岸に咲く花か。どう読んでも「絶唱」には間違いはないのですが。

    その時になって、僕は思いつきました。なんでここに来ようという衝動が起こったのかを。
    話がそれますがごめんなさい。
    正月、僕は妻の実家に行って後、3日にその足で滋賀にいる僕の両親のところへ年賀にやってきました。ここしばらくこの形が定着しています。それに合わせて、兄と妹の家族も集まってきます。
    ところが、今年は人数が少ない。うちには孫世代が3人いるのですが、そのうち高三の姪と小六の甥がいません。
    これは、受験を控えているからです。姪はもちろんのこと、甥もこの年で受験です。いわゆる「お受験」というやつですが、この甥はとてつもなく優秀で、なんと全国模試で何番、というレベルにいるらしいのです。相当の進学校に入ることが可能なので、正月返上で勉強とか。妹の子ですが妹は僕と同じくボンクラですから、こういう突然変異はまぎれもなく妹の配偶者の血であるわけで義弟には本当に感謝なのですが、そんなわけで人が少ない。しかも、兄、妹夫婦も泊まることなく顔を出した程度ですぐに帰ってしまいます。
    孫たちの勝負の時だとは分かってはいるものの、じいさんばあさんはやはり寂しそうです。
    その日は正月寒波の余波で、風の強い日でした。窓の外では、びゅうびゅうと木枯らしの音が響いています。時として「ピューー」と鋭い音もします
    じいさん(つまり僕の父)はふとつぶやきました。「もがり笛だな」と。
    もがり笛とはつまり、冬の激しい風が音を立てて吹くその様の形容です。その意味を、その場にいた誰も分からなかったということがこの家族の偏差値を示していて(甥がいかに突然変異かということが分かる訳ですが^^;)じいさんはがっかりしたわけです。僕は、壇一雄のおかげで一応この言葉を知っていましたのでなんとか話を繋げられて良かったのですが。
    そんな会話があったことを、ここに来るまですっかり忘れていました。そう書くと創作めいてしまいますが、これは本当のことで、言わば「もがり笛」という言葉が僕の深層意識に刷り込まれ無意識下の行動へ繋がったのかと。不思議なものです。

    遊歩道を抜け、島の小道を辿り、島のもっとも高所へとやって来ました。ここに、新しく展望台が出来ています。以前に来たときには古い老朽化した展望台があり確か立ち入り禁止で登れませんでした。なので眺望は全く望めなかったのですが、今日は登ることが出来ます。
    登れば、360度すべて見渡せます。玄界灘に目をやれば、志賀島から遠くに相ノ島、そして玄海島。振り返れば博多の街。福岡タワーや福岡ドームが眼下。遠くには脊振山。そして糸島半島。糸島半島には、壇一雄とリツ子の思い出の地、小田の浜があります。よく晴れたおかげで、絶景です。
    僕は、長くそこに佇んでしまいました。いろんなことが浮かんでは消えます。
    僕が子供の頃、我が家は5人家族でした。長じて子供にそれぞれ配偶者ができ、孫が生まれ、僕の目から見れば「家族が増えた」と単純に考えていました。けれども、今年の正月の様子を見ると、これは大家族ではなく、いくつもの家族が集まった集合体なのです。孫(つまり僕の甥姪)の目から見れば例えば僕の家は「おじさんち」であり別家族でしよう。
    こんなことは、自明のことだったはずです。しかし親になっていない僕はいつまで経っても両親の子供という位置づけから離れなかったので、あまりそういうことに実感が湧かなかったのです。家族というものは、増殖しそして分裂し、そして世代が移る。甥や姪は、もう受験する歳。最近は時間の経つのが早いので、瞬く間に自立する歳になるでしょう。そしてまた家族が分裂していく。歴史とはそういうものです。
    僕も、それ相応の子供でもいれば、そういうことに実感が伴ったでしょう。しかし、友達みたいな妻と二人だけでずっと暮らしてますので、そんなふうには思い至らなかったのです。
    壇一雄は、早世してしまった次郎さんも含めて、5人の親でした。だからこそ「火宅の人」になりました。もしも僕が今、壇一雄と同じように「事を起こした」ならば、二人きりの我が家はどうなるのでしょうか。果たして「火宅」となるのか。偶然にも今の僕の歳は、壇一雄が「事を起こした」、つまり愛人と同棲を始めた歳と同じなのです。
    おそらく「火宅」となる前に宅そのものが消滅してしまうでしょう。僕はいつも「二人でも家族だ」と言い張りますが、最小単位であるこの家庭には、火宅となるほどの強い家の絆は、存在しない。片方がコケれば、即消滅。
    もちろん、僕は当然火宅など望んでいませんし、僕が能動者として火宅にしようなどとはこれっぽっちも思っていません。だいいち、そんな甲斐性も無い(笑)。

    博多湾に浮かぶ小島である能古島には、今日は、繰り返しますが冬なのにうららかな日が注いでいます。風も無く、もがり笛など全く聞こえません。壇一雄が亡くなったのも同じ一月だったはずですが。
    玄界灘を眺めながらずいぶんと長く展望台に佇んでしまいました。もう黄昏が近い時間です。僕は山を下り、港方面へ向かいました。
    最後に、壇一雄の旧宅へと向かいます。この終の棲家にはいつも必ず訪れています。
    能古うどん直売所の角を曲がり、ちょっと坂を上って…来馴れた道です。ここを曲がれば見えてくるはず…

    あれ、ない?!

    そこにあるはずの白い古ぼけた小さな家がなく、オレンジ色の豪奢な家が建っています。まだ作庭中のようで工事の人もいます。どういうことなんだいったい。
    そういえば、ここに至る道でいつもあった「→壇一雄旧宅」の案内標識が取り外されていました。おかしいなとは思っていたのですが。しかしあの家を取り壊してしまうとはひどい。あれも一種の文化財だったはずです。どこの業者がそんなことをしたんでしょう。もうバブルの時代じゃないというのに。
    僕は腹を立てつつ港へと戻ってきました。港には、島の物産即売場に併設して小さな観光案内所が設けられています。そこの人に、いきさつを少し聞いてみようとおもいました。さすれば、

    「ああ、あそこは息子さんが引っ越してこられたんです」
    「え、太郎さんが、ですか?(驚)」

    太郎さんとはもちろん、壇一雄の長男で壇ふみさんの兄、壇太郎氏。しかも別荘ではなく、奥さんの晴子さんとあの家に完全に住んでおられるとか。へー。
    これでは、文句をつけることは出来ません。後から調べますと、太郎さんも還暦をとうに過ぎ、壇一雄が亡くなった年齢を既に超えておられるようです。父の終の棲家となったこの能古島を自らも最後の家とすべく、火宅の家のあった石神井を引き払いこちらに居を構えたとか。あの古い家にはさすがに住むことは出来ないでしょうから、新築となったのでしょう。
    ここでも、世代交代か。
    時代は、ゆっくりとではありますが確実に移り変わっているのですね。どの世界でも、どこの家庭でもそれは同じなのです。
    僕は壇太郎氏の著作も持っていますが、さすがにそこまで氏に思い入れはありません。あの家も無くなり、僕が能古島を訪れるのもこれが多分最後でしょう。名残を惜しみながら、姪浜行きの船に乗り込みました。

    すっかり日も暮れた頃、博多天神に戻ってきました。酒でも呑もう。
    まずは、博多名物鉄鍋餃子。小さな鉄鍋に所狭しと密着し並べられた小ぶりの餃子は、もちろんのことながら熱々。切り取って一口。パリッ 〜 あつつつっ! 〜 じゅわっっ 〜うまぁぁぁ! そこでカンバツ入れずにジョッキを傾けます。ぐびっ 〜 ぷはぁ〜 うまぁぁぁ!
    以後これの繰り返しです。たまりまへんなぁ(笑)。
    そのあと僕は天ぷらの店に行って焼酎。博多には豚肉の天ぷらとか鶏の天ぷらとかありますけど、これがまた美味いのですなぁ。最後に、うどん屋に行ってゴボウ天うどん。満腹です(当然だ)。

    そして翌日遅くに帰ってきました。一人だけ博多で遊んだ僕にお怒りの様子の奥様には、もちろん明太子を土産に差し出しましたよ。こんなささいな事でも火宅に発展してはたまらない。食い物の恨みは恐ろしいですからねぇ。
    ここで普通なら「帰宅の人」というオヤヂギャグを入れるところですが、これも使い古されてましてオチには使えませんね。うーむ。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2010/01/20 | 随感 | 23:25 | comments(4) | trackbacks(0) |

    スポンサーサイト

  • 2016.12.30 Friday
  • このエントリーをはてなブックマークに追加 Check


    | 2016/12/30 | - | 23:25 | - | - |

    コメント
    凛太郎さん
    そうなんです。能古島。息子さんが家を建てられたそうで。1年くらい前、文芸春秋か何かの雑誌で兄弟の片方が兄弟について語る特集があって、そこで、檀さんが、家を新築中であることと、引っ越したら、1度、「よくできた」妹さんに、パーティーとして来てほしいと書いておられた。
    九州は修学旅行で行ったきりなので、必ず再上陸したいと思っていますが、私の体力的にも、茶戌の時間的にも、長い旅は出来ないだろうから、行きたいところの、どこから手をつけようか、決めあぐねています。
    そういえば、能古島もあったな(もちろん私も陽水さんによって「片思い」している土地です)、と、凛太郎さんの記事を読んで思い出した。以前観た旅番組で、ハンバーガーを紹介していたような。
    凛太郎さんの旅の記事は、いつも私を刺激してくれる。どんどん行って、どんどん報告してください(笑)!
    >よぴちさん
    壇一雄旧宅がなくなったこと、ご存知でしたか。大手の雑誌に載っていたのなら、結構知られていることなのでしょうなあ。僕は全くのところ疎くて(汗)。現地に行くまで白紙でしたよ。
    「のこバーガー」売ってました。さすがに僕も胃袋無制限ではなく食べなかったのですが、これも評判なんですか。なーんも下調べせずに行きましたからダメですねー(笑)。

    ブログ読んでいただいていればお分かりでしょうけど、僕も不惑を過ぎてからは本当にショートトリップばかりです。時間がねーよ。でもまあ、短い時間でも旅行は楽しめますけどね。是非ご夫婦でどうぞ。僕みたいに一人で出かけて美味いもん食べた話をトウトウとしたりしますと火宅になりますので(笑)。
    火宅の人

    映画見に行きましたよ。

    壇一雄さんのような私小説を書ける作家に憧れながら…そこまでの勇気もネタもなく…(笑)

    火宅の人の書かれた時代は愛に純粋だった時代のかも知れません。
    …今の時代は携帯を駆使すれば、火宅になることもなく(爆)いろんなことが出来る。

    福岡は未踏の地

    身体と胃袋が元気に動く間に(笑)行ってみたいなぁ
    >アラレさん
    そういえば「火宅」は確か映画化されたんですね。トンと疎くて…(汗)。アラレさんはよく映画を観に行かれてるから。
    愛に純粋に立ち向かっていたのかどうかはよくわかんないですけど(何でも天然の旅情のせいにしてはいかんと思いつつ 笑)、情熱は過剰ですよね。その部分については、憧憬も感じます。
    しかしいくらケータイを駆使したって火宅にはなるでしょうに…え、ワシは技術不足で駆使出来ないからダメなんだって?(汗) あ、でもそんな技術はご教示いただかなくて結構ですからねっ(と、表向きはそう言わなくちゃ^^;)
    まあ博多のメシはうまい。そういう場所を探す技術はあります♪
    コメントする
    通りすがり・暇人・名無しなどの呼びかけにくいHNはご遠慮下さい








       
    この記事のトラックバックURL
    言及リンクのないトラックバックは受け付けません ごめんなさい
    トラックバック

    CALENDER

    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << October 2019 >>

    CATEGORY

    ANOTHER BLOG

    メインブログ
    酒・旅・フォーク・歴史・プロレスをテーマにときどき更新


    ちょっと歴史っぽい西宮
    別館・西宮歴史探訪サイト
    凛太郎の自転車操業
    西宮地域ブログ

    PROFILE&BBS&MAIL

    自己紹介です。
    BBS
    掲示板です。
    Mail
    メール送信フォームです。

    NEW ENTRIES

    SEARCH THIS SITE.

    ARCHIVES

    RECENT COMMENTS

    RECENT TRACKBACK

    BLOG PARTS


    RECOMMEND


    MOBILE

    qrcode

    SPONSORED LINKS


    OTHERS


  • フィードメーター - 凛太郎亭日乗


  • ついったー




  • 無料ブログ作成サービス JUGEM