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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    平泉再訪記

  • 2010.01.05 Tuesday
  • 謹賀新年、凛太郎です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

    僕は例によって女房の実家、そして自分の両親のところへ行っていたわけですが、今年も何とかショートトリップを挟むことに成功しました。どこに居たかと言えば、奥州平泉です。
    29日から移動を始めたわけですが、ちょっと東京で逢わなければならない人がいたりして太平洋側回りで動きました。
    んで、夕刻には仙台へ。愛してやまない杜の都です。光きらめく定禅寺通り。この「光のページェント」と呼称されるイルミネーションはおそらく光の祭典としては日本一だと僕は(自己の思い入れも含み)思っています。
    しばし散策し、その夜はまず活魚居酒屋へ。冬の三陸の幸はもう何を食べても美味いのですが、とりわけ牡蠣は最高ですなあ。豊潤なる海のミルク。生牡蠣はもちろんのこと、ちょっと火を通したほうが好みの僕は、焼き牡蠣そして味噌を使ったホイル焼きと堪能しました。もう酒がすすむすすむ。仙台来たら呑まざるをえないのですよね。うまいのぉ。
    ここで酩酊して泊、と書けばそれでいいのですが、酔った勢いでつい牛タンも食べに行ってしまったのです。やっぱり仙台ではこれも食わんと。タン焼きと麦飯とテールスープのセットをしっかり平らげ(汗)、酩酊および満腹して泊。いいかげんこういう飽食は止めねば…(無理か)。

    翌日。娘の帰省を首を長くして待つ義母さんのもとへとりあえずカミさんだけを向かわせまして、僕はちょっと途中下車。平泉に寄ります。
    平泉にやってくるのは、かれこれ20何年ぶりとなります。いやあ久々の再訪です。
    ここしばらく平泉は世界遺産騒ぎがあったわけですが、どうもそれは見送りとなってしまったようで。観光客としては俗化を免れたわけで有難いのですけどね。しかしこの暮れも押し迫った日にも、結構観光客は居ます。外人さんが目立つかな。ある程度宣伝にはなったようです。
    平泉、と聞いて、僕が以前訪れた20何年前は、圧倒的に目玉は義経であったわけです。判官終焉の地として。かく言う僕もやはり義経が主眼でした。かつての僕は、義経フリークであったかもしれません。小学校3年の読書感想文に「義経記」を選び、ガキのくせに「義経ジンギスカン説を支持する」てな小学生にあるまじき話を書いて、父兄懇談会で話題にされてしまって恥ずかしかったと母親が言っていた記憶があります。全く生意気なことでした。
    以後、高校生で坂本龍馬と出会う前はずっと義経ファンでした。
    そののち、僕の義経に対する評価は二転三転。軍事ばかりで政治状況が読めない阿呆だと思ってしまった時期も確かにありました。ですが30歳を過ぎた頃、僕は義経を再評価しはじめます。以前ここで書いたことがありましたが、この軍事の天才はもしかしたらものすごく卓越した政治眼を持っていたのではないのか。そんな思いが今も頭を離れません。

    閑話休題。20何年ぶりの平泉の今の目玉は、圧倒的に奥州藤原氏です。栄耀栄華を誇り、悲劇的な結末を迎えた藤原三代。大河ドラマなどの影響もあるのでしょうし、義経の相対的評価の低下もあるのでしょう。そんな平泉再訪です。
    駅に荷物を置いて身軽になり歩き出します。クリスマス前の寒波による雪もすっかり溶け、足元に不自由はありません。まずは無量光院跡へ。平等院鳳凰堂を模して建てられたというその規模にまず驚き、藤原秀衡の「本気度」をまざまざと感じます。
    そして、伽羅御所跡へ。秀衡、泰衡の居住地であったこの地は、宅地化され往時をしのぶものは何もない、と言ってもいいでしょう。でも、それを想像力で何とか補おうとつとめます。
    その北に、柳之御所跡があります。かつての清衡、基衡、秀衡の居館。ここは発掘が進み、そのかつての姿を現しつつあります。前に来たときにはまだ何もなかったんですけどね。これは有難い話です。東京ドーム2.5個分もある広大な屋敷跡。北上川のほとりにその威容が映じています。
    僕はしばし佇んでしまいました。この屋敷は、秀衡が鎮守府将軍となったことで政庁がおかれ、そして秀衡は居住地を伽羅御所に移したとされています。ぼくはこの政庁こそが、鎌倉幕府に先んじて成立した日本最初の幕府であるという考え方を持っているのですが(→ここで前に書きました)、この敷地の規模を見るに付け、そのことが確信となって僕を襲います。やはり平泉幕府は存在したのだと。

    そのまま北へ向かいますと、義経が秀衡を頼って奥州にやってきて住んだところとされる高館があります。いわゆる衣川館ですね。小高い丘の上にあり、山城であったことが想像されます。
    登りますと、そこには義経を祀った祠があります。館の跡はもちろん全く無く、果たしてこの場所が義経自刃、そして弁慶立ち往生の場所であったのかどうか、それは分かりません。ただ、見晴らしは素晴らしい。眼下に北上川の雄大な流れ、そして遠方には衣川。正面には束稲山が聳えます。この美しき風景を見ると、天才義経に相応しい場所であったのかなとも思えますね、やはり。芭蕉はこの場所を衣川館と信じ、「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠みました。碑が建っています。

    中尊寺へと向かいます。平泉の象徴。解説は不要だと思います。
    ここも、小高い山の上にあります。開山は平安初期ですが、清衡がここを大伽藍に作り変えました。月見坂と呼ばれる尾根道をたどって行くのですが、以前は走るようにして登ったのにこの歳になるとキツい(汗)。もしかしたらここは寺であり、また要塞も兼ねていたのか、と想像してしまいます。
    金色堂はその奥の奥にあるわけですが、宝物館である讃衡蔵が新築され以前よりも立派に衣替えしていました。まずこちらから。
    ここには様々な資料、宝物が展示され、その金色堂の細工の凄さにまた感嘆するわけですが、清衡の棺、また泰衡の首桶にはどうしても厳粛な気持ちになります。これを書き出すときりがありませんので割愛しますが。
    そして、金色堂。何度見ても凄いですね。経蔵や旧覆堂その他の建物も見学し、下山します。

    少し端折りますか。僕はその後、義経妻子の墓などに詣でたのち、観自在王院跡へと。ここは二代基衡の夫人が造営した寺院とされていますが、規模があまりにも大きく圧倒されます。基衡夫人の墓もあるのですが、この夫人は安倍宗任の娘とされています。これも、様々なことを考えてしまいますね。
    そして毛越寺へ。
    かつて、この美しくも大規模な堂宇と庭園を誇る寺院の宿坊がユースホステルとして開放されており、僕も宿泊したことがあります。そして、寺に泊まったものだけの特権である拝観時間前の誰も居ない庭園の散策を経験しました。
    あの時は夏でした。そして今、寒さ厳しい冬の毛越寺庭園に佇みます。こういうの、思いが溢れますね。季節を除けばあの頃と、僕が二十歳そこそこだったあの頃となーんも変わっちゃいない。変わったのは、年を経て中年になった僕だけです。

    そんな感傷に浸った後、街中に湧く温泉にゆっくりとつかり、一年の垢を落とします。いやー気持ちいい。
    冬はつるべ落とし。もう日は傾き、あたりは夕暮れの足音が。さて、義父母の待つ津軽へと向かいますか。僕は駅へとぶらぶら歩き出しました。


    この正月は天候が荒れに荒れました。津軽名物である地吹雪を久しぶりに体験しましたね。何が暖冬なもんか(笑)。そうして列車ダイヤも乱れに乱れ、ホウホウの体で僕は関西に戻り、僕の実家にも寄り、そしてようやく帰ったところです。休みも終わっちゃったなー(しゅん)。
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    | 2010/01/05 | 旅行 | 00:43 | comments(8) | trackbacks(0) |

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    | 2016/12/30 | - | 00:43 | - | - |

    コメント
    凛太郎さん
    エライなぁ…。奥さんのご実家にも顔を出すとは…。
    私は、今年は茶戌の実家には行かなかった。もう、行かないと決めた。
    ま、その話題はいいとして。
    ブログ仲間の方に、宮城の方もちらほらおられて、光のページェントの写真は毎年見ているのです。それに、茶戌が出張で宮城に行った時のおいしそうな海の幸も、写真では、見ているのです。
    けど、行ったことがない。そのうち必ず、行くぞと思ってはいますが。
    平泉、イメージとしては、つわものどもが夢のあとっぽいイメージ。
    けど、そんないつの昔の話か、そんな匂いはしないんだと思いますが…。
    東北にも、行きたいところはいろいろ。平泉、奥入瀬、遠野…。俗っぽいですが、太宰の実家も押さえておかなくては…。
    う〜ん、夢は荒野を駆け…、ん?荒野じゃないよ、私の場合はまだまだ。
    旅好きの凛太郎さんに背中を押され、ちんも巣立つこれから、少しずつ、動き始めたいと思っています。
    先ほどは私のブログのほうにお越しくださいましてありがとうございます。
    東北の海の幸本当においしそうですね。
    読んでいて羨ましくなりました。
    以前仕事の関係で東北方面に行ったことがあるのですがその時の日本酒がとても美味しかったことを思い出しました。
    凛太郎さんの旅の記録はその様子が目の前に浮かんでくるようで読んでいてとてもそそられるものがあります。
    平泉の来訪うらやましいです。
    是非一度その威容を見てみたいと思いつつまだそれが果たされておりません。
    義経、に関しては私も「政治的阿呆」とは思えないのです。そのことに関してはいつか書ける機会があればと思ってはいるのですが。(最近「玉葉」で面白い記載を見つけたので近くそれを書いて見たいを思っています。)
    今年も凛太郎さんのブログ楽しみにしております。
    • さがみ
    • 2010/01/06 6:52 AM
    >よぴちさん
    いやいや、僕の方はよぴちさんとは立脚点が違います。うちは義父母は近くに住んでいませんし、一年一度しか顔を合わせません(例年、盆は妻だけ帰省)。しかも一昨年は義父脳梗塞で病院での見舞のみ、昨年は僕の歯痛で行きませんでしたから、濃度が違います。それに津軽弁で意思の疎通がほぼ出来ませんから(汗)。
    ま、その話題はいいとして(笑)。

    仙台は、以前書いたことがありますがよく年末年始を過ごした思い出の地。平泉は久々でしたが、歴史ヲタクの僕としては外せない場所ですね。
    年頭の記事のカテゴリは是非「旅行」で始めたいといつも思っています。でも、例年書くことが減少しているように感じますね。これがもしも20年前、いや10年前に僕がブログを書いていたとしたら、年末年始は旅行記事の連載となったことでしょう。
    それが、今書けば一話完結で尽きてしまう。そこがなんとも。動けなくなった自分を痛感しています。
    よぴちさんから見れば、贅沢な話かもしれませんね。ごめんなさい。でも、うちは二人家族ですからそこらへんは勘弁してください。ケーキにデコレーションしてくれる娘はうちにはいませんから、せめてそのくらいの幸せは大目に見ていただきたいと(笑)。

    遠野も奥入瀬も金木も、とてもいいところです。このあたりの思い出も、機会をみつけてまた書いてみたい。ネタはいっぱいあるのです。フォークの話にでもからめて…(笑)。
    平泉は今も「つわものども」の夢の跡の匂いがぷんぷんしていましたよ。そんなに簡単に歴史は失われないもんです。
    ぜひ、よぴちさんにも訪れて欲しいと願っています。
    >さがみさん
    食い意地が張ってますもんで、どうしても美味い魚と酒に惹かれます。旅に出たときくらいは、贅沢でなくともなんとかそれら逸品を賞味したいなと。年齢を考慮しつつ(まだつい量を過ぎる癖がありまして^^;)。

    平泉の衣川舘に立ち、義経主従のことに思いを馳せておりました。ここで討死した弁慶はじめ一騎当千の猛者たち。その中には、鷲尾三郎もいたはずです。
    さがみさんの小説が三草山に差し掛かったところまで昨年読んでいました。そろそろ鷲尾三郎の登場だな、と思いつつ旅行に出ました。
    旅から帰り「蒲殿春秋」の続きを読みますと、やはり鷲尾三郎が登場しています。僕からすれば「出たー」ですが、その登場のさせ方がなんとも…さすがだと。

    >若者の名は鷲尾三郎という。
    >この鷲尾三郎と義経の出会いがこの戦いにおける神話のような奇跡を引き起こすことになる。

    カッコいいっ。失礼な物申し方を承知で、本当に巧い。ツボを突くと申しますか、こういうの、ゾクっとくるのです。連載小説を読む喜びがここにあります。
    今年も、楽しみに読ませていただきます。どうぞよろしくお願いします。「玉葉」のことも期待しております。
    こんにちは
    平泉は私も随分前に一度行きました。10年ぐらい前になるかなー。仙台で松島や青葉城を見て、小岩井農場でチーズ食べて、平泉へ向かいました。中尊寺金色堂を見て「歴史の教科書に載ってたのがこれかー」と奥州藤原氏の当時の勢力を改めて実感したものです。
    義経伝説はこちら九州の方にもあちこちあります。
    特に朝廷への反逆者として歴史から抹殺された緒方三郎惟義は義経をかばって最後まで闘った人物として今も伝説的存在となっています。
    先日NHKBSで「壬生義士伝」がありました。「龍馬伝」もそうですが、江戸末期の混乱で日本人のアイデンティティが大きく変わって行くことへのものすごい葛藤があったと思いました。

    栄枯盛衰・諸行無常ですなー。

    • ninngennmodoki
    • 2010/01/11 12:07 PM
    >ninngennmodokiさん
    平泉、そちらからですと遠いですね。でも東北は旅をするのにはいいところですよね。まさに平泉では、栄枯盛衰をいやおうなく思わされますね。

    そういえば、大分には緒方三郎がいましたね。荒城の月の岡城にも伝説が残っていたような。僕の住む兵庫県西宮からほど近い尼崎の大物浦にも、緒方三郎の伝説が残っています。
    歴史の転換点には、多くの人々の生き様がありますね。
    平泉!!!!
    凛太郎さんの平泉紀行を拝読したらますます行きたくなりました。
    それでなくても当社監査役が来週は平泉だそうで自慢された私は行きたい病にかかっていました。

    いつか平泉に行く前にもう一度凛太郎さんの記事を拝読したいです。
    • jasmintea
    • 2010/01/14 12:59 PM
    >jasminteaさん
    今の平泉は寒そうですねー(汗)。凍てついているんやないかな。監査役様には、お気を付けなさるように申し上げたいと思います。
    jasminさんは、関西在住の当方より平泉は近いわけで、これからいくらでもチャンスは回ってくるだろうと思いますけど?(笑) この記事では僕は簡単に書いていますし、参考にはならんかも。jasminさんならもっと濃い内容の旅が出来ると思います。
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