春です。徐々に暖かくなってきました。
春の訪れをどんな場面で感じるか。それは、さまざまありますね。雪どけ。梅の開花。卒業式。Jリーグ開幕。まあ今の僕なら、花粉の飛来でしょうなあ(涙)。
そういう春の風物詩として、僕の住む兵庫県の瀬戸内沿岸には「いかなごの釘煮」というものがあります。
イカナゴって魚は、全国的に漁獲があると思われますが、知らない人もいるかも。分類学上のことはよくわかりませんが、キスとかサヨリとかカマスとかキビナゴとか、そういう感じの魚でしょうかね。細長い体型です。関西ではカマスゴとも言ったりします。
そのイカナゴのシンコ(稚魚)がこの時期、出回ります。生シラスやノレソレなどと同様、透きとおった綺麗な稚魚です。
それを、こちらの地方では醤油、砂糖、生姜などで甘からく炊き上げます。これを「釘煮」といいます。もちろん炊いたものを小売していたりもしますが、多くは家庭で作ります。それも、各家庭ごとに何キロも炊くんですよ。もちろん保存がきくからこのシーズンに大量に炊くわけですが、自家消費だけでなく、例えば遠く離れた親戚や友人に春の香りを届けたい。この時期ゆうパックには釘煮専用スタンプができ、どんどん持ち込まれます。
遠方の、いかなごの釘煮が存在しない地域に送るだけではありません。近所だってあちこちに配ります。隣だって釘煮は炊いてるんですよ。でも「うちも炊きました〜♪」って、交換したりして(笑)。で、やっぱり「うちのほうがおいしい」とか思う。文字通り手前味噌ですわ。喜ばれるのがうれしいベテランのおばちゃんなどは、何十キロと炊いたりして。お店か。
最初この街に来たときはびっくりしました。釘煮というものは一応知っていましたが、あんなの店で売ってるものだと。まさか普通のおばちゃんがガンガン家で炊いてるとは。こういう暮らしに欠かせないものが、郷土料理なのだなー。
さて、ここで長く横道にそれます(またかよ)。読み飛ばしてくださいね。
このイカナゴを甘からく炊いたもの。通称は「釘煮」。この釘煮は、炊き上がったイカナゴの形状が茶色くまるで折れ曲がった古釘に似て見えるところからそう呼ばれるようになったとされる説が有力です。まあしかしそれは措いておいて。
この料理は、イカナゴを「炊く」と言います。出来たものは「釘煮」。つまり釘煮を炊くわけですが、どうもそこに不自然さを感じる人がいて(僕の相方です)。
「釘煮」だから「煮る」のだと思いそう発言したら「ちゃうのよ炊くんよ」と近所のおばちゃんにやんわりと訂正された由。
こういうの、感覚として難しいですね。どうも地方によって違うみたいで。
関西は比較的「炊く」を多用します。「大根と油揚げの炊いたん」と言えば京都の家庭料理(対外的には「おばんざい」なんて言葉を遣ったりしますな)の代表と言ってもいいくらいです。しかしこれをカミさんが義母(つまりワシのおかん)から最初に聞いたとき「は、タイタン?」と聞き返してしまったらしい。タイタンってあんた土星の衛星かいな。ちゃうねん。「炊いたの」の転化。炊いた物ってこと。
「つまり、煮たんでしょ?」
「いやその、ちょっとニュアンスが違うんやな。ワシら煮るて言うたらもっととろ火でジクジク煮た感じで…」
「よくわかんないよそれじゃ」
いや、僕にだってよくわかっていないのです。感覚なので。
うちのカミさんは東北なのですが、なんでも「煮る」です。いちばん驚いたのは乾麺を茹でるときに「うどん煮るよ」と言ったことです。僕はとっさに「鍋焼きうどん」みたいな料理がアタマに浮かび、ちゃうちゃう、暑いさかいざるうどんで食べんのや、と言い返しました。もちろんカミさんもそんなことは承知です。地域によって、言い方は違う。
「茹でる」すら「煮る」という地域は少ないと思いますが、東日本ではあまり「炊く」は使用しないようです。こういうのは検索が手っ取り早いのでいくつかググってみたのですが、やはりそう。
もちろん諸説あって、明確な定義付けはなかなか難しいようです。
ひとつ、僕がどこかの本で読んだのに(出典わかりませんごめんなさい)、「炊く」は水分がほぼ飛んだ状態、「煮る」は煮汁が残った状態、という区別があると書かれていました。ネットでもこの意見は「炊くと煮るの違い」の定義として散見されます。完全に、東日本だけに通用する定義ですな(笑)。東日本には東京がありますから、どうしても首都の意見は強くなる傾向が。
前記「大根と油揚げの炊いたん」は、つゆだくです。「菜っ葉の炊いたん」は、別に煎りつけるように煮詰めたりはしません。炊いたら鍋に水分がなくなる、という考え方は、東日本で「炊く」といえば「炊飯」しかないからではないのでしょうか。
興味深かったのはこちらのブログ「
「炊く」のはご飯と風呂だけだろう@「煮る」と「炊く」は、どこがどう違うのか:多摩と入間の雑学的な散歩」です。
「どうも、煮るが先にあって、炊くはあとからできた言葉のようです」と書かれています。参考文献として増田昭子氏の論文を挙げておられますが、僕がそれを読む機会を得るのは難しいだろうと思われますので、孫引きで失礼致します。
僕も、そう思っているのです。おそらく「たく」ほうが「にる」よりも新しい。蝸牛考と同じかと。これで九州南部あたりで「にる」が優勢なら成立するのですが、サンプルがありません(汗)。こういうのは古文献をていねいに調べればいいのですが、学者じゃないしなあ。
こちらのブログ「
煮ると炊くの違い:kazegaroの日記」では、「炊くとは、本来煮るの古形で、意味は同議。」とされています。逆の説だな。出典は大辞林かな?
ここらへんで迷宮に入りそうです(汗)。
「にる」「たく」は和語で、漢字は当てはめただけですから漢和辞典を引いてもダメで決定的なことにはならないのですが一応見てみますと、「煮」は下から火が当たっていて、とろ火で煮詰める、ゆっくり煮るの意味があります。また「炊」は「火」と「吹」からなり口が落ちたようです。ぷうぷう火を吹いて炊く。強火の感じはします。いろりとかまどの違いはありそうに思いますが、ただ、この2字はいずれも「形声文字」とされています。灬や火に意味があって、者や吹(欠)は音を示します(シャ・スイ)。だから、一概にとろ火と強火であるとははっきりと言えません。仮に言えても、それが即「にる」「たく」の意味であるとは言いがたい面もあります。
以下想像です。
やっぱり最初は食べ物関係は「にる」だったのではないでしょうか。
「たく」の音は火を「焚く」の方で遣い、やはり炎が上がり火力が強いイメージ。ただ火力が強いと焦げますし土器は割れますから、昔は調理は弱火(熾火)などが優勢だったのでしょうか。それが「にる」。
米については「炊」ですけれどもこれは「かしぐ」が古語でしょう。昔は米は炊いでも、たいていない。
「たく」という言葉は昔は調理には使用されていなかった。ただ、強火に耐えられる鍋(鉄の普及など)、また竈などが発達し、米は粥ではなく(また蒸米ではなく)たけるようになった。そこで「炊」が「かしぐ」ではなく「たく」と読まれるようになった、と。
ただ、結局は水分の中にものを入れ火にかけて熱を通すという行為はかわらないわけで、強火か弱火かなんてのは主観です。同義とみていいかと。ただ「たく」という言葉が調理に使用された歴史は「にる」より浅いのではないかと想像します。なので言葉の伝播という観点で地域差が生まれた。かのように考えます(あくまで僕の想像)。
最後に僕の主観ですが、やわらかく「煮ふくめる」感じは「炊く」だと思います。またやはり火力は炊くほうが強い気はします。
で、いかなご釘煮は、強火でやわらかく味を含ませるという意味で「炊く」だと思うのです。煮詰める(水分を飛ばす)という東日本的解釈においても「炊く」でしょう。だったらなんで「釘炊き」じゃないんだ?(笑)
本当は「釘煮」「佃煮」「時雨煮」「大和煮」などについても言及しようかと思っていたのですがもう止めて、いかなごにもどります。ただ、こちら兵庫県珍味商工協同組合さんのサイト
「くぎ煮」のルーツを見ますと、最初は「釘煎」であり、「釘煮」の命名はそれほど古くないことのようです。昭和30年ごろだったとすれば、マスコミの発展で「煮る」という首都圏の言葉に引きずられた可能性もありますね。
いかなごの釘煮。京都生まれの僕と東北生まれのカミさんも、兵庫県沿岸の街に住んで長くなりました。最初は貰うばかりだった釘煮も、4年前くらいから作りはじめました。すっかりカミさんも関西のおばちゃんになったわけです。
今年は2月23日がいかなご漁の解禁日。最初は、本当に小さいんです。シラス並。これが、日をおって少しづつ成長します。小さいとやわらかくてうまいのですが、やわらかすぎて炊くと潰れてしまいます。熟練の技が必要。つぶれてだんごみたいになったのもイヤですもんね。ただ育ちすぎると今度は歯ごたえが出てきます。ゴマメみたいになったらそれもイヤだ。好みですが、ちょうどいい頃合いを見計らいます。
今年は不漁という話でしたが、それでも徐々に値も下がってきます。最初はキロ1500円くらいだったのですが、1000円はなかなか割らないものの安くなってきました。
で、カミさんは水曜に一度炊きました。3〜4センチくらいになっていまして、いい感じです。
僕はただ食べるだけだったのですが、ちょっとつくってみたくなりましてね。
「土曜にワシ作るで」
と宣言しました。
さて土曜。朝スーパーに行きますと、夜も明けぬ頃の漁のものが並び始めています。キロあたり950円。いいだろいいだろ。大きさも頃合い。2キロ買い求めます。
これは、新鮮さがやはり重要です。こんな小魚ですから、すぐに鮮度が落ちます。以前、夕方に「半額」シールが貼られたものを求めて炊いたことがありましたが、どうにも生臭さが残って。カミさんのせいじゃないと思いますね。これはやはり新しいものでないとダメなのです。
保冷バッグに入れてすぐ持ち帰り、炊きます。ふふふ。
まずは水洗い。しかし、やわらかな稚魚ですので細心の注意が必要です。大きなボウルに水を張り、そろそろといかなごを入れ、水が濁ったらそっと取り出します。ザブザブとはやりません。繰り返して汚れなどが完全に取れたと判断したら、ざるにあげ水気をきります。
大鍋に調味料を入れます。2キロですと醤油500cc。酒100cc。ザラメを500グラム。これがいつものレシピですが、僕は400グラムにします。甘さ控えめ、というより、あとでみりんを追加しようと思っているからです。
さらに生姜。これは新しいものを皮ごと千切りにする、というのが定番で我が家もそうしていたのですが、いくら新しくても僕はどうも皮が気になるのですね。これは好みなんですが、皮も香りが強いので捨てがたい。なので、皮を剥いて、その皮だけを刻まないで放り込みます。あとで取り出すつもり。そして、残りはやたら細かく千切りに。皮ごとで100グラムくらいでしょうかね。
ブレンドした調味液に皮を放り込んで、煮立てます。吹いてきたら、皮を一旦取り出して、いかなごを入れていきます。
これも、いっぺんにザバっと入れてはいけません。そっとすくって少量づつ入れます。崩れるからです。2キロのいかなごを時間かけて丁寧に鍋に入れます。その間、さっきの千切り生姜も挟んで入れていきます。
全部入ったらさっきの皮を上に乗せ(あとで取り出しやすい)ずっと強火で炊きます。さすれば、アクが浮いてきます。
僕は、このいかなご釘煮のキモは、とにかくここで徹底してアクを掬い取ることだと思っています。生臭みを少しでも残さないように。僕は普段はズボラな人間ですが、こういうときだけは神経質です(笑)。完全に「アク取り小僧」になります。
あくまで強火。そして、絶対にかき混ぜてはいけません。身が崩れます。アクも取りつくして煮汁が澄んできたら、実山椒を加えます。100グラムくらい。
僕のアタマには京都の「ちりめん山椒」のイメージがあります。あの感じに多少近づけたい。山椒の香りを生かしたいので、実際は200グラム使用します。残りは、炊き上がる寸前に加えることにします。そして、煮汁を全体にまわすために落し蓋をします。重いものだといかなごが潰れるので、アルミホイルに穴を少しあけたもので代用します。
あとは、煮汁が詰まるまで動かしません。ザラメで濃度が出てきていますからふきこぼれに注意しつつ、あくまで強火です。
40分くらい炊いたでしょうか。煮汁ももう残り少ないようです。では、アルミホイルと生姜皮を除け、みりんを50ccほど。照りだしです。水あめを加える場合もあり入れるとつやつやになりますが、少し固くなるきらいもあります。完全に好みですが、僕は入れません。
さて、炊きムラをなくし煮汁を均等にまとわせるために混ぜます。しかし、おたまなどで混ぜては崩れます。鍋ごとあおってひっくりかえします。2キロですとこれは難しいらしいのですが、僕は中華なべ使いなのでわりに自信があるんですね。大きく振って鍋から迎えにいって、衝撃を吸収します。はっきり言ってこれがやりたかった(笑)。ここで残りの山椒を入れてさらにあおって混ぜ、火をとめます。
炊き上がったいかなごは、ざるにとります。よけいな煮汁は落とします(この落ちた煮汁は濃厚魚醤油出汁ですから、煮物に使えます。甘いけど)。そして、うちわでバタバタ扇いで一気に冷まします。湯気を飛ばさないと、蒸れた感じが出てしまいますので。冷めると落ち着いて、多少のことでは崩れなくなります。
できたぞー。
では食べてみましょう。ちょうどお昼です。
炊き立てのごはんのうえに、いかなごの釘煮をのっけて、と。そしてワシワシ。わんぱく食いです。
うまいーっ。 やったぞ成功だーヾ(@^▽^@)ノ ワーイ
この山椒を利かせたのを作りたかったんですねー。京都人の本性と申しますか。でも我ながらうまくいきました。完全に手前味噌なんですが、ただうまくいった証拠に、カミさんが「これを青森の実家に送るわ」と言います。
うーむ。認めてもらって大変に嬉しいわけですが、ワシの食うぶんは残しておいてくれよ。それから「ダンナが炊いた」とちゃんと言ってくれよ(笑)。