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  • 2016.12.30 Friday
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    | 2016/12/30 | - | | - | - |

    旅の空から

  • 2016.12.30 Friday
  • 今、仙台にいます。

    僕の場合、通常旅行先では基本的にネット環境から遠ざかることにしています。
    こう言うとなんだか「こだわり」を持っているみたいですが、なーに、スマホもタブレットも所持していないため、結果的にそうなっているだけです。意識的に遠ざけているわけではないな。
    それに、ある種の怖さもありましてね。僕は以前ほどではありませんが今も一種の「ネット依存症」的気質は確実に持っていて、スマホとか持ってたら車窓風景など一切振り向かずyoutubeばかり見てんじゃねーか、という恐れもあるわけですよ。なんて意志が弱いんでしょうかね。だから、現状これでちょうどいいのです。
    ではなんで旅先でこうして書いてんのかってことですが…たまたま泊まったとこでPCを貸し出してくれてましてね。んで、ちょっと明日の天気交通情報その他を調べとこうかなと思いましてキーを叩いていたんです。そうなると、ついネットにまたずるずると入り込んでしまって(意志が弱い)、じゃついでにブログでも…てな感じで。
    今年も全然更新しなかったもんね。年の瀬くらいは書くか、と。

    それにしても、また仙台にいるなーとは思うのですよ。
    仙台は、光のページェントがあいかわらずきれいです。この定禅寺通りのケヤキ並木を彩る華やかなイルミネーションは、本当に壮観です。
    HPを見ますと、このイベントが始まったのが1986年。これは大規模なものとしては、日本では札幌のホワイトイルミネーションと並んでかなり古い時期からではないですか。今でこそ冬になれば都市部は電飾であふれ、表参道や神戸のルミナリエなど高名なイベントが数多くありますが、昔はあんまりなかったよねぇ。まず、嚆矢といっていいのかな。
    僕が、はじめて冬に仙台に来たのは、1987年でした。卒業を控えた大学4年でしたね。ということは、第二回光のページェントを見たことになります。以来30年が経ちます。元気であれば年末年始はまず旅に出ていますし、そのうち少なくとも半分は仙台に寄っているかも。もっとかな。正確には今数えられませんが、20回くらいは見ているかもしれません。

    今年は、以前に天気の長期予報で「21世紀最大の冬が来る」とか言われていてビビっていたのですが、今のところは「口ほどにもない」程度で(笑)、仙台は太平洋側ですから夜半過ぎに少し白いものがチラついた程度ですね。そんなこと言っててこのあと一気に寒波が来たら往生しますからあんまりバカにしないようにしますが、まあ今のところは落ち着いた年末です。ほろ酔い加減ですと寒さもさほど気にならないくらいで。
    こうして風花が舞う街を歩いていると、旅の空の下にいる実感がわきます。
    そんな酔眼でこの「光の洪水」を眺めていますと、いろんなことが思い出されてくるのです。

    仙台では、何度か年を越しました。若いころですが。
    イルミネーションは大晦日までなのですが、30日までは22時くらいで終了します。ただ31日はずっと点灯していて、それが0時に一斉に消えます。消灯にむけてカウントダウン、そしてHappy new year! この瞬間がなんとも好き。
    宿に泊まり合わせた仲間たちとそれを見ているときもありました。ああいうときは、高揚するんです。ハイタッチに始まり、やたら盛り上がる。知らないおっさんとハグしたりね(笑)。いい思い出です。今はカミさんの田舎で静かに午前0時を迎えますから、なおさら懐かしい。もっともカウントダウンイベントなどすっかり似合わない年齢となりましたが。
    ある年は、女の人とふたりだけでその煌めく光が消えてゆくのを眺めていました。
    まだ数時間前に出会ったばかりのひとでしたが、波長が合ったのでしょうか。なんとなしにそういうことになり…なんだかちょっとロマンティックな年越しでしたね。
    結局その夜は宿にも帰らず、そのまま仙石線の始発を待って、ふたりで松島まで初日の出を見に行ったことをおぼえています。
    若かったな。本当に。
    そのひとは確か僕より4つほど年が上でしたから…今どうしているのかな。きれいなひとだったけど。ふとそんなことも思い出した仙台の夜です。

    ああもう今年も、終わるなあ。


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    | 2016/12/30 | 雑感 | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

    鍋の日

  • 2016.11.15 Tuesday
  • 最近趣味として調べていることは、煉瓦とコンクリートの歴史です。
    明治初期に地元に鉄道が通った時の遺物をいろいろと見ているのですが、建設以来一世紀半が過ぎて、どれだけ当時のものが残っているか。その痕跡をたずねる際に、どうしても煉瓦などの耐久性問題などを避けて通れず、また煉瓦が明治初期にどのようにして製造されたのか、国内で煉瓦生産が始まったのはいつなのか、江戸時代の瓦の生産技術がどのように生かされているのか、等々、当時の古い資料を様々見ながら調査しています。こういうことは専門家ではないので、その奥深さに四苦八苦しながら文献を読んだりしてます。

    面白いですね。実に。歴史を考えるということは、本当に面白い。つくづく自分は歴史ヲタであるなあと思います。
    しかしながら、なかなかブログなんかには結実しませんねこういうのは(汗)。
    書けるのは、来年になっちゃうかなあ。

    ブログも書かなくなって久しくなりますが、日々の出来事でネタがないわけでもなく、スポーツも観てますし音楽も聴いてますし、本もボチボチとは読んでるんですけど、いざ文章化しようと思うとどうもまとまらない。といいますか、書くのがどうも億劫で。
    なんだか振り絞らないとキーが叩けないんですよ。
    文章を書いたりするというのも、ある意味での体力を必要とするんですな。
    歳をくってしまったのかなあ。
    Webにものを書きだしたのは、そういえばまだ僕は30代でした。流れるようにキーを叩いていたもんです。それが50代になっちゃったのでねぇ。

    まあしかし、50代であるというのは、まだまだ若いとも言えます。この長寿時代には。
    僕は昨年、一度死にかけましたので、なんとなしに死が身近な感じはするんですけれども、世間的には晩年という歳ではもちろんありませんし、もう少し振り絞ってみようかなあとも思いますね。


    今日は龍馬はんの生誕祭ですから、とりあえずキーを叩いてみようかと。

    しかし、僕はうっかりしていたのですね実は。日々のことに紛れてまして。
    一昨日の夜。

     「最近忙してなあ。今週は帰りが遅なるかもしれんわ」
     「えー、火曜は15日よ。地鶏もう買ってあるんだから。鍋の日でしょ」

     ( ̄□ ̄;)ハッ?!

    そうでした。まさか「歴史とか何の興味もないわよ〜」てな顔をいつもしているカミさんから教えられるとは。
    女房教育がついに行き届いたとも言えますが、しかし「鍋の日」とは(笑)。
    確かにここしばらく、龍馬はんが土佐に生まれた日、そして京都で亡くなった日である11月15日には、龍馬はんがその日刺客に襲われて食べることが叶わなかった鶏鍋をつついて酒を呑み、龍馬はんを偲ぶことにしています。別に地鶏鍋の日ではないのですが。
    しかし…まあいいか。
    「女性というのは」という言葉でくくってしまうと問題があるような気がしますが、少なくとも僕の知るまわりの人たちは、総じてアニバーサリー好きですね。「記念日」というものをしっかりと憶えている。そして、何らかのイベントを望んでいる。カミさんの中のアニバーサリーカレンダーに龍馬忌が入っているのなら、それは結構なことです。
    というわけで、早めに帰宅。今の僕には怖いものなんてありませんのでね。酒までは用意しきれなかったのでうちにあった「富翁」で一杯。
    今年の鍋は鶏のもも肉だけではなく、ちょっと凝ったのか挽肉を使ったつみれも入っていました。フワフワです。上品に作ってあるなー。きのこもいっぱい。

     「やっぱりうまいな。ええ出汁が出てる」
     「おいしいねー」

    そんな会話ばかりで全く生誕祭らしくはないのですが、まあこんなもんでしょ。
    サッカー観てたんですが、先発のヤングボーイズ久保(元サンガ)が前半で引っ込んだのでもう観る気を失いました。大迫がシュートを横取りしやがって。(`^´)


    そして、例年の如く酔ってPCの前に座っています。まだ呑みながら、酔眼でキーを叩いてますが、まあ小一時間で原稿用紙4枚ぶんくらいは書けたかな。ちょっと書くことも習慣づけなくちゃあねぇ。

    それではみなさん、ご無沙汰してますけどお元気ですかー。
    では、 ̄∇ ̄)/□☆□\( ̄¬ ̄ カンパ-イ!
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    | 2016/11/15 | 雑感 | 22:51 | comments(4) | trackbacks(0) |

    ともに白髪の生えるまで

  • 2016.04.06 Wednesday
  • 老けたな、と最近よく言われます(汗)。

    昔「童顔と老け顔」という記事を書いたことがありますが、そこでも申しました通り、僕はもともと老け顔でした。小学校時代に「オッサン」というあだ名も頂戴していたくらいで。
    しかしながら、その面相はそれ以上老けることなくほぼ変わらずに推移しましてね。だいたい30歳代半ばで年齢が追いつき、ようやく年相応となったようです。さらに欲目を含んで言えば、40歳代ではもしかしたら顔を年齢が追い越し、若く見られるようになった可能性もあったのです。(酒場のおねえさんたちは「えー見えないーわかーい」とよく言ってくれた。営業トークを真に受ける阿呆ですが)
    自分の顔など客観的には見られないのが当然ですが、僕の顔は確かに昔とあまり変わらないようにも思えます。若いころの写真を見てもね。古い友人らには、若いなあとは言われずとも、変わらんなあとは確かに言われるんです。
    カミさんに言わせると、顔に年齢を刻んでゆくのは「ほうれい線」なのだそうです。鼻の脇から口の左右に下がる溝。これが歳と共に深くなり、皺と共に顔の加齢を助長してゆくのだと。
    確かに僕、顔にほうれい線って無いのね。
    頬骨の出っ張りが少ないからなのかな。ともかくそれが、変わらない様に見える要因ではないのかと。

    だから顔は、さほど変化はないんですよ。では何が変わったかといえば、それはもう頭髪です。
    前から「よく抜けるな。薄くなったな(涙)」とは思ってましたよ。何とか髪型で誤魔化してはいるものの、風呂に入ったりして髪の毛が濡れた状態になるともう悲惨です。地肌丸見え。これでは、もうすぐ髪型で誤魔化すことも不可能になり、近いうちに「バーコード」と揶揄されるようになるでしょうなあ。
    ただ、この頭髪の量は、急にそうなったわけではなく、徐々に少なくなったものです。
    それよりも、白髪が増えたことが大きい。
    なんかね。この一年で、髪の毛が真っ白になっちゃったのですよ。
    クドクドと書きましたけど、老けた原因は実は明確なのです。白髪ですよ。

    面白いもんでしてね。
    個人差はむろんあるでしょうけれど、頭髪というものは、一枚岩ではない。明らかに僕のアタマには境界線と申しますかラインがあって、質が異なる髪が生えています。僕は「波平さんライン」と呼んでます。
    頭頂部、つまり波平さんの「毛がない部分」ですね。この部分の髪は、本数が減ったことに加え、一本一本がとみに細くなってきました。柔らかくもなりましてね。僕は若いころは剛毛だったのですが、もうすっかりふにゃふにゃで頼りない毛質に。しかしかなり少なくなってますから、大切にしていますよ(笑)。この部分にも白髪はもちろん相当に侵食してますが、毛が細いためそんなに主張していません。
    で、側頭部から後頭部。波平さんもまだ毛があるところですが、ここは若いころと同じく、現在も剛毛であると思います。頭頂部と毛の太さが全然違う。不思議なものです。
    このラインはつまり、男性ホルモンと女性ホルモンの影響の境界線であるとよく言われますね。ホントのことはよく知りませんのでうかつに書いてはいけないのかもしれませんが。僕は性別的にはオトコなので、波平さんラインより下はまだ元気であるのだと。
    そのライン下の髪は、しばらく前までは黒々、とまでは言わずとも多少白髪が混じったくらいで推移していたのです。ところが、この一年で一気に白髪化が進行してしまいました。
    なんかね、真っ白です。
    細く柔らかい髪で構成された薄い頭頂部は「白髪交じり」って感じですが、ライン下はまだ結構剛毛なので、ここが白髪になると相当に主張します。目立つんです。
    したがい、急におじいちゃんみたいになってしまいました。別に玉手箱を開けたわけじゃないんだけどなー。

    話がそれますが、系統的には波平ライン下の毛というのは、一蓮托生みたいな感じなんでしょうかね。
    モミアゲも真っ白ですし、髭も白い。髭は剃るので気が付かれにくいのですが、入院してたときなんかはあまり剃りませんでしたから如実に表れてました。白ひげってのは、仙人みたいなもんですなあ。もっとも、僕は頬髯も結構あるので、仙人というよりシロクマみたいでしたが。
    ああもちろん、その下の毛も同じ運命ですよ。
    斎藤茂吉翁の短歌に、こんなのがあります。

      Münchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき

    北杜夫氏によれば、茂吉翁が40歳代前半頃の歌であるそうです。まあそのくらいに、白い毛が出ることは年齢的にあるでしょう。おそらく切って棄ててしまえばいいくらいの量。しかし今の僕の場合は、そんなんじゃ残念ながら追いつかない。
    思ったのは、これじゃ浮気は出来ないなと(笑)。
    世の中どうも不倫が流行しているようですが、あれも若さだなあ。僕はいま、妙齢の女性の前でパンツを脱ぐ勇気がもうない(あっても脱ぐな)。

    そんなことはともかく。
    カミさんがこの間、言いました。「染めたげようか?」と。
    うーん。その手は確かにあるんだよなあ。
    しかし、僕は以前人から聞いた話があるんです。曰く「毛染めは髪を痛めるよ」。
    頭頂部の髪は、今の僕にとって本当に大切なんです。大事にしたいんですよ。

     「ライン下だけ染めるっちゅうことは出来るんか?」
     「ややこしいわねぇ。全部染めればいいじゃない」
     「そんなん言うなや。負担をかけたない部分もあるねんて。部分染めっちゅう言葉きいたことあるがな」
     「そういうのはあんまり器用には出来ないよ。自分でやって」
     「そういうなや(汗)。後ろには目がないんや」
     「鏡持っててあげるわよ」
     「ホンでも五十肩で腕が上がらんのや(汗)」

    そんな話をしてるうちにカミさんは面倒くさくなったのか、会話はそれきりとなりました。

    そのあと、ぼんやりと考えていたのですが。
    アンチエイジングが重要な場合も、それはあります。しかし外見などは「年相応」を受け入れてもいいのではないだろうかと。
    僕は秋篠宮さんと同い年なのですが、あの人はもう相当前から総白髪でしたよねぇ。この歳では、そう珍しいことではない。殿下は最近染めたようですが、それはまだ小さい子供のことを考えてのことらしく。僕には子供もいませんし、別に若作りする理由もありません。最早モテようとも思いませんし(モテても全身白髪染めしないとダメですし)。
    なので、慣れようと思います。
    急にこうなったので、ちょっと焦っちゃったりもしたのですが、なんでもあるがままを受け入れるべきであるような気が今はしています。もう生まれて半世紀以上過ぎたんですもんねぇ。思えばいと疾しこの年月。

    しかし、ちょっとよくわかんないのは、まだ眉毛だけは黒々としているということです。これ、どういう関係性なんだろ?


    さて、今年の歌なんですが。
    ブログ始めて長くなりました。その10何年かの間、いわゆる毎年の定点観測的な記事を書くことも多かったわけです。しかし何回か書くうちにネタもなくなり。
    結婚記念日の記事はいつ止めたかな? 節分の記事も10回目で打ち止めとし、坂本龍馬生誕祭も毎年というわけにもいかず、先日のエイプリルフールにもウソ記事はあげませんでした。いまでは今日の記事と…あとは年末の〆の記事くらいでしょうかね。毎年書いてるのは。
    一応昨年も書きましたよ。そのあとあたしは病床に臥したのです(笑)。
    ところがね、誕生日の記事には何か一曲を添えてるんですけど、今年はもう思いつかなくなったよ。検索すればBirthdaysongはもちろんまだまだあるんですが、知らない歌や興味のない歌をチョイスしてもしょうがないですからね。
    なので今年はちょっと趣向を変えて、フレディの歌を。

      
      I Was Born To Love You youtube

    フレディが生きてれば、古希ですよ。まあ古希なんて習慣は英国には関係ないでしょうが…リッチーにせよジミーペイジにせよ、あの頃のロックスターたちはみなそういう歳を迎えています。死んじゃった人も多いけど。フレディは45歳で没。あの衝撃のニュースからもう四半世紀か。

    フレディは、初期の長髪時代から思えば、イメチェンが甚だしかったですねぇ。髭も濃そうですし、胸毛もあっていかにも男性ホルモン過剰に見えるんですけど、どうだったんでしょうかね。あっちのせかいは、わかんないことが多い。あっちのせかいに男役と女役があるとしたら、明らかに男役ですが、そういう役割分担なんてのはあったのでしょうか。
    そして、やっぱり白髪染めはしてたのかなー。

      I was born to love you 
      With every single beat of my heart
      I was born to take care of you 
      Every single day of my life

    「I was born to love you」というのはまあ相当に凄いセリフで、僕ならとても「僕は君を愛するために生まれてきた」なんてこっぱずかしくて言えません。外国語ならではです。
    ただ、この歳なら「take care」の気持ちは、ありますね。
    「ともに白髪の生えるまで」という言葉がありますが、もうとっくにそうなっちゃってますのでね。やっぱりTake careですよ。
    しかしあの言葉には、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」っていう前段がありますよねー。あれは前から不思議で、もうとっくに白髪になってる歳でしょう。99歳ってのは白寿ですから、そこに掛けてるのかな? よく知りませんが(汗)。


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    | 2016/04/06 | 随感 | 05:59 | comments(2) | trackbacks(0) |

    思えばいと疾し この年月

  • 2016.03.27 Sunday
  • 先日、「仰げば尊し」のルーツについての書籍を読みました。約一年前に出版され、書評等から読みたいとは思っていたのですが、昨年は諸般の事情でそういうことも出来ず、ようやく今になって、です。

      
      仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡
      櫻井 雅人・ヘルマン・ゴチェフスキ・安田 寛 共著

    書籍の内容は研究者による学術書であり、例えば猪瀬直樹氏の「唱歌誕生」などのように読みやすくはありません。ですが、その調査、考証の過程は大変に興味深いもので、その執念と労苦には、論文であるのに感動を覚えました。
    「仰げば尊し」は、作者不詳の曲でした。
    明治初期に、文部省によって学校教育用に編纂された唱歌集である「小学唱歌集」に採録されていて、そこから卒業式で歌われるようになったものの、これだけ人口に膾炙した歌であるにもかかわらず、だれが作ったものかが定かでない、いつ頃作られたのか、果たして元は外国曲なのか日本人の作曲なのかすらもわからない謎の曲だったのです。
    それを、一橋大桜井雅人名誉教授が執念をもって探索し、ついに19世紀後半にアメリカで生まれ、既に当地でも忘れ去られていた楽曲集「The Song Echo」の中の一曲「Song for the Close of School」が原曲であることを突き止められました。そして、さらにその「小学唱歌集」に載る91曲全てのルーツを確定し、明治の音楽教育とはいったいどういうものだったのか、を探ってゆきます。

    書籍の紹介をするブログではないのでこれ以上は措きますが、これを読んでいて思ったことのひとつは、僕は「仰げば尊し」を卒業式で歌ったことがない、ということでした。
    前回記事「卒業式の記憶」で、僕には中高大の卒業式の記憶がすっぽり抜けている、という話を書きました。ということは、何を歌ったかなんてことももちろん記憶にないわけです。しかし、仰げば尊しは間違いなく歌っていない。
    どうしてそんなことだけ憶えてるのか自分でもわからないのですが、「ああ仰げば尊しは歌わないんだ」と思った記憶だけは不思議にあるんです。

    現在、仰げば尊しが卒業式において廃れていることは、なんとなく知っています。
    でも僕らの時代は、まだド定番だったのではないでしょうか。
    こういうことをデータとして調べることは実に難しい。なので推測でしかないのですが…例えば僕は初期の3年B組金八先生と世代が同じです。僕はプロレスファンで裏番組だった金八先生は視聴したことがないのですが、こういうことは今の世の中検索すればわかります。トシちゃんやマッチ、あるいはヒロくんらは、その卒業式において仰げば尊しを歌っているようです。
    そもそも、僕が卒業式において、何を歌ったかの記憶もないのに、仰げば尊しは歌っていないことだけ記憶してしていることが、それだけ定番曲だったという表れだと思いますが。

    僕の時代、つまり昭和50年代ではまだ定番曲だったと思われる仰げば尊しが、平成の世では完全に凋落しているということは、どうやら事実らしく。
    これも正確な統計データはおそらくないとは思うので、伝聞と周囲の声と…というレベルではあるんですけれともね。Webでもデータがなかなか出てきません。
    ひとつこういうのがヒットしまして(pdf)、なんの資料かはさっぱりわからないんですけど(汗)、参考にはなりますね。
    この資料によりますと、小学校において最も歌われているのは「旅立ちの日に」です。51校中28校。半分以上です。対し、仰げば尊しは0校です。他に目立つものは、嵐の「ふるさと」で13校。
    中学校においては、33校中で「旅立ちの日に」が15校、「大地讃頌」が10校で他を圧しています。仰げば尊しは4校ですな。
    仰げば尊しが廃れた理由は、いくつかあると思いますが、そのうちのひとつが「旅立ちの日に」の台頭ですね。
    平成3年に埼玉でつくられたというこのうたには感動的な作成秘話も付随しているようで、じんわりと全国に広まっていったと。
    実は、僕はこの事柄は知識として持っていたものの、実際に聴いたことがありませんでした。しょうがないんですよ子供のいない中年というのは機会がなくて(汗)。
    で、検索して聴いてみました。(→youtube)

      いま 別れの時 飛び立とう 未来信じて
      弾む若い力信じて このひろい このひろい大空に

    なるほど、いい曲です。これが今の若い人の思い出のうたとなっているのか。
    ちなみに、大地讃頌は知っていましたが、嵐の「ふるさと」って全く知りません(汗)。シングルでもないようです。検索してみますと、2010年の曲らしい。別に卒業をテーマにしたうたであるわけでもなく、嵐人気ってすごいのだなと実感。
    他にも、流行歌が多く卒業式に取りあげられているようです。ゆずの「栄光の架橋」とか直太朗くんのうたとかいきものがかりのうたとか。「3月9日」をうたうのは、やっぱり卒業式が3月9日の学校なのかなあ。他の日だとおかしいもんねぇ。
    こういう歌も、定番になっていくのでしょうかね。

    僕には、小学校の卒業式の記憶はあると前記事に書きました。
    うたったのは、「巣立ちの歌」です。

      花の色 雲の影 懐かしい あの想い出
      過ぎし日の 窓に残して 巣立ちゆく 今日の別れ

    このうたも、もう廃れたのでしょうか。先ほどのpdf資料にはもう欄すらありません。知らない人もいると思いますのでリンク張っておきます。(wikipedia)(youtube)
    もちろん主観ですが、メロは「旅立ちの日に」よりも易しいのではないかと思います。そのぶん単調かもしれませんが。
    これは、「旅立ちの日に」に凌駕されたのかなあ。

    僕は、記憶しているにもかかわらずそんなにこの「巣立ちの歌」に愛着はありません。
    何故かと言えば、二部合唱で歌わされたからではないかなと思っています。クラス毎にパートが割り振られ、我がクラスは主旋律ではありませんでした。
    先生方は、父兄に「6年間の音楽教育でこの子たちはこれだけのことが出来るようになったのだ。成長を見せたい」と思ったのかもしれません。しかし卒業式は合唱コンクールではありません。卒業式のうたは卒業生のためのものであるべきだと僕は思います。ハモを担当し、主旋律につられない様に何度も練習をさせられては、達成感はあったとしても、うたそのものは印象に残りません。
    こういう場面では、斉唱が望ましいと僕は思っています。誰のための卒業式なのか。

    中学校の卒業式は申しました通り全然記憶がありません。何を歌ったのか。
    こういうの、例えばFacebookとかやってればわかるのかもしれませんね(笑)。
    一曲じゃなかったのかなあ。校歌と、あとは蛍の光、そして「今日の日はさようなら」とかでも歌ったのかな。憶えてない(汗)。巣立ちの歌と仰げば尊しではなかったのは確かだと思いますが。
    小学校のように、練習もしてないと思いますしね。

    高校の卒業式は、当事者としての記憶はないものの、送り出す側の在校生だったときの記憶がありますので、なんとか復元できます。
    高校では、卒業生は歌いませんでした。在校生(有志)が、ハレルヤ・コーラスを歌うのです。
    有志といいますか、主体は合唱部なんですけれどもね。ただ合唱部には男子部員が少ないので、四部合唱にするとバランスが悪いため、歌いたいオトコが参加するんです。僕も物好きなので名乗りを上げ、練習して卒業式に臨みました。
    これ、悪くなかったと思うんですね。だいたい卒業生は前回書いたとおり進路が決まってない生徒が多く、浮ついてましたし、周りがセッティングして歌って送り出す。ひとつのアイデアだと思いました。ベースは合唱部で、我々有志も発声から練習しましたし、感動してくれる父兄も多かったようで、悪い評判は聞いていません。
    ですけど、どうしてうちの高校は卒業式にハレルヤだったのか。そこは、謎です。聞いてなかった(汗)。
    他の例があるかと思って少しWebを彷徨いましたら、こういう話を読みました。(→卒業ソング、公立校でハレルヤ斉唱は問題)
    この話の本当のところはよく分かりませんし(対立意見も読んでませんし)何とも言えないのですが、もしも学校側の強制があったとすれば、思想信条の自由という側面から見れば確かに相応しくないかもしれません。それに、何でも強制はよろしくない。君が代斉唱を強要するのがよろしくないのと同様に(この元市議氏は保守系であるようですが)。

    ぼんやりと思うんですけど。
    学校側の強要とか、卒業生が本当は「旅立ちの日に」が歌いたいのに歌わせてもらえない背景とか、そういう「卒業生中心にものを考えない」ことは、大変な問題だと思います。卒業式の主役が誰かということは、もっと考えられたほうがいい。
    しかしね。
    個人的には、そういうことを言ってるとうたが歌えなくなるような気がしてしまうのもまた事実で。
    例えばハレルヤコーラスは、ヘンデルが作った素晴らしい旋律であると僕は思います。好きですね。
    「Hallelujah」がヘブライ語で、ユダヤ教キリスト教の唯一神を称える言葉であるのが問題なのでしょうが…あまり意識してこなかったですねそういうことは(汗)。僕が典型的な日本人であるとは言いませんが、あまり宗教心を持ってないもので…讃美歌だっていいなと思えば聴きますしクリスマスも神に思いを馳せることはない。ハレルヤなんて「晴れるや」に聞こえますから、先輩の輝かしい未来を後押しするくらいの気持ちで歌ってました。正直なところ(汗)。
    むしろ逆に、キリスト教信者側が怒るのかもしれませんね。そんな適当な気持ちで歌うなと。「ただの歌詞じゃねぇかこんなもん」と言ってはいけないこともある。カラオケでアベマリアとか歌っちゃいかんのだ。

    メロディに罪はない。「小学唱歌集」にも、讃美歌由来の曲が多くあります。
    うたには、ことばがあります。そのことばが、時代の変遷や状況で改変されていくことは、よくあることです。
    それは、百恵ちゃんのプレイバックpart2で「真っ赤なポルシェ」がNHKでは「真っ赤なクルマ」になった程度のことから、童謡「ちょうちょ」(「小学唱歌集」の中の一曲)の、

      桜の花の 花から花へ

    が元々は、

      桜の花の 栄ゆる御代に

    であったことまで。時代に相応しくないと判断されれば、うたの言葉は変わってゆきます。
    それでも改変できない場合は、封印されていきます。
    「蛍の光」は、明治の「小学唱歌集」初篇に載る歌です(仰げば尊しは第三篇)。
    もちろん卒業の歌ですが、仰げば尊しがずっと卒業式に特化し続けたのと違い、広く「別れの歌」として親しまれてゆきます。船の出航のときから、今はデパートやスーパーの閉店時でも聴こえてきます。原曲はよく知られるようにスコットランド民謡。
    現在、その三番、四番はほぼ封印されていると言っていいでしょう
    歌詞は、こんなのです。

      筑紫の極み 陸の奥 海山遠く 隔つとも
      その真心は 隔て無く 一つに尽くせ 国の為

      千島の奥も 沖繩も 八洲の内の 護りなり
      至らん国に 勲しく 努めよ我が兄 恙無く

    これを今の世で歌うのは確かにしんどい。やむなし、といったところでしょうか。これを卒業式に歌うとなれば、僕も反対署名をするでしょうね。

    そして、「仰げば尊し」。
    このうたが卒業式において廃れてきたことの理由も、底流には「改変」「封印」と同様の事情があることは誰にでも察せられることと思います。

      仰げば尊し 我が師の恩 教の庭にも はや幾年
      思えばいと疾し この年月 今こそ別れめ いざさらば
      
      互に睦し日ごろの恩 別るる後にも やよ忘るな
      身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば

      朝夕馴れにし 学びの窓 蛍の灯火 積む白雪
      忘るる間ぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば

    まずは、文語調で難しすぎるということ。
    「いととし」が「疾し」で「疾風の如く過ぎ去った」「はやすぎる」なんて意味だとは、聴いただけではわかりませんよ。今こそ別れめ、なんて係り結びも小学校じゃ習わない。「分れ目」だと思いますわな。明治初期とは、言葉もずいぶん変わったのかなあ。それとも当時は素読のつもりで歌われたのか。
    まあそれよりも、問題は別のところにあるんでしょうけどね。
    「仰げば尊し我が師の恩」「身を立て名をあげやよ励めよ」
    教師への恩を強制している。また立身出世主義は今の世にそぐわないということでしょう。
    うーん…。
    僕が仮に教師であるなら、確かにこれは恥ずかしいですねぇ(笑)。わが師の恩なんて子供たちに歌わせるのは。そんな厚顔じゃない。しかし、改変も出来ない。タイトルであり冒頭フレーズです。変えたらうたが崩壊します。
    また、二番を封印してうたっている学校もあるようです。
    難しいな。
    改変されるほどの社会事情にそぐわない歌詞というわけではなく、軍国主義に染まってもいない。どうなんでしょうね。僕には封印までしなくても良いのではないかという気持ちもあります。子供たちに恩を売るのはさすがに恥ずかしいとしても、立身出世はそこまで排除せずとも良いのではないかと。
    世の中の考え方というのは、変わってゆきますからね。何十年後には、「旅立ちの日に」の「懐かしい友の声ふとよみがえる」なんて歌詞が、「内気で友達を作れなかった子供に対する配慮に欠ける」なんて批判されているかもしれません。
    そうなったら、何もうたえなくなるんだよなあ。

    「仰げば尊し」の命脈は、もう尽きていこうとしてるのかもしれません。今でも知らない人が徐々に増えていると思われます。平成生まれが例えばTV局の責任者になれば、学園ドラマでも普通に「旅立ちの日に」が採りあげられるでしょう。案外そんな時代は早く来るぞ。思えば年月は、いと疾しなのです。
    なんだか、惜しい気もしますね。このうたが流行歌と同じように世につれて消えてゆけば。

    カミさんとちょっと話をしました。あんた卒業式に何を歌ったかおぼえてる?
    そうしたら、小中とも蛍の光だったそうです。なるほど。
    そうして、

    「仰げば尊しをホントは歌いたかったのよ。卒業式の雰囲気が出るじゃない。憧れだったのに」

    と。
    何と言いますか、その気持ち、わかるな。
    うたの評価というものには様々な側面からのアプローチが可能ではありますが、こと「好き嫌い」となると、主観でしかありえません。そのうえで、僕は「仰げば尊し」を聴けば、自分が卒業式で歌って無いにも関わらず、心に触れるものがある。さらにこの歳となって郷愁すら覚えます。
    「仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡」においては、ここだけ引用するとおかしなことになるかもしれませんが、
    原曲は、当時アメリカではどこでも見られるごく平凡な歌であった。旋律、韻律、リズム、音楽形式に関してはこの歌は決して特別の歌ではなく、大きな家族から出てきた一つのありふれた歌にすぎない。どれもこれもよく似た歌の集団の一員である。「仰げば尊し」の原曲が本国アメリカで記憶から完全に忘れ去られた原因をここに見ることができる。
    と、あります。「大きな家族」とは、歌の系譜の概念のようなものです。
    そんな平凡でありふれたメロディが「仰げば尊し」となると急に沁み入るのはなぜか。
    安田寛氏は「記憶のプロセス」という言葉を遣われています。論文であるため叙情的には語られませんが、つまり「思い出」が加味されるのだと。
    しかし、僕にもカミさんにも、このうたに個人的な思い出はありません。にも関わらず、不思議とあふれでる何かがある。これはもう、集団記憶的な概念を持ち出さないと説明できません。DNAとは言わずとも、長い間に積み重なってきた何かが心に触れるのだと。
    しかし、もうそういうものも尽きようとしてますね。

    ただしいまの僕にとって、「仰げば尊し」といううたは、心に沁みるのは確かですが、少し引っかかるものもあるんです。何か、胸の内にざわざわしたものがよぎる。そして、ため息をついたりして。
    それはあの、

      身を立て名をあげ やよ励めよ

    という言葉です。
    立身出世主義がけしからんとか、そういうことではありません。個人的なことです。
    僕は、もうこんな歳になっていますが、結局身を立て名をあげることは叶いませんでした。社会の中に埋没し意識の低い人間となって、名誉も財産もなく暮らしています。僕自身は、それでも日々幸せを感じつつ生きているつもりですが、ただ親孝行は出来なかったなと。
    ちゃんと育ててくれたのに、立派な自慢の息子にはなれませんでした。今になっても心配ばかりかけています。本当に申し訳ない。ごめんな。
    思えばいと疾し、この年月。もう残された時間は多くはない。そのことがどうしても思われ、今の僕にとって「仰げば尊し」は、ちょっぴり苦いのです。
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    | 2016/03/27 | 音楽 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) |

    卒業式の記憶

  • 2016.03.23 Wednesday
  • 桜、関西でも咲き始めました。
    ただ、ムラがありますね。既に咲き誇っている木もあれば、まだ蕾がほころぶには遠いか、という木もある。今年は三寒四温が甚だしかったものですから、桜も迷っているのかもしれません。
    ところで。
    僕には子供がいないのでそういう部分非常に疎くなっているのですが、近くの学校では卒業式が順次執り行われ、もう中高ではだいたい終わっている時期のようですね。もちろん学校地域によって様々に異同はあるでしょうけれども、概ね卒業式ってそんなに早かったっけ。
    こういうの、勘違いするところがあるんですね。どうも桜と卒業式というのは表裏一体のように思ってしまっているのです。よく考えたら、そんなことはないわな。
    桜前線と言う言葉があるくらいで、細長い日本列島ですから桜の咲く時期と言うのは地域様々です。しかし、いくら早くとも3月上旬に満開になるところは少ないでしょう。確かつい先日に九州のほうで開花宣言が出て、例年より早いなんてニュースがあったくらいで。

      さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて
      さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で

    森山直太朗くんがこんなふうに歌うものだから、どうしても「桜=別れの季節」となってしまいます。しかしまあ「別れの季節=卒業」とは確かに限りませんねぇ。

    桜を詠じたうたで日本史上最も高名なものは西行法師の絶唱だと思います。

      願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
     
    如月の満月(旧暦2月15日)というのは、今年でいえば3月23日にあたります。今日か(笑)。年によってずれはありますが、だいたい3月下旬〜末とみていいでしょうか。
    中高の卒業式には、遠いな。九州でも無理でしょうね。
    カミさんの故郷津軽ではG.W.が満開時期であり、その別れ=桜という「桜ファシズム」には閉口すると常々言ってます。まあね(汗)。

    子供の卒業式などには縁がなかったので、しょうがないから自分の卒業式のことを思い出して対応しようとしたのですが、それが驚くほど記憶がない。遥か昔のことであるといえ、そのことに自分でもびっくりしました。
    僕は追憶をブログネタにすることが多く、記憶力にはそこそこ自信もあり、郷愁とか懐古の情に人一倍心が揺らぐ後ろ向きの人間であったはずなのですが、自らの卒業式というものに思いを馳せることが出来ないとは。
    どうしてなんだろうなあ。
    ことに、時代が新しくなるほど記憶がない。うーむ…。

    古い記憶は、あるんです。
    例えば幼稚園の卒園式の情景を憶えている。これもまた不思議なことで。僕は5歳だったはず。
    先生が泣いてくれました。「一年生になったら」を歌いました。おかんと家まで歩いて帰りました。断片的だけど結構記憶にあります。
    小学校の卒業式も、さほど鮮明ではないにせよ何とか記憶にある。
    僕の「卒業式=桜」というのは、このときに刷り込まれたものであるかもしれません。中学の制服である学ランを初めて着て臨みました。これは、慣習だったのかな。私立中学へゆく僅かな同級生を除いて、男子はみな詰襟を着込み、首の部分に違和感を感じつつ、小学校最後の日を寿ぎました。
    そのとき、桜は確かに咲いていました。
    終業式の前日が卒業式であり、春休みの日程から逆算して、その日はおそらく3月23日だったのでしょう。これも今日だな。
    桜が咲き誇っていてもおかしくない日です。

    そして僕はそのあと、中高大へと進学したわけです。
    つまりあと3回は卒業式を経験したはずですが、この青春という時代に必ずや強い印象を生じるに違いない卒業というイベントに関する記憶が、なぜか僕の脳内からすっぽりと消えている。
    不思議です。不思議としか言いようがない。
    大学はともかくとしても、中高の卒業式なんてのは小説や歌の題材にも頻繁に採りあげられるようなドラマティックなイベントであり、多くの場合そこには感動や涙の舞台があり、「制服の第二ボタン」とか、いろんな出来事がたくさんあったはずです。そんな情景を憶えていないなんて、僕はいま人生を損した気分です。
    なんでだろう。
    卒業の頃、つまり「別れの季節」というものの心情や、あるいは風景というものの記憶は、結構残っているんです。いくつかブログ記事にもしました(これとか)。
    ところが、そんな別れの季節の追憶の中で、卒業式の思い出だけが抜け落ちている。
    いろいろ理由をかんがえてみたのですが、そのひとつに「時期が悪かったのではないか」ということが挙げられるのではないかと仮定してみます。

    中学の卒業式が3月の何日だったか、さすがに憶えていませんが、ひとつだけ記憶にあるのは、その日が公立高校の合格発表の前日だった、ということです。
    おそらく、これは配慮でしょう。式当日に明暗が分かれている生徒が混在しているのは、嫌なものです。しかし逆に言えば、その当日は自らの進路がまだ定かではないのです。
    僕が生徒だったころの故郷の公立高校には、学校間格差というものがありませんでした。小学区制です。したがい同じ公立中学の同級生は、みな同じ公立高校を受験します。
    もちろん定員はありますから、落ちたときのための滑り止めとして私立高校を併願したりします。しかし僕は、専願でした。公立一本で受験。まあ学年の半分以上は受かりますから、大丈夫だろうと踏んだのです。
    ですが一発勝負というのは、怖いものでして。もしも落ちたら高校浪人になってしまいます(私立高校の入試は、それ以前にだいたい終わっている)。こういうのは、考えれば考えるほど不安であり、その不安感が拭えぬまま、卒業式に臨んだわけです。心情としては、進路定かならぬまま浮ついた気持ちで式に出席しています。なので、記憶があまりないのではないだろうかと。
    翌日の合格発表の日のことは、逆によく憶えているんです。掲示板に自分の名を見つけ、学校へ報告に行きました。その職員室での情景とかは、今でもつらつら書けるほどに記憶にある。書きませんけど。
    高校の卒業式も、似たような事情がありました。多分、卒業式は3月当初だったと思います。もしかしたら1日だったかも。一応受験生でしたから、相当に浮ついていたはずです。
    在校生として先輩を送り出す立場だった1、2年時の卒業式のことは、よく印象に残っています。式次第もなんとなく脳裏に浮かびます。しかし自分が当事者だった日のことは、記憶にない。
    結局、受験制度の弊害ではないでしょうか(笑)。高校のときも、進路が決まって学校に報告に行ったときのことはやっぱり細かに記憶しています。

    話が長くなってしまったなあ。本当は、卒業式で歌ったうたの話をしようとしてこの記事を書き始めたんですが、脱線してそこに至りませんでした。また別で書くか。

    大学の卒業式も、全く記憶にないのです。
    これは、進路とかそういうのとは全く別ですな。だいたい、大学の卒業式というのは自由参加みたいなもので(全員参加したら何千人になるんだ)、僕は出なかったんだと思ってました。ですが、当時の僕の日記が実は残っているんですが、それによると出席しているようなんです。あれ?
    その日記には、「午前、引き返して卒業式に出る」と一行だけ記されているだけ。感想も感慨もゼロです。
    このときは、どうも別のことに夢中になっていた時期で(笑)。このときですな。色恋が卒業式の記憶を消したか。ちょこっとだけ式に出て、そのあとはセシールの彼女とまたどっかへ行ったか何かです。もう忘れたわ(汗)。
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    | 2016/03/23 | 雑感 | 22:04 | comments(0) | trackbacks(0) |


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