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    | 2023/04/12 | - | | - | - |

    卯月の桜

  • 2014.04.01 Tuesday
  • 4月になりました。僕の周辺では、どこも桜満開です。
    この季節に咲き誇る桜は、卒業入学の象徴のような存在であり、別れと新たな出会いに舞い散る桜は不可欠のようになっています。
    そういう歴史は、実際は明治以降のことだと思っていました。「年度」という概念が生じて、4月から翌年3月をひとくくりとし、丁度桜の咲く3月末から4月始めを切り替わりの時期としたのは、明治です。それまでは当然暦年です。1月1日が始まり。
    昔は、そういう役割を担っていたのは梅ですね。菅原道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花〜」と詠みましたけれども、道真が都を追われ大宰府に行かされたというのは、ひらたく言えば転勤命令が出たということです。当時の切り替り時期はやっぱり1月ですから、梅が咲いているということ。

      睦月たち春の来たらばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ (大弐紀卿)

    万葉集のうたですが、他にも1月は梅であると繰り返し歌われます。
    桜はいつ咲くの、と言えば、梅のすぐあとです。

      鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ (詠み人知らず)

    いろいろと調べますと、1月に梅が咲いた後、もう2月初めには桜は咲き始めるんです。早くないか?
    高名な西行法師の歌。

      願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ

    如月の望月というのは、つまり2月15日です。2月初めにほころびだした桜の蕾は、半ばに満開を迎えます。昔は、桜はそんな寒い時期に咲いていたということですね。

    このあたりで、僕を阿呆だと思っている人が多いと思います。オマエ陰暦と陽暦の違いも知らんのか、と。
    細かい説明は省きますが、明治以前は日本では月の満ち欠けを基準とした太陰暦を使用していました。すると、暦は約1ヶ月程度ずれるんです。だから、「如月の望月のころ」というのは今で言う3月半ばということになります。
    あれ、それでも早くないかい? と思われた方もいらっしゃるでしょう。僕もそう思いました。九州ならともかく西行のいる近畿地方ではとてもとても。しかも、西行の頃の桜というのは、山桜なんです。
    桜というものは、かつては山に咲いている花でした。山というのは、平野部より通常は気温がさらに低く、当然開花も遅れるわけです。とても3月に咲くことはありません。
    なので、これについては論争がおこっています。西行は桜好きとして有名で、観桜の名所吉野山に草庵をいとなむくらいなのですが、この「花の下」の花は、桜とは違うのではないかと。
    2月15日というのは、釈迦の入滅の日です。涅槃に入った日。西行はお釈迦様と同じ日に死にたいと願ったわけで、さすれば「花の下」とは沙羅双樹の花の下ということではないか。そのような説も出ています。
    ただ、当時の公家日記などを詳細に分析しますと、結構如月に桜は咲いているんです。花を見に行くが寒い、という話は、わんさかあるようです。
    西行が思った花は桜であったかどうかは、わかりません。しかし如月の望月の頃に、桜は満開であっても当時は全くおかしくなかったんです。気温の低い山に咲く花なのに。

    いろいろ調べていて、僕は桜の歴史というのは品種改良の歴史なのだということを知りました。そして、長い年月をかけて人は、桜の開花時期を遅らせてきたのです。
    もちろん、卒業入学の季節に合わせるためではありません。宴のためです。
    桜は、山が原産。それを平野部にもってくると、確かに早めに花が咲いてしまうのです。山桜を平地に持ってきたのは御所の「右近の桜」が嚆矢だと言われていますが、4月の声をきくまでにみな散ってしまいます。温暖化現象の現在と違い、昔はもっと寒かったはずなのに。
    とても、花見の宴は凍えてできない。しかし観桜の宴はしたい。なので、桜の開花時期をなんとか遅らせたい。
    ということで、品種改良を進めたわけです。もちろん当時はバイオテクノロジーなんてのはありませんので、少しでも遅咲きの桜を探してはそれを増やしていく、という手段しかありませんでしたが。
    そして1000の歳月をかけて、ここまできたわけです。
    その中でも、江戸末期の「ソメイヨシノの突然の出現」は、長い桜の品種改良の歴史の中でも画期的なことでした。
    開花がちょうどいい頃である、ということ以外に、葉が出るよりも花が先に咲く、というのが素晴らしかった。何といっても華やかです。山桜というのは花と葉が同時に出ますから。
    ピンクの花だけが一斉に木を覆って咲くソメイヨシノは、明治に入ってから日本を席巻します。日本中の桜がソメイヨシノとなり、みな同種ですから一斉に咲き、一斉に散ります。それが明治から始まった「年度」という概念とうまく合致しました。
    「桜舞い散る中の別れと出逢い」とは、いろんなことが重なって生まれたものなのです。

    さて、今日の一曲。中条きよしの「うそ」を。

     
      youtube

    ムード演歌が結構好きでしてね。中でもクールファイブと中条きよしがお気に入り。
    もちろん、エイプリルフールですからこの曲ですし、記事の中にもうそがたくさんまじっているわけです。4月1日に記事を書くなら、多少はそういうのも入れないと。
    ちなみにうその部分はまず「右近の桜」です。他は探してください。


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    | 2014/04/01 | 雑記 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

    昨今の日常

  • 2014.03.31 Monday
  • 花粉が厳しいですねぇ。Σ(>o< ) ヘックシ!
    3月に入ってから、僕は盛大に発熱しました。
    花粉症というのはアレルギー反応ですんで、初期にはだいたい例年微熱が何日か続くのですが、通常は37度前後なんです。ところが今年は37度7分くらいまで上昇し、もう身体はダルいわ鼻水くしゃみ止まらず目は痒い、やってらんないわけです。しかしどうもそんなに熱が出るのはおかしい。そう思いましたら、どうやら同時に風邪を引いていたのです。症状が似てるからややこしい。インフルエンザじゃないんで病院に行っても扱いがよろしくありません。そのうち直るでしょ、みたいな感じで。(○`ε´○)ブーブー 確かにそのうち直ったのですが(汗)。

    このブログは今年になってから全然稼動してません。
    これは、花粉症のせいではありません。別のブログを書いてるからです(→こっちね)。
    中身は村落墓地の研究というとんでもない内容なのですが、ひとたび興味を持ち出すとどうしてもそっちへアタマがいきますので、どうしてもここはお留守になる。このままフェイドアウトしちゃおうか、とも思いましたが、まあそれもなんですので、ちょっと今週は強化週間にしようかと今思いつきました。
    しかしさほど時間もないので、30分くらいで書ける内容で(笑)。話題はとくにないんだけどなぁ。身辺雑記にするにもネタはないし。
    でもまあ、生きてるって足跡を少し残しときましょうかねぇ。


    ひとネタくらい書いとくか。
    間違いやすい言葉に「バッグ」と「バック」があります。僕なんかわかってても「ハンドバック」とかつい言ってしまう。これは、バッグという発音がしにくいからなんですね。少なくとも僕にとっては。通じるのでよしとしておきます。そういうのを「間違ってますよ」と指摘する人はキラい(笑)。
    母親なんかは紅茶を入れるときにティーパックと必ず言います。本来ならティーバッグなんでしょうけど、バッグ→バック→パックという段階変化が生じています。しかし、パックでもいいような気がしてしまうのです。日本でなら意味は通じますもんね。和製英語と考えてもいいんじゃないかしらん。少なくともティーバックと言うよりは(笑)。
    その、よくわかんないのは「ザック」という言葉がありますよね。山のぼるときに背負うのはザックでしょう。ところが「リュックサック」という言葉もあるんですわ。全くもってややこしい。ドイツ語とかなんとか理由はあるんでしょうけど、わかんなくなるんです。袋という言葉がドイツ語でザック、英語発音でサックなんでしょうけど。サックと言えば昔はコンドームの意味だったはずなんですが(あっ指サックってのもあったか^^;)。しかしナップサックなのかナップザックなのかどっちなんだ。
    もっと困るのは「バックパック」ですよね。英語ではこっちのほうが通りがいいらしいのですが、僕なんか本気で「デイバッグ」って言ってましたよ。だってかばんはバッグでしょうよ。んでまた間違って「デイバック」と言っても通じたりして。心底ややこしいと思います。
    発音は、まあ許してもらえると思うんです。訛りみたいなもんやもん。しかし、こうして文章を書くときについ「ハンドバック」とか打っちゃうわけですよ(笑)。そういうのも、大きな心で見てほしいと思うわけであります。
    ホットドッグとホットドック問題もありますが、まあこのへんで。

    では今日の一曲(そんなコーナーあったっけ?)。おけいさんの「春の風が吹いていたら」を。

     
     初恋 四角佳子 youtube

    このうた、昔っから好きでね。そういう人多いと思いますけど。だいたいデュエットで聴くことが多いと思いますが、おけいさんのソロというのもいいですね。いや、こっちのほうがもしかしたら好きかも。
    ま、少しづつ、いろんなことを始めていきましょうか。
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    | 2014/03/31 | 雑記 | 22:11 | comments(2) | trackbacks(0) |

    ようようたどり着いた年の暮れ

  • 2013.12.28 Saturday
  • 年末なので、一年の終りくらいは更新しようと思ったら、久々すぎてログアウトしていました。こんなの経験がないなぁ。それだけ、管理画面にアクセスしていなかったということか。ふぅ。
    そもそも、PC君にもご無沙汰だったよなあ。メールチェックくらいは毎日、と思っていたんですが、一週間くらい開いてえらいことになったり(汗)。今月は、何もしてないや。

    来年は、ブログを書き出して10年を越えるはずです。そんなに長く続けるとは、始めた頃はまさか思っていませんでした。書き出したころは、まだ30歳代だったのだよな。
    しかし、そろそろ限界にきたような予感もしています。一番の原因は、気力ですな(汗)。なかなか気持ちの切り替えができない。
    もうひとつのブログのほうは、切り替えやすいんです。なんでかなと考えると、敬体文と常体文の違いはやっぱりあるんじゃなかろうかと。こうやって語るように書くのは、かえってパワーがいるなと最近は思ったりもします。
    どうすっかな。
    無理は出来ませんので、ぼちぼちやっていこうかとは思いますが。もしかしたら、身辺雑記ブログに移行するかも(笑)。しかし、今日は寒かっただとか何食べただとか書いても、僕があとで読んでつまんないもんなぁ。
    まあそんなふうに試行錯誤をしていること自体が、力が落ちた証拠なんですが(汗)。
    せめて10周年は迎えたいな。

    今日はうちには早めに帰って(本来は昨日から休みでもよかったのですが押しに押してこうなってしまった)、カミさんもいないので(既に帰省)、何の邪魔も入らずもうひとつのブログもアップしようとシコシコと書いていたのですが、それがもう時間がかかってしょうがない。書くのは愉しいのですが、途中で疲れたりして(笑)。まあそれも書いて、今こんなとこでグチグチ言っているわけですが。

    さあ、明日から旅に出よう。なんもかもおっぽり出して。

    今年も「凛太郎亭日乗」そして「凛太郎の徒然草」に訪れてくださった方々に、厚く御礼申し上げます。本当に動いていないブログですが、またどうぞよろしくお願い申し上げます。

    どうもありがとうございました。みなさんも、どうかよいお年を。
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    | 2013/12/28 | 雑記 | 23:32 | comments(2) | trackbacks(0) |

    生誕祭によせて

  • 2013.11.15 Friday
  • ちょっと酔眼ながら、雑感を。

    先日宴席で、お札の人物の年齢の話が出まして。具体的には、福沢諭吉って老けている印象があると。
    「ありゃ70歳くらいか」
    「いや、諭吉はもっと若くに亡くなってますよ」
    「晩年の肖像じゃないかも」
    その場でさっと検索した人がいて、それによると56歳のときだという説が有力だそうです。
    その場に56歳の人が実際に居まして。比べて諭吉さんはやっぱり老けてます(その人が白髪を染めていることもありますが)。と言いますか、昔の人ってだいたい老成してるんですな。

    その場では、
    「じゃ新渡戸稲造っていくつやねん」
    「伊藤博文はじいさんやろ」
    「板垣退助って仙人みたいやったもんな」etc.
    でも伊藤博文って暗殺死ですから、たぶんそんなに長生きはしていない。板垣退助は長命したと思いますが、岩倉具視とかは60歳まで届かなかったかと。
    今お札に肖像画が使われた人の全ての没年を調べたりするのはたいへん面倒なのでそういう話はしませんが、神功皇后も昔は紙幣になってましたよね。あの方確か享年100だったのでは。武内宿禰は300歳超えじゃなかったですか。
    そういう神話の世界はともかく、早くに亡くなった方もいらっしゃいますな。樋口一葉がそうだ。野口英世も黄熱病で若死ですね。50歳過ぎだったか。そろそろ僕も野口英世が死んだ歳に近づいたな、と思います。
    宴席での話ですが、このとき夏目漱石の没年齢を検索したひとがいました。49歳だそうです。これは意外でした。漱石も老成していた印象があって、黄熱病で客死した野口英世よりも若くして死去していたとは思わなかったものですから。
    それにしても49年間の生涯で、すさまじい業績をあげた人だったのだなと思います。

    そのときの話題にはのぼらなかったものの、紙幣の人物としては、僕は聖徳太子だけは没年をはっきりと記憶していました。確か漱石と同じ、享年49のはずです。そもそも聖徳太子非実在説まであるくらいですから、本当かと問われればそれは困るのですが、年表等にはだいたいそう書いてあります。
    と、うっかりしていたのですが、明治以降の人はだいたい満年齢表記になっているはずですが、昔は数え年でした。それに、明治以降の太陽暦と異なり、昔は太陰暦です。その計算はたいへんややこしく酔っ払いでは無理ですが(シラフでも無理かな)、聖徳太子は多分満47〜8歳で亡くなっているのではないでしょうか(皇太子の死は薨御だっけ薨去だっけ?)。
    そうか聖徳太子は、漱石よりも若いのか。
    それより、僕はもう聖徳太子の歳を知らぬ間にこえてしまっていたのかもしれないぞ。うーん。

    お札と関係ないのですが、享年49と言って思い出すのは、織田信長ですね。
    信長は謡曲「敦盛」を好んでいました。その一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」は有名ですが、その五十年に一年足らずして本能寺に斃れたと。
    そう思っていたのですが、これまた満年齢に直すと…。光秀に討たれたときは、多分今の僕と同じくらいか。

    そうやって、昔なら「聖徳太子や信長に比べて、今のワシのテイタラクはなんぞや」という話になるのですが、まああんな人たちと比べてもしょうがないのはもうよく分かっています、この歳なら。ただ、このくらいの歳で死なねばならなかった彼らの心境というものを、ぼんやりとでも考えたいとは思うんです。
    彼らは、死に際してどう思ったか。
    小学生の頃に読んだ学習漫画では、聖徳太子はいまわのきわに「悪いことは何もしないよう、そして善いことだけをするように」と言って亡くなっています。さすが子供用の漫画ですからわかりやすい。これ原文はどうだったかといえば「諸悪莫作、衆善奉行」ですね(これだけは思い出せなかったので検索)。
    たいへんな業績を残して死の床にいた太子です。満足していたのかもしれない、と思ったりもします。
    ただ、太子はいろいろな言葉を残しており、他にも遺言的な意味のものがいくつかあったと思います。全ては思い出せませんが、ひとつ名高いものに「世間虚仮、唯仏是真」があります。
    これ、いろいろな解釈ができると思うのです。仏教的思想だと思うのですが、字面だけ追えば「世間虚仮」というのは、結構厳しい言葉ではないかと思うんですね。この世の中を否定している。虚しい仮の世なのだと。太子は、やはり思い残したことが多かったのかもしれません。天皇にもなれませんでした。
    それでも太子なみの業績を残していたならば、凡人の僕なら「余は満足じゃ」と言いそうなのですけれどもね。

    信長は、その死におよんで「是非に及ばず」と言ったとされています。この言葉はいろいろ解釈可能ですが、寝込みを一気に襲われたわけですから、是非を言う間もなかったのは確かです。その生涯を振り返る時間すら、ほぼなかったかもしれません。ただ自害のときの一瞬、何を思ったでしょうか。

    みんな満足して生涯を終えてはいないかもしれない。僕なら、ここまで成し遂げれば莞爾として逝きそうな気もするんですけれどもねー。
    やっぱりそれは、僕のココロザシが低いからなんだろうな。史上に残る人物は、目指すところが高すぎて。天下統一なんてのは僕など考えも及ばない。まあしかし、それでもいいのかな。そんなに戦争に明け暮れる人生も送りたくないし。

    だんだん何を書いているのかわからなくなってきました。話がこんなふうに流れてゆく予定ではなかったのにな。酔ってるとこれだからいかん。
    昔は、だいたい酔っ払ってブログを書いていました。しかし、最近は朝とか休日とか、ほぼ素面の時間に書いています。それは直接的には生活のリズムを変えたことが最も大きな要因ですが、筆力が落ちたことも大いにあります。もう酔っ払うとヨレヨレで、言葉が出てこないわ調べるのが面倒くさいわ考えがまとまらないわでもうワヤクチャになってしまいます。現に今がそうだ(汗)。
    まあね、今日はいつも以上に呑んでいるということもありますが。

    なんで呑んでいるかと言えば、もちろん今日はただの週末ではなく11月15日、坂本龍馬生誕の日であるからです。この日は、呑むことに決めています。
    だんだん寒くなってきましたので、今年も地鶏鍋をしつらえています。これは龍馬はんが亡くなった日に食べようと思っていて食べられなかった軍鶏鍋を、代わりに食べようという趣向です。酒は高知の栗焼酎、ダバダ火振。うまく手に入りました。
    そんなのでやってましたら、酔うわけで。

    坂本龍馬はんは、慶応3年11月15日に京都で斃れました。
    その妻おりょうさんの言葉で、亡くなった日と誕生日は同じであったという証言があります。この同時性はいかにもドラマティックですから、諸説は押しやって、多くのファンは今日を誕生日と認定しています。
    明治以前は太陰暦ですから、細かいことを言っていたらきりがない、という考え方もあります。んで、龍馬はんの誕生日に今日は乾杯、なのです。
    ただ今年は、なんとなく龍馬生誕祭よりも、どうも龍馬忌のほうに思いがゆきます。

    坂本龍馬はんは、だいたい享年33とどんな書物にも書かれています。なので僕は、自分の33歳の誕生日には大いに反省しました。ワシはまだ何事も成し遂げてはおらぬ。龍馬はんを見よ。人生そんなのんべんだらりとしていていいのか。
    しかし、反省すべきときはもう少し前でしたな。計算は難しいのですが、亡くなったのは満なら31歳か。
    彼は、31歳で死んだのか。やっぱり、業績がすごすぎる。
    それから幾年。ワシはなんにも成し遂げてない、というのはもう止めていますが、その31歳だったとき、また33歳だったときと、今とを思い比べ、あまりにも成長していないのに愕然としてしまうのです。
    …まあそんなことはいいか。落ち込むから(笑)。
    龍馬はんの享年に追いついてしまった(と思い込んでいた)年の11月15日に、僕はこの日を意識して、酒を呑む日として吉例化しようと思いました。以来、ずっと呑んでます。
    また、僕は30歳代後半にブログを始め、ほどなくヒロリンさんと知り合い、その日を命日ではなく「龍馬生誕祭」として祝うという考え方に賛同し、以来ずっとこの日はネットの向う側に向けて乾杯をしています。

    みなさん元気ですか? 乾杯!

    気づけば、皆さん忙しくなられてなかなかお顔を出して下さらなくなりました。ヒマな僕だけが、なんとかしがみついて書いています。
    いつだって俺はここにいる。そう言えるように、なんとか続けてゆきたいなと思っています。
    話がとっちらかって、もうわけがわかんない記事になっていますが、久しぶりに酔っ払って書いてます。大目に見て下さいな。

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    | 2013/11/15 | 雑記 | 22:57 | comments(8) | trackbacks(0) |

    吹く風が頬に沁みるや年の暮れ

  • 2012.12.28 Friday
  • 寒い日が続きます。しかし時間の流れはホント速いですね。もう年末の記事を書かねばならん日となったとは。

    それにしても、個人的には何の成果もない一年だったなぁ。あたしゃ若干厭世的になっていますが、そんなことはどうでもよろしい。ここでは「凛太郎」としての一年だけを振り返ります。ネットにいるときはネットのことだけ。
    といって、とりたてて大きなことはないんですけど(笑)。昨年までは歴史散策サイトもやっていましたが、今年はとくにそんな大きな出来事はなし。
    しかし、細かい部分ではいろいろ気づいたこともありまして。

    SNS全盛ですね。今更ながら、それは感じます。
    それは、僕にとってはありがたい部分もありまして。今年の始めにキラキラネームについて僕は連載したんですが、結構つぶやいてもらえました。力入った記事だったので、うれしかったですね。「拡散」という言葉がキライといつも申し上げていますけれども、その拡散をはじめて実感したように思います。「これ読んでみな」の連鎖。
    SBMてのもありまして。僕は初めてはてブの新着に自分のサイトが載っているのを見ましたよ。「キラキラネーム3|凛太郎亭日乗」おおっ!うれしくて思わず画面を保存しましたわ(笑)。

    そのSNSには僕自身は積極的に参加することはなかったんですけどね。twitterはアカウントだけですしFacebookなんて無理ですし。
    ただ、昨年来からちょこっとだけ参加していた「西宮流(nishinomiya-style)」という地域密着型SNSには、しばしば顔をみせていました。昨年までやっていた郷土史散策サイトの補完的役割でね。そこに僕は5月、全30話の連載記事をアップしました。それは勝海舟が造った砲台に関する話なのですが、僕はその記事の中に自らのありったけの歴ヲタ魂を注ぎ込みました。過去最大かもしれません。
    僕はこの中で、通説をひっくり返せたと思っています。おかげさまで、反響もありました。
    しかし、書いた場所はSNSでして、何だか後にこの記事は僕の意思を離れ一人歩きしていくようなことすら見受けられました。これは、いかん。僕は閉鎖も考えましたが、しかしせっかく書いたもの、もったいない。なのでしばらく様子を見ていました。
    そうこうしているうちに、「西宮流」というサービスそのものが停止されるということになりまして。僕は、そこで書いた記事をこのブログ内に移転しました。カテゴリ「西宮流」がそれで、そのいきさつは記事にしています。
    ま、しかしSNSで書いていたものは同時にエリアブログというサービスにデータ移管されています。ここはブログなので、僕は「データ引き上げまでしなくてもよいだろう」と思い流れに任せました。
    ということは、その「エリアブログ」内に、僕のブログもあるわけです。
    「ちょっと歴史っぽい西宮」の補完記事は今後は凛太郎亭で書く予定ですし、そのエリアブログ内の僕のブログは放置の予定でした。
    しかし、何たることかまだ僕はそちらにも書いたりするんだな(笑)。
    別に理由はないんですが、何となく、ですかね。いちおうこれです。別に見なくていいです。

    「凛太郎の徒然草」はもう「メインブログ(笑)」とも呼べる存在ではありますが、ぼちぼち動いています。今年はプロレス技の話ばかり更新しました。もはや淡々と「積み重ねている」感があります。
    でも、それでもいいんじゃないかな。もうあのブログは。記事は新しいものから読まれる必要もないし。今年書いた記事だって、これからまたたぶん育ってゆく。
    不思議なことに、やっぱりSNSでもぽつぽつとつぶやかれるんです。全て、過去記事の話。RTされるのも過去記事。コメントもぽつぽつつきますが、これもほぼ過去記事。でも、何の違和感もなく接していただいています。
    うれしいですね。そうやって昔書いた記事が育てられていくのは。
    今年は、その記事の中で大当たりが出まして。2005年に書いた平重盛の記事なんですが、大河ドラマのおかげで検索からどっと人が来て。週末は4000〜5000アクセス。gooブログにはアクセスランキングがあるのですが、順位が2ケタになるなんて想像もしていませんでした。遥か昔にTop100入りしたことはありましたが、あの頃とはブログ開設数が違います。ランキングなんて、と普段は言っていたくせに、いざ自分がそうなると思わずまた記念に画面を保存したりして。
    しかし、ある時アク解を見ますと、週末なのにアクセスが増えていません。あ、ドラマ内で重盛死んだな(笑)。
    以後はまた通常営業に戻りました。(^^)

    ま、こんな感じかな。今年の僕のWebでの動きは。

    今年も「凛太郎亭日乗」そして「凛太郎の徒然草」に訪れてくださった方々に、本当に厚く御礼申し上げます。来年はどうなっているかは僕自身も読めませんが、動いていても動いていなくても、またどうぞよろしくお願い申し上げます。
    ブログは、今日で年内最後の更新となります。徒然草にも、例年のように歌と面倒くさい思い出の話をアップして終わります。明日から、また旅に出かけます。

    どうもありがとうございました。みなさんも、どうかよいお年を。

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    | 2012/12/28 | 雑記 | 22:14 | comments(2) | trackbacks(0) |


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