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    | 2023/04/12 | - | | - | - |

    雑炊とは何か

  • 2014.12.18 Thursday
  • 寒いですねぇ。寒ィョォ((((・´_`・)))寒ィョォ 
    こういう日々が続くと、我が家でも必然的に鍋料理が多くなります。卓上にコンロを持ち出して火にかけつつ食べてますと、あたたまりますよねぇやっぱり。
    我が家にどれだけ鍋料理のレパートリーがあるのかよくわかりませんが、まあ手を替え品を替え、誇張ではなく三日にあげず登場します。もちろん、全く文句はありません。燗酒か焼酎のお湯割りを呑みつつ。いいですなあ。

    ところで鍋の楽しみといえば、〆の雑炊というのもあります。
    鍋の〆はうどんのほうがいい、という意見もありますが、僕の場合は圧倒的に雑炊ですね。最近はちゃんぽん麺やラーメンを入れるのが流行しているようですが、確かにそれもうまいんですけどイマイチ「しまらない」ような気がします(あくまで個人的見解)。なので麺を入れて食べた後にさらに飯を入れたりして(笑)。確実にカロリーオーバーになりますので、やはり最初から雑炊にするのが賢いかなと。
    ところで、雑炊の作り方なんですけれども。
    お店で鍋料理を食べて、プラス雑炊を注文したりしますと、最後に洗った飯が登場したりします。ごはんの粘りをとって、さらさらとした仕上げにするためです。店のほうはもちろん気を遣っているわけですが、あれはどうも僕にとっては上品すぎるような気がします。
    全くのところ下品なのを承知で申しますが、さらりとした雑炊よりも、むしろ炊き上げたほうが僕は好き。飯に、具材の旨みがたっぷり出ているスープを余すところなく吸い込ませる。もちろん米粒は過剰に膨れ上がりますが、うまいんですなこれ(笑)。味付けがしょうゆベースの鍋であった場合、我が家では仕上げ段階で火を強めます。そうすると「おこげ」が出来る。これはたまらなく香ばしい。鍋底のおこげの部分は必ずカミさんと取り合いになりますので均等に分けますが、それでも「あんたのほうが多い」「いやオマエのほうが多いやろ」という醜い争いが生じます。

    さて、こういう炊き上げた雑炊は、果たして雑炊なんでしょうかね。
    これ、正確な言葉の定義がわかりにくいと思います。
    分厚い小学館の「日本国語大辞典」を見ますと、雑炊の項には「ごはんに野菜、魚貝、肉などを入れ、塩、しょうゆ、みそなどで調味してさらりと煮たもの」と書かれています。さらりと煮たものなんですよ雑炊って。
    僕もその解釈には一応、賛同しますね。
    あくまで僕の感覚、と申しますか僕の育った家庭環境からくる思い込みなんですが、「雑炊」と聞いて連想するのは、上で「店の雑炊」として書いているさらっとしてあまり煮込みすぎていないものです。飯粒がスープを吸い込みすぎていない。当然おこげなんて出来ません。
    対して、飯粒に水分を相当に吸収させて出来上がりに蓋を開けると「カニの穴」までが生成されているようなものを僕らは「おじや」と言います。雑炊とおじやは、言葉を使い分けています。
    もっとも、料理として考えれば「雑炊=おじや」です。スープにごはんを入れて火にかけて煮る。調理法に違いはありません。その煮る時間(あるいは飯の吸水度合)が異なるだけで、料理としては同じ。例えばレアであってもウェルダンであっても、ステーキという料理にはかわりがないのと同じでしょう。
    「おじや」というのは、女房言葉らしいですね。「おかか」「おでん」などと同じ。ただ語源は不明のようで、飯を「じやじや」と煮るからだ、などと言われています。
    真偽はわかりませんけれども、じやじやという音からは、さらりとした雑炊のイメージは浮かんできませんね。感覚として雑炊とおじやという言葉を使い分けているのは、そんな音も影響しているのかもしれません。

    えーと、ここからが本題なのですが… (゚∇゚ ;)エッ!?
    あるとき、鶏白湯こってりスープが売りのラーメン屋に入ったのです。最近増えていますね。店にもよりますが魚介系や豚骨よりも好みの味であることが多いので、つい入ります。
    そのラーメンは、大変にうまかったのです。スープに濃度があって味が深い。麺はもう少し太くてもいいかな。しかし満足です。(⌒〜⌒) 
    さて、店に「ラーメンの食べ方」なる貼り紙があります。こういうのはたいていウゼーことが書いてあるのですが、ここのは特にそういうことはなく、「ニンニクは注文して下さい」「好みで辛味噌を足して」等々のことが列記してあります。
    そして、こういう一文もありました。

    「最後にスープにごはんを入れて、雑炊にしてもおいしいですよ!」

    ・・・( ̄  ̄;) うーん。ごはんは100円だそうですが(税別)。
    つまり、残りスープにごはんを投入して混ぜていっしょに食べることを「雑炊」と称しているわけです。別にラーメン丼を一旦下げて、火にかけて再び供してくれるわけではありません。
    これを雑炊と言ってしまっていいのか、ということなんですよ。
    実は、こういう表記は最近増えているようにも思います。このラーメン屋さんで初めて見たわけではありません。以前つけ麺の店でも見たような。また、TVのグルメ番組でもリポーターが「最後はスープにごはんを入れて雑炊にするんです。これ最高!」などと言っていたのを聞いたことがあります。
    以前は「雑炊ふう」という言葉もありましたが、最近はもう単に雑炊で通用しているような感じがあります。

    言わんとしていることはわかるんです。ですから、目くじら立てるほどのものではありません。ですが、ちょっと気になるわけで。
    確かに、この食べ方に該当する日本語が見当たりません。
    これと同様の形態のものを示す言葉として、スラングでしょうけれども昔から「汁掛け飯」という言い方があります。
    行儀悪い食べ方としてよく言われますね。味噌汁をごはんにぶっかけて食べたりするやり方。基本的に「やってはいけない食べ方」なので、正式な料理名ではありません。ただ、言葉としては存在します。
    この汁掛け飯は俗語でしょうが、料理名としては「芳飯」というものが実はあります。
    前述の分厚い辞書には載っています。
    「芳飯・苞飯 器に盛った飯の上に、野菜や乾魚などの煮物をのせ、汁をかけたもの。法飯」
    wikipediaにもあります。しかし、この料理名は全く膾炙していないと言っていいでしょう。僕は、魚柄仁之助氏のエッセイを読んで知りましたが、それまで聞いたことがありませんでした。
    個別であれば料理名はあります。深川飯。忠七飯。ぼっかけ汁。さつま飯。冷や汁。鶏飯。いずれも飯の上からスープ状のものを掛けた料理です。ただ、それらを総称する言葉としては、スラングとしての汁掛け飯か、芳飯しかありません。
    余談になりますが、これだって定義は難しいと思うのです。とろろ飯は汁掛け飯か? 卵掛けごはんは? 牛丼の「つゆだく」ってどうよ? 汁の量で丼か芳飯かが分かれるならその境目はどこにある? カレーライスは戦時中「辛味入汁掛飯」と言ってたんじゃないのか? 等々。これ書いてると終わらなくなりますので措きますが。

    さて、スラングにせよ「汁掛け飯」という言葉はあります(芳飯はマイナーな呼び方ですから措いて)。
    ラーメンスープにごはんを入れる食べ方は、これが料理とすれば、汁掛け飯と全く変わるところがありません。少なくとも「雑炊」と呼ぶよりは、ずっと近いと思います。改めて火にかけてませんから。
    しかし、これをどうしても汁掛け飯とは言えない。それは「行儀悪さを連想させる」という理由もあるでしょうが、とにかく「汁を掛けていない」という一点において、違うからです。汁に入れようが汁を掛けようが、食べる段階では全く同じなのですが、僕だって掛けてないものを掛けたというには抵抗がありますよ。
    だいたい、日本には汁に飯を入れる料理がないのです。(そりゃ「ワシは味噌汁を飯にかけたりはせんぞ、味噌汁椀に飯をぶち込むんじゃ」という人はいるでしょうが、もうこれには言及しませんよ)
    僕が知る中では唯一、「うずみめし」という郷土料理があります。(→wikipedia)
    これは、特殊だと思います。どうも「具を隠す」という理由からそうなったと伝承されているようで。つまり岡山の祭り寿司と同じ。
    いずれにせよ、スラングすらありません。「汁掛け飯」はあっても「飯入れ汁」はないのです。どうしてだろう? 考えるに値するテーマだとは思います。
    外国にはあるんですよ。そう、「クッパ」ですね。(→wikipedia)
    韓国では多くの場合、汁に飯を入れます。日本と逆ですね。これが文化というものなのでしょうか。
    どうも汁椀の大きさ(盛りきりか、お代わり可か)、また食器のスプーンというものの存在の有る無しがかかわっているような気もしますが、わかりませんねぇ。ラーメンにもレンゲがあります。

    さて、ラーメンスープの中にごはんを入れて食べる場合、汁掛け飯というわけにもいかない、芳飯って知られていない、さりとてクッパとも言えない、したがって「雑炊ふう」となり「雑炊」と言い切るようになった流れは、わかります。該当する言葉がなかったということ。
    こうして、言葉が変わってゆくのでしょうか。
    日本語には、同様のことで前科(?)があると思っています。それは、「お茶漬け」ですね。
    名古屋名物「ひつまぶし」を食べるとき、こう言われます。
    「一杯目はそのまま、二杯目は薬味を入れて、三杯目はお茶漬けにして食べてくださいね」
    そして出てくるのは「出汁」です。お茶とちゃうやんけ。
    この出汁をかける食べ方には結構歴史もあるようです。上等な茶漬け、という範疇ですね。
    かつては「湯漬け」でした。お茶というものは古来日本に存在していたものではなく、江戸期以前は希少なものでした。織田信長が桶狭間へ向かう前にかきこんだのは「湯漬け」です。
    江戸時代も半ばになってお茶が庶民のものになり、茶漬けが登場したと思われますが、このときは「湯漬け→茶漬け」と明確に新語が生まれました。しかし出汁をかける段階では「出汁漬け」という言葉は出来なかったのですね。
    「雑炊」もそのようになし崩しに意味が増えてゆくのでしょうか。辞書に「汁に飯を入れて煮たもの、あるいは汁に飯をいれてそのまま食べるもの」と定義がなされる日が来るかもしれません。
    あたしは言葉については保守的ですから、望ましいとは思っていませんけどね(汗)。しかし新語は、もう出てこないでしょうなあ。

    本当は「粥」について、あるいは沖縄のくふぁじゅーしーとやふぁらじゅーしー(ぼろぼろじゅーしー)、さらにはリゾットやピラフまで書きたいと思っていたのですが、相変わらず話が長くなりすぎてしまいましたのでこのあたりで終わります。
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    | 2014/12/18 | 飲食 | 05:58 | comments(4) | trackbacks(0) |

    恵方巻をいつまでも

  • 2014.02.04 Tuesday
  • 今年も節分がやってきました。
    うちでは、例年のごとくカミさんがいろいろ用意してくれています。さすがに熟年夫婦の二人暮しでは、豆まきはいたしません。ぶつけ合いになって喧嘩するのがオチです。鬼もこんなマンション上階までは来ないでしょ。まずは、座って一杯。
    こんぶ大豆というものが小皿にあります。なんやこれ?
    「それ、神社で配ってくれてたの」
    ははぁ、氏子でもないのに申し訳ないですなぁ。ではポリポリ。
    子供の頃は「年の数だけ豆を食べなさい」と言われて炒り豆を食べたもんです。そんなことをしなくなって、何年経ったでしょうか。多分、歯を悪くしたときに途絶えたように思います。
    今それをやったならば大変です。炒り豆を40コも50コも食べれば、胃の中で膨れてハラが張ります。腹痛の可能性も(…胃ヂカラも衰えたものよ)。
    そういえば昔、おかんは子供には食べさせてましたけれども自分は食べてなかったような(笑)。そのころの親の年齢をとうに超えた僕らも、もういいでしょう。子供には将来があり、良き人生を送るためにもそのようにすべきでしょうが、もう僕らの人生なんて福豆をたくさん食べても変わるもんじゃなし。
    ぼんやりといろんなことを考えます。この年まで二人で暮らしてきましたが、僕らに子供がいたなら、やっぱり豆まきはやったでしょうか。僕は、鬼の面をつけていたでしょうか。
    食卓には、鰯の塩焼き。そして、なぜかおから炒煮。
    「たぶんそれひと鉢食べたら年齢分の豆食べたくらいにはなるでしょ」
    なるほどなー。

    そして、今年も太巻です。
    例年と同じく、食べる直前に巻きます。邪道かもしれませんが、海苔がパリっとしているほうが好みなのです。食卓にスノコを出して、二人して製作。
    今年は、贅沢バージョンですね。皿に刺身が盛られています。
    「最近そういうのがセットになってスーパーで売ってるのよ。海鮮巻仕様ってことで」
    僕も、別にカンピョウやシイタケやでんぶを使った関西ふうの太巻に拘泥しているわけではありません。どうせなら、うまいほうがいい。こういうのはまことに心が浮きます。
    二人して、いろんな太巻きを食べてきたような気がします。とくにここ何年かは、変化球も多かったような。
    ブログをはじめて、今年で10年です。そして節分のことだけは、定点観測のように毎年記事にしてきました。こうやって自分のブログで恵方巻サーチをしますと、いろんなことが思い出されます。前は、伊達巻を自作したこともあったっけな。もうあんな面倒くさいことは出来ないなー。最近は、僕が味覚障害をおこしたり、カミさんが風邪引いたり、なかなか体調十分で節分を迎えられなかった。今年は、二人とも元気だ。それだけでもうじゅうぶんのような気がしてきました。
    では、いただきます。今年の恵方は、東北東。

    わしわしわし。はぐはぐはぐ。

    こうして粗忽にも無言で食べ、食べきったあとに大爆笑するのも例年のならいです。
    子供の頃は、そうやって兄弟3人でおかん手作りの太巻を食べてきました。長じて独立して、一人暮らしを始めたときには、手作りするほどの器量もなく、また関西を離れたので、切らない太巻きを購入するのに苦労したおぼえがあります。
    所帯を持ってからはカミさんを洗脳し、以来20年こうして二人で食べてきました。
    いつまでも、こんなふうに二人で恵方を向いて食べ、笑う日が続けばいい。そんなことを思った今年の節分でした。


    えー、ここまでは、いい話を書いたような気がします(笑)。しかし、恵方巻の記事も今年で10回目を迎え、これで一応最終回にしたいと思ってます。毎年同じ事を書くのも芸がありませんし、もうネタがない、ということもあります。読んでくださった方、どうもありがとうございました。

    と、これでは終わりません。ちょっと毒を吐きますので、記事は折りたたみます。愚痴みたいなもんなので、以後はそんな読まなくていいです(汗)。


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    | 2014/02/04 | 飲食 | 06:45 | comments(2) | trackbacks(0) |

    冷し素麺 日本の夏

  • 2013.08.15 Thursday
  • 外で素麺を食べる機会などまず無いのですが、先日数人でドライブインのようなところで食事をする際、「全員ソーメンでいいですか?」などと仕切る人があらわれ、反対するのも大人気ないと思ってそのまま従いました。
    出てきた素麺は、想像していた通りでもあり、また「まだこうしたステレオタイプで素麺は供されるのか」との感心も少しありました。つまり、ガラスの器に氷水が満たされ素麺が泳いでいます。そして、缶詰のミカンとサクランボが浮かんでいるのです。
    他に、きゅうりと椎茸の薄切りも浮かんでいたわけですが、それはおそらく素麺の具として考えられているのでしょう。しかしまさかミカンとサクランボは具ではありますまい。素麺とともにつゆにつけて食べる、とは思えない。そりゃね、この缶詰果物の甘味と酸味が素麺&つゆに絶妙にマッチしている、と考える人がいるかもしれませんし、そう思う人を否定はしませんよ。しかし、主観的で申し訳ありませんがそういうのはおそらく少数派でしょう。また、デザートとしてサービスしているなら別皿で出せ、と言いたくなります。
    これはつまり「いろどり」以外の役割は果たしていないと言えます。

    味に関係ないものを「きれいだから」と言って加えるのは、宜しくないと僕は思うのですが。シューマイのグリーンピースに怒った人は多いと思います。僕も以前「牡蠣飯」のニンジンが邪魔だ、とか「舞茸ごはん」に絹さやを入れるな、などと怒ったことがあります。これらはメイン食材のせっかくの香りを阻害しているように思えたから。そこまでして見た目の美しさを追求する必要はないんじゃないのか、と僕なんぞは思うのですけれどもねー。
    視覚によって食欲が刺激されたりすることは確かにありますが、そういうのはおいしいものを食べた経験値からくるものだと思います。絵画的要素は関係ないと考えます。だから素麺が白一色だからといって不味そうだとは思いませんわ。寂しいから赤や黄色や緑のものをのっける必要はない、と強く思うのです。
    そう考えている人は多いはず(と思う)。しかし、いまだ素麺を注文すればサクランボがのってくるのです。これは、ニーズがやっぱりあるのかな。入ってないと文句言う人がいるのかなー。案外楽しみにしている人も多いのかも、と考えたりもしてしまいます(ちょっと弱気)。
    冷やし中華にも西瓜がのってたことあったなー。あれを崩して混ぜて食べてる人はいるんでしょうか?

    まあいいや。だいたい、外で素麺を食べなくてもいいんです。僕だってこうして食べたのは何年ぶりかわからない。
    申し訳ありませんが、店で出てくる素麺は、どうしても量が少ないのです。一人一束見当だと思いますが、足らん。チカラが出ませんよ。そして、必ず氷水に入っている。いつまでも冷たいですよ、という涼感アピールなのでしょうけど、つゆが薄まるんですよ。ざるにあげてくれないかなー。また、前述の具も、干椎茸を煮てスライスしたものは具として一応成立しているとは思いますが、あれも水に放つことで味がぼやけます。果物以外にも、どうもマイナスポイント多し。
    家で食べるのがいいよ、素麺は。ふふふ。

    素麺に具は必要ない、薬味だけで十分と考えている人もいらっしゃるでしょう。シンプルなのも確かにいい。素麺自体の味と香りを損ないたくない、という意見も尊重します。ただ、僕は具がいくつかあったほうが好きですね。
    錦糸玉子、キュウリ繊切りというのは定番だと思います。話を聞くとキュウリはおかしい、冷やし中華じゃないんだから、という意見もありましたが、我が家ではキュウリは加えます。冷やし中華で思い出しましたが子供の頃友達の家で「ハムの細切りの具」を経験したことがあります。僕は和洋折衷をあまり好まないので採用しませんが、肉系統のものもないと寂しいかもしれません。うちでは、蒸し鶏を細く裂いたものを用意します。ただ胸肉(皮は除く)に葱の青いとこや生姜の皮をのっけ酒を振りかけてラップしてレンジでチン、ほぐして冷ますだけのものです。
    椎茸は…どちらでもいいかな。干椎茸を戻して、その戻し汁をベースに素麺のつゆを作れば美味いので、そういう場合は椎茸が登場しますが、手抜きで市販のつゆを用いる場合はナシ。
    他に、焼茄子も。グリルで焦げるまで焼いて、皮を剥いで適宜裂きます。冷蔵庫でよく冷やします。
    さらに、これは我が家だけだと思うのですが、エノキタケの天ぷらを添えます(笑)。ルーツは忘れたのですが、多分エノキタケが余っていて消費しようとカミさんが素麺のときに揚げて出したら定番化しちゃった、という感じかな。ほぐして二つ切りくらいで、薄い衣で小さくまとめてザッと揚げます。おいしい揚げ玉だと思っていただいてもいいかも。今では、無いとなんか物足りない。
    さーこれだけのものを用意したら、素麺を茹でます。たっぷりお湯を沸かして一気に。すぐ茹で上がるのが素麺の良さ。即座にざるにあげて、流水でせっせと洗い、かねて用意しておいた氷水に放ってシャキっと締めます。そういたらよく水を切ってざるのまま食卓へ。
    具は、のせません。別皿で。そして薬味は、大葉細切りとすりゴマはやはり欲しい。あとは生姜かな。ネギはもはや、あってもなくても。
    蕎麦猪口に具を幾種類か取って、素麺とともにズズっといただきます。

    あーうまい♪

    キュンと冷えていると、これはうまいんですよねー。
    傍らには麦焼酎のオンザロック。冷房とかかけていては、むしろうまくない。窓を開け放って、汗をかきながら食う。せいぜい扇風機の風くらいで、そよ風でも入ってくるのならそれすら無いほうがいい。これぞ夏の醍醐味ですよ。
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    | 2013/08/15 | 飲食 | 05:45 | comments(4) | trackbacks(0) |

    いかなごを炊く

  • 2013.03.10 Sunday
  • 春です。徐々に暖かくなってきました。
    春の訪れをどんな場面で感じるか。それは、さまざまありますね。雪どけ。梅の開花。卒業式。Jリーグ開幕。まあ今の僕なら、花粉の飛来でしょうなあ(涙)。
    そういう春の風物詩として、僕の住む兵庫県の瀬戸内沿岸には「いかなごの釘煮」というものがあります。
    イカナゴって魚は、全国的に漁獲があると思われますが、知らない人もいるかも。分類学上のことはよくわかりませんが、キスとかサヨリとかカマスとかキビナゴとか、そういう感じの魚でしょうかね。細長い体型です。関西ではカマスゴとも言ったりします。
    そのイカナゴのシンコ(稚魚)がこの時期、出回ります。生シラスやノレソレなどと同様、透きとおった綺麗な稚魚です。
    それを、こちらの地方では醤油、砂糖、生姜などで甘からく炊き上げます。これを「釘煮」といいます。もちろん炊いたものを小売していたりもしますが、多くは家庭で作ります。それも、各家庭ごとに何キロも炊くんですよ。もちろん保存がきくからこのシーズンに大量に炊くわけですが、自家消費だけでなく、例えば遠く離れた親戚や友人に春の香りを届けたい。この時期ゆうパックには釘煮専用スタンプができ、どんどん持ち込まれます。
    遠方の、いかなごの釘煮が存在しない地域に送るだけではありません。近所だってあちこちに配ります。隣だって釘煮は炊いてるんですよ。でも「うちも炊きました〜♪」って、交換したりして(笑)。で、やっぱり「うちのほうがおいしい」とか思う。文字通り手前味噌ですわ。喜ばれるのがうれしいベテランのおばちゃんなどは、何十キロと炊いたりして。お店か。
    最初この街に来たときはびっくりしました。釘煮というものは一応知っていましたが、あんなの店で売ってるものだと。まさか普通のおばちゃんがガンガン家で炊いてるとは。こういう暮らしに欠かせないものが、郷土料理なのだなー。

    さて、ここで長く横道にそれます(またかよ)。読み飛ばしてくださいね。
    このイカナゴを甘からく炊いたもの。通称は「釘煮」。この釘煮は、炊き上がったイカナゴの形状が茶色くまるで折れ曲がった古釘に似て見えるところからそう呼ばれるようになったとされる説が有力です。まあしかしそれは措いておいて。
    この料理は、イカナゴを「炊く」と言います。出来たものは「釘煮」。つまり釘煮を炊くわけですが、どうもそこに不自然さを感じる人がいて(僕の相方です)。
    「釘煮」だから「煮る」のだと思いそう発言したら「ちゃうのよ炊くんよ」と近所のおばちゃんにやんわりと訂正された由。
    こういうの、感覚として難しいですね。どうも地方によって違うみたいで。
    関西は比較的「炊く」を多用します。「大根と油揚げの炊いたん」と言えば京都の家庭料理(対外的には「おばんざい」なんて言葉を遣ったりしますな)の代表と言ってもいいくらいです。しかしこれをカミさんが義母(つまりワシのおかん)から最初に聞いたとき「は、タイタン?」と聞き返してしまったらしい。タイタンってあんた土星の衛星かいな。ちゃうねん。「炊いたの」の転化。炊いた物ってこと。
    「つまり、煮たんでしょ?」
    「いやその、ちょっとニュアンスが違うんやな。ワシら煮るて言うたらもっととろ火でジクジク煮た感じで…」
    「よくわかんないよそれじゃ」
    いや、僕にだってよくわかっていないのです。感覚なので。
    うちのカミさんは東北なのですが、なんでも「煮る」です。いちばん驚いたのは乾麺を茹でるときに「うどん煮るよ」と言ったことです。僕はとっさに「鍋焼きうどん」みたいな料理がアタマに浮かび、ちゃうちゃう、暑いさかいざるうどんで食べんのや、と言い返しました。もちろんカミさんもそんなことは承知です。地域によって、言い方は違う。

    「茹でる」すら「煮る」という地域は少ないと思いますが、東日本ではあまり「炊く」は使用しないようです。こういうのは検索が手っ取り早いのでいくつかググってみたのですが、やはりそう。
    もちろん諸説あって、明確な定義付けはなかなか難しいようです。
    ひとつ、僕がどこかの本で読んだのに(出典わかりませんごめんなさい)、「炊く」は水分がほぼ飛んだ状態、「煮る」は煮汁が残った状態、という区別があると書かれていました。ネットでもこの意見は「炊くと煮るの違い」の定義として散見されます。完全に、東日本だけに通用する定義ですな(笑)。東日本には東京がありますから、どうしても首都の意見は強くなる傾向が。
    前記「大根と油揚げの炊いたん」は、つゆだくです。「菜っ葉の炊いたん」は、別に煎りつけるように煮詰めたりはしません。炊いたら鍋に水分がなくなる、という考え方は、東日本で「炊く」といえば「炊飯」しかないからではないのでしょうか。
    興味深かったのはこちらのブログ「「炊く」のはご飯と風呂だけだろう@「煮る」と「炊く」は、どこがどう違うのか:多摩と入間の雑学的な散歩」です。
    「どうも、煮るが先にあって、炊くはあとからできた言葉のようです」と書かれています。参考文献として増田昭子氏の論文を挙げておられますが、僕がそれを読む機会を得るのは難しいだろうと思われますので、孫引きで失礼致します。
    僕も、そう思っているのです。おそらく「たく」ほうが「にる」よりも新しい。蝸牛考と同じかと。これで九州南部あたりで「にる」が優勢なら成立するのですが、サンプルがありません(汗)。こういうのは古文献をていねいに調べればいいのですが、学者じゃないしなあ。
    こちらのブログ「煮ると炊くの違い:kazegaroの日記」では、「炊くとは、本来煮るの古形で、意味は同議。」とされています。逆の説だな。出典は大辞林かな?
    ここらへんで迷宮に入りそうです(汗)。

    「にる」「たく」は和語で、漢字は当てはめただけですから漢和辞典を引いてもダメで決定的なことにはならないのですが一応見てみますと、「煮」は下から火が当たっていて、とろ火で煮詰める、ゆっくり煮るの意味があります。また「炊」は「火」と「吹」からなり口が落ちたようです。ぷうぷう火を吹いて炊く。強火の感じはします。いろりとかまどの違いはありそうに思いますが、ただ、この2字はいずれも「形声文字」とされています。灬や火に意味があって、者や吹(欠)は音を示します(シャ・スイ)。だから、一概にとろ火と強火であるとははっきりと言えません。仮に言えても、それが即「にる」「たく」の意味であるとは言いがたい面もあります。

    以下想像です。
    やっぱり最初は食べ物関係は「にる」だったのではないでしょうか。
    「たく」の音は火を「焚く」の方で遣い、やはり炎が上がり火力が強いイメージ。ただ火力が強いと焦げますし土器は割れますから、昔は調理は弱火(熾火)などが優勢だったのでしょうか。それが「にる」。
    米については「炊」ですけれどもこれは「かしぐ」が古語でしょう。昔は米は炊いでも、たいていない。
    「たく」という言葉は昔は調理には使用されていなかった。ただ、強火に耐えられる鍋(鉄の普及など)、また竈などが発達し、米は粥ではなく(また蒸米ではなく)たけるようになった。そこで「炊」が「かしぐ」ではなく「たく」と読まれるようになった、と。
    ただ、結局は水分の中にものを入れ火にかけて熱を通すという行為はかわらないわけで、強火か弱火かなんてのは主観です。同義とみていいかと。ただ「たく」という言葉が調理に使用された歴史は「にる」より浅いのではないかと想像します。なので言葉の伝播という観点で地域差が生まれた。かのように考えます(あくまで僕の想像)。
    最後に僕の主観ですが、やわらかく「煮ふくめる」感じは「炊く」だと思います。またやはり火力は炊くほうが強い気はします。

    で、いかなご釘煮は、強火でやわらかく味を含ませるという意味で「炊く」だと思うのです。煮詰める(水分を飛ばす)という東日本的解釈においても「炊く」でしょう。だったらなんで「釘炊き」じゃないんだ?(笑)
    本当は「釘煮」「佃煮」「時雨煮」「大和煮」などについても言及しようかと思っていたのですがもう止めて、いかなごにもどります。ただ、こちら兵庫県珍味商工協同組合さんのサイト「くぎ煮」のルーツを見ますと、最初は「釘煎」であり、「釘煮」の命名はそれほど古くないことのようです。昭和30年ごろだったとすれば、マスコミの発展で「煮る」という首都圏の言葉に引きずられた可能性もありますね。

    いかなごの釘煮。京都生まれの僕と東北生まれのカミさんも、兵庫県沿岸の街に住んで長くなりました。最初は貰うばかりだった釘煮も、4年前くらいから作りはじめました。すっかりカミさんも関西のおばちゃんになったわけです。
    今年は2月23日がいかなご漁の解禁日。最初は、本当に小さいんです。シラス並。これが、日をおって少しづつ成長します。小さいとやわらかくてうまいのですが、やわらかすぎて炊くと潰れてしまいます。熟練の技が必要。つぶれてだんごみたいになったのもイヤですもんね。ただ育ちすぎると今度は歯ごたえが出てきます。ゴマメみたいになったらそれもイヤだ。好みですが、ちょうどいい頃合いを見計らいます。
    今年は不漁という話でしたが、それでも徐々に値も下がってきます。最初はキロ1500円くらいだったのですが、1000円はなかなか割らないものの安くなってきました。
    で、カミさんは水曜に一度炊きました。3〜4センチくらいになっていまして、いい感じです。
    僕はただ食べるだけだったのですが、ちょっとつくってみたくなりましてね。
    「土曜にワシ作るで」
    と宣言しました。

    さて土曜。朝スーパーに行きますと、夜も明けぬ頃の漁のものが並び始めています。キロあたり950円。いいだろいいだろ。大きさも頃合い。2キロ買い求めます。
    これは、新鮮さがやはり重要です。こんな小魚ですから、すぐに鮮度が落ちます。以前、夕方に「半額」シールが貼られたものを求めて炊いたことがありましたが、どうにも生臭さが残って。カミさんのせいじゃないと思いますね。これはやはり新しいものでないとダメなのです。
    保冷バッグに入れてすぐ持ち帰り、炊きます。ふふふ。
    まずは水洗い。しかし、やわらかな稚魚ですので細心の注意が必要です。大きなボウルに水を張り、そろそろといかなごを入れ、水が濁ったらそっと取り出します。ザブザブとはやりません。繰り返して汚れなどが完全に取れたと判断したら、ざるにあげ水気をきります。
    大鍋に調味料を入れます。2キロですと醤油500cc。酒100cc。ザラメを500グラム。これがいつものレシピですが、僕は400グラムにします。甘さ控えめ、というより、あとでみりんを追加しようと思っているからです。
    さらに生姜。これは新しいものを皮ごと千切りにする、というのが定番で我が家もそうしていたのですが、いくら新しくても僕はどうも皮が気になるのですね。これは好みなんですが、皮も香りが強いので捨てがたい。なので、皮を剥いて、その皮だけを刻まないで放り込みます。あとで取り出すつもり。そして、残りはやたら細かく千切りに。皮ごとで100グラムくらいでしょうかね。
    ブレンドした調味液に皮を放り込んで、煮立てます。吹いてきたら、皮を一旦取り出して、いかなごを入れていきます。
    これも、いっぺんにザバっと入れてはいけません。そっとすくって少量づつ入れます。崩れるからです。2キロのいかなごを時間かけて丁寧に鍋に入れます。その間、さっきの千切り生姜も挟んで入れていきます。
    全部入ったらさっきの皮を上に乗せ(あとで取り出しやすい)ずっと強火で炊きます。さすれば、アクが浮いてきます。
    僕は、このいかなご釘煮のキモは、とにかくここで徹底してアクを掬い取ることだと思っています。生臭みを少しでも残さないように。僕は普段はズボラな人間ですが、こういうときだけは神経質です(笑)。完全に「アク取り小僧」になります。
    あくまで強火。そして、絶対にかき混ぜてはいけません。身が崩れます。アクも取りつくして煮汁が澄んできたら、実山椒を加えます。100グラムくらい。
    僕のアタマには京都の「ちりめん山椒」のイメージがあります。あの感じに多少近づけたい。山椒の香りを生かしたいので、実際は200グラム使用します。残りは、炊き上がる寸前に加えることにします。そして、煮汁を全体にまわすために落し蓋をします。重いものだといかなごが潰れるので、アルミホイルに穴を少しあけたもので代用します。
    あとは、煮汁が詰まるまで動かしません。ザラメで濃度が出てきていますからふきこぼれに注意しつつ、あくまで強火です。
    40分くらい炊いたでしょうか。煮汁ももう残り少ないようです。では、アルミホイルと生姜皮を除け、みりんを50ccほど。照りだしです。水あめを加える場合もあり入れるとつやつやになりますが、少し固くなるきらいもあります。完全に好みですが、僕は入れません。
    さて、炊きムラをなくし煮汁を均等にまとわせるために混ぜます。しかし、おたまなどで混ぜては崩れます。鍋ごとあおってひっくりかえします。2キロですとこれは難しいらしいのですが、僕は中華なべ使いなのでわりに自信があるんですね。大きく振って鍋から迎えにいって、衝撃を吸収します。はっきり言ってこれがやりたかった(笑)。ここで残りの山椒を入れてさらにあおって混ぜ、火をとめます。
    炊き上がったいかなごは、ざるにとります。よけいな煮汁は落とします(この落ちた煮汁は濃厚魚醤油出汁ですから、煮物に使えます。甘いけど)。そして、うちわでバタバタ扇いで一気に冷まします。湯気を飛ばさないと、蒸れた感じが出てしまいますので。冷めると落ち着いて、多少のことでは崩れなくなります。
    できたぞー。

    では食べてみましょう。ちょうどお昼です。
    炊き立てのごはんのうえに、いかなごの釘煮をのっけて、と。そしてワシワシ。わんぱく食いです。

    うまいーっ。 やったぞ成功だーヾ(@^▽^@)ノ ワーイ

    この山椒を利かせたのを作りたかったんですねー。京都人の本性と申しますか。でも我ながらうまくいきました。完全に手前味噌なんですが、ただうまくいった証拠に、カミさんが「これを青森の実家に送るわ」と言います。
    うーむ。認めてもらって大変に嬉しいわけですが、ワシの食うぶんは残しておいてくれよ。それから「ダンナが炊いた」とちゃんと言ってくれよ(笑)。


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    | 2013/03/10 | 飲食 | 16:43 | comments(6) | trackbacks(0) |

    恵方巻に願いを

  • 2013.02.03 Sunday
  • 僕は昔から、多数決でいくとほぼ少数派に属してしまう傾向があるようです。何と申しますか、性格がへそ曲がりと申しますか。
    幼い頃の話です。僕は3人兄弟なのですが、例えば今日の夕食にコロッケかハンバーグかどちらが食べたいか、てな内容で、よく母親が子供に決を求めました。そうなると、多くは2対1となり、その1はたいてい僕なのです。どうしてなんだろう? 子供ながらよく悔しい思いをしていました。兄と妹はグルになっているのか、とその頃は疑っていましたが、どうもそうじゃないようでして。
    もっと大きな規模で例を挙げれば、僕は20歳以来よっほどのアクシデントがない限り、ほぼ毎回選挙には行っているわけです。しかし、僕が投票する候補は、国政にせよ地方にせよ首長選にせよ、かなりの確率で落ちます(笑)。少数派だなあということをしみじみ実感してしまいます。

    そういうことが積み重なって意固地になってしまったのか、はたまた少数派であることを正当化しようと必死になった結果なのかは定かではありませんが、どうもどこかで僕に「もういいや多数派には属したくない」という意識が働くようになってしまった気がします。なんだかどうも、みんなが「好き!」というものにはつい背を向けてしまいがち。
    これを「付和雷同は宜しくない」と言う考え方なのだと捉えればなんだかマトモに見えますが、マイナー志向とみることも出来ますし、何でも反対男であればそれは社会の迷惑です。。
    基本的に、こういう方向性は損だと思います。幸せを享受しそこねたりすることがあります。「波に乗る」ということも人生には必要なのかもしれません。しかし、そう出来ない性格に育ってしまったのです。盲従したくない。迎合はイヤ。尻馬には乗りたくない。集団心理は嫌い。
    先般、大鵬さんが亡くなられましたが「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉がありました。みんなが好きなものの集合体。これは昭和30年代の言葉なので、僕より約10年前の子供たちを対象にしていますが、その頃に僕がいれば絶対に読売Gとか大鵬さんのアンチになっているでしょうね。そして卵焼きは好きだから、そのことはヒタ隠す(笑)。
    そう書くと全くのところヒネクレ者でしかないわけですが、やっぱり「みんな好きだと斜に構え、みんなやってるとやりたくない」んです。

    したがって「ブーム」というものを、いつも苦々しく思いつつ見ています。なんで世間の人たちはみんな一極集中するのか。「旬」であるなら理解はできますが、「ブーム」「流行」「トレンド」なんてのは、たいてい仕掛けがあるわけです。ファッションにせよ「来年はこれを流行らせよう」なんて意図があって、そしてそのまま大衆が流されてゆく現象にいつも舌打ちをします。書籍も映画もCDも、ある特定のものがいつも寡占状態となります。これも仕掛けがあり、そしてマスコミが煽動して人たちは流されてゆく。自分の目や耳や感覚を頼りに方向性を決めれば、そんなに他人と趣味が合致するはずはないと思うのですが。
    納豆ブームになれば納豆が急に売り切れます。大衆は仕掛けにあまりにも弱い。最近では猫も杓子も「コラーゲン」。翌日はお肌スベスベよ〜なんてみんな言ってる。それはただ脂ぎっただけじゃないのか。このコラーゲンブームはパワースポットブームとともにどうも好きになれない。なんでそう人は流されるのか。

    さあ、さんざん悪態をつきましたよー。で、恵方巻の話なんですが(笑)。
    恵方巻というものは、本来は縁起物です。「本来は」と書いてしまうと多少の問題も含み(→過去記事参照)、それほど伝統があるとは言えないという意見もありますが、少なくとも初老をとうに過ぎた僕でも子供の頃からやっていることで、関西の一部ではもはや行事と見なしていいでしょう。しかし、あくまで関西の風習でした。
    僕はこのブログを始めて9年目になりますが、最初に恵方巻のことを記事にしたときは「関西では節分に太巻きを食べる風習があります」と前置きをして、恵方に向かって無言でイッキ食いするものである、と解説も入れています。つまり、あまり全国的には知られていなかった風習だったのです。なので、紹介するという形になっています。
    しかし、今やこれは完全に全国区になりました。もちろん、業界の仕掛けによって、です。
    コンビニでは何日も前から予約を受け付け、スーパーでも広告がわんさと入り、百貨店でも売り出しています。
    恵方巻というのは、売りやすいのでしょうね。伝統的な太巻のみならず、海鮮巻などいろいろなバリエーションが出来ますし。節分行事としてはもっと伝統のある豆やイワシなどよりも高額商品となるのも、販売意欲を増加させるのでしょう。
    この仕掛け、いったいいつ頃からなのだろうと思っていました。関西にいますと、恵方巻はまあまあ昔からあちこちで売っていました。かつてはそこまで露骨に広告を打ったりはしていなかったとは思いますが、急に登場したものではないので、全国展開の様子がわかりにくいのです。
    wikipediaによりますと、仕掛けたのはコンビニエンスストアのようです。なるほど。
    おそらく「恵方巻」という言葉も、その仕掛けのひとつなのでしょう。僕は2005年の記事のタイトルにはまだ「太巻き」と書いていて、記事内に「恵方巻というようです」なんて書いています。実際、恵方巻なんて言い出したのは最近のような気が。ただ、うまいなと思いますね。「節分太巻」では広告のコピーにならん。
    コンビニやスーパーの売らんかな作戦には、基本的には文句を言う筋合いのものではありません。何か売るものはないか。必死で探して仕掛ける。これはビジネスチャンスを自ら創り出したわけです。頑張っていただければと。
    それに、他社が便乗する。以前コメントで「恵方巻パン」なんてのがあると聞いてアホかいなと思いましたが(笑)、「恵方巻ロールケーキ」なんてのもあるようです。…これには確かに多少の品のなさも感じますが、このご時世そんなキレイ事ばかり言ってはいられません。大いに乗っかって売って下さい。
    けれどもね。
    こうなると、僕はもう生来の捻くれ者の血が騒ぎだすのです。世の中がこうまでなってくるとね。毎年節分になると恵方巻の記事を書く僕も、なんだかブームに乗っかっちゃっているみたいじゃないですか。うーむ。

    まあ四の五の言っても始まりません。これは本当にブームなのかどうなのか見てみることにします。
    検索してみますと、こういうのがありました(笑) →「恵方巻マピオン
    恵方巻を食べる向きを確認するためのスマホのアプリです。こんなん節分しか必要ないがな。
    「恵方巻なう」というのがどれだけツイートされたのかも見ようと思いましたが、面倒くさいので止めます。ただtogetterを見てますと、若い人が楽しんでいる様子が伺えます。しかしこれ2月1日のtogetterなんですね。2日前かいな(笑)。まあ若者は日にちなどにさほど拘泥しないということでしょうか。
    また、金曜日ということもあり会社などで支給されている場合も多い由。なるほどね。そもそもこの行事は「家族そろって」というところに良さがあったと思うのですが、今はそうではない。友達や職場の「繋がり」の方が大切なんかな。まあ2日前の話であり本番3日にはまた家族で食べるのかもしれませんしね。また、ネットでの散見なのでそう思えてしまうのかもしれませんし。
    切ってあるのも。みんなで少しづついろんな味を楽しみたいという趣向かな。また、バラバラの方角を向いて食べている人たちもいます。極めつけは二人で両側から食べている画像。とにかく販売側の「商品を売る」という意向だけが突出して、丸かぶりとか恵方とかそういうものは抜け落ちた感があります。そんなに古い伝統行事ではないのかもしれませんが、風習とはこうして拡散そして雲散霧消してしまうものなのかもしれません。
    見てるとサラダ巻き多いなー。そしてやっぱり恵方巻ロールあります。パンを海苔で巻いた恵方巻サンドあります。巻いたクレープくわえてる人もいます。これはファミレスみたい。Subwayもやってる。恵方サブって何よ(笑)。
    2日前の事なので特殊例ばかり集めてあるのかもしれませんが、やっぱりこれは行事というより流行りモノっぽいですねぇ。くわえるのは間抜けで面白いし、楽しいのでやろーよ。その雰囲気がよく見えます。だから、今後もどんどん変質してくる可能性はあります。「かつては太巻き寿司で恵方(縁起のいい方向)を向いて行うものだったが…」なんて書かれる時代がくるかも。
    そういう変質って、簡単におこりますもんね。クリスマスイブがカップルで過ごす日になったのって、近年だもんなー。

    では、実際にスーパーへ行ってみることにします。
    「今日は節分!」「招福恵方巻」「福寿巻」「恵方は南南東」「さあみんなで丸かぶり!」ガンガン文字がおどっています。そして山と積まれた太巻き。
    こういう情景は、初めて見ました。だいたいうちの場合は太巻きは手作りにしてますんで、買いに来ない。そして材料はいつもカミさんが揃えますので、僕の出番はないわけです。
    その太巻きの、まあ種類の多いこと多いこと。
    定番のオーソドックス太巻きよりも、ちょっと値の張る海鮮巻の比重のほうが多いかな。そして「海鮮サラダ巻」「まぐろいっぱい太巻」「ヒレかつ太巻」「エビフライ太巻」etc. 昔ながらの太巻きよりも、変化球が多いようです。
    さらに惣菜売り場。「恵方アスパラチーズカツレツ巻」「恵方丸かぶり生春巻」なんでしょうかねこれは。チキンライスを卵で巻いた恵方巻なんてのも。それはオムライスでんがな(笑)。パンもございますよ。ツナなどを巻き込んだ恵方パン。巻き寿司のように見えるロールパン。
    そして、やはり恵方巻ロールケーキ。これ、一口サイズ(細め)のものも確かにありましたが、通常的サイズのものもありますね。まるかぶりしようとすればアゴが外れるのでは。さらに、一本食べきればおそるべきカロリーになると思います。
    もう「無言で丸かぶり」なんてどうでもいいんでしょうねー。
    続いてデパートへ。
    やっぱりワンランク上の値段ですよ(笑)。一本2000円するのもあるなー。
    昔は、具は七福神にちなんで七種、なんて言ったんですが、それに伝統と信憑性はないにせよ「新鮮な魚介を23種巻き込みました!」なーんてのを見てますとどうもねぇ。もう少し減らせ(笑)。
    そしてやっぱりバラエティありますよ。うなぎ太巻き。いなり太巻き(?)。おこわ太巻き。牛肉太巻き。チキン太巻き。韓国のキムパ。 チャーハン太巻きもありました。そしてトンカツKYKの「のり巻ヘレかつ」など、お惣菜も各種(笑)。
    ふぅ。見てるだけで疲れます。僕はもう選べなくなって、そのデパートで最もオーソドックスなかんぴょうや卵焼き、穴子などが入った太巻きを二本購入しました。

    え、つまりオマエ買い物に行ったの?
    そうなのです。
    カミさんが風邪引きまして、寝ているのです。んで、僕が作るのもまた面倒くさいので、買いに来ました。ずっと手製だったので、既製品は久しぶりです。
    風邪引いたのなら、そんな太巻きイッキ食いなど出来ないだろう、と思ったのですが、寝込んで既に4日め、徐々に回復傾向にあるようで。さらに、どうしても恵方巻は食べたい、という執念を見せています。幸いにして、昨年の僕のように味覚障害の兆候もないようで。じゃあワシが買ってくるよ待ってなさい、というワケです。

    では食べましょう。
    寝室に太巻きを持ち込み、カミさんも起き上がって二人そろって南南東。
    わしわしはぐはぐ。

    うまい…♪
    たまに、ちゃんとした店で作っている太巻きもいいかな。やっぱりプロの仕事です(笑)。

    カミさんもまだ食べるのにスピードこそなくゆっくりでしたが、一本食べきりました。あんた毎年楽しみにしてるもんなぁ。
    当初は心配しましたが、これだけ食べられれば回復も早いでしょう。早くよくなってくれ。
    願いはもちろん妻の病気平癒。今年の恵方巻の話でした。明日からは、春。
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    | 2013/02/03 | 飲食 | 21:54 | comments(6) | trackbacks(0) |


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