だんだん日が長くなってきた。うれしい。夜明けが早いといろんなことがはかどるような気がする。暮れるのが遅いと急かされている感じがしないのもいい。そしてだんだん暖かくなってきた。これもうれしい。今年の冬はいろいろしんどかったからな。俺の季節の開始を寿ぎたい。
ところが津軽ではようやく桜が咲いたとか。弘前城の枝垂桜は有名でこちらは満開らしいが、金木の芦野公園はもう少しだとお義母さんが言っていた。これから花見にゆくらしい。芦野公園の桜は、昔一度だけ見たことがある。なんせ結納のときだったので、思い出が濃い。
なんかゴールデンウイークらしいけれど、旅に出られるわけじゃなく、そう思えばつまんないけど、ただいつもより時間が少し自由になるから、少しでも有効に使いたいとは思う。そういいつつ、のんべんだらりと過ごしてしまったりもするこのテイタラクはどういうことか。
「昭和の日」という名称にはどうも馴染めない。それは思想的に僕が極左だからというわけではなく、次世代は12/23が平成の日になると約束されたようなもので、天皇制続く限り元号名祝日が無限に増えることになり、そのうち365日祝日になるぞ、という危惧があるから。(ヾノ・∀・`)ナイナイ
「
ポール・サイモン夫妻を逮捕 治安乱した容疑」(朝日新聞) 何事かと思うじゃないか。「自宅内での争いが原因で2人とも軽傷を負った」つまり夫婦喧嘩か。そりゃ怪我すりゃ警察も出ざるを得ないが他に書き方はないのか。サイモン先生も若いな。72歳で怪我する喧嘩とは。
なんだかルパン三世が実写化されるそうだ。漫画、アニメの実写化は基本好きではないが今は明らかなミスキャストでなければ是としている。
PVを見るとこれもまた良しと思える。しかしどうしても抵抗が残る。それは、ルパンが明確に年下になったこと。
「しずる感」という言葉を初めて聞いた。「美味しそう」という意味でもう定着しているらしい。英語の「sizzle(焼肉のジュージュー音)」からきているそうだが、こういうのに慣れるまでは時間がかかりそうで。感覚としては涎が垂れそうな感じを思い浮かべるがそれは綺麗ではないな。
「ピロピロ飲み」という言葉も同時に初めて聞いたのだが、松村邦洋氏の20年来の持ちネタらしいので、これは僕のアンテナが足りなかったらしい。ところが検索しても意味がよくわからん。縦笛の音がピロピロなのか、またどこがギャグ(?)なのかがさっぱり。誰か教えてくれ。
twitterなどのアイコンに、アイドルの顔やアニメキャラを使用することを厳しく取り締まるべきだと思う。もちろん著作権肖像権の侵害が最大の問題だが、昨今の犯罪自慢や拡散希望の馬鹿なtweetががシャアや猪木から発せられるのを見たくない。いろいろ悲しくなる。
東海林さだお氏と椎名誠氏の中年時代の対談で、年食った証しとして「カツ丼を食えという支配欲が無くなる」「カツ丼から天丼へと移行している」という話が印象に残るが、逆に僕は好きだった天丼をあまり欲しなくなった。むしろカツ丼を前より好むように。どういうこっちゃ。
昔の画像、映像を見ていて明らかに今廃れたもの。歩きタバコ。自転車の二人乗り。壁当てキャッチボール。人に迷惑がかかることが無くなるのは結構だが、これは倫理観が上がったのか、それとも規制が単純に厳しくなっただけか。歩きスマホもいつか廃れてくれるだろうか。
神戸に弾痕の残る古いビルがある。もちろん戦争の爪跡だが、そんな話を若い人にすると「米軍が上陸したのかすごい」と返されたので驚いた。もちろん機銃掃射による弾痕。その時は、もう若い人の感覚ってそうなのかなと一旦思って納得したが、これって世代の問題ではないよね。
通販はやらない。どうも心理的抵抗が大きすぎてやったことがない。現物を見ずしてどうして購入できるのか。だからAmazonとは無縁である。しかしながら、老後はこういうのが便利になってゆくのだろう。なので今から手始めに、とは思うのだがなかなか踏み出せない。
最近僕は墓石に刻まれた銘文ばかり読んでいるのだが、異体字というものがあってしばしば苦労する。先日二字に分けたものがあって(文政という元号が文正攵となっていて、文正と勘違いするじゃないか)、こういうもののルールは昔はどうなっていたんだろうかと思う。
同じ一字なら峰・峯、松・枩などがあって島・嶋・嶌はお馴染みだが、晩の日と免が引っくり返った字には悩まされた。読めねえよ。崎と嵜はなんだかちょっと雰囲気が違う気がする。呪と咒も?だし。脅・脇や裏・裡を使い分けてるのは日本だけか? 棗と棘はどうなる?
WikipediaをWikiと略すことにどうしても慣れない。気持ち悪さを感じてしまう。これには有名な「携帯電話だってケータイと言うやろ」という反論があり、僕も略語については書いたことがあるが(
これ)、この気持ち悪さは例えばホームページを「ホーム」と言うような気持ち悪さなんですよ。
facebookに限らず、来訪者が実名ばかり、或いはHNであっても明らかにリアル友人ばかり集ってるサイトが増えた。ついていけない。ネットが見知らぬ他人の中で新たな人格で構築する場所でなく、現実社会の中のひとつの場になって久しい。どうも「侵食された」感が強い。
運命論者ではないつもりだが、なんとなく人の一生における運不運というのは一定であるような気がしている。したがって、今日何かいいことがあっても、どっかでまたバランスがとれてしまうのだろうと思うと、素直に喜べずに終わってしまう。マイナス思考の塊のようやな。
しかしただマイナスだけでもない。悪いことが起こったときにもそんなに悲観的にならずに済む。どっかで天は帳尻合せをしてくれるのじゃないかとも思うから。100円落としたら、どっかでまた100円拾えるよ。人生悪いことばかりじゃないさ。案外僕は楽天家だったのかな。
今日は雨になった。ちょっと肌寒く感じるのは、僕の身体がもう待てずに夏仕様になってしまったせいかもしれない。雨が上がれば、また暖かくなる。黄昏時の神戸を歩きながら、紙ふうせんの「霧にぬれても」を思い出していた。久しぶりにやっちゃんのきれいな声が聴きたい。
霧にぬれても [EPレコード 7inch] Dailymotion