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  • 2023.04.12 Wednesday
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    | 2023/04/12 | - | | - | - |

    旅の空から

  • 2016.12.30 Friday
  • 今、仙台にいます。

    僕の場合、通常旅行先では基本的にネット環境から遠ざかることにしています。
    こう言うとなんだか「こだわり」を持っているみたいですが、なーに、スマホもタブレットも所持していないため、結果的にそうなっているだけです。意識的に遠ざけているわけではないな。
    それに、ある種の怖さもありましてね。僕は以前ほどではありませんが今も一種の「ネット依存症」的気質は確実に持っていて、スマホとか持ってたら車窓風景など一切振り向かずyoutubeばかり見てんじゃねーか、という恐れもあるわけですよ。なんて意志が弱いんでしょうかね。だから、現状これでちょうどいいのです。
    ではなんで旅先でこうして書いてんのかってことですが…たまたま泊まったとこでPCを貸し出してくれてましてね。んで、ちょっと明日の天気交通情報その他を調べとこうかなと思いましてキーを叩いていたんです。そうなると、ついネットにまたずるずると入り込んでしまって(意志が弱い)、じゃついでにブログでも…てな感じで。
    今年も全然更新しなかったもんね。年の瀬くらいは書くか、と。

    それにしても、また仙台にいるなーとは思うのですよ。
    仙台は、光のページェントがあいかわらずきれいです。この定禅寺通りのケヤキ並木を彩る華やかなイルミネーションは、本当に壮観です。
    HPを見ますと、このイベントが始まったのが1986年。これは大規模なものとしては、日本では札幌のホワイトイルミネーションと並んでかなり古い時期からではないですか。今でこそ冬になれば都市部は電飾であふれ、表参道や神戸のルミナリエなど高名なイベントが数多くありますが、昔はあんまりなかったよねぇ。まず、嚆矢といっていいのかな。
    僕が、はじめて冬に仙台に来たのは、1987年でした。卒業を控えた大学4年でしたね。ということは、第二回光のページェントを見たことになります。以来30年が経ちます。元気であれば年末年始はまず旅に出ていますし、そのうち少なくとも半分は仙台に寄っているかも。もっとかな。正確には今数えられませんが、20回くらいは見ているかもしれません。

    今年は、以前に天気の長期予報で「21世紀最大の冬が来る」とか言われていてビビっていたのですが、今のところは「口ほどにもない」程度で(笑)、仙台は太平洋側ですから夜半過ぎに少し白いものがチラついた程度ですね。そんなこと言っててこのあと一気に寒波が来たら往生しますからあんまりバカにしないようにしますが、まあ今のところは落ち着いた年末です。ほろ酔い加減ですと寒さもさほど気にならないくらいで。
    こうして風花が舞う街を歩いていると、旅の空の下にいる実感がわきます。
    そんな酔眼でこの「光の洪水」を眺めていますと、いろんなことが思い出されてくるのです。

    仙台では、何度か年を越しました。若いころですが。
    イルミネーションは大晦日までなのですが、30日までは22時くらいで終了します。ただ31日はずっと点灯していて、それが0時に一斉に消えます。消灯にむけてカウントダウン、そしてHappy new year! この瞬間がなんとも好き。
    宿に泊まり合わせた仲間たちとそれを見ているときもありました。ああいうときは、高揚するんです。ハイタッチに始まり、やたら盛り上がる。知らないおっさんとハグしたりね(笑)。いい思い出です。今はカミさんの田舎で静かに午前0時を迎えますから、なおさら懐かしい。もっともカウントダウンイベントなどすっかり似合わない年齢となりましたが。
    ある年は、女の人とふたりだけでその煌めく光が消えてゆくのを眺めていました。
    まだ数時間前に出会ったばかりのひとでしたが、波長が合ったのでしょうか。なんとなしにそういうことになり…なんだかちょっとロマンティックな年越しでしたね。
    結局その夜は宿にも帰らず、そのまま仙石線の始発を待って、ふたりで松島まで初日の出を見に行ったことをおぼえています。
    若かったな。本当に。
    そのひとは確か僕より4つほど年が上でしたから…今どうしているのかな。きれいなひとだったけど。ふとそんなことも思い出した仙台の夜です。

    ああもう今年も、終わるなあ。


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    | 2016/12/30 | 雑感 | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

    鍋の日

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 最近趣味として調べていることは、煉瓦とコンクリートの歴史です。
    明治初期に地元に鉄道が通った時の遺物をいろいろと見ているのですが、建設以来一世紀半が過ぎて、どれだけ当時のものが残っているか。その痕跡をたずねる際に、どうしても煉瓦などの耐久性問題などを避けて通れず、また煉瓦が明治初期にどのようにして製造されたのか、国内で煉瓦生産が始まったのはいつなのか、江戸時代の瓦の生産技術がどのように生かされているのか、等々、当時の古い資料を様々見ながら調査しています。こういうことは専門家ではないので、その奥深さに四苦八苦しながら文献を読んだりしてます。

    面白いですね。実に。歴史を考えるということは、本当に面白い。つくづく自分は歴史ヲタであるなあと思います。
    しかしながら、なかなかブログなんかには結実しませんねこういうのは(汗)。
    書けるのは、来年になっちゃうかなあ。

    ブログも書かなくなって久しくなりますが、日々の出来事でネタがないわけでもなく、スポーツも観てますし音楽も聴いてますし、本もボチボチとは読んでるんですけど、いざ文章化しようと思うとどうもまとまらない。といいますか、書くのがどうも億劫で。
    なんだか振り絞らないとキーが叩けないんですよ。
    文章を書いたりするというのも、ある意味での体力を必要とするんですな。
    歳をくってしまったのかなあ。
    Webにものを書きだしたのは、そういえばまだ僕は30代でした。流れるようにキーを叩いていたもんです。それが50代になっちゃったのでねぇ。

    まあしかし、50代であるというのは、まだまだ若いとも言えます。この長寿時代には。
    僕は昨年、一度死にかけましたので、なんとなしに死が身近な感じはするんですけれども、世間的には晩年という歳ではもちろんありませんし、もう少し振り絞ってみようかなあとも思いますね。


    今日は龍馬はんの生誕祭ですから、とりあえずキーを叩いてみようかと。

    しかし、僕はうっかりしていたのですね実は。日々のことに紛れてまして。
    一昨日の夜。

     「最近忙してなあ。今週は帰りが遅なるかもしれんわ」
     「えー、火曜は15日よ。地鶏もう買ってあるんだから。鍋の日でしょ」

     ( ̄□ ̄;)ハッ?!

    そうでした。まさか「歴史とか何の興味もないわよ〜」てな顔をいつもしているカミさんから教えられるとは。
    女房教育がついに行き届いたとも言えますが、しかし「鍋の日」とは(笑)。
    確かにここしばらく、龍馬はんが土佐に生まれた日、そして京都で亡くなった日である11月15日には、龍馬はんがその日刺客に襲われて食べることが叶わなかった鶏鍋をつついて酒を呑み、龍馬はんを偲ぶことにしています。別に地鶏鍋の日ではないのですが。
    しかし…まあいいか。
    「女性というのは」という言葉でくくってしまうと問題があるような気がしますが、少なくとも僕の知るまわりの人たちは、総じてアニバーサリー好きですね。「記念日」というものをしっかりと憶えている。そして、何らかのイベントを望んでいる。カミさんの中のアニバーサリーカレンダーに龍馬忌が入っているのなら、それは結構なことです。
    というわけで、早めに帰宅。今の僕には怖いものなんてありませんのでね。酒までは用意しきれなかったのでうちにあった「富翁」で一杯。
    今年の鍋は鶏のもも肉だけではなく、ちょっと凝ったのか挽肉を使ったつみれも入っていました。フワフワです。上品に作ってあるなー。きのこもいっぱい。

     「やっぱりうまいな。ええ出汁が出てる」
     「おいしいねー」

    そんな会話ばかりで全く生誕祭らしくはないのですが、まあこんなもんでしょ。
    サッカー観てたんですが、先発のヤングボーイズ久保(元サンガ)が前半で引っ込んだのでもう観る気を失いました。大迫がシュートを横取りしやがって。(`^´)


    そして、例年の如く酔ってPCの前に座っています。まだ呑みながら、酔眼でキーを叩いてますが、まあ小一時間で原稿用紙4枚ぶんくらいは書けたかな。ちょっと書くことも習慣づけなくちゃあねぇ。

    それではみなさん、ご無沙汰してますけどお元気ですかー。
    では、 ̄∇ ̄)/□☆□\( ̄¬ ̄ カンパ-イ!
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    | 2016/11/15 | 雑感 | 22:51 | comments(4) | trackbacks(0) |

    卒業式の記憶

  • 2016.03.23 Wednesday
  • 桜、関西でも咲き始めました。
    ただ、ムラがありますね。既に咲き誇っている木もあれば、まだ蕾がほころぶには遠いか、という木もある。今年は三寒四温が甚だしかったものですから、桜も迷っているのかもしれません。
    ところで。
    僕には子供がいないのでそういう部分非常に疎くなっているのですが、近くの学校では卒業式が順次執り行われ、もう中高ではだいたい終わっている時期のようですね。もちろん学校地域によって様々に異同はあるでしょうけれども、概ね卒業式ってそんなに早かったっけ。
    こういうの、勘違いするところがあるんですね。どうも桜と卒業式というのは表裏一体のように思ってしまっているのです。よく考えたら、そんなことはないわな。
    桜前線と言う言葉があるくらいで、細長い日本列島ですから桜の咲く時期と言うのは地域様々です。しかし、いくら早くとも3月上旬に満開になるところは少ないでしょう。確かつい先日に九州のほうで開花宣言が出て、例年より早いなんてニュースがあったくらいで。

      さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて
      さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で

    森山直太朗くんがこんなふうに歌うものだから、どうしても「桜=別れの季節」となってしまいます。しかしまあ「別れの季節=卒業」とは確かに限りませんねぇ。

    桜を詠じたうたで日本史上最も高名なものは西行法師の絶唱だと思います。

      願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
     
    如月の満月(旧暦2月15日)というのは、今年でいえば3月23日にあたります。今日か(笑)。年によってずれはありますが、だいたい3月下旬〜末とみていいでしょうか。
    中高の卒業式には、遠いな。九州でも無理でしょうね。
    カミさんの故郷津軽ではG.W.が満開時期であり、その別れ=桜という「桜ファシズム」には閉口すると常々言ってます。まあね(汗)。

    子供の卒業式などには縁がなかったので、しょうがないから自分の卒業式のことを思い出して対応しようとしたのですが、それが驚くほど記憶がない。遥か昔のことであるといえ、そのことに自分でもびっくりしました。
    僕は追憶をブログネタにすることが多く、記憶力にはそこそこ自信もあり、郷愁とか懐古の情に人一倍心が揺らぐ後ろ向きの人間であったはずなのですが、自らの卒業式というものに思いを馳せることが出来ないとは。
    どうしてなんだろうなあ。
    ことに、時代が新しくなるほど記憶がない。うーむ…。

    古い記憶は、あるんです。
    例えば幼稚園の卒園式の情景を憶えている。これもまた不思議なことで。僕は5歳だったはず。
    先生が泣いてくれました。「一年生になったら」を歌いました。おかんと家まで歩いて帰りました。断片的だけど結構記憶にあります。
    小学校の卒業式も、さほど鮮明ではないにせよ何とか記憶にある。
    僕の「卒業式=桜」というのは、このときに刷り込まれたものであるかもしれません。中学の制服である学ランを初めて着て臨みました。これは、慣習だったのかな。私立中学へゆく僅かな同級生を除いて、男子はみな詰襟を着込み、首の部分に違和感を感じつつ、小学校最後の日を寿ぎました。
    そのとき、桜は確かに咲いていました。
    終業式の前日が卒業式であり、春休みの日程から逆算して、その日はおそらく3月23日だったのでしょう。これも今日だな。
    桜が咲き誇っていてもおかしくない日です。

    そして僕はそのあと、中高大へと進学したわけです。
    つまりあと3回は卒業式を経験したはずですが、この青春という時代に必ずや強い印象を生じるに違いない卒業というイベントに関する記憶が、なぜか僕の脳内からすっぽりと消えている。
    不思議です。不思議としか言いようがない。
    大学はともかくとしても、中高の卒業式なんてのは小説や歌の題材にも頻繁に採りあげられるようなドラマティックなイベントであり、多くの場合そこには感動や涙の舞台があり、「制服の第二ボタン」とか、いろんな出来事がたくさんあったはずです。そんな情景を憶えていないなんて、僕はいま人生を損した気分です。
    なんでだろう。
    卒業の頃、つまり「別れの季節」というものの心情や、あるいは風景というものの記憶は、結構残っているんです。いくつかブログ記事にもしました(これとか)。
    ところが、そんな別れの季節の追憶の中で、卒業式の思い出だけが抜け落ちている。
    いろいろ理由をかんがえてみたのですが、そのひとつに「時期が悪かったのではないか」ということが挙げられるのではないかと仮定してみます。

    中学の卒業式が3月の何日だったか、さすがに憶えていませんが、ひとつだけ記憶にあるのは、その日が公立高校の合格発表の前日だった、ということです。
    おそらく、これは配慮でしょう。式当日に明暗が分かれている生徒が混在しているのは、嫌なものです。しかし逆に言えば、その当日は自らの進路がまだ定かではないのです。
    僕が生徒だったころの故郷の公立高校には、学校間格差というものがありませんでした。小学区制です。したがい同じ公立中学の同級生は、みな同じ公立高校を受験します。
    もちろん定員はありますから、落ちたときのための滑り止めとして私立高校を併願したりします。しかし僕は、専願でした。公立一本で受験。まあ学年の半分以上は受かりますから、大丈夫だろうと踏んだのです。
    ですが一発勝負というのは、怖いものでして。もしも落ちたら高校浪人になってしまいます(私立高校の入試は、それ以前にだいたい終わっている)。こういうのは、考えれば考えるほど不安であり、その不安感が拭えぬまま、卒業式に臨んだわけです。心情としては、進路定かならぬまま浮ついた気持ちで式に出席しています。なので、記憶があまりないのではないだろうかと。
    翌日の合格発表の日のことは、逆によく憶えているんです。掲示板に自分の名を見つけ、学校へ報告に行きました。その職員室での情景とかは、今でもつらつら書けるほどに記憶にある。書きませんけど。
    高校の卒業式も、似たような事情がありました。多分、卒業式は3月当初だったと思います。もしかしたら1日だったかも。一応受験生でしたから、相当に浮ついていたはずです。
    在校生として先輩を送り出す立場だった1、2年時の卒業式のことは、よく印象に残っています。式次第もなんとなく脳裏に浮かびます。しかし自分が当事者だった日のことは、記憶にない。
    結局、受験制度の弊害ではないでしょうか(笑)。高校のときも、進路が決まって学校に報告に行ったときのことはやっぱり細かに記憶しています。

    話が長くなってしまったなあ。本当は、卒業式で歌ったうたの話をしようとしてこの記事を書き始めたんですが、脱線してそこに至りませんでした。また別で書くか。

    大学の卒業式も、全く記憶にないのです。
    これは、進路とかそういうのとは全く別ですな。だいたい、大学の卒業式というのは自由参加みたいなもので(全員参加したら何千人になるんだ)、僕は出なかったんだと思ってました。ですが、当時の僕の日記が実は残っているんですが、それによると出席しているようなんです。あれ?
    その日記には、「午前、引き返して卒業式に出る」と一行だけ記されているだけ。感想も感慨もゼロです。
    このときは、どうも別のことに夢中になっていた時期で(笑)。このときですな。色恋が卒業式の記憶を消したか。ちょこっとだけ式に出て、そのあとはセシールの彼女とまたどっかへ行ったか何かです。もう忘れたわ(汗)。
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    | 2016/03/23 | 雑感 | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |

    冷たい風が吹いている

  • 2015.12.28 Monday
  • さて、年末です。
    いつもの年なら、僕のWebでの一年を振り返る内容を書くのですが、今年は冬眠してましたので、書くことがありません。何で冬眠していたかは、前に書きました。
    11月にいちおうWeb復帰したのですが、それ以降も記事はほとんど書いてません。このブログに2記事と、西宮エリアブログに何本か、ですね。

    ま、いろんな言い訳もあります(笑)。
    もちろん、日々の生活に追われて…というのが一義的なことですが、これは毎年そうであって、理由にはなりませんな。ただブランクをつくっちゃった、というのはやっぱり大きいんです。アタマがブログ脳に切り替わらないんですよ。なので、思い付きはあってもなかなか記事に結実しない。
    年くっちゃったのかなぁと思います(汗)。頭脳に柔軟性がなくなってきたと申しますか。
    あとは、体調が完璧でない、ということもまああるかな。おかげさまで今年前半戦を悩ませた腰は、よくなりました。しかしながら、12月過ぎからいわゆる「五十肩」になりまして。なんでもう今年はいろんなことが次々に襲ってくるのか、と愚痴りたくなるのですが、まあそういう年代なのでしょうか。

    しかしながら最大の原因は「PCを買い替えた」ことにあるんでしょうねー。
    僕が入院中にPCが壊れてしまい、13年ぶりに個人PCを新しくした、ということは以前書きました。それにしたがい、OSもWindowsXPからWindows10に一気にステップアップし、浦島太郎状態になってしまってアタフタしている、と前に書きましたが、今でもマスターはしていないものの何とかダマシダマシ使っています。PCなんてのは、そもそも取扱説明書を読んで使う、なんてものじゃありませんから、そういうもんだと思ってます。これはしょうがない。
    ただ、僕にとって致命傷だったのは、PCが横広になってしまった、ということです。
    何の話かわかりませんよね?
    僕もどう書いていいかわかんないのですが、僕が以前使ってたのはPCのディスプレイが4:3だったのです。古いですな(汗)。それが、当然ながら画面は16:9になっています。
    さすれば、それにあわせてキーボードも横長になるわけです。別にそんなの合わせなくてもいいだろうと思うのですが、メーカーも余白が嫌いなのでしょう。なので右側にテンキーを付けています。
    これが、困るんですね。視線はディスプレイ中央に合ってしまうのですが、キーボードは左寄りに揃ってます。このため一応ブラインドで打つと、運指を間違えてしまう。バックスペースキーを打ったつもりがナムロックキーだったり、エンターキーのつもりが数字の4だったり。みんなずれてしまうのです。
    理解していただけないかもしれませんが、僕が少数派のカナ打ちであることが影響しているのかもしれません。とにかく、やたらタイプミスをするんです。
    家じゃないところで使用するPCは、だいたいデスクトップなんです。これだと、ほぼタイプミスはしない。不思議なものですが、デスクトップとキーボードの位置が自由であるためかもしれません。ラップトップはそれが固定なので、感覚のズレを修正できないでいるのかもしれません。
    今も、四苦八苦してます(汗)。イラっとして、ホントに文章打つのが億劫になるんですよ。しかしこれも慣れなければしょうがないので、どんどん記事を書いていくしかしょうがないんでしょうけどねー。

    てなわけで、まだまだ本調子ではありません。
    本当は…この「凛太郎亭日乗」というブログは、10周年だったんですけれどもね。すっかり忘れてました。
    アーカイブ的には、このブログは表向き2004年6月から始まったことになってます。しかし、それはここを開設する前にやっていた日記サイト「lintaro's bar」の過去ログ1年半ぶんをコピぺしたもので、実際に使用し始めたのは2005年12月1日からです。(記事→新規オープンです。)
    したがって、つい先日が10周年だったんです(汗)。
    何年か前までは、10年経ったらちゃんと記念記事をアップしよう、と思っていたのですけれどもね。内容も考えてたのですが、実際の10年目がきたら何も書かなかった。あちゃー(汗)。
    しかしながら、そんなのはちゃんと定期的にブログ書いてる人が書くものなんでしょうけれどもね。

    リンク張るために、その2005年12月1日の挨拶記事を引っ張り出してきたのですが、その記事のコメント欄を見ますと、jasminteaさんとアラレさんが足跡を残してくださっています。
    本当に有難い。
    先日僕が冬眠から覚めて反省の弁を書いた時にも、おふたりはコメントを書き込んで下さいました。
    こっちが不精しているにもかかわらず、長くお付き合いをさせていただいています。つまり10年以上だ。ひたすらに、ありがたいと思ってます。
    僕は、誰かに向かって(読者を想定して)書いているわけではありません。そういうのが出来ないんです。なので、一般的には興味をひかない話も、七面倒くさい理屈っぽい話も書きます。それでも、定期的に読んでくださる方がいてくださるのは、嬉しいことです。

    そういう、鬱陶しい僕の記事を読んで下さる方のおひとりに、よぴちさんという方がおられました。
    この方が、最初に僕を見つけてくださったのは、もうひとつのブログ「凛太郎の徒然草」の「ウイスキーの小瓶」という記事でした。コメントの日付は、2008年の2月6日。以来、僕の書くものを本当に細かく読んで下さっていました。同じ歳ということもあり、同世代話をよくさせていただきました。
    ネット環境が復帰してから、僕は自分のブログこそ少ししか書きませんでしたが、人のブログは読んでいました。一応RSSリーダーがありますので、お知り合いの方が更新されればすぐに分かり、とりあえず読もうと飛んでいきます。
    12月16日。そのよぴちさんのブログ「As Time Goes By」の更新通知がありました。僕はすぐに、彼女のブログを開けました。
    記事は、よぴちさんのご主人が更新されたものでした。「よぴちは亡くなりました。」と。
    僕は言葉を失いました。
    彼女は白血病でした。20歳代で発症し、以来ずっと闘病を続けてこられました。何度も危ない時期を乗り越え、彼女自身が医学的知識のある研究者だったことから、様々な厳しい治療、対処を試し重ね、それでも好きな音楽を聴き、奏で、ブログを綴ってこられました。
    生きることを諦めなかった人でした。

    こうして、年末の記事を書いていて、思います。
    そうか。もう彼女にはこの記事を読んでもらえないのだ、と。
    どんなしょうもない記事でも、年の暮れの記事には必ず書き込んでくれて、「今年もどうぞよろしく」とか言いあったのになー。
    「読者を想定していない」とさっき書きましたけれども、実はそうじゃなかったことを今思い知らされています。
    いったいこの寂寥感をどう昇華させればいいんだろうか。

    僕は前に、ブログは「身内バレしたら消去」と書きました。カミさんや親兄弟には恥ずかしすぎる内容だからです。
    しかし、もう何があっても消しません。それをすれば、今まで出会った人たちとの会話も同時に消してしまうことになる。それは、絶対にできない。もしもブログサービス会社側が止めると言うなら、必死でコピペしてどこかWeb上に置いておく。もう、そう決めました。
    人が生きてきた証しが、このブログにだって残っているのですから。

    この一年、何もしなかったブログですが、いちおう今年の更新はこれで終わります。もうひとつのブログにも、久々に記事をあげました。
    明日から、無理は出来ませんが久しぶりに旅に出ます。カミさんの実家への帰省ですが、例年のごとくあちこち寄り道しながら行こうと思います。冷たい風が吹く冬の旅ですが、少なくともその旅行記は来年書ければいいな。

    それでは、来年もどうぞよろしく。みなさまよいお年をお迎えください。
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    | 2015/12/28 | 雑感 | 23:22 | comments(2) | trackbacks(0) |

    反省の弁

  • 2015.11.15 Sunday
  •  何から書いていいか迷うのですが…生きています、と書くのもヘンですし。

     とりあえず現在までの状況を、ごく短く書きます。
     僕は今年2月に腰を痛めて一旦ネットから離れました。なかなか回復しないまま春を過ぎ、ブログとか放置しっぱなしもどうなのかなあと思っていた頃、とある内臓疾患が見つかりまして。
     詳細は省略しますが、しばらく入院しました。
     そして季節は移り…何とか命永らえてシャバに出てきました。有難いことに安静にしていたせいで腰はすっかりよくなりましたが、体力の衰えは隠すことも出来ず。

     季節は既に夏も盛りの頃です。僕はそれでも一応そのとき、自宅PCの前に座ったのです。
     さすれば…立ち上がりません。しばらく留守にしている間に、僕の代わりにPCが逝っていました。
     なんせ13年間前に購入したPCで、まだWindowsXPを搭載していたえげつなく古いマシンでしたから、寿命なのでしょう。それは、しょうがない。長い間ご苦労さま。
     ならばすぐに新しいPCを購入しなくてはならないはずなのですが…僕はそのまま放置してしまったのです。
     
     目の前の様々なことで精いっぱいだった、余剰体力も精神も無かった、とも言えますが、本音を言えば、ただ億劫でしたね。気持ちが前向きでなかったと申しますか。そのときの僕はすっかり「Webの人」になる気力を失っていました。長い間ネットと離れた生活をしていましたし。
     以来、数か月。
     僕はスマホも持っていませんし、自分がHN「凛太郎」である、という意識も薄れ、ずっとシンプルな生活をしていました。今の世の中、何でも「詳しくはWebで」の社会です。しかし普通に生活は出来るんですね。なので、ずっと押し込めたまま暮らしていたのです。

     ですが。
     やっぱり必要になってくる局面ってあるんですね。カミさんも「いいの?」とか気にしてる様子。それで何やかんやありまして先週、僕はとうとう重い腰を上げ、家電量販店に行きました。
     売り場にあった最も安いパソコンを選び、購入(今、僕のフトコロにはホント余裕がないんですよ)。
     んで、ネット接続もいたしました。
     なんせXPをつかっていた人間がいきなりWindows10ですから、何が何やらさっぱりわかりません。全て一から出直しです。接続しても新しいPCですから、かつての記憶は全く受け継いでいません。ブラウザだってMicrosoft Edgeなんていうわけのわからないものが入っている。そして何を開けるにしてもIDだのパスワードだの暗証番号だのと要求され、そんなのはみんな忘却の彼方でしたから、相当に苦労しました。
     で、最初にやっとの思いでメールボックスまで辿り着いたのですが。

     本当にごめんなさい。
     lintaroのメールボックスには、様々なメールが山ほど入っていました。
     まず謝らなければならないのは、依頼メールをいくつも放置していたということです。
     僕には、時々そういうメールがきます。例えば、書籍などのメディアにあなたの文章を引用したい、画像を使いたい、など。マニアックなことを結構書いているので、需要があるのでしょう。良心的なところは、原稿料とまではいかずとも献本くらいはしてくれます。
     みんな、無視してしまいました。こういうの、迷惑かけましたね。どうなっただろう。
     さらには、ご意見や質問メール。僕は郷土史関係でかなり深く狭いことを発信していますので、こういう情報もしくは資料が存在していますよ、などというご教示、また問い合わせなどもよくあります。
     こういうのも、全てシカトしてしまっていました。信用失くしたな…。これは、おいおい時間をかけてでもご返事はしたいと思います。ただちょっと勉強しなくては返せないお話も多く、しばらく時間はかかると思いますが。
     さらには…。
     「ブログの更新が止まってますけどどうされましたか」というメールも、その中には何通か混じっていました。しかも、お知り合いだけではない、未知の方からもです。
     申し訳ない。心配していただいて。

     さらに。
     ブログにもコメントがいくつもついていたんですね。本当に申し訳ない。
     稼働していないブログには、アプローチはされない。そう思って油断していたのですが、この「凛太郎亭」はともかく「徒然草」や郷土史ブログのほうは、以前から過去記事によくコメントしてくださる方がいらっしゃるんです。ずいぶん放置してしまいました。
     ごめんなさい。追々レスは、させていただきます。


     僕はブログを始めた頃、そう…10年以上前ですが、よくメタブログ的な内容のものを書いていました。ブログというメディアに興味があったからでしょう。
     その中で、ブログ閉鎖問題、もしくはフェードアウトについても何度か書いたことがあります。
     ブログって、才人はともかく、通常は長く継続していくのは難しいものです。
     最初は誰しも一生懸命に書くんです。でも続かない。
     日々の暮らしを日記的に綴っていたとしても、「あ、このネタは前にも書いたな」とか思ってしまう。食べ歩きブログも、そうそう新店にばかり行っていられない。子供やわんにゃんも定期的にはネタを提供してくれない。マンネリ化してしまいます。何かを論じつづけていても、しばらくしたら自分の引き出しは空っぽに。そして、徐々にネタはないかと探すようになり、そして書くことに倦み疲れ…更新出来なくなってしまう。
     これは、必ず起こることだと思います。で、ブログってのは商売でやってるならともかく、趣味でHNでやっているのであれば、徐々に「もう無理して書くこともないか」と思って遠ざかる。そしてフェードアウト。
     こういう現象が、10年を過ぎて自分にも起こるとは、あの頃は思わなかったよなー。
     しかし、ブログを始めた頃30歳代だった当時の僕が、よもや50歳代になってもブログを継続しているとは、これまた想像もしていなかったし。
     以後は、まあなんせよ、無理せずにボチボチとやっていこうと思います。


     ぶっちゃけ、先週PC買ってきてネット接続して、数々の凛太郎宛メールやコメント言及などを見たときは、ホントビビってしまったんです(^-^;
     うわわわわ…って。それこそ、フェードアウトして逃げたくなったくらいで。小心者なんですよ。で、さらに一週間も現実逃避。
     今日、こうやってPCに向かっているのは、実は酒の力を借りています。(´・ω・`)エッ?
     アルコールは呑んじゃいけないわけじゃないんですが、入院したりして禁酒時代が長く続き、すっかり弱くなりました。しかしながら、今日11月15日は、坂本龍馬はんの生誕祭であります。これは、呑まねばなりません。鶏鍋を拵え、一杯やりました。
     今年は土佐の酒を手に入れられず、うちにあった「桃の滴」で乾杯。まあね、土佐ではありませんが伏見の酒ですから龍馬はんに縁がないこともないでしょう。
     で、酒の勢いでもって、更新。

     ぼちぼち復活すっかな。(^-^) 先のことはわかんないけど。
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    | 2015/11/15 | 雑感 | 22:16 | comments(6) | trackbacks(0) |


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