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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    その後の雑感

  • 2015.03.31 Tuesday
  • 季節はすっかり春。僕はぐうたらした日々を送っている。いろんな人に迷惑をかけ、様々なことを逸しつつ暮らしているが、さほど鬱々としているわけでもない。もう「なるようにしかならぬ」と達観している。ただあまり陽気でいると人目があるので一応暗い顔をしている。

    お見舞いの連絡も盛んにいただいて、ありがたいとは思う。病人というより怪我人というに近いから、電話に出れば「意外に元気やな」と言われる。すみませんね(汗)。食欲も衰えてないよ。運動しないので筋肉は落ちて、ただ脂肪だけが蓄積されてる。

    「いつ治るの」と問われるのがいちばんしんどいな(汗)。そんなの答えられません。「早く治せよ」と言われてもねぇ…。どう努力すればいいんだ。せいぜいコラーゲン質のものとか多めに食べるくらいかな。鶏軟骨とか豚ソーキとか牛筋煮込とか旨いね(また太る)。

    地球の重力というものは恐ろしいものだということをひしひしと感じる。以前頚椎捻挫をやったときもそう思った。自分の頭の重さに首が耐えられない。椎間板が潰れたのも同じで、背骨をヨコにしていると楽なのにタテにすると途端に負担がかかりしんどくなる。なんともはや。

    地球が無重力であれば、おそらく治癒は飛躍的に早まるのではないか、との妄想が生じる。それに近しいのは水中であり、バスタブにつかっていると実に快調で愉悦を感じる。ついつい長湯となる。ということは、萎えた四肢を回復させるにはおそらく水泳が良いのだろうな。

    幸せか不幸か、ということを決めるのは、主観であるべきだ。どんなに貧しくても本人が幸せと思っていれば良し。隣の人を見て自分が劣っている、不幸だと考えるほどつまらぬことはないし、あいつよりマシだから幸せだと感じるのはもっと下らぬことである。

    ここしばらくは、飛躍的に読書量が増えている。そりゃそうでしょうな。他にやることがない。あとはラジオくらい。主としてFMだったが、スポーツがいろいろ開幕してからは中継もよく聞く。甲子園の傍に住んでいるのにそれをラジオで聞いているのは不思議な気分。

    ラジオのスポーツ中継は、贔屓選手、チームのものでないと面白くないことを発見。映像なら贔屓に関係なくプレイを見るのが楽しいが、試合経過が音声で淡々と追われているだけだと、野球にせよサッカーにせよ応援モードでないと退屈してしまう。

    TVは疲れるのであまり見ないが、それでもU-22の五輪予選は見た。久保裕也の姿を見て不覚にも涙が。カミさんに「馬鹿じゃないの」と言われ(汗)。でもそんなサンガサポは多いと思うよ。もしもあのゴールが原川力のクロスだったら号泣したやろな(笑)。

    しかしTVというのは…。普段なら絶対に家に居ない平日の午前。寝ながらぼんやりと観ていると、どのチャンネルも芸能人の離婚の話ばかりしている。ワイドショーってすごいな。これが最も視聴率が取れる内容なのだろう。人というのは噂話から離れられないんだろうか。

    でも制作側にも問題あると思うよ。興味深い内容のVTRであったとしても、必ずスタジオに沢山の芸人さんが居てコメントする。必要なのかな。音楽番組でもスポーツ番組でも芸人さんがリアクションして終わる。理解できないな。かくしてまたTVを観なくなる。

    僕はスマホを持っていない。あれを持つととりこまれるので意識的に所持していないのだが、発症したときはやっぱり欲しいと思った。寝ながら使えるしね。だが暫らく経ってみると、ネットと離れるのもまた一興だと思う。僕はネットでのインプットはしずらい。

    臆病な人は洞察力が鋭いのではないかと思う。高所恐怖症というのは、落ちて地面に叩きつけられることを想像するから怖いのだろう。先を読むから怯える。そう考えて、自分の臆病さ加減を正当化しているのだが、一笑に付されること多し(汗)。

    春だなあ。僕の住んでいるところでは、なんだか桜が満開らしいね。全く観てないや。ここしばらくの雨で、もう散っちゃうかもしれない。まあ今年は諦めることにすっかな。「もともと花には興味ないのさ」と強がってみる。酒も自重してることもあるし。

    たったひとつ良かったことは、引きこもっているためにいつもは鼻水ズルズル目が痒い! の花粉症が今年はホントに軽微であるということ。吸い込まなけりゃアレルギーも出ないのよ。嬉しいね。当方、くしゃみにすら恐怖心があるので、有難いなと思う。

    エイプリルフールか…。今年は嘘つく場面がないや。人を騙すのも悪趣味ではあるし、「病人のくせに」と言われそうなので、自重しましょ。実はこの記事にも少しだけ嘘が混じっているが、分かる人はいないでしょうな。どうでもいい話です。

    良くなったかと問われれば、つい昨日と比べてしまうのでよくわからないと答える。しかし一ヶ月前の記憶を辿れば、好転しているのは確かかなあと思う(そうでないと困るが)。少なくとも、横たわってじっとしてれば痛みはさほどない。地球に重力さえなければなあ。

    ブログ書きたいなと思う。何も生産的なことをしていないと、妄想が暴走する。ネタを思いつき、知らぬ間に脳内で文章を作っていることに気が付く。10年もやってると、これも生活の一部になってるんだなと。そんなこんなで、少しづつでもまた書いていければなと今思ってます。

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    | 2015/03/31 | 短文 | 17:46 | comments(2) | trackbacks(0) |

    椎間板ヘルニア再発に詠める

  • 2015.02.28 Saturday
  • 不覚なり我が椎間板ふたたびに押し潰れたり10年ぶりか

    突然に背骨ずれたる感覚が そのまま動けなくなりにけり

    何年もなだめすかして誤魔化して鎮めてきたのにここにきて…ああ

    診断は前よりマシとなされども加齢が治癒の障害となり

    これつまり背骨の間の軟骨が突然ぐしゃっと潰れたんです

    椎間板飛び出し坐骨神経を圧迫するから痛いのなんの

    恐ろしや尾骶骨からハリ入れる絶対慣れないブロック注射

    ヘルニアは横になるのが治療なりしかし無理することも幾度も

    寒き日に脂汗出る駅までのいつもと同じ短き道のり

    時間さえあれば寝転び垂直に圧される背骨休ませにけり

    PCから離れて幾日つくづくとスマホ不所持を後悔してる

    メールだけ無理して確認すると嗚呼(汗) 僕にも事情があったのですm(_ _;)mゴメン

    ひと月で失ったもの数知れず焦燥感に口唇を噛む

    焦ってもしかたがないと思えども失ったチャンス戻らぬ時間

    ぼんやりと聴くラジオから拓郎の歌声流れためいきひとつ

    僕はもう明日に向かって走れない 天井見つつ思い彷徨う

    発症の頃は粉雪窓の外 今は花粉と黄砂舞い飛ぶ

    梅の花咲いているよと妻は言う春の足音我知らぬ間に

    確実に季節は移りかわりゆく でも僕だけは未だ停滞か

    振り向いた窓から見える空高く流れる雲を追いかけてみたい

    あの空にかつて見た夢あったはず まだ終われない僕は生きてる

    治るにはまだまだ時間かかれども気持ちは少し癒えてきたかな

    ちょっと無理しているところもありますが元気ですよとあなたに向けて
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    | 2015/02/28 | 短文 | 18:27 | comments(6) | trackbacks(0) |

    向日葵も見ず夏過ぎて

  • 2014.09.02 Tuesday
  • 今朝目覚めたらひんやりとしていた。思わずいつも蹴飛ばしてる布団を手繰り寄せた。今年は「史上最大の夏が来る」と言われ、事実7月末の暑さは凄くこの先どうなるのかと危惧したが…西日本は11年ぶりの冷夏だったんだと。とにもかくにも、夏は行ってしまった。

    今年は不思議とスイカを食べる機会が多かった。ありがたいこと。ところで分類上はスイカは野菜なんだってね。木に生るのが果物。なるほどね。イチゴもそうか。ところで沖縄ではパパイヤは野菜として消費されてるけどあれはどうなんだろうとふと思った。

    先日、一日中サンダルを履いていたら、日焼けして足の甲に完璧な鼻緒ラインがついた。これは格好悪いと思ったが、おっさんならまず他人に見られることはないよねこの部分。普通に生活していれば。靴下脱ぐ機会なんて不倫するときぐらいだわ(笑)。

    エスカレーターでよく「手すりを持って真ん中に立て」と注意喚起の案内がなされる。確かに手すりを持たないと危ないし(急停止の場合)、片側を急ぎ客用に空けるとバランスが悪くて故障の原因になる。だが、子供や小さな人はどっちかに寄らないと手すり持てないんじゃないか?

    サドルの無い折りたたみ立ち乗り自転車」便利そう(笑)。でもテクがいるかもね。しかし一瞬この手があったか、とは思ったけど、これって日本の法律上の「軽車両」に該当するのかがどうも気になる。突き詰めれば結局キックボードにペダルを装備しただけのような気もする。

    生のキャベツをそれほど尊ばない。トンカツ屋では千切りキャベツをおかわりするが、あれは口直しでトンカツを旨く食べるためのものという認識。本当は火を通したほうが旨みが出て好きだ。広島式のお好み焼きというのは、キャベツを旨く食べる最上の方式のように思っている。

    しかし。貴方が仮に納豆を嫌いだったとしても、納豆は不味いものと言ってはいけない。それを美味いと思って食べている人の味覚を否定することはできない。美味い不味いと好き嫌いは違う。これは食べ物に限ったことじゃない。自分の価値観は世界に通じると思い込んではいけない。

    いわゆる「仕掛け」の言葉が嫌い。「イクメン」「終活」「断捨離」等々。いったいどの層が儲けるんだろうか。ひとそれぞれいろんな事情がある。なんでも捨てればいいというものでないのは自明のこと。そうしない人間は悪、のように煽られるのも腹立たしい。

    「結果が全てだよ」としたり顔でいう人は、結局人間を機能としてしか見ていない。努力も工夫も全て過程にある。それを無視して結果しか見ないのは人間否定だ。頑張った人に対しては、その結果がどうあれ称えるべきだと思う。だから涙をふけよ俺。

    家に留守番電話が録音されていた。それは我が家宛ではなく間違い電話だったのだが、凄まじい話で。詳細は書けないが交通事故に関わる事柄で実に生々しい。これ、どうすればいいのだろうか。うちはナンバーディスプレイも付けてない。伝わっていないと揉める内容だけに(汗)。

    「ゲスの極み乙女」というバンドを見た。なんだそのバンド名は。「凛として時雨」という人たちもいた。キラキラネームバンドだな。確かにグループ名なんかは横文字ばっかりだから日本語を遣うのもいいが、テロップを見てどっちが曲名でどっちがバンド名かわからないのが困る。

    「出る杭は打たれる」ということわざについて解釈が2面あるけれども、良いことをして打たれてしまうのと悪いことをして打たれるのとは意味が違うよなあ。良い悪いの判断は神の領域かもしれないから、打つ側にはあまり回りたくないのがホンネのところ。

    こちらのブログを見て、感慨に耽ってしまう。今はこの検査はなされていないとのこと。もっと早く廃止されてても良かったのではないのか。僕には下段左下は17にしか見えない。そして、この検査は間違いなく22歳のときに僕の運命を変えてしまったと思っている。

    のんびりするために頑張らなくちゃいけないのは、なんだか本末転倒のような気がする。ああ人生ってのは矛盾だらけだ。やっぱり、あれかこれかしかないのかな。あれもこれも、を望むならまたそれはそれで大変なことになってしまう。なんとかならんものか。

    「雨の日に向日葵肩身狭くして」 俳句はやっぱりヘタだな。「行く夏や向日葵も見ず終りけり」 今年の夏は雨ばっかりだったね。ひまわりは好きな花なんだけど(→記事)、今年も一面のひまわりを見る機会を逸した。来年の楽しみにするか。ナナムジカ聴いて、行く夏を惜しむとしよう。

     
     ユバナ ナナムジカ ニコ動

    「さあ顔を上げて 動き出す太陽が世界中の涙を乾かすから」 まあね、顔を上げていきましょうか。ひまわりはいつも光のさすほうを見てる。ときに眩暈もするよ。でも、この道には続きがあるんだ。そう信じて、ぼちぼちでも歩いていこうかと思います。
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    | 2014/09/02 | 短文 | 22:10 | comments(5) | trackbacks(0) |

    G.W.らしいけど

  • 2014.04.29 Tuesday
  • だんだん日が長くなってきた。うれしい。夜明けが早いといろんなことがはかどるような気がする。暮れるのが遅いと急かされている感じがしないのもいい。そしてだんだん暖かくなってきた。これもうれしい。今年の冬はいろいろしんどかったからな。俺の季節の開始を寿ぎたい。

    ところが津軽ではようやく桜が咲いたとか。弘前城の枝垂桜は有名でこちらは満開らしいが、金木の芦野公園はもう少しだとお義母さんが言っていた。これから花見にゆくらしい。芦野公園の桜は、昔一度だけ見たことがある。なんせ結納のときだったので、思い出が濃い。

    なんかゴールデンウイークらしいけれど、旅に出られるわけじゃなく、そう思えばつまんないけど、ただいつもより時間が少し自由になるから、少しでも有効に使いたいとは思う。そういいつつ、のんべんだらりと過ごしてしまったりもするこのテイタラクはどういうことか。

    「昭和の日」という名称にはどうも馴染めない。それは思想的に僕が極左だからというわけではなく、次世代は12/23が平成の日になると約束されたようなもので、天皇制続く限り元号名祝日が無限に増えることになり、そのうち365日祝日になるぞ、という危惧があるから。(ヾノ・∀・`)ナイナイ

    ポール・サイモン夫妻を逮捕 治安乱した容疑」(朝日新聞) 何事かと思うじゃないか。「自宅内での争いが原因で2人とも軽傷を負った」つまり夫婦喧嘩か。そりゃ怪我すりゃ警察も出ざるを得ないが他に書き方はないのか。サイモン先生も若いな。72歳で怪我する喧嘩とは。

    なんだかルパン三世が実写化されるそうだ。漫画、アニメの実写化は基本好きではないが今は明らかなミスキャストでなければ是としている。PVを見るとこれもまた良しと思える。しかしどうしても抵抗が残る。それは、ルパンが明確に年下になったこと。

    「しずる感」という言葉を初めて聞いた。「美味しそう」という意味でもう定着しているらしい。英語の「sizzle(焼肉のジュージュー音)」からきているそうだが、こういうのに慣れるまでは時間がかかりそうで。感覚としては涎が垂れそうな感じを思い浮かべるがそれは綺麗ではないな。

    「ピロピロ飲み」という言葉も同時に初めて聞いたのだが、松村邦洋氏の20年来の持ちネタらしいので、これは僕のアンテナが足りなかったらしい。ところが検索しても意味がよくわからん。縦笛の音がピロピロなのか、またどこがギャグ(?)なのかがさっぱり。誰か教えてくれ。

    twitterなどのアイコンに、アイドルの顔やアニメキャラを使用することを厳しく取り締まるべきだと思う。もちろん著作権肖像権の侵害が最大の問題だが、昨今の犯罪自慢や拡散希望の馬鹿なtweetががシャアや猪木から発せられるのを見たくない。いろいろ悲しくなる。

    東海林さだお氏と椎名誠氏の中年時代の対談で、年食った証しとして「カツ丼を食えという支配欲が無くなる」「カツ丼から天丼へと移行している」という話が印象に残るが、逆に僕は好きだった天丼をあまり欲しなくなった。むしろカツ丼を前より好むように。どういうこっちゃ。

    昔の画像、映像を見ていて明らかに今廃れたもの。歩きタバコ。自転車の二人乗り。壁当てキャッチボール。人に迷惑がかかることが無くなるのは結構だが、これは倫理観が上がったのか、それとも規制が単純に厳しくなっただけか。歩きスマホもいつか廃れてくれるだろうか。

    神戸に弾痕の残る古いビルがある。もちろん戦争の爪跡だが、そんな話を若い人にすると「米軍が上陸したのかすごい」と返されたので驚いた。もちろん機銃掃射による弾痕。その時は、もう若い人の感覚ってそうなのかなと一旦思って納得したが、これって世代の問題ではないよね。

    通販はやらない。どうも心理的抵抗が大きすぎてやったことがない。現物を見ずしてどうして購入できるのか。だからAmazonとは無縁である。しかしながら、老後はこういうのが便利になってゆくのだろう。なので今から手始めに、とは思うのだがなかなか踏み出せない。

    最近僕は墓石に刻まれた銘文ばかり読んでいるのだが、異体字というものがあってしばしば苦労する。先日二字に分けたものがあって(文政という元号が文正攵となっていて、文正と勘違いするじゃないか)、こういうもののルールは昔はどうなっていたんだろうかと思う。

    同じ一字なら峰・峯、松・枩などがあって島・嶋・嶌はお馴染みだが、晩の日と免が引っくり返った字には悩まされた。読めねえよ。崎と嵜はなんだかちょっと雰囲気が違う気がする。呪と咒も?だし。脅・脇や裏・裡を使い分けてるのは日本だけか? 棗と棘はどうなる?

    WikipediaをWikiと略すことにどうしても慣れない。気持ち悪さを感じてしまう。これには有名な「携帯電話だってケータイと言うやろ」という反論があり、僕も略語については書いたことがあるが(これ)、この気持ち悪さは例えばホームページを「ホーム」と言うような気持ち悪さなんですよ。

    facebookに限らず、来訪者が実名ばかり、或いはHNであっても明らかにリアル友人ばかり集ってるサイトが増えた。ついていけない。ネットが見知らぬ他人の中で新たな人格で構築する場所でなく、現実社会の中のひとつの場になって久しい。どうも「侵食された」感が強い。

    運命論者ではないつもりだが、なんとなく人の一生における運不運というのは一定であるような気がしている。したがって、今日何かいいことがあっても、どっかでまたバランスがとれてしまうのだろうと思うと、素直に喜べずに終わってしまう。マイナス思考の塊のようやな。

    しかしただマイナスだけでもない。悪いことが起こったときにもそんなに悲観的にならずに済む。どっかで天は帳尻合せをしてくれるのじゃないかとも思うから。100円落としたら、どっかでまた100円拾えるよ。人生悪いことばかりじゃないさ。案外僕は楽天家だったのかな。

    今日は雨になった。ちょっと肌寒く感じるのは、僕の身体がもう待てずに夏仕様になってしまったせいかもしれない。雨が上がれば、また暖かくなる。黄昏時の神戸を歩きながら、紙ふうせんの「霧にぬれても」を思い出していた。久しぶりにやっちゃんのきれいな声が聴きたい。

     
     霧にぬれても [EPレコード 7inch] Dailymotion

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    | 2014/04/29 | 短文 | 18:52 | comments(8) | trackbacks(0) |

    信仰いろいろ

  • 2014.04.04 Friday
  • 民間信仰の本などをいろいろ読んでいると、やっぱり信仰というのは現世利益がないとなかなか浸透しないものだと。病気治癒。厄除け。豊作。商売繁盛。縁結び。子宝。合格。とげ抜きや歯痛というピンポイントまで、何とか助けてもらおうと祈る。

    庚申信仰や地蔵信仰、弁天さんや竜神さんやえべっさん、みんな現世利益といえる。江戸時代の村落の信仰というものを調べていると、こういうものがどんどん出てくる。まず仏教の檀家となり、村の鎮守の氏子となるだけではないプラスαの信仰がある。

    なんで信仰が三本立て、四本立てとなってゆくのだろう。こういうのは西欧ではまず考えられない事と思う。世界には一神教が多い。キリスト教を信仰しながらちょっとゾロアスター教も、なんてことは絶対にないだろう。その融通無碍さが面白い。

    やはり現世利益というのは、重要なのではないか。仏教は、ことに鎌倉以降の仏教は現世利益を説かない。阿弥陀さまは極楽浄土を約束してくれるがそれは死んだ後のことである。念仏を称えることで確かに気持ちは楽になるが、今の幸せに直接結びつかない。

    「祈によりて病も息み命も延ぶる事あらば、誰かは一人として病み死ぬる人あらん」法然上人が言うことは、確かに納得できる。しかし人間は弱いもので、病気を何とかして欲しいと願う。で、浄土宗のお寺の檀家さんも目が悪くなれば目疾地蔵さんを祀る。

    江戸時代は、必ずどこかのお寺さんの檀家にならなければいけなかった。そういう制度を幕府が作った。キリシタンでないことをお寺の檀家となることで証明させたのだ。これにより民衆全てが一応は仏教徒となったが、現世利益を寺が祈ってくれない。

    考えてみれば、仏教も昔は現世利益を担っていたはずだ。そもそもは国家鎮護が目的だった。これも大きな現世利益だ。奈良時代盛んだった薬師信仰はもちろん病気治癒。密教は加持祈祷をする。ところが浄土信仰というものは現世利益を謳わない。

    平安後期から鎌倉時代にかけての浄土信仰の隆盛は、仏教を死後の信仰へと舵をきる役割を果たしたのではないか。そして江戸時代の檀家制度が「葬式仏教」を生み出した。檀那寺は、菩提寺としての役割を担うことになる。葬式と墓、位牌の管理をする。

    お寺さんは、来世を担当する。氏神や産土神は鎮守として、村の安寧を守る。儒教は、教育文化である。そして個々の望みや願い、つまり現世利益は、他のもっと身近な神様が担う。そして全てが矛盾なく成立する。宗教の役割分担ということがあったのだろうか。

    道祖神や塞の神は厄の侵入を防止し、稲荷や夷神は豊漁豊作や商売繁盛の実現を担う。行者講や伊勢講は人々の団結をうながし、庚申待ちや地蔵盆はレクリエーションも提供していただろう。民間信仰が人々に果たす役割は大きかったと思える。

    日本人はよく、天神さんで合格祈願をして、教会で結婚式をあげ、風水で家の間取りを決め、七夕に願いをこめ節分に豆をまき、お経であの世へ送られる、宗教に節操がないと言われる。しかしこれは古来からの伝統であり、懐が深いとも言える気もする。

    いろいろ考える。鎌倉以来の仏教で、日蓮宗は現世のこともフォローしていたのではないだろうか。「娑婆即寂光土」という言葉もある。なので、日蓮宗信者には他の信仰が入りにくいのかもしれないとぼんやり考えたりもする。あくまで僕の主観。

    日蓮宗には折伏という概念があるが、これが世界標準なのかもしれないと思ったりもする。いや十字軍なんかのことを考えればまだずっと穏健か。宗教は他の宗教を認めない。布教は他の宗教を駆逐すること。あれかこれかの世界。我々は、あれもこれも。

    キリスト教やイスラム教のことには詳しくないが、おそらくは現世利益を謳った宗教ではないはず。いずれ終末がやって来て、その後に審判を受け救済を待つ。現世利益への思いをどうやって充足させているのだろう。西欧には「神頼み」は無いのだろうか。

    例えば「ルルドの泉」とはどういう位置づけなのだろう。日本の民間信仰に非常に近いように思えて仕方が無いのだが。とげ抜き地蔵とルルドの泉をいっしょにすれば怒られるだろうか。しかしキリスト教信者も現世利益への願いを持っていることがわかる。

    最初はキリストも病気を直したり嵐を静めたりパンを増やしたりしていた。「奇跡」は現世利益だったはず。考え方次第なのか。五輪で競技前に十字を切る陸上選手。ゴールした選手は祈りを奉げる。ボルトやビスマルクが教義を逸脱しているわけではないだろう。

    「神のご加護あらんことを」は不自然な言葉じゃない。幸せになりたいと願う気持ちを人は誰もが持っているはず。一神教が現世利益を説いていなくとも、現世の幸福を祈るのはやはりその神しかいないのだ。しかし我々には八百万の伝統がある。

    「宗教」と言うと、一神教にせよ多神教にせよ、どうも排他的な感じがする。「信仰」はもっとやさしい。また国家と宗教が絡むとロクなことがない。明治の神道国家日本は、廃仏毀釈だけでなく神社合祀、さらに淫祠邪教として民間信仰を弾圧した。

    宗教に関わることは書くことが難しいので、短めの文章を繋げながら書けばそんなに問題は出ないだろうと思ったのだが、話が思わぬ方向へ行ってしまった。本当はコンセイ様とかの話をするつもりだったのに。しかしもう書き直してる時間がない。

    今日の一曲はもちろん信仰や宗教とは関係なく、岡林信康の「私たちの望むものは」を聴く。シングルを持っているが、中古で買ったものだ(世代的にはムリ)。私たちの望むものは社会のための私ではなく私たちのための社会なのだ。今の日本、危ないな。

     
     私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音 youtube
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    | 2014/04/04 | 短文 | 06:38 | comments(0) | trackbacks(0) |


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