というわけで、僕の睡眠時間を奪いまくったW杯も終わったわけです。でも、朝方人間になっていた僕と録画機能のおかげで、思ったよりヒドくなかったかな。トーナメントに入ってからは、多少余裕も生まれました。
いやしかし、面白かったですねー。
W杯自体を見始めたのは86年大会からでしたが、あの頃は今のようにマスコミが頑張ってくれなかった時代でした。その後日本にJリーグが生まれ、世間の(もちろん僕もですが)サッカー熱が高まり、フルで中継をしてくれるようになりました。僕も全ての試合を何とか観戦できるようになりました。その94アメリカ大会から考えて、最も充実した面白い大会だったような気がします。98フランス、02日韓、06ドイツ、10南アと6大会並べても、出色だったと(最低は日韓大会やな^^;)。
キーパーが目立った大会でした。つまり点が入らないわけですが、キーパーが止めるということは攻め手はシュートまで持っていっているわけで、中盤で潰しファールで止めるということではないわけです。そういう意味において、トーナメントではスコアレスで延長戦がとにかく多かったのですが、十分にサッカーそのものの面白さが味わえたと思います。
W杯ではいつも何か新しいことが導入されるのですが、前回が放送においてのオフサイドの解析であったとすれば、今回はゴール判定とあのフリーキックの泡のスプレーかなぁ。ゴールラインを割ったか割らないかの画像が流れると、前回のランパードのあの幻のゴールを思い出します。ああいう犠牲があって、いろいろ進歩していくのね。
僕の好きなオランダは、3位でした。
前回より順位を下げたわけですが、満足しています。
どう評価していいかはわからないんですけれどもね。あのオランダサッカーでなかったことは確かですよ。
別に1-4-3-3とか、そういうことにこだわりがあるわけでもないんです。ペルカンプとクライファートの2トップというのも凄まじかった。両WGとCFというのが最も良いとは思いますが、そんなの流動的なこと。
ただ、そこまでリアクションサッカーをやらなくても良かったのではと思っていますがね。相手にボールを持たせるサッカーというのはオランダの戦法には無かったのですが。
オーストラリア戦が象徴的でしたが、いくら5バックがスペインにハマったとはいえ、オーストラリア相手に5バックやらなくても良かったのではなかっただろうかと。で、簡単にロッベンが1点取って、オーストラリアが粘らなければこのまま終わっていたかもしれません。守りきって勝つ。前回大会でもオランダは、日本相手に一点しか取らないという試合をしましたが、そういう凡戦になっていたかもしれません。でもケーヒルがスーパーゴールを決めてくれたおかげで、この試合は俄然面白くなりました。後半からデパイを入れて1-4-3-3。よーし。
1点入れられ、2点取り返すといういつものオランダ(笑)。
オランダという国は、1-4-3-3なら普通にこなせるのです。選手が子供の頃から慣れ親しんだ布陣だから。1-5-3-2など、どうやって攻めればいいかをかなり練習しなくてはいけなかったはずです。身体が自然に動く、ということはなかったはず。ペルシとロッベンとスナイデルありきで、あの3人でなければ成立しないシステムのはずなのですが、ファンハールはチリ戦でも5バックを使ってくるのです。ペルシが出停でいないのに。
よっぽど、DFラインが不安だったとしか思えません。
今回のDFラインで、ベテランと言えるのはフラールくらい。デフライにせよインディにせよ、えらく若い。若すぎてよく知りません(笑)。エールディビジは見ていないので。そこまでオランダのDFは払底していたのかと。もうインディなんて危なっかしくて見てられません。怖い怖い。あれなら、ファンハールが人数増やしたくなる気持ちもわからなくはない。
しかし、これが徐々に安定してくるのです。序盤戦でPKをふたつ献上し、オーストラリア相手に2点取られたDF陣も、8強以降は無失点です。成長したということでしょうか。
そして、ドラマティックに勝ち上がってきました。メキシコ戦にはついにフンテラール兄さんが登場しオランダのスピッツらしくためを作り、コーナーキックを折り返してスナイデルの凄まじい同点ゴールに繋げました。カイトの凄さも印象に残ります。まさか左右SBをやるなんて想像もしていませんでした。そしてWB、FWももちろんこなして獅子奮迅の働き。疲れないのかこの33歳は! 誰もがコクーを思い出したのではないでしょうか。コスタリカ戦は、おそらく後々まで語り継がれるであろうPK戦のGK交代。アルゼンチン戦は確かにオランダらしくない戦いではありましたが、これがオランダというフィルターをかけずに見たならば、実にいい試合だったことは確かです。
本当はね、3位決定戦であの開始すぐのロッベンのシュートが決まっていれば、僕は莞爾としてこのW杯を終われたと思うのです。ロッベンがヘッドで前へ送ったボールをペルシがDF背負ってキープしてキープして、ロッベンが追い越したところへスルーパスを「ピュッ」と出しました。ああいうスルーパスは、昔オランダの試合で何度も見ました。オランダらしい。かつて若かった20代前半のロッベンにあのファンニステルローイがキープして出したパスが二重写しになりました。そして高速スピードで駆け上がりシュート! とゆく前にチアゴシウバが手をかけて止めました。ああもう! あれはエリア外でPKは誤審だ、とかいやそもそもレッド対象でイエロー&PKは温情、とかさまざまな見方がありますが、僕は最高の場面を見損ねた悔しさでもう朝から暴れました(笑)。イエローでもレッドでももう関係ないよ。どうせ一点とられるなら振り切られなさい。PKより美しいものが見られたはずだから。
このシュート決まっていれば、ロッベンがMVPだったんじゃないでしょうかね。いや決まってなくても、メッシより遥かに大会を盛り上げたと思うのですが…。
今大会のオランダには、賛否両論あると思います。いや、僕の内面にすら賛否両論があります。ファンハールが戦術的にやりすぎたということがその根にあるのは間違いありません。
ただ理屈を抜けば、面白かったのは事実です。前回のファンマルワイクのチームは準優勝でしたが、どうやってそこまで勝ち進んできたかが思い出せないあのチームよりは、遥かに印象に残りました。クライフを核としたあのトータルフットボールチーム、フリット・ファンバステン・ライカールトのチーム、ベルカンプとその仲間たちの熱狂チームと並び称されるチームとなったのではないかと思います。ロッベンやペルシ、スナイデルたちのこのチームは。
これから、オランダはどうなってゆくのでしょうか。
カイトは33歳。ペルシ、ロッベン、スナイデル、フンテラール、そして惜しくも怪我で離れたファンデルファールトらは、ほぼ同世代で30歳前後。あの若者達がもうそんな年になったのか、とも思いますが、このあとどこまで動けるか。
僕はロッベンは、ああいうプレイスタイルから短命ではないかと思っていました。オーフェルマウスのように。早すぎてファウルでなければ止められない。負担もすごいでしょう。しかし、今もまだ最速で走ってます。彼だけは、まだユーロまで居続けるかもしれませんが、全盛期は今でしょう。今回呼ばれなかったアフェライ、バベル、エリアらも、まだ若いと思っていましたがもう盛りを過ぎた年であるかもしれません。デパイという新星は登場したものの、まだ水物だと思います。オランダ攻撃陣はどうなるのか。
後ろは、若い。今回経験を積んだことは生きてくるはずです。デフライ、インディはもちろん、フェル、ワイナルドゥム、クラーシ。ブリントやヤンマートは円熟し、今回怪我で外れたストロートマンを中心として、ダービッツやヨンク、セードルフ、コクーらを擁した黄金の中盤の再現をしてくれると信じています。
次は、ユーロまではもうヒディングが指揮を執ることが決まっています。ヒディングは攻撃大好き。かつてのオランダサッカーを立て直してくれるのではないかと期待しています。
願わくば、CFが出てきてくれないか。
ファンニステルローイ以来、絶対的スピッツがオランダにはいません。僕はフンテラール兄さんが好きでしたが、世間的には伸び悩んでしまったという見方でしょう。ファンバステンやクライファートを望むのはハードルが高すぎるかもしれませんが、どこかに原石はいないか…。
ただ、前回、今回のオランダの戦い方によって、いろんなことが変わってしまったかもしれません。こういうのは、少年サッカーのポジションにまで影響すると思うのです。この1-5-3-2のナショナルチームに憧憬を持った少年達が出てきてしまうなら、WGを置くサッカーは廃れ、オランダはリアクション中心の国になってしまう可能性もあります。ヒディングにとにかく期待したい。
前回もそう思いましたが、もうワールドカップというものに存在した素晴らしき多様性は、幻想になってしまったのかもしれません。勝てばよかろう思想によって、各国の色というものが無くなってきている。攻撃サッカーのオランダが守備的となり、逆にカテナチオを代名詞としたイタリアがボゼッションサッカーを目指している。今度は、優勝したドイツが規範となるのではなく、ドイツを倒そうとするサッカーが主流になるのでは。イングランドが4-4-2を捨て、ウルグアイがポゼッションサッカーをしたりスペインがカウンターサッカーになっても、もう驚きませんよ。
ただ、寂しくなるでしょうね。アルゼンチンのサッカー、フランスのサッカーというものが確固として存在し、それをスターたちが表現して争うのがW杯だと思っていましたから。しかしかつてブラジルにあった個人技と自由さではもう勝てなくなり、組織の構築が最重要視されれば、それはブラジルサッカーから乖離してしまう。なんだかなあと思います。ナショナリズムと勝利欲よりも見たいものはあるのですが、世間がそれを望んでいないのですから。
スポーツにおいて、選手は勝利を目指して戦わないと面白くないのは事実です。引き分け狙いのサッカーは急につまらなくなります。しかしながら、ただ勝つのではなく「オランダらしく勝つ」「イタリアらしく勝つ」という観点が失われるのは、何とも寂しいことです。それが、文化というもののような気がしていたのですが。
日本などは、そういう文化はまだありませんがね。だから指導者によって変わる。日本らしいサッカーを模索しようとしたジーコ、オシム、ザッケローニ。有難かったと思います。しかし日本ではそうでなかった指導者のほうが結果を残したために評価されています。ファンマルワイクはもちろんのこと、これだけ面白いサッカーをやったファンハールにさえ賛否両論のあるオランダは、まだ文化を失っていない。
この話をすると、大木サッカーが文化となるかと一瞬夢見た京都の某チームのことに言及してしまいそうになるので、ここまでにしたいと思いますが(笑)。