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    そして僕は途方に暮れる

  • 2009.03.07 Saturday
  • よぴちさんのブログを読んでいて、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」が発売されて25年経ったということを知りました。そうか。四半世紀か。ある意味途方に暮れる思いがします。

    そして僕は途方に暮れる(25th ver.)
    そして僕は途方に暮れる(25th ver.) 大澤誉志幸

    大沢から大澤へと改名(漢字の変更も改名だろう)されていたのも知りませんでした。以後、大澤さんと。

    よぴちさんが書かれておられることで「ああその通りだなぁ」と思うのは、この曲が「春の曲」のイメージであるとおっしゃられていること。確かに僕もそう思います。これは何故なんだろうなあ。しかももっと限定すると、2月下旬から3月、ちょうど今の季節です。長い冬がようやく終わりを告げ、それでもまだ寒さが残る初春。いわゆる卒業シーズンがイメージの底に浮かび上がります。
    調べますと、この曲のリリースは1984年の9月。春を想定して描かれたものではないでしょう。
    僕は、日本のポップスシーンにさほど詳しくはありません。後になって大澤さんがデビューの時に「和製オーティス・レディング」と異名をとり注目された歌い手であったことを知ったのでありまして、僕が大沢誉志幸という名前を初めて認識したのは日清のカップヌードルのCMソングとして「そして僕は途方に暮れる」が流れ始めたからでした。。

     もうすぐ雨のハイウェイ 輝いた季節は 君の瞳に何を映すのか

    このCMは何シリーズも作られたように憶えていますが、最初はおそらく冬の季節だったのではなかったでしょうか。記憶違いだったとしたら申し訳ありませんが、僕が印象に残るのは、マフラーを巻いた金髪碧眼のあどけない少女がはにかみながらキスを待つ場面の描写であったような。そしてそのCMが僕に刷り込まれたのが、ちょうどこの季節だった、というのが当たっているような気がします。そして、この切なすぎる詩と旋律が、ちょうど別れの季節である3月の何とも言えない浮き足立ったサヨナラの寂莫感と合致して記憶された。
    おそらくそんなところだろうと思います。僕の場合は。だから条件反射的に、この歌は春だ、と。僕の脳裏に浮かぶ情景だけでの話なので、資料的には間違いであるかもなんですけど。

    以前TVだったと思いますが、この「そして僕は途方に暮れる」という名曲が産み出され、そしてそれが、その後いかに大澤さんを縛っていったか、という物語を視聴した記憶があります。むろんTV番組ですからそこには演出もあるでしょうし割り引いて考えなければなりませんが、R&Bのボーカリストとして屈指の実力を持った大澤さんをいかにして世に膾炙させるか、ということでチームが組まれ、そしてその中には当時大学を卒業したばかりの若い詩人、銀色夏生さんも居た、と。その試行錯誤の中で、「そして僕は途方に暮れる」という、喪失感や寂寥感をあらわすのにこれほどのコピーはない、と思われる言葉を紡ぎ出した銀色さんと、R&Bの申し子のような大澤さんが融合しあの切なくてたまらない旋律を生み出したという奇跡の話。そして大ヒット。
    しかし、本来R&Bの旗頭であった大澤さんは、ロックサウンドを前面に押し出していきたいと願うものの、まだ久保田利伸もMISIAも世に出る以前の、R&Bに対して無理解な音楽業界は大澤さんに「また、そして僕は〜みたいな音楽を作ってくれ」と要求し続け、苦しみ、ついに大澤さんはこの名曲を封印してしまいライブでは歌わなくなってしまったのだ、と。
    目先の利益最優先の業界ではさもありがちな話だとは思いますが、その大澤さんが再び歳月を経てこの名曲をセルフカバーしてくれた、というのは、僕のような薄っぺらいリスナーにとっては実に嬉しい話ですし、呪縛からの解放なのかもしれない、と思います。何と言ってもこの曲は紛れもなく大澤さんの作り上げた名曲。
    よぴちさんも「音自体はすごく透明感があるのに、パーカッションとかヴォーカルはFunkyなんですよね」と看破されている通り。実は大澤さんの才能に十分に裏打ちされた楽曲であったのですから。

    音楽に対しての知識も才能も無い僕がこういうことを受け売りで書いて恥ずかしい限りです。でも、いい曲だと思うのは確か。そしてこの季節にこの曲を聴くとなんとも言われぬ思いがこみ上げてくるのもまた事実です。
    この曲は切なすぎる別れを刻んだものとして本当に一級品だと思いますが(銀色夏生さんってよくもまあこう琴線に触れる言葉を選び出してくるね)、二人の想い出のつまったリムジン(と彼が矜持を含めて思っている車)が心の中で遠景となっていく中、強がって強がって送り出した彼の心の虚無感を「途方に暮れる」と言い切る部分は圧巻です。
    僕の中ではこの曲は3月の曲なのですが、僕はそれほど恋愛体験が豊富でないにせよ、好きだった人との別離というものは、片想いも含め幾度も経験があります。それは、全て3月の出来事でした。あのときも、またあのときも。
    そして、「輝いた季節」というものを広義に「否応なしに別れざるを得なかった青春」と解釈すれば、それとの訣別の季節もまた3月でした。3月というこのサヨナラの季節に、「そして僕は途方に暮れる」という曲を耳にするとき、甦るものがまた多すぎて、胸に迫るものを抑えきれなくなる自分を発見してしまうのです。蒼いと言うなら言いなさい。でもまだ、鮮明なんだ。

     見慣れない服を着た 君が今 出て行った
     Tu tu tu tu…
     

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    | 2009/03/07 | 音楽 | 16:53 | comments(4) | trackbacks(0) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 16:53 | - | - |

    コメント
    凛太郎さん
    トラックバック、ありがとうございます。
    私はいつも、軽い気持ちでサラサラっと書いてしまっては、その後にいろいろな方々の深い洞察を交えた文章を読んで、自分の軽さを反省することが多いのですが、まさに、今回も、凛太郎さんはいろいろ調べて、きちんとした考察をWebに載せてますね。反省、です。
    大澤さんに変わったのは知ってましたが、私が使った音源はあくまで「大沢」時代のもので、迷った挙句「大沢」と表記しました。
    が、「大澤さん」、その後もライヴなんかではこの曲をよく歌っていて、それは年々Funkyになってきてるんですよ。私はR&B大好きばばぁなのですが、この曲に関しては、どこか「蒼さ」を求めているところもあるのか、あんまりFunkyになりすぎないでほしい気持ちでいます。
    As Time…では、あんまりプライベート書けなかったのだけれど、私も、この曲に重なる「別れ」の思い出があるのです。あくまでも、自分の心の中で、自分で勝手に作った「別れ」ではあるのですが。
    確かにこの曲が出たのは冬前だったな、と思いつつ、やっぱりこの曲は春のイメージなのは、そんなこんなもあるんだろうな、と思います。
    蒼いおもいで、たまには思い出してもいいですよね、「いい大人」になってないといけない私たちでも(笑)。
    >よぴちさん
    お世話になりました。m(_ _;)m
    ところで、よぴちさんの話を「深くない」と思っている人っていないと思いますよ。僕のこの記事と比べても、どう見たって僕の方が長いだけで軽薄(汗)。
    僕はこの記事内でも何度も断っていますが、ほとんどの事を記憶に頼っています。ちゃんと調べて書いていないので資料性はありません、と。きちんと考察、などと言われますと穴に入りたい。念のために一応検索をかけて、この曲の25年前の発売日が9月だったということと、名前が大澤さん表記に変わった、ということだけは調べました(知らなかったんですよ^^;)。でも、よぴちさんが知って大沢と書かれておられるのはちゃんと分かっていますし、僕も一部使い分けています。

    それにしても、沁みいる曲ですなー。
    新バージョンは聴いていないのですが、上記TV番組で「現在の」ライブVer.を確か聴いたのです。イメージは確かに変わっていました。Funkということがよく分からんジジィの僕は、それを「詠嘆」であると捉えています。気持ちが強く入るとそうなる。でも「詠嘆」が強いと「蒼さ」から離れるもんだろうなとは思います。
    なーんかね。別れの空虚感が強すぎるうたなんで、直接バックグラウンドで流れていたわけでもないんですけれども、イメージがどうしてもその時の蒼い自分と重なる。そして春は別れ。いろんなことが相乗効果で思い出されてしまいます。よぴちさんもそういうところがあると聞いてちょっと安心。外見は「いい大人」でありますけど、どうも蒼くてねぇ(笑)。
    少年少女の感受性の豊かさを示す言葉が“蒼さ”。

    過ぎた日の痛みを心の片隅に映し出しくれる曲を聞き、あの日々の自分の姿を思い出している。


    “蒼さ”は褒め言葉だと思っています。

    私自身も見た目は十分過ぎるほど(笑)大人ですが“蒼さ”は大切に抱きしめていたいです。

    大人の“理性”を携えながら“蒼さ”を失わないしなやかな生き方をしたい。

    『途方にくれ』た時が『現在(いま)』に導いてくれていることを凛太郎さんはちゃんとお気づきだと…。
    >アラレさん
    蒼さってなんでしょうね。アラレさんの言葉を聴きつついろいろ思いが揺れていました。
    本音は失いたくはないけれども、出来れば今の歳になれば隠しておかないとちと恥ずかしい。でも、底の方では息づいていて欲しいと自分だけが願うもの。素直になれない。
    かつては、何を見ても時めき、輝きを見逃すことなどなかった。それも蒼さが根底にあってこそか。磨耗する感受性は惜しい。でも、意地を張ったり妥協が出来なかったり、周りが見えなかったりしたのもやっぱり蒼さか。もう少しあの時の自分に柔らかな思考回路と視野の広さがあったなら、あんな別れなどしなかったのに。
    時としてあの時の蒼さを恨む自分もまた見つけます。果たしてどっちがいいのか。どちらも自由自在であるのがアラレさんのおっしゃる「しなやかな」生き方であるのでしょう。でもそんなに器用でもない。またそんな器用さを自覚し発揮できるとしたら、そういう僕は果たしてまだ蒼いと言えるのかな。
    堂々巡りです(笑)。

    少年少女の感受性の指針が蒼さであるとするなら、やはり含羞を帯びながらもどこか片隅には残しておきたい。でも経験値はずるさも産みますけど、傷つけたり傷つけられたりすることから自分を守ってくれる。両方自分の中に息づくしなやかな生き方をしたいと願ってはいるものの、たいていは反比例してしまう。どうしたもんかな。

    こういうことをグダグダと考えてるのって、やっぱり蒼い?(笑)
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