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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    等持院にて

  • 2008.03.15 Saturday
  • 最近よく京都へ行くのです。よく、と言っても今年に入ってから三度目ですか。
    楽しいお出かけであれば記事にしようかとも思うのですが、たいていは何らかの用事で。まあ浮世の義理もこの歳になればいろいろありますのでね。そりゃしょうがありません。
    今回もそんなこんなで京都に居たのです。人と北野白梅町で待ち合わせ。
    まあこのあたりはかつて「庭」と言ってもいいほど頻繁に出入りした場所だったのですが、最近はとんとご無沙汰です。で、僕はわざと早着しまして、ちょっと北野の天神さんなどをぶらついていたわけです。
    梅が盛りですね。もう大変な人出です。一年でいちばん人の多い季節ですね。この春先という時は。梅と、そして合格祈願と。もう受験の時期は盛りを過ぎたとは思うのですが、まだまだ人はいます。これからさらにひと踏ん張りの若者もまた多いのでしょうね。

    用事は幸い午前中で終わりました。昼食でも一緒にどうですか、と誘われたのを「ごめんなさいこの後予定がありまして…」と断っちゃってその場を後にしました。
    でも本当はこのあと特に用事はないのです。ちと面倒だったんで(悪人でごんす)。まあおそらく相手も儀礼で言ったのでしょうと判断して(なんせここは京都 笑)、昼下がり、僕はちょっと散歩がてら西方向に歩き出しました。
    しばらくすると等持院への道案内の看板が出てきます。
    この足利氏の菩提寺である等持院に入るのは、もう20年ぶりになるでしょうか。僕が京都を離れてからは来た事がありません。でも、20年くらいの時間はこういう古刹には関係ありませんね。
    なんで等持院に来ようかと思ったのかと言えば、まあ近くまで来たのでついでってことが大きいですけど、ふと霊光殿にある足利歴代将軍像が見たくなったのです。最近足利将軍、中でも足利義材(義稙)とか義澄とかね、そのあたりの人のことの本を読んでいたりしたものですから。
    この将軍像って本当に見る価値ありますね。幕末史に詳しい人なら木像梟首事件はご存知だろうと思うのですが、その現物ですよ。これも歴史のひとつの証人ですよね。それだけでなく、それぞれ個性豊かな将軍たちの顔を見ているだけでも様々に思いが沸き起こります。やっぱり足利義教は信長に顔まで似てるな(いや時代から言えば信長が似てるのですが)、とか義持は哀しそうな顔だな、とか、おお抜刀将軍義輝だ、とか。足利将軍は個性がみな強い。
    庭は夢窓国師作。その見事な庭園の中に足利尊氏の墓があります。この親分肌の初代将軍に合掌。
    さらに、ここには坂本龍馬はんの最初の師匠とも言うべき河田小龍の墓があるのです。これは幕末ファンでも案外知らない人が多い。
    河田小龍については、ジョン万次郎や坂本龍馬との繋がりなどは広く知られ、海援隊にも多くの門人を送り込んだわけですが、その晩年は京都に居た、ということは意外に知られていません。小龍の後半生は結構波乱万丈だったのです。ともあれ、小龍は土佐ではなく京都に眠っています。

    この等持院というお寺は、かつては広大な寺域を誇っていましたが、今はやはりかなり縮小しています。その敷地はかつて撮影所になったり野球場が出来たりして、今はといえば大学が隣接して寺域のかなりを占めています。河田小龍の墓に詣でるのには、なんとその大学の構内を通り抜けてでないと行けません。大学が寺域を分断しているのです。
    小龍の墓はありました。ただ、昔と少しイメージが変わっているような。墓石は変わりないのでしょうが、周りの雰囲気が少し変わったように思います。等持院墓地は少し区画整理をしたのかな。まあ勘違いかもしれませんしはっきりしたことは言えませんが。合掌してその場を後にしました。

    これでこの話を終わってもいいのですが、僕はとても久しぶりにこの場所に来たことで何だか非常に高揚した気持ちになっているのです。なので、歴史の話はこのくらいにしてもう少し書きたい。
    次回に続く。
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    | 2008/03/15 | 旅行 | 22:11 | comments(2) | trackbacks(1) |

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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | 22:11 | - | - |

    コメント
    懐かしいお話を読んで思わず書き込みに来ました。
    北野白梅町は私が大学時代に住んでいた場所です。京福電鉄駅の近くにミスタードーナッツとコンビニがありました。まだあるのかなー。紅梅寮という女子学生だけのアパートに住んでいました。
    北の天神の紅梅にちなんだ名前だったと思います。今もあるのかしら?
    大分に帰る前日友達と一緒に梅を見に行きました。これで見納めと思うとさびしかったです。
    等持院といえば、庭から立命館の建物が見えて借景が台無しになっていたお寺ですねー。
    そういえば理工学部の先に誰かのお墓があると立て札がでてましたが、あれですか?
    映画監督のマキノさんのお墓もあると聞きましたが違いますか?
    本当に懐かしいお話でした。卒業以来一度も行っていない京都・・今年こそもう一度足を踏み入れたいものです。
    >ninngennmodokiさん
    このあたりは本当に僕たちにとってはたまらない場所ですね。ninngennmodokiさんには分かっていただけるのではないかと思っていました。
    白梅町のミスドの場所には、今は大きなスーパー(イズミヤだったかな)が建ってしまっています。コンビニはどうだったかな。今はいろんなコンビニが乱立していますからねぇ。風景は少しづつ変化していますが、嵐電の駅はあいかわらずボロいままです。あそこも時が止まっています。
    等持院の衣笠山の借景は大学がさえぎってしまっていますが…僕はもう昔の姿を知りませんので、あそこに大学があるのが当たり前で。もう50年も経てばあれも新しい風景となるのか…無理ですね(笑)。
    理工の先の看板は記憶にないのですが(汗)、マキノさんのお墓はあったかな? 尾上松之助の墓はあるんですよ。牧野省三の銅像は等持院正面にありますけどね。撮影所の名残ですね。

    大学の話は次記事で触れました。感傷的な記事なんで恥ずかしいのですけれども。
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