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  • 2023.04.12 Wednesday
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    | 2023/04/12 | - | | - | - |

    ともに白髪の生えるまで

  • 2016.04.06 Wednesday
  • 老けたな、と最近よく言われます(汗)。

    昔「童顔と老け顔」という記事を書いたことがありますが、そこでも申しました通り、僕はもともと老け顔でした。小学校時代に「オッサン」というあだ名も頂戴していたくらいで。
    しかしながら、その面相はそれ以上老けることなくほぼ変わらずに推移しましてね。だいたい30歳代半ばで年齢が追いつき、ようやく年相応となったようです。さらに欲目を含んで言えば、40歳代ではもしかしたら顔を年齢が追い越し、若く見られるようになった可能性もあったのです。(酒場のおねえさんたちは「えー見えないーわかーい」とよく言ってくれた。営業トークを真に受ける阿呆ですが)
    自分の顔など客観的には見られないのが当然ですが、僕の顔は確かに昔とあまり変わらないようにも思えます。若いころの写真を見てもね。古い友人らには、若いなあとは言われずとも、変わらんなあとは確かに言われるんです。
    カミさんに言わせると、顔に年齢を刻んでゆくのは「ほうれい線」なのだそうです。鼻の脇から口の左右に下がる溝。これが歳と共に深くなり、皺と共に顔の加齢を助長してゆくのだと。
    確かに僕、顔にほうれい線って無いのね。
    頬骨の出っ張りが少ないからなのかな。ともかくそれが、変わらない様に見える要因ではないのかと。

    だから顔は、さほど変化はないんですよ。では何が変わったかといえば、それはもう頭髪です。
    前から「よく抜けるな。薄くなったな(涙)」とは思ってましたよ。何とか髪型で誤魔化してはいるものの、風呂に入ったりして髪の毛が濡れた状態になるともう悲惨です。地肌丸見え。これでは、もうすぐ髪型で誤魔化すことも不可能になり、近いうちに「バーコード」と揶揄されるようになるでしょうなあ。
    ただ、この頭髪の量は、急にそうなったわけではなく、徐々に少なくなったものです。
    それよりも、白髪が増えたことが大きい。
    なんかね。この一年で、髪の毛が真っ白になっちゃったのですよ。
    クドクドと書きましたけど、老けた原因は実は明確なのです。白髪ですよ。

    面白いもんでしてね。
    個人差はむろんあるでしょうけれど、頭髪というものは、一枚岩ではない。明らかに僕のアタマには境界線と申しますかラインがあって、質が異なる髪が生えています。僕は「波平さんライン」と呼んでます。
    頭頂部、つまり波平さんの「毛がない部分」ですね。この部分の髪は、本数が減ったことに加え、一本一本がとみに細くなってきました。柔らかくもなりましてね。僕は若いころは剛毛だったのですが、もうすっかりふにゃふにゃで頼りない毛質に。しかしかなり少なくなってますから、大切にしていますよ(笑)。この部分にも白髪はもちろん相当に侵食してますが、毛が細いためそんなに主張していません。
    で、側頭部から後頭部。波平さんもまだ毛があるところですが、ここは若いころと同じく、現在も剛毛であると思います。頭頂部と毛の太さが全然違う。不思議なものです。
    このラインはつまり、男性ホルモンと女性ホルモンの影響の境界線であるとよく言われますね。ホントのことはよく知りませんのでうかつに書いてはいけないのかもしれませんが。僕は性別的にはオトコなので、波平さんラインより下はまだ元気であるのだと。
    そのライン下の髪は、しばらく前までは黒々、とまでは言わずとも多少白髪が混じったくらいで推移していたのです。ところが、この一年で一気に白髪化が進行してしまいました。
    なんかね、真っ白です。
    細く柔らかい髪で構成された薄い頭頂部は「白髪交じり」って感じですが、ライン下はまだ結構剛毛なので、ここが白髪になると相当に主張します。目立つんです。
    したがい、急におじいちゃんみたいになってしまいました。別に玉手箱を開けたわけじゃないんだけどなー。

    話がそれますが、系統的には波平ライン下の毛というのは、一蓮托生みたいな感じなんでしょうかね。
    モミアゲも真っ白ですし、髭も白い。髭は剃るので気が付かれにくいのですが、入院してたときなんかはあまり剃りませんでしたから如実に表れてました。白ひげってのは、仙人みたいなもんですなあ。もっとも、僕は頬髯も結構あるので、仙人というよりシロクマみたいでしたが。
    ああもちろん、その下の毛も同じ運命ですよ。
    斎藤茂吉翁の短歌に、こんなのがあります。

      Münchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき

    北杜夫氏によれば、茂吉翁が40歳代前半頃の歌であるそうです。まあそのくらいに、白い毛が出ることは年齢的にあるでしょう。おそらく切って棄ててしまえばいいくらいの量。しかし今の僕の場合は、そんなんじゃ残念ながら追いつかない。
    思ったのは、これじゃ浮気は出来ないなと(笑)。
    世の中どうも不倫が流行しているようですが、あれも若さだなあ。僕はいま、妙齢の女性の前でパンツを脱ぐ勇気がもうない(あっても脱ぐな)。

    そんなことはともかく。
    カミさんがこの間、言いました。「染めたげようか?」と。
    うーん。その手は確かにあるんだよなあ。
    しかし、僕は以前人から聞いた話があるんです。曰く「毛染めは髪を痛めるよ」。
    頭頂部の髪は、今の僕にとって本当に大切なんです。大事にしたいんですよ。

     「ライン下だけ染めるっちゅうことは出来るんか?」
     「ややこしいわねぇ。全部染めればいいじゃない」
     「そんなん言うなや。負担をかけたない部分もあるねんて。部分染めっちゅう言葉きいたことあるがな」
     「そういうのはあんまり器用には出来ないよ。自分でやって」
     「そういうなや(汗)。後ろには目がないんや」
     「鏡持っててあげるわよ」
     「ホンでも五十肩で腕が上がらんのや(汗)」

    そんな話をしてるうちにカミさんは面倒くさくなったのか、会話はそれきりとなりました。

    そのあと、ぼんやりと考えていたのですが。
    アンチエイジングが重要な場合も、それはあります。しかし外見などは「年相応」を受け入れてもいいのではないだろうかと。
    僕は秋篠宮さんと同い年なのですが、あの人はもう相当前から総白髪でしたよねぇ。この歳では、そう珍しいことではない。殿下は最近染めたようですが、それはまだ小さい子供のことを考えてのことらしく。僕には子供もいませんし、別に若作りする理由もありません。最早モテようとも思いませんし(モテても全身白髪染めしないとダメですし)。
    なので、慣れようと思います。
    急にこうなったので、ちょっと焦っちゃったりもしたのですが、なんでもあるがままを受け入れるべきであるような気が今はしています。もう生まれて半世紀以上過ぎたんですもんねぇ。思えばいと疾しこの年月。

    しかし、ちょっとよくわかんないのは、まだ眉毛だけは黒々としているということです。これ、どういう関係性なんだろ?


    さて、今年の歌なんですが。
    ブログ始めて長くなりました。その10何年かの間、いわゆる毎年の定点観測的な記事を書くことも多かったわけです。しかし何回か書くうちにネタもなくなり。
    結婚記念日の記事はいつ止めたかな? 節分の記事も10回目で打ち止めとし、坂本龍馬生誕祭も毎年というわけにもいかず、先日のエイプリルフールにもウソ記事はあげませんでした。いまでは今日の記事と…あとは年末の〆の記事くらいでしょうかね。毎年書いてるのは。
    一応昨年も書きましたよ。そのあとあたしは病床に臥したのです(笑)。
    ところがね、誕生日の記事には何か一曲を添えてるんですけど、今年はもう思いつかなくなったよ。検索すればBirthdaysongはもちろんまだまだあるんですが、知らない歌や興味のない歌をチョイスしてもしょうがないですからね。
    なので今年はちょっと趣向を変えて、フレディの歌を。

      
      I Was Born To Love You youtube

    フレディが生きてれば、古希ですよ。まあ古希なんて習慣は英国には関係ないでしょうが…リッチーにせよジミーペイジにせよ、あの頃のロックスターたちはみなそういう歳を迎えています。死んじゃった人も多いけど。フレディは45歳で没。あの衝撃のニュースからもう四半世紀か。

    フレディは、初期の長髪時代から思えば、イメチェンが甚だしかったですねぇ。髭も濃そうですし、胸毛もあっていかにも男性ホルモン過剰に見えるんですけど、どうだったんでしょうかね。あっちのせかいは、わかんないことが多い。あっちのせかいに男役と女役があるとしたら、明らかに男役ですが、そういう役割分担なんてのはあったのでしょうか。
    そして、やっぱり白髪染めはしてたのかなー。

      I was born to love you 
      With every single beat of my heart
      I was born to take care of you 
      Every single day of my life

    「I was born to love you」というのはまあ相当に凄いセリフで、僕ならとても「僕は君を愛するために生まれてきた」なんてこっぱずかしくて言えません。外国語ならではです。
    ただ、この歳なら「take care」の気持ちは、ありますね。
    「ともに白髪の生えるまで」という言葉がありますが、もうとっくにそうなっちゃってますのでね。やっぱりTake careですよ。
    しかしあの言葉には、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」っていう前段がありますよねー。あれは前から不思議で、もうとっくに白髪になってる歳でしょう。99歳ってのは白寿ですから、そこに掛けてるのかな? よく知りませんが(汗)。


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    | 2016/04/06 | 随感 | 05:59 | comments(2) | trackbacks(0) |

    さらに雑感ふうに

  • 2015.04.06 Monday
  • 僕の住んでるところは雨が降ってます。もう桜も終わりだなー。
    さて、ここのところ時間はあるので、TVもよく観ているわけです。スポーツ以外にもいろいろ。例えば音楽情報番組なんかもね。CDTVとか。
    ブログトップにも書いてますように、流行を追って生きるのはもうとっくに諦めているつもり。なのでヒットチャートなどもここ数年すっかりご無沙汰していまして。世の中でどんな音楽が流行っているのかはよく知りません。しかし興味がないわけでもないので、フムフムと観ていたのです。
    しかし予想していた通り、ホントにわからんな(汗)。
    しょうがないのでカミさんにいちいち聴くわけです。「これは誰や? 」と。

    まーとにかく、集団が多い。ソロ歌手ってもうダメなんでしょうかね。

     「この人らは誰や。ジャニーズか?」
     「違う違う。韓流よ」
     「ほんならこの人らも韓流か?」
     「違う違う。この人らはエグザイル関係」
     「なるほどなー」

    次回見ても多分絶対覚えられていないでしょうよ(汗)。しかし男グループらはその3つに大別されるらしいことはわかりました。ですが女性グループは無理やな。

     「これはAKB関係か?」
     「そうそう」
     「これはAKB関係とちゃうやろ?」
     「うんこれは韓流」
     「これも韓流?」
     「それはエグザイル関係」

    なんとなしにAKBと韓国の人たちが違うのはわかります。女性グループにもエグザイルがいるとはねー。しかしだいたいわかったぞ。

     「これはエグザイルやな?」
     「違うこれは乃木坂。AKBのほうよ」

    眼力に自信がなくなりました(汗)。
    それに女の子集団はその3つだけではなく、ももクロとか他にもいろいろいたりするのでややこしいわけです。

     「これエビ中やろ?」
     「ほほうよくわかったわね」
     「あいあいがおるがな」

    僕もピンポイントでは知ってるわけです(笑)。あの子はタモリ倶楽部に出ている。
    だいたい俯瞰して、わかってはいましたけどCDヒットチャートというのはもう本当に終わってるな、という印象。今はやっぱり音楽は配信中心なのでしょう。握手券とかがついていないとCDは割高ですしね。なのでヒットチャートは、男女集団アイドルと演歌とアニメ関係ばかりになってゆく。

    こういう歌群は、後世に残るのかな。よくわかんない。
    何聴いても同じに聴こえる、というのは、オヤジの証拠なのでしょう。脳が硬直化しているせいか、曲が印象に残らない。ちょっと「いいな」と思ったのは「ゲス乙女」くらいかなあ。やたらベースが巧いバンドですね。あとは、アニメソングはその疾走感で聴かせてしまうところはあります。若者に言わせると「神曲」か(笑)。そのくらい。
    歌詞もね。「僕らは一人じゃない」「きみはきみのままで大丈夫」とかそういうのがよく入ってきますし、やたら「これは応援歌です」と言う。時代の要請なんでしょうか。
    こういう詞の世界ってのは、いつから始まったんでしょうかね…。「愛は勝つ」とか「それが大事」あたりからかなー。そうすると90年代初頭か。「負けないで」はもうちょっと後だったっけ。そりゃもっと昔に「365歩のマーチ」なんてのもありましたが。しかしこういう世界が主流になるとは思いませんでしたよ。
    まあ直接的でわかりやすいでしょうからね。
    都市伝説でしょうけど「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる」と聞いて「意味わかんねーし」とゆとり世代が言ったとか(笑)。しかしねー、「大事な話が君にあるんだ」と言われて延々続いて「いつも貴方の影を踏み歩いた癖が直らない」まで聴いて、僕らは短編小説を読んだような気分になったりするわけですが、そういうのは飽きっぽい人には無理なんかもしれません。

    正直に申しますが、僕は性格として、やっぱり「知らない」という言葉はつかいたくないのです。自分でも阿呆だと思いますが、人より知識量が劣っているということはどんな分野でもイヤ。え、これ知らないんですか? と言われると実に口惜しい。認めたくないのです。そして実生活では昨日知ったことも100年前から知ってるような顔をする癖があります。ブログで「知らないことは知らぬまま」などとほざいていますがこれはブロガー凛太郎としての顔であり、実際は反語です。
    でもまあ、うたの世界は本当にもう「知らぬまま」でもいいのかなと今は思ってます。今後、無限に時間があるわけでもなし。有限な人生の中で、もう新しい歌を追っかけなくても本当にいいかなと。古い歌をほじくりかえすことはしますが、いまさらエグザイルでもフットツーでもありますまい。歳が歳だもの。

    で、今年の曲はモーニング娘の「すんごいマイバースディ」です。ちゅるるるん (゚∇゚ ;)エッ!?

      
       Fantasy!拾壱 youtube

    集団アイドルはわかんねー、と申しましたが、実はモーニング娘などのハロプロ系は、案外知っています。これは、エロオヤジであると悟られるのがイヤで、ここまで黙っていたのです(笑)。
    しかし、もう開き直ってもいいだろうと思いましたので。なんか年齢も大台超えるとそんなのどうでもいいようになってきました。
    何で知っているのかと言えば、それはもうラジオ「MBSヤングタウン土曜日」をよく聴いている、ということに尽きます。これは、さんま師匠と村上ショージとモーニング娘の番組です。
    関西に帰ってきた10何年か前、土曜日の深夜まで車を走らせていることが多くてですね。カーステレオでよく聴きました。何度も聴いていると癖になりましてね、そうなれば僕は小学校以来のヤンタンリスナーとして年季が入ってますので、ついつい自宅でもしばしば聴くように。自然、モーニング娘のことも詳しくなるのです。飯窪春菜や鞘師里保がどういう子かということも、この歳のおっさんにしては気持ち悪いくらいよく知っています。現有メンバーたちの親は、おそらく僕よりずっと年下でしょうよ。
    ただ、ラジオですのでねー。顔と名前はあんまり一致しない(汗)。今は彼女らはライブ中心の活動でしょうから、TVとかではあまり見ませんし。でもなんとなく、僕は48系等よりはずっと親近感が彼女らにはあるのです。

    ハロプロといえば、つんくが声帯摘出したんですってね。辛かったろうな。ミュージシャンとしては苦渋の決断だっただろうと本当に思います。
    なかなか、天は人を楽に生かしてはくれません。しかしながら、楽ではなくとも楽しくいければ良いなと思ってます。さー今年もいざ行こう(歩くのがやっとのくせに^^;)

    …いくつになったとかは聞くなっ ( ̄ー ̄;
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    | 2015/04/06 | 随感 | 19:05 | comments(8) | trackbacks(0) |

    さくら散りゆく季節に

  • 2014.04.06 Sunday
  • 今日は、久々にゆったりとした朝を迎えました。
    ここ何年かは、だいたいカミさんよりも僕のほうが先に起きます。別に目覚ましをかけているわけでもなく、そういう習慣になってしまっています。毎日のことなので、休日であっても朝寝坊をすることがなくなりました。年齢のせいなのかもしれませんが。
    基本的に、朝をPCタイムとしています。今週はブログをせかせかと書いていたために、いつもより早めに起床してます。4時くらいに目覚めますと、いつもならもうひと寝入りしようかなと思うのですが、今週は起きてます。
    ただ今日は、二度寝しました。起きたのは6時です。
    そのまま、PCの前に座ります。で、カチャカチャと墓地のほうのブログを更新。こっちは書きだめしてあるので、推敲して多少書き足して画像貼り付けて終わり。
    そうしているうちにカミさんが起きてきてコーヒー淹れてくれます。それを飲み終われば、リンゴが出てきます。いつもの朝。

    朝食は、カミさんが焼いたホットケーキ。これは、日曜の朝の定番といっていいかも。
    僕はホットケーキが大好きなのですが、最近流行っているみたいですね。巷では「パンケーキ」と言っている由。どう違うんでしょうかね。よくわかりません。
    ただ、よくグルメサイトなどで見る様々にデコレーションしたやつは、あまり欲しないな。適度に厚さがあって、それをバターとメープルシロップで食べるのが好き。
    基本は、昔デパートの大食堂で食べたホットケーキです。子供の頃、たまに百貨店につれていってもらい、食堂へゆくとホットケーキが定番でした。外食のごちそうでしたね。そんな話を結婚した頃話すと、そんなら時々焼いてあげるよ、と。以来20年、ゆっくりとした朝にはホットケーキがつきものとなってます。いい歳したおっさんですが、なかなか嗜好というものは変わりません。

    そのあと、花見へ。
    花粉厳しきこの時期にはあまり出歩きたくないんですけれども、こういう一日ヒマな日ってなかなかありませんから、ちょいと出かけます。まずは桜の名所100選にもなっている夙川へ。
    別に夙川でなくとも、どこでも桜は咲いてるんですけれどもね。まあ夙川が花見らしくていいかと。
    臨港線から苦楽園口まで歩きました(そう言われても地元の人でないとわかんないとは思いますが)。
    今年の桜は、短い命でした。3月末に20度超えて急に開花しすぐ満開になって、そのあとすぐの雨風で散り始めました。今日あたり、もう見ごろは過ぎていたと思います。しかし、散る桜もいいもんでして。何度か花吹雪に遭遇しましたるもう花びらが舞う舞う。くす玉かよ、みたいな感じで。
    夙川河畔は、一昨年から露店の出店を禁止しています。またバーベキューなども禁止です。賛否あるとは思いますが、いごこちはいいですね。午前中でしたので、シートしいて寛いでいる家族連れが最も多かったかな。午後になればまた様相がかわるのかもしれませんが、喧しくないのがいいですよ。
    途中、空いていたベンチに座ってぼんやりと桜をながめていました。肌寒いのでホットココアを飲みながら。とりとめのない話しかしませんが、こういう何気ない時間も、ときにはいいもんです。

    苦楽園口から名次神社、ニテコ池を経て、越水浄水場へ。桜の時期は通り抜けさせてくれます。かなり散ってしまっていますが、地面はピンクの絨毯を敷いたようになっています。これも一興。
    そのまま広田神社へ。
    ここは桜ではなく、コバノミツバツツジが満開です。群生なので、もう一面紫色に染まっています。花の美しさにおいては、桜が盛りを過ぎていたため、こちらのほうがちょい上ですね。カミさんが喜んでいます。この人は花が好きだからなあ。
    お願い事もあるので、柏手を打って祈念。
    しかし、今日は冷えました。花冷えなんでしょうか。道すがらにうまいラーメン屋があるので、ちょっと入ってあったまりました。

    まあ、結構なことですね。こうしてると平凡でもわりに楽しい。午後からは、自宅でまったり。
    そうしているうちに、陽も暮れました。
    今日は僕のリクエストで、すき焼きです。僕にとっては、ごちそうの定番。ひとつ歳をとるんで、そのくらいは食べさせてもらおう。
    カミさんが台所に立つ間、こうしてブログ書いてます。ちょっと一週間続けて更新しましたが、もうここまでかなあ。
    ブログ自体は止めないので、また細々と続けていこうかと思います。

    今日の一曲は、みゆきさんの「誕生」を。

     
     EAST ASIA youtube 

     めぐり来る季節を数えながら めぐり逢う命を数えながら
     わかれゆく季節を数えながら わかれゆく命を数えながら

    いずれかは、どっちかがどっちかを看取らねばならない。夫婦というのは、そういう単位です。覚悟ももたなくてはいけません。ただ、徐々に歳をとってきましたが、こんな季節があったことをいつまでも忘れずにいたい。ぼんやりとそんなことを考えつつ、今日も酒をのもうと思います。
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    | 2014/04/06 | 随感 | 19:03 | comments(4) | trackbacks(0) |

    夏の匂い 夏の音

  • 2013.08.16 Friday
  • 暑い暑い。水分補給はしっかりしないと、熱中症になります。
    家では、僕はまず清涼飲料水の類は飲みません。麦茶が最も好きですが、作ってもすぐ飲んでしまって追いつきません。しょうがないので、とりあえず普通の水をよく飲むようにしています。はい、水道水です。1.5ℓのコーラの空きペットボトルに水道水を満たしたものを、冷蔵庫に2、3本は常備していて、それをガブガブ飲みます。レモン果汁を入れるとそこそこ飲めます。
    飲んだとたんにまた汗が吹き出ますな(笑)。

    水を飲みにキッチンに行くと、テーブルにでかいバットが置いてあり、その中にまな板が浸かっています。漂白剤なんですね。除菌しないとこの暑さではねぇ。
    通ると、ふわりと塩素の匂いがします。
    その匂いで、僕は唐突に少年時代を思い出しました。
    この匂いは、夏だ。
    何故そう思ったのか一瞬分かりませんでしたが、夏の学校のプールの匂いと同じなんだ、ということに気がつきます。そうだ。プールの匂いだ。
    塩素の匂いがきっかけで昔のことを思い出す、なんてのは全く情緒もなにもありません。プルーストの「失われた時を求めて」は、ふと食べたマドレーヌの味をきっかけに、子供の頃の夏休みの記憶が鮮やかによみがえります。北杜夫の「幽霊」は、ドビュッシーの「牧神の午後」から、奥底にしまわれていた心の神話がよみがえります。
    それと比べれば、消毒の塩素の匂いが懐かしい、なんてのはあまりといえばあまりです。けれども、ある種この匂いは、少年の頃の夏を象徴しています。

    僕は、京都で生まれ育ちました。ご承知の通り、盆地の夏は暑い。しかも湿度が高い。昔は「夏とはこういうものだ」と思って過ごしていましたが、長じて旅をしたりして、あの盆地の暑さは特別なのだ、ということに遅ればせながら気がつきました。
    例えば北海道が涼しいのは当たり前ですが、九州でさえ僕の生まれた町よりは涼しかった。いや、正確には鹿児島や宮崎の日差しは、確かに強烈に肌を焼きます。けれども、日陰に入るとすっと涼しくなる。気温が下がったわけではないのでしょうが、そう感じます。また吹き渡る風が心地いい。湿度が違うのでしょう。比べて盆地の風は、ねっとりと肌にまとわりつく熱風でした。テーブルに肘をつくと、その接着面がにちゃっとする。糸を引くように。それは不快なものです。
    しかし、学校にも家にも、クーラーというものはありませんでした。自宅にクーラーが付いたのは4年生くらいだったか。貧乏だったのかもしれません。ただ、今ほどダメージを感じなかったのは、自宅も学校も木造だったということがあるでしょうか。

    こういうときには、避暑に出かけるのが常道です。高原に別荘などない庶民は、水辺を求めます。海が近くにない内陸なので、やっぱりプールということになります。
    薄い記憶になりますが、僕が小学校に上がる前の幼児だった頃、我が家にビニールプールがやってきました。あまりに暑いので両親が子供達に涼を与えようと思ったのでしょう。
    家に風呂があれば水を張って…というところでしょうが、あいにく我が家に風呂はありません。勝手口横の三和土(そう言っていいのか…土間ではなく外です)に洗濯機が置いてあり、外の水場はそこだけでしたので、その脇にプールを設置しました。
    洗濯機が家屋の外にある、というだけで古い感じがしますが、記憶を辿ればそれは脱水機のない一槽式でした。傍にローラーが付いていて、それで絞るんです。こんなのもう民族資料館とか行かないとないでしょう。40何年か前は、そうだったのですね。それどころか、洗濯板もまだ現役だった気がします。
    記憶を辿って洗濯機と比較するに、直径1mあまりの小さなプールだったはずです。そんなのしか置くスペースがなかったはず。その小さなプールに兄妹3人が入って、バシャバシャ水の掛け合いをしていました。相当に狭かったはずですが、ぎゅうぎゅう詰めの印象はないな。まだ本当に小さかったのですね。

    小学校に進学しますと、プールがありました。
    このプールは、竣工したてでした。昭和40年代後半。それまでは、学校にプールってなかったのでしょうかね。
    僕は、さほど運動神経がいいほうじゃなかったと思いますが、泳ぐのは何故か得意でした。当時は身体も大きいほうでしたし、皆がビート板でバタ足をしていたときにもうクロールでスイスイと泳げました。25m競泳はクラスでいちばん速かったのではなかったでしょうか。ドッジボールではおミソだった僕も、ここではヒーローになれました。スイミングスクールに通っていた隣のクラスのヤローに勝った憶えもあります。
    ああいう栄光は、その後あまり記憶にありません。

    夏休みに入っても、学校はプールを開放していました。児童は1000人以上もいましたし、どういうローテーションになっていたのかはわからないのですが、毎日のように通っていた気がします。塩素のため、いつも目が真っ赤でした。当時はゴーグルなんてものはなく、水中眼鏡は危険なので禁止されていたと思います。僕は水泳は得意でも目を洗うのは不得手で、眼球に水を直接当てることがなかなか出来ずに当てたふりをいつもしていたような記憶があります。今でも目薬を入れるのは苦手なので、その方面はあまり成長していないのだなと。コンタクトなんて絶対に無理ですな。
    そうして、背中を真っ黒にしていた夏休みでした。
    そんなことが、消毒の塩素の匂いからフラッシュバックしたのです。

    「夏の音」というのは、比較的身近に思い出されるものではないでしょうか。まず筆頭は、蝉の声でしょう。
    昔こんな幼稚な記事を書いたことがありましたが、この記事を書いてから9年、うちのまわりはあの頃にも増して土を見なくなりました。しかし、蝉は相変わらず鳴いている。実に不思議です。
    ただ、蝉の声は画一化しているようには思えます。アブラ蝉一択かな。これは、環境の変化もあるでしょうが気象状況も影響しているのかもしれません。
    お盆を過ぎると、昔僕が住んでいた町ではツクツクボウシが鳴き始めました。あれは、もう夏休みも後半に入った合図でもあります。あの声には、その寂しさがありました。ヒグラシやニイニイゼミも含めて、そういう蝉の声はもう郷愁の音になったような気がします。
    人それぞれに、思い出される夏の音があると思います。風鈴、打ち寄せる波、打ち上げ花火のドンという音、盆踊りの歓声など様々でしょう。僕が、塩素の匂いから連想を繋いで思い出した音は、地蔵盆の御詠歌でした。
    地域によっては、地蔵盆を知らない、という方もおられるかもしれません(wikipedia)。
    僕にとっては、もう郷愁の行事です。子供の頃は、楽しみに待っていました。
    数珠回しにはじまり、福引やスイカ割り。お菓子ももらえます。近所の子供は全員集合して、日がな一日出たり入ったりしながら遊んでいました。
    夕刻になると、どこから出てきたのかばあさんたちが三々五々集まってきます。町内にこんなに老人がいたのか、と思うほど。そして、鈴を鳴らし鉦鼓を叩き、御詠歌が始まるのです。子供だった僕らは、それを聴きつつ、何か神秘的なものを感じていたようにも思います。とにかく、耳について離れない音色です。
    あのばあさんたちも、みんなもうこの世にいないでしょう。

    他にもいくつも思い出す音や匂いがあります。例えば、花火の火薬の匂い。
    そういえば、花火をしなくなってどれくらい経つでしょうか。こういうのは全て、子供がいれば追体験をするのでしょうが、我が家は妻と二人だけの家族なので縁がなくなって久しいのです。
    虫を飼ったりすることも、もう遠い追憶の話です。カブト虫やクワガタ。黒砂糖をみりんで溶き、それを呼び餌として、捕まえに行きました。後半になるとコウロギやスズムシ。こんなのは、近所に居ました。
    記憶に残る虫の匂いは、虫そのものというよりも、餌として与えたキュウリやスイカの皮の匂いなんでしょう。あまりいい匂いとはいえないと思いますが、あれもまた子供の頃の夏の匂いです。

    いろんな匂いが、いろんな音がありました。
    今、あの頃と同じ匂いを感じるとすれば、それは焦げたアスファルトの匂いでしょうか。でも、それすらも少年の頃とは違うような気もします。もちろんそれは多分に勘違いで、昔と同じなんだろうとは思いますが、思い出が加味されたものではありません。
    もう、プールになども相当しばらく行ってません。最後に泳いだのがいつだったかの記憶すらあいまいです。今は日焼けも、顔と肘から下だけ。もちろん、今背中を焼いたりしたら大騒ぎでしょうけれども、あの痛い日焼けとボロボロめくれた皮は、黄金色した日々の証明だったような気がしています。
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    | 2013/08/16 | 随感 | 06:55 | comments(2) | trackbacks(0) |

    干支とそれにまつわる雑感

  • 2013.04.06 Saturday
  • 少し雑感から。

    何年か前、郷土史のサイトを作ろうかと構想していた頃です。
    歴史の痕跡というものは、比較的寺社に多く残っています。なので時間があればそういう場所をよくウロウロしていました。
    ただ寺には、ちょっと入りにくいんです。
    僕の住む町には拝観料をとって公開しているような観光寺院はありませんが、それでも大きな寺であれば、たいていは門を開いておられて、境内の石造物や何やらを見たりすることはできます。
    しかし、そうではない町の小さな寺も多い。そういうお寺さんへ勝手に入り込みますと「どちらさまですか」と言われてしまいます。しかし呼び鈴を押して「ごめんください」などと挨拶しても、僕は研究者でもなければ何でもありませんから、とくに用事はないんです。「ちょっと歴史っぽいものが何かないかと思いまして」なんて言うのも恥ずかしく。で、寺院には目的がない限りあまり行きませんでした。
    ところが、神社という場所は、基本的にフリーなんですね。参詣という目的がありますので、誰が入っても「どちらさまで」とたずねられることはありません(ごくタマにありますが、稀です)。実に入りやすい。なので、神社は細かく見て歩きました。

    神社には、古い石造物が多く残されています。鳥居、狛犬、常夜燈、手水鉢。そういうものは、たいてい寄進されたもので、いつその神社に納められたものかが彫りこまれています。明治以後のものがやはり多いのですが、江戸時代のものも多く。
    これらは歴史というより文化財なのかもしれませんが、安政だの天保だのと刻まれた石造物を見るとうれしくなってしまって、つい写真を撮り。そういうのが高じてしまい、僕はとにかく神社へゆけば石造物の年号を必ず確認し、記事にもしてしまいました。→ちょっと歴史っぽい西宮:元号コレクション

    しかし、石造物しかも野ざらしになっていたものばかりですから、古いものは風化が進んで刻まれた文字がなかなか読めなくなってしまっています。
    基本的には年号の部分をじっくり見るのですが、読めない場合も多々。しかしそれであきらめるわけにはいきません。例えば「寛」は分かるのですがそれが寛永か寛文か寛延か寛保か寛政か読解できない。その場合まず、それが何年のものかを見ます。もしも五年以上であれば、寛保・寛延は四年まででしたから外れます。あとは、風化具合と字体によって判断します(寛永、寛文は17世紀、寛政18世紀末と100年以上ずれている。寛永はまず古すぎて確認できないけど^^;)。
    それでもわからない場合。実は、石造物に刻まれている情報は年号と何年何月だけではなく、干支が刻まれていることが多いのです。それで、特定できた場合もありました。

    干支というのは、あれです。壬申の乱とか戊辰戦争とか辛亥革命とかのアレ。
    干支の説明はいらないでしょう。一応wikipedia張っておきますか。
    石造物には「正徳四甲午歳六月吉日」とか「萬延元年庚申十一月」というふうに刻まれているのです。なので、仮に萬延の萬が破損していても、庚申だから寛延ではないな、と判断がつきます。
    僕は一時期、干支の一覧表コピーをずっとポケットに入れていた時期がありました。そんなこんなで、文久三年といえば癸亥だな、とか覚えてしまったりして。ずいぶん干支に馴染み深くなりましたね。

    ちなみに僕の生まれた年の干支は、「乙巳(いっし)」です。
    乙巳と聞いて、おおっと思った人はたいてい古代史マニア。西暦では645年、時の権力者であった蘇我入鹿が、中大兄皇子、中臣鎌足らに暗殺され、結果蘇我氏宗家が滅亡に追い込まれるクーデターを「乙巳の変」といいます。よくこの事件を「大化の改新」として覚えている人が多いと思いますが、正確にはこのクーデターは乙巳の変で、その後の政治改革が大化の改新です。
    そして、その1320年後に、僕は生まれました。悠久な話やなあ。
    まあ、乙巳というからには、僕は巳年生まれです。つまり、今年はまわり年なんですね。
    干支の数え方は、十干十二支の組み合わせです。
    十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。この組み合わせですから10×12で120通りあるような気がしてしまいますが、実際には60通りです。最初から順番に甲子、乙丑、丙寅と組み合わさっていき、10と12ですから2つづつずれて次の組み合わせが始まります。なので、組み合わせは半分の60通り。ということはへび年の干支は、乙巳、丁巳、己巳、辛巳、癸巳の5つしかありません。
    今年(2013年、平成25年)は、「癸巳」です。次のへび年は、再び「乙巳」がやってきます。
    ふわあ、つまり次にへび年が回ってくれば、それはつまり還暦なんだあ。

    何と申しますかね、還暦なんてものは、遥か未来のことだと思っていたわけですよ正直。いや、今でも遥か先だとしか思えません。しかし、前回の「辛巳」の年って、2001年だったのですよ。あの21世紀が始まった年。あんなのついこのあいだのことじゃないですか。12年なんてのは、あっという間に過ぎゆくんです。この歳になると。
    ただし、12年という歳月は矢の如しであったとしても、果たして僕があっという間に還暦を迎えることになるのか、ということは、わからない。

    今年は、天野滋さんのつくった「BIRTHDAY」という曲を。

      
      MaxiSingle「水のせいだったんです」 N.S.P. youtube1 youtube2

    N.S.P.という僕の好きなバンドは、周知のとおり天野滋、中村貴之、平賀和人という三人の世界です。少年の頃から憧れて聴いていましたが、僕が大学生の頃、中村さん、平賀さんが相次いで脱退し、終焉を迎えました。
    そのN.S.P.が終わるときに、この「BIRTHDAY」という曲は既に存在したと言われます。ですが、解散によって日の目をみず、天野さんのソロアルバム「Because Of You」に収録されます。
    それから15年経った2002年、N.S.P.は再結成します。そして2005年2月、満を持してアルバム「Radio days」とシングル「水のせいだったんです」を発表、その「水のせいだったんです」のカップリングに「BIRTHDAY」を収録します。
    ですから、このうたは天野ソロと新生NSP版と2ver.あります。編曲と歌詞の一部が異なります。そんな聴き比べもまた楽しい。
    そして、N.S.Pは新曲を引っさげて船出するはずでした。が、天野さんが倒れ、その年の7月に亡くなります。享年52歳。
    ショックでした。僕はこのときもうブログを始めていて、すぐに追悼記事を書きました。

    天野さんの生まれ年の干支は、今年と同じ「癸巳」でした。つまり、ご存命であれば今年、還暦を迎えられたはずでした。
    この「癸巳」の年に、やはり還暦を迎えるはずだった方に村下孝蔵さん、桑名正博さんがいらっしゃいます。志半ばにして世を去った方々。みんなが平穏に還暦を迎えることができるとは、限らないのです。

      あの頃は夢ばかり 青春はやるせなく ただひとつだけ君がいたよ
      何処から何処まで幸せだと線を引く

    「BIRTHDAY」を聴くと、時を経ても天野さんは変わらず天野さんで、N.S.P.はいつまでもN.S.P.だった、そんな感慨にとらわれます。N.S.P.のシングルを最初から最後まで聴いていけば、「さようなら」に始まり「BIRTHDAY」に終わるわけですが、同時期に作られたうただと言われても、そうかと納得してしまいそうです。揺るがないものが、そこにはあるのです。
    そして、これを書いていて今気がついたのですが、最初が「さようなら」で最後が「BIRTHDAY」とは。太宰治の処女短編集が「晩年」であり遺作が「グッドバイ」であったこと以上かもしれません。
    天野さんは、このとき自分の残り時間を知っていたはず。

      仕事も波に乗り 叶った夢もあるけれど ただひとつだけ君がいない
      僕の胸に君よ今 もう一度

    どうも僕のテンションが低めに見えるかもしれませんね。それは、ごめんなさい。(^▽^;)
    もちろん、僕はこのあとも普通に充実した人生を送り、還暦なんぞは通過点にしようと思っています。まあね、そんな12年後のことを今考えなくてもいいんですけれども。だいたい、バースディに僕がいないなんてことになって、たまるものか。
    ただ、人はいつまでも生きてはいられない。天野さんや村下さん、桑名さん、そして栗本薫さんやテレサテンさんなども、今年還暦を祝うことなく世を去った。だんだん先のことを考えざるを得ない歳になってきたなというのが、実感です。
    これからの日々を、充実させたい。そんなことを今、ぼんやりと思っています。

      LaLaLa・・・Happy birtday to you 賑やかにBirtday
      LaLaLa・・・Happy birtday to you 華やかにBirtday
      LaLaLa・・・Happy birtday to you 君がいないBirtday…


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    | 2013/04/06 | 随感 | 05:36 | comments(7) | trackbacks(0) |


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